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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

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  • 夏の夜は

    式子内親王夏の夜はやがてかたぶく三日月の見る程もなく明くる山の端.今日は銀座で誕生日会銀座五丁目の「加賀屋」香り箱というメニュー夏の夜は

  • 夏越の祓い

    水無月の夏越の祓いをする人は千歳チトセの命のぶというなり明日は六月の晦日6月30日は水無月を食べる日。「夏越祓ナゴシノハラエ」「水無月の祓ミナヅキノハラエ」とも呼ばれる神社の鳥居の下や境内にチガヤで作られた大きな輪が据えられその輪をくぐる半年間の罪や穢れを祓い残り半年の無病息災を祈願するその六月のお菓子が「水無月」「水無月」は白の外郎生地に悪魔払いの意味の小豆をのせて暑気を払う三角の形は氷を表す枝豆や小豆をのせた三角の形の玉子豆腐やシンジョウ若いときの六月の懐石には煮物椀として重宝した今日は木曜稽古五名のお弟子様が見えてそれぞれ点前したお菓子は金団の「苔清水」とその「水無月」届いた時は蒸したばかりなのだろうお菓子の箱が熱々で嬉しい夏越の祓い

  • いわけなう

    いわけなう日うらの白き胡瓜哉子規いわけなう→いわけ‐な・し【稚なし】=幼い。あどけない。子供っぽい。日うら=日陰のこと今日は水曜稽古寄付は西山翠嶂の鷺と胡瓜の絵にした西山翠嶂にしやま-すいしょう1879-1958明治-昭和時代の日本画家。明治12年4月2日生まれ。竹内栖鳳(せいほう)に師事。昭和8年母校京都市立美術工芸学校の校長,12年芸術院会員。青甲社を主宰し,堂本印象,上村松篁らをそだてた。32年文化勲章。昭和33年3月30日死去。78歳。京都出身。本名は卯三郎。(コトバンクヨリ)いわけなう

  • ならの葉かげの重なりて

    藤原定家たづねいるならの葉かげのかさなりてさてしもかろき夏衣かな明日は稽古日なので掛けものを替える「雲表清露」小堀卓巌筆先週はこの軸を掛けていた読み方はウンピョウノセイロ意味は雲の上の尊い世界の清らかな露。天上界の教えは無垢であり清浄である。この世のものならぬ清浄な霊水「清浄な霊水を沸かした湯で点てた一碗の茶、と解してよいであろう」芳賀幸四郎「禅語の茶掛一行物」若いとき三十代前半芳賀先生の講座に通っていた禅語の勉強に月に一度表参道の梅窓院まで出掛けたそこでバイ様に偶然会ったのだ芳賀幸四郎はがこうしろう、1908年1月25日-1996年8月6日)は、日本史学者。東京教育大学名誉教授。東山文化研究の第一人者。また、禅を極め、臨済宗妙心寺派系の法を嗣ぐ老師でもあった。庵号を「如々庵」(にょにょあん)、道号を「洞...ならの葉かげの重なりて

  • 睡蓮の花びらの先

    与謝野晶子睡蓮の花びらの先苦しくも少し尖れりわが心ほど今日は○○研究会紫兎先生と御坊っちゃまとお勉強に行くのだがわが家からほぼ一時間半ようやくたどり着いた玄関の土間から一段上がろうとしたところでなぜか私と先生とが絡み合いながら転んでしまったさいわい厚い玄関マットの上に転んだので二人とも怪我はなく打撲も何もなかったスローモーに転んでいく最中先生の頭とかがどこかに打たないようにと気を付けた気がするが何もできず気がついたら転んでいた転ばないようにと言っていた口が乾かないうちに実際に転んでしまった固いところがなかったので二人ともどこも怪我なく無事であるでも気を付けないと皆々様も写真はすいれん睡蓮の花びらの先

