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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

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  • むら千鳥

    今日は読売カルチャー茶話指月集の千鳥の香炉の話し香炉の足三つのうちひとつが一分とは3ミリ長い事を奥さんの宗恩が気が付き利休も同じく思って長い足を切った蒲生氏郷と細川幽斎が利休に招かれ茶事が終わったあと蒲生が千鳥の香炉を見せて欲しいというと利休は不機嫌になり千鳥の香炉を転ばしたそこで幽斎は千鳥の香炉を清見潟の和歌の心にやというと利休は穏やかになったという清見潟の和歌清見がた雲もまがれぬ浪のうえに月のくまなるむら千鳥かなむら千鳥

  • 日向に赤し寒椿

    折り取つて日向に赤し寒椿水巴渡辺水巴ワタナベスイハ1882-1946明治-昭和時代の俳人。明治15年6月16日生まれ。日本画家渡辺省亭セイテイの長男。内藤鳴雪の門人。のち高浜虚子の教えをうけ,「ホトトギス」で活躍,大正3年には雑詠欄の代選をつとめた。明治39年「俳諧草紙」創刊。大正5年より「曲水」を主宰。昭和21年8月13日死去。65歳。東京出身。本名は義(よし)今日は月曜日朝から晴れだ「咲きそうな椿はあるか」狭い庭を一巡り椿は成長は遅く、寿命は長いというが庭の椿の樹齢はかなり私が子供の時からすでに庭にあった明石潟と乙女椿日本椿の会の大手町の農中での頒布会その時の西王母と金魚葉白椿紺侘助加茂本阿弥などは四十年前その後にいくつかは買ったが古くなった椿は花芽をあまり付けくなった肥料をあげないからか年をとった...日向に赤し寒椿

  • 春を待つらむ

    藤原清正花さかぬ梅の立枝もわがごとや年のこなたに春を待つらむ藤原清正フジワラノキヨタダ?-958平安時代中期の官吏,歌人。藤原兼輔カネスケの次男。左近衛少将をへて従五位上,紀伊守となる。三十六歌仙のひとり。壬生忠見,藤原敦忠らと親交があった。天暦期の歌合わせで活躍。「後撰和歌集」以下の勅撰集に28首がはいる。天徳2年7月死去。今年の裏千家初釜は18日にご招待を受けていたが都合で欠席今日宅配便が届いた干支の永楽の盃御家元の扇子末富のお菓子有り難く頂戴した。写真は明日乗せよう春を待つらむ

  • 目離メカるとも

    行く蛍雲の上までいぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ暮れがたき夏のひぐらしながむればそのことゝなくものぞ悲しき「伊勢物語45段.行く蛍」目離メカるともおもほえなくに忘らるゝ時しなければ面影にたつ「伊勢物語46段.うるはしき友」目離メカる→しだいに会わなくなる。今日は久し振りの文の会いつものイタリアンでおすすめのパスタ二つ赤ワインとおつまみで一人の料金は2,700円家に戻って珈琲にお持たせのミスドのドーナツ止まらない食欲とお喋りそろそろお勉強しましょうかと時間を見ると4時少し前大変ちょっとだけでもお勉強せねばね伊勢物語を45段と46段の二段だけ読んで今日は終了日付メモを見ると4回目何度読んでもボーッとしてるだけなのでちっとも身につかないけれどまあそれで充分目離メカるとも

  • 小夜更くるまま

    快覚法師小夜更くるままに汀や氷るらん遠ざかり行く志賀の浦浪快覚カイカク生没年未詳生年は治安二年(1022)かという。中宮大進従五位下藤原保相の子。母は式部卿為平親王家女房(陽明本勘物)。三井寺の阿闍梨。頼豪の弟子で、延久五年(1073)伝法灌頂を受けた。勅撰集入集歌は後拾遺集の1首のみ。今日は金曜日外の蛇口から水出して朝止める蛇口は凍らないが水甕ミズガメは凍っていた寒いはずだもう悩まないでお弟子様水指の蓋をあけるのは何手か真の点前は前行の点前は客付草の点前は勝手付いずれもつまみは右手でとり置く手は近い方の手で置く紙釜敷を胸に入れる時わさはどっち釜を置くその方向にわさを向かせて胸に入れれば炉風炉本勝手逆勝手何でも使える初炭の羽と火箸を置くときは炉でも風炉でも羽が上座炭斗を炉また風炉の右に置くときは炭斗の...小夜更くるまま

