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オンチャンさんのプロフィール

住所
高知県
出身
高知県

記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡

ブログタイトル
南国土佐へ来てみいや
ブログURL
http://nangokutosa.blog47.fc2.com/
ブログ紹介文
南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
更新頻度(1年)

67回 / 365日(平均1.3回/週)

ブログ村参加:2008/03/12

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オンチャンさんの新着記事

1件〜30件

  • 恵良沼古戦場跡 - 津野少輔元實ら一族・雑兵多数討死し沼の藻屑と消える

    [ 高知県土佐市岩戸 ]此処も、探した切っ掛けは、土佐の郷土史家・寺石正路先生の『土佐史跡巡遊』を読んで、大正15年以前まで存在しちょったなら、もしや、今でもあるろーと思い探して見たがです。第二十 高郡南部史跡 其五 恵良沼・・・・・かくて再び城山の西北麓に出で棒奔叢生の中に當日(当日)の戦ひに陣死せし敵将津野元實を吊祭せりといへる一小祠を見たが木太刀など若干供えへてあった元實恵良沼の戦死は實に(じつ...

  • 高知城・北曲輪跡周辺 - お城の北側で乳牛が飼われちょった

    [ 高知県高知市丸ノ内  ]写真は高知城の北側にある高知城・北曲輪跡でして、東の方角にある高知県警察本部方向を撮影した写真ながです。此処、高知城北曲輪は、藩政期にゃ作事場・米蔵・武器庫等があった場所ながでして、平成21年に整備され国指定史跡・高知城に追加指定されちょります。 今回のお話は、此の北曲輪跡の話じゃのうて、「高知の酪農乳業の歴史は、此の周辺から始まった」と言うたら、信じられんろー。始まりは、偶...

  • 谷干城生誕地 - 後藤象二郎や坂本龍馬と交わり倒幕の志を

    [ 高知県高岡郡四万十町本町  ]住所は四万十町本町になるけんど、2006年3月20日の合併前の町名・窪川町と言うた方が分かりやすいですろ。この写真を撮った頃は、ショッピングセンター「days」じゃったけんど、今年の春頃、新たにドラッグストア「mac」生まれ変わっちょるようですが、その隣接する北東隅に鎮座しちょります恵比寿神社の祠の脇に自然石の谷干城生誕地碑があるがです。 此の地で谷干城が誕生したがは天保8年(1837...

  • 若一王子宮 - 奇祭「お烏喰御膳上げ」や池田親王と平教経所縁の品が

    [ 高知県香南市香我美町徳王子 ]若一王子宮は、香宗川の上流左岸の徳王子に鎮座しちょります。 香南市指定文化財若一王子宮付近八ヶ村の総鎮守であり、古くから大忍庄のシンボルである。祭神は天照大神。鎌倉時代に村上永源上人が紀州熊野から十一面観音のお厨子を背負って来たと伝えられている。熊野新宮の別院で、十三町の神領を持ち、脇の坊が十二あったといわれている。岸本と結ぶ八丁道は、長宗我部元親が神幸道として寄進...

  • 多宝坊観音堂 - 土佐西国三十三観音霊場第13番

    [ 高知県南国市大埇乙 ]南国市の香長中学校の東約600mの下田川の近くに、お堂はあります。因みに、背後の高架は高知南国道路で、約2Km東が、高知龍馬空港ICになるがです。 今から三百十余年前、延宝五年十月に建立され「多宝坊観音堂」と名付けられた第四代藩主山内豊昌公母堂「善光院」の発願により土佐西国三十三番の霊場が開かれ第十三番となり「関の堂」と呼ばれ親しまれている厨子の正面に山内家家紋「三つ葉柏」がみられる...

