サポートグラス恒例、冬のクリアランスセールのご案内ですフレーム+レンズ、50%OFFこの機会にあなただけの一本を見つめて下さいね寒い時期の必須アイテム、曇りにくいレンズも50%OFFにてご提供メンテナンス不要、マスク装着時の曇りを解消、是非お試し下さいねクリアランスセールのご案内!!
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八雲町のお客様から頂いた噴火湾の真鰈10枚。大きいので40cm位ありそうです久し振りにmy包丁で捌きましたが、中々上手くいきません大き目の鰈二枚を刺身にしてみました。鮮度が抜群なので、心なしか身が光っている様にも感じますね刺身を作るのに30分も掛かってしまいましたが久し振りなので仕方ありませんよね次は煮付です。落し蓋替わりにアルミホイールを被せスイッチON。我ながら旨そうな仕上がりです。この時期の鰈はかなり肉厚ですね全部は食べ切れないので、残りは食べ易い大きさに切りジプロックに入れ冷凍庫へ唐揚げも良いかも知れませんが、揚げ物が苦手な僕にはハードルが高そうです八雲町のS様、有難う御座いましたところで…これ何だか分かりますか??実は、我が家の箸置きですネットで見たので早速作って見ましたシャンパンのコルクを二つ...噴火湾の真鰈!!
すっかり高級魚となってしまった烏賊友人のS君が持って来てくれました船で烏賊釣りに行っても全く釣れないとぼやいていたのですが…今日は大漁だった見たいですしかも、型も25cm~30cmの食べ頃サイズ。新鮮な烏賊の色は綺麗ですね。早速、刺身を作ったのですが、量が多いので食べきれません残りは…バター焼きにして見ました鮮度抜群なので肉厚でもプリプリ状態青唐も一緒に焼き醤油をひと回し。抜群の美味さですもしかすると、刺身より美味しいかも知れません久し振りの烏賊です!!
知人から頂いた鮫皮おろしです鮫皮だけあって、表面は鋭利な状態ではありません。お菓子の雷おこしみたいですね山葵を洗い、皮ごと円を描く様におろすと、香りと辛味が生まれるのだとか…早速、試してみたいのですが、スーパーには山葵が売っていませんでした近いうちに試してみたいものです柄の下には長次郎作と書いています。超特大サイズと言っていたので、お値段も結構するのかも知れませんね鮫皮おろし!!
サポートグラス恒例、夏のクリアランスセールです一組購入の場合、フレーム+レンズが50%OFFこの機会にあなただけの一本を見つけて下さいね開催期間は7月6日~7月30日です夏のクリアランスセール!!
森町のお客様から頂いた、手作りの一味です収穫してから四カ月乾燥させるそうです青唐を乾燥すると綺麗な朱色になるのですね。乾燥させた三種類の青唐をコーヒーミルで粉砕しブレントしたものがこれ。鮮やかな朱色ですね大根をおろし、いくらか水分を取り、特製一味と合わせるだけで極上の紅葉おろしが完成します。粒子が小さいので粒々感も全くありません香りと辛さも僕好みですが、辛いのが苦手な方には少し刺激が強過ぎるかも知りません自家製一味!!
今年も君子蘭が咲きそうです蕾がオレンジ色に色付いてきました。大分蕾が開き始めましたね二日後には満開に近いくらい咲いています。奥の蕾も花が開き、開花宣言です桜の開花宣言とほぼ同時くらいでしょうか僕は花の事は全く分かりませんが、君子蘭の色だけ見ていると南国の花の様な錯覚に陥ります君子蘭の子株を別の鉢に植え替えた物です。一年くらい経ちますがしっかりと根付いているみたいです数年後には花が咲くのかも知れません。楽しみです君子蘭、開花宣言!!
知人から頂いた銀杏草。耳海苔とか仏の耳とも言われている海藻ですそろそろ旬も終わりに近づいているので少し固くなっている様ですはしりだと柔らかいので、そのまま味噌汁などに入れ食べるのですが、今日は軽くボイルをしてみます昼食に出前をしたキツネ蕎麦にオンザ銀杏草磯の香とシャキシャキした食感がたまりません昼食のタヌキ蕎麦が一気に豪華になった気がします聞くところによると、昔は煮詰めて糊の代用品として使われていたとか??昔、聞いた事が有るのですが…夜にのんだ味噌汁の残りに、翌日新鮮な銀杏草を加えひと煮立ち。ご飯の上にかけると、シャキシャキ感とドロドロ感を楽しめ絶品だそうです僕は試したことはありませんが、一度お試しあれ銀杏草!!
知人のMさんから頂いた煮豆。一見、大豆かと思ったのですが、たまふくらと言う枝豆でした昆布出汁を利かせ薄口醤油で炊いたものでしょうか?何とも上品な味がしますたまふくらは、枝豆として食べた事は何度もありますが、それ以外では初めてです。豆を煮るのは難しいと聞いていますが、歯応えといい、見た目の艶といい、抜群の一品ですたまふくらでした!!
知人から頂いた牡蛎。知内産ですねざるに開け。片栗粉を振りかけます。軽くまぶします。水洗いをして片栗粉を落とすと完成今回は目ネギを乗せ、ポン酢をかけて見ました。剥き身で500グラムも有るの一人では食べきれません残りは、シャブシャブで食べて見ようと思っていまが…朝処理した牡蛎なので磯の香りが強く僕好み薬味として生姜や一味も合いそうですね知内の牡蛎!!
あけましておめでとうございますコロナに振り回された三年でしたが、少しずつ平穏な社会を取り戻しつつあるようですウクライナ侵攻やパレスチナとイスラエルの問題など、混沌とした世界情勢が続いていますが、人の命が軽くなった気がしてなりません争いは尽きないものなのでしょうか?もしかして人間は、平穏で穏やかな生活を求めていないのではとさえ思ってしまいます僅かな希望かも知れませんが、人間の英知で必ず乗り越えられると思わずにはいられません。そこにしか頼るものがないと思っている僕なのですどうか、平和な世界が訪れますよう又、皆様にとって、幸せな一年となりますよう心からお祈り申し上げますあけましておめでとうございます!!
どうする家康、遂に最終回ですね最終回の主役は家康ではなく茶々だった気もします「茶々は、ようやりました」との言葉を残し壮絶な最後を迎えます色んな茶々を見てきましたが、北川景子演じる茶々には美しさだけではなく、凛とした佇まい、強い意志や人に対する愛情や憧れなど、今までに感じた事のない茶々を見させて貰った気がしています「日ノ本か、つまらぬ国になるであろう」「おのれの夢と野心のためになりふりかまわず力のみを信じて戦い抜く、かつてこの国の荒れ野を駆け巡った者たちは、もう現れまい」茶々の言うつまらぬ国とは、家康の目指した太平の世の中の事なのでしょうか?乱世の亡霊とは茶々の事だったのかも知れませんね「正々堂々と戦うこともせず万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける」「やさしくて、卑屈な、かよわき...どうする家康、つまらぬ国!!
戦の度に死んでいった兵達の為なのか?南無阿弥陀仏と念仏を写経していた家康ですが、自分の寿命が尽きるのを悟った様に南無阿弥家康と書いていましたねこの戦が長い乱世の最後の戦いだと確信していたのでしようか?気弱で優柔不断でも人殺しを平気でおこなえるようになる魔界の世界、それも乱世なのでしょうかね?大阪の陣を最後の戦にするとの強い意志が南無阿弥家康の念仏に感じてしまいます「乱世を生きるは、我らの代で十分。子どもらにそれを受け継がせてはなりませぬ。私とあなたですべてを終わらせましょう」。「私の命はもう尽きます。乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて滅ぶ覚悟にございます」との家康からの手紙で家康の思いを理解したかに見えた淀殿ですが、淀殿自ら戦を中止にするとは言えませんでしたね決断を息子・秀頼に委ねますが、「余は戦場でこの...どうする家康、南無阿弥家康!!
12月9日(土曜)~12月24(日曜)冬のクリアランスセールの開催ですメガネ一組購入時、レンズもフレームも50%OFF勿論、除外品は御座いませんこの機会に、貴方だけの一本を見つけて下さいねクリアランスセールのお知らせ!!
最近の説では、開戦前から和議を模索していたとも言われていますしかし、多数の浪人達を抱えた時点で闘いは避けられません殆どの浪人達にとって豊臣家より御家の再興が第一の目的。和議では再興が叶いませんそう考えると戦いを回避するのは難しそうですね豊臣軍は幾つかの砦を作っていましたが、木津川口の戦いなどでは豊臣軍は全敗籠城戦を選択した時点で兵糧の確保は必須でしたが、補給路も断たれ、豊臣恩顧の大名達からの援軍も期待できない状態では戦いを続ける事が出来ません福島正則や黒田長政は江戸留守居を命じられているので万事休す局地戦では真田信幸等が善戦していますが、大局には影響なさそうですよね。無謀な戦だったと言わざるを得ません「この戦は、徳川が汚名を着る戦となる。信長や秀吉と同じ地獄を背負い、あの世へ逝く。それが最後の役目じゃ」と...どうする家康、僧侶達の嫉妬??
