ストーカーに苦しみながらも明るく前向きな女の子のお話です。一緒に考え悩み笑っていただければ幸いです。
褒めると気を好くして図に乗るタイプなので お叱りのレスはご遠慮願います。 社交辞令・お世辞・甘言は大好物です。 甘やかして太らせてからお召し上がり下さい。
美千代さんは、父親の部屋からゴルフのアイアンを持ち出してきた。二度三度、縦に素振りをした後、アイアンのヘッドを思い切り父親の足の甲に振り下ろした。パシンッと、想像していたよりも軽い乾いた音が居間に響いた。余程痛かったのだろう。父親は痙攣というレベルではない動きで痛みを表現した。まるでロボットバイブレーションダンスを寝たまま踊る老人だ。10秒程の間を空けて、美千代さんは脛・膝・太腿・腰・下腹部と段々上半身に打撃の標的を移していく。殴られる度に、尺取虫の様に伸縮していた父親は、やがて力尽きたのか当たった瞬間だけしか反応しなくなった。手の甲・手根・前腕・肘窩・上腕と殴った処で、美千代さんは父親の口のガムテを剥がした。口の中からはビールの泡みたいな赤い液体が流れ出た。もう喋る気力もないらしく、顎を動かしはするが言葉には...■鉄の匂い287■
玄関の両開き引き戸は鍵が掛かっていて開かなかったが、美千代さんは合鍵を持っていた。「偶然だと思ってましたか?」呼び鈴も鳴らさず鍵穴に鍵を乱暴に刺す。「偶然じゃないんです。貴方があのマンションに越したのも、貴方と私が出会ったのも」それまで押しても引いても貼り付いているかの様に微動だにしなかったアルミ戸が、音もなく軽く横に退いた。「貴方があのマンションを選んだのは、通りから少し入っている上に高い塀に囲われ人目につき難く、駐車場からゴミ置き場から皆オートロック完備で身を隠し易かったから」間口二間の三和土から靴を脱がずに廊下に上がる。「旦那も同じ理由であのマンションを選びました。他の住人も多かれ少なかれ笹原を走れない脛に疵持つ身の人」暗い廊下を小走りに進み、明かりが漏れる襖を勢いよく開け放つ。「だからあのマンションは犯...■鉄の匂い286■
無論だが『僕』はもう美千代さんの次の殺人を手伝う気でいた。勿論、『僕』は次の犠牲者が誰なのか知っての上で。だから当然に今何処に向かっているのかも判っている。美千代さんは、自分を旦那に差し出した両親の家、つまり実家に向かっていてこれから殺すつもりでいるのは美千代さんの両親だ。事前に告げられているしその後撤回されていないので間違いないだろう。なのに『僕』は質問もせずに同行している。それは何故か。まずひとつに美千代さんともっとセックスがしたいから。美千代さんの甘い肌の少しでも多くの面積に触れたい。その体液を一滴余さず舐めとりたい。ふたつ目にこれまでに培った殺しのスキルを活かしたかった。美千代さんは本人の言葉を信じれば三桁の人間を殺してきている訳だが、その殺害方法は毎回同じで応用が利かない。毎回部屋に招き入れ油断させス...■鉄の匂い285■
車は渋滞に遭うことなくスムーズに北へ走った。「私が貴方に会って最初に言ったこと、覚えてます?」緊張感のない直線の続く高速道路で、美千代さんは前を見たまま『僕』に話し掛ける。「私の殺人を手伝ってくれたらお礼に貴方の殺人を手伝いますって」街灯の明かりが規則正しく車内を照らして流れていった。「貴方は既に殺してたのでお手伝い出来なかったのに、また殺人のお手伝いをさせてしまうのは心苦しいです」美千代さんの中では『僕』が今後も美千代さんの殺人を手伝うことは決定項目になっていた。「せめて遺棄だけでもお手伝いしたかったのですが。人生って思い通りには行かないものですね」『僕』は返事をしなかった。美千代さんも返事を求めなかった。1時間程北上すると、畦道がそのまま幹線道路になった街に入った。右に左に大きく曲がるが並ぶ家々は皆一様に大...■鉄の匂い284■
