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  • 「自分でやること」の意味

    1.「自分でやること」がなぜ重要か?「学習塾」での約30年間にわたる、生徒の学習の指導を振り返ると、一番印象に残っているのは、生徒の「自分でやること」が、「直接指導すること」に取って代わったなということです。教室に掲げた「学び方十則」の第一条に、「教え

  • 「個別指導」のこと

    100.生徒も父母も意外に受け入れてくれたこと 「自主学習」と言っても、その中には、人の著したものを読んだり、人の話を聴いて質問したりすることもあるわけです。しかし、それはあくまで自らの意思があって、そうするのであり、それが「やらされる」ものであっては、

  • 「個別指導」のこと

    99.個別指導-「自主学習」への架け橋「特定の次元」の論理を超えるのがなぜ難しいかというと、それは、「ことば」の持つ限界があるのではないでしょうか。宇宙というのは、いわば多次元の存在で、それを「ことば」で理路整然と語ることは難しいわけです。Aの論理とBの論

  • 「個別指導」のこと

    98.「自灯明・法灯明」ということ 人が自ら学ぶことの重要性を考える時、仏教でいう「自灯明・法灯明」ということばがあたまに浮かびます。「自灯明・法灯明」というのは、釈尊の死が間近であったときに、師が亡くなったら、何に頼ればよいのかと嘆く弟子のアーナンダ

  • 「個別指導」のこと

    98.「自灯明・法灯明」ということ 人が自ら学ぶことの重要性を考える時、仏教でいう「自灯明・法灯明」ということばがあたまに浮かびます。「自灯明・法灯明」というのは、釈尊の死が間近であったときに、師が亡くなったら、何に頼ればよいのかと嘆く弟子のアーナンダ

  • 「個別指導」のこと

    97.本人が心身二元論の克服を通して次元を超えること 独善的な主張を生徒に押し付けるのは、「洗脳」になりかねません。前回、「習わざる~」を取り上げたのは、それが「普遍性」を持ったことを伝えるのは、「洗脳」ではないということが言いたかったわけです。 「自

  • 「個別指導」のこと

    96.習わざるを伝えしか 学習指導は、何かの観念を押し込むのでなく、自分の中にある普遍的なはたらき、つまり、相手の中にもあるはたらき、それを組み合わせて使うことで生み出せるものごと、それについて、こうすると引き出せるということを伝える、相手はそれを真似す

  • 「個別指導」のこと

    96.習わざるを伝えしか 学習指導は、何かの観念を押し込むのでなく、自分の中にある普遍的なはたらき、つまり、相手の中にもあるはたらき、それを組み合わせて使うことで生み出せるものごと、それについて、こうすると引き出せるということを伝えることで、相手はそれを

  • 「個別指導」のこと

    95.自分の中は見えない 我々は、ここで「深層」としたものを見ることはできません。しかし、そこに自分が築いたものがあり、それが自分の「思考」や「行動」を動かしているのです。そしてその使用そのものがそれを変化させることになります。ですから、我々の「思考」や

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    94.「できる」「解る」の行動化としての「表現工夫」 「RT学習」の最後は「表現工夫」です。「根本解決」で「できる」「解る」ようになったことを、行動で示すことですが、「問題学習」の場合、それを「書き表す」ことになります。 無論、原因が「単元」レベルの「

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    93.「根本解決」と「過ちを再びせず」 「RT学習」、「原因分析」の次にやるのは、「根本解決」ということです。 これは、「わからない」「できない」の原因である、自身の内部のはたらきを修正することです。普通の言い方をすると、「内部知識」の修正です。 こ

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    92.自分でやる「原因分析」 「できない」「わからない」問題についての「レポート」学習、単に「RT」学習と言っているものです。 そこで、まず、その「できなかった」「解らなかった」原因が何か、それを自分の中に探ります。それで、「知識」の不足か、「知識」の

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    91.自身の「内部知識」を自身で探る 「自主学習」の指導は、簡単に言うと、外に向いた意識を内へ向ける、そういうものだと思うことです。 「学習」は、「知識」という言葉を使っていえば、自分の中に生きるのに必要な「知識」を形成する、だから、その自分の中のそれ

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    90.依存からの解放 ここまで述べてきたことは、「個別指導」の「個」が、「全体性」を持った自由な存在であり、その「個」が自分の「意思」で生きる力を身に付けるよう指導するのが「個別指導」であるということです。 「学習」は、本人が自分の内の「生きる力」をみ

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    89.学習の推進力-自らの意思 我々は、何かをしようとする、そして、それができる、その「できる」の中には「解る」も入っています。その結果、「できた」「解った」ということで「快」を感じる、単純に言うとそうなのでしょう。 しかし、その何かを「~しよう」と

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    88.学習の推進力―朋の存在 さて、「論語」の出だしの「学びて時に習う、説ばしからずや」と「人知らずして慍(うら)みず、亦(また)君子ならずや」の間にあるのが、「朋(とも)有(あ)り遠方より来(きた)る、亦た楽しからずや」です。これも「楽しい」とあります

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    87.学習の推進力―自らの確認 「学習」のもたらす「快」について、日ごろ考えていることです。 毎朝、四時に起きて近くの公園を歩くことにしています。真冬でも軽装で歩くのですが、雨の日は、「駐車場」を何回も往復することで、初めてから数十年、休まずやっている

  • 「個別指導」のこと

    86.学習の推進力-説(よろこ)びとは? 生徒の「面壁」しての学習が、生徒を個別に指導しているうちに次第にそうなったと述べましたが、そうなった場面を初めて目にする人にとっては、それが異様に映るようです。 以前、群馬のSSAのT先生から、教室で生徒が黙々と

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    85.外に向かうか、内に向かうか―教室の風景 学習の際、本人の「意識」が主に外向かうか、内に向かうか、その表れとしての「教室の風景」の違いです。 「教室の風景1」は、生徒の机椅子が、前方の黒板と教卓に向かって配置されています。授業は教師の説明が中心で

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    84.統合された「知識」の形成を 自分の中の「知識」をみつめての学習がめざすのは、それを「整理統合された知識」とすることではないでしょうか。 それに対し、「外部知識」の摂取にとらわれての学習となると、その「外部知識」は、当然、「分割された知識」で、それ

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