  • 一重衣は山吹の

    藤原兼輔わが着たる一重衣は山吹の八重の色にもおとらざりけり藤原兼輔フジワラノカネスケ平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。歌人清正キヨタダの父で、紫式部の曾祖父。従三位中納言まで進み、その邸宅が賀茂川堤にあったので、堤中納言といわれた。藤原定方などとともに紀貫之や凡河内躬恒などの専門歌人の後援者であった。家集に「兼輔集」があり、「聖徳太子伝暦」の著作もある。元慶元~承平三年(八七七‐九三三)今日は日曜日お弟子様のサカチカさんちの茶事へ出かけるいつもは水屋に入るのだが久しぶりに客になる一重の着物ではもう暑い気温だその上に絽の塵よけを着るからますます暑くなるがまあ仕方ない今どきは茶事に伺えばどこも冷房が効いて着物でも涼しいはずだがまん我慢茶事も配役によって感じかたは変わる気がする亭主は主役責任重大終われば達成...一重衣は山吹の

  • なつかしき色ともなしに

    萱草の一輪咲きぬ草の中漱石ああ、昨日は寝落ちしてブログも書けなかったし大好きなテレビドラマ夜10時からの「ペンディングトレイン」の最終回だったがぐうぐう寝てしまった今日はお弟子様の森金さんの今週二回目の水屋を担当庭の水引を切り、予め頼まれていた背の高い扇風機を持って迎車のタクシーに乗り込む「扇風機をそのまま持って乗り込むお客さんは初めてデスネ」と言われた。その扇風機はサカチカさんのだが不要とのことで私と森金さんが欲しがったが私の負けわが家にも同じような背の高い扇風機があるもう一つあってもいいかと手を上げたエアコンあり背の高い扇風機は1台低い扇風機が二台すでにあるのにだまた欲しがる癖があるそして捨てないからものがドンドン増え続ける茶事は予定時間をだいぶオーバーしたが無事に終わった焼きもののカマスは美味しそう...なつかしき色ともなしに

  • 梅雨もよし

    気にかかる事もなければ梅雨もよし虚子高浜虚子タカハマキョシ1874年〈明治7年〉2月22日~1959年〈昭和34年〉4月8日)明治・大正・昭和の日本の俳人・小説家。本名は高浜清(たかはまきよし、旧字体:高濱淸)。旧姓は池内。『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。今日は木曜稽古午前10時から二名のお弟子様サカチカさんとウエストさんそれぞれお昼頃にお稽古は終わりその後は夕方6時には秋さんの予定が入ってるさて休憩時間が大分ある午前中のお弟子様お二人といつもの魚屋さんへお昼を調達毎週木曜日のお刺身の日を取止めてるのでお魚は随時いつもの魚屋へ買いに行くお刺身と煮魚とか焼き魚を買う普通のお魚のほかに玉子焼に魚のサラダ厚揚げやさつま揚げも売ってる三人で適当に買ってあっさり解散昼食...梅雨もよし

  • 幽かに聴こゆ馬の鈴

    夏至の日の幽かに聴こゆ馬の鈴石鼎セキテイ馬の鈴が聞こえてくるなんて夢の世界のようだ原石鼎ハラセキテイ1886年3月19日-1951年12月20日島根県出身の俳人。高浜虚子に師事、「鹿火屋」を創刊・主宰。大正期の「ホトトギス」を代表する作家の一人。色彩感覚に優れたみずみずしい作風で一世を風靡した。今日は水曜稽古コロナ禍でずっと休んでいた七亊式の稽古を今日から始めることにした午前10時から集まりはじめまずは花月午前中は五名揃わず私めが参加しても四名だったがはじめたそのうち一人二人と見えて五名が揃ったお弟子様の見える時間の都合で午後から見えたり入れ替わりに帰ったりしながら平花月炭付花月濃茶付花月平花月炭付花月濃茶付花月と繰返す久しぶりに折据えを置く細かい畳目を数えて参加者には結構な脳トレになったはずだまた来月写...幽かに聴こゆ馬の鈴