  • 頼杏坪ライキョウヘイ

    今日は木曜稽古掛けものは頼杏坪ライキョウヘイ宝暦6年(1756年)7月~天保5年7月23日(1834年8月27日))江戸時代の儒学者、広島藩士。諱は惟柔タダナゴ、字は千祺センキ・季立、号は春草堂、通称は万四郎、別号に春草・杏翁。長兄が頼春水、次兄と五弟が死亡し、三兄が頼春風。頼山陽は兄の春水の子で、杏坪は叔父に当たる。鴬の和歌があり最後にただなごとある頼杏坪ライキョウヘイ

  • 熱き茶を飲んで用なし

    熱き茶を飲んで用なし寒雀波郷石田波郷イシダハキョウ1913年(大正2年)3月18日-~1969年(昭和44年)11月21日)、愛媛県出身の日本の俳人。本名は哲大テツオ。水原秋桜子に師事、『馬酔木』に拠ったのち、『鶴』を創刊・主宰。初期の青春性のあふれる叙情句から始まり、自己の生活を見つめる、人間性に深く根ざした作風を追求。加藤楸邨、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。昭和の第二次世界大戦前に流行した新興俳句運動を批判し、韻文精神の尊重を説き、切れ字を重視。戦中には結核を発病し、戦後は病と対峙する自身の生活を題材とする境涯俳句を詠み続けた。(ウィキペディアヨリ)今日は水曜稽古昨晩から水道の水を出しておいたので水道管の破裂はなかったまあそれほど寒くなかったしひと安心お菓子やさんが持ってきた今日のお...熱き茶を飲んで用なし

  • 雪ふれば

    紀貫之雪ふれば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞさきける強烈寒波が来るので明日明後日とどんどん寒くなると言う教えてもらった水道管破裂予防二階への水道管にプチプチを巻いてテープで止めた水道の元栓がある四角い箱の中にプチプチをたくさん詰めるそしていよいよ寒くなったら水を少し出しておく方法で水道管が破裂しないように何があるかわからないから出来ることはやってみよう広島の凛さんからラインの電話行事の色々をブログで見て懐かしく参加したいと思えど今は遠くにいるので叶わず残念とのこと又いつかね一緒にね遊びましょう写真は土曜日に行った京料理のふくもとの庭タヌキとフクロウがいる雪ふれば

  • 極楽の近道

    極楽の近道いくつ寒念仏蕪村今日は日曜日朝早く起きてお弟子様の茶事の水屋を担当タクシーを呼んで9時前に到着した茶事お客様は12時席入それまで結構時間があるいつもならゆっくり珈琲を飲んでからそろそろ向付のお魚切ろうかしらと時間に余裕があるのだが今日は結構仕事があるのんびりせずに動かないと間に合わないボーッとしてたら茶事が進まないまずは待ち合いの火入か茶事が始まると時間は急速に密度が濃くなる懐石を終えて菓子を出し中立たちまち後座になった雑念の出る暇はなく四時間はあっという間に過ぎて最後に果物と紅茶の用意林檎と白い苺をお出しする茶事が終わっての雑談これも何より楽しいだから茶事は辞められない茶事には茶事は七式と言い七つある茶事七式茶事に関する七種の法式。暁の茶事、朝の茶事、正午の茶事、夜咄(よばなし)の茶事、不時の...極楽の近道

  • 羊羹残る皿の底

    大寒や羊羹残る皿の底龍之介昨日は大寒今日は食事会はじめに湯葉蒸し次は口取りいろいろお椀はお正月花びら餅のようお造りは鶴のお皿に炊き合わせは筍と鴨の治部煮揚げ物はふぐと蕗の薹の天麩羅おじやお菓子は花びら餅完食した羊羹残る皿の底

  • 古風ののこる硯箱

    寒菊や古風ののこる硯箱其角其角キカク(1661―1707)江戸中期の俳人。芭蕉門の高弟。寛文元年7月17日江戸に生まれる。父は本多藩の医師。榎本氏、のちに宝井氏を名のる。14、15歳ごろ芭蕉門に入る。23歳、俳諧集『虚栗(みなしぐり)』刊行(1683)。翌年、京坂への旅に出、西鶴をはじめ多くの他門の知己も得て、幅広い芭蕉門作家として活躍。1694年(元禄7)上方への旅に出て、偶然にも芭蕉の他界の前日、大坂の病床に参じえて、葬儀万端を済ませ、追悼俳諧・俳文集『枯尾華(かれおばな)』を刊行。豪放闊達、大酒、また遊里の作品も多い反面、情に厚い。宝永4年2月30日没。今日は金曜日午後から朝日カルチャーへ行くそして帰りには美容院へ行く予定午後からなので、午前中はゆっくりと金曜日のゴミ出しとゆっくり朝食あとはテレビを...古風ののこる硯箱

