平素より雨雲出版をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。2025年5月に刊行となりました『雨雲の集まるとき』におきまして、このたび同書の一部に印刷の大きなずれが確認されました。製本工程における作業ミスが原因と考えられます。■該当箇所:p.7(扉絵)現在、取次
南アフリカ作家ベッシー・ヘッド研究/Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト/開発コンサル/ベリーダンサーAmelia
『あふりかくじらの自由時間』 https://africanwhale.wixsite.com/africanwhale ショップ「Rupurara Moonアフリカン・ビーズ&クラフト」 http://rupurara-moon.com ベリーダンサーAmelia https://www.facebook.com/ameliaorientaldance/
【重要】『雨雲の集まるとき』印刷不備に関するお詫びとお知らせ
平素より雨雲出版をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。2025年5月に刊行となりました『雨雲の集まるとき』におきまして、このたび同書の一部に印刷の大きなずれが確認されました。製本工程における作業ミスが原因と考えられます。■該当箇所:p.7(扉絵)現在、取次
重要【雨雲出版】ベッシー・ヘッド著『雨雲の集まるとき』刊行しました!オンラインストアで予約開始、39年目の命日
長い長い年月を経て、ついにこの日がやってきました。ベッシー・ヘッドが1968年、最初に発表した長編小説『雨雲の集まるとき』(原題:When Rain Clouds Gather)の日本語訳を、雨雲出版から5月上旬に刊行いたします。1937年南アフリカはピーターマリッツブルグの精神病院に
翻訳出版への道 「言葉と対話で、世界とつながる恵みの雨を」雨雲出版
ベッシー・ヘッド1937年南アフリカ生まれ。母は白人、父は黒人。アパルトヘイトを逃れボツワナへ亡命。1986年に世を去る。彼女を知ったのは大学時代。以後アフリカ地域でODAの仕事をしつつ、多数の出版社に翻訳出版をかけ合い続けましたが、結局28年後に自ら雨雲出版を立ち上
カバーイラストが、本の表紙デザインになった。アーティストの素晴らしいイラストが作品世界を抽出し、それが本として美しい形にまとまった。誰かに届ける贈り物のように、文字と絵と物語の世界がまとまりあい、フォントがそれを結ぶ。学生時代から愛し続けてきたベッシー・
カバーイラストの原画が届いた。印刷会社でスキャンしてもらったあと、雨雲出版に送られてきたものだ。これまでアーティストともデザイナー、印刷会社ともデータ上でのやり取りだったので原画を見るのは初めてだ。大きなサイズに描かれた絵。ボツワナの農村を描いたベッシー
印刷会社から束見本(つかみほん)が届いた。本の表紙や本文に使う用紙を紙見本帳で選び、実際のページ数に合わせて作る中身のないサンプルだ。これで、本の厚みや紙の色味、感触を知り、本になったときの全体像がわかる。本文用紙は、優しいクリーム色と決めている。クラシ
翻訳出版への道 28年越しにベッシー・ヘッド作品の翻訳出版ができそうな今の気持ちを綴る
あまりにも長い年月が過ぎてしまいました。でもそんな年月にもようやく区切りをつけることができそうです。人生の節目のような気がしています。始まりは1997年。大学生のころでした。特にアフリカへの興味もなかったのに選択したアフリカ研究のゼミ。ある日、ぐうぜん入った
高校のとき、学校であるアニメーションを鑑賞し、その内容について意見交換するという特別授業があった。それはとても短い奇妙なアニメーションで、今となってはタイトルも何もわからないのだけれど、おそらくモノクロームの極めてシンプルな絵柄だったと思う。ただ複雑に重
アフリカだけに限ったことではないだろうが、「持てる者が持たざる者へ」金銭的に支援をする、何かをあげるということが当然と思われている場面には、とても頻繁に遭遇する。歴然とした経済格差があるからというのが大前提にあるのだが、これは援助慣れという言葉では単純に
アメリカの大学で教鞭をとる友人が、教えてくれた話がある。彼女の大学の同僚に起きた出来事だ。その方は、分野は忘れたがもちろん専門家でご実績がある女性だ。ある学会に参加されていたとき、初めて会った年配の男性が、その分野に関心があるならこの本を読むべきだとさん
初めてこの作品に触れたのは1997年ごろのこと。日本では未訳の作品だから英語の原文だった。この美しく深い本を日本語にするために訳し始めたのは正確にはいつだったのか思い出せないけれど、おそらく2000年ごろにはもう着手していたのではないかと思う。その日から、ここま
ベッシー・ヘッドの長編小説の出版に向けて、気の遠くなりそうな長い年月を経てようやく制作に入っている。プロの校正者の方に手を入れてもらった校正原稿を絶賛確認中なのだが、自らの出版社の看板を掲げて商業出版をするのは初めてなわけで、とにかくクオリティを上げたい
仕事でもプライベートの旅でも、ある程度の期間をアフリカに関わっているひとの多くは、アフリカにうんざりし、憤り苛立ったり、嫌な思いをした経験を持つだろう。そういえば、ずいぶん前だが、日本の某有名ガイドブックに「叩かれて打ちのめされて、また帰っていくアフリカ
【雨雲出版】ニュースレター始めました メルマガと深い話について
雨雲出版のニュースレターを始めることにしました。明日、2月1日から配信開始です。月1~2回程度のニュースレターでは、雨雲出版のお知らせ(新刊、イベント等)の他、ブログやnote、SNSに書かないようなベッシー・ヘッド作品翻訳出版の裏話や、本に関することなど、少し深い