  • ひらひらと

    ひらひらと挙るあふぎや雲の峰芭蕉今日はいい天気お弟子様の森金さんのお茶事の水屋に行く下ごしらえは森金さんが前日の昨日に出来ることは全て済ませ私は当日の魚の切りもの向付とその他温めたり盛付たりそうそう難しいことはないでも焼きもので失敗最近は魚はグリルで焼く時間設定が付いてないので携帯のタイマーをセットしたが失敗焼く時間は八分で様子見るその八分を八時間でセットしてしまったいつまでもアラームが鳴らない気が付くと、焦げてる失敗いい匂いがしてたしもう少し早めに見れば良かったと後悔した後悔とはしてしまった事について、後から悔やむこと。「後悔先に立たず」(事が終わって後にくやんでも取返しがつかない)例文今さら後悔しても始まらない」類語悔やむ(くやむ)悔いる(くいる)く関連語悔悟(かいご)悔恨(かいこん)悔い(くい)懲り...ひらひらと

  • 五器に盛ばや草枕

    あぢさゐを五器に盛ばや草枕嵐雪五器ゴキと高麗茶碗の一種の呉器のこと呉器は形が椀形で、禅院で用いる飲食用の木椀の御器に似ていることに由来するといわれます。一般に、大振りで、見込みが深く、丈が高く木椀形で、高台が高く外に開いた「撥高台(ばちこうだい)」が特色。素地は、堅く白茶色。釉薬は薄青みがかった半透明の白釉がかかります。呉器茶碗には、「大徳寺呉器」、「紅葉呉器」、「錐呉器」、「番匠呉器」、「尼呉器」などがあります。「大徳寺呉器」は、室町時代に来日した朝鮮の使臣が大徳寺を宿舎として、帰国の折りに置いていったものを本歌とし、その同類をいいます。形は大振りで、風格があり、高台はあまり高くありませんが、胴は伸びやかで雄大。口辺は端反っていません。「紅葉呉器」は、胴の窯変が赤味の窯変を見せていることからその名があ...五器に盛ばや草枕

  • 梅雨霽ツユバレの川

    与謝野晶子天の原にごれる海をみなもとになして行くらむ梅雨霽ツユバレの川浮世草子に財宝残らず釜の下の灰、広庭の落葉までもゆづる也とある竈の下の灰まで→家の中のものあますところなく。全部の意。江戸時代は「灰買い」という職業があったという・染色の定着材・土壌の改良剤・焼き物の釉薬また草木灰に含まれるアルカリ性と細かい珪酸分を利用し、茶碗等の器物の洗浄や、汚染されていない灰で人体の洗浄剤や傷口の消毒剤にも用いられてきたようだ週二日間の稽古日に風炉の灰型二文字押切を二つなかなか満足とはいかないいや満足は一度もない炉の灰は灰汁アクの抜けた灰にしてサラサラと灰さじから撒かねばならないでも風炉の灰は灰汁をとってしまうとサラサラして灰型ができないただ炉になるまでの風炉の半年間日常の炭手前を繰返し篩フルイでふるうを繰返すそ...梅雨霽ツユバレの川

  • 青梅に眉あつめたる

    青梅に眉あつめたる美人哉蕪村昭和十年発行の「茶料理」に小吸物のことが書かれている「昆布仕立は水三合に昆布二寸昆布の味が付かない位で昆布引上げ少量の鹽シオで加減昆布の味や香が、はっきりしては箸洗の目的に適せずこの急所をよく心得て置いて頂きたい」とこの時の実は衝羽根ツクバネと契チギり梅衝羽根の姿の良く一つ整ったのを椀に盛り汁を注いでから梅干を加える先に梅をいれると椀の底に喰ひ付いて離れ難いことがありますとあった今日は土曜日予定では朝9時24分踊り子3号に乗ってお弟子様のお茶事に出かける予定だったが家庭の事情で行けずつらいところだ朝から見事な晴天私は一日中そうじ片付け昼寝付青梅に眉あつめたる

