源頼朝が富士川で、平氏に勝ったのは治承4年(1180)だった。その後、平氏は追いつめられ遂に寿永4年(1185)3月24日、壇之浦の戦いで安徳天皇とともに平…
昨年6月、北九州市門司区の西門司市民センター内にある「聞き書きボランティアともがき隊」というグループが『聞き書きでのこす門司の記憶—未来への伝言—」という冊…
町内での回覧に、毎月『玄界灘の空は晴れて』という西山小学校の「学校だより」が添えられて「進んで学び、心豊かでたくましい西山っ子の育成」が教育目標、そして「人…
赤江瀑さんが逝去されて早くも10年になる。 『赤江瀑の世界』(河出書房新社・2020.6.30発行・2600円(税別))が出版されたとき、令和2年8月末にこ…
今年は、制限解除の大型連休となったが、まだまだコロナ感染が燻っていて下関でも先帝祭の上臈道中は中止され、何となく活気を感じなかった。 それでも「5月1日に赤…
綾羅木川の北側、条理の痕跡を残す田畑の向こうに標高20m程の洪積台地が続きその東端に近い延行の南側斜面に、国指定史跡(平成3年5月15日指定)の前方後円墳「…
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源頼朝が富士川で、平氏に勝ったのは治承4年(1180)だった。その後、平氏は追いつめられ遂に寿永4年(1185)3月24日、壇之浦の戦いで安徳天皇とともに平…
平家伝承地は、市域だけでも彦島や高畑・藤ケ谷・女郎ヶ迫、或いは県内各地の人里離れた場所に平家の落人が住んでいたという伝承がある。 中でも彦島八幡宮に伝わる「…
源平壇之浦の合戦で、8歳の身で平氏とともに海中に没した安徳天皇の霊を弔うため、 建久2年(1191)後白河天皇は長門国に霊廟を発願し、これが阿弥陀寺(現・赤…
源平二大勢力で、先ず政権をとったのは平氏で、平清盛は太政大臣とまでなった。 『平家物語』には、平氏一族の知行国は30余か国、荘園は500余ヶ所、それらの多く…
この季節、食卓に上がるタケノコやフキそしてエンドウ豆は、何といっても初夏の色合いと香りをともない、まさに旬のイメージをそのまま運んでくれる。 先日、取り立て…
皇極2年(643)周防・長門の間にあたる厚東郡棚井(現・宇部市の一部)に配流された物部武忠が地名をとって厚東武忠と称したのが厚東氏の始まりと伝えられている。…
現在、山口市に編入(平成17年=2005)された徳地町は、山口県の中部佐波川上流の山間部にあり山口市全域の40%を占め、その90%は山林が占めているといわれ…
これは非売品であろうが、入院中に2冊の本が届いた。 一冊は、美術館からの『潮流・下関2021』で、一昨年度の美術館の企画として私と清水恒治氏の写真展を開催さ…
満開に近い我が家の桜に見送られて約1ヶ月腰痛治療のため入院し、この間に2度の選挙、院内投票という貴重な体験をさせて頂いた。 選挙の院内投票があることを聞いて…
「大内」を広辞苑で見れば「室町時代周防長門および豊前の守護大名。古くは周防の在庁官人で多々良氏を称。」とあり、琳聖太子は出ていない。 ところで、大内氏が渡来…
中世への流れのなかで、長門における古代からの事績として国や国衙(こくが=国府)、神社、寺院、そして和同開珎鋳銭所などのことを書いてみたが、もう一度防長両国成…
白川郷から五箇山、八尾、古川、高山などと訪ねたことがある。 ふと「下関でしょう、遠い九州からようこそ」と言われた。それも、各所である。かれこれ25年ばかり前…
今年のNHK大河ドラマ『どうする家康』が始まって、普通に見ているが、天下布武の信長のイメージも、狂気ともいえる残忍性があり、ドラマがどのように展開するだろう…
我が迫町の現職市会議員が、昨年亡くなったことで「今後、地域の相談相手は?」と思いながらも自治会の動きもなく、市内では「あの人が出るらしい」と幾らかのうわさが…
和銅年間、わが国最初の造幣局が全国6ヶ所に造られた。その一ヶ所が長門国長府で、わが国最初の貨幣「和同開珎」が鋳造(和銅年間=708~714)された。 明治4…
神話のころだが、景行天皇は長門地方に穴門国造(あなとのくにみやつこ)と阿武国造を任命したとある。(西暦80年のころだが、すでに本州西の果てまで(下関地方)大…
昨年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(脚本家三谷幸喜)は、中世の初め平氏から源氏に移行して鎌倉幕府成立、いわゆる藤原氏を中心とした貴族が権力を握っていた…