京都の貴船神社は、水の神様を祀り、古くから雨乞いの神事が行われてきた長い歴史を持つ神社だ。山深く、青緑の空気に静かにたたずむその美しさを捉えた写真を見て、いつか訪れてみたいと思っていた。神秘的で印象深いその写真は、自宅で利用しているウォーターサーバーの会
一年ほど前、夏葉社の島田潤一郎氏がトークイベントで登壇されたとき、真っ先に質問した。「売れる本を作るのは大切ではありますが、それよりも『長く読まれる本』とはどんな本でしょうか」島田氏の答えのポイントは、「わからなさのある本」だった。それは島田氏の経験から
雨雲出版を2023年の終わりに設立してから今まで、イベント出店を積極的に行っている。出店も回数を重ね、先週(2025年1月19日)の文学フリマ京都9で通算11回目となった。イベント出店では、何よりも人と直接お会いできて会話を交わす機会があるのがとても貴重で、これからも
実に感慨深い。とても個人的なことで恐縮だが。作家ベッシー・ヘッドの長編小説の翻訳出版を準備中だ。これは作家を知った90年代後半から望んでいたことだが、ずいぶん長い年月が過ぎた2023年に雨雲出版を立ち上げることになり、現在は実現に向けて手続きや作業を進めている
学部を卒業して何年も経っていない、まだ二十代前半のころだったと思う。大学のサークルの同級生が、たまたま出版社で編集の仕事をしていた。詳しい経緯は忘れたけれど、わたしがやっていることに興味を持ってくれて、会って話をしようと声をかけてくれたのだ。当時わたしは
大変な年の始まりになってしまった。年末年始は、事故や怪我、火事などの大事が起きてしまいがちなのかもしれない。慌ただしく用事をこなしたり、いつもならやらないことをやってみたり。気持ちも忙しなく浮ついてしまうからでもあるだろう。わたしたち家族も、この年末年始
とうとうこの日を迎えてしまった。2024年12月13日、わたしは作家ベッシー・ヘッドが亡くなった年齢に追いついた。初めて彼女の存在を知り、その作品に感銘を受けたのが大学の学部生だった20歳ごろ。ボツワナに行ったのが1998年で21歳。彼女の長編小説を自分が翻訳出版したい
アパルトヘイトの「ドラム・ジェネレーション」~写真家アーネスト・コールとベッシー・ヘッド
今年十月末のこと。文学フリマ福岡に参加するために福岡に滞在してとき、祖母が亡くなったという思わぬ知らせを受け、次の週に急遽仙台へ向かうこととなってしまった。翌週の土曜日、祖母の葬儀を終え家族と別れた翌日に、沈む気持ちに浸ってばかりもいられない、とにかく自
南部アフリカの内陸国ボツワナでも、この11月で新大統領が誕生した。独立以来初めての政権交代は、ボツワナにとって紛れもなく歴史的であり重大な出来事だ。2024年10月30日に実施された選挙により、野党Umbrella for Democratic Change (UDC)が国民議会の61議席中36議席を獲
これぞ文学という骨太のずっしり感と、読者の心の的を正確に狙った強烈な一撃のような作品だった。文学作品は明確な答えを与えてくれない。読者という個人はそれぞれの世界を脳の中に広げていく。圧倒的な才能と技術力の強い余波が、自分の脳の中で感じられる。斎藤真理子氏
ZINEフェス吉祥寺で出会ったひとたち、なぜひとり出版社をやるか
土曜日は、雨雲出版の何度目かのイベント出店だった。武蔵野公会堂で開催されたZINEフェス吉祥寺は、大勢の出展者と来場者でにぎわっていた。イベント出店のたびに多くの方と交わす会話が、雨雲出版にとってもわたし自身にとっても貴重だなぁと毎回感じている。それぞれ、ア
我が家の暮らしには、いつもサメがいる。朝起きてもそこにいる。日中も、家に帰って来ても、夜も。いつもそこにいて、癒してくれる大切な存在だ。サメとはイケアのシャークである。品名はブローハイで、日本語で言うヨシキリザメなのだそう。あまりの人気で、サメに服を着せ
2001年9月11日、スコットランドにいた。エディンバラ大学のアフリカ研究センターの修士課程に在籍中で、あと一週間で修士論文を提出しなければならない追い込みの時期だった。わたしは、大学の寮のフラットを二人のアメリカ人とシェアしていた。その日の午後、大学の寮の部屋
今年の祇園祭のころ訪れた京都で、いくつかの書店に足を運んでみた。旅先でわりと訪れるお決まりの場所といえば図書館だったのだが、ひとり出版レーベルの雨雲出版を始めた昨年からは、あらためて小規模な書店を巡ってみたくなったのだ。パートナーが関わっている仕事につい
二十数年前、ご縁があってとても印象的な結婚式に参列した。英国はスコットランド、エディンバラ大学のアフリカ研究センターで修士課程に在籍していたときだ。結婚する二人は台湾のひとで、二人ともわたしの知らないひとだった。参列することになったのは、知り合いの日本人
8月6日の朝8時15分に黙祷するのは、子どものころから当たり前になっていた。わたしは、引っ越した関係で三つの小学校に通ったのだが、8月のこの時期はいつも1980年代後半の3年生から6年生まで在籍していた大阪の小学校のことを思い出す。平和教育に熱を入れていたその学校は
ベーカリーカフェで声をかけたそのひとは、人生で必要なひとだった
もう二年近く前、お気に入りのベーカリーカフェで知らないひとに声をかけた。その女性は、ステッカーで飾られたマックブックを広げていて、傍らには分厚い学術書らしき本が置かれていた。アフリカンルーツを思わせる見た目に、ドレッドをきれいにまとめたお洒落なヘアスタイ
鎌倉ハイキングでじん帯を損傷したら迷いが消え失せたかもしれない
二週間以上も前なのだが、鎌倉へひとりハイキングに行ったときに足を怪我してしまった。旅に出たくて仕方がない気持ちが強すぎるのに、現在取り組んでいる小説の翻訳出版に向けた原稿で忙しく家を離れられない。パスポートをつかんで空港から飛行機に飛び乗らんばかりの勢い
人と会い深まる気づきと広がる世界~ZINEフェス浅草(雨雲出版)
