南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡
波川玄番城跡 - 波川玄蕃清宗は長宗我部元親の妹を妻にし元親とは義兄弟
[ 高知県吾川郡いの町波川 ]場所は高知市の西隣、いの町にあるがです。写真は、仁淀川右岸から見た、波川玄蕃城址で、城主は波川玄蕃清宗は、元亀2年(1571)頃、長宗我部元親の高岡侵攻に当たり降伏し、元親の妹(のちの養甫尼)を妻とし長宗我部氏の一族となるが、天正8年(1580)に謀反が露見し、清宗は剃髪し阿波国海部へ逃れたけんど、自刃に追い込まれたがです。波川小研城(編年紀事略)、葛木城とも言う。いの町内を抜け、...
不破重正 - 山内一豊の妻・見性院とは叔父・姪とも・・・・・
[ 高知県高知市中高見 ]不破重正夫妻の墓碑。弘治2年(1556)、美濃国不破に不破重則の子に生まれる。先祖は、南北朝の騒乱の際、楠木正成も戦かった宇都宮氏とも・・・・・。 不破重正は、幼くして父母兄弟を亡くし孤児となり、竹中重治(竹中半兵衛)に養われた。、竹中重治(竹中半兵衛)は、初め斎藤龍興(祖父は斎藤道三)に仕えていたから、不破重正の父・不破重則も斎藤龍興の家臣だったのではないかと・・・・・・。天正5...
沖の土居城館跡 - 『長宗我部地検帳』によれば廣井三郎衛門尉の給地
[ 高知県南国市久礼田字沖ノ土居 ]久礼田小学校の東≒200mの高知県道31号前浜植野線沿いにある「沖ノ土居」バス停より、南に≒200mの場所に、この石碑があるがです。築城年代等は不明じゃけんど、『高知県南国市中世城館跡』にゃ、「長宗我部地検帳によれば,廣井三郎衛門尉の給地であり,廣井神内の和地となっている。廣井三郎衛門尉は,久礼田に多くの給地をもっている。」と記されちょります。また、土居北端部と推考される地点...
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