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オンチャンさんのプロフィール

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高知県
出身
高知県

記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡

ブログタイトル
南国土佐へ来てみいや
ブログURL
http://nangokutosa.blog47.fc2.com/
ブログ紹介文
南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
更新頻度(1年)

30回 / 365日(平均0.6回/週)

ブログ村参加:2008/03/12

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オンチャンさんの新着記事

1件〜30件

  • 伝 ・氷上志計志麻呂供養塔 - 称徳天皇が天皇に道鏡を擁立するのに邪魔だった天武系皇子

    [ 高知県須崎市野見 ]生前、良く母が野見の実家のあった上の山に「古墳がある」と言いよったがですが、高知に居った頃、何じゃろーと思うて探しに行って見ると標高60-70m程の山の上に祠があり、中に五輪の塔があったがです。調べてみると奈良時代 (769)に、土佐に配流になった氷上志計志麻呂の供養塔と言われちょります。祠の南側の尾根の部分に、石を積み囲んだ数基の墳墓らしきものが並んじょり、多分、これが母の言いよった古...

  • 野中兼山先生頌徳碑 - 昭和15年(1940)鎌田堰築造事業所遺跡地に建てられた碑

    [ 高知県土佐市高岡町丁乙 ]土佐市の松尾八幡宮から参道を南に≒560 m下った、(鎌田)西井筋用水路の右岸側にあるビニールハウス傍に建てられちょります。石碑の上部にゃ「紀元二千六百年」とあり、「野中兼山先生 頌徳碑 鎌田堰築造事業所遺跡地」と刻まれちょります。建立されたのは、紀元二千六百年とありますき、昭和15年(1940)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事の一環として建てられたのかと・・・・...

  • 度賀野又太郎入道居城址 - 吉野朝の忠臣で大高坂城の攻防戦等に参戦

    [ 高知県高岡郡佐川町東組 ]佐川町斗賀野盆地の国道494号と県道308号線・本郷斗賀野停車場線が交わる辺りに、丸山公園 と呼ばれるコンマイ(小さい)丘があるがです。春ともなれば、沢山あるわけじゃないけんど、桜も咲いて綺麗な場所ながです。 南北朝時代にゃ、この度賀野庄の在地領主は度賀野氏で、南朝方に味方し活躍したがです。この丸山公園に居城があったかは定かじゃないようですけんど、この丸山の上に、「度賀野又太...

  • 波川玄番城跡 - 波川玄蕃清宗は長宗我部元親の妹を妻にし元親とは義兄弟

    [ 高知県吾川郡いの町波川 ]場所は高知市の西隣、いの町にあるがです。写真は、仁淀川右岸から見た、波川玄蕃城址で、城主は波川玄蕃清宗は、元亀2年(1571)頃、長宗我部元親の高岡侵攻に当たり降伏し、元親の妹(のちの養甫尼)を妻とし長宗我部氏の一族となるが、天正8年(1580)に謀反が露見し、清宗は剃髪し阿波国海部へ逃れたけんど、自刃に追い込まれたがです。波川小研城(編年紀事略)、葛木城とも言う。いの町内を抜け、...

  • 不破重正 - 山内一豊の妻・見性院とは叔父・姪とも・・・・・

    [ 高知県高知市中高見 ]不破重正夫妻の墓碑。弘治2年(1556)、美濃国不破に不破重則の子に生まれる。先祖は、南北朝の騒乱の際、楠木正成も戦かった宇都宮氏とも・・・・・。 不破重正は、幼くして父母兄弟を亡くし孤児となり、竹中重治(竹中半兵衛)に養われた。、竹中重治(竹中半兵衛)は、初め斎藤龍興(祖父は斎藤道三)に仕えていたから、不破重正の父・不破重則も斎藤龍興の家臣だったのではないかと・・・・・・。天正5...