昨日6月23日は、ZINEの大きなイベントZINEフェス浅草に参加した。雨雲出版としては4度目のイベント出店となる。あいにく、10日ほど前にハイキング中に足を怪我し、整形外科に行ったらじん帯を損傷していると言われ、安静にする必要があったためずっと自宅に引きこもっていた
潜在意識の南アフリカ~ソウェト蜂起とサラフィナ!から始まるアフリカ旅
潜在意識に南アフリカがあった。そう感じたのは、アフリカ人生を歩み始めてずいぶん経ってからのことだ。アフリカについてほとんど何も知らなかった自分が、たまたま大した関心もなく選択した大学のアフリカ研究ゼミ。そして南アフリカの作家ベッシー・ヘッドと出会い、それ
鮮やかな緑のなかにひっそりと闇をたたえる古いトンネル。使われない線路が吸い込まれていく静かな風景。SNSで流れてきたその写真を偶然目にした瞬間、これだと思った。この場所に行きたい。空気と静けさに浸りたいと。それは信越本線新線の横川から軽井沢へ向かう線路上を歩
雨雲出版、文学フリマ東京38へ。商業出版と小出版の混ざり合う狭間で
遅ればせながら、先週5月19日(日)に開催された「文学フリマ東京38」へ雨雲出版として参加した記録と所感について。雨雲出版としては、昨年11月の「文学フリマ東京37」に次いで2回目の出店となった。前回のラインナップに加え、新刊のエッセイ本2種類を並べての参加で、出店
学生時代にアフリカに関わり始めてからいままで、ずいぶん年月が経った。いつも感じていることだが、アフリカ関係以外の一般のひとと話していて、あからさまにアフリカに対する差別的な発言をされるのは日常茶飯事だ。アフリカ関係者ならきっと誰しも、そんな場面には数知れ
新刊エッセイの本音『水面をすべるモコロのように:作家ベッシー・ヘッドと出会ってボツワナを旅したわたしは、ひとり出版社をはじめようと思った』雨雲出版
雨雲出版の新刊エッセイ『水面(みなも)をすべるモコロのように:ベッシー・ヘッドと出会ってボツワナを旅したわたしはひとり出版社をはじめようと思った』昨年のボツワナ/ジンバブエ旅を一冊の本にまとめました。開発コンサル企業を去り、作家ベッシー・ヘッドのアーカイ
【雨雲出版】5/19(日)「#文学フリマ東京38」こちらの本をお届けいたします
雨雲出版として二回目の文学フリマ東京に出店します。アイテムは以下の4種類と無料配布の1種類の計5種類。文学フリマに行ったのも出店したのも去年(手術直前)が初めてでした。今は1800以上ものブースが出る巨大なイベントのようです。出店者様も個人やサークルの方はもちろ
昨年11月に手術を受けた。病院のベッドで思いついたのがこの本を書くことだった。より良く生きるために決めました: わたしたちの子宮と卵巣の治療ストーリー (雨雲出版)横山 仁美雨雲出版2024-03-25婦人科(現在では、女性科・女性診療科のような呼称に変えている病院も)の
文章にしてしまうと、そこで事実を認めて何かが定まってしまう気がする。何か書くと、別のものに置き換わってしまいそうだ。二日前に、とてもショッキングな知らせが目に入ってしまい、そこから心にぽっかり大きな穴があいたように放心状態だ。敬愛するピアニスト、ゲオルギ
珍しく、今期は朝ドラを観て楽しんでいる。「虎に翼」は、日本史上初めて法曹界に飛び込んだ実在の女性のストーリーに基づくオリジナルの物語だそうで、連日話題になっているほど人気が高いようだ。このドラマの素晴らしいところは多くあるのだが、手帳好きのわたしとしては
このところずっと集中してエッセイ本を執筆していた。ボツワナで敬愛するベッシー・ヘッドのお墓参りをしてから一年になるが、ボツワナのセロウェでのアーカイブ調査と、出会った人々の話など、ボツワナとジンバブエ旅全般についてのエッセイ本だ。既刊の『雨風の村で手紙を
今年もこの日がきました。敬愛する南アフリカ/ボツワナの作家ベッシー・ヘッドの命日です。1986年4月17日ボツワナのセロウェにて48歳で亡くなりました。南アフリカで白人の母親と黒人の父親のあいだに生まれ、孤児のように育ち、アパルトヘイト時代に出国許可証を持ってボツ
Kindleにて出しました『より良く生きるために決めました:わたしたちの子宮と卵巣の治療ストーリー』
昨年末、婦人科系の治療経験者(子宮筋腫、卵巣嚢腫等)のアンケートご回答と、わたし自身の治療・手術経験をお伝えしておりました通りKindleにまとめ、ようやく公開いたしました!より良く生きるために決めました: わたしたちの子宮と卵巣の治療ストーリー (雨雲出版)横山
好きなだけ書いて作りたいと夢に見ていた時間~雨雲出版と今の仕事
ずいぶんリアルな夢を見た。昨年まで7年ほど勤めていた開発コンサル会社の同僚に単発の仕事を頼まれる。ブラジルで2週間ばかり研修アテンドの仕事を手伝ってくれないか。スケジュールとカリキュラムはこれこれこうだ、云々。その仕事は実際に過去の様々な案件でやってきたも
■雨雲出版をスタートしました~「雨雲」の由来2023年 雨雲出版 という出版レーベルをスタートいたしました。雨雲という名前は、わたしがライフワークとしている作家ベッシー・ヘッド(Bessie Head 1937-1986 南アフリカ/ボツワナ)が大切にした言葉から拝借しました。北部
[ベッシー・ヘッド] 出版するための翻訳作業は孤独だがようやく次の段階へ
南アフリカ生まれでボツワナに亡命した作家ベッシー・ヘッドというひとを知ってから四半世紀以上。彼女の長編小説の一冊を日本語に翻訳して出版したいと具体的に考え始めたのは、それから少し後だったかもしれない。2004年には、ある翻訳スクールで文芸翻訳基礎コースを受け
【雨雲出版】小出版と強くなるアナログツール~ZINEフェス、文学フリマ
引っ越し荷物も片付かないままに、雨雲出版の二度目のイベント出店を終えた。一度目は昨年末の文学フリマ、今回はZINEフェス埼玉というZINEを売るひとたちが集まるイベントだ。ZINEフェス自体は複数個所で行われているそうだが、そのうち浦和で2月3日に行われた回に初参加し