腐り掛けた人間の異臭が鼻を刺す中で、立ったっまセックスをした。なんて杜撰で無計画な。『僕』の部屋も美千代さんの部屋も殺人事件の現場で、『僕』の部屋にはまだ遺体が転がっているのに。それぞれの事件の犯人が現場に体液を散らして共同正犯である証拠を残している。『僕』も美千代さんも逮捕されるのは時間の問題だ。互いの部屋に2人のセックスの痕跡がやたらとあり、偶然ではあるが犯行時刻が似通っている。いや、偶然ではない。『僕』の殺意に気付いていた美千代さんが頃合いを見計らい声を掛け、自分の犯罪を幇助されたのだから。なのに何故美千代さんはこんなに平静なのだろう。もう捕まる覚悟が出来ている上での達観なのか。使用済みのコンドームとティッシュを玄関の三和土に投げ捨て、『僕』等はタクシーで旦那の会社に向かった。昨日、レンタカーを返しに行っ...■鉄の匂い283■
玄関扉のサムターンに指を掛けた処でインターホンが鳴った。誰が来たんだろう。早くも匂って苦情が出て大家が見に来たか。たった一日連絡が付かなかっただけで友人か親族かが尋ねて来たか。でなければ大家を飛び越して警察が通報受けて駆け付けたのか。一旦居間まで戻る。インターホンのモニターは居間の入り口の親機にしかないからだ。通話ボタンを押すと画面にはプリンが映った。美千代さんだった。「あれ?お出掛けですか?れれれのれー」美千代さんはコンビニのポリオレフィン製の袋をぶんぶん振り回しながら『僕』脇から部屋の中を覗き込んだ。「立ち話もなんですね。じゃあ上がってください」家主が言うべき台詞を言いながら美千代さんは『僕』を押し退けパンプスを脱ぐ。「プリン食べます?コンビニで買ってきたんですけど。」テーブルの上にプリンを2つ放り出し、一...■鉄の匂い282■
昨夜もラブホで寝るには寝たのだが、横になったのは狭いソファに2人だったので疲れは取れなかった。ソファで休まざるを得なくなったのは、シャワー浴びてそのままの流れでベッドでセックスをしたので布団もマットも濡らしてしまったからだ。自宅に戻ったことで緊張が緩和したのか、座っているのも面倒になり女子学生の横に倒れて眠りに就いた。目が覚めた頃には夜になっていた。月の明かりが壁の一部だけを照らしている真っ暗な部屋で、座っていることもできないくらい腹が減っていることに気付いた。昨日からお握りを3個しか食べていないからだ。這うように台所に行き棚からカップラーメンを取り、レンジ台に掴まり立ちしてケトルに水を汲み火に掛ける。冷蔵庫の中から女子学生が作り置きしてくれていたポテトサラダと納豆のパックを出し、湯が沸くのを待ちながらサラダを...■鉄の匂い281■
後にマンションの表札で確認したので美千代は間違いないのだが、苗字の仙堂の漢字は定かではない。仙道かもしれないし船頭かもしれない。兎に角、笠木は旦那の苗字なので、離婚手続きは成されてないが気持ち的に開放された象徴としてもう呼ばれたくはないということらしかった。だから『僕』もこの宣言を受諾し、以降笠木さんのことが美千代さんと呼ぶことに。そこは千堂だろうという突っ込みは浅はかだ。誰かに聞かれた時に、旦那が不明で苗字が違うのは自白したも同然だから。殺人と死体遺棄を幇助した翌朝、レンタカーの軽トラを旦那の会社の車庫に戻しに行く。旦那は人を殺す時に死体を運ぶ為にレンタカーをよく借りるらしく、今回も旦那が借りていた車を拝借しただけなので、返却するのはレンタカー屋ではなく旦那の車庫。そんなに頻繁に人を殺すことにも驚いたが、毎回...■鉄の匂い280■