  • 沖の土居城館跡 - 『長宗我部地検帳』によれば廣井三郎衛門尉の給地

    [ 高知県南国市久礼田字沖ノ土居 ]久礼田小学校の東≒200mの高知県道31号前浜植野線沿いにある「沖ノ土居」バス停より、南に≒200mの場所に、この石碑があるがです。築城年代等は不明じゃけんど、『高知県南国市中世城館跡』にゃ、「長宗我部地検帳によれば,廣井三郎衛門尉の給地であり,廣井神内の和地となっている。廣井三郎衛門尉は,久礼田に多くの給地をもっている。」と記されちょります。また、土居北端部と推考される地点...

  • 極楽寺 - 四国三十六不動霊場・第15番札所

    [ 高知県安芸市赤野甲 ]場所は、以前御紹介した矢流古戦場の碑のあるレストラン矢流海側で、サイクリングロードを挟んだ断崖の上に祀られちょります。真言宗醍醐派のお寺さんで、八流山極楽寺と言うがです。御本尊は波切不動明王さんで、不動明王を手助けするの三十六童子は師子慧童子じゃとか。 因みに、三十六童子とは、その名を唱えれば悪霊は退散し、崇拝する者を守護し、長寿をもたらすとされると言われちょります。 極楽...

  • 行川神社 - 坂本龍馬にも影響を与えた河田小龍の絵馬があった

    [ 高知県高知市行川 ]高知市内を流れる鏡川の上流部に架かる大河内橋(標高約17m)を対岸に渡り、領家方面に山道を上って行くと、行川集落があり、そこに行川神社(標高約126m)が鎮座しちょります。行川神社の由緒や御祭神は不明ですが、今回は、拝殿の中にある絵馬のお話ながです。 拝殿の格子の隙間から中を覗くと、正面に二枚の絵馬か架かっちょりました。 左側は、「スサノオ命のオロチ退治」かと。 右は「天岩戸」のようなが...

  • 勝賀野次郎兵衛実信 - 吉良左京進親実の忠臣で、元親の刺客と壮絶な死闘 

    [ 高知県土佐市蓮池芋岡 ]この墓は、吉良左京進親実の居城じゃった蓮池城址の東方約500mの小丘にあるがです。比較的真新しい墓石は、昭和二十九年に建てられちょり、多分、右脇にある小さな石が元の供養塔じゃったがじゃないかと思うがですが、墓石の碑文にゃ、「天正十六年(1588)九月没」とある。勝賀野次郎兵衛実信は、高岡郡仁井田庄宮ノ谷(窪川町)を本拠とする勝賀野一族の出で、吉良左京進親実の家臣じゃった。【 参考...

  • 高知城追手門番所の怪異 - 伝承には堺殉難烈士・横田辰五郎に纏わるとか・・・

    [ 高知県高知市丸ノ内 ]全国にゃ、沢山のお城や古城が存在し、数々の伝説や怪奇譚が伝承されちょりますが、高知城にもあるようです。城内番所の怪異今は昔、藩政中高知城追手門内外に上下二番所あり 下番所は足軽二名ずつ相詰上番所(門内西北に在り)には馬廻の士、晝夜二三名交代を以て相詰 暮六時出勤、明六時退出にて若等一人鑓持一人を召具す 右上番所の上の間には、其の番衆の士が相詰め、次の間には其の組頭の家僕のみ...

  • 小川保馬 - 東洋暗殺犯探索中の井上佐市郎殺害関与と、近藤勇捕縛に関わるとも

    [ 高知県安芸郡芸西村和食甲 ]光平屋敷とその一族和食下中地区に光平屋敷と呼ばれている所がある。そこは剣豪として聞こえた尾川為十郎の生家で、為十郎は尾川姓を受け継ぎ五百人方となり、藩主の供をして江戸に出て武芸を学んだ。特に柔術が得意で、その門弟は清岡治之助(二十三士副隊長)を始め千人に及んだと言う。為十郎の長男・平川光伸は下横目付を務めていた。京都在勤中、吉田東洋暗殺犯人を探索中の同職、井上佐市郎を...

