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原左都子エッセイ集 https://blog.goo.ne.jp/4456hs

自己のオピニオン公開を趣旨として、エッセイを綴っております。

原左都子
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2007/12/07

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  • 昨日青色申告会場にて実施した義母の「青色申告」にて、不本意ながら痛恨のミス…

    やはり年齢には抗えないというべきか…実は義母の青色申告に先立ち、自宅にて実施した亭主と私の確定申告にても痛恨のミスをしでかした。亭主の確定申告は、一昨年からパソコンにて仕上げ送信する形式で税務署へ提出している。当初この自宅パソコン申告を開始した時には何らの不都合もなく、今までのように税務署へ出向いて税務署のパソコンにて作成しその場で提出してくるよりも、数段楽ちんになったと言えよう。ところがマイナンバーカードがある程度一般的になった昨年からは、税務申告にこのマイナンバーカードが絡んでくるのはやむをえないとして。本年からの自宅パソコンにての確定申告に際し、「マイナンバーカード読み込み制度」が導入されたようだ。この「マイナンバーカード読み取り器」に関しては既に亭主が購入していて、それを使っての申告となったのだが...昨日青色申告会場にて実施した義母の「青色申告」にて、不本意ながら痛恨のミス…

  • 新型コロナ発症から4年が経過した今尚、感染症後遺症の余波は続いている…

    (冒頭写真は、2024.01.22付朝日新聞記事「新型コロナ4年、後遺症苦しみ続く」より転載したもの。)つい先だって、何処のメディア媒体かは忘却しているのだが…「コロナ感染に関して世界人民が騒ぎすぎた!これによる経済的?損失はただでは済まない。感染直後期のあの“自粛・自粛…”の大騒ぎは何だったのか?!?あれに騙された世界人民が多大な自由行動を余儀なくされ、無意味な年月を過ごさざるるを得なかった…」なる、記述を原左都子は見た。この言及に驚き果てるのは、元医学関係者の我が身としては当然であろう。何というのが、「医学への冒涜」と表現して許されるのではあるまいか?ただ、分かる気もする。医学ド素人にとって、「(政府からの)自粛制限」が日常生活上どれほどに迷惑だったことかが…片や、この指導に素直に従ってくれた市民が大...新型コロナ発症から4年が経過した今尚、感染症後遺症の余波は続いている…

  • 連続企業爆破事件の49年逃亡容疑者が、末期癌の死に際に本名を名乗る心理

    (冒頭写真は、2024.01.27付朝日新聞より転載した「連続企業爆破事件」で爆破の対象とされた企業などの一覧表。)冒頭より、表題事件逃亡容疑者が末期癌の現在本名を名乗ったとのニュース報道を、2024.01.27朝日新聞記事より以下に一部引用しよう。1974年、75年に起きた連続企業爆破事件で、警視庁が爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)を名乗る男の初代を把握し、26日に事情を聴いたことが捜査関係者への取材でわかった。警視庁は、本人か確認を進めている。本人と特定されれば、事件から49年経っての確保となる。警視庁によると、桐島容疑者は過激派集団「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、警察庁指定の重要指名手配となっている。75年4月、東京・銀座の勧告産業経済研究所に手製爆弾を仕掛けて爆...連続企業爆破事件の49年逃亡容疑者が、末期癌の死に際に本名を名乗る心理

  • 米国大統領候補者って、いつまで経ってもトランプとバイデンしかいないのかねえ…

    これ、おそらく世界中の人民が不可思議に思っている事象ではあるまいか??ご両人共々80歳前後の大年寄りだ!!失礼かもしれないが、バイデン氏など歩く姿に明らかに長老が見て取れるし…近頃トランプ氏を映像で見ることは無い私だが、同じく相当長老化していることだろう。超大国アメリカにして大統領候補者がいつまで経ってもこの“ご両人”しか存在しない事実に、辟易感すら抱かされる…そんなこんなと、米国大統領選の行方を歪んだ視点から観察していたところ。2024.01.24付朝日新聞「時事小言」に、千葉大学特任教授・国際政治学の藤原帰一氏による、「トランプ再来?選挙が動かす世界の戦況」と題する記述が掲載されていた。以下に、一部を要約引用しよう。戦争のゆくえを左右するのは各国の国内政治だ。世論が戦争に反対するからではない。戦争を厭...米国大統領候補者って、いつまで経ってもトランプとバイデンしかいないのかねえ…

