南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡
[ 高知県安芸市赤野甲 ]場所は、以前御紹介した矢流古戦場の碑のあるレストラン矢流海側で、サイクリングロードを挟んだ断崖の上に祀られちょります。真言宗醍醐派のお寺さんで、八流山極楽寺と言うがです。御本尊は波切不動明王さんで、不動明王を手助けするの三十六童子は師子慧童子じゃとか。 因みに、三十六童子とは、その名を唱えれば悪霊は退散し、崇拝する者を守護し、長寿をもたらすとされると言われちょります。 極楽...
行川神社 - 坂本龍馬にも影響を与えた河田小龍の絵馬があった
[ 高知県高知市行川 ]高知市内を流れる鏡川の上流部に架かる大河内橋(標高約17m)を対岸に渡り、領家方面に山道を上って行くと、行川集落があり、そこに行川神社(標高約126m)が鎮座しちょります。行川神社の由緒や御祭神は不明ですが、今回は、拝殿の中にある絵馬のお話ながです。 拝殿の格子の隙間から中を覗くと、正面に二枚の絵馬か架かっちょりました。 左側は、「スサノオ命のオロチ退治」かと。 右は「天岩戸」のようなが...
勝賀野次郎兵衛実信 - 吉良左京進親実の忠臣で、元親の刺客と壮絶な死闘
[ 高知県土佐市蓮池芋岡 ]この墓は、吉良左京進親実の居城じゃった蓮池城址の東方約500mの小丘にあるがです。比較的真新しい墓石は、昭和二十九年に建てられちょり、多分、右脇にある小さな石が元の供養塔じゃったがじゃないかと思うがですが、墓石の碑文にゃ、「天正十六年(1588)九月没」とある。勝賀野次郎兵衛実信は、高岡郡仁井田庄宮ノ谷(窪川町)を本拠とする勝賀野一族の出で、吉良左京進親実の家臣じゃった。【 参考...
高知城追手門番所の怪異 - 伝承には堺殉難烈士・横田辰五郎に纏わるとか・・・
[ 高知県高知市丸ノ内 ]全国にゃ、沢山のお城や古城が存在し、数々の伝説や怪奇譚が伝承されちょりますが、高知城にもあるようです。城内番所の怪異今は昔、藩政中高知城追手門内外に上下二番所あり 下番所は足軽二名ずつ相詰上番所(門内西北に在り)には馬廻の士、晝夜二三名交代を以て相詰 暮六時出勤、明六時退出にて若等一人鑓持一人を召具す 右上番所の上の間には、其の番衆の士が相詰め、次の間には其の組頭の家僕のみ...
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