マンションで何度もすれ違って挨拶もしてて顔見知りの仲だったのに、改めて見ると笠木さんは美人だった。モデル体型ではなく、アニメ顏でもなく、美人だった。脇腹や腿や二の腕には、はっきりとした4本指の拳の痣がいくつもあった。白い肌に、赤かったり青かったり黒かったりの痣。ちょっと触れるだけでも身を捩って痛がる。日常的に殴られていたことが想像できた。旦那は殺されて当然の男だ。笠木さんが手を下さなくても、沢山の恨みを買っているので何れ誰かに殺られていたろう。だから『僕』の罪が軽いとか言う訳ではないし、それ以前に『僕』も無差別大量殺人犯だし。笠木さんの話では、笠木さんが旦那と出会ったのは16歳の時で旦那は既に32歳だった。クラブ活動で遅くなった帰り、街灯が途切れて暗い道でいきなり腕を掴まれた。そのまま藪に連れ込まれ、刃渡り30...■鉄の匂い279■
紫色のネオンサインが空室があることを知らせている。笠木さんは一言も発せず、『僕』の方を一回も見ずに駐車庫に突っ込んだ。まるで笠木さんが男で『僕』が女だ。ポーチだけ引っ掴んで走る様に受付に向かう笠木さんの後を、置いて行かれない様に急いで続く『僕』ランプの点いている部屋の中から笠木さんはガラス張りのおおきな岩風呂のある部屋を選んだ。札を挿入する間も惜しんで、空いた手は取出口から出て来るキーを待つ。エントランスは狭く、足元だけを照らす間接照明しかない廊下は暗かった。エレベーターに先に乗り込んだ笠木さんは、ここでも『僕』に背を向けている。意思の疎通がまったくないままに部屋に着いてしまった。扉を開けて一歩中に入るとすぐ振り返って『僕』を引き込み扉を閉めた。笠木さんはずっと『僕』の目を見ながら、上着を捨て肌着を取り靴を放り...■鉄の匂い278■
東の空が白んできて、敷地全部が煤と灰と炭なことを知った。見渡す限り鉄板の壁まで足元は全て黒い燃え差しだ。もともとの土や砂利が焦げたものもあるだろうし炭化した薪もあるだろうが、何割かは焼かれた死体なのは間違いない。今踏んでパキッと割れたのも、砕かれた人骨の一部かもしれない。公明で陰鬱で壮大で果敢ない火葬広場。いったい何人の遺体がここで処理されてきたのだろう。「100人以上よ。旦那が殺した人を私が埋めたのは20人くらいだと思うけど、旦那が私にさせずに埋めた人や旦那の指示で誰かが埋めたのも、相当ある筈だから」思ったことが顔に出たらしい。笠木さんは、『僕』の疑問に応える体で回想した。「今日埋めた旦那の焼け芥(ごみ)がこれくらいの広に散っていて、ここ全部がもう焼け芥(ごみ)で埋め尽くされてるんだから掛ける100くらいの死...■鉄の匂い277■
盛んに燃えている様に見えるが火が出ているのは灯油と着火剤だけで、肝心の旦那の死体は表面が炭化してるだけ。中からは水分がじゅるじゅると噴き出し、火に油ならぬ水を注ぐ図で、炎の勢いを削ぐこと度々だ。それでも灯油を注ぎ着火剤を投げ込むと、旦那の死骸は黒い木乃伊となって強制的に焼き上がった。火の粉が舞う中、重機のバケットで潰して遺体を砕く笠木さん。特に感情を昂らせるでもなく、熟(こな)れた手順で火葬体を潰して砕く。薪の燼(もえさし)と瓦礫と亡骸は掻き回されて混ざっていった。器用にバケットで攪拌された骸は、腐葉土と化して土地に馴染んだ。「お風呂に入りに行きましょ。近くに行き付けのスーパー銭湯があるんです」埋葬箇所は、完全に平らに均されて来た時と変わらない残土置き場に戻っていた。「人が焼ける匂いって、染み付くんですよね。何...■鉄の匂い276■