自身の生き様に葛藤を覚える家康そこに登場したのが、旧主・今川氏真でしたね「見違えるほど成長した。立派になった」と家康を称える氏真ですが、「平気で人を殺せるようになっただけじゃ」と暗い表情の家康いつになく弱気な家康に対し、「家康よ、弟よ、弱音を吐きたいときはこの兄が引き受ける。そのために来た。おぬしに助けられた命もあることを忘れるな。本当のおぬしに戻れる日もきっとくる」と慰める氏真の前で涙を流す家康でしたね実像の家康は違っていたと思いますが、ドラマの中での悩み苦しむ姿こそ(どうする家康)で脚本家が描きたかった事だった気がしていますこれから大阪の陣が勃発しますが、家康は豊臣の滅亡を望んでいなかったと個人的には思っています。一大名として生きる道を閉ざしたのは豊臣の方なのでは…大阪城には莫大な金と多数の浪人達が溢...どうする家康、巨漢だった秀頼??
今週の主役は山田裕貴演じる本多忠勝ですね生涯かすり傷一つも負わなかったと言われている忠勝が、槍で指を切ってしまいます忠勝自身が老いを感じた瞬間でしたね「老いには抗えん。無念だが、我らはここまでのようじゃ。役目は終えたのだ」と言う康政を、「わしは認めん!!殿を守って死ぬのがわしの夢じゃ、老いなど認めん。」と意気込みを語る忠勝ですが、どうやら引き際が近ずいている見たいです晩年の忠勝は、目を患っていたと言われていますが、殆ど見えていない山田裕貴の演ずる忠勝の演技にも引き込まれるものがありました流石、役者ですね関ケ原の戦いも呆気なく終わってしまいましたが、家康に内応していた小早川秀秋が、大垣城主・伊藤盛正を松尾山から退かせ、松尾山を占拠してしまったのが戦いの始まりだったのかも知れません。最近の説では、秀秋は開戦と...どうする家康、軍事指揮権をもった家康!!
天下分け目の関ケ原VPで撮影された映像も迫力がありましたね戦いは井伊直政が口火を切ったと言われていますが…いつも先陣を切る本多忠勝は家康本陣の前に布陣しています福島・黒田・藤堂などの豊臣恩顧の武将の後ろです。万が一、それらの武将が裏切った場合の備えといったところでしょうか?ちょっとしたきっかけで裏切らないともいえませんものね捕らえられた三成と勝者となった家康の対面のシーンが、意味深でしたね「この悲惨な戦を引き起こしたのは、私であり、あなただ。」「戦乱を求むる者に戦なき世など成せぬ。まやかしの夢を語るな!」と言い放つ三成ですが、戦なき世を実現できるのであれば、豊臣でも徳川でもどちらでも良い筈家康が語った「それでも、わしはやらねばならぬ」の言葉に、天から与えられた使命感を感じるのは僕だけでしょうか?戦なき世を...どうする家康、決戦関が原!!
「徳川一の忠臣、この鳥居元忠が、お守りいたしまする。」その言葉通り伏見城を13日間も守り抜いた鳥居元忠壮絶な最期でしたね西軍四万を相手に僅か千八百の兵力で13日間も伏見に釘付けにしたのは流石です上田城に秀忠軍を釘付けにした真田昌幸にも匹敵する働きですね元忠は、家康が上杉征伐を止め西国に引き返す事が出来た最大の功労者と言っても良いのかも知れませんドラマでは…信玄の家臣だった馬場信春の娘を側室として娶っていますが、馬場信春の娘かどうかは定かではない様です武田家に縁のある女性だったのは間違いなさそうですが…何れにしても、家康との約束を立派に果たし、最愛の女性と最期を迎える事が出来た元忠には、悲壮感を感じなかったのは僕だけでしょうか?僕の目には、とても幸せそうな表情に写りましたが…ところで…おっとりとした跡取りだ...どうする家康、幸せそうな最期でしたね!!
佐和山に隠居した三成ですが、家康はこの機に乗じて伏見城から大阪城西の丸に移っていますドラマでは…上杉景勝の謀反の噂が広がると茶々が家康を焚きつけていましたね裏では三成には軍資金を与え、上杉討伐に向かった家康の隙を突き挙兵させ、そればかりか、家康に「三成が怖い。」と手紙まで送るとは稀代の悪女そのもの茶々ばかりではなく、上杉景勝も毛利輝元も家康を廃除して実権を握ろうとしていた節もあります家康が単に言い掛かりをつけ上杉討伐をした訳でもなさそうです。特に輝元は連絡を受けてから僅か二日で大阪に到着したと言われていますやる気満々ですよね秀吉ですら岡山から戻るのに十日も掛かっていますが、それより遠い広島からなので驚きの速さです勿論、陸路と海路からの違いがあるにせよ当時としては異常な速さです輝元の意気込みを感じますね武将...どうする家康、家康暗殺計画??
秀吉の遺言に従い五大老・五奉行による政治が始まりましたね殆どの大名が、幼い秀頼を担いだ政権運営が長くは続かないと思っていた筈です五大老の中でも、上杉景勝や毛利輝元などはさっさと自国に戻っていますよね次の戦に備えていたと見られても不思議ありません家康は跡取りの秀忠を江戸に戻し伏見城で政務をとっていた見たいです織田信長・信忠親子の二の前にならない様に、京都と江戸に分かれているところを見ると不穏な空気を感じていたのでしょうか?前田利家が生きている間はどうにか収まっていましたが、亡くなると歯止めが利かなくなります「皆、貴公が怖いのよ。貴公は腹を括るしかない。」と言った利家の言葉が全てを物語っている様な気がします利家も生きている間は秀吉の思いに沿う動きをするしかありませんが、亡くなった後は家康が天かを治めるしかない...どうする家康、因果応報!!
秀吉が遂に最後の時を迎えます家康を呼び出し、「うまくやりなされや」と後を託した秀吉ですが、天下の事よりも秀頼の生末しか頭にない様でしたね稀代の英雄秀吉も老いには勝てない様です「秀頼は、あなたの子だとお思い?」と問いかける茶々。てっきり、実の父親を告白するのかと勘繰りましたが、「秀頼は私の子。天下は渡さぬ」と…「あとは私に任せよ、猿」と言い放つ様は、亡き母・お市を彷彿させます茶々の言葉を聞き何故か笑みを浮かべる秀吉ですが、もしかして、秀頼が自分の実子だと確信しての笑みなのかも知れません絶命した秀吉を抱きしめ泣き声を上げる茶々ですが、秀吉に対する愛情が無かった訳でもなさそうでしたね単に情だけなのかも知れまらせんが、心の奥底は凡人の僕には理解し難いものがありますところで…家康は朝鮮従軍から除外されていますよね。...どうする家康、豊臣政権のナンバー2!!
秀吉の心に入り込んでいる茶々ですが、今度は家康の心にも入り込もうとしていましたねそこに登場したのが家康の側室阿茶局。茶々VS阿茶の戦いの始まりです唐入りを何とか止めようとする家康ですが、「図に乗るなよ。わしは太閤じゃ。その気になれば、徳川くらい潰せるぞ。」と逆に脅しをかけられますそんな秀吉に怯む事無く「かつての底しれぬ強さがあった秀吉ならばそんなことは口にすまい。」「目を覚ませ、惨めぞ、猿。」と…そんな一触即発状態で登場したのが、すっかり忘れ去られていた足利義昭義昭の何とも言えないキャラクターのお陰で二人の言い争いも中断となってしまいます二人の争いを知ってか知らずか、義昭の語った「てっぺんは独りぼっちじゃ。」「信用する者を間違えてはならんのう。」の言葉に秀吉も我に返った様でしたね家康に対し、「わしを見捨て...どうする家康、秀吉の子供??
北条家を潰し、遂に天下人となった秀吉の暴走が止まりそうにありませんね息子・鶴松が病死してしまいますが、その悲しみを糧にするかの様に高笑いを始め、「次は何を手に入れようかの。」と囁く下り…精神的に壊れていく人間の愚かさを感じてしまいます欲望でしか悲しみを補う事が出来ないものなのでしょうか?死ぬまで秀吉の暴走は止まりそうにありませんね戦が無くなった後の平穏な世の中を維持する術が秀吉には無かったのかも知れません。ところで…小田原北条氏の初代は早雲ですが、早雲は伊勢宗瑞と名乗っています姓を北条と称したのは、傑物と言われた二代・氏綱からですね氏綱は54歳で亡くなりますが、26歳と若い跡取り・氏康に遺訓を残していますその中に、「義を守りての滅亡と、義を捨てての栄華とは天地格別である」とありますお家大事の戦国の世にあっ...どうする家康、氏綱の遺言!!
於愛の生い立ちに始まり、武田の間者だった千代の消息、最後は茶々の登場と今週は女性メインのドラマでしたね於愛は二代将軍・秀忠の生母です。ドラマても目の不自由な人々に施しを与える様が描かれていましたが、当の於愛もかなりの強度近視だったと言われています現代ならメガネやコンタクトで矯正出来ますが、当時ではそうもいきませんかなりのハンデを背負って生きなければなりません精神的にもかなり強い女性だったのでしょうね。於愛は家康の側室になる前は西郷某の妻でした。一男一女の子供がいたと言われています。秀忠からすれば兄妹と言う事になりますね秀忠は兄・姉にあたる兄妹二人を母・於愛に対する愛情の裏返しからか?とても大事にしていたと言われていますそんな於愛の死がナレーションだけなのには少し残念な気がしています武田の間者だった千代は創...どうする家康、静かな戦いの始まり!!
ようやく重い腰を上げ上洛した家康時が経てば経つほど徳川に不利な状況になる事は家康も分かっていた筈です。自分を高く売りつける為ギリギリまで待って決断した家康は流石ですが、徳川を潰したいと秀吉が考えていたのも事実でしょうね英雄同士の駆け引きはと決断は凡人には理解し難いものがありますねそれにしても…前回で裏切り者から一転、一番の忠義者へとして描かれていた数正の出奔こんな脚色だとは少し驚いてしまいました数正のスパイ説はあり得ないと思っていましたが、このシナリオならもしかして…と思わせてくれます歴史は結果ありきですが、プロセスを想像する楽しさがありますよねおそらく…数正は家康の将来性を高く評価していた筈ですし、家康からの信頼も得ていた筈です徳川家の外務大臣として難しい交渉事は全て数正が仕切っていましたが、反面家臣達...どうする家康、徳川征伐!!
