今年になってからだと思うのだが、ときどきテレビで1985年のUSA for Africaのドキュメントフィルムを目にする。 35年を経過して、版権などの事情が解決されたのか?と邪推をするのだけれど。 いずれにせよこの曲、
わたしが幼少のころ、ベンジャミン伊東(伊東四朗)が水色のスパンコールの衣装を身にまとい 子分の小松政男をひっさげて「わりぃね、わりぃね、でーとりっひ」と言ってた。 それが面白くて、友だちにふざけて謝る
突然ですが、わたくし、森高千里ファンです。 彼女が90年ころに発売した「古今東西」アルバムのなかに「月夜の航海」という曲。 この詩の始まり 「古いアメリカの映画に出てくるようなあのシーン 女の人がとても
2001年の作品。 昨年引退してしまったレッドフォードの作品、そしてレッドフォードの弟子と呼んで差し支えないブラッドピット。 監督はわたしとはイマイチ相性が合わないトニー・スコット。 もういなくなって10年
タイトルの頭に「思い出の」はつきません。 アルフレッド・ヒッチコック作品のほうです。 ヒッチコックの作品をこのところ何作か鑑賞して、いつも目が行くのが女優さんの脚。 わたくし、普段から街を闊歩する女
男女の寝室に架けられた「カーテン」が情事などを契機に殺人事件による引き裂かれる。 のではなく。 冷戦下の東ドイツがガチガチに漏洩させない軍事機密、これが鉄のカーテンですね。 今のCGからすればこの特撮
後期高齢者の仲間入りをしているわが母。 彼女の性格をひとことで表すなら「くそまじめ」 融通は効かず、ありえない場面設定でのコメディなどを見ると 「こげなことのあるもんね(こんなことがあるはずがない)」
1980年の作品。 この後、ひろ子さまは「セーラー服と機関銃」で国民的女優へと駆け昇る。 途中大林監督のねらわれた学園を経ますけれど。 相米監督への想い、インタビューなどで聴いたり読んだりして。 薬師丸
テニス。 1968年生まれのわたし、マッケンローとレンドルが高校生時代によく聞く選手。 その少し前の時代のボルグは名前こそ知っているけれど。という存在。 今作を鑑賞しながら、「そういえば、中学生くらいのこ
亡き児玉清が有川浩のファンだった。 阪急電車だったか、有川浩の本の解説にもたびたび解説という名のファンレターを寄せていらっしゃった。 もしかして彼が大河ドラマ「龍馬伝」に出演したのは有川さんが高知出身
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