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マラナ・タ https://blog.goo.ne.jp/malanata

私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

ハレルヤおじさん
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垂水区
出身
姫路市
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2009/07/20

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  • 正直に

    異なる二種類のおもり、異なる二種類の枡、そのどちらも主に忌みきらわれる。箴言20:10いくら混ぜても、かき回しても、混ざらない、いくら共に話し合いをと接点を見つけようとしてもそれは無理、水と油そのような関係。どちらも、これだけは譲れないとしたら、葛藤と言うことばがあります。なぜこのような心の状態になるのでしょう。「葛藤」とは、二つ、もしくはそれ以上の何かに心が満たされているゆえです、善し悪しは別として、一つの方向に向かっている時、人はこれも良し悪しは別として魅力的に感じるものです。しかし、人は神に向かって真っすぐの向うとき、まことの命、まことの力をいただけるのです。その人はさらに魅力的になります。そして、真理は一つ、たとへ、このことで排他的と言われようが、このことは絶対に譲れない、それ以外はすべて譲ったと...正直に

  • 祈りなさい

    「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。」詩編107篇6節私たちは苦しみの中にいるまで主に祈らないことがあります。日本式にいえば、「困った時の神頼み」ですね。けれども、それでも主は私たちの苦しみの中からの祈りを聞いてくださいます。人生には、様々な試練があります。しかし神はそのさまざまな試練を一つ一つ恵みに変えて下さるお方です。此処の聖句では、そのことを歌っています。この6節は苦しみの時の祝福です。深い深い、暗い暗い井戸の底から見上げると、昼間でも星が見えると言います。その真昼の星のように、普通では見えないものが、人生にはいくつもあります。それは、暗い井戸の底から見上げた時に見えるのです。食べるものや着るものに困らなかった時には見えなかった人の優しさや親切が、貧乏のど...祈りなさい

  • どんな神ですか

    あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」イザヤ46章4節背負う神と、背負われる神。人が背負わなければならないのが世の神々であり、人の重荷を背負われるのが真の神。人間の親は自分の子どもの乳児期、幼児期、少年期、青年期と面倒を見て育ててくれますが、最後まで面倒を見るということはできません。むしろ反対にいつかは逆転して、親が子どもに面倒を見てもらわなければならなくなります。しかし、神は「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」と約束しています。...どんな神ですか

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