  • うつつなき身や蝸牛

    出る杭のうつつなき身やかたつぶり蕪村梅雨の頃のイラストには紫陽花とカタツムリをメモ良い組合せだカタツムリそれを見そうそう雨が降るからね狭いところでは今日は金曜日商店街の郵便局へ振込の用事があるいつもの魚屋に寄ってお喋りがてら焼魚と煮魚をあるだけ大人買いそれでも二千円以下これで暫しのたんぱく質は確保した味もついてるしすぐ食べれるから良し写真はお友達からの頂戴したセレブなご飯のおともで有難く栄養補給した感謝うつつなき身や蝸牛

  • 忘れ草

    古今集・よみ人知らず忘れ草たねとらましを逢ふことのいとかく難きものと知りせば今日は雨が降ったり止んだり梅雨の最中ゆえ雨はつきものだようやく庭の半化粧が葉を白くし始めた友人のハイさんがこの半化粧を欲しいというのこころなりけり今日のお茶のお稽古のあとに寄るとのこと日陰で背の伸びた半化粧を四五本紙に来るんで差し上げた茶の流儀は宗偏流とのこと・千宗旦の子弟である山田宗偏(1627~1708)がはじめた流派宗偏は宗旦四天王の一人。腕の立つ職工として茶杓、茶碗などを手がけ、宗旦の厚い信頼を得た。宗旦は祖父利休の没後、経済的にどんなに苦しい状況にあっても大名仕えはせず、ひたすら質素に徹するい「侘び詫び」の生活を押し通した。宗旦の苦しい時代を支えたのが愛弟子の山田宗偏。宗旦の侘び詫びの精神に深く共鳴した小笠原家全権大使と...忘れ草

  • 今日はにほへるあぢさゐの花

    樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花今日は水曜稽古花溜には額紫陽花が盛りだくさん大ゴミの和ダンスを出すのに朝早くヘルパーさん2名見えて外まで出してくれた丁寧に大切に出したのに大ゴミ収集の車の後ろにボコボコ投入れるとバリバリ壊しサッと出発したあっけないもの長年使った箪笥は姿を消してしまった掛けものは涌蓮涌蓮読みはようれんとネットには出ていたが私はゆれん又はゆうれんだと思っていた江戸中期の真宗高田派の僧。伊勢黒田生。浄光寺誓海の弟。諱は慧亮エリョウ、字アザナは達空タックウ、嵯峨居士と号する。初め江戸桜田の澄泉寺に住むが、のち京都に上り、冷泉為村に和歌を学ぶ。安永3年(1774)寂、享年未詳。今日はにほへるあぢさゐの花

  • 小紫なる岸の藤浪

    相模見渡せば松のみどりにうちかさねこ紫なる岸の藤波今日は火曜日お習字のお稽古森金先生とお習字予定は予定針切は相模集・重之の子の僧の集相模と、重之の子の僧、藤原行成筆と伝えられる。相模集と重之の子の僧の集の二集を1冊の綴葉本として書写されたもの。書写本の筆跡が細くシャープなところから、『針切』と称されている。歌のみが書写された相模集の部分と、詞書コトバガキを設けてリズミカルな出入りを配した重之の子の僧の集の部分とが有る。どちらも流麗な線で書かれているが、相模の部分はやや右に流れる傾向が有り、重之の子の僧の部分はこれに比して行をやや垂直に執り、墨継と相まってすらりとした美しさをより強調して凛とした強さも醸し出している。「針切相模集」は現在十一葉三十六首知られているが、後に一葉四首も『針切』として加えられて...小紫なる岸の藤浪

  • 音たえせぬは五月雨の

    橘俊綱タチバナノトシツナつれづれと音たえせぬは五月雨の軒のあやめの雫なりけり橘俊綱タチバナノトシツナ1028-1094平安中期-後期の官吏,歌人。長元元年生まれ。藤原頼通の子。丹波,播磨などの国守。正四位上,修理大夫,近江守。永承5年(1050)「橘俊綱家歌合」伏見の自邸で歌会をひらいた。「後拾遺和歌集」などの勅撰集に12首みえる。造園に通じ,「作庭記」の作者ともされる。寛治8年7月14日死去。67歳。通称は伏見修理大夫。今日は茶会へ名古屋の有楽苑如庵結の会の茶会朝8時10分品川発の新幹線で名鉄に乗換犬山に11時ころ着いたマイクロバスで行く小雨の有楽苑濃茶席は如庵と正伝庵薄茶は別棟の元庵それからバスで奥村邸にてフランス料理ワインで乾杯音たえせぬは五月雨の

