23.呼吸という運動 さて次は呼吸の話です。呼吸についての我々の理解は、空気を吸って吐いて、酸素と二酸化炭素とかを、肺とか細胞で交換する、そういうことでしょう。 そこで、この本は、我々がする呼吸というものの別な面についての理解を促すことになります
83.思考や行動の基を視野に入れる学習を 個々人の思考と行動を左右するのが、その人の「深層」に形成された「知識」だとすると、「学習」は、自分でそれが正しくあることを目指すべきでしょう。その「はたらき」が内部に形成するものを「内部知識」とよぶとしました。
82.多元的なはたらきを解き放つ指導 そこで、その「(内部)知識」について、ここまで述べてきたことです。 まず、「ことば」について、それが「意味」とその媒体である「コトバ」の結びついたものだということです。「ことば」と「コトバ」がややこしいかもしれないの
81.学習の対象は内の「生きた知識」 ここまでのことで明らかになったのは、まず、「個別指導」は、その指導対象となる「個」の「学習」が対象だということです。相手の内部での受け止めを無視して一方的に「情報」を与えることではありません。 そこで、その「個」の
80.「個」の中の「意思」 我々の「意思」は、様々なことに左右されます。それは、自分で自分の振る舞いを振り返って、それがどこからきているか、考えてみるとわかるのではないでしょうか。 例えば、自分の行動が、後から振り返って、「感情的だった」と思われること
79.「意識」が関わらない情報の長期的変化 「知識」の「操作」がなされるのは、前回の例のように、外部知識の取得の時だけではありません。 例えば、昼間の生々しい「感情」が寝ている間に中和されるとか、更に長期的にみて、あることに付きまとっていた「不快」が時
78. 「情報」と「内のはたらき」の関わり さて、外からの「情報」の取り扱いに際する「内のはたらき」の関りを、簡単な例で考えるとどうなるでしょうか。 まず、その「接触」です。例えば、ある本を選ぶとします。それを「読もう」と思うのは、本人の「意志」です。
77.「意思」と「操作」と「知識」間の影響 我々の中に、無数のはたらきがあって、それが我々の「思考」や「行動」を生みですとして、「指導」の説明の際、その「はたらき」を、大きく「意思」と「操作」と「知識」と分けたのですが、その関係について、一応、「意思」が
76.「操作」の背後にある「意思」 さて、我々が「思考」や「行動」の際、使用する「内部のはたらき」を、「(内部)知識」、それを扱うためのはたらきを「操作」としたわけです。 そこで、「食べ物」にしろ、「情報」にしろ、それを「操作」するはたらきについて取り上
75.「自然なはたらき」についての意識と無意識 前回取り上げた「個の中のはたらき」について、我々はどれほど「意識」しているでしょうか。「健康」を保つための「食べ物」の消化や排泄を支える働きですが、最初の食物の摂取とか、その結果である排尿とか排便について
74.「個」の中のはたらきの健全性 ここで取り上げた「個別指導」は「個」を対象とする指導であり、その「個」は「全体性」を持った「個」であり、それを理解するために、「個」の「思考」や「行動」について、自分に問うことをやり、それを生み出す「深層」としたものを
73.「はたらき」の理解-「健康」と「学習」 「内部のはたらき」をどうとらえるか、「接触」というはたらきを取り上げてみます。 「食べ物」であれば、食べるものを選んで口に入れる、「知識」であれば、外部知識を選んで、聴くとか視るとかします。その選択には、前
72.「内部のはたらき」の健全性 「内部のはたらき」が歪むと「情報」が歪むと述べましたが、逆に言えば、その「内部のはたらき」が健全であれば、外からの「情報」の歪みを正すことができるということになります。そこで、その「内部のはたらき」の健全性について取り上
71.内部の「はたらき」が情報を変えるさて、「食べ物も情報である」というと、普通、非論理的であるとされるでしょう。 しかし、例えば、今まで取り上げた「りんご」は普通考えると「食べ物」でもあります。しかし、その「意味」を探る中で、それは、「色」や「形」で
70.汝は画れり 「意識」の自在性と言えば、「論語」に「汝は画れり」という孔子の「ことば」が出てきます。 それで、この「かぎれり」の「画」です。これは、「区画」に使われる漢字です。それからすれば、その人が自分の中に「区画」を設ける、それでそれを超えない
69.多次元にまたがる「こころ」と「論理」の飛躍 我々の「意識」は、我々の中の様々な次元のはたらきが生み出すものの表れです。「物」の次元のものもあれば、「気」の次元のものもあります。次元の違いは、それぞれを支える「論理」の違いを伴います。近代科学の論理を
