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オンチャンさんのプロフィール

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高知県
出身
高知県

記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡

ブログタイトル
南国土佐へ来てみいや
ブログURL
http://nangokutosa.blog47.fc2.com/
ブログ紹介文
南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
更新頻度(1年)

45回 / 365日(平均0.9回/週)

ブログ村参加:2008/03/12

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オンチャンさんの新着記事

1件〜30件

  • 寺村成雄 - 妻は板垣退助の姉、娘は山田平左衛門の妻、兄は寺村左膳の養父 

    [ 高知県高知市筆山 ]土佐寺村氏は、山内一豊が掛川入封時は中老職400石を務め、土佐国入封時に家老格で4,400石を給されちょった寺村重友を初代・土佐寺村氏とするがですが、幕末期の子孫に寺村成雄がおる。維新後にゃ、土佐寺村氏のうちの2家が本姓の藤原北家日野に復姓しちょりますが、本家の寺村成雄は「日野軍馬」を名乗るがです。ただ、経歴詳細等は不明ですけんど、妻にしたがは乾栄六正成の三女で板垣退助の姉になる勝子...

  • 安楽寺城址 - 源希義の末裔・久万氏や元親家臣・久武肥後守昌源の城になる

    [ 高知県⾼知市久万 ]高知城の北北西約1,7km、東久万・中久万・西久万の境にある標高約713mの山が、安楽寺城址ながで、西久万側の中腹や麓にゃ、谷干城や、坂本龍馬の祖母の実家井上家の墓や、土佐藩家老・福岡家の墓があるがです。宮地森城・著の『土佐國古城略史 全』にゃ、下記の様にある。土佐冠者希義の子、吉良八良十代の孫、吉良八郎俊国の二男、次郎高俊土佐国土佐郡久万を領す。高俊五代の孫・久万豊後俊宗の城主となり...

  • 志の龍馬像 - JR土讃線の観光列車運行に合わせ駅名に新愛称と像が建つ

    [ 高知県⾼知市入明町 ]JR土讃線の高知から窪川間に、「志国土佐 時代の夜明けのものがたり」と言う観光列車が運行されるのに合わせて、入明駅に新たに「志の龍馬駅」と言う愛称が追加され、それを記念して写真の「志の龍馬」なる像が、また一つ建てられました。 像は、高知県の観光キャンペーン「リョウマの休日」のイラストがモチーフになっちょります。台座を含めて⾼さは約3mで、FRP(繊維強化プラスチック)製。 写真を...

  • 天質 - 南村梅軒から受け継いだ朱子学を谷時中に伝えた南学の祖

    [ 高知県高知市長浜 ]四国八十八箇所霊場第三十三番札・雪蹊寺の西側にある雪蹊寺歴代住職の墓所に、天質の墓があるがです。 雪蹊寺歴代住職の墓 『中央 無縫塔 天質』 宗安寺恕渕、吸江寺忍性と共に南学の三叟と言われました。瀬戸真乗寺の谷時中にその学統を伝え、土佐南学の基となし長浜文学の遺芳を伝えました。元和九癸亥年(1623)十月十七日寂。【 参考・引用 】 説明板より 雪蹊寺 - 四国霊場第三十三番札所 2008-1...

  • 戸板島地蔵 - 天明の大飢饉と大洪水に苦しめられた農民の窮状を救うため

    [ 高知県香南市野市戸板島 ]物部川に架かる戸板島橋の下流約230mの左岸(香南市側)堤防下の河川敷に、この地蔵堂はあるがです。写真左側の石柱にゃ、下記の様にある。正面・霊験地蔵右面・八王山蓮光院左面・高天原通称・戸板島地蔵と呼ばれちょりますが、八王山蓮光院と言う地蔵堂のようですが、「左面・高天原」の意味は判りませんが。因みに、高知市大津にある「高天ヶ原」と何ぞ関係があるがじゃろーか?・・・・・ 地蔵尊...