  • 義母の「不動産貸付業・青色申告」が1月29日に迫っています。

    (冒頭写真は、義母の「不動産貸付業・青色申告」用に原左都子が作成した書類の一部。個人情報保護上の関係で裏面から撮影しています。)私がこの義母の「不動産貸付業・青色申告」を代行するようになってから、既に10年以上の年月が流れているだろうか。毎年この時期になると「青色申告日」を迎えるため、年が明けた頃よりその準備を開始する。何故、長男の妻である“他人”の私が義母の青色申告代行を務めているのかを説明するならば。私が2度目の大学・大学院にて「経営法学修士」を取得している関係で、国税庁に「税理士試験・税法3科目免除」申請を提出して(要するに、税理士資格の半分を取得しているとのことだが。)それを無事通過している故だ。何と言っても「青色申告」は係員が大変親切に対応して下さるため、特段税務に関する知識を備えていない立場の...義母の「不動産貸付業・青色申告」が1月29日に迫っています。

  • 12月に買って来たガーベラの花が枯れた後、葉っぱが立派に育っています!!

    (冒頭写真は、昨年12月に自宅近くのJAあおばにて購入して来たガーベラの鉢植え。御覧のように、ガーベラの花が枯れた後、葉っぱが勢いよく育っています!!)こちらは、昨年12月に自宅近くのLAあおばにて購入して来た直後期の、ガーベラの花。この花が1月中旬頃にすべて枯れた後、この鉢植えを廃棄せんとしていたところ。なんと!ガーベラの葉っぱが勢いよく伸びているではありませんか!!😲😃まさに、植物の生命力の強さに感動させられます。上記の如く、ガーベラの花自体は1月中旬頃まで咲いた後にすべて枯れたのですが。元々あった葉っぱに加えて新芽として出て来た葉っぱ共々が、まるで花の再来を思わせるがごとく大きく育ち始めたのです!その葉っぱの成長ぶりが素晴らしく、日々水やりを続行していると、次から次へと葉っぱの新芽が出て来るではあり...12月に買って来たガーベラの花が枯れた後、葉っぱが立派に育っています!!

  • 「ママ」との呼び名に、この私も大いなるアレルギーがあった(今尚ある)。

    私がこの世に生れ出たのは、「もはや戦後ではない」と叫ばれた時代背景の頃であり。また、私は過疎地ド田舎出身の立場にして。当時、母親の事を「ママ」と呼ぶ子供は私の周囲には皆無だった。時代が大きく流れ。私が初めて娘を出産した頃、私は既に40台に近づく年齢だった。いや、年齢とはかかわりなく。はやり私は産んだ我が子から「ママ」と呼ばれることに関して、アレルギーと言えるほどの絶対的な抵抗感があった。😨そこで我が家では、私に対して「おかあさん」の呼び方を娘に強制したのだが…実際にそれを娘が私に言ってくれたのは、幼稚園入園前頃までだったような記憶がある。その代わりに。我が娘は私に素敵な“愛称”をプレゼントしてくれた!!それは「パッカ」なのだが。その由来を説明しよう。娘が2歳時に、私は運悪く「頭部皮膚癌」を患った。(いや、...「ママ」との呼び名に、この私も大いなるアレルギーがあった(今尚ある)。