68.「見る」と「みる」 さて、今まで「ことば」について、「りんご」を例に取り上げてきました。その「意味」として「五感のイメージ」とか「情動」とか「欲求」とかそういうイメージを持つものとして扱って、あまり触れなかったのが、「生物」として成長し腐敗し廃棄さ
67.自己の修正こそ学習 「過ち」に「過」をあてたのは、「道」を「過ぎる」という「意味」があるそうです。「道」を求める、それで行き過ぎる、過まる、そういうことです。「論語」に出てくる「過ち」は、そうではないかと思われます。 自分の「内部知識」を使用して
67.自己の修正こそ学習 「過ち」に「過」をあてたのは、「道」を「過ぎる」という「意味」があるそうです。「道」を求める、それで行き過ぎる、過まる、そういうことです。「論語」に出てくる「過ち」は、そうではないか、と思うわけです。 自分の「知識」を使用して
66.「過ち」とは何か? さて、自身の内部「知識」の修正ということの大切さを考えるうえで、取り上げたいのが、「論語」に出てくる「過ちて改めざる、此れを過ちという」ことばです。この意味は、「過ちはだれでも犯すが、本当の過ちは、過ちと知っていながら悔い改めな
65.「知識」の書き換えの「いろいろ」 「深層」での「知識」の修正がうまくいくと、当然ですが、その後は、それが「意識」に浮かぶことになる、使用されることになります。 ところが、その「知識」について修正されない「知識」が「意識」に浮かぶ場合があります。つ
64.意識での修正・深層での修正 「外からの情報」の修正について、自身が、「意識」して行っていることを基に考えてみます。 例えば、「りんご」について、当初「赤い色」だと思い込んでいたとします。それで、ある時、緑色とか黄色の林檎とかがあることを知ります。
63.外部情報の「修正」過程 外からの情報が正しいか自分で確かめ、正しいと思えば取り入れ、間違っていると思えば、捨てる、我々は、そういうことをやります。 ただ、その情報を丸ごと受け入れるかどうかだけでなく、その情報を分解し、正しいと思うことは取り入れ、
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23.呼吸という運動 さて次は呼吸の話です。呼吸についての我々の理解は、空気を吸って吐いて、酸素と二酸化炭素とかを、肺とか細胞で交換する、そういうことでしょう。 そこで、この本は、我々がする呼吸というものの別な面についての理解を促すことになります
21.リズムがもたらす結びつき この本では、次に、リズムと動きについて取り上げています。 音楽のリズムは人と人との動きを結びつけます。それは脳と脳の共鳴をもとに動きを協調させる、そういうふうになっているのではないでしょうか。そして、それは同時にその個
20.からだに映し出されるトラウマ トラウマ(心的外傷)の理解が、我々の心身二元論を克服するのに役立つこととして、この本から少し外れますが、整体での診断のことを取り上げてみます。 東洋医学では、その治療の前提として、「証」ということをいいます。 整体で
19.トラウマとその運動療法 トラウマ とPTSDという言葉ですが、大体次のような説明になっています。トラウマとは、心の傷を意味します。自然災害や戦争、犯罪、事故などの体験をトラウマ体験と呼びます。トラウマ体験から自然に回復する人もいますが、生死に関わ
18.「内受容感覚」の訓練 我々は、体が健康になると、精神的に安定する、自信が持てるということは、普通に経験していることだと思います。この本ではそう言うことについてのいろんな科学者の研究に触れていますが、その中で 1つ目を引いたのが、「内受容感覚」の重要
17.歩くことと脳動くというと、まず「歩くこと」が思い浮かびます。この本では、その「歩くこと」と脳のことについていろいろ触れています。その中で、運動中に全身の体重を足にかけると脳の血流が直ちに、10から15%増加するという、ある学者の発見について紹介し
16.脳と体の関係次に、この本が述べているのは「脳と体の関係」のとらえ方です。そこで強調しているのは、それが言うなれば「対等だ」ということです。こういうことを言っています。「世間一般の認識と違って、思考は私たちの頭の中だけから生まれているわけではない
15.「動く」のか「動かす」のか そこで、この本から離れて、「自分が『動く』、あるいは、自分のどこかを『動かす』ということ」について、少し突っ込んでみます。それは、人の能力と関係することだからですが。 自分が動くという時、ただ、その動きについて、「自