今週の主役は旭姫でしたね家康との政略結婚のため夫と無理やり別れさせられ、44歳で家康の正室として迎えられます勿論、形だけの結婚ですが、旭の心の中を慮ると戦国の女性の悲哀を感じます47歳で亡くなったと言われている旭姫ですが、晩年は病気がちだったとも言われていますよね。ドラマでは、明るく振る舞う旭姫のけなげな姿に感動すら覚えます。その明るい姿と裏腹に、無理やり別れさせられた夫は行方知れず一人でいる時に号泣する姿には掛ける言葉も見つかりません。旭姫の生涯は、自分の意志と関係なく、天下人となってしまった兄・秀吉に翻弄され続けた儚い生涯だった様ですところで秀吉が関白に就任しましたね秀吉の事ですから、裏で動いていた結果なのでしょうが、そもそも近衛家と二条家で関白の座を争っていた事が要因です近衛信輔と二条昭実は関白の座...どうする家康、関白就任!!
局地戦で大敗した秀吉軍ですが…ドラマでは、「信長様のせいだわ。徳川をさんざんこき使って、とんでもねえ軍勢を育ててまった。」と嘆いていた秀吉ですが、着々と秀吉包囲網を崩しにかかります総大将・織田信雄を丸め込み、和議を進める秀吉さらに朝廷も秀吉を関白に任命します徐々に外堀を埋められていく家康ですね戦いに負けて勝負に勝つとはこういうことなのでしょうか?今の徳川では到底敵いそうな相手ではなさそうですねほぼ、天下人となった秀吉を的確に観察していたのが石川数正だったのでしょうか?「あれは化け物じゃ。殿は化け物には敵いませぬ。」と家康に進言する数正ですが、家康に拒否されます数正の進言は的を得たものですが、岡崎城代の任も解かれ、家康にも家臣達にも数正の進言は通じなかった様です万事休す、感極まれり状態の数正ですが、「殿、決...どうする家康、通じなかった数正の進言!!
「家康の天下を取るは大阪(大阪の陣)にあらずして関ケ原、関ケ原にあにずして小牧にあり」と言われていますが、それほど小牧長久手の戦いは家康が天下人となるうえで重要な戦いだったともいえます信長が亡くなるまで織田・徳川の同盟は続いています事実上、織田の後継者と思われていた信雄を担いだ戦いなので、大義名分は家康にあります秀吉の力が大きくなっていたのは事実ですが、天下が収まった訳ではありません秀吉の勢いもいつまで続くか分からないのです。本能寺の変も然り、青天の霹靂の様な事が起きて不思議の無い時代。伊達・北条・毛利・長曾我部や息を吹き返した上杉など、虎視眈々と次を狙っている武将達も…兵数だけ見ると勝てそうな相手ではありませんが、秀吉政権が固まっていない今なら全く無謀な戦いとまでは言い切れません局地戦で勝利した徳川軍で...どうする家康、秀吉と昵懇の間柄だった恒興!!
形式上戦勝祝いとして石川数正を秀吉に派遣しましたね一国に値すると言われている天下の名品・初花肩衝を手土産に…家康が数正に秀吉の人物像を問いただすと、「何もかも芝居のようであり、何もかも心のままにも思える」との答えようは掴み処の無い人物だと言う事なのでしょうか?感情を押し殺した不気味さすら感じます家康も秀吉の人物像を解説していましたね。欲に果てがないことだ。何もかもを欲しがり、持てる力の全てを使って手に入れようとするそんな秀吉の次の獲物が石川数正なのでしょうか?いよいよ小牧長久手の戦いです後の小田原征伐と違い、この時点で秀吉に服従しない大名もいました長期戦ともなると士気も下がりますが、兵糧の心配も出てきますましてや野戦ともなれば家康に一日の長がありますよねそう考えると、兵数では劣っていても全く無謀な戦いとま...どうする家康、しぶとい信雄!!
清須会議→天正壬午の乱→賤ケ岳の戦いと駆け足で描かれていましたね秀吉と勝家に利用された信雄・信孝兄弟ですが、信長の息子と言うだけで国の頂点に立てるほど成熟した時代ではなかったのです勝家亡き後は、家康と秀吉が信雄を巻き込んで小牧長久手の戦いへと突き進みます新しい権力者が誕生するまで戦いは終わらない様ですね織田家にとっては返す返すも嫡男・信忠の死が悔やまれますね。信忠が生きていれば、清須会議も天正壬午の乱も賤ケ岳の戦いもなかった筈です。意外と、信忠を中心とした織田政権がその後も長く続いていた可能性が大きいと個人的には思っています信長の死は、家康にとっても領土拡大の絶好のチャンスとなりましたね甲斐信濃の広大な領地を得た家康は、着実に足場を固める事が出来たのです信長の死が無ければ、その後の家康は無かったのかも知れ...どうする家康、次は徳川だったかも知れませんね!!
信長を討ちたかった家康と家康に討たれたかった信長、結局どちらの願いも成就出来ませんでしたねあり得ない脚色だとは思いますが、見方をかえればあり得ない話だとは言い切れないのかも知れませんね二人の願いの足元をすくったのが明智光秀でしたね。光秀の許へ家康の首桶が届けられましたが、穴山梅雪のものだったとは家康だと自ら名乗って討ち取られたところを見ると、家康の身代わりになったのでしょうかもしかして、そのお陰で家康の伊賀越えが成功したのかも知れませんあくまでもドラマでの事ですが…ところで…甲賀の主・多羅尾光俊の助けが無ければ、家康の伊賀越えは上手くいかなかったと個人的には確信しています家康に同行していた信長の家臣・長谷川秀一が多羅尾光俊の息子・光広とたまたま親しかった事が家康に幸運をもたらします光広の案内で父・多羅尾光...どうする家康、命の恩人・長谷川秀一!!
本能寺で…まるで恋人を待ち焦がれている様な信長ですそこに現れたのが光秀でしたね待ちぼうけを食わされた信長の姿が印象的です「なんだ、お前か」と肩を落とした信長に、「貴公は乱世を鎮めるまでのお方!平穏なる世では無用の長物。そろそろお役御免…」と光秀「やれんのか!キンカン頭!俺の代わりが!」とブチ切れ状態の信長でしたねお市の説得もあり結局信長襲撃を諦めた家康ですが、この時点での信長襲撃は家康にとってあまりに無謀成功しても失敗しても、武将としての家康の存在意義が無くなったと個人的には思っています作り話としては面白い筋書きだとは想いますが…ところで…光秀は何故信長を襲撃したのでしょうか?キーワードは信忠だと思っています危機管理としてはあり得ない事が起こっていたのです家督を継いだ信忠と信長が同じ京都に…信忠が宿泊して...どうする家康、キーワードは信忠!!
ドラマでは…人を信じる事を教わってきた家康と、誰も信じるなと教わってきた信長、似て非なる対照的な二人です信長に暗殺を見透かされた家康ですが、「弱ければこそできることがある、わしは信じる。行き詰まっておるのは、お主ではないのか。弱き兎が、狼を食らうんじゃ」とまるで信長に対する宣戦布告ですね「俺はわずかな手勢を率いて、京に向かう。本当におまえが俺の代わりをやる覚悟があるなら、俺を討て。やってみろ」と信長「俺は誰かに殺される。誰よりも無残にな。だが、俺は覚悟はできている。大変なのは、これからだ。戦なき世の政は、乱世を鎮めるより遥かに困難じゃ。」とも…まるで家康に対する遺言の様でしたねもしかして、誰かに殺されるのなら家康に殺されたいと思っていたのでしょうか?家康なら乱世に戻る事がないと確信めいたものが信長にはあっ...どうする家康、信長の遺言!!
高天神城に籠城していた岡部元信ですが、徳川軍の兵糧攻めで遂に降伏しましたね今迄の家康であればすんなりと降伏を受け入れた筈ですしかし、家康は降伏を拒否、皆殺しの命を下します確かに武田の力を削ぐ為だったのかも知れませんが、武田に対する恨みが大きかった証ともとれます武田に対する恨みと信長に対する恨みを心の奥底にしまい込んで、信長の言うがままに動き、心の内を見透かされない様に細心の注意を払っている家康。心の中に信康と瀬名の思いを閉じ込め、じっと耐えている家康でしたねそんな家康でしたが、振舞に疑念を持ち始めた家臣達に遂に心の内を打ち明けます「信長を殺す、天下を取る!!」驚いたのは家臣達の方だった見たいですもうすぐ本能寺の変ですが、ドラマでは家康黒幕説として描かれるのでしょうか?不穏な動きをする秀吉を含め、数人が信長...どうする家康、落としてはいけない城!!
ドラマでは瀬名を慕い続ける家康ですね本当は浜松で瀬名と一緒に暮らしたいと思っている家康ですが、嫡男・信康の面倒を見るため瀬名は岡崎に残ったと言う設定でしたね瀬名の最後を見ると何故か泣けてきました史実としては瀬名の人物設定にはかなり無理があると思っていますが、ドラマとしてはこれもありかなと……通説では…信長が娘・五徳の告げ口で信康と築山殿の殺害を命じたと言われていますが……家康は本当のところどう考えていたのでしょうか?同盟者・主君?信長の命令とは言え、事が正妻と嫡男の廃除となると、いくら何でも素直に実行出来る訳がありませんどうも家康自身にも廃除しなければならない事情が有った気がします信康と築山殿の廃除の時期をじっと待っていたと勘繰りたもくなりますねもしかして、家康自身が信康と築山殿の廃除を目論んでいた張本人...どうする家康、信康廃嫡の張本人??