  • 箕越の猫神社 - お寺の悪戯猫が可愛がってくれた和尚さんに恩返し

    [ 高知県須崎市多ノ郷甲・蓑越地区 ]須崎市の向山の東の端の蓑越地区に、猫を祀る猫神社と言う小さな祠があるがです。神社名は、そのものズバリのユニークなネーミングの猫神社で、伝説が残っちょります。『須崎市の昔話』から、二題、御紹介します。 箕越の猫神社昔、吾川郡名野川と言う村の某寺で猫を飼いよったと。飼猫は年を取るにつれて赤毛の大猫になった。この猫は、毎晩和尚さんの衣を着て、小僧に化けて川原に出て他の...

  • 毛利久八吉次 - 祖父は備前小倉城主・毛利壱岐守吉成の弟・豊前巌石城主・出羽守吉雄

    [ 高知県高知市本町五丁目 ]毛利久八吉次 の父は,、豊前小倉城主・毛利壱岐守吉成の弟で豊前巌石城主・出羽守吉雄の子・出羽守吉勝といい、父は慶長8年十二月二十二日筑前若松で亡くなっちゅう。加藤清正に三百石で抱えられ、熊本藩第2代藩主・加藤忠広にも仕えるけんど、寛永9年(1632)5月22日に藩主・加藤忠広が江戸参府途上、品川宿で入府を止められ、池上本門寺にて上使・稲葉正勝より改易の沙汰を受けるがです。寛永10年(1...

  • 国澤城跡 - 城主・国澤将監は元は本山氏の配下の将

    [ 高知県高知市堺町辺り ]土佐の戦国時代、現在のはりまや橋交差点の南西方向の一角に、国澤将監が城主じゃった国澤城があったとされちょりますが、現在、当時の面影を残すものはなんちゃー残っちょりません。当時のこの辺りは鏡川の湿地帯じゃった場所で、僅かに盛り上がった中州のような場所に、城と言うより砦のような構えじゃったと思われるがです。城主・国澤将監は本山氏の幕下の将也。・・・・・永禄3年(1560)元親、潮...

  • 姫倉城跡 - 築城に関わる伝承に「姫倉化粧の清水」の話が

    [ 高知県香南市香我美町岸本 ]赤岡漁港近くの堤防から、東に約2.3Km先に見える姫倉城址(月見山)ながです。 戦国時代は安芸氏の勢力下で、安芸氏の武将・姫倉豊前守と姫倉右京の居城で、現在の香我美町と夜須町の境を南北に連なる尾根の南の端の、月見山の標高約68mの山頂部に築かれちょります。  築城時期は不祥じゃけんど、「姫倉化粧の清水跡」と言う伝承に城を築いたとある。辰の口にあったようじゃけんど、今は埋め立てら...

  • 葛木咩神社旧社地 - 延喜式社・土佐之國二十一座の一社・葛木咩神社に比定

    [ 高知県高知市布師田 ]此処は、国分川の左岸にあり、高知市布師田と南国市との境近くになる。直ぐ東側に岡豊高校があるけんど、周囲は水田に囲まれ、こんもりと雑木や雑草が茂るのみ。両側が水田になっちょる参道にゃ、狛犬や鳥居に架かっちょった扁額が残るのみで何もないけんど、此処が葛木咩神社のあった旧社地ながです。昭和47年に国分川右岸にある葛木男神社に合祀されちょります。 葛木男神社 - 御祭神の葛木男と葛木咩っ...

  • 西久保神社 - 伝・御祭神は本山梅渓の父・本山左近将監の子某

    [ 高知県高知市円行寺宮ノ上 ]円行寺から柴巻に上って行く途中の宮の上辺りで、鳥居を見つけたので、ちっくと行って見る事にしたがです。丁度、5月の連休明け位じゃったと思うがですが、蛇(マムシ)が怖かったけんど草茫々の山道を上って行くと、こんまい小屋のような建物があったがです。扁額にゃ、西久保神社とあった。 建物も、しめ縄も綺麗ですき、今でもちゃんと管理されちょる、お宮さんのようじゃけんど、由緒等は不明じ...