  • 吉良神社(葛岡神社) - 長宗我部家継承問題で切腹させられた吉良左京進親実

    [ 高知県高知市山ノ端町 ]以前ご紹介した高知市山ノ端町にある若一王子宮の本殿西側に、吉良神社は鎮座しちょります。この吉良神社は、如何いてかは不明じゃけんど、本殿の方を向いちょります。若一王子宮 - 鎌倉時代に紀州の熊野大社から勧請されたと伝わる 2018-09-07御祭神は、吉良左京進親実と殉死した家臣たち。吉良親実 - 吉良神社は七人ミサキ伝説の吉良親実が御祭神 2015-08-26 元は吉良親実の屋敷があった場所とされ...

  • 池地退蔵旧邸 - 土佐勤王党178番目の血盟同志で戊辰戦争は迅衝隊に参加

    [ 高知県南国市上末松 ]ちょっと前に御紹介した 池知重利頌徳記念碑の傍にある写真の屋敷が、池知重利(池知退蔵)の旧邸のようです。池知重利(池知退蔵)は、土佐勤王党178番目の血盟同志であり、戊辰戦争じゃ板垣退助が編成した迅衝隊に参加しちょります。屋敷の北東隅にゃ、「藤地権現祠 池地家」の石柱が建っちょり、池地家の屋敷神じゃと思われます。 池知重利頌徳記念碑 - 撰は土方久元・書は田中光顕 2019-09-14 池知...

  • 島本為太郎- 戊辰戦争・会津若松戦で戦死

    [ 高知県高知市能茶山 ]詳細は不明じゃけんど、高知市鴨部出身で、御雇組。戊辰戦争にゃ土佐藩・鋭衝一番隊で会津に転戦し、明治元年8月23日会津若松で戦死。本墓は、現・福島県会津若松市大町にある西軍墓地に眠っちょり、土佐の墓は遺髪墓じゃと思います。会津若松西軍墓地 2 - 故郷遠き会津若松に眠る土佐藩兵49名 2015-10-26 [ 注意! ]■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・...

  • 中島興市郎生誕地 - 遠祖は長宗我部元親重臣・中島与市兵衛重勝

    [ 高知県土佐市新居 ]中島興市郎の墓所は以前に御紹介しちょりますが、今回は生誕地ながです。中島興市郎 - 国境まで脱藩するも足を痛め追っ手に囲まれ自  2016-12-15生誕地碑の建っちょります場所は、現在、畑になっちょります。贈従五位中島與一郎中島與一郎は土佐国高岡郡新居村の人にて、郷士格より進められて藩士と成る文久年間、尊攘の説盛んなるに常り、武市半平太に従ひ時事に奔走せしが、武市等獄に下りて、志士の勢大...

  • 穴地蔵 - 岩屋で弘法大師や性空上人も修行をしたとの伝説が残る

    [ 高知県土佐市谷地 ]以前御紹介しちょります、土佐市谷地にある法華寺跡の仁王門から道なりに800m程南の山の方に上った場所に、この穴地蔵さんが祀られちょります。谷地の木造金剛力士像と影向の杉 - どちらも県と市の指定文化財 2016-12-13 正式名称は「岩屋地蔵」という。岩窟の中に三体が鎮座し、中央が本尊である。藩政のころ、岩淵某という郷士が、法華寺へ石地蔵を奉納しようと持参したところ、「出来が悪い」と、住僧が...

  • 大法寺観音堂 - 奈良時代に比江国分寺の北東の鬼門封じとして建立

    [ 高知県香美市土佐山田町大法寺 ]大法寺集落の北、標高約360mの山腹にある大法寺観音堂と、右側には白山神社が鎮座しちょります。この大法寺観音堂の下の方に、以前ご紹介しちょります「伝・武田勝頼」と伝わる墓があるがです。 伝・武田勝頼墓 1 - 天目山の一戦に敗れ土佐に逃れて来たと伝承あり 2016-10-31 三間四面方形造の観音堂と、堂内の人物代の観音像を安置する厨子が建造物として指定されている。文化文政時代の特色...