  • 「増えすぎた人間関係の整理」と対極にある我が生き様…

    昨日、私は近くの大規模公園へいつものようにランニングに出かけた。我がランニング中に、声掛けをして下さる私より少し年上らしきご婦人が存在する事に関して、バックナンバーにて複数回記述したことがあるが。昨日初めて、その“声掛け女性”が少なくとも2名以上存在する事実に気付いた。😲とにかくランニング中とは(特に私の場合は)ド素人ランナーにつき身体機能が優れておらず距離が増すごとに息が苦しくなり、せいぜい手を振ってお礼をする程度で、とてもじゃないが声掛けして下さっても会話をすることは叶わない。走る前や走り終わって後ある程度時間が経過していれば、当然ながら会話可能なのだが。大抵の場合、走っている時に声掛けをして下さる機会が多い。昨日も、私が走っている途中に手を振って下さる女性(やはり私より少し年上らしき人物)が出現した...「増えすぎた人間関係の整理」と対極にある我が生き様…

  • 世は受験シーズンだが 私は30歳時にチャレンジした2度目の大学受験の事をよく覚えている

    当時の私は、医学専門職員として大手企業にて係長(主任)の立場で医学業務に励んでいた頃だ。2度目の大学受験を志した特別のきっかけが何だったのかに関しては、今となっては鮮明に憶えていないのだが…とにかく医学を含め、学業にもっと専門的に励みたい!なる純粋な願望が我が体内から湧き出ていた頃である。当時の我が主たる医学業務は、一冊の医学書の単独執筆だったのだが。決してそれが苦痛だった訳では決してなく。それどころか、そんな望みもしない仕事が我が身に舞い込んで来たラッキーを大いに喜びつつの、日々の精力的な執筆作業だった。(結果としては、自他共に高評価満足いく医学書が出来上がり、発刊に漕ぎつけた。)その執筆と同時進行で、私はプライベートタイムには大学受験勉強に励んでいた。(この事実を知っていた人は、社内に2,3人のみだっ...世は受験シーズンだが私は30歳時にチャレンジした2度目の大学受験の事をよく覚えている

  • 我が娘は母の私が“サリバン”を引退した頃から自然と「発達障害」を卒業できたように振り返る

    本日久々に、我が一人娘が持って生まれた「発達障害」について語ることにする。そのきっかけは、20234.01.13付朝日新聞内の「発達障害」に関する記述を見たことによるのだが。ほんの少しだけ、その記事の内容を以下に転載しよう。発達障害は、生まれつき脳の働きにかたよりがある障害で、注意欠如・多動性(ADHD)や自閉スペクトラム症(ASD)、学習障害(LD)などがある。落ち着きが無かったり忘れっぽかったり、人とコミュニケーションをとるのが苦手だったり。(以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)我が一人娘に話題を移そう。我が子の場合は発達障害の特徴のうち、「人とコミュニケーションをとるのが苦手」これが突出していた。特に幼稚園や小学校入学後にその特質が顕著に出たのだが。当時の時代背景としては未だ「発達...我が娘は母の私が“サリバン”を引退した頃から自然と「発達障害」を卒業できたように振り返る

  • 20歳年下の「ママ友」

    原左都子本人が高齢者域に達して既に久しく。我が一人娘も一昨年に独り立ちしている現在。母子の年齢差をどうこう言われたり、それを話題にする鬱陶しい機会も皆無になっている現状だが。先だっていつものように朝日新聞を垣間見ていて。近所の「ママ友」が自身より12歳年下である、との話題があった。ご本人は40歳で娘を産んだため、周囲の99%が自分よりも年下のママ友であり、その「ママ友」が若くてかわいいらしい。この記事を読んで原左都子が思い出したのは、娘の小1時の授業参観の時のことである。(以前にもこの話題をバックナンバーで書いた気もするが。)どうやら、クラスの男の子のお母上がその日「26歳」の誕生日を迎えられたらしい。私にとってはまさに、「ギョエーーー!!!」である。😱我が娘を38歳時に“初産”で産んだ私だ。娘が小1のそ...20歳年下の「ママ友」

