10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は読売カルチャー茶話指月集の千鳥の香炉の話し香炉の足三つのうちひとつが一分とは3ミリ長い事を奥さんの宗恩が気が付き利休も同じく思って長い足を切った蒲生氏郷と細川幽斎が利休に招かれ茶事が終わったあと蒲生が千鳥の香炉を見せて欲しいというと利休は不機嫌になり千鳥の香炉を転ばしたそこで幽斎は千鳥の香炉を清見潟の和歌の心にやというと利休は穏やかになったという清見潟の和歌清見がた雲もまがれぬ浪のうえに月のくまなるむら千鳥かなむら千鳥
折り取つて日向に赤し寒椿水巴渡辺水巴ワタナベスイハ1882-1946明治-昭和時代の俳人。明治15年6月16日生まれ。日本画家渡辺省亭セイテイの長男。内藤鳴雪の門人。のち高浜虚子の教えをうけ,「ホトトギス」で活躍,大正3年には雑詠欄の代選をつとめた。明治39年「俳諧草紙」創刊。大正5年より「曲水」を主宰。昭和21年8月13日死去。65歳。東京出身。本名は義(よし)今日は月曜日朝から晴れだ「咲きそうな椿はあるか」狭い庭を一巡り椿は成長は遅く、寿命は長いというが庭の椿の樹齢はかなり私が子供の時からすでに庭にあった明石潟と乙女椿日本椿の会の大手町の農中での頒布会その時の西王母と金魚葉白椿紺侘助加茂本阿弥などは四十年前その後にいくつかは買ったが古くなった椿は花芽をあまり付けくなった肥料をあげないからか年をとった...日向に赤し寒椿
藤原清正花さかぬ梅の立枝もわがごとや年のこなたに春を待つらむ藤原清正フジワラノキヨタダ?-958平安時代中期の官吏,歌人。藤原兼輔カネスケの次男。左近衛少将をへて従五位上,紀伊守となる。三十六歌仙のひとり。壬生忠見,藤原敦忠らと親交があった。天暦期の歌合わせで活躍。「後撰和歌集」以下の勅撰集に28首がはいる。天徳2年7月死去。今年の裏千家初釜は18日にご招待を受けていたが都合で欠席今日宅配便が届いた干支の永楽の盃御家元の扇子末富のお菓子有り難く頂戴した。写真は明日乗せよう春を待つらむ
行く蛍雲の上までいぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ暮れがたき夏のひぐらしながむればそのことゝなくものぞ悲しき「伊勢物語45段.行く蛍」目離メカるともおもほえなくに忘らるゝ時しなければ面影にたつ「伊勢物語46段.うるはしき友」目離メカる→しだいに会わなくなる。今日は久し振りの文の会いつものイタリアンでおすすめのパスタ二つ赤ワインとおつまみで一人の料金は2,700円家に戻って珈琲にお持たせのミスドのドーナツ止まらない食欲とお喋りそろそろお勉強しましょうかと時間を見ると4時少し前大変ちょっとだけでもお勉強せねばね伊勢物語を45段と46段の二段だけ読んで今日は終了日付メモを見ると4回目何度読んでもボーッとしてるだけなのでちっとも身につかないけれどまあそれで充分目離メカるとも
快覚法師小夜更くるままに汀や氷るらん遠ざかり行く志賀の浦浪快覚カイカク生没年未詳生年は治安二年(1022)かという。中宮大進従五位下藤原保相の子。母は式部卿為平親王家女房(陽明本勘物)。三井寺の阿闍梨。頼豪の弟子で、延久五年(1073)伝法灌頂を受けた。勅撰集入集歌は後拾遺集の1首のみ。今日は金曜日外の蛇口から水出して朝止める蛇口は凍らないが水甕ミズガメは凍っていた寒いはずだもう悩まないでお弟子様水指の蓋をあけるのは何手か真の点前は前行の点前は客付草の点前は勝手付いずれもつまみは右手でとり置く手は近い方の手で置く紙釜敷を胸に入れる時わさはどっち釜を置くその方向にわさを向かせて胸に入れれば炉風炉本勝手逆勝手何でも使える初炭の羽と火箸を置くときは炉でも風炉でも羽が上座炭斗を炉また風炉の右に置くときは炭斗の...小夜更くるまま
