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ひなたぼっこ日和 https://blog.goo.ne.jp/loveloveknaco

41歳高齢出産。現在年少児。震災後に感じた子育てを綴っています。なかなかのんびりとはいきませんね

高齢にして授かった我が家の姫様とぐーたら主婦の日常をゆるーく綴ってます。

きなこ
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住所
相馬市
出身
福島県
ブログ村参加

2008/02/12

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  • 浦島太郎〜

    何気なくメールのチェックをしていたらしばらく投稿してない人はブログを削除しますよ〜って連絡を頂き、ブログ放置だったわと思いたちこんな文章入力しています。気がついたら11年ほど放置。その間、幼稚園年中さんだった娘が高校一年生になりました。小さな頃のブログを読むかぎり今と変わらずぶっ飛びな人として成長をしております。小さな小さな娘の成長記録なのでもう少しだけ消さずに残ればありがたいです。浦島太郎〜

  • 恒例!稲刈り

    まったく動けない状態からはなんとか脱出。トンネルを抜けるまではいかないけれど出口が見えてきたー!という状態にはなってきましたー。それでもまだまだ人並みに動けないので今年の稲刈りは免除していただいた次第です。またまた夫には迷惑かけてます。で、娘と稲刈り応援団。自分でリュックを用意しておやつも詰めてます。田んぼ=ピクニックと思いこんでます。こんな感じであぜ道を走り回ってます。娘を見ながらしみじみと大きくなったな~と感動していました。ベビーカーで待機していた頃はこんなでした。ミルク飲んだり、おんぶしながらの稲刈りで大変だったな~。あの頃は永遠に赤ちゃんの大変さが続くんじゃないかとさえ思っていたけれど今では一丁前にお手伝いできるようになってきました。ヘルニア痛の母の役にたってます。たのもしい存在です。相変わらず虫が怖く...恒例!稲刈り

  • 秋の運動会。

    毎度毎度のヘルニア痛の母です。痛い痛いと日々暮らしていますがなんとか娘の行事には脚を引きずりながら出席していますわ。で、秋の体育フェスティバル!昨年に引き続き放射線の影響も考えてとの幼稚園の配慮でお弁当なしの午前中だけのイベントでした。毎日毎日この日のために自宅でも練習をしていた娘。どんくさい娘なりに頑張っていましたよ。園長先生が日頃から『一番になった子が偉いんじゃありませんよ。一生懸命頑張った子が一番偉いんです』と、子供達に話してくれているせいか娘も参加することに意義がある(笑)的に頑張りました。うふふ。私が子供の頃は運動会が嫌いで嫌いで前の日は憂鬱でしたが誰に似たのか娘は運動音痴ながら運動会が楽しくてしかたない様子。親バカですが心の底から楽しんでる娘を見てると私自身まで楽しくなってきてました。そんな時は一時...秋の運動会。

  • 三歩進んで二歩下がる。

    またまたヘルニア痛。今日は結構後ろ向きな文章です。気が進まない方はスルーしてください。治療中ではあるけれど、四人目のDr.の『必ず治りますから・・・』の言葉を信じて日々過ごしておりますがどうにもこうにも痛くって泣きたい気分です。タイトルどおり、調子がいいな~と思うとまた激痛の日があったり・・・。やっぱり脳みそと自律神経の部分が大きく関与してるようなそうでないような・・・。いろんなことが出来ない焦りが押し寄せてきています。その焦りが一番よくないってわかっているんだけどねぇ。ほとんど寝たきり生活が三カ月も続くとさすがにヤバさMAXですわ。これが更年期と複合的に絡んでたりしたらあと何年苦しむんだ?とか思ってみたり。家族や職場にも迷惑をかけどうしだし。なにより娘に笑ってあげられないの。痛すぎて。なんとかイライラはぶつけ...三歩進んで二歩下がる。

  • 変身の舞台裏。

    夏休み、どこにも行かないといいつつ一番近場のイオンショッピングモールへ。ヘルニアの母は脚を引きずりつつ娘の変身への切なる希望を叶えに行って参りましたわ。『プリキュアなりきりスタジアム』期間限定で開催されているプリキュアで遊べるコーナー。もちろん有料。プリキュアの衣装に着替えて勝手に遊ぶ分には子供1人につき1000円くらいだったような・・・。で、スペシャルな衣装で写真撮影は別料金で2000円だったかな。でもって写真1枚プリント毎に500円。いい商売だな~と思いつつ、親バカな夫と私はまんまとホイホイ財布の口をゆるめるんですよ。おほほほ~。バカでしょ~(笑)こんな感じでセッティングされていく娘。まわりの盛り上がりをよそに一切笑わない娘。『はい、笑って~』と言われれば言われるほどどんどん顔が引きつっていく娘。なんとか変...変身の舞台裏。

