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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

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  • 春の日の光にあたる

    文屋康秀春の日の光にあたる我なれど頭カシラの雪となるぞわびしき写真は文屋康秀フンヤノヤスヒテ生没年未詳。平安前期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の1人。860年(貞観2)刑部中判事に任ぜられ、877年(元慶1)山城大掾(だいじょう)、879年縫殿介ヌイドノスケに任ぜられた。『古今集』に参河掾ミカワノジョウになったときの小野小町との贈答歌があり、また仁明天皇の御国忌ミコキ(851)の歌や「惟貞コレサダ親王家歌合」の歌などがある。今日は木曜稽古花冷えか朝からうすら寒いお菓子屋さんが届けてくれた二種のお菓子は浮島製でさくら色と黄色と羊羮色桜と菜の花と土の三色それと桜餅花はお弟子様丹精の牡丹春の日の光にあたる

  • 絶えて桜のなかりせば

    在原業平世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし覚えておきたい今日は水曜稽古午後は雨近くに住むお弟子様は自転車で稽古に来る雨だと濡れるので少し待って小やみになってからのお帰り夜が更けるほど雨が降るという予報だしいつ帰るか決めないとね日常は常に決断が必要だ写真は六歌仙の在原業平筆者は不明絶えて桜のなかりせば

  • 木の芽もはるの浅緑

    藤原良経おしなべて木の芽もはるの浅緑まつにぞ千世の色はこもれる【藤原良経】フジワラノヨシツネ[1169~1206]鎌倉初期の公卿・歌人・書家。九条兼実の子。摂政・従一位太政大臣となり、後京極殿と称される。歌を俊成に学び、定家の後援者でもあった。書では後京極流の祖。家集「秋篠月清集 アキシノゲッセイシュウ 」。九条良経。今日は大師会帰りは久しぶりのヨックモックでひと休みした写真は根津美術館の池真ん中に鳥。木の芽もはるの浅緑

  • 牡丹花は咲き定まりて 静かなり

    木下利玄牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ木下利玄キノシタリゲン1886-1925明治-大正時代の歌人。明治19年1月1日生まれ。伯父の木下利恭トシモトの養子。はやくから佐佐木信綱に師事し,「心の花」同人となる。明治43年「白樺」創刊に参加。口語的な発想,四四調の破調など,利玄調とよばれる作風で知られた。大正14年2月15日死去。40歳。岡山県出身。東京帝大卒。本名は利玄トシハル歌集に「銀」「紅玉」「一路」。(日本人名大辞典より)今日は月曜日朝のうちは案外寒い木戸のところの紅葉の木が二三日前は枝だけが目立つ冬木立だったのに今日見ると枝ごとに芽吹いてる若緑の新芽なんと可愛らしい事狭い小さな庭だがこれからどんどん様子を変える椿の花はもう咲ききったのか茶に使える花は数少ないしあてにならない...牡丹花は咲き定まりて静かなり

  • 春雨の降る野の道の壺スミレ

    藤原定家春雨のふる野の道のつぼすみれ摘みてをゆかむ袖はぬるとも今日はサカチカさんちの正午茶事私は水屋を担当する朝九時に到着してのんびり支度をはじめた外は冷たい雨お客様は三名様席入りは十二時に始まり速やかになごやかに四時過ぎに終わった帰りに今日の主菓子虎屋のきんとん写真にはないが半田松花堂の干菓子とそれと写真の岡山の千本桜をもらった家に帰ってゆっくり食べよう昨日の和美の会一緒に行ったキコさんがお店の人に質問した「その色はベロ藍ですか」お店の人は「いえ違いますよ」と会話があったそこで私「ベロ藍って明治ではなかったかしら」キコさん「いえ幕末ですよ」私はすっかり明治時代だと思っていた日本は各地で焼物が盛んだったが明治になると窯の近代化とベロ藍の登場で瀬戸やその他の各地の窯は次々と廃窯に追い込まれた。と思っていたの...春雨の降る野の道の壺スミレ