100年以上続いている戦国にあって、あらゆる事を話し合いで決め、慈悲の心で結び付いた巨大な国を創り上げるとは…聖徳太子が言ったとされる、和を以て貴しと為すにも通じる考え方なのでしょうか人間の欲に翻弄されたのが戦国時代、特に権力欲だけは綺麗事ではすみません残虐性も伴っているので始末が悪いのです確かに、話し合いで結論が出せれば争いは起こらないのかも知れませんが…結局、愚かな人間は、武を以てしか平和な世を成す道しかないのでしょうかね?そう言う意味では、瀬名の行動は綺麗事にしか映りません宗教的な臭いすら感じてしまう僕なのです戦国末期から400数10年経ている現代まで、面々と同じ事を人間は繰り返しているのです裏を返せば、争いが無ければ人間が人間でなくなるものなのかも知れませんところで…武田と敵対する家康と、武田と組...どうする家康、似た者同士!!
たとえ今は敵であっても、絶えず調略は行われているもの。だからと言って裏切った事にはなりません水野信元はたんに信長に難癖をつけられた訳です信元は尾張と三河の境を領有していましたが、一介の国衆ではないのですこの時既に24万石の大名となっていました尾張の喉元を領有しているのですから、信長としても何時かは排除したいと考えてもおかしくありません領地が増えれば増えるほど発言権も増します。ようは、信元は信長にとって邪魔な存在でしかなくなっていたのです信元は家康の命で誅殺されたと言われています。ドラマでは、そんな家康を見て信康が「何でもかんでも信長の言いなりで情けない。父上は臆病で卑怯だ。」と罵声を浴びせていましたね。さすがに言い過ぎの感が否めませんが、家康と信康の対立が表面化していた事だけは間違いなさそうですいよいよ瀬...どうする家康、母親の性なのでしょうかね?
長篠城を救援に来た織田徳川連合軍ですが、馬房柵を作るばかりで一向に動こうとしません怖気づいたと思った勝頼は、長篠城に二千、鳶ノ巣山砦に二千、計四千の兵を残し設楽原に布陣したと言われています。その兵一万一千勝頼が言っていた様に、織田徳川が揃う千載一遇のチャンス天下を取れなかった父・信玄と自分は違うとでも言いたかったのでしょうか?それにしても、おお戦の割には兵の数が少な過ぎます勝頼の慢心でしょうか?どうも、織田徳川連合軍の兵数を見誤った感じがします信長も援軍を密かに隠していたとも言われていますだとすれば、信長の戦略勝ちと言って良いのかも知れませんね。ドラマでは三千挺の鉄砲を三段にして武田軍を壊滅させたかのように描かれていましたが、最近の研究は一千挺だったと言われていますよね武田軍も早くから鉄砲を取り入れている...どうする家康、信玄の呪縛から逃れられない勝頼!!
落城寸前の長篠城今川→武田→徳川→武田→徳川と目まぐるしく主を替えた奥平ですので、流石にもう一度武田へ寝返る事も出来ず万事休すもはや徳川へ援軍要請するしかなさそうですね武田軍に包囲されているので抜け出すのは至難の業ですが殆どの家臣が躊躇する中、手尾挙げたのはうだつの上がらない鳥居強右衛門ですその強右衛門が歴史を大きく動かす大仕事をするのですから解らないものです。ドラマでは…武田に捕まり一度は奥平を裏切る強右衛門ですが、亀姫の事を思い出し援軍が来ると叫んでいましたね人間らしく迷い、情に絆され、武士としての誇りも有る人物として描かれていましたが、個人的には、ドラマの中での強右衛門が好きになってしまいました流石、古沢良太氏の脚本ですね。家康は古参の二人、酒井忠次に東三河を石川数正に西三河を任せていたようです浜松...どうする家康、日の本一の足軽!!
武田信玄が亡くなり危機を脱したかに見えた家康ですが、後を継いだ勝頼に攻め続けられていました次々と城を落とされ以前よりも危機的な状態です大岡弥四郎事件が起きたのもそんな状況下にあったからでしょうね嫡男・信康とも対立していた家康ですが…家臣団も岡崎派と浜松派とに分裂という危うい状態だったようです秀康の生母・お万の方は懐妊すると城外へ追放し、生まれた子供(秀康)を認知させなかったと言われていますし、後の二代将軍となる秀忠の生母・お愛の方は築山殿の待女に暗殺されたとも言われています勿論、決定的な証拠がある訳ではありませんが、いかに築山殿が岡崎での実力者として君臨していたかという事でしょうね嫡男・信康の生母として、徳川家でも絶対的な権力を手にしていたのかも知れません家臣達も石川数正を筆頭として反浜松の機運が高まって...どうする家康、信虎と同じ過ちを犯す勝頼!!
先週は…しんがりを務めた本多忠真と、家康の甲冑を身に着け身代わりとなった夏目広次の壮絶な討ち死にからすると、今週のドラマは何とも拍子抜けした感じがしたのは僕だけでしょうか?それはそれとして、ほっこりとしたホームドラマを見ていると思えば少しは楽しめるのかも知れませんが…お万は家康の次男・結城秀康の母ですね家康の正室・瀬名の奥女中として仕えていたからなのか?瀬名はお万を側室として認めませんでした木に縛り付け折檻したとも?言われていますが、家康がお万を庇う事は無かったとも言われていますそれどころか家康が秀康と対面したのはかなり後の事。不憫に思った家康の嫡男・信康の口添えでようやく対面したとか?嫡男の信康が亡くなった後、当然秀康が後を継ぐのかと思われましたが、結局、結城家へ養子に出されていますよね秀吉との和睦で信...どうする家康、双子だった秀康!!
家康の具足を身に着け敵陣に向かっていく夏目広次亡骸を検分した武田信玄は笑みを浮かべていましたね遺体が家康ではないと確信したのでしょうか?家康の生存を喜んでいるかの様な信玄でしたが、一流の武将にしかわかり得ない境地なのでしょうね今回のドラマでは、徳川家臣団の中であまりスポットが当たる事の無かった夏目広次と本多忠真が主役でしたねしんがりを務めた本多忠真と家康の具足を身に着け身代わりとなった夏目広次。本多忠真の父・忠豊も家康の父・広忠の身代わりとなり討ち死にしていますので、親子二代、主君の替わりとして討ち死にした事になります本多家はよほど忠義心の強い家だったのでしょうね夏目広次は浜松城の留守居を務めていたのですが、本来出陣する役目ではなかった筈です家康の為に死ぬという覚悟の許、死に場所探していた感じすらします広...どうする家康、家臣こそ我が宝!!
圧倒的な強さを誇る武田軍ですが、武力ばかりではなく策略で徳川軍を追い詰めていきます家臣達に背中を押され、信長にはも激励され、武田軍との戦いを決めた家康ですが、破竹の勢いで攻め上る武田軍には成す術がなさそうです結果的に信長包囲網に加わった形となった信玄。家康にも信長包囲軍に加わる様に足利義昭から打診があった見たいですね武田軍は手始めに徳川領の二俣城を包囲しますが、頑強に抵抗し二か月持ち応えたと言われています武田軍の次の目標は浜松城と思われましたが、何と、信玄は浜松城を素通り家康にとってはラッキーと言えばラッキーなのですが…このまま武田軍を追撃するか?遅ればせながら信長包囲網に加わるか?武田軍を追撃するか?三つの選択肢があったのですが、どうする家康ですよね信玄にとっては最初から追撃してくると思っていたのか?追...どうする家康、桶狭間の戦いがよぎったのかも??
信玄との戦いが始まろうとしているのに煮え切らない家康弱気が極限状態の家康に、何もかもくれてやって、信玄のもとでみじめに生きていけばいい」などと言いたい放題武田軍と戦えば「十に九つは負ける」と絶望を口にする家康にですが…「十に一つは勝てる。その一つを信長は桶狭間でやりましたぞ」と本多忠勝起死回生の一言ようやく信玄と戦うのを決断した家康ですが、家臣達は最初から戦うのを決断していた見たいですねそれにしても…源三郎・勝俊、最初は今川、次に武田とまるで人質になる為に産まれて来た様なもの武田から逃げ出す時、両足に凍傷を負ったと言われています何とか三河には戻れましたが、凍傷のため両足の指を切断したので武人として戦場に出る事も出来ず失意のうち32歳の若さで亡くなります人質生活を送るうち、精神的にも肉体的にも限界に達してい...どうする家康、堪忍袋の緒が切れた信玄!!
ドラマでは…浅井長政の誘いに呼応しようとしている家康を諫めようとしている忠次と数政ですが、微妙に考え方が違う様にも感じますこの辺りが、後に数政の出奔に繋がるのでしょうか?二人が一致しているのは、乱世を終わらせるのは長政ではなく信長だと言う事です時間を掛けて三河統一を成し遂げたのに、長政が勝ったとしても元のカオス状態に戻るだけだとの思いがあったのでしょうね二人の思いは何とか家康に通じたみたいですが…姉川の戦いで家康は、先方を信長に懇願したと言われていますそうだとすれば、信長を裏切って長政につくとは考えられませんどうする家康としては面白いストーリーだとは思いますが…姉川の戦いは信長軍の勝利に終わったと言われていますが、戦況を見ると織田軍有利で終わったと言った方が良いのかも知れません実質的に浅井長政と朝倉義景が...どうする家康、凡将か?知将か?