現代人は一生のうちでどれくらい引っ越しをするのだろう。少ないひとはゼロかもしれない。多いひとは、数か月に一度、なんていうひともいる。もっとも多い「引っ越し」をする部類の人々は、伝統的には季節移動生活をしている遊牧民だろう。昨今では、そのような遊牧民の伝統
病院に図書館があるのをご存知だろうか。その多くは図書館とは呼べない小学校の図書室のような小さなものと思われるが、案外少なくない数の病院に入院患者や通院患者向けに本を集めた部屋があるのを、昨年初めて知った。昨年11月中旬に、手術のため一週間ほど入院した。都心
大きな仕事を成し遂げるひとは偉大だ。例えば、800ページにもなるような大作を書き上げること。ボリューミーでかつ内容の素晴らしい本を書ける作家は、類い稀な才能に恵まれている。多くのひとはそう思うだろう。わたしもそう思っていた。きっと、とびぬけた才能を持ち合わせ
昔からインテリアは好きで、いつも洗練された雑誌やインスタ、ブログなどを眺めてはワクワクしている。ひとり暮らしをはじめたのは大学のころ。小さなアパートだったし経済的な余裕もないので、憧れるような家具を買うことはできなかったが、小物だけは好きなものを集めてい
子どものころ、父は使い込んだ自分の辞書をよく自慢げに見せてくれた。小さな英和辞書だったが、ページは開いてすっかり分厚く柔らかくなり、小口部分には手垢がくっきりと黒い帯のようになっている。父は仕事で英語を使っていたので、日ごろからよく勉強をしていた。小学校
昨年末から、いつもの喫茶店や雑貨店などでちらほら見かけるようになった。2024年の干支、辰のモチーフを。そして、はっと気づいた。そうわたしは辰年生まれなのだ。つまり、年末にはいよいよ作家ベッシー・ヘッドが亡くなった年齢に追いつくということだ。(作家ベッシー・
生きている限り心に寄り添う本と出会って、ジンバブエへ行った『ゼンゼレへの手紙』
心の奥深くにいつもひっそりと生きている本がある。何度でも読み返し、そっとカバンに忍ばせ、ふとした瞬間にその本の言葉を思い出す。長い年月のあいだ、ずっと一緒に生きているような本。わたしにとってその一冊とは間違いなくJ.ノジポ・マライレ氏著の『ゼンゼレへの手紙
子どものころ、JALの訓練所を見学させてもらったことがある。パイロットが訓練するフライトシミュレーターでコクピットに座ったのだ。また、機体と機内を再現してある訓練施設では、サービスだけでなく緊急時の対応や緊急脱出の訓練ができるようになっている。脱出用のスライ
手術からもう少しでひと月を迎える。日常生活ではほとんど支障がないが、体が戻るにはあと数ヶ月かかりそう。アイディアだけが先走って、マインドも体もついてこない日々が続いているので、すべてがスローペースで、まぁ申し訳ない気持ちもありつつゆっくり過ごすことにして
「雨雲出版」スタートと文学フリマ東京37出店、オンラインストアでご注文いただけます
無事に退院して一週間以上経ちまして、体力は少しずつ回復に向かっているところでございます。遅ればせながら、11月11日(土)は「雨雲出版」としての初のイベント文学フリマ東京37でございました。まだレポ書いておりませんでした。急いで本を2冊とフリーでお渡しするサンプ
【ご支援のお願い】南アフリカ/ボツワナの作家ベッシー・ヘッドの貴重なオーディオ資料のデジタル化プロジェクト
文学フリマに「雨雲出版」として初出店いたしました。お買い上げくださった皆さま、温かくご支援くださった皆さま、心より感謝申し上げます。また、翌日に高円寺Punditにて開催されました「軽出版」のイベントにもご参加くださった皆さま、ありがとうございます。(こちらの
編集者・文筆家の 中俣暁生 様が編集・発行されている「マガジン航」に寄稿させていただきました。自己紹介的な内容で、「なぜ出版するのか」について思うことを書かせていただきました。単に本が好きでベッシー・ヘッドをライフワークとしながら、国際協力の世界で開発コン
雨雲出版という出版レーベルを立ち上げることにいたしました。来年2024年には、作家ベッシー・ヘッドの小説When Rain Clouds Gatherの日本語訳(『雨雲のあつまるとき』(仮))を出したいと考えています。それに向けて多くのプロフェショナルな方が力を貸してくださり、少し
名刺交換の機会が減った。昨今のオンライン化事情の影響は少なからずある。オンラインで電子名刺のようなものを用意するひとも見かけはするのだが、それをうまく保存し、ましてや物理的な名刺のように整理しようだなんて気はなかなか起きない。仕事柄、開発コンサルタントや
子どものころは、懐かしいという感情をどうして良いのかわからなかった。何度も転校をして、環境を離れ、場所を離れ、人から離れ、その記憶にはせる思いは誰とシェアできるものではなく、だから少し寂しげな懐かしさが生まれるのだと思っていた。わたしはいつも去る者だった
何か変化を欲しているのか、単に活字を欲しているのか。ネット上で目にした本をあれもこれもと読みたくなってしまい、結果として積読がタワーのように空へと成長する。図書館と好きな書店、ときにネットと使い分けながら、次々と本を入手してしまうのは中毒のようなものだ。
会社でのお勤め人という立場を正式に離れて12日目となる。とはいうものの、先月まで会社、つまり開発コンサルはお休みをしていたため、生活そのものに大きな変化があるわけではないのだが、気持ちとして劇的に変わったことは間違いない。今後、収入のために開発コンサルタン
まるで、昔みた夢の記憶の中をエンドレスに泳ぎ続けているような感覚だった。過去に3冊読んだ高山羽根子さんの作品がとても好きだったので、高山作品を制覇したいと手に取ったのがこの本だった。本書は、高山さんのほか、酉島伝法さん、倉田タカシさんによる架空の旅先からの
旅に出る理由は、誰かに会いに行くことだと言うひとがいる。その土地に会うべき知り合いがいるから行くのだと。それを聞いて、実に新鮮だと思った記憶がある。自分は何のために旅に出るのかを考えてみた。この9月には、しばらくぶりに旅らしい旅をした。仙台に高齢の祖母がい
