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  • オヤジのあくび382

    高秀秀信「元気都市ヨコハマを創る」を読む1 およそ30年前、個人的にはようやく結婚し子どもが生まれ、音楽の先生になってしまった、もとい、やらせていただいた時代が、高秀市政の10年と重なっていた。巨大なサッカースタジアムやみなとみらい地区の建設を推進して、各区には地域ケアプラザを設置。ボクには「行政は入れ物を作るから後はお好きなようにどうぞ・・」という箱もの行政の典型のように感じていた。 ところがどっこい、そんなに前からそんなことが考えられていたのか! と驚かされるような発想が本書には出てくる。ホロニック・パスという大平総理の時代に政策研究会で語られていた概念など、実に興味深い。そしてその発想の…

  • オヤジのあくび381

    大谷能生「平成日本の音楽の教科書」を読む2 音楽教育の話は、中学校へと移行していく。おっとりと筆を進めていた筆者は、突然自身が中学生に戻ったように、伝統音楽学習や従来型の西洋音楽学習の問題点を指摘し始める。まるで思春期の屁理屈をこねくり回していた頃のボクのようである。 公共の場での音楽教育と自我が目覚め表現について悩み始める個は葛藤を引き起こす。非常に良い一般化された当たり障りのない教材とインパクトの強い個性を売りにした生活の中で響いている音楽の矛盾もそうだ。だから学校で教わった音楽と少なからず距離を置きたがる人が多いのだ。 本書で、美空ひばりがポピュラー邦楽を具現化した歌手であったと書いてい…

  • オヤジのあくび380

    大谷能生「平成日本の音楽の教科書」を読む1 音楽が好きですか? と尋ねたら、かなり大勢の人が好きと答えるだろう。では音楽が得意ですか? と聞くと、かなり首を傾げて手を挙げる人が減ってしまうと思う。もっと突っ込んで、学校の音楽の授業が楽しかったですか? と聞いたらどうだろう。楽しいという字が入っている科目は「音楽」だけなのに。 音楽教育と言えば、ドレミ音階からスタート! もはや疑う人がいない常識かもしれません。けれど筆者は、日本の音楽教育を始めた伊沢修二が、江戸時代の新内や清元という日本独自の歌い回しを全否定していることをしっかりと指摘する。邦楽が口伝で教授されるのは拍節や音律感が、西洋音楽と違…

  • オヤジのあくび379

    野並豊「大正浜っ子奮闘記」を読む3 駅弁。現在は駅構内で買って列車に乗り込むスタイルだけど、昔は列車の窓が開いて、弁当の売り子さんを呼べたものだ。また停車時間も今よりは長く、その間にプラットホームへ買いに行くことができたと思う。なぜ変わってしまったのか? それは新幹線の登場。ご存知の通り窓は開かないし、降りている時間なんてない。 駅弁の崎陽軒もこの煽りを受けて、商品をシウマイの真空パックなどへシフトしていく。その頃から歌われているのが以下の歌。 https://youtu.be/scy5NEhLNmc 本書はほぼ時系列で語られているが、崎陽軒の社長を退任してから後は、筆者が関わっている横浜市内…

  • オヤジのあくび378

    野並豊「大正浜っ子奮闘記」を読む2 崎陽軒と言えば、売り子さんが真っ赤なユニフォームに身を包み、シウマイ娘と呼ばれている。昭和25年、煙草の宣伝をしていたピース娘にヒントを得た社長は、シウマイ娘を横浜駅の駅等に立てる。その後昭和27年毎日新聞に連載されていた獅子文六の小説「やっさもっさ」にシウマイ娘が登場する。さらには映画化されると、全国的に有名になる。 そして、昭和29年。いよいよお待ちかねシウマイ弁当が登場します。何とシウマイ弁当は私の2年先輩だったのですね。最初の価格は100円!好評を得て現在まで崎陽軒を代表する商品であることはご承知の通り。 横浜駅と言えば、現在は相鉄の事業のおかげで西…