いよいよ朝倉討伐ですね浅井長政の裏切りで絶体絶命の織田軍。後の天下人、徳川家康・豊臣秀吉・織田信長は勿論、信長を討った明智光秀も参加していますし、戦国の梟雄と言われた松永久秀も加わっているのですから、戦国オールスターといった感じがしますこの時、オールスターの内一人でも戦死していれば後の歴史が大きく変わっていた戦いです敦賀に入った織田軍ですが、家康が天筒山城を、秀吉が金ヶ崎城をあっという間に落とします先方を務めていた家康は朝倉の本拠地・一乗谷を目指しますが、まさにこの時、浅井軍が朝倉へ寝返りを…信長は最前線にいた徳川軍には知らせず少人数で京へと一目散に撤退朝倉領深く潜入していた徳川軍にとっては青天の霹靂状態で何が起きているのか?正確な情報を得るまで身動きが取れなかったでしょうね金ケ崎の退き口とよく言われてい...どうする家康、戦国オールスター!!!!!
信長の後ろ盾で将軍になった足利義昭の命令で上洛する家康一行家康の初上洛ですね。街中で浅井家の家臣と揉め事を起こした本多忠勝と榊原康政信長に呼び出され叱責されますが、浅井長政の機転で窮地を救われます肖像画での割腹の良い姿と違い、凛々しい長政でしたね家臣を救ってくれたお礼をする家康に対して、「一度でいいから、腹を割って心ゆくまで語り合ってみとうござった」と…まるで今生の別れの様な言いっぷりです信長を裏切る雰囲気を醸し出している様に感じたのは僕だけでしょうか?長政はこの時点で朝倉義景に味方するのを決めていたのでしょうね朝倉家の本拠・一乗谷には浅井家の屋敷もあったと言われていますし、長政の書状にも御屋形様と記されているところを見ると、朝倉家と浅井家は主従関係にあったのは間違いなさそうです長政は近江全域を領していた...どうする家康、今生の別れの様でしたね!!
駿府城は武田信玄によってあっという間に落とされてしまいましたね徳川と武田に囲まれたので仕方なく掛川城に立て籠り最後の抵抗をみせる氏真ですが、家康に攻め込まれ絶体絶命のピンチ遂には刀を捨て北条へと落ち延びる事に…「そなたはまだ降りるな。」「そこでまだまだ苦しめ。」とは、氏真の負け惜しみではなく、家康に対する励ましの言葉に聞こえてしまったのは僕だけでしょうかところで…どうして氏真は寿命を全うする事が出来たのでしょうか?北条氏康が生きていれば、北条を足掛かりに旧領回復に一縷の望みを掛ける事も出来たのでしょうが、氏康亡き後、子の氏政は武田との同盟を模索し始めますもはや北条家に氏真の居場所がなくなったとも言えます次に氏真が頼ったのが、家康です主従逆転となりますが、氏直には選択肢が残っていませんでした家康にとっても遠...どうする家康、勝ち組の氏真!!
いよいよ武田信玄による南下が開始されようとしていますドラマでは…今川領に攻め入る事を躊躇している家康ですが、動かなければ全て信玄に奪われてしまうのです家康としても座して死を待つ訳にはいきません止むを得ず引間城攻めを決断する家康、瀬名の幼馴染・田鶴に対して何とか説得を試みますが…桶狭間の後、田鶴の夫・連龍には御家存続の決断をしなければならない状況に追い込まれます。徳川・今川と接している地理的状態で中立を保つ事など出来ないのです選択を迫られた連龍には時間がありません。危機感が薄い今川氏真よりも織田・徳川につく事を選択した連龍ですが、普通に考えても真っ当な選択だとも言えますね武田につく選択肢もあったのですが、連龍の領土は織田・徳川・今川に囲まれていた為、地理的にも無理があった様です水面下で、織田・徳川につく準備...どうする家康、女城主・田鶴!!
2人の審査員、瀬名と於大よる側室オーディションが始まりましたねまるでギャグマンガ状態でしたが、2人の目に適ったのがお葉・西郡の方で家康の次女・督姫を産みます側室オーディションは上手くいったかに見えましたが、何と!!お葉は同性愛者だとカミングアウト殿に触れられるたびに吐きそうに……」と明かしすが、家康は「そんなに」と困惑した表情を…戦国時代まで多かった衆道(バイセクシャル)ですが、当時までは権力者にとってのステータス的要素の方が強かったのかも知れません家康は違うみたいですが…時事ネタを織り込んだ感が否めませんが、性の多様性はいつの時代でもあったと言う事なのでしょうかね?ところで…家康最初の側室・西郡の方ですが、家康が攻め滅ぼした鵜殿長照の弟・長忠の娘と言われています娘といっても、家老の娘を養女として家康に差...どうする家康、対照的な二人!!
ドラマでは…主君が家臣を信じるか、信じられぬ家臣を皆殺しにするか、二つに一つしかないと鳥居忠吉に言われ迷いが飛んだ家康自ら戦いの矢面に立つ決心を固めたみたいですね徐々に優位にたった家康軍から和睦を提示された一揆軍ですが、もはや受け入れるしかなさそうですね一揆軍に加わった渡辺守綱や夏目広次は無罪放免。いよいよ一揆軍の軍師・本多正信の登場「仏にすがるのは現世が苦しいからじゃ。生きているのがつらいからじゃ」「民を楽にしてやれるのなら仏にすがらずに済む。そのために民はお前にたらふく米を食わせている。」「それをなさずして民から救いの場を奪うとは何事じゃ!」「この大たわけが!」と…松ケン・正信迫真の演技でしたね家臣にここまで言われては、さすがに無罪とはいきません。三河追放で済んだのが不思議なくらいですそればりか、空誓...どうする家康、鳥居忠吉の諫言!!
いよいよ家康と一向宗徒の戦いが始まりましたねお寺は、不入の権を逆手にとって富を蓄え、武具や武器を揃え、城塞化した武力を伴った自治集団と化していたようですまるで国衆見たいですね。自国領にこの様な勢力を抱えているのですから、領主としてはたまったものではありませんどうにかして、自国での一向宗の力を削ぐしかなさそうです一向宗との対立は、避けて通れなかった争いだとも言えますとわいえ、武力では中々解決しないので、家康は政治的な解決を模索したようです反乱に加わった家臣はお咎め無し。寺は元通りに戻すというものです。表面的には一向宗側の要求を全てのんだ形ですねしかし、この譲歩案には裏があります武力解除後、直ぐに寺を破却し領内での一向宗を禁じてしまいます約束を反故にされた一向宗側は当然文句をつけますが、後の祭り。元通りに戻す...どうする家康、忠誠心と信仰心の狭間!!
地雷を踏んでしまった感のある元康ですねいよいよ三河一向一揆への突入です加賀の一向宗徒は大名並に100年も加賀を統治していたといわれています元康も一歩間違えれば加賀の二の舞になりかねません。現世での自らの命をも省みない一向宗徒は、元康最大の試練となりそうですね元々、お寺は守護不入で、税の徴収や罪人逮捕も拒否出来たと言われています自分の領国でありながら一種の治外法権状態だったのです一揆の本拠地・本證寺は堀もあり、そこそこのお城といった感じだったようですね。住職の空誓は怪力の持ち主で、甲冑を身に着け、僧侶と言うよりは武将といってもいいのかも知れません「現生の罪は現世限りだ!!」と宗徒に鼓舞し戦いに導いたのですから、宗徒にはカリスマ的な存在だったのは間違いなさそうです現世で何をしても、来世では間違いなく極楽浄土へ...どうする家康、一向一揆の始まり!!
本当の意味での瀬名奪還計画が始まりましたね鵜殿長照を人質に出来れば一番良かったのですが、中々うまくはいきません長照の息子、氏長と氏次を生け捕りにしただけでも大成功と言えますよね数の上でも、交換要員の格から見ても普通はあり得ない交渉ですが、後は松平家の外交官・石川数正の腕次第です元康独立を境にして三河では今川に反旗を翻した国衆達が増えていったと言われていますが、勿論、氏真が手を拱いていた訳ではありません裏切った国衆の人質を惨忍な形で処刑したと言われています当時としては当たり前の事かも知れませんが…しかし、何故か元康の子供達は直ぐに処刑される事はありませんでした何故でしょうか?もし、元康の妻と子供達を処刑してしまえば、元康を中心とした三河の武士たちが、反今川として結託してくる可能性が大きくなりますそうなると今...どうする家康、ネゴシエーター数正!!
妻・瀬名を奪還するため、殆どの家臣の反対を押し切り藁をもすがる思いで本多正信に望みを託した元康その正信に焚きつけられたのが、すっかり落ちぶれた服部半蔵です上手くいくと思われましたが、瀬名の母・巴から鵜殿長照の妹・お田鶴を通して長照に知れてしまいましたね関口家の屋敷に忍び込んだ服部党を待ち受けていた鵜殿長照の家来に散々矢を射かけられます結局、瀬名奪還計画は土壇場で失敗瀬名達は捕らえられ、氏真から死罪を言い渡される始末。正信の計画に一縷の望みを託した元康ですが、万策が尽きた感じですね。史実としては、正信による瀬名奪還計画は考えられませんが、ドラマとしては中々面白い設定だと思うのですが落ちぶれていた本多正信と服部半蔵が、世に出ていく瞬間を見ている様な錯覚を感じてしまいますところで…岡崎城に入った元康は、最初から...どうする家康、瀬名奪還計画!!