14.動かないことが何をもたらす さて、その人間の運動不足です。この本では、現代の人々がどんどん運動不足になっているということが記されています。 現代の平均的な大人は、人生70%を座っているか全く動かずに横になった状態で過ごす。 1960年代の大人に比べると運
13.動きが心に与える影響 この本が、最初に取り上げているのは、「動きが心に与える影響」です。「心が体を動かす」のではなく、「無意識に体が動く」、それが自分の「心に影響を与える」、そういうことを言っているわけです。 例えば、音楽を聴いて無意識に体が
12.やっていることの理解 さて「限界国家」について色々取り上げましたが、ここでいったんそれから離れて、もう一つの、「この自然な動きが脳と体に効く」にふれることにします。 こちらは、副題が「最新科学が明かす『人間本来の動き』の力」となっているように、我
11.一人でやれることの限界 「全てを自分でやることはできない」という自覚がなぜ大切かということで、そういう自覚がない人について考えてみます。そうすると、それには、自身が「全て自分ができる」という人と、そういう全てできる人がいることを前提に、「自分がそ
10.人は全部やることができない「思考」や「行動」の過程が多くは、意識されない「深層」で経過しているという話をしました。そして、その経過の中でどれが本当に自分がやっていて、どれがそうではないかということを理解する必要があるということを言ったわけです。そ
9.「自分が本当にやっていることと、そう錯覚していること」 そこで、このブログの「自分でやることの理解」というタイトルについて少し触れます。その「自分でやることの理解」で一番言いたいことは、我々が「自分でやっていると思っていること」について、本当に自分が
8.教育を受け止める自分のやること 「限界国家」の中で若者が日本の教育について述べた言葉があります。それを抜き出してみます。 1つは「いい成績を取るためには教えられたこと、教科書に書かれていることにいちいち 疑問を持っちゃダメなんです。誰が見たかとか
7.自由と連帯 「限界国家」で若者による現在の「教育」への批判には、『個』の自由を追い求めた「朱子学」が「科挙」にとりこまれることで、為政者による洗脳の手段と化したこととを思い出せます。 人と社会との関わりについて考えてみると、当初は身近な人々が結び
6.外の社会と個の中の社会 我々は、同時に様々な社会に属しています。身近な方から言えば「家族」「会社」「市町村」 そして「国家」、さらに「地球」、もっと言えば、「大宇宙」ということになるのでしょう。ただ、 宇宙の方は、あまり、社会という感じはしませんが。
5.「国家」への囚われから さて「限界国家」の後半は、今後の日本について行き詰まりを感じている70代の経営者が、20代の経営者の話を聞くことで、その対応策を考えようとする、つまり、70代の経営者には解決策がない、20代は経営者にはそれがある、簡単に言うと、そ
4.「脱藩」と「脱国」 今、国家観を問題にしていますが、 そもそも国家というのは社会の単位の1つであって、今は国家の重要性が増していますが、人々にとって常にそうだったわけではありません。 そもそも人は当初は、我々が言う村の中で生活をしていて、当然その当時は
3.国家から自由 この70代の経営者というのは、憂国の士、つまり国の将来を憂えている人なのです。ところが、その人の国というのは何なのかというとその言葉を借りると文化である、伝統である、そういうことを言っているわけです。国の中の重要な要素である人についてど
41.イメージを生み出すもの 学校とか塾とかで、「個別指導」という言葉か使われています。 そこで、それが何か、その指導者の研修内容について、取り上げました。 まず、「個別」という「個」について、それが「全体としての個」ということだとして、その「個」が
40.意味の限界-意思と操作と知識 「ことば」の「意味」を担うのが、「個」の中の様々な「はたらき」の結びつきだとすると、その「はたらき」として、まず、考えられるのが、その「イメージ」を生み出すものです。これを「個」の「内部知識」と呼ぶとします。次いで、そ
39.「意味」とは何か さて、「りんご」をという「ことば」を例に、我々の中の「ことば」の「意味」について、様々なものがあることを取り上げました。 それからすれば、それは「個」の中で「深層」から生み出されるもので、それが「物」を表す「ことば」であっても、
38.意思と意志 人が何かを欲したり、何かをしたがったりすることを「意思」と呼び、それが「意識」にあがるものを「意志」と書いて区別するとします。「意思」は、「深層」で様々な「思い」がはたらくもので、「意志」はそれが単純化されて、例えば「~したい」と「~
