10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
文屋康秀春の日の光にあたる我なれど頭カシラの雪となるぞわびしき写真は文屋康秀フンヤノヤスヒテ生没年未詳。平安前期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の1人。860年(貞観2)刑部中判事に任ぜられ、877年(元慶1)山城大掾(だいじょう)、879年縫殿介ヌイドノスケに任ぜられた。『古今集』に参河掾ミカワノジョウになったときの小野小町との贈答歌があり、また仁明天皇の御国忌ミコキ(851)の歌や「惟貞コレサダ親王家歌合」の歌などがある。今日は木曜稽古花冷えか朝からうすら寒いお菓子屋さんが届けてくれた二種のお菓子は浮島製でさくら色と黄色と羊羮色桜と菜の花と土の三色それと桜餅花はお弟子様丹精の牡丹春の日の光にあたる
在原業平世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし覚えておきたい今日は水曜稽古午後は雨近くに住むお弟子様は自転車で稽古に来る雨だと濡れるので少し待って小やみになってからのお帰り夜が更けるほど雨が降るという予報だしいつ帰るか決めないとね日常は常に決断が必要だ写真は六歌仙の在原業平筆者は不明絶えて桜のなかりせば
藤原良経おしなべて木の芽もはるの浅緑まつにぞ千世の色はこもれる【藤原良経】フジワラノヨシツネ[1169~1206]鎌倉初期の公卿・歌人・書家。九条兼実の子。摂政・従一位太政大臣となり、後京極殿と称される。歌を俊成に学び、定家の後援者でもあった。書では後京極流の祖。家集「秋篠月清集 アキシノゲッセイシュウ 」。九条良経。今日は大師会帰りは久しぶりのヨックモックでひと休みした写真は根津美術館の池真ん中に鳥。木の芽もはるの浅緑
木下利玄牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ木下利玄キノシタリゲン1886-1925明治-大正時代の歌人。明治19年1月1日生まれ。伯父の木下利恭トシモトの養子。はやくから佐佐木信綱に師事し,「心の花」同人となる。明治43年「白樺」創刊に参加。口語的な発想,四四調の破調など,利玄調とよばれる作風で知られた。大正14年2月15日死去。40歳。岡山県出身。東京帝大卒。本名は利玄トシハル歌集に「銀」「紅玉」「一路」。(日本人名大辞典より)今日は月曜日朝のうちは案外寒い木戸のところの紅葉の木が二三日前は枝だけが目立つ冬木立だったのに今日見ると枝ごとに芽吹いてる若緑の新芽なんと可愛らしい事狭い小さな庭だがこれからどんどん様子を変える椿の花はもう咲ききったのか茶に使える花は数少ないしあてにならない...牡丹花は咲き定まりて静かなり
藤原定家春雨のふる野の道のつぼすみれ摘みてをゆかむ袖はぬるとも今日はサカチカさんちの正午茶事私は水屋を担当する朝九時に到着してのんびり支度をはじめた外は冷たい雨お客様は三名様席入りは十二時に始まり速やかになごやかに四時過ぎに終わった帰りに今日の主菓子虎屋のきんとん写真にはないが半田松花堂の干菓子とそれと写真の岡山の千本桜をもらった家に帰ってゆっくり食べよう昨日の和美の会一緒に行ったキコさんがお店の人に質問した「その色はベロ藍ですか」お店の人は「いえ違いますよ」と会話があったそこで私「ベロ藍って明治ではなかったかしら」キコさん「いえ幕末ですよ」私はすっかり明治時代だと思っていた日本は各地で焼物が盛んだったが明治になると窯の近代化とベロ藍の登場で瀬戸やその他の各地の窯は次々と廃窯に追い込まれた。と思っていたの...春雨の降る野の道の壺スミレ