  • 森田筆之丞・五右衛門兄弟の墓 - 中濱万次郎(ジョン万次郎)たちと漂流

    [ 高知県土佐市宇佐町萩谷  ]場所は、土佐市の方から、現在は国史跡指定のお遍路道「土佐遍路道 青龍寺道(塚地坂)」に指定されちょります、塚地峠を超えて萩谷川沿いに宇佐の方に降りて来ると、以前ご紹介しちょります、安政地震津波の碑近くになるがです。安政地震・津波の碑 - 津波の被害を後世に伝える貴重な石碑 2014-07-07 塚地峠 - 35番清瀧寺から36番青龍寺への昔の遍路道 2011-10-28 筆之丞兄弟と万次郎らの漂流宇...

  • 巻の渕 - 幼少期の中岡慎太郎が飛び込んだ断崖と摩崖仏

    [ 高知県安芸郡北川村  ]県道493号線から慎太郎橋を渡って「中岡慎太郎館」へ行くとわからんけんど、慎太郎館のある山側の村道東岸線から「中岡慎太郎館」に向かうと約450m手前に、この「巻の渕展望所」があるがです。巻の渕展望所慎太郎幼少時の夏、数名の友人と巻の渕へ泳ぎに行った時のこと。底が見えない渕は青々として、そのうえに常に大きな渦が巻いているので人々からその渕には入ってはいけないと言われている場所でした...

  • 富家の七角屋敷 - 足利尊氏より五代を経た一族が流浪し此の地に居を構えていた

    [ 高知県香南市野市町兎田  ]昭和59年の『野市の史跡』の中に「富家の七角屋敷」という史跡の紹介が載っちょりまして、ちょっと気になって探して見たがです。七角屋敷は、野市町本村の東南端にあって、幅2mの竹林に囲まれ、その内部に屋敷跡と思われる約50アールの土地が七か所に分かれて現存する。竹林の内部は二重堀が造られていたと伝えられ、現在も一部の堀跡が名残をとどめている。足利尊氏より五代を経た氏家の一族が流浪...

  • 大乗山観音寺正壽院 - 土佐西国三十三観音霊場第15番

    [ 高知県南国市里改田野尻  ]南国市の県道45号線沿いにある南国流通団地の西北、琴平神社(金毘羅神社)の北側の山裾に大乗山観音寺正壽院があるがです。地図では「里の堂」とある。階段を登って行くと鳥居があり扁額にゃ「厄抜聖観音」と「金毘羅大権現」と記名されちょります。御本尊は聖観音で厄除けに御利益があると言う事で、「厄抜聖観音」と呼ばれちょるようです。「金毘羅大権現」とあるのは、琴平神社(金毘羅神社)の...

  • 森田久右衛門 - 山崎平内と共に土佐尾戸焼窯の基礎を築く

    [ 高知県高知市鴨部能茶山 ]森田久右衛門は山崎平内と共に、土佐に招かれた大坂(大阪)の陶工・久野正伯の弟子になり、土佐尾戸焼窯の基礎を築いちょります。元の墓は、三ノ丸山一帯の開発により、能茶山の方に改葬されちょります。山崎平内 - 土佐尾戸焼の租の一人 2011-12-06森田久右衛門は名は光久と言い、寛永18年(1641)に生まれちょります。先祖は近江の佐々木氏じゃそうで、佐々木光頼が天文年間(1532~55)に戦乱を避け...

  • 首切り地蔵 - 伝承じゃと山田氏一族・山田監物長秀の墓があった場所とか

    [ 高知県香美市土佐山田町栄町 ]撮り貯めた写真からのネタです。絶版になっちょった市原麟一郎・著『山田・南国伝説散歩』を手に入れ、見寄ったら記憶にあるお地蔵さんが「首切り地蔵」として掲載されちょり、子細が分かった次第ながです。首切り地蔵(抜粋)ここは談議所城主で、長宗我部国親の軍勢と戦って破れた山田監物の墓のあったところだという。【 参考・引用 】  土佐伝説散歩シリーズ5 『山田・南国伝説散歩』 市...