  • 青柳の糸にたまぬく春雨

    源実朝あさみどり染めてかけたる青柳の糸にたまぬく春雨ぞふる今日は雨で体が重いでもでも予約してある食事会綱島ふくもとで美味しい御昼ごはんを食べるのだと思うと身体は重くとも気分は軽いウキウキとふくもとへそして食事は残さず完食すれば今度はおなかが重い食事のあとは予定どおり東京美術倶楽部の和美の会へと向かうこの18日から開通した新駅の「新綱島」から乗り御成門へ乗り換えなしで一本で行ける便利だ第31回和美の会は昨日から始まり行ったというお友だちから「善田のこもがいが1,500万円」とまた他の人も「池内の信楽花入は2,500万」だったとラインがきた自分にはあまりにも縁のないお話し目の保養だ到着したのが四時ころ今日は最終日で五時までであるから一時間位しか見れないが展示は四階だけなのでぐるりとまわるには十分品物と値段を堪...青柳の糸にたまぬく春雨

  • 東風吹くや

    東風吹くや山一ぱいの雲の影漱石『風姿花伝』「それ申楽延年の事わざその源を尋ぬるに、」→そもそも能が寿命を伸ばす効用のあるめでたい芸能てあるということは、その源流を論じれば「あるいは仏在所より起こり、あるいは神代より伝わるといへども」→ある説では天竺国より発祥し、ある説では神代に始まったといわれているけれども、「時移り、代隔たりぬれば、その風を学ぶ力、及びがたし。」→時代が変わり遥か昔のことになってしまったので、その芸風を再現することは不可能である。風姿花伝を読む講義をうけていたが時間の都合で行けなくなったゆえ自習東風吹くや

  • 紙雛カミヒイナつるして枝垂桜哉シダレサクラカナ

    紙雛カミヒイナつるして枝垂桜哉シダレサクラカナ漱石今日は水曜稽古WBCワールド・ベースボール・クラシックで日本が優勝稽古中にも、気になって途中経過をスマホで確認ミーハーゆえに皆と同じく楽しそうなことには少し首を突っ込むんでみるが若かりし頃の野球場の臨場感なども思い出しここ何日かは改めて野球鑑賞の楽しさを味わった一週間が早い先週くらいはまでは椿はどれも花盛りで綺麗だったが今週になったら庭の椿の木の間をあらゆる方向から覗いて見て使える椿の花を探すが花がない炉の季節は最後まで椿を使うがよいとのことと習ったがわが家はもう限界あとは表道路際に街路樹として咲いているものを調達するしかないかお稽古や茶事茶会道具は何とか決まっても花は最後まで苦労する紙雛カミヒイナつるして枝垂桜哉シダレサクラカナ

  • 彼岸の夕日影

    くもりしがふらで彼岸の夕日影其角今日は火曜日祭日彼岸の中日だ曇りがち昨日、食事から帰ったらいつものお坊様がお彼岸の棚経に見えたという御布施を用意してなかったので後でお届けしたお彼岸を忘れていたこと棚経にお坊様が見えることすっかり忘れていたことにどうしちゃたのと我ながらショック近頃は予定表のある手帳を持たなくなった手元にないと、その予定を書けず後で記入するつもりがそれを忘れる書いてあってもそれを見ないそれでスマホの予定と手帳の予定と同じ日に異なる予定が記入しがち空いてるからとまたそれぞれに予定を入れてしまう結果困ったことによくなったので何でもかんでもスマホのカレンダーに記入するごとに決めた何をするかは皆書き込む書いてないこと日々の周辺のことなどは、気がつかない頭が回らないいくつもの用件を覚えていられない元々...彼岸の夕日影