源実朝あさみどり染めてかけたる青柳の糸にたまぬく春雨ぞふる今日は雨で体が重いでもでも予約してある食事会綱島ふくもとで美味しい御昼ごはんを食べるのだと思うと身体は重くとも気分は軽いウキウキとふくもとへそして食事は残さず完食すれば今度はおなかが重い食事のあとは予定どおり東京美術倶楽部の和美の会へと向かうこの18日から開通した新駅の「新綱島」から乗り御成門へ乗り換えなしで一本で行ける便利だ第31回和美の会は昨日から始まり行ったというお友だちから「善田のこもがいが1,500万円」とまた他の人も「池内の信楽花入は2,500万」だったとラインがきた自分にはあまりにも縁のないお話し目の保養だ到着したのが四時ころ今日は最終日で五時までであるから一時間位しか見れないが展示は四階だけなのでぐるりとまわるには十分品物と値段を堪...青柳の糸にたまぬく春雨
東風吹くや山一ぱいの雲の影漱石『風姿花伝』「それ申楽延年の事わざその源を尋ぬるに、」→そもそも能が寿命を伸ばす効用のあるめでたい芸能てあるということは、その源流を論じれば「あるいは仏在所より起こり、あるいは神代より伝わるといへども」→ある説では天竺国より発祥し、ある説では神代に始まったといわれているけれども、「時移り、代隔たりぬれば、その風を学ぶ力、及びがたし。」→時代が変わり遥か昔のことになってしまったので、その芸風を再現することは不可能である。風姿花伝を読む講義をうけていたが時間の都合で行けなくなったゆえ自習東風吹くや
紙雛カミヒイナつるして枝垂桜哉シダレサクラカナ漱石今日は水曜稽古WBCワールド・ベースボール・クラシックで日本が優勝稽古中にも、気になって途中経過をスマホで確認ミーハーゆえに皆と同じく楽しそうなことには少し首を突っ込むんでみるが若かりし頃の野球場の臨場感なども思い出しここ何日かは改めて野球鑑賞の楽しさを味わった一週間が早い先週くらいはまでは椿はどれも花盛りで綺麗だったが今週になったら庭の椿の木の間をあらゆる方向から覗いて見て使える椿の花を探すが花がない炉の季節は最後まで椿を使うがよいとのことと習ったがわが家はもう限界あとは表道路際に街路樹として咲いているものを調達するしかないかお稽古や茶事茶会道具は何とか決まっても花は最後まで苦労する紙雛カミヒイナつるして枝垂桜哉シダレサクラカナ
くもりしがふらで彼岸の夕日影其角今日は火曜日祭日彼岸の中日だ曇りがち昨日、食事から帰ったらいつものお坊様がお彼岸の棚経に見えたという御布施を用意してなかったので後でお届けしたお彼岸を忘れていたこと棚経にお坊様が見えることすっかり忘れていたことにどうしちゃたのと我ながらショック近頃は予定表のある手帳を持たなくなった手元にないと、その予定を書けず後で記入するつもりがそれを忘れる書いてあってもそれを見ないそれでスマホの予定と手帳の予定と同じ日に異なる予定が記入しがち空いてるからとまたそれぞれに予定を入れてしまう結果困ったことによくなったので何でもかんでもスマホのカレンダーに記入するごとに決めた何をするかは皆書き込む書いてないこと日々の周辺のことなどは、気がつかない頭が回らないいくつもの用件を覚えていられない元々...彼岸の夕日影
苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに今日は月曜日誕生日は過ぎたがいつもの誕生日会の食事会銀座シックスの13階のレストラン写真はその誕生日のプレートその蝋燭の火を消す為フーッと息吹きかけまた手で消したアミューズ前菜スープメイン肉か魚デザートと珈琲苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに
大伴家持うち靡ナビく春ともしるくうぐひすは植木の木間を鳴きわたらなむ今日は五島美術館の茶会茶の美会員の茶会はコロナ禍で昨年の秋から始まったが秋の茶会は日程が合わず欠席今回は久しぶりの五島の茶会だ席を待つとき鶯がこれぞウグイスと言うように鳴くホーホケキョッ道具は筋切が掛かる花入は胡銅大ソロリ香合はザクロ茶碗は光悦の「七里」形は不二山と同じこういう形を角造りと言うと今日の茶道具の解説で知った光悦の茶碗は本阿弥光悦の作った楽茶碗。光悦楽焼ともいう。技法を楽焼の常慶と吉兵衛に学び,京都の鷹ヶ峰移住の元和1(1615)年以降に制作した。へら使いが鋭く,個性的な作品が多い茶会で偶然会った友人会いたかったから嬉し春ともしるくうぐひすは
源実朝あさみどり染めてかけたる青柳の糸にたまぬく春雨ぞふる今日は御弟子様のおうちで月いちの茶事教室出しをひき、みそ汁と煮物椀の汁を取るみそ汁は芽キャベツ向付は少し早いが用意の魚が鯵添えを切り鯵を下ろし三杯酢にする山葵をすって盛付る茶懐石の向付には大葉を敷いたり大根のケンを立てたりはしない事煮物椀は筍しんじょ生身をすり鉢で擂るすりが足りないと口ざわりが荒くなる頑張って擂る事できたら流し缶に入れて蒸すしんじょは菜の花と椎茸でかざる焼物は生鮭の照焼一汁三菜はここまでだが預けに若竹煮進肴にれん草のお浸し今日は五菜になった小吸物は山葵の葉八寸は茶巾唐墨とスナップエンドウ香の物は沢庵と生姜お菓子はとらや生徒さんは三名初めての方もいてだいぶ時間がかかったがお料理はどれも美味しく出来上がった金曜日にチコちゃんに叱られるで...糸にたまぬく春雨ぞふる
春の水すみれつばなをぬらし行蕪村そういえばわが庭にも菫が咲ていた「スミレ」の花言葉は「謙虚」「誠実」。紫のスミレ→「貞節」「愛」。白いスミレ→「あどけない恋」「無邪気な恋」。黄色いスミレ→「田園の幸福」「つつましい喜び」。ピンクのスミレ→「愛」「希望」。「菫」の漢字は音読みは→キン訓読みは→スミレ、トリカブト全く違う花なのに漢字は一緒今日は木曜稽古日そして恥ずかしながら私めの誕生日73歳になったいつ彼岸にいってもおかしくないからとやれることは今やろう行けるのなら行こう写真は今日の掛物一行春入千林処々花足元に小さな花が咲いているすみれつばなをぬらし行
紫式部み吉野は春のけしきにかすめどもむすぼほれたる雪の下草むすぼほれ→凝固、凍結今日はお習字森金先生のご指導のもと、今日の生徒は私一人他は硯が重いから自習。最近行った茶会の事などお喋りしながら仕事をこなす先日の東茶会の薄茶席。道具畳の水指の左隣に、硯屏ケンビョウが置いてあった。何だろうとずっと気になっていたところ、最後に柄杓をそれに立掛け、蓋置を柄の脇に添えて飾られた。なるほどだから蓋置はお習字の水滴スイテキ。文房とは文人の書斎。そこで用いる道具が文房。文房四宝ブンポウシホウは筆、墨、硯、紙。誰もが好きな文房具。丸善や伊東屋でなく、今度は茶道具屋さんで文房具を買おう。春のけしきにかすめども