  • 勝海舟夫妻の墓 - 千束周辺の風光を愛し遺言により此処に眠る

    [ 東京都大田区南千束 洗足池公園内 ]勝海舟(1823年から1899年)は、官軍のおかれた池上本門寺に赴く途中、洗足池畔に憩い、風景にうたれ、その縁でここに別荘を構えました。後に海舟の遺言で、屋敷裏の台地に葬られたと伝えられます。妻である民子の墓は、後に青山墓地から移設されました ...【 参考・引用 】  大田区ホームページ:勝海舟夫妻の墓 大田区文化財 勝海舟夫妻の墓勝海舟、諱は義邦、初め麟太郎、後に安房...

  • 一夜建立の岩屋 - 四国八十八ヶ所第24番札所・最御崎寺奥の院

    [ 高知県室戸市室戸岬町 ]現在は、室戸スカイラインを登って行ったら、第24番札所・ 最御崎寺に行けますけんど、本来は、徳島の方から来て、此処から遍路道を登って行くと仁王門に辿り付くがです。一夜建立の岩屋は、その遍路道の登り口傍にあるがです。 一夜建立の岩屋空海(弘法大師)が一夜で建立したと伝えられる岩屋で、現在、最御崎寺の奥の院。寺伝では、空海が唐からお持ち帰りになった石像が安置されていた場所。明治初...

  • 国澤将監神社 - はりまや橋の近くにあったとされる国澤城城主・國澤将監か

    [ 高知県土佐市宇佐町井ノ尻 ]この国澤将監神社は、宇佐の宇佐大橋を渡った井尻大師堂の直ぐ左脇に鎮座しちょります。 以前ご紹介しちょります、高知市内のはりまや橋の近くにあったとされる国澤城城主が國澤将監。 国澤城跡 - 城主・国澤将監は元は本山氏の配下の将 2014-07-21 土佐の戦国時代にゃ、国沢将監能明は本山氏の配下じゃったけんど、永禄3年(1560)の長浜戸の本の戦い以降本山茂辰の大敗が続き本山氏が本山に撤退...

  • 酒井豊吉 - 野中兼山弾効に組し、失脚させた一人

    [ 高知県高知市筆山 ]山内豊吉とも言うが、本名は酒井、山内は賜った姓ながです。慶長15年(1610)、酒井吉佐の子に生まれ、寛永9年(1632)父の跡を継ぎ中老分となり、寛永12年(1635)に野中直継(野中兼山の義父)の仲人で、佐川・深尾重昌の娘・亀を妻としちょります。慶安2年(1649)の兵制改革にあたり、家老職に引き上げられる。寛文3年(1663)、義父・佐川深尾重昌とその子・重照との連盟による野中兼山の弾効文を土佐藩第3代藩主...

  • 高知城百景 - 第57景 磐上神社(薫的大和尚之墓所)から見た高知城

    [ 高知県高知市三ノ丸 ]薫的和尚が最初に埋葬されたと言う、三ノ丸山の北側にある磐上神社(薫的大和尚之墓所)から見た高知城ながです。標高は約22m、此処から高知城天守閣までは直線距離で約1.3Kmです。磐上神社 - 薫的和尚が最初に埋葬された地 2015-09-14 薫的神社 - 薫的和尚 2010-05-20...

  • 八幡観音堂 - 土佐西国三十三観音霊場の番外寺

    [ 高知県南国市岡豊町  ]此処は、案内表示もないき、ちょっと判りにくいけんど、旧国道32号線沿いにある岡豊郵便局の北側の山の中にあるがです。登って行くと、途中に猿田彦神社がありその上に、お堂が建っちょります。お堂は、棟続きに左右二つあり、向かって右が聖観音堂、左がになっちょり、番外・聖観音菩薩が祀られちょる「八幡観音堂」は右側のお堂の様です。因みに、左の馬頭観音堂の馬頭観音菩薩は不心得者に盗まれてし...

  • 神明宮 - 伊勢神宮の遥拝殿として寛永八年(1631)加藤六兵衛が勧請

    [ 高知県高知市はりまや町3丁目  ]この神明宮さんは、高知八幡宮の直ぐ東隣に鎮座しちょります。高知八幡宮 - 元は高知城の城八幡 2011-08-15 神明宮は、神明社・神明宮・皇大神社・天祖神社等の呼び名があり、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)を主祭神とする伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社ながです。 因みに、一般に伊勢神宮と言うけんど、正式名称は地名も冠しない「神宮」ながでして、天照坐皇大御神...