今日は木曜稽古掛けものは頼杏坪ライキョウヘイ宝暦6年(1756年)7月~天保5年7月23日(1834年8月27日))江戸時代の儒学者、広島藩士。諱は惟柔タダナゴ、字は千祺センキ・季立、号は春草堂、通称は万四郎、別号に春草・杏翁。長兄が頼春水、次兄と五弟が死亡し、三兄が頼春風。頼山陽は兄の春水の子で、杏坪は叔父に当たる。鴬の和歌があり最後にただなごとある頼杏坪ライキョウヘイ
熱き茶を飲んで用なし寒雀波郷石田波郷イシダハキョウ1913年(大正2年)3月18日-~1969年(昭和44年)11月21日)、愛媛県出身の日本の俳人。本名は哲大テツオ。水原秋桜子に師事、『馬酔木』に拠ったのち、『鶴』を創刊・主宰。初期の青春性のあふれる叙情句から始まり、自己の生活を見つめる、人間性に深く根ざした作風を追求。加藤楸邨、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。昭和の第二次世界大戦前に流行した新興俳句運動を批判し、韻文精神の尊重を説き、切れ字を重視。戦中には結核を発病し、戦後は病と対峙する自身の生活を題材とする境涯俳句を詠み続けた。(ウィキペディアヨリ)今日は水曜稽古昨晩から水道の水を出しておいたので水道管の破裂はなかったまあそれほど寒くなかったしひと安心お菓子やさんが持ってきた今日のお...熱き茶を飲んで用なし
紀貫之雪ふれば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞさきける強烈寒波が来るので明日明後日とどんどん寒くなると言う教えてもらった水道管破裂予防二階への水道管にプチプチを巻いてテープで止めた水道の元栓がある四角い箱の中にプチプチをたくさん詰めるそしていよいよ寒くなったら水を少し出しておく方法で水道管が破裂しないように何があるかわからないから出来ることはやってみよう広島の凛さんからラインの電話行事の色々をブログで見て懐かしく参加したいと思えど今は遠くにいるので叶わず残念とのこと又いつかね一緒にね遊びましょう写真は土曜日に行った京料理のふくもとの庭タヌキとフクロウがいる雪ふれば
極楽の近道いくつ寒念仏蕪村今日は日曜日朝早く起きてお弟子様の茶事の水屋を担当タクシーを呼んで9時前に到着した茶事お客様は12時席入それまで結構時間があるいつもならゆっくり珈琲を飲んでからそろそろ向付のお魚切ろうかしらと時間に余裕があるのだが今日は結構仕事があるのんびりせずに動かないと間に合わないボーッとしてたら茶事が進まないまずは待ち合いの火入か茶事が始まると時間は急速に密度が濃くなる懐石を終えて菓子を出し中立たちまち後座になった雑念の出る暇はなく四時間はあっという間に過ぎて最後に果物と紅茶の用意林檎と白い苺をお出しする茶事が終わっての雑談これも何より楽しいだから茶事は辞められない茶事には茶事は七式と言い七つある茶事七式茶事に関する七種の法式。暁の茶事、朝の茶事、正午の茶事、夜咄(よばなし)の茶事、不時の...極楽の近道