会社卒業して変わりましたか?の回答。エッセイ100本プロジェクト&noteマガジン『CONTEXT』
前記事は多くの方にご覧いただいて、コメントなども頂戴したようです。わたしのステータスは変わりましたが、人生が前進していることについてはこれまでと変わりはありませんので、どうぞ日常的にブログやnoteにお付き合いくださいね。その一方で、会社卒業して変わりました
【ご連絡】開発コンサルティング会社を卒業いたしました&本づくりのこと
10月に入りました。所属しておりました開発コンサルティング会社のお仕事は、しばらく長期お休みを頂戴しておりましたが、そのまま9月末で卒業をさせていただくことになりました。この会社には8年弱お世話になりました。大学のときにアフリカ地域研究のゼミに所属してアフリ
昔から、ローカル線で行くスローな日本国内の旅に憧れがあった。一両か二両だけの列車で、時間をかけて田舎を行く鉄道旅だ。なんでも、秋田県と青森県に渡り日本海沿岸を走る五能線というのはそんなイメージにぴったりのローカル線で、かつ日本有数の絶景路線だという話で、
両親の家のクローゼットにある自分の資料や荷物を整理していると、見覚えのないファイルがあった。半透明のグリーンのファイルの表紙から、「修了証書」の文字が見える。まるで記憶になかったが、それは2004年に受けた某翻訳スクールの「文芸翻訳基礎コース」のものだった。
アフリカにいると事欠かないのは、日本的マナーとはかけ離れた「サービス」とは対極なものにびっくりする事例の数々だ。たとえば乗り合いタクシー。利用するたび、日本人から見ればたいてい面白い出来事があって飽きることがない。今年は実に久しぶりに開発コンサルタント仕
今まで、ずっと大人ぶって黙ってきたことだけれど、わたしは多分淋しかったのだなと最近すなおに認めることにしている。ベッシー・ヘッド作品を日本語で読んで一緒に感動してくれるひとがいなかったことだ。どれほど応援してくれるひとがいても、原文をわざわざ読んでくれる
むかし読んだ作品に再びはまって翻訳したくなる #雨雲のタイプライター
最近、あらためてベッシー・ヘッドの短編集"Tales of Tenderness and Power"にはまっている。これはベッシー・ヘッドが亡くなったあと1989年に出された短編コレクションで、短編集としては1977年に出版された"The Collector of Treasures"に次ぐ二冊目だ。いずれの短編集も、
ちょっと遅ればせながらなんですけれども、先週なんとなく思い立って浦和パルコで開催されていたZINEフェス埼玉に行ってまいりました。皆さまがそれぞれ思いを込めた冊子などを作っているのを見るのも面白く、出展者さんとお話しするのもとても楽しかった。本当にやりたいこ
InDesignというのを使い始めた。各種印刷やデジタルパブリッシングのデザインはもちろん、書籍の本文や装丁などもできる。どうしても自分でやってみたくて、とうとうこのプロのお道具に手を出したのだ。まずは前記事に書いた自分のエッセイ本の原稿があるので、これを印刷で
夕方以降、夜の時間帯になるころ、まるでコワーキングスペースか図書館のようになったカフェで作業をしている。勉強をしているひと、仕事をしているひと。それぞれの世界に没頭している中で、わたしは今しあげたい文章の推敲、というより前のレベルの「あまりにもひどい箇所
小学校6年生のある日、米国はアラスカ州の最大都市アンカレッジに引っ越した。 ごく普通の英語もできない11歳のわたしは、現地の小学校に転校することになった。このアンカレッジでの生活はわたしにとって初めての海外であり、世界の広さを知る原点となった。転校前、かなり
ここ数か月の間に出会った何名かの業界のプロフェショナルな方々との会話で、大きく前進しているのを感じる。いや、実際、どこかの出版社で作家ベッシー・ヘッドの出版が決まったということではまったくないのだが、今のわたしは昨年までのわたしとはずいぶん違うところにい
【ドキュメンタリ】『プレジデント』ジンバブエ大統領選と映像人類学的インパクト
なんという強烈なインパクトの塊のような映像なのだろう。例によって大きな波乱となった2018年ジンバブエ大統領選挙の一連のストーリーを描く、デンマークのカミラ・ニールセン監督によるドキュメンタリ映画『プレジデント』は終始濃密に多くのひとの思いが詰まった映像だっ
【YouTube】グレートジンバブエ遺跡を歩く~2023ボツワナ&ジンバブエ動画
とうとう。2023年4月~5月の一か月半くらいのボツワナ&ジンバブエ動画の完結編をアップいたしましたこれでとりあえず今回のシリーズはおしまいです。12本になりました。[Zimbabwe] アフリカ旅の終わりにグレートジンバブエ遺跡を歩く & ハラレ Great Zimbabwe and Harare
『君たちはどう生きるか』共有できるエンターテインメントを超越したパーソナルな記憶のインパクト
映画『君たちはどう生きるか』に関するあくまでも個人的な感想をメモ。京都に三日ほどいるあいだ暑さ逃れのために映画館に入ったのだが、大変なものを観てしまったと思う。宮崎駿監督だからこそ作り上げることができる圧倒的な作品世界だと感じた。現実世界であっても、過去
【ボツワナ】農村開発の夢、ボツワナの廃村 Bamangwato Development Association 跡地の訪問記録
ようやく編集が終わり、YouTubeに動画をアップしました5月にボツワナはピリクウェの農村開発プロジェクト跡、いわゆる廃村となってしまっている現場を訪問したときのものです。1960年代、独立前夜のボツワナ(当時のベチュアナランド英国保護領)で伝統的王族のツェケディ・
少し遅れてしまいましたが、7月6日はベッシー・アメリア・ヘッドのお誕生日でした。生きていれば86歳。早いものですね。こちらは2007年に行われたベッシー生誕70年を記念したベッシー・ヘッド・フェストのポスター。早いものです。そんなに年月が経ちましたか。今年は、この