「乱世とは誠に愉快な世であることよ、力さえあれば何でも手に入る、男であればな…」と呟いたお市実像のお市も似た様な感覚を持っていたのかも知れませんねドラマでは、人を信じない信長が唯一信じようとしたのが元康です「兄上が心から心を置けるお方は、あの方一人かも知れませぬから…」と信長に囁いたお市ですが、信長、お市の繋がりの深さを感じる場面でしたね浅井家へ嫁ぎ辛酸をなめたお市ですが、おそらく最後まで信長を恨むこと無かったのではと思わされたのは僕だけでしょうか?元康の母・於大もそうですが、お市も戦国に生きると言う事の強い覚悟を持っていた筈です男ばかりが目立つ戦国時代ですが、女も、カオスの時代を逞しく生きていたのですね戦国時代を終わらせた三人の英雄が登場しましたが、最後に登場したのがムロツヨシ演じる木下藤吉郎です桶狭間...どうする家康、三人の英雄が揃いましたね!!
好むと好まざるを得ず織田との最前線を任される事になった元康ですが、あまりにも弱すぎる元康軍、負け続きで崖っぷちに追い込まれましたね早くも織田との同盟を言い出す家臣も現れ内部分裂状態の元康軍ですそんな元康に手を差し伸べたのが、今まで戦ってきた水野信元、元康の叔父でしたね尤も、信元の後ろで筋書きを描いていたのは信長ですが…信元は元康を説得する為、実母・於大の方を同伴、16年振りの親子再開でしたが…ドラマでは、駿府に帰りたがっている元康ですが、本当のところどういう気持ちだったのでしょうか?当時の武将の性として、父祖伝来の領地に戻り嬉しくない筈がないと個人的には思うのですが…ところで、元康の叔父・水野信元ですが…信元は三河と尾張の境を領有していたので、ある意味元康よりも微妙な位置にいたと思われます今川や織田に囲ま...どうする家康、弱すぎる元康軍!!
優柔不断で気弱な元康、強い忠義心を持った本多忠勝にとって自分の命を掛けるに相応しい主ではまだなさそうですね厭離穢土欣求浄土、家康の旗印ですが、ドラマでは榊原康政に本当の意味を教えられ別人のようになった家康ですが、史実では登譽上人が元康に授けた言葉だと言われていますドラマでは、決断さえすれば、リーダーとして家臣の先頭に立ち威厳を見せる元康の一端が覗かれましたね。今回のドラマ、元康が大化けする姿が一番の見物なのかも知れませんそれにしても、厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)は何回見ても覚える事が出来ません特に厭と穢の字は個人的には今まで殆ど見た事がない文字なのです皆様は如何でしょうかね?ところで、元康を罠に嵌めた松平昌久ですが…元々岡崎城は松平昌久の父・昌安の居城だった城ですが、家康の祖父・清康に敗れ...どうする家康、厭離穢土欣求浄土!!
いきなり桶狭間から始まりましたね大高城に兵糧を入れる役目を無事終えたまでは良かったのですが、今川義元が織田信長に討たれ急死家臣共々狼狽えるばかりどうする家康の最初の試練の始まりです信長軍が返す刀で大高城を蹂躙するかと思いきや、何故か?目の前を素通り九死に一生を得た元康ですが、危機が去った訳ではありませんポツンと敵の中に取り残された元康軍、駿府に戻るのか?岡崎に戻るか?試案のしどころですが、駿府よりは岡崎の方がはるかに近いので、岡崎への撤退しか選択肢はなさそうですところで今まで、不遇の少年時代を送ったと言われていた家康ですが、今回のドラマの家康像は真逆の視点から捉えた新しい家康像として描かれるみたいですね家康が少年期を過ごした駿府には、実母・於大の方の母・華陽院もおり祖母・華陽院に養育された節もあります。家...どうする家康、期待の家臣!!
あけましておめでとうございます!皆様方にとって良い一年でありますようにサポートグラスは四日からの営業となっております購入者には、拭くだけの曇り止め、FOGSTOPCLOTHをプレゼントコロナ禍も三年が過ぎようとしています。いまだ終息に向かう気配を感じませんが「終わらない感染症は無い。」と言われていますコロナに慣れず、感染対策を徹底して営業を続けたいと思っておりますあけましておめでとうございます!!
家康の愛読書とも言われている吾妻鑑ですが、冒頭から寝そべって読んでいる家康の姿が来年の大河・どうする家康の番宣だとばかり思っていたら、まさか鎌倉殿の13人の本編だとは…小栗・義時のアイディアだと言っていますが、流石の三谷マジックです今年の大河ドラマのタイトルはどうする義時でもよかったかも知れませんねいよいよ最大のやまば承久の乱の始まりです京都近郊の反北条の御家人や在京の御家人達を味方につけた後鳥羽上皇後鳥羽の威光を恐れた御家人もいたでしょうね大江広元の子供・親広は渋々上皇軍に加わった一人です親広の妻は義時の娘なので義父を敵に回す理由が親広には見当たりません。ましてや幕府の重鎮・大江広元の子供です。在京していた親広に対し上皇側から「味方に加わらなければ討つぞ。」と脅かされ止むなく上皇軍に加わったと言われてい...鎌倉殿の13人、どうする義時!!
覚悟を決めた義時を制して颯爽と政子が登場大江の広元が書いた檄文を読み上げます「山よりも高く、海よりも深く…」と言ったところで突然原稿を読むのをやめ自分の言葉で話し始めるのです。これも政子なりの演出なのでしょうか?とつとつと義時追討の宣旨について真実を語り終えると…「未来永劫西の言いなりになるか、戦って坂東武者の世をつくるか。」と御家人達に問いかける政子上皇側は幕府が義時の首を差し出すと思っているが「馬鹿にするな~。」「そんな卑怯者はこの坂東には一人もいない。」と声を限りに叫ぶ政子の演説は迫力満点朝廷VS義時の争いを見事に朝廷VS幕府の戦いにすり替えましたね。やはり、鎌倉の主は政子だったのです尼将軍たる政子の面目躍如ですいよいよ、日本の歴史上類を見ない戦いが始まろうとしています賊軍となった幕府軍が勝利を収め...鎌倉殿の13人、尼将軍の演説!!
サポートグラス、ウィンターセールのご案内ですフレーム+レンズ(一組購入時)50%OFF。勿論、除外品は御座いません。この機会に、あなただけの一本を見つけて下さいね開催期間12月25日(日)迄ウィンターセールのご案内!!
源氏の父と北条の母から生まれた阿野時元。実朝亡き後、数少ない鎌倉殿の候補ですね次期鎌倉殿として声が掛かってもおかしくない立ち位置にいた時元が、自ら謀反を起こすとは考え難い感じがします義時や政子が皇族将軍を当てにしていたのもありますが、時元の母・阿波局の影響力の廃除が狙いだったのではある意味、女の戦いです時元が鎌倉殿になれば、阿波局の権力は政子を凌ぐ事になります権力闘争をしていたのは男だけではなかったのです。政子か義時、おそらく二人の意志で時元を殺したのでしょうね尼将軍となった政子が最初に下した命令は、囚われていた阿波局の放免です流石に、政子にも後ろめたさがあったのでしょうか?その後、阿波局は政治の表舞台から完全に姿を消します。女の戦いの勝者は政子=尼将軍だった様ですね。それにしても、義時の陰湿さ、感情の無...鎌倉殿の13人、女の戦い!!
ドラマでは、トウが仲章暗殺を失敗したお陰で命拾いをした義時朝廷、北条、三浦と各々の思惑が混じりあってドロドロ感まんさいです北条に代わり実朝の側近として幕府の実権を握ろうとしている仲章ですが、もう一歩のところまできましたねまさか、義時の替わりに殺されるとは思いもしなかった筈。人の運命とは本当に分からないものです自ら兵を動かさず、じっと行方を見ている義時・義房兄弟と義村、何とも陰湿な争いです各々の思惑が入り乱れ、じっと時間が過ぎ去るのを待つしか無いのでしょうか比企や畠山、和田合戦の様にお互いが兵を繰り出し戦った方が、ここまでの陰湿さを感じなくて済みますところで実朝暗殺の黒幕は一体誰か?普通に考え、直前に太刀持ちを替わり命拾いした義時です。しかし、公暁を使い、こんな回りくどいやり方で実朝を殺すでしょうか公暁を思...鎌倉殿の13人、黒幕は誰だ??
幕府を京の六波羅に移すとの実朝の発言を聞き、怒りが頂点に達した感のある義時このままでは武士の街・鎌倉が無くなってしまいます強烈な危機感を感じた義時は、実朝が公暁に討たれた後、太刀持ち役の義時自らが公暁を討つつもりの様ですねしかし、公暁の狙いは実朝と義時ですドラマでは、義時自身も殺害の対象だとは思っていなかった見たいですね源仲章殺害をこうに命じた義時ですが、失敗次回では、暗殺失敗の弱みに付け込まれた義時が、拝賀の席から廃除され、太刀持ち役も仲章に取って代わられる事になるのでしょうか??どうやら、義時にはまだ運が残っている様です実朝・公暁・仲章と幕府存続にとって弊害がある三人が、全て亡くなってしまうのですから…気になるのがね義時の妻・のえです。仲章とラブラブ状態で貝合わせしていましたよねすっかり仲章の擒となっ...鎌倉殿の13人、頼朝の最後の息子!!