  • 五月雨の雨降りけぶる朝怪し

    古泉千樫さみだれのあめふりけぶり朝あやし白き海鳥庭に来て居り今日は朝日カルチャー白河切シラカワキレ『後撰和歌集』の断簡。伝称筆者は西行(1118~1190)平安後期から鎌倉初期の緩急抑揚の変化にとんだ筆運から、江戸時代に筆者を西行と鑑定され、名筆の一つとして鑑賞されてきた。太い線と細い線が交錯した緩急のある運筆で、連綿は長い。伝本の少ない古本系統『後撰和歌集』の平安後期の書写になる古写本として国文学上にも価値がある(ウィキペディアヨリ)写真は駅前の建物の解体現場隠しもせずいいのかしらちょっと見てはいけないような景色だけど誰も興味を示していない五月雨の雨降りけぶる朝怪し

  • 黄なる枇杷の實かがやくと

    北原白秋枇杷の木に黄なる枇杷の實かがやくとわれ驚きて飛びくつがへる今日は食事会いつもは綱島のふくもとだったが満員で予約がとれなかったいつもの四人のうち2名は6月が誕生日ではでは帝国ホテルで誕生会をしようと今日は帝国ホテルのレ・セゾンその写真コースのあとはロビーの喫茶店で紅茶一日を楽しんだ珈琲をお代わりした黄なる枇杷の實かがやくと

  • 夏もなほ心はつきぬ紫陽花の

    藤原俊成夏もなほ心はつきぬ紫陽花の四ひらの露に月もすみけり今日は木曜稽古昨日は森金さんが今日はアイテラ氏が紫陽花を持ってきてくれた水屋の花溜めはかさ張るアジサイだらけだホンアジサイ、額紫陽花水揚げを良くすれば生き生きと華やぐ万葉集にも歌われているそうな写真の掛けものは呉浚明ゴシュンメイの山水または五十嵐浚明イガラシシュンメイ元禄13年(1700年)-天明元年8月10日(1781年9月27日))は江戸時代中期の新潟の絵師、漢詩人。本姓は藤原、修姓は呉。諱は安信、後に浚明。字は方篤、後に方徳。号は思明、孤峰、穆翁、竹軒。江戸で狩野良信栄信に狩野派、京都で竹内式部に経学を学び、宇野明霞・片山北海・池大雅等と親交した。いつまでも見て飽きない好きな絵師だ夏もなほ心はつきぬ紫陽花の

  • 窓の下なるどくだみの花

    北原白秋色硝子暮れてなまめく町の湯の窓の下なるどくだみの花今日は水曜稽古掛けものは須川信行須川信行スガワノブユキ天保10年10月25日~大正6年(1917年)11月13日)江戸時代末期・明治時代の歌人、医師。宮内省御歌所寄人。『明治天皇御集』の編纂委員を務)(ウィキペディアヨリ)窓の下なるどくだみの花

  • 隠れぬものや瀬田の橋

    五月雨に隠れぬものや瀬田の橋芭蕉もうすぐ梅雨入りになるようだ今日は火曜日村雨庵ではお習字の日森金先生は10時にお出まし新入会の生徒さんサヨさんは荻窪からヨツさんはとても遠方からお越しだでも私は読売カルチャーへ茶話指月集のお勉強お習字はお休み今日は瀬田の唐橋の擬宝珠ギボシのお話千利休が言う「瀬田の唐橋の擬宝珠の中に見事な形のものが2つあるが、見分けられる人はいないものか?」とすると織部が急に席を立ち、夕方に戻ってきた。「早馬で瀬田に参りました。2つの擬宝珠は東と西のこれではありませんか?」と利休をはじめ一座の者は、織部の執心の凄まじさに感心した。(久須見疎安の茶話指月集ヨリ)というあたり夕方雨が降りだした写真は大谷尊由の自画賛隠れぬものや瀬田の橋