ヒュー・ピアースの話をしたい。ボツワナで作家ベッシー・ヘッドのアーカイブ調査をするほか、ベッシー研究者と古い友人のトム・ホルツィンガー氏にはお会いするつもりだったのだが、滞在中に急遽トムの計らいでお会いすることになった。この件は、ブログにも書いている。そ
4月から5月にかけてのボツワナの発信まとめを文章でも動画(YouTube)でも精力的にやっているが、まだまだ動画素材と書きたいことの山に埋もれて溺れそうな状態。それでも、アウトプットしていくのはとても楽しい。動画はYouTubeに、文章は一冊の本に仕上げて何らかの形で世
2023年4月~5月ボツワナ&ジンバブエの記録まとめ中です。ボツワナの動画は7本上げています。ご覧いただけたらうれしいです。この旅関連で、あと3本か4本くらいは出します。YouTubeチャンネルフォローいただけたら今年のボツワナ&ジンバブエ旅からの動画には、シンプルなvl
他者への想像力~チャイナとニーハオのアフリカ日常の裏を返せば
わたしが11歳のころ、親の仕事の都合でわたしたち家族(両親とわたしと弟二人)はアラスカ州アンカレジに引っ越すことになった。小学校三年生で千葉から大阪へ転校したわたしは、六年生で今度はアメリカへ転校したわけだ。日本でごく普通の小学生だったわたしにとって初めて
【ボツワナ】滑らかな水面を夕陽に向かってすべりゆく日~オカバンゴデルタへ
心の中に住みついている夢とも現実ともつかないような風景。心象風景と言ってしまうと、誰かに作られた言葉にあっさりと閉じ込められて実際の感触から離れるように感じてしまうのだが、それはもっと現実のそばにあって、でもつかみどころない色合いのような気配とでもいうべ
ジャーナリスト堀 潤さんのスーダン写真展「SUDAN Hope」最終日にどうにか両国のギャラリーに駆け込んだ。堀さんが2019年に撮ったスーダンのJVCのサイトが中心の写真で、明るく無邪気な顔の子どもたちが中心だ。カラフルで美しく、輝く瞬間を捉えた写真はどれも生き生きとし
【ボツワナ】ベッシーを看取った「活動家」ヒュー・ピアース氏の話に涙した(トム・ホルツィンガーとめぐる冒険【4】)
2023年4月~5月のボツワナ滞在から帰国しました。テーマ別に振り返りながら書きまとめています。ーーー(ベッシーの友人トム・ホルツィンガー(70代)に振り回されるわたしの冒険譚の続き)前記事にある動画では、熱血トムじいさんが電話をしているシーンがご覧いただける。
【ボツワナ】トム・ホルツィンガーとめぐる冒険【3】トムの語り~ベッシーを思いながら
とうとう。トム・ホルツィンガーの語り動画を編集し終えましたのでアップいたしました。本人も喜んでくれてうれしいかぎりです。ベッシーが亡くなって37年。昔のベッシーの手紙を見せた時のうれしそうな表情。そして、いまでも彼女を近くに感じ、愛情あふれるトム。大切な存
【ボツワナ】トム・ホルツィンガーとめぐる冒険【2】廃村に残る夢と記憶のカケラたち
2023年4月~5月のボツワナ滞在から帰国しました。テーマ別に振り返りながら書きまとめています。ーーー(ベッシーの友人トム・ホルツィンガー(70代)に振り回されるわたしの冒険譚の続き)「アドベンチャーだよ!」熱血おじいさんのトムは青い目を輝かせながら言った。これ
【ボツワナ】トム・ホルツィンガーとめぐる冒険【1】熱血青年そのままの彼に会った
2023年4月~5月のボツワナ滞在から帰国しました。テーマ別に振り返りながら書きまとめています。ーーー2023年4月。16年ぶりのボツワナ訪問で会いたかった人物のひとりは、もちろんトム・ホルツィンガー氏だ。作家ベッシー・ヘッドの古い友人で、とても近い存在のひとりだった
先週末、16年ぶりのボツワナ、11年ぶりのジンバブエから帰国した。ボツワナ訪問は作家ベッシー・ヘッドのアーカイブ調査を中心として、ベッシー研究者や関係者に会い、様々な場所に行くのが目的。というよりも滞在そのものが目的だった。ボツワナでひと月以上有意義でハッピ
2023年4月9日に16年ぶりのボツワナに降り立ってからひと月以上の時間が経った。ボツワナにこんなに長く滞在したのは大学生のとき以来だ。日々、朝起きるたびにボツワナにいる幸せを感じ、日々の出来事に思いが溢れすぎてだんだん文章に書きまとめる余裕がなくなってしまった
【ボツワナ】ミュージアムでアーカイブ調査の日々、耳元に響く雷鳴
セロウェに来てからもう二週間弱。平日は毎日ミュージアムに通っている。カーマ三世メモリアルミュージアムに保管されているベッシー・ヘッド・アーカイブは、彼女の22年間のボツワナ生活を通じて数多くの人と交わした書簡、原稿のほか、ベッシー・ヘッド研究や関連記事、翻
4月17日の命日にベッシーのお墓参りとお家突撃を決行した次の日。夕方にミュージアムから戻るとベッシーの古い友人トム・ホルツィンガーが来てくれました。なんと、ハワード・ヘッドの息子アーロン・ヘッドも一緒でした。つまりベッシーの孫です。ベッシーは1986年に亡くなっ
前記事の続き4月17日の命日にお墓参りをして、そのあとセロウェの中心地から少し離れたところにあるベッシー・ヘッドの暮らした家に行った。1969年にベッシーが建てた家で、1986年に彼女が亡くなった後は息子のハワード・ヘッドが暮らしていた。そのハワードも2010年に若く
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平素より雨雲出版をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。2025年5月に刊行となりました『雨雲の集まるとき』におきまして、このたび同書の一部に印刷の大きなずれが確認されました。製本工程における作業ミスが原因と考えられます。■該当箇所:p.7(扉絵)現在、取次