大寒や羊羹残る皿の底龍之介昨日は大寒今日は食事会はじめに湯葉蒸し次は口取りいろいろお椀はお正月花びら餅のようお造りは鶴のお皿に炊き合わせは筍と鴨の治部煮揚げ物はふぐと蕗の薹の天麩羅おじやお菓子は花びら餅完食した羊羹残る皿の底
寒菊や古風ののこる硯箱其角其角キカク(1661―1707)江戸中期の俳人。芭蕉門の高弟。寛文元年7月17日江戸に生まれる。父は本多藩の医師。榎本氏、のちに宝井氏を名のる。14、15歳ごろ芭蕉門に入る。23歳、俳諧集『虚栗(みなしぐり)』刊行(1683)。翌年、京坂への旅に出、西鶴をはじめ多くの他門の知己も得て、幅広い芭蕉門作家として活躍。1694年(元禄7)上方への旅に出て、偶然にも芭蕉の他界の前日、大坂の病床に参じえて、葬儀万端を済ませ、追悼俳諧・俳文集『枯尾華(かれおばな)』を刊行。豪放闊達、大酒、また遊里の作品も多い反面、情に厚い。宝永4年2月30日没。今日は金曜日午後から朝日カルチャーへ行くそして帰りには美容院へ行く予定午後からなので、午前中はゆっくりと金曜日のゴミ出しとゆっくり朝食あとはテレビを...古風ののこる硯箱
蓄へは軒下にある炭二俵高浜虚子高浜虚子タカハマキョシ1874年〈明治7年〉2月22日~1959年〈昭和34年〉4月8日)明治・大正・昭和の日本の俳人・小説家。本名は高浜清タカハマキヨシ師事していた正岡子規から号をもらった清キヨシから虚子キョシ。本名からの由来。1895年(明治28年)12月、正岡子規より後継者となることを要請されるも「アシは学問する気はない」と拒否した。1897年(明治30年)、元は碧梧桐の婚約者であったが碧梧桐の入院中に親密になった大畠いと(糸子)と結婚した。今日は木曜稽古花は本白玉と日向水木他の椿はまだまだ蕾が固い菓子は浮島製の銘「若松」それと鹿の子の二つが届いた蓄へは炭二俵
極楽の近道いくつ寒念仏蕪村今日は水曜稽古予約表の通りにお弟子様が稽古に来る最高年齢の数さんは今年87歳になるが襖の戸を閉める後ろ姿は背筋がピンと伸びて若々しい何よりだ寒念仏
大つぶの寒玉子おく襤褸ボロの上飯田蛇笏イダダコツ1885-1962明治-昭和時代の俳人本名武治。別号山廬サンロ。山梨県生れ。早大英文科中退。高浜虚子に師事し《ホトトギス》に出句。大正期から俳誌《雲母(うんも)》を主宰発行した。句風は重厚で妖艶,格調が高い。昨日はブログを書くのを忘れてしまったトホホ今日は明日の稽古の支度をする子育て中でお休み中のお弟子様が訪ねてきた現在11か月のお子さんずっと寝てたいい子だこの春に旦那様の都合で大阪に転勤とのこと行ってらっしゃい季語にもなっている寒卵カンタマゴ鶏が寒中に産んだ卵は栄養価が高く、保存がきくとされ、寒卵と言われる。冬には卵料理。特に大寒卵ダイカンタマゴは特別良い。大寒の日に産まれた卵のことをいい。今年は1月20日に産まれた卵が「2023年大寒卵」昔か...寒玉子おく襤褸ボロの上
藤原定家さびしさは霜こそ雪にまさりけれ峯のこずゑのあけぼのの空人生には「ハレ」と「ケ」がある「ハレ」の日は非日常特別な日だまた「ケ」とは「ケ」は普段の生活、日常ということと私は理解している日本はいにしえより山や海、樹木にも火にも水にも、いやこの大気にも神様が宿っていると思う。森羅万象に神を意識し、八百万の神々を信仰してきた。が日常にトラブルがあり、順調にいかなくなったら、それを祓うために神仏に祈る。又そうならないように祈る。そして、ならないことに感謝する。神仏を祀マツり祈る特別な日とそうでない何でもない日茶事の取合せも格調高いハレの日があり、時期やお客様によっては普段の軽い茶事もある一月は新年を祝うハレの月次の二月は昔の囲炉裏を模した大炉でケの茶事をしよう今日はお弟子様のおうちでの稽古茶事懐石は一汁三菜お...霜こそ雪にまさりけれ