  • 言はねば知らじ口なしの

    樋口一葉おもふ事いはねば知らじ口なしの花のいろよきもとのこころも今日はエマ先生のお茶事へ天気も良い茶事日和今回で伺うのは三回目今月から一重の着物紫卯先生に頂いた紫色の着物正午茶事本懐石に初炭菓子で中立ち後座は手付籠にマツモトセンノウ縞アシに半化粧お心入れのお道具で楽しかった写真は5/30に行った「ふくもと」で撮った実も付いてる山梔子クチナシの花言はねば知らじ口なしの

  • 短夜や

    短夜や浪うち際の捨篝カガリら蕪村今夜は満月今日はお弟子様の秋さんちで茶事の稽古料理を作りそのあと客と水屋にわかれるそして茶事を始める向付鯛のかさねもり、山葵、山芋、茗荷、加減酢みそ汁菖蒲の生麩、袱紗味噌煮物椀鱈、豆腐、蛇の目瓜焼物イサキの幽庵焼預け鉢ゆば、小芋、獅子唐の炊き合わせ進肴青瓜と胡瓜ささみの三杯酢小吸物くこ八寸煮アワビ枝豆香のもの沢庵、新生姜、奈良漬菓子水無月秋さんが昨日懐石用に買った材料を写真にとり、ラインで送ってくる。それを見ながら考えた献立煮物椀の鱈は冬の方が相応しいけどまあ仕方ないか初心者組だけど味はなかなか良かった頑張ったね写真は道端のパンジー短夜や

  • 玉鉾 タマボコの

    藤原定家玉鉾の道ゆき人のことづても絶えて程ふる五月雨のそら通りすがりの人にあの人がいつも託す手紙が私のところに来なくなってずいぶん経つわね仕方なく見上げる梅雨の空は灰色だわ玉鉾タマボコ「たまほこ」とも①玉で飾ったほこ。また、ほこの美称。②道の枕詞「この程はしるもしらぬも玉鉾の行きかふ袖は花の香ぞする」〈新古今・春下〉今日は朝日カルチャー崩し字の講座社中の森金さんとサカチカさんも参加帰りは三人でそごうの鳩居堂へ森金さんはお茶事の案内を巻紙にしたためるのに用紙が足りなくなったのでと買いにきた六月、七月、八月分のお手紙分一気に書くそうだが凄いエネルギーがいるサカチカさんも巻紙と封筒私は封筒とお線香みたいなお香を2種類写真は地下のお鮨屋で三人遅いお昼玉鉾タマボコの

  • 六月の山のゆふべに雨晴れぬ

    六月の山のゆふべに雨晴れぬ木の間にかなし日のながれたる一年の半分早くも六月はアジサイが咲き蛍が飛ぶイメージお菓子の水無月を食べて晦日には茅の輪をくぐる夏越の祓いは「水無月の夏越祓ナゴシノハラエをする人は千歳の命のぶというなり」台風と梅雨前線の影響で外は強い雨風の音がする自然は脅威だ写真は秋さんが送ってくれた写真飼っている猫チミだ可愛いね六月の山のゆふべに雨晴れぬ

  • 花橘の香をかげば

    読み人知らず五月まつ花たちばなの香をかげばむかしの人の袖の香ぞする今日は木曜稽古籠ひさごの花入に美央柳ビョウヤナギを入れた別名は美女柳ビジョヤナギまた美容柳ビヨウヤナギ金線海棠キンセンカイドウ弟切草(おとぎりそう)科「葉っぱがうすめの品種」と「葉っぱが厚めの品種」があるうちのは薄めだ写真は花橘の香をかげば

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