長い長い年月を経て、ついにこの日がやってきました。ベッシー・ヘッドが1968年、最初に発表した長編小説『雨雲の集まるとき』(原題:When Rain Clouds Gather)の日本語訳を、雨雲出版から5月上旬に刊行いたします。1937年南アフリカはピーターマリッツブルグの精神病院に
ベッシー・ヘッド1937年南アフリカ生まれ。母は白人、父は黒人。アパルトヘイトを逃れボツワナへ亡命。1986年に世を去る。彼女を知ったのは大学時代。以後アフリカ地域でODAの仕事をしつつ、多数の出版社に翻訳出版をかけ合い続けましたが、結局28年後に自ら雨雲出版を立ち上
カバーイラストが、本の表紙デザインになった。アーティストの素晴らしいイラストが作品世界を抽出し、それが本として美しい形にまとまった。誰かに届ける贈り物のように、文字と絵と物語の世界がまとまりあい、フォントがそれを結ぶ。学生時代から愛し続けてきたベッシー・
カバーイラストの原画が届いた。印刷会社でスキャンしてもらったあと、雨雲出版に送られてきたものだ。これまでアーティストともデザイナー、印刷会社ともデータ上でのやり取りだったので原画を見るのは初めてだ。大きなサイズに描かれた絵。ボツワナの農村を描いたベッシー
印刷会社から束見本(つかみほん)が届いた。本の表紙や本文に使う用紙を紙見本帳で選び、実際のページ数に合わせて作る中身のないサンプルだ。これで、本の厚みや紙の色味、感触を知り、本になったときの全体像がわかる。本文用紙は、優しいクリーム色と決めている。クラシ
あまりにも長い年月が過ぎてしまいました。でもそんな年月にもようやく区切りをつけることができそうです。人生の節目のような気がしています。始まりは1997年。大学生のころでした。特にアフリカへの興味もなかったのに選択したアフリカ研究のゼミ。ある日、ぐうぜん入った
高校のとき、学校であるアニメーションを鑑賞し、その内容について意見交換するという特別授業があった。それはとても短い奇妙なアニメーションで、今となってはタイトルも何もわからないのだけれど、おそらくモノクロームの極めてシンプルな絵柄だったと思う。ただ複雑に重
アフリカだけに限ったことではないだろうが、「持てる者が持たざる者へ」金銭的に支援をする、何かをあげるということが当然と思われている場面には、とても頻繁に遭遇する。歴然とした経済格差があるからというのが大前提にあるのだが、これは援助慣れという言葉では単純に
アメリカの大学で教鞭をとる友人が、教えてくれた話がある。彼女の大学の同僚に起きた出来事だ。その方は、分野は忘れたがもちろん専門家でご実績がある女性だ。ある学会に参加されていたとき、初めて会った年配の男性が、その分野に関心があるならこの本を読むべきだとさん
初めてこの作品に触れたのは1997年ごろのこと。日本では未訳の作品だから英語の原文だった。この美しく深い本を日本語にするために訳し始めたのは正確にはいつだったのか思い出せないけれど、おそらく2000年ごろにはもう着手していたのではないかと思う。その日から、ここま
ベッシー・ヘッドの長編小説の出版に向けて、気の遠くなりそうな長い年月を経てようやく制作に入っている。プロの校正者の方に手を入れてもらった校正原稿を絶賛確認中なのだが、自らの出版社の看板を掲げて商業出版をするのは初めてなわけで、とにかくクオリティを上げたい
仕事でもプライベートの旅でも、ある程度の期間をアフリカに関わっているひとの多くは、アフリカにうんざりし、憤り苛立ったり、嫌な思いをした経験を持つだろう。そういえば、ずいぶん前だが、日本の某有名ガイドブックに「叩かれて打ちのめされて、また帰っていくアフリカ
雨雲出版のニュースレターを始めることにしました。明日、2月1日から配信開始です。月1~2回程度のニュースレターでは、雨雲出版のお知らせ(新刊、イベント等)の他、ブログやnote、SNSに書かないようなベッシー・ヘッド作品翻訳出版の裏話や、本に関することなど、少し深い
京都の貴船神社は、水の神様を祀り、古くから雨乞いの神事が行われてきた長い歴史を持つ神社だ。山深く、青緑の空気に静かにたたずむその美しさを捉えた写真を見て、いつか訪れてみたいと思っていた。神秘的で印象深いその写真は、自宅で利用しているウォーターサーバーの会
一年ほど前、夏葉社の島田潤一郎氏がトークイベントで登壇されたとき、真っ先に質問した。「売れる本を作るのは大切ではありますが、それよりも『長く読まれる本』とはどんな本でしょうか」島田氏の答えのポイントは、「わからなさのある本」だった。それは島田氏の経験から
雨雲出版を2023年の終わりに設立してから今まで、イベント出店を積極的に行っている。出店も回数を重ね、先週(2025年1月19日)の文学フリマ京都9で通算11回目となった。イベント出店では、何よりも人と直接お会いできて会話を交わす機会があるのがとても貴重で、これからも
実に感慨深い。とても個人的なことで恐縮だが。作家ベッシー・ヘッドの長編小説の翻訳出版を準備中だ。これは作家を知った90年代後半から望んでいたことだが、ずいぶん長い年月が過ぎた2023年に雨雲出版を立ち上げることになり、現在は実現に向けて手続きや作業を進めている
学部を卒業して何年も経っていない、まだ二十代前半のころだったと思う。大学のサークルの同級生が、たまたま出版社で編集の仕事をしていた。詳しい経緯は忘れたけれど、わたしがやっていることに興味を持ってくれて、会って話をしようと声をかけてくれたのだ。当時わたしは
大変な年の始まりになってしまった。年末年始は、事故や怪我、火事などの大事が起きてしまいがちなのかもしれない。慌ただしく用事をこなしたり、いつもならやらないことをやってみたり。気持ちも忙しなく浮ついてしまうからでもあるだろう。わたしたち家族も、この年末年始
学生時代にアフリカに関わり始めてからいままで、ずいぶん年月が経った。いつも感じていることだが、アフリカ関係以外の一般のひとと話していて、あからさまにアフリカに対する差別的な発言をされるのは日常茶飯事だ。アフリカ関係者ならきっと誰しも、そんな場面には数知れ