公暁を焚き付ける三浦義村義村としては、公暁の鎌倉殿就任を逃すと、御家人のトップに立つ悲願を叶えられませんここが勝負どころと踏んだのでしょうか京と鎌倉の仲立ちとして政権の中枢で権力を得ていく源仲章ですが、「執権になっちゃおうかな~。」と義時に嘯くのには笑ってしまいました世の中そうは上手くいきません。慎重さが薄くなると墓穴を掘るものですが、義時の妻・のえにも色仕掛けで迫るとは驚きです何でも有りの様相と化してきましたね公暁は実朝の猶子となっていますが、おそらく政子の意向が強く働いたのでしょうね実朝と公暁は親子関係を結んだ事になるので、この時点での次期鎌倉殿は公暁にも権利が生じます出家してから六年後、政子の命で公暁は鶴岡八幡宮の別当に就任します普通に考えると、別当就任で鎌倉殿の目は無くなったと考えるのが自然です成...鎌倉殿の13人、絵に描いたような官打ち!!
久し振りに時政が登場しましたね伊豆で余生を送っている時政は、権力闘争から離れ、すっかり素の自分を取り戻した様ですそれに引き換え、義時の陰湿さは増すばかり権力の頂点に立つと、こうも人間が変わるものなのでしょうか?まるで時政と義時が入れ替わった見たいですあからさまに権力を振り翳す義時を見ていると、権力を握った者の恐ろしさすら感じてしまいますところで…頼朝との面会を断ったとされる陳和卿が、何故?実朝に近付いてきたのでしょうか?個人的には、裏で糸を引いていたのは後鳥羽だったのは間違いないと思っています陳和卿は、後鳥羽が実朝に差し向けた仕事人だったのでしょうね源実朝が詠んだとされる一句です。「出ていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな」菅原道真が詠んだとされる一句です。「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしと...鎌倉殿の13人、実朝のパクリでしょうかね??
「これほどまでに鎌倉殿と心を通じ合った御家人が他にいたか?我こそが、鎌倉随一の御家人じゃ。」と叫んだ瞬間に無数の矢が義盛を貫きます弁慶の立ち往生を見ている様な…義盛の立ち往生、壮絶な最期でしたね鎌倉殿と心を通じ合った御家人を、北条としては認めるわけにはいかないのです政治を司る側としては最も警戒しなくてはなりません義盛を殺した張本人の義時ですが、いまにも泣き出しそうな表情が個人的にはとても印象的でした人間の心模様は不思議なものです。御家人同士の権力バトルは、この後も多少続きますがそれが収まると今度は身内同士の争いが始まります生きている限り権力闘争は続くものなのでしょうかねところで鎌倉で行われた初の市街戦と言われる和田合戦。一歩間違えれば北条氏が滅亡していたかも知れない戦いです。最大のポイントは将軍・実朝を確...鎌倉殿の13人、義盛の立ち往生!!
頼家の遺児・千寿丸を担いで義時を討とうとした泉親衡ドラマでは親衡が実は源仲章だったとして描かれていますが、史実的には有りえませんよね泉親衡はれっきとした信濃の御家人ですが、陰謀が発覚した後、忽然と姿を消しています信濃の小県の領主だと言われていますので、後の真田家と何らかの関わり合いが有るのかも知れませんね親衡は怪力無双の武士だと言われていますが、謎の多い人物です和田合戦で義盛の味方についた横山党と深い関わり合いがあった様なので、義盛に味方し和田軍に加わっていた可能性が高そうです今回の謀反に若い御家人が多数加わっているところを見ると、義時の政治に対して長老よりも若者に不満が燻っていた感じがします北条氏以外の守護が、世襲ではなく幕府が勝手に替えられる様にした事への反発なのでしょうか?謀反に賛同した武士が130...鎌倉殿の13人、三浦の氏の長者・義村!!
鶴丸改め平盛綱が登場しましたね泰時の片腕となる盛綱ですが、平清盛の次男・資盛の子供だとも言われていますドラマでは鶴丸が成長して盛綱として登場しますが、資盛の子供というのも眉唾物な感じもするので鶴丸=盛綱の方が意外としっくりするかも知れません盛綱は御成敗式目の奉行も務めていたと言われていますから、官僚としても抜きん出た能力があったのでしょうね義時→泰時→経時→時頼と五代執権まで使えていますが、終生北条家を裏切る事はなかった様です鎌倉幕府滅亡時、幕府を牛耳っていた内管領・長崎円喜は盛綱の曽孫ですが、最後まで北条家と行動を共にし自害して果てていますその数500名とも言われていますが、意外と北条氏は言われているほど嫌われていなかったのかも知れませんねところでこの時代のステータスとしての男色(衆道)は公家などの間で...鎌倉殿の13人、実朝は衆道ではなさそうですね!!
ドラマでは…三浦義村を味方に付けた義時の作戦勝ちでしたね義時と時政の最後のシーンや、りくと政子の別れのシーンでは最後の最後に心が通じたみたいで…ドラマとしてはメデタシメデタシと言ったところでしょうか?絶対に謀反を起こさせないとの義時の覚悟なのか義母・りく殺害をとうに命じますが、察知した義村が未然に防ぎますそれにしても、義村ととうの対決シーンは見応え十分義村役の山本耕史のアクションシーンも中々の物でしたねそもそも、執権として絶大な権力を握った時政と妻のりくもはや2人を止める者はいなくなったのです義時を除いては…御家人の頂点に君臨した時政が、陰謀を巡らす必要もありません将軍の外祖父で執権でもある時政にとって、ある程度思い通りに出来る下地が出来たのです牧氏事件は、政治の舞台から蚊帳の外に置かれる可能性が出て来た...鎌倉殿の13人、義時と政子のクーデター??
久々に北条一家が揃い楽しそうな晩餐会でしたね義時や時房も童心に帰った感じです家も大事、家族も大事、妻はもっと大事と言う事なのでしょうか?引き返す事の出来ない時政の苦悩の表れなのでしょうか?これから起こる親子の争いが想像もつきませんよね畠山重忠を粛正した後、時政と義時の間に秋風が吹き始めます御家人達も同じだった様ですね。時政とりくには打つ手が限られ、身動きが取れない状態だった気がします牧氏の乱は、どうも義時の陰謀の様な気がしてなりません御家人達にも反感を持たれている今なら、時政を排除出来るのです当時でも親を陥れるのはタブーとされていた筈時政を廃除するにはそれなりの大義名分がいるのです。時政が謀反を起こしたのなら話は別ですが…そう考えると、実朝を廃し平賀朝雅を新将軍にすると言う企ては義時が流した偽情報だった可...鎌倉殿の13人、和を以て貴しとなす!!
武士の鑑とまで称された畠山重忠と、権力の妄想に取りつかれた北条時政との争いが始まろうとしています顔を震わせながら「戦など誰がしたいと思うか!!」と絶叫する重忠冷静沈着、感情を剥き出しにする事の無い重忠の雄叫びには、心を揺さぶられてしまいましたちょっとしたボタンの掛け違いで戦をする事になった重忠の無念さが滲み出ていましたね父・時政の命令には逆らえず、止む無く重忠討伐軍として参戦せざる負えなかった義時ですが、三浦義村や和田義盛はこの機会を待っていた気がしてなりません頼朝が挙兵した当時、畠山重忠の父・重能は京都に居たので、重忠としては父・重能に従い頼朝軍には参加しませんでしたそればかりか、平家軍として行動を起こします石橋山の戦いには間に合わなかった見たいですが、途中で三浦軍と遭遇。三浦、畠山は旧知の仲だったので...鎌倉殿の13人、25年前の因縁!!
もしかして?大竹しのぶ巫女姿でと登場したオババ役の老女。声を聴いてもしや?と思っていましたが、やはり大竹しのぶでしたね「雪には気を付けろ。」と実朝の行く末を暗示するかのような一言。「雪は滑るから。」と切り返す和田義盛の言葉には吹き出してしまいますそれにしても特殊メイクの技術には驚かされます義時の妻・のえは相変わらずしおらしい態度ですが、三浦義村だけは騙せなかった見たいですね「必ず男の子を生んで北条家の家督にして見せます。」「そうでなければ、あんな辛気臭い男に嫁ぎません。」と…義時も踏んだり蹴ったりの言われようですね三つ指をついて義村に挨拶するのえですが、米粒の付いた左手を隠したのを義村は見逃がしませんでした女性を見る目と言うよりも、人間観察は八田知家より義村の方が数段上ですその観察力が有ったからこそ、カオ...鎌倉殿の13人、露骨な暴走が始まります!!
いよいよ時政夫婦の暴走が過激化してきましたね京都に到着後二日目に愛息・政範が謎の死を遂げた事で益々加速する事になります次の狙いは娘婿の畠山重忠が中心に治めている広大で肥沃な武蔵の地時政の欲は止まる事を知りません比企氏との争いはあくまでも権力闘争ですが、それ以降は大義名分の無い争いですよね証拠隠滅の為に粛正された御家人もいますそんな時政を御家人達もじっと注視していた筈御家人の頂点を極めたものの、数年で坂を転げ落ちてしまいますが、必然性を感じます時政の傍若無人さに異常な感じを受けるのは僕だけでしょうか?権力の恐ろしさは凡人には理解し難いものがありますよねドラマでは、源仲章に言い含められた平賀朝雅によって政範は殺された様に描かれていましたが…そうだとするならば、政範は義兄に殺された事になります野心家の朝雅ならあ...鎌倉殿の13人、政範を殺したのは誰??