寒水を飲みはなちたる柄杓かな蛇笏今年の小寒は1月6日大寒は1月20日今まさに寒中というわけだ今日は朝日カルチャーの講座へ寝坊してのろのろ九時に起きた始まりは10時半なので急いで身支度朝ごはんにお餅を焼き二つ食べて駅まで早足で歩くお陰さまで歩いて行けるほど元気になった写真は初釜の風炉先四君子の絵上部に賛がある四時佳興花、有人生亦愉四季それぞれの花にはこころよい趣人生も又その時々の楽しみが有るてなところか落款は読めない道具畳には紹鴎棚天板に自作の冊子と筆を飾った寒の水
令和五年初釜の掛けもの沢庵宗彭筆梅花百首のうち三首堀江知彦極野辺は今かしこもここも梅の花こころのはゆる二月のころ春くればしつか垣根の梅さきて心あれなと身やおもふらん花や待ちなれやとひよるむめさけはうぐひすなかむやふはらもなし今年の勅題は友歳寒三友の梅歳寒三友(さいかんのさんゆう)は、宋代より始まった、中国の文人画で好まれる画題のひとつであり、具体的には松・竹・梅の三つをさす。三つ一緒に描かれることも多いが、単体でも好んで描かれる。日本では「松竹梅」と呼ばれる。(ウィキペディアより)梅花百首のうち三首
万歳のロや真砂は尽るとも千代女今日は木曜稽古掛けものは大徳寺479世圭窓宗潤の「万々歳」東海圭窓叟東海とあるので品川東海寺に住していたことがあるのだろう。東海寺は寛永15年(1638)に三代将軍徳川家光が、沢庵のために創建した臨済宗大徳寺派のお寺。万歳とは(ばんざい、ばんぜい、まんざい)(ばんざい)祝いや喜びを込めて両手を挙げて「バンザイ」と唱えること。その動作。(ばんざい)めでたいこと。うれしいこと。歓迎すべきこと。万万歳。真砂は尽るとも
よみ人しらずあたらしき年にはあれども鴬のなくねさへにはかはらざりけり今日の掛けものは懐紙新年同詠若木梅和歌源鶴処移し植えし若木の梅はうぐいすの宿をゆかしの色にこそ咲けとよんだが違ってるやも新年と有るので掛けてみたもう何年間前に買ってあったが全く読みにくい文字でよもうという気がしなかったでも今日はなんとなくよめた朝日カルチャーのくずし字のよみ方に行ってるお陰かも感謝だあたらしき年にはあれども
光琳の屏風に咲くや福寿草漱石今年の初釜の寄付に抱一の福寿草の画賛を掛けた写真はその箱抱一上人福寿草自画賛とある酒井抱一サカイホウイツ宝暦11年7月1日〈1761年8月1日)〉~文政11年11月29日〈1829年1月4日〉)は、江戸時代後期の絵師、俳人。権大僧都。本名は酒井忠因タダナオ。幼名は善次。通称は栄八。字は暉真キシン。ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、庭柏子、溟々居、楓窓とも号する。また俳号は、ごく初期は白鳧・濤花、後に杜陵(綾)。狂歌名は、尻焼猿人。屠龍(とりょう)の号は俳諧・狂歌、さらに浮世絵美人画でも用いている。この軸はもう30年以上も前に買ったもの。毎年は掛けないとしても重宝している。抱一ホウイツの意味は道をいだく。少なければ則スナワち得、多ければ則ち惑マドふ。是ココを以モッて、...屏風に咲くや福寿草
