05.02.13 性愛は、私を苦しめる。異性を自分のものにしたいという自分本位の愛だから、はじめは快楽を感じても、やがて恐怖と不安と迷いが生じる。自分本位...
05.02.1605.02.16 19歳の時に読んだ「コリントの信徒への手紙一」第13章13節の「最も大いなるものは愛である」が、恋愛や家族愛などの、相手...
05.02.16 東京の大学に入学して、故郷からアパートに移った19歳のとき、自殺を考えたほどの失恋をきっかけに、神と人々への憎悪を手放して回心した。同時...
05.02.16 平穏な時も、何かせずにはいられない衝動に囚われてきた私のような人は、本当は「何もしない、何の役にもたたない時間」が必要だった。だが、その...
05.02.17 坐禅しながら二つのことを思い出して泣いた。 ひとつは、小学校5年のとき、夕食中に酒乱の父と祖父が酔ってケンカし、父が菜切り包丁でおどかし...
「距離をとる必要も知らず、理由なく生きていていいと思えなかった」
05.02.16 ACは「問題に適切に対処する」のがとても難しい。たとえば「愛する事=依存する事・距離感がとれずに密着する事」になりやすく、対人関係で適度...
05.02.10 正義の怒りは、正義ではなく、怒りの煩悩とわかった。怒りには「私は許さない、私は許せない」という「私」があるから。正義感で正当化された怒り...
05.02.09 なんということか。今は大きく見える問題も、その多くが時間とともに見え方が小さくなり、昔の問題となり取るに足りなくなる。無常がそこにも働い...
05.02.07 過去がどうだったにせよ、家庭の団欒では「苦しみのもと」を断滅することはできず、解脱もできないとわかった。永遠の命の自覚も、家庭の団欒や幸...
05.02.06 性欲はじめ、この欲の無目的性と盲目性は何か。欲の対象が何であるのかもよく見えず、欲を果たす手段についても具体的な目当てがなく、欲を果たし...
05.02.06 私は叫んできた。私の親族親戚はこうだった。近所はこうだった。教諭や級友はこうだった。私は被害者だ加害者だと。だが、ちょっと待て、私自身は...
05.02.05 私の場合、嫉妬の感情は、五十歳を過ぎるまで「なかったこと」にしてきた感情だ。嫉妬するようなみっともない自分はあってはならないと思ってきた...
05.02.05 坐禅7年目に入った私の場合、坐禅や瞑想中のもっとも顕著な効果は、20分も坐っていると「居場所のない感覚がなくなる」「孤独感や孤立感がなく...
05.02.05 トラウマによるフラッシュバックやPTSDの発現は病的症状であって、それだけでは回復につながる気づきではない。それは苦痛な記憶の再生・追体...
05.02.04 私は、苦しみによって迷い、迷うがゆえに、何か確かに思えるものにしがみつかざるをえなかった。迷いの恐れと不安のゆえに、なにかに頼り依存し、...
05.02.01 選択肢のない白黒思考とは、いわば「敵か味方か」「勝つか負けるか」しか考えられない心理だ。この思考が許されるのは「戦争」「試合」「競技」な...
R05.01.31 私は家庭の愛に欠けた悲惨な家に育ったので、その欠落を埋め合わせたいと、ずっと願ってきた。 足りなかった母の愛、飢えていた家族の優しさ、...
05.01.15 私の初体験の相手の女性との恋愛や欲情や快楽のすべてが、「迷い」だったと昨夜の坐禅中に気づいた。 1984年から85年にかけて、彼女は、私...
2023.12.31 荒川の土手の上で、久しぶりに坐禅をした。堤防の上を吹く冬のゆるやかな夜風に、顔をなでられているうちに、ふいにその風の中に次のような意...
2023.6.12●自分が楽になるための三つの心1.人やものごとに感謝できる。2.人や出来事をゆるせる。3.少ないものや小さなことに満足できる。◆苦しみを...
2022.01.03-2 澤木興道禅師の弁道話講義のデジタル録音をきいてから布団にもぐりこんだ。 しばらく目をつむっていると、「生まれながらに、権力も財力...
ほんとにしばらく更新がとだえてしまって、申し訳ありませんでした。やっと投稿再開できる精神状態になってきました。 これまで書いてはいたものの、投稿せずに蓄...
ほんとにしばらく更新がとだえてしまって、申し訳ありませんでした。やっと投稿再開できる精神状態になってきました。 これまで書いてはいたものの、投稿せずに蓄...
年末年始といえば、いつも夫婦喧嘩ばかりしていた父母や祖父母の事を思い出す。クリスマスから正月にかけてはいい思い出がほとんどない。たいていの機能不全家庭...