  • 船岡堂 - 四国八十八ヶ所第三十二番・五台山金色院竹林寺・奥ノ院

    [ 高知県高知市五台山 ]五台山竹林寺の境内上段の西側奥に、この奥ノ院・船岡堂があるがです。明治中期に、住職になった中興の祖・船岡芳信和尚を顕彰する為に建立され祀る堂宇(墓所)で、御米一升を持って祈願すると一つの願いだけは必ず叶えると、伝えられちょります。船岡堂竹林寺奥院境内にある。船岡芳信を祀る。高野山大学を卒業して、明治三十年(1897)当山に入り住職となり、僧正に任じた。当山が明治三十二年の大暴風の...

  • 上夜須八王子宮 - 伝・安芸国虎方の武将の不祥事で「四つ足」を嫌いになった神さん

    [ 高知県香南市夜須町上夜須 ]土佐くろしお鉄道・ごめん・なはり線の夜須駅の直ぐ北側の交差点を、国道55号線から県道51号夜須物部線に入り、夜須川沿いに3.2km程北上すると左側に鳥居が見えるがですが、此処が上夜須八王子宮ながです。 偶々、『夜須町文化財めぐり』を見よったら、此処の神さんは「四つ足」を忌み嫌い、四つ足嫌忌伝説を物語る馬の首塚があると云う事で、如何いう事じゃろーと思うて、唯それだけの理由で興味本...

  • 今村楽(鏡月) - 惜しいかな、追放されても短冊や添削を受ける者絶えず

    [ 高知県高知市筆山 ]今村 楽(たぬし)は、土佐藩士で 国学者、歌人じゃった。明和2年(1765)高知城下の水通町に、土佐藩士御歩行格・今村勘兵衛の長男として生まれちょりますが、翌3年3月に父が病死したため、父の実弟の次男・荘右衛門を仲継養子に立てて相続を許されちょります。医術(内科)を桑名玄井、国学を谷真潮に学び、真潮を通じて賀茂真淵を私淑(尊敬する人に直接には教えが受けられないが、その人を模範として慕い...

  • 萬葉神社 - 高知にもある新元号「令和」出典元『万葉集』に関わる万葉三神を祀る

    [ 高知県高知市春野町仁ノ  ]此処は仁淀川河口に近い、高知市春野にある仁ノ八幡宮。その摂社の一つに萬葉神社が鎮座しちょります。昨年は、新年号「令和」になって『万葉集』の第5巻「梅花の歌」序文の文が出典と言う事で、福岡県の大宰府が注目されたけんど、ここ高知市内にも、「令和」には直接は関係ないけんど、万葉集に関わる神社があるがです。萬葉神社(三神社)由緒祭神:衣通姫・柿本人麻呂・山部赤人萬葉神社は天満宮...

  • 剱神社 - 日本三大仇討ち「曽我兄弟の仇討ち」の曽我十郎・五郎を祀る

    [ 高知県高岡郡日高村下分・小村神社摂社  ]土佐之国二宮で日下の総鎮守でもある小村神社の摂社の一つが、写真の劔神社ながです。御祭神:蘇我五郎 十郎由 緒:蘇我五郎の霊験あらたかなる太刀を里人によってまつり上げ神体となすこの剱神社には、曽我兄弟の弟・五郎の持ち物だったと言う太刀「瀬登りの太刀」に関連する伝承があるがです。伝承「瀬登りの太刀」の由来今からおよそ八百年ぐらい前、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた...

  • 中谷山十方寺観音堂 - 土佐西国三十三観音霊場第21番で雪蹊寺の奥ノ院

    [ 高知県高知市横浜  ]中谷山十方寺観音堂は、高知市内から高知県道34号桂浜はりまや線を南に走り、「ドラッグストアmac横浜東店」前交差点の西北の標高約34mの山中にあるがです。登り口にゃ、土佐西国第21番の石柱が建てられちょります。 途中から竹林になっちょります石段を登って行くと、お堂があるがです。 御本尊は聖観音菩薩.。『南路史』や『皆山集』には、昔は大きなお寺じゃったとあるけんど、江戸時代中期にはお堂だけ...

