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  • 「自分でやること」の理解

    98.知識の分断をすすめる比較学校で教えられた知識には、それを確かめる様々なテストがついてまわります。そのテストですが、教科を超えて統合された知識を問うテストはありません。まずほとんどが「画られた知識」について問うテストです。それも、単元ごと、更には

  • 「自分でやること」の理解

    97.壁を設ける教師「汝は画れり」という言葉から思いつくことをいくつか並べてみました。我々はどうも自分のあたまの中に、いろんなふうに「画る」ことをやっているのではないでしょうか。それは、本来の自然界の中にないものではないだろうかと思います。このことが

  • 自分でやることの理解

    何時はかぎれるという言葉から思いつくことをいくつか 並べてみましたで 言いたいことは我々がどう思う自分の頭の中にいろんな鍵を作るということですね それは本来の自然界の中にないものではないだろうかと思います そしてもう1つ このことが気になったのは以前 ちょっと触

  • 「自分でやること」の理解

    96.平和を忘れた「武力」の行使 今世界の様々なニュースに接していて、人類にとって脅威だと思われるものとして、地球の温暖化を取り上げましたが、もう一つ大きいのが戦争でしょう。今の戦争というのは、昔の人たちが刀とか槍を持って争ったそういったものと全く違い

  • 「自分でやること」の理解

    95.人の生活を忘れた経済ここ数日、猛暑と大雨が日本を襲っています。それで熱中症で病院に担ぎ込まれる人々や、災害に遭われた様々な人々の様子が、テレビに映し出されています。そこで、異常な天気をもたらしたのは人間の際限を知らない 経済活動として、気象科学を

  • 「自分でやること」の理解

    94.病気を見て病人をみないお医者さんここで、「汝は画れり」という言葉を取り上げたのは、自分の中の知識の形成で、その知識の中に壁を設けてそれを以て良しとすることが人間本来のあるべき道ではないということを言いたいわけです。それが、どういうことか、少し考えて

  • 「自分でやること」の理解

    93.「汝は画れり」-自分の中の壁を取り除くこと 自分の中の知識がどれだけ整理されているか、ということをどれだけの人が理解しているのでしょうか。 それで、思い浮かぶのが、「論語」の「汝は画れり」という孔子のことばです。冉求(ぜんきゅう)曰く、「子

  • 「自分でやること」の理解

    92.知識の整理を目指して 先に、木製の椅子を処分することを例に、解体と焼却では、使用する知識に、「物」と「原子」という、次元の違いがあるしました。ただ、焼却については、化学的知識というよりは、日常的な経験を基にした知識による方がほとんどで、そういう意味

  • 「自分でやること」の理解

    91.深層で無意識になされる整理淘汰内部の「整理体系化」ということで、それを本人がやるべきこととして、誤まりを正し、関係を整える、「修正学習」や「まとめ学習」を取り上げたのですが、それはいわば意識してやるものです。しかし、この「整理体系化」というのは、実

  • 「自分でやること」の理解

    90.関係を正すということ 整理体系化を意識してやる「学習」として、いろいろな場面での「まとめ学習」があります。 例えば、問題学習で、誤答の原因が、既習の知識の形成に誤りがある場合、それを特定の単元とか小単元とかにある場合、それを特定して、その遡及学習

  • 「自分でやること」の理解

    89.誤りを正すということ そこで、「整理体系化」ということがどういうことをやるかということを考えてみます。整理ということばの定義の一例です。1 乱れた状態にあるものを整えて、きちんとすること。2 無駄なもの、不要なものを処分すること。また、あとあと煩

  • 「自分でやること」の理解

    88.基にあるものを整えるさて、椅子の廃棄の例をもとに我々の中の「知識」というのが、その言葉から受けるイメージと異なって、ある意味、ダイナミックに物事を生み変化させていく、そういう捉え方をしてもらえばということだったわけです。 そこで、人が物事に対処して

  • 「自分でやること」の理解

    87.そのものの「振る舞い」さて、前回「内部 知識を整理体系化する」ということを言いました。そのことについて触れて行きたいのですが、その前に、その「内部知識」という言葉について少し触れておきます。どうしても知識というと何と言うか静的で固い感じがするのです

  • 「自分でやること」の理解

    86.整理体系化された知識を準備する必要性 今まで述べたように我々は様々な状況の中で考え行動をする際、その基になる知識を自分の中から引き出して使用するわけです。そうすると、その内部知識の整理体系化がそれに対する準備ということになるわけです。準備がきちん

