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函館 Glass Life https://blog.goo.ne.jp/ise5678/

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む50代店主とスタッフの 仕事と趣味と日常の奮闘日記!

ise5678
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2007/07/09

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  • 鎌倉殿の13人、勝ち組と勝ち組の戦い!!

    ドラマ前半のクライマックスシーン意識朦朧とした頼朝が落馬しましたね落馬説、病気説、暗殺説など頼朝の死には謎がかなり有りそうです?馬を曳いていた安達盛長の「佐殿~」と言った言葉が、鎌倉殿としての不安定さを感じたのは僕だけでしょうか?旗揚げ当初とは全く違う力関係を危惧した古参の御家人達の反乱旗揚げ当初は北条や比企よりはるかに大きな所領を持っていた大庭や岡崎。あっという間に追い越され今や完全な負け組曽我兄弟を使った謀反を起こした可能性が大きそうですが、その謀反に北条や比企が関わっていないとも言い切れません身から出た錆とはいえ、頼朝の心中が穏やかでなかった事だけは間違いなさそうですねそういう意味では、曽我事件までは勝ち組と負け組の争いと言っても良いのかも知れません頼朝は糖尿病だとは言われていますが、落馬して意識不...鎌倉殿の13人、勝ち組と勝ち組の戦い!!

  • 鎌倉殿の13人、頼朝の嫉妬!!

    範頼は平家物語や源平盛衰記などでは凡将として描かれていますが、頼朝の代理として大軍を任されたところを見るととても凡将とは思われません頼朝の悲願でもある平家討伐の将軍なのですから、中々の武将だった筈曽我事件を見ても分かりますが、この時期、一発逆転を狙っている武将は大勢いたのです頼朝が、猜疑心に取りつかれたとしても不思議有りません範頼はそんな頼朝の餌食になったのでしょうか?実直な性格だったと言われている範頼ですが、疑いを晴らす為、起請文を頼朝にしたためます起請文の最後に源範頼と書いた事が頼朝の逆鱗にふれ万事休す全くの言い掛かりですよね範頼は自害して果てますが、その死が源氏将軍家のその後を暗示している様な気がしてなりません頼朝は何故?範頼を殺したのでしょうか?もし生きていれば、源氏将軍家を支えた可能性がかなり高...鎌倉殿の13人、頼朝の嫉妬!!

  • 鎌倉殿の13人、曽我の仇討ち、犯人は誰だ??

    「敵討ちを装った謀反ではなく、謀反を装った敵討ちに御座います。」と呟く義時たまたま頼朝の替わりに寝所で寝ていた工藤祐経が殺されただけで、謀反ではないと言う事なのでしょうか曽我兄弟は頼朝の寝所に祐経が寝ているのを知っていた事になります。物も言いようですが、騒ぎを大きくしたくないと言う義時の思いも感じられますね流石は三谷脚本、普通のドラマとして曽我兄弟の仇討ちを描く筈がありません。まるで古畑任三郎のトリックを見ている感じがしたのは僕だけでしょうかねそれにしても…単なる敵討ちではなく、謀反の臭いがプンプンしますよね曽我兄弟だけでは頼朝の寝所迄は辿り着ける筈がありません。誰かの手助けが無ければ……「鎌倉殿は天に守られておられます。」と義時。「いつも天の導きを感じたが、昨日は何も聞こえなかった。」と頼朝何となく死期...鎌倉殿の13人、曽我の仇討ち、犯人は誰だ??

  • 鎌倉殿の13人、征夷代将軍は二番煎じ!!

    1192年(いいくにつくろう)頼朝は征夷大将軍に任じられましたね後白河法皇が崩御した後だったので、いろいろ憶測を呼んでいますが、頼朝自身も征夷大将軍を何が何でもと言う感じではなかった様ですね源氏で最初に征夷大将軍(征東大将軍かも?)に任じられたのが木曽義仲です頼朝は義仲の二番煎じと言う事ににります恫喝の様な形で大将軍に就任した義仲のですが、任じたのは後白河ですね後白河自身が2回も征夷大将軍を指名する訳にはいかなかったのではないのでしょうか?治天の君として前例を踏み外す事は出来ればしたくないと言う思いが有り、その辺りを後白河と頼朝も暗黙のうちの了解状態だったのだと個人的には思っています前九年・後三年の役で活躍した頼朝の御先祖様、源頼義・義家親子も鎮守府将軍と陸奥守でしたし藤原秀衡も…武士の棟梁として、権威の...鎌倉殿の13人、征夷代将軍は二番煎じ!!

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