  • 今年7月に1万円札の肖像が交代するらしい

    (冒頭写真は、その交代に先立ち40年近く1万円札の顔として親しまれた福沢諭吉の功績に光を当てようと、故郷の大分県中津市で1万円札の裁断くず6億円分を使った「開運の中津城模型」の写真を。朝日新聞記事より転載したもの。)1万円札と言えば私が懐かしいのは、やはり「聖徳太子」である。そうか、それが福沢諭吉に変ってからもう40年近くの年月が流れているんだなあ。参考のため、令和6年に発行される新しい1万円札の肖像は「渋沢栄一」氏であるらしい。(私的には、さほどの思い入れがないなあ…。)本日、朝日新聞紙面でこのニュースを見て。そう言えば、私も旧札のコレクションが少しある事を思い出した。以下に列挙しよう。これが懐かしい人は多いのではなかろうか?「板垣退助」がモデルの100円札だが。いつ頃これが廃止されて100円玉のコイン...今年7月に1万円札の肖像が交代するらしい

  • 「ひらめくなんてことはなく、絞り出すように作って数をこなす」

    冒頭表題は、2023.01.07付朝日新聞文化面「天才観測」より引用した。原左都子自身の話から始めよう。既に(前期)高齢者域に達している私だが。ここのところ、「原左都子エッセイ集」の執筆をお休みする日が増えてきている。この現象とは、まさに我が高齢化を素直に受け入れている行動とも言える。当該エッセイ集を公開後、16年以上の年月が経過している。以前ならば、何が何でも一日一本のエッセイを執筆して公開したい!なる我が願望とそれを叶えるエネルギーが内面からいくらでも湧き出ていたものだが。これが正直言って、どうあがいてもエッセイテーマが思い浮かばない日が徐々に増えている感覚だ。そんな時に私がやる代替策とは、バックナンバーの紹介(再掲載)だ。ラッキーにも(と言っては変だなあ)。そうではなく、この原左都子も若い頃(とは言...「ひらめくなんてことはなく、絞り出すように作って数をこなす」

  • 認知症者の頭の中で繰り返す堂々巡り…

    本日午後から、我が亭主は義母が暮らす高齢者介護施設へ出掛けている。元旦の事だった。その義母から亭主宛に電話が入った。もう既に、元旦の挨拶をしようなる“社交辞令的対応”は一切不能になっている義母である。義母からの電話の内容とはいつも、「〇〇で困っているから助けてくれ」等の直言に相場が決まっている。嫁の私の声が聞き取れないとの事で、義母が私宛に電話を寄越すことは少し前から無くなっていて心底命拾いしているのだが…😝それにしても、息子である亭主への義母の依存心は物凄いものがある。困り事があると、なんでもかんでも亭主に電話を寄越してくる。私など、施設担当者もその話し相手を少しはしてやってくれないのか??と思ったりもするのだが…とにかく義母の認知症状が重いのと施設担当者が多忙なのとの両面の理由があり、その種の対応は家...認知症者の頭の中で繰り返す堂々巡り…

  • 再々掲載「『できる子』って、誰のこと?」

    2日程エッセイ執筆を小休止している間に、2019.08.29付バックナンバーが本エッセイ集ランキング50の上位にランクインしていた。これ、筆者である私が2024年の今現在読み返しても大いに同感できるため、本日以下に一部を再々掲載させていただこう。学校の夏休みもそろそろ終わりだ。児童・生徒の皆さんは、宿題出来たかな?今現在、駆け込みダッシュで宿題を仕上げている子供達も多い事だろう。かく言う私だが。今だから正直に言うが、我が娘の夏季休暇中の宿題のほぼすべてをこのサリバンの私が仕上げたと言って過言ではない。何分、我が娘の指導とは一筋縄にはいかない。サリバンが優先順位をつけ、優先度が低い課題に関してはそれを私が代行してやらない事には娘の負担が大き過ぎるのだ。例えば中学受験、大学受験期などは特に、それを最優先に娘に...再々掲載「『できる子』って、誰のこと?」

  • 日航機炎上事故、JAL乗務員の“神対応”に世界が賞賛!!