  • 夏のおもひで。

    毎日、痛い痛いって言っていても痛みがなくなるわけじゃないな~と思って痛いながらも今年の夏の出来事をUPしておこう。処方されている抗うつ剤が効いてるんだろうか、幾分、前向きな傾向。いいかも~。さて、今年の夏はお出かけといったら夫の実家にしか行っておらず、娘には申し訳ないと思いつつ・・・。夏も終わりですわな。子供の頃の夏の思い出って結構重要じゃないですか?ご存じのとおり太平洋側の海水浴場はほんのわずかしか海開きをしていなくて個人的に波打ち際で遊ぶ分にはいいんだろうけど放射線の値を気にしたり、なによりまだたくさんの方々の家が流されたり・・・というところを見ながら遊ぶのはどうなの?という気持ちもあって今年は海遊び自粛してました。でも、夫の実家は北海道の日本海側の海辺の町。昨年の震災の影響はまったくないところ。つうことで...夏のおもひで。

  • 毎日、痛いです。

    はぁ~(ため息)相変わらず、毎日痛いです。脚が。二・三日良くなったかな~と思うと全く動けなくなる日が一週間続くってな感じでお盆明けからはほとんど寝たきり状態です。椅子に座れないの。ネットでいろいろな情報を入手してみたり痛みに関する本を読みあさったり痛みジプシーになってます。卵が先か、にわとりが先かじゃないけれど痛みが続き過ぎてか、はたまた日常のストレスが痛みになったのかよくわからないけれど微妙に心の病になりつつある感じです。とほほ。かくれ鬱っていうのは痛みになって現れやすいとか・・・。注射も鎮痛剤も全く効かなくなり、ただいま四人目の整形外科の医師にたどり着いています。かるい抗うつ剤と強めの鎮痛剤を処方されてます。私の症状に合ったくすりを探しながら様子をみている状態です。こんな状態になってから早や三カ月。何も出来...毎日、痛いです。

  • 娘の日常って・・・。

    7月に入院した私ですが、そのひと月前になんとか頑張って参加した娘の運動会の話です。夫が、ストーカーか?ってくらい娘を撮りまくってこの傑作をものにしました。娘の椅子にはクラス分けのテープが巻いてあるのですが、そのテープを得意げにはがして先生に見せたところです。で、先生に『娘ちゃん!だめでしょ』と叱られているところ打たれ弱い娘。泣いてる様子涙目になりながら復活ひとりっこのせいか(私に似たのか?)我が強い娘。親としては娘の叱られている姿はせつないですがきちんと愛情いっぱいで叱ってくれる先生にはいつも感謝しています。こうして社会生活を身につけてくれるといいけど。お友達も、泣いていた娘を慰めてくれていました。みんな、ありがとね。ああ、しかし我が娘よ。君の幼稚園生活は大丈夫なのだろうか???親としての心配は底なし沼のごとく...娘の日常って・・・。

  • 痛いけど・・・帰省。

    退院してしばらくは痛いながらも少し調子がよくっていろいろ行動できたんですよ。で、北海道へ帰省。後部座席に横になりながらの帰省でした。全く座れないほどではなかったんだけどね念には念をいれて。でも、夫の実家なのでごろごろと横になるなんてできず・・・。痛みをごまかしながら過ごしました。娘を観光地に連れて行こうと思い行った先は函館の五稜郭。幕末の函館戦争の頃のもの。土方歳三の最期の地です。もちろん、4歳の娘には土方歳三はまだまだ理解できる筈もなく・・・。ジャングルジムは2段目までしか登れない娘を五稜郭タワーの展望台に連れていったらこのとおり・・・。断固、動きません!状態。興味津津で見ているのは夫です。『とおちゃーん!こっちに来てよっ!』と怒ってました。地上に降りるまでだっこ星人でした。なんのためにお金払って登ったんだよ...痛いけど・・・帰省。

  • やっぱり痛くて。

    7月に入院してなんとか二週間で退院したのですが・・・。退院後、幼稚園の行事やら夫の実家への帰省やらと痛い脚を引きずりながらなんとか過ごしていました。が、治らないのですわよ!ブロック注射も痛み止めの薬ももう何も効かなくなって、それでも何か良い方向に痛みが引くのではと思って注射を打ってもらう・・・。その繰り返し。ネットで調べたり、痛み関連の本を読みあさり、で、とうとう痛みで座ることも歩くこともできなくなってしまいました。もちろん、寝たきりです。整形外科の先生もお手上げ状態でしたね。だって、毎日痛みを訴えて通ってくるんだもの。私が。で、大学病院の脊椎専門の教授という先生を紹介してもらった次第です。たまたま二日後くらいに隣の町の総合病院に来てくださるってことで寝たきりながら待ちましたわ。でもね、私の住んでる地域は医療の...やっぱり痛くて。

  • 母の病室

    私の入院してるのは市の総合病院。かなりの古い病院です。私が二十歳の時に母が最期の時を過ごした病院です。あの頃は私もまだ若くて母親の心の苦しみも肉体の苦しみも何もわかってなかったな。長く長く続く入院にいつまで?という思いとこの苦しみが終わる時は母が死んでしまう時だと思うと病院の駐車場まで行ってもどうしても病室までは行けない日がありました。今思えば自分のことしか考えてなかったんだけどね。母が亡くなった歳を少し過ぎて入院なんてものをしてみると、(生死にかかわる病気じゃないけどね)少しだけ母の気持ちがわかって『あの時、何も出来なくてごめんね』なんて反省しきりです。あの時、車椅子の妹を連れて面会をさせる時、『親として最後にしっかりしたとこ見せて安心させないとね』と言って水も飲めなくなった身体でも頑張ってオロナミンCをスプ...母の病室

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