  • お天狗さま - 真夜中に天狗が降臨する場所

    [ 高知県高知市朝倉東町 ]ブラブラ散策しよったら、「こりゃー、何じゃろー?」と思うような祠や神社などがあるけんど、此処もその一つながです。写真を撮ったがは、もう10年程前にもなる石南神社を撮影した日の事じゃけんど、撮影して東側に廻ったら”こんまい(小さな)”祠があり「お天狗さま」と書かれ看板が目に付いたがです。 八頭神社・中津神社・石南神社 - 戦で亡くなった戦国武将を祀る 2016-10-09 「お天狗さま?」・...

  • 蛸の森城址 - 『土佐物語』には老婆が子供の恨みを晴らし落城させる

    [ 高知県南国市稲生 ]南国市稲生の下田川の左岸の田畑の南側に、東西に丘陵が連なっっちょりますが、その最高部の標高147mのの頂点に蛸の森城があるがです。蛸(鮪)の森城は、別名・下田城とも云い、長宗我部国親の頃の城主は下田駿河守。『南国市中世城館跡』 の「蛸(鮪)の森城」の項の記述に、「二の段は自然地形をそのまま利用した様相を呈しており,四方にそれぞれはり酔した部分をもち,文字通り鯖足状の郭となっている...

  • 八流古戦場 - 土佐国統一を目指す長宗我部元親と安芸国虎の合戦地

    [ 高知県安芸市赤野甲八流 ]写真の八流古戦場の石碑は、国道55号線脇にある「レストラン矢流」の駐車場の海側にが建っちょります。永禄12年(1572)、土佐国統一を目論む長宗我部元親と、安芸国虎との合戦場所ながです。 そもそもの始まりは、永禄年間前期に安芸国虎が、長宗我部元親の家臣・吉田重俊が守護する香美郡夜須の領有権を巡り争いが起こり、馬ノ上村(現・安芸郡和食村)の領有権を巡って、安芸国虎は軍を指向けた事...

  • 坂本神社 - 芸西村にある土佐延喜式二十一社のもう一つの坂本神社

    [ 高知県安芸郡芸西村和食 ]現在、土佐延喜式二十一社の坂本神社は、奈半利町にある多気神社に併祀されちょるとされちょりますが、芸西村和食の金岡山に鎮座しちょります宇佐八幡宮にもあるがです。宇佐八幡宮拝殿の後ろに本殿を挟んで、15もの摂社がありるがですが、そのうちの5社が主たる摂社として、東から帯媛神社、高良神社、厳島神社、九頭神社、そして西の端にある祠が写真の坂本神社でして、この坂本神社が延喜式二十一...

  • 久次土居城址 - 久次土居城の守護神・宇佐八幡宮が鎮座

    [ 高知県香美市土佐山田町久次 ]土佐山田町久次集落にある鎮守の森。此処が、久次土居城址ながです。 現在は、宇佐八幡宮が鎮座しちょります。 宇佐八幡宮の由来中世のころ久次土居城の守護神として豊後の国宇佐八幡宮の分霊を勧請し、城の「東構え」に奉斎した。後に長宗我部氏がこの地を接収し、城は解体されたが、八幡の社は里人によりく久次村の産土の神と祭り継がれ、日吉の神・洲がの神を合祀、社殿も次々と増築され、神威...

  • 寺村成雄 - 妻は板垣退助の姉、娘は山田平左衛門の妻、兄は寺村左膳の養父 

    [ 高知県高知市筆山 ]土佐寺村氏は、山内一豊が掛川入封時は中老職400石を務め、土佐国入封時に家老格で4,400石を給されちょった寺村重友を初代・土佐寺村氏とするがですが、幕末期の子孫に寺村成雄がおる。維新後にゃ、土佐寺村氏のうちの2家が本姓の藤原北家日野に復姓しちょりますが、本家の寺村成雄は「日野軍馬」を名乗るがです。ただ、経歴詳細等は不明ですけんど、妻にしたがは乾栄六正成の三女で板垣退助の姉になる勝子...

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