    冒頭から、表題に関するネット情報の一つを以下に引用しよう。乗客乗員379人を乗せた日航機が2日、被災地へ救援物資を搬送する海上保安庁の航空機と羽田空港の滑走路で衝突し、炎上した事故。事故は2日午後5時47分ごろ発生。札幌発羽田行き日航516便エアバスA350と、海保の航空機ボンバルディアDHC8―300が衝突した。日航機の乗客乗員379人はいずれも脱出し、命に別条はなかった。海保機の男性乗員5人が死亡し、自力脱出した機長が負傷した。アメリカやイギリスなど海外メディアでは、「奇跡の脱出」と報じており、「もっとひどい最悪の事態もあり得た」と冷静に乗客を促した乗務員の行動を称賛している。日本でも、「あの爆発の中で冷静に指示を出して全員の命を救ったJALの皆さん、本当にすごい」「もっと被害が大きくなってもおかしく...日航機炎上事故、JAL乗務員の“神対応”に世界が賞賛!!

  • 「能登半島地震」に昨夜の「羽田日航機炎上事故」、大凶の予感がする2024年の幕開き…

    我が目を疑う映像が、元旦から次々と押し寄せて来る…特に、昨夜発生した羽田空港にての日航機大規模炎上事故には驚愕させられた…以下に、先ほど見たネット情報を引用しよう。羽田空港(東京都大田区)で日本航空(JAL)516便と海上保安庁の航空機が衝突した事故で、516便の火災は事故発生から約8時間半後の3日午前2時15分ごろに鎮火した。東京消防庁が明らかにした。海保機の火災は2日午後8時半ごろ消し止められた。消防車など100台以上が消火や救急作業にあたった。(以上、ネット情報より引用したもの。)この原左都子も、年に少なくとも一度は郷里帰省等々の理由で羽田空港を往復便にて利用する身だ。それ故に、羽田空港内の滑走路の大渋滞を嫌という程に経験してきている。まずは、滑走路で航空機が行列を作って離陸の順番待ちをさせられるの...「能登半島地震」に昨夜の「羽田日航機炎上事故」、大凶の予感がする2024年の幕開き…

  • 昨日元旦に発生した「能登半島地震」のお見舞いを申し上げます。

    昨日元旦夕刻に発生した「能登半島地震」のお見舞いを、この場で申し上げたく存じます。実に驚かされました。元旦からまさかの大震災発生…テレビ画面ではそれまでは“くだらなさの極み”番組しか放映されていなかったところ。突然画面がまるで2011冬の「東日本大震災」発生時を彷彿とさせるがごとく、北陸地方の「緊急津波速報」等々を伝え始めるではないか!!その直後から、テレビ番組のほとんどが「能登半島地震情報」ニュースへと移行した。これが私にとっては(被災された皆様には失礼を重々お詫びしますが)、“くだらなさの極みの正月特番テレビ馬鹿世界”から解放されたかの如くだったのだが。😫😨その後は、大地震速報に集中し情報収集に努めました。未だに壊れた家屋の下敷きになっている住民の方々も多数いらっしゃるようですが。どうか被害地方にお住...昨日元旦に発生した「能登半島地震」のお見舞いを申し上げます。

  • 2024 あけましておめでとうございます

    (冒頭写真は、2024.01.01朝7時に原左都子が集合住宅上階の我が家バルコニーより撮影した“2024初日の出”。)皆様、2024新年あけましておめでとうございます。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。元旦今朝のテレビ番組内で富士山の初日の出を放映していたようだが。なんのなんの、大都会東京の高層ビル群の隙間から覗く初日の出も十分に風情があるのではなかろうか。参考のため、こちらの写真は新宿副都心のビル群を初日の出と同時に撮影したものです。新宿副都心から直線距離で約4~5kmのこの地に引っ越してきて、既に22年程の年月が流れている。新宿副都心のビル群は、この22年の年月の経過と共に急速な勢いで数を増しているのだが。引っ越し当初に比して、おそらく数倍の超高速ビルが立ち並んだ感覚がある。今や、新宿を中心に東は...2024あけましておめでとうございます

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