掘れば掘る程、腐敗臭がキツくなる。良く言えばアンチョビと炊き立てご飯、悪く言えば臭魚(くさや)の干物と屁だ。雨が降る中を飛び交う様々な大きさの蠅。悪臭で目も開けていられない。深さ2メートルの人型の穴が掘り上がると、笠木さんはバックホーから降りる。辺りは真っ暗だったが、目が慣れてくると亜鉛鍍金の鉄板の山稜が見えて来た。隔壁まで遮る物のない更地の資材置き場は球場程度の広さで、あちこちに掘り返した時に積んだと思われる残土の小山があるだけで、建築資材や作業工具などは一切なかった。無言の笠木さんの指示で、ワンボックスの荷室からビニールシートを引き摺り下ろし、毛布を捲って旦那の遺体を転がす。地面は、細かい砂利と焚火の後の煤の様な木っ端で覆われていて、最近掘ってないだろう箇所には背の低い雑草が生えていた。黙って指差す笠木さん...■鉄の匂い275■
お握り3個をコーヒーで流し込むと、笠木さんは食休みも取らずにシートベルトを締めた。コンビニを出ると道はいよいよ暗くなり、バックミラーで見えるサイン以外に明かりはひとつもなくなった。たまに思い出した様に灯る街灯以外に道を知らしめるのは車のライトで白く光る歩道との境界線だけ。その白線すらも雑草やひび割れで途切れ途切れになっていて、相当に先を予想して走らないと車は田んぼに突っ込むことに。右に左に緩やかなカーブが続く、元畦道の県道を暫く行くと星がひとつも見えない曇天にうっすらと稜線が浮かび上がった。山が近いのだ。死体は山に埋めるんだな。楠木くんと2人で、クラスメイト2人を埋めたことを思い出す。あれは山というより丘陵で、人里程近い公園の散策路の脇だった。車でなければ来れない僻地ではなかったのは、『僕』達が免許も車もない小...■鉄の匂い274■
軽トラの後部座席を倒してフラットにした処に、毛布とブルーシートで包んだ旦那を詰めた段ボール箱を滑り込ませる。その横の隙間に段ボール箱に立て掛ける様にして、畳んだ台車を押し込んだ。斜めに積まれた台車はアスファルトの継ぎ目を踏む度に跳ね回ってカタカタと鳴った。お揃いの作業服で助手席に座る『僕』は、用意されていた宅配コスプレが2着だったことから、いろんなパターンを想像していた。笠木さんは、台車や段ボール箱やブルーシートの購入時には殺害を決意していたこと。相当の期間、殺意が継続していたことは想像に難くないが、レンタカーは実行日が決まってからしか借りられない。その実行日は、月に数日しかない旦那が帰ってくる日で確実なのは給料日の一日だけである。なのにレンタカーは今朝から来客用駐車スペースに停まっていた。だとしたら、今日の今...■鉄の匂い273■
時間にして、ものの3分だった。ピンポン鳴らさず自分の鍵で入ってくる旦那を、目を合わさず迎え入れる笠木さん。まっすぐテーブルに歩み寄り黙って封筒を引っ掴むと、流れる様に封を切って金額を確認。洩れ落ちる小銭には目も呉れず、札だけポケットに捻じ込むと封筒を粗雑に投げ捨て、笠木さんを椅子毎押し倒した。慣れた手付きでブラウスのボタンを外し、おそらくルーティンなのだろうスカートを乱暴に手繰(たく)し上げる。毎度のことらしく、笠木さんも脱がせ易い様にと腰を浮かせたり両手を万歳したり協力する。しかしその表情は硬く、拒絶はしないが抵抗もしないレベルの共同作業だ。『僕』はスタンガンを構え脱衣所のカーテンを開けて旦那の背中に近付く。旦那は右手で笠木さんの乳を鷲掴みしながら、空いた左手でズボンを下ろしていた。ピチャピチャと旦那が笠木さ...■鉄の匂い272■
「私のパート先は旦那の紹介なので旦那とはツーカーの仲です。だからパート先に行けば面倒なく私のパート代を没収できるんです。でも一度私を経由しないと申告だか税制で面倒が起きるらしく、だから搾取に一手間掛けてここに盗りに来るんです。」笠木さんのパート先はスーパーとかではないらしい。「だから必ず、今日来ます。私はいつもの様にテーブルにパート代の入った封筒を置いて待ちます。玄関の脇の脱衣所に隠れてて、旦那が金を掴んだその時に後ろからこれで、」笠木さんが『僕』に手渡したのは、ホチキスの刃の様な形をした握りのスタンガンだった。銃握(じゅうは)の上下に放電部があり、接触させればメーカー表記120万ボルトで相手の筋肉を弛緩させ動きを封じることができる、護身の域を超えた防犯グッズだ。「一般に市販されているスタンガンの電圧は100万...■鉄の匂い271■