西行まつにより散らぬ心を山ざくら咲きなば花の思い知らなん今日は古筆研究会へ雨が降るような降らないような曇天テレビでは桜が一輪咲いたとか二輪咲いたと中継をしているだいたい花見は3月末から4月と思っているのにもう咲き始めるのか茶道具の取合せに支障が生ずるもそっと遅くにして欲しいが尤も二月頃から早咲きの桜のが咲く河津桜や寒緋桜、MOAのあたみ桜は先日の茶会の時にすでに咲いていた山桜の花には赤い若葉が添うのですぐに見分けられる大和絵などに描かれた桜はこれだろう桜の花びらは真ん中に切れ目があるので一つの花びらを描くのには二筆にて描くと言う五枚で一つの花になるからそれだけで十筆一本の枝にはいくつもの花が描かれるから数えたら大変その枝が集まり一本の桜の樹になるのには桜の花弁を二筆でひたすら描き続けたのだろうそれを思うと...まつにより散らぬ心を山桜
月おぼろ高野の坊の夜食時蕪村茶飯釜にてお客様をお呼びした亭主は御弟子様私とサカエチさんが水屋だご飯は席中で炊くのだがみそ汁はあらかじめ作っておき金色カナイロにいれて釜を上げたあとの鎖にかけるのだ今日もものすごく早起きして出しをひき、白味噌と赤味噌を適宜入れて絹ふるいで何度か濾すのだほかに出しをつかうのでみそ汁にすべて使ってはいけなかったのに遅かりし。白味噌はコトコト煮る冷めるといけないからと弱火に掛けておいた。その事をすっかり忘れてそろそろみそ汁の出番だと取りに行くとビックリ鍋のなかにみそ汁がないのだいつの間にか弱火にかけたつもりがグツグツ沸騰してみそ汁をどんどん蒸発させたのだろう中身が焦げてなくなってしまったらしい漫画によくある額から目の辺りまで青い縦線が入った感じ一瞬時間が止まったみそ汁は必須だご飯は...月おぼろ
春深きかげの山畑道見えで深みゆく春にはかなたの山畑をめぐる細道もいつしか霞の中に消え失せてという里村紹巴の第3句だと里村紹巴という連歌師をずっと読み違えていた里村紹巴さとむら-じょうは1525-1602戦国-織豊時代の連歌師。大永(たいえい)5年生まれ。里村北家の祖。里村昌休(しょうきゅう)らにまなび,連歌界の中心人物となった。昌休の没後,遺児昌叱(しょうしつ)を養育。豊臣秀吉,明智光秀ら武将や公家,高僧と交流し,のち豊臣秀次の事件に連座する。法眼。慶長7年4月12日死去。78歳。大和(奈良県)出身。本姓は松井。号は臨江斎,半醒子。著作に「連歌至宝抄」「源氏物語抄」など。(日本人名大辞典より)紹巴を主人公とした作品は岩井三四二『覇天の歌』ほかに小高敏郎『ある連歌師の生涯里村紹巴の知られざる生活』読んでみた...春深き
西行わきて今日逢坂山の霞めるはたち遅れたる春や越ゆらん今日は風姿花伝のお勉強で新橋へ本を順に読むと先生が説明してくださる何でもそのときはフムフムとわかった気分だが他の人に説明出きる程理解は出来ずまたもや教室を一歩出るとすべて忘れ去るこれも特技か写真は春らしいお手紙と共に頂戴した大好物末富の両判とあけぼののお煎餅逢坂山の霞めるは
空も星もさみどり月夜春めきぬ渡辺水巴今日は木曜日ラインがあり夜に御弟子様が見えた茶飯釜が掛かってるのでご飯を炊く,夜の御弟子様は雷蔵君とイイチャンの二人炭手前のあと茶飯釜にお米をサラサラと入れるその後で薄茶のしたくご飯が炊けるまでひと点前ができるかもと試みたが五分すぎるとお釜がゴロゴロ言い出して蓋を開けると水気が少ないもうそろそろ炊けるはず蓋を開けると一気に湯気が上がりお米の香りが広がる戸惑いながら飯椀に一文字を取る蓬麩のみそ汁お向は丁度あった鯛に鮪に帆立お茶向ではないが仕方ない昼間のお向より上等だお米を二カップとても美味しいと食べる食べる驚きの雷蔵君冷蔵庫のなまり節卵焼き昆布山椒煮そして錦松梅残り物で恐縮ご飯の友まもなく茶飯釜は綺麗に空っぽになったハンサムな雷蔵君はこんなに食べるんだこのくらいは日常らし...さみどり月夜春めきぬ