  • 金岡城址 - 安芸氏滅亡後は夜須城主・吉田備後守重俊が支配

    [ 高知県安芸郡芸西村和食 ]金岡城址は、和食の 標高約40mの台地にあるがです。金岡城址金岡城は、南北朝が対立したとき、南朝方の大高坂松王丸らと共に北朝方と戦った、和食孫三郎の城であった。戦国時代まで和食郷一帯を和食氏が治めていたが、境を接する安芸氏との争いが繰り返されたのち、天文年間(1532-1555)のころには安芸氏の領地となった。永禄十二年(1569)に長宗我部の二千騎が金岡城に押し寄せ、城を守っていた安芸方...

  • 遍路石 - 第34番種間寺境内入口の中務茂兵衛 「弐百五十二度目」の遍路石

    [ 高知県高知市春野町・種間寺 ]四国霊場第34番札所・種間寺境内入口脇に、この遍路石は建てられちょります。右指差し(西) 種間寺へ三丁  左指差し(東) 雪渓寺へ一里余施主 福井県敦賀港 青池弥輔大正三年三月吉日立弐百五十二度目為供養敬立周防国大島郡椋野村住 願主 中務茂兵衛義教中務茂兵衛さん、四国巡礼252度目の時の遍路石ながです。MapFan地図へ...

  • 旧川口橋 - 昭和10年フランス積みレンガ化粧で架けられた国指定登録有形文化財

    [ 高知県吾川郡仁淀川町大崎 ]旧川口橋は、仁淀川河口から約60km上流の仁淀川と支流・土居川との合流点の土居川に架かる橋で、国指定登録有形文化財になっちょります。川口橋 (国指定登録有形文化財)昭和10年に作られた、橋の長さは69m、幅員5.4mの鉄筋コンクリートT桁橋である。昭和41年11月に隣接する新しい川口橋が仮設され、その主たる役割を終えている。幾何学的意匠の親柱、高欄、橋脚に施された精緻なフランス積みレン...

  • 公儀の井戸 - 野中兼山が水の乏しかった山田台地に掘った井戸

    [ 高知県香美市土佐山田町 ]井戸は2ヶ所あり、1ヶ所目は(写真は無いけんど)土佐山田駅前から南に1つ目の交差点にあり、現在は大きなマンホールで蓋をされちょります。2ヶ所目は、十字路から東に約250mほどの処にある土佐山田郵便局の近くの写真の井戸ながです。正保~万治年間(1644-1660)に、土佐藩家老・野中兼山が山田町を作ったけんど、なかなか住民が定着せんかった。原因は、台地じゃったため、用水が乏しく「水」が無か...

  • 影山の地蔵寺 - 土佐七福神霊場・寿老人を祀る

    [ 高知県香美市土佐山田町影山 ]県道22号龍河洞公園線のバス停・龍河洞温泉から約0.65Km上った道路傍に、地蔵堂はあります。高野山真言宗派の照影山 宇田寺で、通称・ 影山の地蔵寺と言うそうで、此処が土佐七福神の寿老人を祀る霊場になっちょります。地蔵寺の南にある標高223mの大峰山は、奈良県吉野郡天川村にある修験道の寺院・大峯山寺を勧請しちょるようで、此処も頂上付近に金剛蔵王権現を祀っちょるようですので、修験道...

  • 池知重利頌徳記念碑 - 撰は土方久元・書は田中光顕

    [ 高知県南国市上末松 ]池知重利とは、土佐勤王党血盟同志の一人、池知退蔵の事ながです。生家の近くに、頌徳記念碑が建てられちょります。撰文は土方久元(土方楠左衛門)、題字は田中光顕(浜田辰弥)。 池知退蔵 - 土佐勤王党に178番目に加盟 2017-07-23 田中光顕墓 - 中岡慎太郎亡き後の陸援隊を率いた一人 2010-11-24 土方久元邸跡 - 土佐勤王党に21番目に血盟 2013-09-09 MapFan地図へ ...