  • 蓄へは 炭二俵

    蓄へは軒下にある炭二俵高浜虚子高浜虚子タカハマキョシ1874年〈明治7年〉2月22日~1959年〈昭和34年〉4月8日)明治・大正・昭和の日本の俳人・小説家。本名は高浜清タカハマキヨシ師事していた正岡子規から号をもらった清キヨシから虚子キョシ。本名からの由来。1895年(明治28年)12月、正岡子規より後継者となることを要請されるも「アシは学問する気はない」と拒否した。1897年(明治30年)、元は碧梧桐の婚約者であったが碧梧桐の入院中に親密になった大畠いと(糸子)と結婚した。今日は木曜稽古花は本白玉と日向水木他の椿はまだまだ蕾が固い菓子は浮島製の銘「若松」それと鹿の子の二つが届いた蓄へは炭二俵

  • 寒念仏

    極楽の近道いくつ寒念仏蕪村今日は水曜稽古予約表の通りにお弟子様が稽古に来る最高年齢の数さんは今年87歳になるが襖の戸を閉める後ろ姿は背筋がピンと伸びて若々しい何よりだ寒念仏

  • 寒玉子おく襤褸ボロの上

    大つぶの寒玉子おく襤褸ボロの上飯田蛇笏イダダコツ1885-1962明治-昭和時代の俳人本名武治。別号山廬サンロ。山梨県生れ。早大英文科中退。高浜虚子に師事し《ホトトギス》に出句。大正期から俳誌《雲母(うんも)》を主宰発行した。句風は重厚で妖艶,格調が高い。昨日はブログを書くのを忘れてしまったトホホ今日は明日の稽古の支度をする子育て中でお休み中のお弟子様が訪ねてきた現在11か月のお子さんずっと寝てたいい子だこの春に旦那様の都合で大阪に転勤とのこと行ってらっしゃい季語にもなっている寒卵カンタマゴ鶏が寒中に産んだ卵は栄養価が高く、保存がきくとされ、寒卵と言われる。冬には卵料理。特に大寒卵ダイカンタマゴは特別良い。大寒の日に産まれた卵のことをいい。今年は1月20日に産まれた卵が「2023年大寒卵」昔か...寒玉子おく襤褸ボロの上

  • 霜こそ雪にまさりけれ

    藤原定家さびしさは霜こそ雪にまさりけれ峯のこずゑのあけぼのの空人生には「ハレ」と「ケ」がある「ハレ」の日は非日常特別な日だまた「ケ」とは「ケ」は普段の生活、日常ということと私は理解している日本はいにしえより山や海、樹木にも火にも水にも、いやこの大気にも神様が宿っていると思う。森羅万象に神を意識し、八百万の神々を信仰してきた。が日常にトラブルがあり、順調にいかなくなったら、それを祓うために神仏に祈る。又そうならないように祈る。そして、ならないことに感謝する。神仏を祀マツり祈る特別な日とそうでない何でもない日茶事の取合せも格調高いハレの日があり、時期やお客様によっては普段の軽い茶事もある一月は新年を祝うハレの月次の二月は昔の囲炉裏を模した大炉でケの茶事をしよう今日はお弟子様のおうちでの稽古茶事懐石は一汁三菜お...霜こそ雪にまさりけれ

  • 寒の水

    寒水を飲みはなちたる柄杓かな蛇笏今年の小寒は1月6日大寒は1月20日今まさに寒中というわけだ今日は朝日カルチャーの講座へ寝坊してのろのろ九時に起きた始まりは10時半なので急いで身支度朝ごはんにお餅を焼き二つ食べて駅まで早足で歩くお陰さまで歩いて行けるほど元気になった写真は初釜の風炉先四君子の絵上部に賛がある四時佳興花、有人生亦愉四季それぞれの花にはこころよい趣人生も又その時々の楽しみが有るてなところか落款は読めない道具畳には紹鴎棚天板に自作の冊子と筆を飾った寒の水

  • 梅花百首のうち三首

    令和五年初釜の掛けもの沢庵宗彭筆梅花百首のうち三首堀江知彦極野辺は今かしこもここも梅の花こころのはゆる二月のころ春くればしつか垣根の梅さきて心あれなと身やおもふらん花や待ちなれやとひよるむめさけはうぐひすなかむやふはらもなし今年の勅題は友歳寒三友の梅歳寒三友(さいかんのさんゆう)は、宋代より始まった、中国の文人画で好まれる画題のひとつであり、具体的には松・竹・梅の三つをさす。三つ一緒に描かれることも多いが、単体でも好んで描かれる。日本では「松竹梅」と呼ばれる。(ウィキペディアより)梅花百首のうち三首