  • 「自分でやること」の理解

    85.現実を様々な次元で受けとめる我々は、ものを見る時、ふつう、それがそこにそのまま変わらずある「物」として見ます。ところが、例えば、それが林檎であるとて、その林檎を高速度で撮影した映像を早送りで見ると、その林檎はみるみる崩れて消えてなくなります。それは

  • 「自分でやること」の理解

    84.「物」の実体とは? 「コトバ」を介して「物」のイメージが浮かび上がる、そのことを実感すると、その「コトバ」の「意味」するものが、そのイメージを生み出す働きがそこにあるのだというふうに感じられてきます。そうすると、それが、スマホとかパソコンにキーボ

  • 「自分でやること」の理解

    83.検索と連想さて「深層」のメカニズムをさぐる例として、「深層」から「意識」への「想起」を取り上げる研修です。「想起」というのは、「思い起こす」、 つまり「深層」から様々な知識を取り出して「意識」に上げる、その際にその過程を「意識」に上げてたどってみま

  • 「自分でやること」の理解

    82.「深言」ということば三層フローチャートに書き込みをやる、言葉を書き込むわけです。その言葉について、外言と内言という言葉があります。 内言とは、音声を伴わない自分自身のための言語であり、思考時に使用される。 一方、外言とは音声言語であり伝達の機能を果

  • 「自分でやること」の理解

    81.三層間の移行三層フローチャートの書き込みを同じテーマで何人かがやるとします。その時、同じ過程を「行動」と「意識」と「深層」の各欄にどう振り分けるか、人によって違いが出てきます。我々は「意識」と「深層」の間が固定されているように考えがちですが、それは

  • 「自分でやること」の理解

    80.深層に焦点を当てる現在の教育に問題があるなどと言えば、よくある民間による公教育の批判として受け止められるかもしれません。個々の学習過程を、三層フローチャートで分析することをやります。一人一人が書き込むことですから、全て同じにならないのは当然ですが

  • 「自分でやること」の理解

    79. 自・他に「みえる」「みえない」さて、この三層フローチャートをなぜ研修の最初に持ってきたかと言うと、その行動と意識と深層と書き分ける、そのそれぞれについて、大雑把な違いをまず把握することです。「行動」は、自分にも他にも「みえる」。「意識」は、自分

  • 「自分でやること」の理解

    78.能力の普遍性・共通性・個別性さて、三層フローチャートへの書き込みをして、お互いに披露しあう中で、同じ「コトバ」の意味の形成一つをとっても、ある人と別の人では違いがあることは解ります。そこで、個々の持つ様々な能力について、一人一人が違うということも

  • 「自分でやること」の理解

    77.コトバと意味の結びつきに気づく そこで、その「音声」とか「文字」を意識すると、それが指すもののイメージが浮かび上がってくる、逆に、あるいは何かを思い浮かべると、それを指す「音声」とか「文字」が浮かび上がってくるということを経験することで、「コトバ

  • 「自分でやること」の理解

    76.「深層」の存在にあらためて考える 次いで、「三層フローチャート」を使用しての研修に移ります。 そこで、何を書き込むかは、予め用意したテーマで、それぞれが書き込むこともあれば、それぞれが自分の経験したことを書き込むこともあります。 そこで、その

  • 「自分でやること」の理解

    75.「意識」「深層」「行動」の意味の共有 研修では、まず、そのあたまの中で何かが浮かんだり、消えたりすることを、それぞれが経験できるか確かめ、それを「意識」とするとします。それを「意識」とするというのは、ここでの取り決めで、他の人々が何と呼ぶかは別の事

  • 「自分でやること」の理解

    74.自分に由ること さて、「自灯明」とか、その前にでてきた「格物致知」とか、そういうことについて、人に教えてもらう、しかし、それは「他者に頼る」ことになる、「事物に即して知ること」にはならない、それこそ、「自灯明」とか「格物致知」が否定したことです。

  • 「自分でやること」の理解

    73.ことばを生かすのは自分がやること 我々は、自分で考え、それを基に行動します。そして、考えたことを人に伝えます。その際、その考えるにも、人にそれを説明するにも、ことばを使うわけです。その「ことばを使う」という「自分がやること」について、それがどういう

  • 「自分でやること」の理解

    72.「分別智」と「無分別智」など 前回述べた弟子の中の「山」の変化については、「ことば」の意味の在り方を左右する意識構造の在り方として取り上げましたが、これについては、仏教では「分別智」と「無分別智」という言葉で説明したりすることもあります。 外から

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