  • 春野神社 - 山田堰を築いた野中兼山を祭る神社

    [ 高知県香美市土佐山田町小田島 ]春野神社山田堰を築いた野中兼山を祭る神社である。文化3年(1806)に現・高知市春野町森山の春野神社の分霊を、堰をみおろすこの地に移し祭った。社殿右側の石は、山田堰が明治24年(1891)7月に災害をうけ復旧に際し、「水門と水越し」の高さ基準点として設けられたものである。昭和62年3月土佐山田町教育委員会【 参考・引用 】  説明板より 「野中兼山」に感謝して - 春野神社 2009-09-25...

  • 琴ヶ浜松原 - 野中兼山によって砂丘に植林し護られた松林

    [ 高知県安芸郡芸西村 ]琴ヶ浜松原は、東は安芸市赤野川河口から西は夜須と芸西村の境に近い辺りまでの、東西約4Km程の海岸と松林が続いちょります。因みに、写真は東端の安芸市赤野の自転車道休憩場辺りから撮影しちょります。日本の白砂青松100選琴ヶ浜の松原 (由来)かって、太平洋の海水と和食川とが対面して約1キロにわたる自然の砂丘を形成させた。この砂丘全体にわたって松の老木や若木が数多くあり、高知市以東では最...

  • 弘光明之助利条 - 土佐勤王党に173番目に加盟

    [ 高知県南国市前浜) ]墓石の周辺は、雑草に覆われ、イヌザンショウの仲間じゃろうか棘のある細長い枝に阻まれ、傍まで近寄る事が出来んかったけんど、弘光清水墓と刻まれちょります。清水は後年名乗った名で、元の名は明之助として土佐勤王党にゃ173番目に血盟同志になっちょります。村田忠三郎の兄・村田馬太郎(帰本)と国暇の許可を得ないまま、京都・摂津・九州の情勢を探索して追込の刑(刑罰の一つで、一定の部屋に閉じ...

  • 仁井田五社神社 - 佐川の勤王五士、勤王の大願成就の祈願をして脱藩

    [ 高知県越知町横畠東・堂ノ岡 ]以前ご紹介しました浅尾沈下橋の近くの、県道18号・伊野仁淀線の仁淀川に架かる鎌井田大橋を越知町方面に約2Kmほど行ったバス停「堂ノ岡」の近くに、仁井田五社神社が鎮座しちょります。 浅尾沈下橋 - 仁淀川河口から三番目に架かる沈下橋 2018-09-01 由緒は不明じゃけんど、神社名からして現・四万十町にある高岡神社(別名・仁井田五社)を勧請したがじゃと思いますき、御祭神は高岡神社と同じ...

  • 国指定史跡・谷重遠墓 - 土佐南学を再興し日本の「尊厳」を教えた

    [ 高知県香美市土佐山田町 ]谷重遠は、寛永3年(1663)長岡郡岡豊村の岡豊八幡宮(現・南国市)の神主・谷神兵衛重元、島崎氏の3男に生まれ、通称・丹三郎、名は重遠で、秦山は号ながです。谷家は代々岡豊八幡宮の神職を務めちょりますが、野中兼山によって郷士に起用されちょります。幼少より聴明じゃったそうで、17歳の時上京し、野中兼山らと親交のあった山崎闇斎や、その高弟・浅見絅斎に朱子学・神道・儒学を学んだ。また、同...

  • 野中神社(お婉堂) - お婉さんが父・野中兼山や一族、旧臣の霊を祀る

    [ 高知県香美市土佐山田町中組 ]父・野中兼山や一族、旧臣の霊を祀った野中神社で、娘のお婉さんが建てた事からお婉堂とも呼ばれちょります。お婉さんは、この神社の建立にあたり先祖伝来の物を人手に渡したり、貴重な品は谷泰山が江戸に行く時、江戸で売りさばいてもらったりして工面し、宝永5年(1708)須江の旧臣古槇家の土地(現在地)を譲り受け小さなお堂を建てたがです。野中神社(お婉堂)土佐藩家老野中兼山の死後、野中...