わが友と君がみかきのくれ竹は千代にいか世のかげをそふらん藤原俊成今日はあまり寒くないとても良い天気こういう日こそ手前に使う炭を確認足らない炭を用意せねばならないこれがけっこう楽しい大箱や小箱から道具炭を種類に分けて庭にある引出しに入れるのだプラスチックの五段の引出しが二つ雨風に打たれて状態が悪い静かに扱わないと引出しが壊れてしまうから力のいれ具合に神経を使う火入の炭が少なくなった買わなくてはならないがためしに止め炭を糸ノコで切ってみた三つに切るとまあまあ使えそうな感じとりあえずは買わずともなんとかなりそうだ切っているうちに割れて壊れたのもあるが炭切りはなかなか面白い写真は藤原俊成のしおり付き今年の勅題の山田松のお香お年賀に頂戴した千代にいか世
蓬莱に初日さし込む書院哉漱石写真の掛軸は林文塘ハヤシブントウの蓬莱山林文塘ハヤシブントウは(1882~1966)日本画家。明治15年京都市生まれ。本名は幸三郎。山元春挙に師事する。大正8年に井口華秋・池田桂仙らと自由な制作をめざして日本自由画壇を結成する。昭和41年歿。84才。蓬莱山ホウライサンとは中国,古代における想像上の神山。三神山の一つ。三神山とは蓬莱,方丈,瀛エイ洲のこと。山東地方の東海中にあり,仙人が住み,不死の薬をつくっており,宮殿は金玉,白色の鳥獣がおり,玉の木が生えているとされた。しかし,遠く望めば雲のようであり,近づけばどこへか去って,常人にはいたりえないところという。前4世紀頃から盛んにいわれるようになり,神仙思想の原型となった。蓬莱山
七くさや袴の紐の片むすび蕪村今日は七草七草のセットを買ってある朝は七草粥たくさん食べてもお腹がすぐすいてしまうからお餅入りにしたがお餅の食べ過ぎに、気をつけよう今日は横浜の朝日カルチャーへ行く日だ改札口を出ると人がいっぱい横浜駅は混んでた今年始めてのカルチャー教室「くずし字のよみ方」へ写真は浜離宮ななくさや
塗椀の家に久しき雑煮哉子規お雑煮を作るときは、まずは出しを引く鍋に水と昆布をいれて火にかけるやがて昆布が広がり浮き上がり小さな泡がプツプツと付いてくる頃そろそろ良いか頃合いを見て昆布を取り出すそれから最近は火を止めて温度を少し下げかつおぶしをいれて一分おく盆ざるに布巾をひいてこすと出来上がりいつもの手順なのだが初釜のお雑煮の支度して出しをひこうと鍋の昆布を取り出したすると何も考えず用意してあった盆ざるにまだかつおぶしを入れていないのにこし始めてしまったなんだか変だと気がついたのですぐ止めたが気がついた時は凹んでしまったお雑煮を作るのにまだまだすることがあるからへこんではいられないけれども凹んだ今日は金曜日出かける用事が何もないでも銀行と郵便局へはたまにはいかねばならず出かける塗椀の家に久しき雑煮哉
御年始の返事をするや二階から一茶だいたい年賀状は出せない年末は何かと落ち着かず筆を持てないでも毎年元旦になると暇なので年賀状を書いているその日届いた年賀状の住所を見ながら書くのだが今年は用意した年賀状の枚数が足りず、お目にかかれる方には出せなかった申し訳ない御年始の返事
松竹梅は歳寒三友といわれる中国の画題だとか松竹梅だけでなく、「梅」「水仙」「竹」を配したものも歳寒三友と言うようだ今年の勅題は「友」であるからやましたに頼んだ扇子は干支のうさぎと松竹梅の絵柄だ松竹梅は蓬莱山に生じ、歳寒に耐える植物として、祝い事には不可欠のものである松は神の依り代門松などお正月にはかかせない長寿の象徴。梅は花の兄。春にさきがけて咲く。竹は成長が早く強い。三友はいずれもしなやかな生命力を持ってるまあ松竹梅と聞くと、まずは丼物を思い浮かべるが口には出さず思うだけ。今日は癸卯の村雨庵の初釜コロナの前は一日で済ませていたがコロナのあとは人数は少なく日数を多くしてひらくごとにしているところ初釜の支度は年々大変になる大したことは出来ないがお雑煮だけでもお出ししようと思うと初釜の茶道具の他にお椀類や折敷...松竹梅