  • 苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに

    苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに今日は月曜日誕生日は過ぎたがいつもの誕生日会の食事会銀座シックスの13階のレストラン写真はその誕生日のプレートその蝋燭の火を消す為フーッと息吹きかけまた手で消したアミューズ前菜スープメイン肉か魚デザートと珈琲苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに

  • 春ともしるくうぐひすは

    大伴家持うち靡ナビく春ともしるくうぐひすは植木の木間を鳴きわたらなむ今日は五島美術館の茶会茶の美会員の茶会はコロナ禍で昨年の秋から始まったが秋の茶会は日程が合わず欠席今回は久しぶりの五島の茶会だ席を待つとき鶯がこれぞウグイスと言うように鳴くホーホケキョッ道具は筋切が掛かる花入は胡銅大ソロリ香合はザクロ茶碗は光悦の「七里」形は不二山と同じこういう形を角造りと言うと今日の茶道具の解説で知った光悦の茶碗は本阿弥光悦の作った楽茶碗。光悦楽焼ともいう。技法を楽焼の常慶と吉兵衛に学び,京都の鷹ヶ峰移住の元和1(1615)年以降に制作した。へら使いが鋭く,個性的な作品が多い茶会で偶然会った友人会いたかったから嬉し春ともしるくうぐひすは

  • 糸にたまぬく春雨ぞふる

    源実朝あさみどり染めてかけたる青柳の糸にたまぬく春雨ぞふる今日は御弟子様のおうちで月いちの茶事教室出しをひき、みそ汁と煮物椀の汁を取るみそ汁は芽キャベツ向付は少し早いが用意の魚が鯵添えを切り鯵を下ろし三杯酢にする山葵をすって盛付る茶懐石の向付には大葉を敷いたり大根のケンを立てたりはしない事煮物椀は筍しんじょ生身をすり鉢で擂るすりが足りないと口ざわりが荒くなる頑張って擂る事できたら流し缶に入れて蒸すしんじょは菜の花と椎茸でかざる焼物は生鮭の照焼一汁三菜はここまでだが預けに若竹煮進肴にれん草のお浸し今日は五菜になった小吸物は山葵の葉八寸は茶巾唐墨とスナップエンドウ香の物は沢庵と生姜お菓子はとらや生徒さんは三名初めての方もいてだいぶ時間がかかったがお料理はどれも美味しく出来上がった金曜日にチコちゃんに叱られるで...糸にたまぬく春雨ぞふる

  • すみれつばなをぬらし行

    春の水すみれつばなをぬらし行蕪村そういえばわが庭にも菫が咲ていた「スミレ」の花言葉は「謙虚」「誠実」。紫のスミレ→「貞節」「愛」。白いスミレ→「あどけない恋」「無邪気な恋」。黄色いスミレ→「田園の幸福」「つつましい喜び」。ピンクのスミレ→「愛」「希望」。「菫」の漢字は音読みは→キン訓読みは→スミレ、トリカブト全く違う花なのに漢字は一緒今日は木曜稽古日そして恥ずかしながら私めの誕生日73歳になったいつ彼岸にいってもおかしくないからとやれることは今やろう行けるのなら行こう写真は今日の掛物一行春入千林処々花足元に小さな花が咲いているすみれつばなをぬらし行

  • 春のけしきにかすめども

    紫式部み吉野は春のけしきにかすめどもむすぼほれたる雪の下草むすぼほれ→凝固、凍結今日はお習字森金先生のご指導のもと、今日の生徒は私一人他は硯が重いから自習。最近行った茶会の事などお喋りしながら仕事をこなす先日の東茶会の薄茶席。道具畳の水指の左隣に、硯屏ケンビョウが置いてあった。何だろうとずっと気になっていたところ、最後に柄杓をそれに立掛け、蓋置を柄の脇に添えて飾られた。なるほどだから蓋置はお習字の水滴スイテキ。文房とは文人の書斎。そこで用いる道具が文房。文房四宝ブンポウシホウは筆、墨、硯、紙。誰もが好きな文房具。丸善や伊東屋でなく、今度は茶道具屋さんで文房具を買おう。春のけしきにかすめども