はなはだしく傷ついて欲求不満と悲憤に満たされた子供意識にも気づかないまま、私は家庭づくりを、ひとつの作品、ひとつの事業と思っていた。家のため、家族のため...
昨秋、荒川べりの公園で午後から30分ほどの坐禅をした。 そこで、自分の心のもっとも痛みを感じる部分が、「人の目を気にする」「人からの称賛を欲しがる」とい...
ある身近な女性のことで、この1年以上、ずっと苦しんできた。彼女は、父方祖父母や父によく似た性格というか、心の病気の症状を露呈している。 ゆえに、彼女への...
ある身近な女性のことで、この1年以上、ずっと苦しんできた。彼女は、父方祖父母や父によく似た性格というか、心の病気の症状を露呈している。 ゆえに、彼女への...
あけまして、おめでつございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。今年も、いろいろな気づきをつづっていきます。 昨年は以下のことに気づいて愕然とし...
小学校1年の時に、母親から受けた理不尽な虐待によって、私は母との関係に絶望した。いまのところ分かっているのは、そこから愛着障害が生じて、さまざまな病的依...
幼稚園に入ったあたりから、母と祖父母とのかかわりを見て、私は生きることが悲哀と苦痛ばかりで、喜びや安らぎや楽しさというのは、言葉だけのもので、自分にはな...
私自身が、まず救われなければならない。救われれば、何がどうなっているのかが見えるだろう。何がどうなっているのかが見えれば、何をどうすべきかがわかるだろう...
過去の女性たちに感謝しつつも、酒無しで生きるように、これからは愛への依存なしで生きようと思う。男女の愛や家族の愛を励みや支えにすることは、私にとっては酔...
二十歳そこそこの学生だった私は、自分が愛を知らない人間だと思った。人を見捨てず、人を裁かない無償の愛、見返りを求めない愛を知らず実感できなかった。愛は、...
今の私は、ある種の出家状態のようなものかもしれない。還暦を境に、性欲が次第にうとましくなっている。欲望はあるが禁欲が続いている。自分の恋愛感情や性的欲望...
私の心の奥底にある分厚い焦げ付きのような「悲哀」は、ひとことでいえば「生きることは理不尽な苦しみと悲しみに耐えることで、それに抵抗し状況を変える力は自分...
病んだ愛と幻の家庭願望5/結論・親のようにはならないはずだった。
普通でない気の狂った悲惨な家族たちの中で育った私は、高校時代にひどいトラウマによるフラッシュバックを起こして精神が絶望と劣等感に荒廃した。 その惨めな自...
かつて、20歳代の頃、一人の女性との間に深い安心感を覚え、心底安らいだ一夜があった。私はこれまでの苦労が報われたと思った。 しかし、それからすぐに、相手...
「家」とは苦であるとわかった。結婚も苦であるとわかった。家には安心立命がない。心底からの安らぎもない。永遠の命を悟れる場所も機会もないとわかった。 家庭と...
理想の家庭という願望は、思いついた18歳のときにはまったく知らなかったが、良き父良き夫になるという甘い幻想とともにぜんぶ妄想だった。つい最近、やっとその...
家庭の団らんを夢見て励みにしてきたが、それは嘆きと悲しみと苦しみ痛みだけを私に与えてきた。心がそのためにどれだけの血と涙を流してきたことか。 私はま...
昨年10月にアルコール依存症と無自覚な発達障害だったにちがいない父が末期がんの果てに、84歳で死去した。 死の2か月前に、地元の妹夫婦が末期がんを告げら...
私の生身の恋愛感情は、ほとんどが「狂気」「精神異常」ではなかったかと疑っている。私が「恋」と信じたものは、私自身を苦しめ惑わす「狂気」の現れではないのか...
幼稚園児のときから、私は家族以外には深刻な対人恐怖だった。幼稚園で、悪童三人がかりでいじめられて発狂しそうな日々を送った。 園では、帰りの時間に、みなで...
この恐ろしい救いのない世界。それが私の生家の印象だった。その恐ろしさから免れたくて母に救いを求めたかったが、母は救ってはくれなかった。私はかわりに異性に...
この恐ろしい救いのない世界。それが私の生家の印象だった。その恐ろしさから免れたくて母に救いを求めたかったが、母は救ってはくれなかった。私はかわりに異性に...
非現実的とも気づかずに大事に抱き続けてきた私の結婚・家庭妄想に、大きなひびが入ったのは、五十歳を過ぎてからだった。 インターネットのTwitterで、既...
実父の死期が、あと長くても1~2日と迫ってきた。 それで、いろいろなことを思い出したり想起したりしている。 わが生家の歴史や親族親戚のありようを、父方を...
思い返すと、私は、母が自分の父親から「おまえは、嫁にいった家をなんとか、まともなちゃんとした家にしてやりなさい」と命じられたことを、まったくその通りに受...