笠木さんは、楽しそうに笑った。「そんな驚ろかないでくださいよ。そんな驚かれたことに驚いちゃいますよ。」でも目は笑っていなかった。「なんて、驚くと思いました?驚かないです。全部想像出来てたので。」一度退いた笠木さんは『僕』の頬に唇が触れる位に距離を詰めてきた。「私、分かるんです。誰かが誰かを殺そうとしてるとか、既に誰かを殺してるとか、が。お連れさん、もう殺したんですか?それともこれから?」笠木さんの前歯が『僕』の耳朶(みみたぶ)を噛んだ。「私、もうすぐ殺されるんです。旦那ロリコンで、私が幼児体型だから今まで生かされてきたけど、娘が6歳になるから私、もう用無しなんです。」耳朶(みみたぶ)を舐める舌先が笠木さんと別の生き物の様に『僕』を這う。「私、まだ生きていたい。だから旦那を殺したいんです。私一人じゃ無理だから手伝...■鉄の匂い270■
「私、16で出産したんです。後(のち)の旦那の半分強姦で。」スプーンを咥えたまま遠くを見やる笠木さん。若く見えたが見えた通り若く、6歳の女の子の母でありながら未だ24だった。「旦那は暴力的で自分勝手で強引で、思い通りにならないとすぐ殴ったり蹴ったりする人でした。」訊いてもないのに語りだす笠木さん。「別れたかった。何度も逃げ出したけど、毎回捕まって連れ戻された。家族や親戚も、最初は匿ってくれたけど、根負けというか巻き添えを恐れて、遠退いていった。暴力も『愛情表現のひとつだから』って。なんなら『体許しといて今さら』とか下衆いことも言われた。悔しかった。」半分残っていたプリンはスプーンで掻き回されてぐちゃぐちゃになっていた。「子供が出来たんだから籍を入れろって。結婚したんだから問題は2人で解決なさいって。迷惑だから実...■鉄の匂い269■
ケーキを買った時に結ばれていたリボンで縛られた札束が4つに、髪留めに挟まれた札が数十枚。束が100枚なら全部で450万くらいか。『僕』がイラストの仕事を受ける様になってからは生活に余裕が出来たと言っていたが、この金額は貯蓄できないだろうから、大半はそれ以前に節約して貯めてきたものだろう。手紙は『僕』宛てだったが読まずに置いて出てしまった。着替えも持たず、金だけをコンビニ袋に入れて、靴を履くのも擬(もど)かしく、転がる様に玄関から飛び出した。鍵を掛けてから、隙間より中の匂いを嗅ぐ。もし異臭が漏れる様なら、逃走時間を稼ぐ為にも脱臭だか消臭だかを施さなければならないから。扉のポストの蓋を開けて中を覗いていると、後ろに人の気配を感じた。同じ階の並びの部屋に住むシングルマザーの笠木さんだった。『僕』が共用廊下に這い蹲って...■鉄の匂い268■
手に捲いた紐で、親指と人差し指の間が擦りむけて血が滲んいた。女子学生の首から紐を外し、手を引いて引き摺り布団の上に身体を転がす。眉に怒りの表情はなく、目の白目は赤を通り越して黒くなっていた。口からガムテープを剥がし、手足を縛ったビニールテープを落ちていたカッターで切った。粘着物を一纏めにして部屋の隅に放(ほう)る。吐瀉物と脱糞と失禁で、部屋は悪臭で居られなかった。ベランダに出て深呼吸をする。50メートル程離れた向かいのマンションの共用廊下を子供連れの母親が歩いていた。たまにスーパーで会う母娘で、子供は会うたび『僕』に異様に纏わり付く。きっと親の愛情が足りてないのだろう。見下ろすと、階下の主婦が犬の散歩に出た処が見えた。ペットを飼ってはいけないマンションなので、キャリーバッグに入れて公園まで泥棒の様に忍んでいくの...■鉄の匂い267■