新年の白紙綴ぢたる句帖哉子規今日は三日朝一番から昨日に続き箱根駅伝のテレビをつけて朝ごはんの支度午前中はそごうにお菓子を取りに出かけ、ついでにウサギの上用饅頭を買った大晦日から泊まってる従姉のKEIKOちゃんが帰った家に着くと電話をくれるのだが深刻な声で訴えてきた家について靴を脱いで見ると違う靴をはいてることに気がついた左はKEIKOちゃん自分の靴だったが右の靴は私の靴で色も少し違うのに自分は全く気がつかなかった人が見て可笑しいと思ったのではないかと恥ずかしいしなぜ気がつかなかったのかボケてしまったのか心配だというのだ玄関に確認にいくと確かに右左ちがうウォーキングシューズが残ってるどうも、うちの玄関ははきものを間違えやすいらしいある時草履が四人位しかなくても間違えた事があった茶会で草履を間違えられるのよね...白紙綴ぢたる句帖
正月や辻の仏も赤頭巾一茶一月二日何もしないでも一日は過ぎる元旦のテレビ富士山の画面をスマホに撮ったテレビのおみくじは大吉正月や
元日や寺にはひれば物淋し碧梧桐河東碧梧桐カワヒガシヘキゴドウ本名秉五郎ヘイゴロウ。松山生れ。二高中退。高浜虚子とともに正岡子規に師事,俳句革新運動に参加した。子規没後新傾向俳句を提唱,自由律を主張し,のち自作を短詩と称した。(コトバンクより)今日は元日三年ぶりに初詣に出かけるお寺で何か食べようと出掛けたがいつものシャーピンのお店はおろか参道の両側にお店は皆無お寺の中の食堂もおやすみ歩くだけ歩いてお腹をすかせ結局モスバーガーに落ち着いた年初から思いどおりにはいかない気配どうなる今年困難に負けず頑張ろう元気があれば乗り越えられるとわれに言い聞かそう寺に入れば
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
青うめをうてばかつ散る青葉かな蕪村今日は水曜稽古新聞を取りに木戸を開けようと歩くと両脇から木々が迫り狭い通路が益々狭く前の日の雨にしとどに濡れた葉の露に触れずには行けない花鋏を取りに戻って伸びてる枝をパシパシ切っていく新聞を取ると帰りも左右を切って戻る時間がないので足元に落ちた枝は足でジャカジャカ左右に押込み掃除は又だ木槿がまだ咲かずアジサイもうちにはない水引が順次かわいい花をさかせてはいるが主にはならない半夏生も白くなり始めたそれに今年始めてさいた松明草の三種でお弟子様に花をいれてもらった木槿がさかないと毎回花には不自由する公園の木槿は咲き始めたようだが我が家は日陰のためまだまだ花を何にするかいつも苦労する友人宅では野草園のように茶花を育てていたが狭い狭い庭では限られたものだけ日頃の回りの植物は良く観察...散る青葉
短夜のともし火残る御堂哉子規今日は山の誕生日会場所は東京駅すぐのpommed'Adamポムダダン丸ノ内ホテルの八階外の景色はすこぶる良い珈琲のあとプレゼントも交換してないし喋り足りないし少し歩いてパレスホテルへ珈琲を注文して御祝を渡してお菓子などの物々交換今日のお料理などのお喋り次は11月今度はイタリアンが良いと言うことになった短夜のともし火残る
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会