  • 黒岩城址 - 戦国時代、高吾北地方最大の城下町が形成されちょった

    [ 高知県高岡郡四万十町本町  ]仁淀川の支流・柳瀬川が流れる黒岩地区の、柳瀬川の北岸の行司ヶ岳の南麓の階段段丘に位置しちょります。現在は城山公園になっちょり、写真に写る石垣の一部に、当時の石塁が残っちょるそうです。築城時期は不明じゃけんど、宮地森城の『土佐国古城略史 全』にゃ、「『土佐州郡史』曰く、片岡上総介所築」とある。室町時代に片岡直綱が土佐に下向したと伝えられちょる片岡上総介直綱がの事かと・...

  • 恵良沼古戦場跡 - 津野少輔元實ら一族・雑兵多数討死し沼の藻屑と消える

    [ 高知県土佐市岩戸 ]此処も、探した切っ掛けは、土佐の郷土史家・寺石正路先生の『土佐史跡巡遊』を読んで、大正15年以前まで存在しちょったなら、もしや、今でもあるろーと思い探して見たがです。第二十 高郡南部史跡 其五 恵良沼・・・・・かくて再び城山の西北麓に出で棒奔叢生の中に當日(当日)の戦ひに陣死せし敵将津野元實を吊祭せりといへる一小祠を見たが木太刀など若干供えへてあった元實恵良沼の戦死は實に(じつ...

  • 高知城・北曲輪跡周辺 - お城の北側で乳牛が飼われちょった

    [ 高知県高知市丸ノ内  ]写真は高知城の北側にある高知城・北曲輪跡でして、東の方角にある高知県警察本部方向を撮影した写真ながです。此処、高知城北曲輪は、藩政期にゃ作事場・米蔵・武器庫等があった場所ながでして、平成21年に整備され国指定史跡・高知城に追加指定されちょります。 今回のお話は、此の北曲輪跡の話じゃのうて、「高知の酪農乳業の歴史は、此の周辺から始まった」と言うたら、信じられんろー。始まりは、偶...

  • 谷干城生誕地 - 後藤象二郎や坂本龍馬と交わり倒幕の志を

    [ 高知県高岡郡四万十町本町  ]住所は四万十町本町になるけんど、2006年3月20日の合併前の町名・窪川町と言うた方が分かりやすいですろ。この写真を撮った頃は、ショッピングセンター「days」じゃったけんど、今年の春頃、新たにドラッグストア「mac」生まれ変わっちょるようですが、その隣接する北東隅に鎮座しちょります恵比寿神社の祠の脇に自然石の谷干城生誕地碑があるがです。 此の地で谷干城が誕生したがは天保8年(1837...

  • 若一王子宮 - 奇祭「お烏喰御膳上げ」や池田親王と平教経所縁の品が

    [ 高知県香南市香我美町徳王子 ]若一王子宮は、香宗川の上流左岸の徳王子に鎮座しちょります。 香南市指定文化財若一王子宮付近八ヶ村の総鎮守であり、古くから大忍庄のシンボルである。祭神は天照大神。鎌倉時代に村上永源上人が紀州熊野から十一面観音のお厨子を背負って来たと伝えられている。熊野新宮の別院で、十三町の神領を持ち、脇の坊が十二あったといわれている。岸本と結ぶ八丁道は、長宗我部元親が神幸道として寄進...

  • 多宝坊観音堂 - 土佐西国三十三観音霊場第13番

    [ 高知県南国市大埇乙 ]南国市の香長中学校の東約600mの下田川の近くに、お堂はあります。因みに、背後の高架は高知南国道路で、約2Km東が、高知龍馬空港ICになるがです。 今から三百十余年前、延宝五年十月に建立され「多宝坊観音堂」と名付けられた第四代藩主山内豊昌公母堂「善光院」の発願により土佐西国三十三番の霊場が開かれ第十三番となり「関の堂」と呼ばれ親しまれている厨子の正面に山内家家紋「三つ葉柏」がみられる...