  • まつにより散らぬ心を山桜

    西行まつにより散らぬ心を山ざくら咲きなば花の思い知らなん今日は古筆研究会へ雨が降るような降らないような曇天テレビでは桜が一輪咲いたとか二輪咲いたと中継をしているだいたい花見は3月末から4月と思っているのにもう咲き始めるのか茶道具の取合せに支障が生ずるもそっと遅くにして欲しいが尤も二月頃から早咲きの桜のが咲く河津桜や寒緋桜、MOAのあたみ桜は先日の茶会の時にすでに咲いていた山桜の花には赤い若葉が添うのですぐに見分けられる大和絵などに描かれた桜はこれだろう桜の花びらは真ん中に切れ目があるので一つの花びらを描くのには二筆にて描くと言う五枚で一つの花になるからそれだけで十筆一本の枝にはいくつもの花が描かれるから数えたら大変その枝が集まり一本の桜の樹になるのには桜の花弁を二筆でひたすら描き続けたのだろうそれを思うと...まつにより散らぬ心を山桜

  • 月おぼろ

    月おぼろ高野の坊の夜食時蕪村茶飯釜にてお客様をお呼びした亭主は御弟子様私とサカエチさんが水屋だご飯は席中で炊くのだがみそ汁はあらかじめ作っておき金色カナイロにいれて釜を上げたあとの鎖にかけるのだ今日もものすごく早起きして出しをひき、白味噌と赤味噌を適宜入れて絹ふるいで何度か濾すのだほかに出しをつかうのでみそ汁にすべて使ってはいけなかったのに遅かりし。白味噌はコトコト煮る冷めるといけないからと弱火に掛けておいた。その事をすっかり忘れてそろそろみそ汁の出番だと取りに行くとビックリ鍋のなかにみそ汁がないのだいつの間にか弱火にかけたつもりがグツグツ沸騰してみそ汁をどんどん蒸発させたのだろう中身が焦げてなくなってしまったらしい漫画によくある額から目の辺りまで青い縦線が入った感じ一瞬時間が止まったみそ汁は必須だご飯は...月おぼろ

  • 春深き

    春深きかげの山畑道見えで深みゆく春にはかなたの山畑をめぐる細道もいつしか霞の中に消え失せてという里村紹巴の第3句だと里村紹巴という連歌師をずっと読み違えていた里村紹巴さとむら-じょうは1525-1602戦国-織豊時代の連歌師。大永(たいえい)5年生まれ。里村北家の祖。里村昌休(しょうきゅう)らにまなび,連歌界の中心人物となった。昌休の没後,遺児昌叱(しょうしつ)を養育。豊臣秀吉,明智光秀ら武将や公家,高僧と交流し,のち豊臣秀次の事件に連座する。法眼。慶長7年4月12日死去。78歳。大和(奈良県)出身。本姓は松井。号は臨江斎,半醒子。著作に「連歌至宝抄」「源氏物語抄」など。(日本人名大辞典より)紹巴を主人公とした作品は岩井三四二『覇天の歌』ほかに小高敏郎『ある連歌師の生涯里村紹巴の知られざる生活』読んでみた...春深き

  • 逢坂山の霞めるは

    西行わきて今日逢坂山の霞めるはたち遅れたる春や越ゆらん今日は風姿花伝のお勉強で新橋へ本を順に読むと先生が説明してくださる何でもそのときはフムフムとわかった気分だが他の人に説明出きる程理解は出来ずまたもや教室を一歩出るとすべて忘れ去るこれも特技か写真は春らしいお手紙と共に頂戴した大好物末富の両判とあけぼののお煎餅逢坂山の霞めるは