昭和30年代、下関の漁港に活気があったころ、造船、船具、魚函など市内の水産漁業関連業者も活気があった。ふと、漁網会社の方が「生月(いきつき)に行って来た」と…
「能楽大会が下関市民会館で行われますよ」とプログラムを添えて、宮本隆吉さんからお手紙をいただいたのは新春早々のことだった。 宮本さんによれば、文化庁が、質の…
昨令和4年12月初旬、下関市竹崎町の大丸下関店7階のJOIN083に「思わぬ出会い 私の本棚-エキマチ読書室」というコーナーが設置された。 これは、市内出身…
これは非売品であろうが、入院中に2冊の本が届いた。 一冊は、美術館からの『潮流・下関2021』で、一昨年度の美術館の企画として私と清水恒治氏の写真展を開催さ…
満開に近い我が家の桜に見送られて約1ヶ月腰痛治療のため入院し、この間に2度の選挙、院内投票という貴重な体験をさせて頂いた。 選挙の院内投票があることを聞いて…
「大内」を広辞苑で見れば「室町時代周防長門および豊前の守護大名。古くは周防の在庁官人で多々良氏を称。」とあり、琳聖太子は出ていない。 ところで、大内氏が渡来…
中世への流れのなかで、長門における古代からの事績として国や国衙(こくが=国府)、神社、寺院、そして和同開珎鋳銭所などのことを書いてみたが、もう一度防長両国成…
白川郷から五箇山、八尾、古川、高山などと訪ねたことがある。 ふと「下関でしょう、遠い九州からようこそ」と言われた。それも、各所である。かれこれ25年ばかり前…
今年のNHK大河ドラマ『どうする家康』が始まって、普通に見ているが、天下布武の信長のイメージも、狂気ともいえる残忍性があり、ドラマがどのように展開するだろう…
我が迫町の現職市会議員が、昨年亡くなったことで「今後、地域の相談相手は?」と思いながらも自治会の動きもなく、市内では「あの人が出るらしい」と幾らかのうわさが…
和銅年間、わが国最初の造幣局が全国6ヶ所に造られた。その一ヶ所が長門国長府で、わが国最初の貨幣「和同開珎」が鋳造(和銅年間=708~714)された。 明治4…
神話のころだが、景行天皇は長門地方に穴門国造(あなとのくにみやつこ)と阿武国造を任命したとある。(西暦80年のころだが、すでに本州西の果てまで(下関地方)大…
昨年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(脚本家三谷幸喜)は、中世の初め平氏から源氏に移行して鎌倉幕府成立、いわゆる藤原氏を中心とした貴族が権力を握っていた…
昭和30年代、下関の漁港に活気があったころ、造船、船具、魚函など市内の水産漁業関連業者も活気があった。ふと、漁網会社の方が「生月(いきつき)に行って来た」と…
「能楽大会が下関市民会館で行われますよ」とプログラムを添えて、宮本隆吉さんからお手紙をいただいたのは新春早々のことだった。 宮本さんによれば、文化庁が、質の…
昨令和4年12月初旬、下関市竹崎町の大丸下関店7階のJOIN083に「思わぬ出会い 私の本棚-エキマチ読書室」というコーナーが設置された。 これは、市内出身…
記念館の内部展示の説明は、先ず、久留島武彦文学賞の概要、最近の情報などのコーナー、背景の壁面には久留島氏の著作・著書の表紙が壁面一杯にそして名言集12が並ぶ…
明治4年(1871)廃藩置県で久留島家は東京に移住したが、通寛(みちひろ)は療養のため明治6年(1873)森町に戻って来た。翌明治7年(1874)6月19日…
「久留島武彦賞」というのがある。公益財団法人日本青少年文化センターが、青少年文化の向上と普及に貢献した方々に贈るもので昭和35年(1960)に創設され、すで…
12年前のウサギ年、ある小学校の「うさぎ」を取材させて頂いたとき「うさぎ小屋」に張り紙があった。たしか「まど」さんの…と思い出して調べてみると『まど・みちお…
「うさぎ」と言われて、すぐに口ずさむのが「うさぎ追いしかの山/小鮒つりしかの川‥」)と『故郷』(高野辰之作詞・岡野貞一作曲、尋常小学校唱歌・1914発行)だ…
サンデン交通(株)に始まる下関文化バスの講師(案内人)を、私が依頼されたのは平成6年9月の第422回からで、第545回の平成24年3月までお世話した。足掛け…
JR山陰本線川棚温泉駅から国道191号線を北(小串方面)に向かうと、左手すぐに踏切があり、そこから松谷方面(海側)に向かい700mほどで少し広い県道245号…