宮城の田舎に住む父が、末期ガンと診断された。あと何か月生きられるかわからない。 父が息をひきとり、未婚で子のない私がこのままなら、祖父の直系は絶えること...
もう15年以上前、鬱病の治療で、ある有名な精神科医のクリニックに通っていたとき、その先生が院内ミーティングでたくさんの患者たちの前で、みなにこう問いかけ...
私のようなACは、「欠点」という言葉に、とても悪いイメージを持っている。 なにしろ、子供の頃になにごとも初心者であるにもかかわらず、母親からいきなり最初...
アダルトチャイルドやアルコール依存症という、いわゆる「マイノリティ」とされる自分には、やはりそうではない健康な育ち方をした人たちへの引け目というか、ある...
アルコール依存症の家族会に出席し、いままさに酔って制御をなくした家族に苦しめられている家族の話を聴いてから、心がざわついて落ち着かなくなった。 就眠前に...
この3年半、座禅を続け、原始仏典や大乗の基礎経典を読み、儒教の本や聖書を読み漁りながら、自分の自我を見る作業を続けている。 すると、がっかりすることに...
以下「コリントの信徒への手紙一」は、私が19歳のときに、「自分は自分のことしか考えない愛のない人間だ」と自覚して、「じゃあ、愛ってなんなんだ」と悩みだし...
自分の言動について、言葉にできることと行動に移せることは別である事実を忘れないようにしよう。口だけで行動しないものは、嘘つきであり、ひどくなれば詐欺師の...
私のようなACは、たいてい問題解決を、なまかじりの本から得た知識や、自己流の思い付きで解決しようとして失敗を繰り返す。だから、正統な伝統ある宗教や聖賢の...
中学から高校にかけて、抜毛症(トリコチロマニア)を発症したことは以前に書いた。 それは、あとから自傷行為であるとわかった。抜毛の痛みとともに、毛穴からに...
自助団体をはじめACや各種依存症の友人知人たちを見ていて、また自分の体験からも、私たちACには常に「孤独感」の苦しみがつきものだとわかる。 それは、あら...
なんと私は無知不明な人間なのだろう。今日生きられたからといって、明日も神様に生き延びさせていただけると、どうして断言できようか。明日のうちに、いきなり寿...
苦痛で恐ろしい家庭生活が生んだものは、フィクションを生き方の物差しとして選ぶACの迷い道だったということ。 そもそも、自分が「よき父よき夫」にならねばな...
ACとしての、私の自己評価は、以下の言葉になる。「私は、みすぼらしい、つまらない、何のとりえもない、弱い、みばえのしない、裸の、みっともない、醜い存在で...
先日、母の命日のあたりで、妹と電話ではなしたときに、妹が気になることをいってた。「いま考えると、母は見栄っ張りだった」 母の虚栄心が強かったことを印象づ...
19歳のとき、カルト教祖の本を読んで、やがてその教団に入信してしまったことを以前に、このブログで書かせていただいた。 その後、カルトの盲信からさめてから...
かつて、私は女たちに依存した。彼女らが、私を元気づけ奮い立たせ、生きる力を与えてくれると思い込んだからだ。 言葉を変えれば、彼女らの姿やイメージそのもの...
今年の5月の話だけれど、生まれて初めて参詣した香取神宮の参道商店街の茶店で、厄除け草だんごを食べた。 隣に居合わせた七十歳ぐらいと四十歳ぐらいのご婦人の...
アルコール依存に陥った母と私が思い描いた「完全な幸福」「こわれない最高の幸福」が、この世にはないものなのだと、最初に思い知らされたのは、十年ほど前に知っ...
不自由で苦痛な心を病んだ人たちとの家庭生活の中で、母も私も「永続する完全な自由と壊れない幸福」というものがあると信じて求めてしまったのだと思う。 今なら...
依存症の回復のための自助団体では、人知を超える力を「ハイヤーパワー」あるいは「神」という言葉でよく表わす。自助団体の回復のための祈りにも「神さま」と呼び...
交際していた女性と別れにいたる問題が起こったとき、多くの場面で、私は彼女らが彼女らではなく、彼女らの母親が乗り移って、私のことを怒り罵り軽侮していると感...
ここでいう「回復」とは、共依存を含む各種依存症・嗜癖などの不健康な行動を手放し、自分をとりもどし、健康な日常生活を送れるようになることを意味します。さら...
18歳の私は、道理も天地の理法も知らなかった。家族もそうだった。世間体や評判や噂ばかりを気にして、それを超える道理を知らなかった。 自分がなにものでどう...
仙台で大学受験の浪人をしながら、あらゆるACの病理が爆発した18歳のとき。あの下宿の二階の四畳半で、夏の夜中に抱いた家庭願望そのものが、実は切実な願望の...