  • 香宗我部秀通 - 香宗我部家養子問題で兄・親秀と爭い自刃

    [ 高知県香南市野市町東野 ]永正7年(1510)に土佐国香美郡東南部の国人・香宗我部通長の次男として生まれる。兄は香宗我部右衛門尉親秀。大永6年(1526)、兄・親秀の嫡男である秀義が安芸氏との合戦で戦死したため、親秀の養子に迎えられて家督を継いだが、香宗我部氏は次第に衰退していき、親秀は自家の再興を図るために長宗我部国親の三男・親泰(長宗我部元親の弟)を養子に迎えて長宗我部と香宗我部の連合体制を作り上げよ...

  • 善福寺 - 土佐七福神霊場・福禄寿を祀る旧札所

    [ 高知県土佐市本村 ]高知道・土佐PAの北側を国道56号が走っちょりますが、そこから西に1.2Km程の処の道路左側に「カロト生花エビネ寒蘭店」があるがですが、善福寺はその道路反対側にあるがです。善福寺は、土佐七福神霊場の福禄寿を祀る旧札所じゃったがです。福禄寿は「幸福」の福、「身分」を表す禄、「寿命」を表わす寿の三文字からなり、長寿の神さんで、阿弥陀堂に安置されちゅう御本尊の阿弥陀さんの左脇に安置されちょ...

  • 土佐十景・手結の碑 - 野中兼山の掘った手結内港銚子口先端に建つ

    [ 高知県香南市夜須町手結 ]土佐十景・手結の碑は、 承応2年(1653)に土佐藩家老・野中兼山が完成させた、わが国初の「堀り込み港」 手結内港の出口南の銚子口の先端に建てられちょります。手結港可動橋がある南側の一段下がった外側にありますき、車からはちっくと判らんかと・・・・・。昭和3年(1928)に建てられた碑の裏にゃ、下記の様に刻まれちょります。短歌 濱田春恵作地名 前田俊泰書篆額 和歌 脇字 田内道太郎書 土...

  • 徳弘土居城 - 城主・徳弘三郎左衛門は菅原道真の家系の一族

    [ 高知県南国市立田 ]土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の立田駅の直ぐ北側に、人工的に盛土されたような塁状地形があり、その上に祠がお祀りされちょりますが、ここが徳弘土居城の城八幡ながです。『南路志』にゃ、「城主・徳弘氏は菅原道真の左遷に連座して延喜年間(901-923)に立田庄に来て、戦国時代にゃ楠目城城主・山田氏に仕え、山田氏滅亡後は長宗我部氏に仕えた」とある。また、『高知県南国市中世城館跡』にゃ徳弘氏は...

  • 大平弾正光圀 - 元弘の乱で土佐に配流された尊良親王を守護

    [ 高知県高岡郡佐川町本郷耕 ]大平弾正光圀は、土佐南朝方の武将で、第4代・蓮池城主・大平敏国の弟になる。元弘の乱で、鎌倉幕府に敗れた父・後醍醐天皇は隠岐の島に配流され、第一皇子・尊良親王は土佐国幡多に配流されたとき、有井庄司らと親王を守護し尽くす。蓮池城 - 蓮池氏から長宗我部氏まで約430年幾多もの興亡を繰り返す佐川町・刊の『わが町の文化財と旧跡』にゃ下記の様に記されちょります。大平弾正光圀は、鎌倉か...

  • 会津若松・自在寺「西軍 戦死者墓」 - 土佐藩所縁の2名が眠る  

    [ 福島県会津若松市相生町 ]会津若松の自在寺にある、「西軍 戦死者墓」と刻まれた墓に、如何やら土佐藩所縁の2名が眠っちょります。『志士は今も生きている その墓所をたずねて』によると、土佐藩の墳墓簿には会津若松の自在院に土佐藩2名の二人墓の記載があるけんど、その後の墓地の大整理等によって見つけることが出来んかったと記載されちょります。墳墓簿には土佐夫卒二人墓慶応四戊辰八月二十三日 忠兵衛打入ノ節戦死慶...

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