  • オヤジのあくび377

    野並豊「大正浜っ子奮闘記」を読む1 若い頃は、仕事が引けると仲間たちと連れ立って、よく飲み食べ、そして歌っていた。そのうちの一軒がN飯店で、シューマイがとてもおいしかった。何でも崎陽軒のシウマイの味を自分なりに研究したとご主人が話していた。 さて本書に崎陽軒のシウマイが出てくる。元は横浜駅の駅弁なのだ。温かいからおいしい中華料理という前提を抜け出し冷えてもおいしいシウマイを作ろうという発想だったのだ。ご存知豚肉にホタテの貝柱を練り合わせた味とあの崎陽軒独自の大きさが決まり、昭和3年から売られている。あの大きさは車内の4人がけの席でも一口で食べられるサイズとの由。また、シウマイという独自の表記と…

  • オヤジのあくび376

    名作を読む95 ホフマン作「くるみ割り人形」を読む 先日読んだゲーテの「君よ知るや南の国」では演劇好きの主人公が、オペラ興行に消極的になる様子が描かれている。この物語の場合はチャイコフスキーによってバレエのための音楽が作曲され、むしろその方が有名になってしまった感じです。 映画になるときにも感じるのですが、文字言葉からのイマジネーションや印象が音楽になると、かなり変わってしまう。だからこそ元が文学なら、それをしっかり読んでおきたいと思うのです。 野坂昭如さんが作詞した「おもちゃのチャチャチャ」のモチーフは、きっと「くるみわり人形」に違いない。 本編は、おとぎ話のような夢の世界と少女マリーを取り…

  • オヤジのあくび375

    名作を読む94 ゲーテ作「君よ知るや南の国」を読む 原題は「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」というもっとずっと長い物語で、主人公が少女ミニヨンと出会った場面だけを、少年少女向けに抜き出してある。 父の言いつけで商いの旅に出た若者が、行く先々で様々な悩みを抱えている人と出会い、その経験を通して成長していく物語です。 若者ヴィルヘルムは常に悩める人に寄り添い、ともに解決の道を探ろうと試みている。また、若者は根っからの演劇好きで、遂には一座の座長となったり、主演のハムレットを演じたりするのだが、いろいろなトラブルが起き成功は長続きしない。まるで運命の女神が若者を翻弄しているかのようだ。 さらに運…

  • オヤジのあくび374

    名作を読む93 ルルー作「黄色のへや」を読む さて推理小説の読後感をSNSに投稿するのは、意外に難しい。ネタバレと紙一重なりかねないからだ。推理小説の面白さは最後のどんでん返しに集約されているわけで、そこまで読み切って「あっ」と読者を驚かせる仕掛けがキモなのだと思う。 その点では「刑事コロンボ」は、冒頭から犯人を明かしており、コロンボがどう解き明かすか? だけに的を絞っていた点では異色だった。 お決まりのように天才少年とその相棒が登場する。弱冠18歳の新聞記者、ルーレタビーユだ。 ホームズとルパン、明智小五郎と怪人二十面相のように、犯人も犯罪者として天才的でそうそうしっぽを現さない。 ところで…

  • オヤジのあくび373

    名作を読む92 ロスタン作「シラノ=ド=ベルジュラック」を読む シラノは、感情の振幅が大きい男だ。自分の鼻の形が醜いと、抜き差し難いコンプレックスを抱えている。剣を手にすれば無双の達人なのだが、相手とやり合うきっかけも自分の鼻を馬鹿にされたことがきっかけなのだ。詩人としても素晴らしい才能なのだが、美しい愛の言葉を伝える相手がいない。 ところで自分の思いが打ち明けられずに、一人で勝手に悩んだ経験がおありだろうか? 自慢ではないが、私も若い頃にはずいぶんたくさんあった。奇妙な自意識が邪魔なのだ。その部分だけに関してはシラノと似ている。 シラノはロクサーヌ姫に自分の思いを伝えられないばかりか、逆に他…