釈迦は、悟りも迷いも、「心」からくると詳しく解説している。 それらの言葉は、座禅をはじめて仏教書を本格的に読みだして2年になるが、これまで字面で読むだけ...
二日ぶりにコーヒーを飲んで興奮状態になったためか、昼休みに不思議な感覚に包まれた。 昨年からときどき起こる、通行人の高齢者や身体に障害のある人たちにとく...
ACや心を病んだ人の生き方について、ひとつのたとえ話。 私は、一隻の貨物船となるべく生まれた。造船所である生家は機能不全で、健康であるべき私の心という船...
罰や非難や批判や悪評や恥辱を恐れて、その恐れを動機として、「まじめに」しているのは本当の「まじめさ」だろうか。 もちろん、私も含めて多くの人たちは、大な...
『コーラン』(アル・クルアーン)に見る飲酒と賭事の抑止の記述
引用元『コーラン』(責任編集:藤本勝次/中央公論社・「世界の名著」15/1970年9月30日)牝牛の章(第2章)219節 酒と賭矢について、人は汝に尋ねる...
なぜ、いまさら祖母の狂気を思い返すかというと、実は若い頃から、ときおり狂気の小さな衝動が起きる。それはつねに妄想であって現実には起こさないが、自分で思い...
私のこの病というべき恐怖の根源の大きなひとつには、凶暴な精神障害者だった祖母とのかかわりにあったことは間違いない。 妄想性の過敏さをともなう人格障害者だ...
母親からの虐待や祖母・祖父への恐怖や幼稚園でのいじめで、小学校低学年のころまでの私にとって、世界は恐怖そのものだった。出口のないお化け屋敷にいるようなも...
渇愛という欲愛は、前世からひきずる足枷の鎖玉のようなもので、まさに煩悩具足の凡夫たる私自身の正直な姿です。 生まれてから、この鎖玉をはずしたことが一度も...
お釈迦様は、原始仏典『スッタニパータ』(集成経)の中で、まったき平安の境地である涅槃(ニルヴァーナ)に至るには、「快美な事物に対する欲望や貪りを除き去る...
渇愛について、重複になりますが、非常に重要だと考えますので、再度、よりくわしく書いておきたいと思います。 釈迦の話した原初の説法に近いといわれる経典は、...
生きる上での苦しみを「煩悩」といいますが、これは釈迦の教えでは「無明」と「渇愛(愛欲/渇望ともいう)」の二大原因によるといいます。「無明」とは、道徳・倫...
神さまどうかこのクリスマスの夜に泣いている子供たちが幸せになれるよう飢えて震えている子供たちが安らかに暮らせるよう祈らせてください。かつて不幸せなクリスマ...
私にとって、恋愛は刺激と快楽と挫折感と別離の痛みとデート代もままならないカネの心配で、いつも占められていた。カネがあれば、生活不安がある程度解決されてい...
4月1日から4月2日の深夜にかけて起こったこと。 キリスト研究のための資料として、シェモネ・エスレ(十八祈祷・アミダーの祈り)の日本語訳を読んだら、第一...
9月23日に、スピリチュアルとしかいいようのない不思議な経験をした。私の中で大きな変化が起こっているらしい。 晴れていたその日、買い物をしようと17時に...
女性依存のある私は、釈迦の弟子の尼僧たちの話(『ブッダとその弟子89の物語』菅沼晃/法蔵館)を読んで、いたく心が揺さぶられている。女性は悟りを開くのが難...
ACは不幸せな子供時代を送った人が、大人になっても、その不幸せの中で身に着けた不健康な習慣や考え方や生き方を気づかないで続けているパターンをいう。 では...
御多分にもれず、私もアニメ世代なので、大好きなアニメはいくつもあるが、特定のアニメやアニメソングの一節に、どうしても内なる子供が反応して涙ぐんだり、胸が...
あまりよく知らない人たちの間にいると、心のどこかがいつも緊張して落ち着かなくなる。外見はそうは見えないかもしれないが、小学校1年生ぐらいの自分が顔を出す...
今、東京から四百キロ離れた郷里にいる父親の、本人は満足しているが、はたからは惨めとしか思えない暮らしをしている建物やその内部の光景を思い出すたびにとらわ...
各種の依存症は、そのありようが「嗜癖(アディクション)」と呼ばれるが、私の経験からいっても、その本源は、内なる過去の傷ついた子供たちの「表現すべきときに...
仏教を学びはじめてから、「まとも」であるとは、どういうことかと、父母や親戚や世間一般の価値観で当然としてきた基準が大きく揺らいでいる。 「まとも」とは、...
私が中学時代に、母がアルコール依存症になってしまい、私も弟もともに同じ問題を抱えていくのだが、そこに横たわっていたのは、母との深刻な共依存の問題だった。...
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