紀貫之野辺見れば若菜摘みけりむべしこそ垣根の草も春めきにけれむべし→本当にそうだ。もっともだ。今日は水曜日釣り釜がかかっているからと。お客様をお招きして茶飯釜の小さな茶事を開く。庭の椿は花盛り。眼もかゆし、春が来たんだ。春めきにけれ
莟ツボミとはなれもしらずよ蕗フキのとう蕪村今日は読売のカルチャースクール茶話指月集チャワシゲツシュウ1701年(元禄一年)、久須見疎安(1636~1728年)が義父藤村庸軒からの聞書きの形で出版された逸話集。藤村庸軒は、千宗旦門下の四天王の1人。利休没後100年余りを経て、その茶を説話によって伝えようとした書であり、本編に当たる茶話部分と、久須見疎安による茶道具名物記の二部。利休を中心に秀吉、宗旦、古田織部など江戸時代初期のまでを中心に。昔の本には昔の言葉が出てくる。鳥柴と‐しば【▽鳥×柴】鷹狩りの獲物を人に贈るとき、その鳥を結びつけた木。初めは柴につけたが、のち季節に応じて松・梅・桜・楓かえでなどの枝を用いた。鳥付け柴。とりしば。というわけで手土産のことだと知った汝ナレも知らずよ
箱を出るかほわすれめや雛二対蕪村今日はお習字の日。森金先生の二人だけ。書道をするまえに、お喋り。珈琲にチョコレートでひと休み。お習字の道具を広げてはいても、することがまだある。私は手紙を書いたり、乾してあった茶碗を箱にしまったり。森金先生は書道の事務処理をあれこれ。お喋りは休まず。まもなく昼食の時間になって、ひと休み。此のところの茶会の点心の話。昨日の東茶会。森金先生はゼミの帰りなので、遅い時間の参加だった。茶会も終盤ゆえにか、客は四名であとは水屋からのお人。よくあるアットホームな茶席の雰囲気だったと。お喋りしつつ、お互いおなかを満たす。午後は手紙の清書。梅の柄の棗や茶碗をしまい、桜に替えたり。ああ、お習字する時間がほとんど無い。鎌倉初期、華厳宗中興の祖、明恵上人。栂尾トガノオの高山寺。明恵上人は高雄山...顔わすれめや雛二対
藤原定家立つ雉のなるる野原もかすみつつ子をおもふみちや春まどふらむ今日は東京美術倶楽部での茶会東茶会トウチャカイ東京マラソンと重なり近辺の道路は静かだ今年から席入時間が決まって朝九時から五十分ごとに九回の茶席があり、希望時間を第三まで指定する私は第三の十時四十分の席友人は九時からの一番の席朝ラインが来た「9時席入りなので8時15分着、まだ入口が閉じてました。すでに、10人並んでいました。8時半に開場。席入り時間がきまっていてもお茶人さんは気が早いですね。」濃茶席光悦作の竹花入に白の薮椿とキブシ薄茶席花入は小鼓胴花は貝母と蕗の薹写真は金田中のお弁当お向と飯蒸しが付いた点心席の掛けものは訥言の「麦に雉」立つ雉のなるる野原もかすみつつ
啓蟄や雲のあなたの春の雲楸邨加藤楸邨カトウシュウソン俳人。東京生れ。東京高師卒。水原秋桜子に師事し,《馬酔木(あしび)》に参加。のち《寒雷》を創刊主宰。生活に即した人間感情をうたい,中村草田男らとともに人間探究派と呼ばれた。今日は朝早く起きて築地へ九時少し前に築地市場駅に到着土曜日だから混んでる観光客ばかりで歩けないみんな早起きだすいてる道を選んで家に戻ってから朝ごはんだ午後は朝日カルチャートイレの前で先生と遭遇変なところで会いましたねとバレンタインのお返しを頂戴したどこでも問題はないお勉強のあとはパーマ屋さん結果いつもよりくるくるになったそのうち伸びるからいいや写真は乗った大江戸線の車内機関車トーマスに囲まれた「子育て応援スペース」雲のあなたの春の雲