37.コトバと判断 「りんご」を例に、「個」の中の「ことば」に「感情」とか「欲求」とかが隠れていることがあるといいましたが、問題は、それが「意識」にあがらないことです。特に「注意」すると、「意識」にあがる、それで気づくのですが、そうしないと気付かない、し
36.コトバと欲求 「コトバ」と「感情」に次いで、同じようにその「コトバ」から引き出されるのが「欲求」とでいうべきものです。 それについては、「りんご」という「ことば」は解りやすい例になります。 「リンゴ」という「コトバ」をきいて、はっきりとしたもの
35.感情と「ことば」 さて、「コトバ」を聞いて、「意識」にあがるものをいろいろ思い浮かべることの中に「感情」と言われるものがあります。 まず、自分が何か不愉快なめにあったとき、例えば「怒り」を覚えます。つまり、様々な状況で、いわゆる喜怒哀楽といわれる
34.「個々の物」と「概念」の違い 我々が、何かを見る、それと特定の「コトバ」を結びつけて、「深層」にその「ことば」を形成する、それでその「コトバ」を介してその「視覚イメージ」を引き出す、そんなふうに考えると、その「イメージ」は、最初に経験した「イメージ
33.「意味」と次元の違い さて、「深層」の「りんご」については様々な知識が含まれている可能性があります。例えば、林檎が木になった林檎や果物店に並んだりんごに思い至ることもあるでしょうし、その皮を料理する、包丁で剥いて、その実がむき出しになるとか、更に
32.「コトバ」から引き出されるもの そこで、目を瞑ってもらい、「リンゴ」という「コトバ」を投げかけ、まず、それが頭の中に浮かび、次いでそれを介して何が浮かぶか、つまり、その「リンゴ」が何を引き出すか尋ねてみる、そうすると、いろいろなものが出てきます。
30. 「ことば」と社会と「個」の自由の関わり 「ことば」の「共通性」が人々を結びつけるはたらきをすることは、特に、「権威主義的な社会」において、権力側による「ことば」の管理の強化を招くことになります。権力側からすれば、それによって人々を内から社会につな
29.「共通言語圏」と「外国語」の学習 「国家」が「ことば」を国民に学校に代表される制度を介して教え込むことで、「意味」の「共通性」を保とうとすることは、何より人々の意思疎通を円滑にします。 これは当たり前のことですが、つい忘れがちです。それを外国で通
28.外からの教え込みで共通性が確保できるか そこで、「社会」の側からすれば、人々を結び付け維持するため、「共通性」の確保を目指すことになります。 たとえば、「国家」社会では、特定の言語を「国語」に指定し、それを教え込むための制度化を推し進めます。国に
27.「ことば」と「社会」 「ことば」と「社会」の関係がどうなっているか考えてみると、まず、「国語」、我々だと、「日本語」、これを覚える、そして、それを介していろいろ人と交わるわけです。 その「日本語」は、自分の中にそれがどう形成されたか、つまりどうや
26.社会と「ことば」の共通性 そこで、その「コトバ」と「意味」の結びつきがどうやってできたか、各自が自分の経験を考えてみるとわかります。 例えば、林檎について、それが「リンゴ」だということを知った経緯です。そうすると、実物を指してその「名」を教えられ
25.「会話」の前提は「個」の中の「ことば」の共通性 次に、同じ日本語を話す人の間でも、ある「コトバ」が通じたり通じなかったりする、その当たり前のことを確認します。 そういう時、我々は(この人はこの言葉を知らないな) とか(この人はこの言葉を知らないな)とか
24.「コトバ」と「意味」の「活性化」と「不活性」 そして、ある人は、「コトバ」を聞いて、それが「意識」にあがる、しかし、「意味」が「解らない」、つまり、それはただの「音声」にすぎないわけです。しかし、同じ「コトバ」を聞いた、他の人には「解る」というこ
23.「コトバ」の「意識化」、「意味」の「意識化」 さて、我々が「リンゴ」という「コトバ」を聞くと、それが意識にあがり、それに続いて「〇(林檎のイメージ)」を思い浮かべることができます。その時、感じるのは、その「イメージ」が「リンゴ」を介して引きだされたと
22.「コトバ」と「意味」の結びつき 「深層」の「ことば」について、次に確認してもらうのは、その「意味」と結びつく「コトバ」は、必然性がないことです。我々は、人から話しかけられた際、その「コトバ」を介してその「イメージ」を思い浮かべることができます。し
21.「深層」の中の「ことば」 「三層フローチャート」の書き込みで、その人の頭の中で起きることを「意識」欄の書き込むわけですが、では、我々が頭の中で「思い浮かべる」ことが何か考えると、すぐ思い浮かぶのは、一つは「ことば」です。そして、もう一つは、何かの「