雨雲出版の新刊エッセイ『水面(みなも)をすべるモコロのように:ベッシー・ヘッドと出会ってボツワナを旅したわたしはひとり出版社をはじめようと思った』昨年のボツワナ/ジンバブエ旅を一冊の本にまとめました。開発コンサル企業を去り、作家ベッシー・ヘッドのアーカイ
雨雲出版として二回目の文学フリマ東京に出店します。アイテムは以下の4種類と無料配布の1種類の計5種類。文学フリマに行ったのも出店したのも去年(手術直前)が初めてでした。今は1800以上ものブースが出る巨大なイベントのようです。出店者様も個人やサークルの方はもちろ
昨年11月に手術を受けた。病院のベッドで思いついたのがこの本を書くことだった。より良く生きるために決めました: わたしたちの子宮と卵巣の治療ストーリー (雨雲出版)横山 仁美雨雲出版2024-03-25婦人科(現在では、女性科・女性診療科のような呼称に変えている病院も)の
文章にしてしまうと、そこで事実を認めて何かが定まってしまう気がする。何か書くと、別のものに置き換わってしまいそうだ。二日前に、とてもショッキングな知らせが目に入ってしまい、そこから心にぽっかり大きな穴があいたように放心状態だ。敬愛するピアニスト、ゲオルギ
珍しく、今期は朝ドラを観て楽しんでいる。「虎に翼」は、日本史上初めて法曹界に飛び込んだ実在の女性のストーリーに基づくオリジナルの物語だそうで、連日話題になっているほど人気が高いようだ。このドラマの素晴らしいところは多くあるのだが、手帳好きのわたしとしては
このところずっと集中してエッセイ本を執筆していた。ボツワナで敬愛するベッシー・ヘッドのお墓参りをしてから一年になるが、ボツワナのセロウェでのアーカイブ調査と、出会った人々の話など、ボツワナとジンバブエ旅全般についてのエッセイ本だ。既刊の『雨風の村で手紙を
今年もこの日がきました。敬愛する南アフリカ/ボツワナの作家ベッシー・ヘッドの命日です。1986年4月17日ボツワナのセロウェにて48歳で亡くなりました。南アフリカで白人の母親と黒人の父親のあいだに生まれ、孤児のように育ち、アパルトヘイト時代に出国許可証を持ってボツ
昨年末、婦人科系の治療経験者(子宮筋腫、卵巣嚢腫等)のアンケートご回答と、わたし自身の治療・手術経験をお伝えしておりました通りKindleにまとめ、ようやく公開いたしました!より良く生きるために決めました: わたしたちの子宮と卵巣の治療ストーリー (雨雲出版)横山
ずいぶんリアルな夢を見た。昨年まで7年ほど勤めていた開発コンサル会社の同僚に単発の仕事を頼まれる。ブラジルで2週間ばかり研修アテンドの仕事を手伝ってくれないか。スケジュールとカリキュラムはこれこれこうだ、云々。その仕事は実際に過去の様々な案件でやってきたも
■雨雲出版をスタートしました~「雨雲」の由来2023年 雨雲出版 という出版レーベルをスタートいたしました。雨雲という名前は、わたしがライフワークとしている作家ベッシー・ヘッド(Bessie Head 1937-1986 南アフリカ/ボツワナ)が大切にした言葉から拝借しました。北部
南アフリカ生まれでボツワナに亡命した作家ベッシー・ヘッドというひとを知ってから四半世紀以上。彼女の長編小説の一冊を日本語に翻訳して出版したいと具体的に考え始めたのは、それから少し後だったかもしれない。2004年には、ある翻訳スクールで文芸翻訳基礎コースを受け
引っ越し荷物も片付かないままに、雨雲出版の二度目のイベント出店を終えた。一度目は昨年末の文学フリマ、今回はZINEフェス埼玉というZINEを売るひとたちが集まるイベントだ。ZINEフェス自体は複数個所で行われているそうだが、そのうち浦和で2月3日に行われた回に初参加し
現代人は一生のうちでどれくらい引っ越しをするのだろう。少ないひとはゼロかもしれない。多いひとは、数か月に一度、なんていうひともいる。もっとも多い「引っ越し」をする部類の人々は、伝統的には季節移動生活をしている遊牧民だろう。昨今では、そのような遊牧民の伝統
病院に図書館があるのをご存知だろうか。その多くは図書館とは呼べない小学校の図書室のような小さなものと思われるが、案外少なくない数の病院に入院患者や通院患者向けに本を集めた部屋があるのを、昨年初めて知った。昨年11月中旬に、手術のため一週間ほど入院した。都心
大きな仕事を成し遂げるひとは偉大だ。例えば、800ページにもなるような大作を書き上げること。ボリューミーでかつ内容の素晴らしい本を書ける作家は、類い稀な才能に恵まれている。多くのひとはそう思うだろう。わたしもそう思っていた。きっと、とびぬけた才能を持ち合わせ
昔からインテリアは好きで、いつも洗練された雑誌やインスタ、ブログなどを眺めてはワクワクしている。ひとり暮らしをはじめたのは大学のころ。小さなアパートだったし経済的な余裕もないので、憧れるような家具を買うことはできなかったが、小物だけは好きなものを集めてい
子どものころ、父は使い込んだ自分の辞書をよく自慢げに見せてくれた。小さな英和辞書だったが、ページは開いてすっかり分厚く柔らかくなり、小口部分には手垢がくっきりと黒い帯のようになっている。父は仕事で英語を使っていたので、日ごろからよく勉強をしていた。小学校
昨年末から、いつもの喫茶店や雑貨店などでちらほら見かけるようになった。2024年の干支、辰のモチーフを。そして、はっと気づいた。そうわたしは辰年生まれなのだ。つまり、年末にはいよいよ作家ベッシー・ヘッドが亡くなった年齢に追いつくということだ。(作家ベッシー・
心の奥深くにいつもひっそりと生きている本がある。何度でも読み返し、そっとカバンに忍ばせ、ふとした瞬間にその本の言葉を思い出す。長い年月のあいだ、ずっと一緒に生きているような本。わたしにとってその一冊とは間違いなくJ.ノジポ・マライレ氏著の『ゼンゼレへの手紙