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  • 「個別指導」のこと

    83.思考や行動の基を視野に入れる学習を 個々人の思考と行動を左右するのが、その人の「深層」に形成された「知識」だとすると、「学習」は、自分でそれが正しくあることを目指すべきでしょう。その「はたらき」が内部に形成するものを「内部知識」とよぶとしました。

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    82.多元的なはたらきを解き放つ指導 そこで、その「(内部)知識」について、ここまで述べてきたことです。 まず、「ことば」について、それが「意味」とその媒体である「コトバ」の結びついたものだということです。「ことば」と「コトバ」がややこしいかもしれないの

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    81.学習の対象は内の「生きた知識」 ここまでのことで明らかになったのは、まず、「個別指導」は、その指導対象となる「個」の「学習」が対象だということです。相手の内部での受け止めを無視して一方的に「情報」を与えることではありません。 そこで、その「個」の

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    80.「個」の中の「意思」 我々の「意思」は、様々なことに左右されます。それは、自分で自分の振る舞いを振り返って、それがどこからきているか、考えてみるとわかるのではないでしょうか。 例えば、自分の行動が、後から振り返って、「感情的だった」と思われること

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    79.「意識」が関わらない情報の長期的変化 「知識」の「操作」がなされるのは、前回の例のように、外部知識の取得の時だけではありません。 例えば、昼間の生々しい「感情」が寝ている間に中和されるとか、更に長期的にみて、あることに付きまとっていた「不快」が時

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    78. 「情報」と「内のはたらき」の関わり さて、外からの「情報」の取り扱いに際する「内のはたらき」の関りを、簡単な例で考えるとどうなるでしょうか。 まず、その「接触」です。例えば、ある本を選ぶとします。それを「読もう」と思うのは、本人の「意志」です。

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    77.「意思」と「操作」と「知識」間の影響 我々の中に、無数のはたらきがあって、それが我々の「思考」や「行動」を生みですとして、「指導」の説明の際、その「はたらき」を、大きく「意思」と「操作」と「知識」と分けたのですが、その関係について、一応、「意思」が

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    76.「操作」の背後にある「意思」 さて、我々が「思考」や「行動」の際、使用する「内部のはたらき」を、「(内部)知識」、それを扱うためのはたらきを「操作」としたわけです。 そこで、「食べ物」にしろ、「情報」にしろ、それを「操作」するはたらきについて取り上

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    75.「自然なはたらき」についての意識と無意識 前回取り上げた「個の中のはたらき」について、我々はどれほど「意識」しているでしょうか。「健康」を保つための「食べ物」の消化や排泄を支える働きですが、最初の食物の摂取とか、その結果である排尿とか排便について

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    74.「個」の中のはたらきの健全性 ここで取り上げた「個別指導」は「個」を対象とする指導であり、その「個」は「全体性」を持った「個」であり、それを理解するために、「個」の「思考」や「行動」について、自分に問うことをやり、それを生み出す「深層」としたものを

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    73.「はたらき」の理解-「健康」と「学習」 「内部のはたらき」をどうとらえるか、「接触」というはたらきを取り上げてみます。 「食べ物」であれば、食べるものを選んで口に入れる、「知識」であれば、外部知識を選んで、聴くとか視るとかします。その選択には、前

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    72.「内部のはたらき」の健全性 「内部のはたらき」が歪むと「情報」が歪むと述べましたが、逆に言えば、その「内部のはたらき」が健全であれば、外からの「情報」の歪みを正すことができるということになります。そこで、その「内部のはたらき」の健全性について取り上

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    71.内部の「はたらき」が情報を変えるさて、「食べ物も情報である」というと、普通、非論理的であるとされるでしょう。 しかし、例えば、今まで取り上げた「りんご」は普通考えると「食べ物」でもあります。しかし、その「意味」を探る中で、それは、「色」や「形」で

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    70.汝は画れり 「意識」の自在性と言えば、「論語」に「汝は画れり」という孔子の「ことば」が出てきます。 それで、この「かぎれり」の「画」です。これは、「区画」に使われる漢字です。それからすれば、その人が自分の中に「区画」を設ける、それでそれを超えない

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    69.多次元にまたがる「こころ」と「論理」の飛躍 我々の「意識」は、我々の中の様々な次元のはたらきが生み出すものの表れです。「物」の次元のものもあれば、「気」の次元のものもあります。次元の違いは、それぞれを支える「論理」の違いを伴います。近代科学の論理を

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    68.「見る」と「みる」 さて、今まで「ことば」について、「りんご」を例に取り上げてきました。その「意味」として「五感のイメージ」とか「情動」とか「欲求」とかそういうイメージを持つものとして扱って、あまり触れなかったのが、「生物」として成長し腐敗し廃棄さ

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    67.自己の修正こそ学習 「過ち」に「過」をあてたのは、「道」を「過ぎる」という「意味」があるそうです。「道」を求める、それで行き過ぎる、過まる、そういうことです。「論語」に出てくる「過ち」は、そうではないかと思われます。 自分の「内部知識」を使用して

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    67.自己の修正こそ学習 「過ち」に「過」をあてたのは、「道」を「過ぎる」という「意味」があるそうです。「道」を求める、それで行き過ぎる、過まる、そういうことです。「論語」に出てくる「過ち」は、そうではないか、と思うわけです。 自分の「知識」を使用して

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    66.「過ち」とは何か? さて、自身の内部「知識」の修正ということの大切さを考えるうえで、取り上げたいのが、「論語」に出てくる「過ちて改めざる、此れを過ちという」ことばです。この意味は、「過ちはだれでも犯すが、本当の過ちは、過ちと知っていながら悔い改めな

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    65.「知識」の書き換えの「いろいろ」 「深層」での「知識」の修正がうまくいくと、当然ですが、その後は、それが「意識」に浮かぶことになる、使用されることになります。 ところが、その「知識」について修正されない「知識」が「意識」に浮かぶ場合があります。つ

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    64.意識での修正・深層での修正 「外からの情報」の修正について、自身が、「意識」して行っていることを基に考えてみます。 例えば、「りんご」について、当初「赤い色」だと思い込んでいたとします。それで、ある時、緑色とか黄色の林檎とかがあることを知ります。

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    63.外部情報の「修正」過程 外からの情報が正しいか自分で確かめ、正しいと思えば取り入れ、間違っていると思えば、捨てる、我々は、そういうことをやります。 ただ、その情報を丸ごと受け入れるかどうかだけでなく、その情報を分解し、正しいと思うことは取り入れ、

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