  • 真砂は尽るとも

    万歳のロや真砂は尽るとも千代女今日は木曜稽古掛けものは大徳寺479世圭窓宗潤の「万々歳」東海圭窓叟東海とあるので品川東海寺に住していたことがあるのだろう。東海寺は寛永15年(1638)に三代将軍徳川家光が、沢庵のために創建した臨済宗大徳寺派のお寺。万歳とは(ばんざい、ばんぜい、まんざい)(ばんざい)祝いや喜びを込めて両手を挙げて「バンザイ」と唱えること。その動作。(ばんざい)めでたいこと。うれしいこと。歓迎すべきこと。万万歳。真砂は尽るとも

  • あたらしき年にはあれども

    よみ人しらずあたらしき年にはあれども鴬のなくねさへにはかはらざりけり今日の掛けものは懐紙新年同詠若木梅和歌源鶴処移し植えし若木の梅はうぐいすの宿をゆかしの色にこそ咲けとよんだが違ってるやも新年と有るので掛けてみたもう何年間前に買ってあったが全く読みにくい文字でよもうという気がしなかったでも今日はなんとなくよめた朝日カルチャーのくずし字のよみ方に行ってるお陰かも感謝だあたらしき年にはあれども

  • 屏風に咲くや福寿草

    光琳の屏風に咲くや福寿草漱石今年の初釜の寄付に抱一の福寿草の画賛を掛けた写真はその箱抱一上人福寿草自画賛とある酒井抱一サカイホウイツ宝暦11年7月1日〈1761年8月1日)〉~文政11年11月29日〈1829年1月4日〉)は、江戸時代後期の絵師、俳人。権大僧都。本名は酒井忠因タダナオ。幼名は善次。通称は栄八。字は暉真キシン。ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、庭柏子、溟々居、楓窓とも号する。また俳号は、ごく初期は白鳧・濤花、後に杜陵(綾)。狂歌名は、尻焼猿人。屠龍(とりょう)の号は俳諧・狂歌、さらに浮世絵美人画でも用いている。この軸はもう30年以上も前に買ったもの。毎年は掛けないとしても重宝している。抱一ホウイツの意味は道をいだく。少なければ則スナワち得、多ければ則ち惑マドふ。是ココを以モッて、...屏風に咲くや福寿草

  • 千代にいか世

    わが友と君がみかきのくれ竹は千代にいか世のかげをそふらん藤原俊成今日はあまり寒くないとても良い天気こういう日こそ手前に使う炭を確認足らない炭を用意せねばならないこれがけっこう楽しい大箱や小箱から道具炭を種類に分けて庭にある引出しに入れるのだプラスチックの五段の引出しが二つ雨風に打たれて状態が悪い静かに扱わないと引出しが壊れてしまうから力のいれ具合に神経を使う火入の炭が少なくなった買わなくてはならないがためしに止め炭を糸ノコで切ってみた三つに切るとまあまあ使えそうな感じとりあえずは買わずともなんとかなりそうだ切っているうちに割れて壊れたのもあるが炭切りはなかなか面白い写真は藤原俊成のしおり付き今年の勅題の山田松のお香お年賀に頂戴した千代にいか世

  • 蓬莱山

    蓬莱に初日さし込む書院哉漱石写真の掛軸は林文塘ハヤシブントウの蓬莱山林文塘ハヤシブントウは(1882~1966)日本画家。明治15年京都市生まれ。本名は幸三郎。山元春挙に師事する。大正8年に井口華秋・池田桂仙らと自由な制作をめざして日本自由画壇を結成する。昭和41年歿。84才。蓬莱山ホウライサンとは中国,古代における想像上の神山。三神山の一つ。三神山とは蓬莱,方丈,瀛エイ洲のこと。山東地方の東海中にあり,仙人が住み,不死の薬をつくっており,宮殿は金玉,白色の鳥獣がおり,玉の木が生えているとされた。しかし,遠く望めば雲のようであり,近づけばどこへか去って,常人にはいたりえないところという。前4世紀頃から盛んにいわれるようになり,神仙思想の原型となった。蓬莱山

  • ななくさや

    七くさや袴の紐の片むすび蕪村今日は七草七草のセットを買ってある朝は七草粥たくさん食べてもお腹がすぐすいてしまうからお餅入りにしたがお餅の食べ過ぎに、気をつけよう今日は横浜の朝日カルチャーへ行く日だ改札口を出ると人がいっぱい横浜駅は混んでた今年始めてのカルチャー教室「くずし字のよみ方」へ写真は浜離宮ななくさや