  • オヤジのあくび372

    忍者の戦い方 忍者にとって大切なのは匿名性。漫画のヒーローではないので、どこの誰がどんなことをしているか、わかってしまっては忍びにならないのだ。唯一の例外は徳川家召し抱えの服部半蔵くらいだろうか? だから漫画では果敢に敵と戦うシーンが出てくるが、忍者は情報を雇い主に届けてナンボの仕事なので、戦うのは二の次、まずは三十六計逃げるが勝ちであったはずなのだ。 忍者ステーションに展示されている武器も、よく見ると、逃げるための道具かほとんどで積極的に戦うための武器は少ない。 では、実際捕まってしまったら、どうするのか? ここからは「ボクが忍者ならこうする」という話だけど、まずは雇い主は敵なはずだから雇い…

  • オヤジのあくび371

    忍者と修験道 ネタの仕入れ先は、吾妻線群馬原町駅前にある忍者ステーション。展示資料によれば、真田の忍者は修験道信仰と関係が深いと言う。 あの山伏姿で山から山へと渡り歩き修行を積む修験者であります。その信仰が厚かったのが、群馬県、今の東吾妻。修験者の特徴は、一見どこの誰かよくわからないこと、修行しているので難所を越えるのも造作ない。しかもあちらこちらの地方を回っているので情報に長けている。ほら、忍者の資質が備わっているではありませんか! この地域は、武田氏についていた真田氏と上杉側の斎藤氏の抗争地だったのですが、真田氏が忍びを使って斎藤氏を攻略することに成功。始めは 斎藤氏側だった忍びが裏切って…

  • オヤジのあくび370

    城山三郎「官僚たちの夏」を読む2 規制撤廃〜行政指導という流れの延長で、行政と企業活動の関わり方はどうあればいいのか? これが本書を流れる一貫したテーマ。もう少し大袈裟に力めば、天下国家を論じる通産官僚の消長。 自意識過剰的に自分の責任と能力を過信して、国を導こうとする思いは、主人公風越以下、その系譜を継ぐエリートたちに受け継がれていく。方向性や生活スタイルが違う片山だって、官僚としての矜持はしっかり持っている。 こんなに熱く日本経済の行く末を見通し、あるいは憂い、政策立案に邁進した人々がいたはずなのだ。小説の形を借りながら、1960年代の政財官を筆者は語る。 ずいぶん遠いところまで来てしまっ…

  • オヤジのあくび369

    城山三郎「官僚たちの夏」を読む1 一応は私も地方公務員の末端=教員のくせに、官僚という人種と仕事上はあまり上手くお付き合いできなかった。教育に関して体験的に言えば、行政と教育現場の間には埋め難いギャップがあると感じている。 ギャップを生んでしまう原因の一つが「自分が思い描いているプランがどういう過程を経て実現するか」ではないだろうか? 教員の場合、自分が関わっている子どもたちのために「こんな授業をしてみたい」と思ったら、それは部分的にはすぐ明日にでも実行可能なのだ。教員は学級王国になる弊害はあるが、小さな船の船長なのだ。 けれど官僚は、そうやすやすとはいかない。本書にも詳しく書かれているように…

  • オヤジのあくび368

    村上春樹「1973年のピンボール」を読む 現代小説の感想を「オヤジのあくび」には、ほとんど書いていない。前回の安部公房に続いて、村上春樹も初登場。 初めて読んだ数十年前の印象だけど、外国文学を翻訳しているような乾いた文体に、日本文学の湿っぽさというかベトベト感がないと感じた。情緒感過剰な形容詞を使わないことからそんなイメージになるのかなぁと思っていた。 シナリオの書き方を教わると、カットバックの使い方について習う。そうだ、村上春樹は早稲田大学の演劇科の卒業生で、若い頃はシナリオを書いていたらしい。このスキルは、きっと彼の物語作法の基盤にある。つぎはぎや当てはめが有効なのは、随所に登場する彼の大…

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