手でそっと押し戻されて、『僕』は少し後ろに下がった。隠し持っていたガムテープに女子学生が気付き後退る。なんでこうなっちゃったんだろう。何も破綻要素はなかったのに。公園で鳩を追い詰める様に両手を広げ女子学生を隅に誘導する。ガムテープで口を塞ぐまでは大声を上げない様に落ち着かせて。何処まで計算していたのかな。証拠を突き付ければ観念すると思ったのかな。興奮させない様に穏やかな顏で、じりじりと女子高生に迫る。声を出す間を与えない様に右手首を掴んで引寄せると素早く口にガムテを叩きつけた。貼るつもりが勢い余って殴る勢いになった為、女子学生は首ごと持っていかれ脳震盪を起して膝から落ちる。体育座りになった処を、足首を捕まえてビニールテープでグルグル巻きに。目に焼ける様な痛みを感じて払い除けると、息を吹き返した女子学生が両手を振...■鉄の匂い266■
「ここまでで何か意見、あるかしら。」女子学生は、手紙を一枚一枚広げ紙の角を丁寧に揃えた。「そしてこれが、疑いが確信に変わったその証拠」束となった紙を微妙に斜めにスライドすると、本の側面に描かれた小口絵の様に一箇所だけ筋状のインク汚れが見て取れた。「一枚一枚を見たのではわからないけど、こうして見ると全ての紙が同じ癖のあるプリンターで印刷されたことがわかるのよね。」女子学生は、これまで自分がプリントアウトした紙も同様にスライドさせて小口を見せた。そこにはストーカーからの手紙と同じ位置に筋状の汚れが付いていた。「私のプリンターで印刷した紙と一致するわ。つまりストーカーはうちのプリンターで嫌がらせ手紙を印刷していたってこと。」もしかしたら。ストーカーがうちに忍び込んでプリントしたのかもしれない。しかし手紙がその都度知り...■鉄の匂い265■
「やっぱり警察に言いましょう。それで分かることもあるでしょうし。」買い物袋を両手に下げた女子学生が言った。袋の中で箱菓子や菓子パンが揺れている。「じゃあ明日、証拠を整理して持って行こうか。」冷凍食品や根菜が詰まったお買い物バッグを抱えた『僕』の提案に、女子学生は肯定も否定もしなかった。もう何回か、警察には相談に行っていた。被害届も提出していた。証拠となる手紙もコピーを渡したし、保管したくない汚物は写メを撮って見せた。今更改めて何を警察に言いに行くのか。家についても女子学生は集合ポストを覗かなかった。玄関ポストも確認しないで、室内を警戒することなくキッチンに入って行った。そのまま夕食の支度を始め、シラケたムードの中での晩餐となった。一言も喋らない女子学生。スプーンが皿に当たる音だけが響く食卓。食事が終わって洗い物...■鉄の匂い264■
審査の厳しいオートロックのマンション。住人に妙な性癖を持つ物は居ないし、他所から簡単に侵入できる構造でもない。なのに、ポストは仕方ないとしてもゴミを漁られたり玄関前をうろつかれたりで、女子学生はすっかり憔悴してしまった。逃げたくとも此処よりも安全な場所が思いつかない。戦おうにも敵の顏は疎か素性が全く判らない。記録を付け証拠を集め保存するのが関の山。いずれ相見(あいまみ)えるかもしれないストーカーに備えて、常に防具を携帯し周囲を警戒する。しかし賢い女子学生はただ怯えているだけではなく、少ない情報から犯人像にかなり迫ってもいた。ストーキングは『僕』と付き合い出してから始まった。ストーカーは『僕』が居ない時に限って現れる。ストーカーは住人以外は入れないマンション内も闊歩している。気配は覚らせるが顏は見せない。承認欲求...■鉄の匂い263■
「ブログリーダー」を活用して、いちたすにはさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。