  • さみどり月夜 春めきぬ

    空も星もさみどり月夜春めきぬ渡辺水巴今日は木曜日ラインがあり夜に御弟子様が見えた茶飯釜が掛かってるのでご飯を炊く,夜の御弟子様は雷蔵君とイイチャンの二人炭手前のあと茶飯釜にお米をサラサラと入れるその後で薄茶のしたくご飯が炊けるまでひと点前ができるかもと試みたが五分すぎるとお釜がゴロゴロ言い出して蓋を開けると水気が少ないもうそろそろ炊けるはず蓋を開けると一気に湯気が上がりお米の香りが広がる戸惑いながら飯椀に一文字を取る蓬麩のみそ汁お向は丁度あった鯛に鮪に帆立お茶向ではないが仕方ない昼間のお向より上等だお米を二カップとても美味しいと食べる食べる驚きの雷蔵君冷蔵庫のなまり節卵焼き昆布山椒煮そして錦松梅残り物で恐縮ご飯の友まもなく茶飯釜は綺麗に空っぽになったハンサムな雷蔵君はこんなに食べるんだこのくらいは日常らし...さみどり月夜春めきぬ

  • 春めきにけれ

    紀貫之野辺見れば若菜摘みけりむべしこそ垣根の草も春めきにけれむべし→本当にそうだ。もっともだ。今日は水曜日釣り釜がかかっているからと。お客様をお招きして茶飯釜の小さな茶事を開く。庭の椿は花盛り。眼もかゆし、春が来たんだ。春めきにけれ

  • 汝ナレも知らずよ

    莟ツボミとはなれもしらずよ蕗フキのとう蕪村今日は読売のカルチャースクール茶話指月集チャワシゲツシュウ1701年(元禄一年)、久須見疎安(1636~1728年)が義父藤村庸軒からの聞書きの形で出版された逸話集。藤村庸軒は、千宗旦門下の四天王の1人。利休没後100年余りを経て、その茶を説話によって伝えようとした書であり、本編に当たる茶話部分と、久須見疎安による茶道具名物記の二部。利休を中心に秀吉、宗旦、古田織部など江戸時代初期のまでを中心に。昔の本には昔の言葉が出てくる。鳥柴と‐しば【▽鳥×柴】鷹狩りの獲物を人に贈るとき、その鳥を結びつけた木。初めは柴につけたが、のち季節に応じて松・梅・桜・楓かえでなどの枝を用いた。鳥付け柴。とりしば。というわけで手土産のことだと知った汝ナレも知らずよ

  • 顔わすれめや雛二対

    箱を出るかほわすれめや雛二対蕪村今日はお習字の日。森金先生の二人だけ。書道をするまえに、お喋り。珈琲にチョコレートでひと休み。お習字の道具を広げてはいても、することがまだある。私は手紙を書いたり、乾してあった茶碗を箱にしまったり。森金先生は書道の事務処理をあれこれ。お喋りは休まず。まもなく昼食の時間になって、ひと休み。此のところの茶会の点心の話。昨日の東茶会。森金先生はゼミの帰りなので、遅い時間の参加だった。茶会も終盤ゆえにか、客は四名であとは水屋からのお人。よくあるアットホームな茶席の雰囲気だったと。お喋りしつつ、お互いおなかを満たす。午後は手紙の清書。梅の柄の棗や茶碗をしまい、桜に替えたり。ああ、お習字する時間がほとんど無い。鎌倉初期、華厳宗中興の祖、明恵上人。栂尾トガノオの高山寺。明恵上人は高雄山...顔わすれめや雛二対