  • 塗椀の家に久しき雑煮哉

    塗椀の家に久しき雑煮哉子規お雑煮を作るときは、まずは出しを引く鍋に水と昆布をいれて火にかけるやがて昆布が広がり浮き上がり小さな泡がプツプツと付いてくる頃そろそろ良いか頃合いを見て昆布を取り出すそれから最近は火を止めて温度を少し下げかつおぶしをいれて一分おく盆ざるに布巾をひいてこすと出来上がりいつもの手順なのだが初釜のお雑煮の支度して出しをひこうと鍋の昆布を取り出したすると何も考えず用意してあった盆ざるにまだかつおぶしを入れていないのにこし始めてしまったなんだか変だと気がついたのですぐ止めたが気がついた時は凹んでしまったお雑煮を作るのにまだまだすることがあるからへこんではいられないけれども凹んだ今日は金曜日出かける用事が何もないでも銀行と郵便局へはたまにはいかねばならず出かける塗椀の家に久しき雑煮哉

  • 御年始の返事

    御年始の返事をするや二階から一茶だいたい年賀状は出せない年末は何かと落ち着かず筆を持てないでも毎年元旦になると暇なので年賀状を書いているその日届いた年賀状の住所を見ながら書くのだが今年は用意した年賀状の枚数が足りず、お目にかかれる方には出せなかった申し訳ない御年始の返事

  • 松竹梅

    松竹梅は歳寒三友といわれる中国の画題だとか松竹梅だけでなく、「梅」「水仙」「竹」を配したものも歳寒三友と言うようだ今年の勅題は「友」であるからやましたに頼んだ扇子は干支のうさぎと松竹梅の絵柄だ松竹梅は蓬莱山に生じ、歳寒に耐える植物として、祝い事には不可欠のものである松は神の依り代門松などお正月にはかかせない長寿の象徴。梅は花の兄。春にさきがけて咲く。竹は成長が早く強い。三友はいずれもしなやかな生命力を持ってるまあ松竹梅と聞くと、まずは丼物を思い浮かべるが口には出さず思うだけ。今日は癸卯の村雨庵の初釜コロナの前は一日で済ませていたがコロナのあとは人数は少なく日数を多くしてひらくごとにしているところ初釜の支度は年々大変になる大したことは出来ないがお雑煮だけでもお出ししようと思うと初釜の茶道具の他にお椀類や折敷...松竹梅

  • 白紙綴ぢたる句帖

    新年の白紙綴ぢたる句帖哉子規今日は三日朝一番から昨日に続き箱根駅伝のテレビをつけて朝ごはんの支度午前中はそごうにお菓子を取りに出かけ、ついでにウサギの上用饅頭を買った大晦日から泊まってる従姉のKEIKOちゃんが帰った家に着くと電話をくれるのだが深刻な声で訴えてきた家について靴を脱いで見ると違う靴をはいてることに気がついた左はKEIKOちゃん自分の靴だったが右の靴は私の靴で色も少し違うのに自分は全く気がつかなかった人が見て可笑しいと思ったのではないかと恥ずかしいしなぜ気がつかなかったのかボケてしまったのか心配だというのだ玄関に確認にいくと確かに右左ちがうウォーキングシューズが残ってるどうも、うちの玄関ははきものを間違えやすいらしいある時草履が四人位しかなくても間違えた事があった茶会で草履を間違えられるのよね...白紙綴ぢたる句帖

  • 正月や

    正月や辻の仏も赤頭巾一茶一月二日何もしないでも一日は過ぎる元旦のテレビ富士山の画面をスマホに撮ったテレビのおみくじは大吉正月や

  • 寺に入れば

    元日や寺にはひれば物淋し碧梧桐河東碧梧桐カワヒガシヘキゴドウ本名秉五郎ヘイゴロウ。松山生れ。二高中退。高浜虚子とともに正岡子規に師事,俳句革新運動に参加した。子規没後新傾向俳句を提唱,自由律を主張し,のち自作を短詩と称した。(コトバンクより)今日は元日三年ぶりに初詣に出かけるお寺で何か食べようと出掛けたがいつものシャーピンのお店はおろか参道の両側にお店は皆無お寺の中の食堂もおやすみ歩くだけ歩いてお腹をすかせ結局モスバーガーに落ち着いた年初から思いどおりにはいかない気配どうなる今年困難に負けず頑張ろう元気があれば乗り越えられるとわれに言い聞かそう寺に入れば

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