古雛やむかしの人の袖几帳ソデキチョウ蕪村今日は茶会と茶事のダブルヘッダー風もなくのどかな良い天気茶会の日本家屋は吉田五六八の設計吉田五十八ヨシダイソヤその名は父が58歳の時の子供だからとう1894年(明治27年)12月19日~1974年(昭和49年)3月24日)数寄屋建築を独自に近代化した。奈良の中宮寺世田谷区の五島美術館建直し前の歌舞伎座大和文華館等々ウィキペディアをご覧になれば建築作品が多々乗っている私の従姉のガゼータが大好きな建築家なのでLINEで知らせたら「羨ましいわわわわ」と返事ありね。お茶人もいいでしょ。今日みたいに貴重な茶室に入れる事もありますよ。お茶ってほんとに良いでしょ。お弁当は「一文字」古雛フルヒナや
草の戸も住替る代ぞ雛の家芭蕉今日は木曜稽古昼間は予報どおり暖かかったが朝夕はすごく寒い寒いので早く寝よう名物など茶入に盆が添えてあるあるいは盆を添えたいような茶入茶入をもとめた時すでに盆がついていたりもする伝物の盆点がその点前でありまた奥伝にもある茶入盆には若狭盆、松の木盆、羽田盆、存星、キンマ、俱利、ハシカ彫、堆黒、堆朱、紅花緑葉、青貝などがあるようだ草の戸も
与謝野晶子くれなゐの桃のつぼみを思ひつつ薬をのみぬ病める三月今日から三月ますます花粉が増えたらしい目がかゆい朝もくしゃみを何度もした今日は水曜稽古前にも書いた事があるけど茶入の蓋を拝見するときに案外面白いかも茶入の蓋について・茶人の蓋は必ず象牙・象牙蓋には二種類ある巣のある巣蓋と無いもの・漢作茶入は純白の巣無し蓋瓶子蓋・和物茶入はすくい蓋盛り蓋一文字蓋落込蓋面取蓋半月蓋巣蓋・茶入蓋の名人は立佐リュウサ立古リュウコ印斎インサイ半清ハンセイ写真は森金さんが買ってきてくれた鯛焼きそれも羽根つき鯛焼きだたっぷりの餡下高井戸の鯛焼きの店たつみ屋美味しいまたお願いいたしますくれなゐの桃のつぼみを思ひつつ
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
青うめをうてばかつ散る青葉かな蕪村今日は水曜稽古新聞を取りに木戸を開けようと歩くと両脇から木々が迫り狭い通路が益々狭く前の日の雨にしとどに濡れた葉の露に触れずには行けない花鋏を取りに戻って伸びてる枝をパシパシ切っていく新聞を取ると帰りも左右を切って戻る時間がないので足元に落ちた枝は足でジャカジャカ左右に押込み掃除は又だ木槿がまだ咲かずアジサイもうちにはない水引が順次かわいい花をさかせてはいるが主にはならない半夏生も白くなり始めたそれに今年始めてさいた松明草の三種でお弟子様に花をいれてもらった木槿がさかないと毎回花には不自由する公園の木槿は咲き始めたようだが我が家は日陰のためまだまだ花を何にするかいつも苦労する友人宅では野草園のように茶花を育てていたが狭い狭い庭では限られたものだけ日頃の回りの植物は良く観察...散る青葉
短夜のともし火残る御堂哉子規今日は山の誕生日会場所は東京駅すぐのpommed'Adamポムダダン丸ノ内ホテルの八階外の景色はすこぶる良い珈琲のあとプレゼントも交換してないし喋り足りないし少し歩いてパレスホテルへ珈琲を注文して御祝を渡してお菓子などの物々交換今日のお料理などのお喋り次は11月今度はイタリアンが良いと言うことになった短夜のともし火残る
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会