  • 立つ雉のなるる野原もかすみつつ

    藤原定家立つ雉のなるる野原もかすみつつ子をおもふみちや春まどふらむ今日は東京美術倶楽部での茶会東茶会トウチャカイ東京マラソンと重なり近辺の道路は静かだ今年から席入時間が決まって朝九時から五十分ごとに九回の茶席があり、希望時間を第三まで指定する私は第三の十時四十分の席友人は九時からの一番の席朝ラインが来た「9時席入りなので8時15分着、まだ入口が閉じてました。すでに、10人並んでいました。8時半に開場。席入り時間がきまっていてもお茶人さんは気が早いですね。」濃茶席光悦作の竹花入に白の薮椿とキブシ薄茶席花入は小鼓胴花は貝母と蕗の薹写真は金田中のお弁当お向と飯蒸しが付いた点心席の掛けものは訥言の「麦に雉」立つ雉のなるる野原もかすみつつ

  • 雲のあなたの春の雲

    啓蟄や雲のあなたの春の雲楸邨加藤楸邨カトウシュウソン俳人。東京生れ。東京高師卒。水原秋桜子に師事し,《馬酔木(あしび)》に参加。のち《寒雷》を創刊主宰。生活に即した人間感情をうたい,中村草田男らとともに人間探究派と呼ばれた。今日は朝早く起きて築地へ九時少し前に築地市場駅に到着土曜日だから混んでる観光客ばかりで歩けないみんな早起きだすいてる道を選んで家に戻ってから朝ごはんだ午後は朝日カルチャートイレの前で先生と遭遇変なところで会いましたねとバレンタインのお返しを頂戴したどこでも問題はないお勉強のあとはパーマ屋さん結果いつもよりくるくるになったそのうち伸びるからいいや写真は乗った大江戸線の車内機関車トーマスに囲まれた「子育て応援スペース」雲のあなたの春の雲

  • 古雛フルヒナや

    古雛やむかしの人の袖几帳ソデキチョウ蕪村今日は茶会と茶事のダブルヘッダー風もなくのどかな良い天気茶会の日本家屋は吉田五六八の設計吉田五十八ヨシダイソヤその名は父が58歳の時の子供だからとう1894年(明治27年)12月19日~1974年(昭和49年)3月24日)数寄屋建築を独自に近代化した。奈良の中宮寺世田谷区の五島美術館建直し前の歌舞伎座大和文華館等々ウィキペディアをご覧になれば建築作品が多々乗っている私の従姉のガゼータが大好きな建築家なのでLINEで知らせたら「羨ましいわわわわ」と返事ありね。お茶人もいいでしょ。今日みたいに貴重な茶室に入れる事もありますよ。お茶ってほんとに良いでしょ。お弁当は「一文字」古雛フルヒナや

  • 草の戸も

    草の戸も住替る代ぞ雛の家芭蕉今日は木曜稽古昼間は予報どおり暖かかったが朝夕はすごく寒い寒いので早く寝よう名物など茶入に盆が添えてあるあるいは盆を添えたいような茶入茶入をもとめた時すでに盆がついていたりもする伝物の盆点がその点前でありまた奥伝にもある茶入盆には若狭盆、松の木盆、羽田盆、存星、キンマ、俱利、ハシカ彫、堆黒、堆朱、紅花緑葉、青貝などがあるようだ草の戸も

  • くれなゐの桃のつぼみを思ひつつ

    与謝野晶子くれなゐの桃のつぼみを思ひつつ薬をのみぬ病める三月今日から三月ますます花粉が増えたらしい目がかゆい朝もくしゃみを何度もした今日は水曜稽古前にも書いた事があるけど茶入の蓋を拝見するときに案外面白いかも茶入の蓋について・茶人の蓋は必ず象牙・象牙蓋には二種類ある巣のある巣蓋と無いもの・漢作茶入は純白の巣無し蓋瓶子蓋・和物茶入はすくい蓋盛り蓋一文字蓋落込蓋面取蓋半月蓋巣蓋・茶入蓋の名人は立佐リュウサ立古リュウコ印斎インサイ半清ハンセイ写真は森金さんが買ってきてくれた鯛焼きそれも羽根つき鯛焼きだたっぷりの餡下高井戸の鯛焼きの店たつみ屋美味しいまたお願いいたしますくれなゐの桃のつぼみを思ひつつ

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