  • 吉良神社(葛岡神社) - 長宗我部家継承問題で切腹させられた吉良左京進親実

    [ 高知県高知市山ノ端町 ]以前ご紹介した高知市山ノ端町にある若一王子宮の本殿西側に、吉良神社は鎮座しちょります。この吉良神社は、如何いてかは不明じゃけんど、本殿の方を向いちょります。若一王子宮 - 鎌倉時代に紀州の熊野大社から勧請されたと伝わる 2018-09-07御祭神は、吉良左京進親実と殉死した家臣たち。吉良親実 - 吉良神社は七人ミサキ伝説の吉良親実が御祭神 2015-08-26 元は吉良親実の屋敷があった場所とされ...

  • 池地退蔵旧邸 - 土佐勤王党178番目の血盟同志で戊辰戦争は迅衝隊に参加

    [ 高知県南国市上末松 ]ちょっと前に御紹介した 池知重利頌徳記念碑の傍にある写真の屋敷が、池知重利(池知退蔵)の旧邸のようです。池知重利(池知退蔵)は、土佐勤王党178番目の血盟同志であり、戊辰戦争じゃ板垣退助が編成した迅衝隊に参加しちょります。屋敷の北東隅にゃ、「藤地権現祠 池地家」の石柱が建っちょり、池地家の屋敷神じゃと思われます。 池知重利頌徳記念碑 - 撰は土方久元・書は田中光顕 2019-09-14 池知...

  • 島本為太郎- 戊辰戦争・会津若松戦で戦死

    [ 高知県高知市能茶山 ]詳細は不明じゃけんど、高知市鴨部出身で、御雇組。戊辰戦争にゃ土佐藩・鋭衝一番隊で会津に転戦し、明治元年8月23日会津若松で戦死。本墓は、現・福島県会津若松市大町にある西軍墓地に眠っちょり、土佐の墓は遺髪墓じゃと思います。会津若松西軍墓地 2 - 故郷遠き会津若松に眠る土佐藩兵49名 2015-10-26 [ 注意! ]■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・...

  • 中島興市郎生誕地 - 遠祖は長宗我部元親重臣・中島与市兵衛重勝

    [ 高知県土佐市新居 ]中島興市郎の墓所は以前に御紹介しちょりますが、今回は生誕地ながです。中島興市郎 - 国境まで脱藩するも足を痛め追っ手に囲まれ自  2016-12-15生誕地碑の建っちょります場所は、現在、畑になっちょります。贈従五位中島與一郎中島與一郎は土佐国高岡郡新居村の人にて、郷士格より進められて藩士と成る文久年間、尊攘の説盛んなるに常り、武市半平太に従ひ時事に奔走せしが、武市等獄に下りて、志士の勢大...

  • 穴地蔵 - 岩屋で弘法大師や性空上人も修行をしたとの伝説が残る

    [ 高知県土佐市谷地 ]以前御紹介しちょります、土佐市谷地にある法華寺跡の仁王門から道なりに800m程南の山の方に上った場所に、この穴地蔵さんが祀られちょります。谷地の木造金剛力士像と影向の杉 - どちらも県と市の指定文化財 2016-12-13 正式名称は「岩屋地蔵」という。岩窟の中に三体が鎮座し、中央が本尊である。藩政のころ、岩淵某という郷士が、法華寺へ石地蔵を奉納しようと持参したところ、「出来が悪い」と、住僧が...

  • 大法寺観音堂 - 奈良時代に比江国分寺の北東の鬼門封じとして建立

    [ 高知県香美市土佐山田町大法寺 ]大法寺集落の北、標高約360mの山腹にある大法寺観音堂と、右側には白山神社が鎮座しちょります。この大法寺観音堂の下の方に、以前ご紹介しちょります「伝・武田勝頼」と伝わる墓があるがです。 伝・武田勝頼墓 1 - 天目山の一戦に敗れ土佐に逃れて来たと伝承あり 2016-10-31 三間四面方形造の観音堂と、堂内の人物代の観音像を安置する厨子が建造物として指定されている。文化文政時代の特色...

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