今週の主演は間違いなく善児ですね目まぐるしく変わる実力者に翻弄されたのが善児だったとも言えます修禅寺で終善児、ダジャレの様な結末です一幡の文字を見て躊躇した隙を頼家に切られ、瀕死状態の善児頼家はトウに切られ絶命しますが、そんな善児をトウが殺します11年越しの恨みを果たしたトウですが、何とも複雑な涙を見せていましたねこんな脚本、三谷氏以外は書けませんテンポの良いミステリーを見ている様な…久し振りに見入ってしまったのは僕だけでしょうかね?千鶴丸→北条宗時→江間次郎→伊東祐親・祐清→上総広常→義経の子→藤原頼衡→源範頼→源頼家。間接的も含め善児が関わった暗殺です因果応報と言えばそれまでですが、まさか?自分が育てたトウに止めを刺されるとは善児も思わなかったかも知れません口封じだけのために殺した夫婦の娘を殺せなかっ...鎌倉殿の13人、修禅寺で終善児!!
北条と頼家の板挟みになった仁田忠常が、自ら死んでしまいましたねどうも史実とは違うみたいですが…時政の命で比企能員を殺したのは仁田忠常の様ですその三日後、頼家から時政討伐を命令されたのも事実みたいです元々忠常の領地と北条の領地は隣り合わせの様なもの。忠常は親北条と言っても良い立ち位置です。和田義盛も然りですねそんな二人に時政追討を命令した頼家の心の動揺を感じます忠常は比企討伐の褒美を貰うため北条邸へ向かいます帰りが遅かったのを勘違いした忠常の兄弟は、忠常が打ち取られたと思い北条義時の館を急襲結果的には忠常が謀反を起こしたと言う事で、時政邸の帰り道で誅殺されてしまいます言ってみれば間抜けな滅亡ですね次は誰が北条に目を付けられるか?と疑心暗鬼状態だった御家人達だったので、忠常兄弟が勘違いするのも無理からぬ事だっ...鎌倉殿の13人、最も悲惨な殺され方をした将軍!!
頼家と比企の密議を聞いていた政子が時政に報告したと吾妻鑑には書かれていますが、かなり不自然ですよね梶原景時の時も襖越しに聞いていた実衣の忠告から始まっています吾妻鑑ではどうも立ち聞きが多すぎますよね信憑性が薄いと言うか、ワンパターンと言うか…事の発端は頼家が北条時政追討の許可を比企能員に与えた事ですが、全成を殺したのが事の始まり様な気がします何が何でも一幡を次期将軍としたい能員の焦りの様なものを感じます全成の息子・頼善を殺したのも焦りの表れでしょうか?一幡以外の源氏の血を何が何でも無くしたかったのでしょうね頼家が生きているうちに、一幡の外祖父としての立ち位置を確固たるものにしたかったのでしょうか?しかし情報戦では北条が一枚上だった様ですいち早く有力御家人を陣営に取り込み、比企を孤立させていきます時政は、大...鎌倉殿の13人、北条の乱!!
北条と比企の争いが激化する中、遂に全成も粛正されましたね全成自身が鎌倉殿となる野望が無くても、残った貴重な血筋として誰かに利用される可能性はあったのです史実によれば…突然、謀反の嫌疑で全成が逮捕されますこの時、何故か?全成の妻も引き渡すようにと比企能員から要求が来たみたいなのですが、政子が拒否全成夫婦を罠に嵌めたのは間違いなく比企能員でしょうね強引とも言えるやり方ですが、裏を返せば比企能員の力が幕府内で大きくなっていた証ともとれます千幡(実朝)の乳母父でもあった全成夫婦に楔を打ち込んだ能員は、幕府内の主導権を握ったと思っても不思議有りませんいよいよ北条VS比企の決着の時です能員の慢心なのか?警戒感ゼロで、のこのこと時政の屋敷に出向き殺されるのですから、かなり間が抜けた感じです所詮、幕府を動かすだけの能力に...鎌倉殿の13人、能員の慢心!!
ずらっと並んだ梶原一族の首桶驚きのオープニングでしたね時政に頼家呪詛を頼まれた全成。頼家との仲違いも収まるかに見えましたが、何体か作った呪詛人形を一体置き忘れるとはエンディングで人形を拾った人物がもし?比企だったなら!!全成の運命も風前のともし火ですいよいよ北条VS比企の全面戦争突入ですねどちら側に味方するかで家の存続を左右するのですから御家人達も必死ですよねあっという間に13人の宿老も僅か9人出家した中原親能、粛正された梶原景時、老衰の三浦義澄と安達盛長。宿老だけではなく全成や頼家までもが粛正の対象となって行くのですから凄まじいものがあります時政追放も含め全ての陰謀に義時が関わっていた筈そう考えると義時の裏の顔が見えてきますしかし、そんな義時が頼りにしたと思われるのが、三浦義村流石の義時も義村の助けがな...鎌倉殿の13人、義村は福の神!!
御家人達のパワーバランスも微妙に崩れだしましたね御家人達だけならまだしも、若い将軍と宿老達との対立も激しさを増しますそのさなか、頼家の次男・善哉が誕生し三浦義村が乳母父になります。比企の血を引いていないその子は、後に三代将軍・実朝を殺した公暁ですね梶原景時追放を裏で操っていたのは誰か?ドラマでは、シナリオを書いたのは三浦義村と言う事になっていましたが…讒言された結城朝光が一番頼りにしていたのが義村だと言われています義村による何らかの陰謀が有ったのは間違いなさそうですねもし、義村が主犯だとすれば、実衣も義村に利用された事になります義村と朝光が口の軽い実衣を利用した可能性も否定できません。景時追放も実朝暗殺も義村が陰で糸を引いている気がしてなりません義村は陰謀好きなのでしょうか?誰かを操り、自分は表に出ない、...鎌倉殿の13人、善児再登場!!
いよいよ鎌倉殿の13人、本編が始まりましたね鎌倉殿は頼家、13人は有力御家人と文官。主導権を握る為に血で血を洗う争いの始まりです昨日の友は今日の敵を地で行くような…何故?13人の合議制を敷いたのでしょうか?頼家が18歳と若かったのはもちろんですが、訴訟の多さも背景に有った様です将軍が裁可を下すにも数に限りが有りますよねしかし、この13人は一度も揃った事がなかったとも言われていますおそらく数人による寄り合いが主だったのでしょうね頼朝の晩年は将軍に権力が集中し過ぎた為、将軍の決断が御家人達の為にならなくなっていたのも事実です将軍の代替わりを期に、将軍による権力の集中を避け、御家人達のためになる政治を求めたのではないのでしょうか?頼家派の比企や梶原が合議制に賛成の立場を取ったのも、そう考えると頷けます。組織とし...鎌倉殿の13人、主導したのは時政!!
今年も夏のクリアランスセール開催中7月31迄一式購入でレンズもフレームも50%off貴方だけの一本を見つけて下さいねクリアランスセールのお知らせ!!
頼朝の髻の中から出て来た観音像。比企尼には捨てたと言っていた物ですね。粛正に粛正をかさねてきた頼朝ですが、やはり仏に縋るしかなかったのでしょうかそんな瀕死の頼朝を尻目に後継者争いで鎌倉はドロドロ状態各々の思惑が入り乱れ収拾がつきません御家人達は勿論ですが、北条家でも頼家と全成を巡って親子・兄妹の争いが始まりそうですチクリ技では梶原景時をも上回る実衣ですが、実衣のチクリで梶原景時や畠山重忠も粛正されるのですから…下に恐ろしきは女なりですね二代目鎌倉殿にほぼ決まった頼家陰の様な参謀の梶原景時を従えている様ですが、実衣の餌食となるのはもう少し先です。ところで無骨な坂東武者の中にあって、和歌を嗜み教養も有る景時を頼朝が重用したのもある意味頷けますこの時代、読み書きが出来る武士は殆どいなかったと言われています。武力...鎌倉殿の13人、忠臣・景時!!
ドラマ前半のクライマックスシーン意識朦朧とした頼朝が落馬しましたね落馬説、病気説、暗殺説など頼朝の死には謎がかなり有りそうです?馬を曳いていた安達盛長の「佐殿~」と言った言葉が、鎌倉殿としての不安定さを感じたのは僕だけでしょうか?旗揚げ当初とは全く違う力関係を危惧した古参の御家人達の反乱旗揚げ当初は北条や比企よりはるかに大きな所領を持っていた大庭や岡崎。あっという間に追い越され今や完全な負け組曽我兄弟を使った謀反を起こした可能性が大きそうですが、その謀反に北条や比企が関わっていないとも言い切れません身から出た錆とはいえ、頼朝の心中が穏やかでなかった事だけは間違いなさそうですねそういう意味では、曽我事件までは勝ち組と負け組の争いと言っても良いのかも知れません頼朝は糖尿病だとは言われていますが、落馬して意識不...鎌倉殿の13人、勝ち組と勝ち組の戦い!!
範頼は平家物語や源平盛衰記などでは凡将として描かれていますが、頼朝の代理として大軍を任されたところを見るととても凡将とは思われません頼朝の悲願でもある平家討伐の将軍なのですから、中々の武将だった筈曽我事件を見ても分かりますが、この時期、一発逆転を狙っている武将は大勢いたのです頼朝が、猜疑心に取りつかれたとしても不思議有りません範頼はそんな頼朝の餌食になったのでしょうか?実直な性格だったと言われている範頼ですが、疑いを晴らす為、起請文を頼朝にしたためます起請文の最後に源範頼と書いた事が頼朝の逆鱗にふれ万事休す全くの言い掛かりですよね範頼は自害して果てますが、その死が源氏将軍家のその後を暗示している様な気がしてなりません頼朝は何故?範頼を殺したのでしょうか?もし生きていれば、源氏将軍家を支えた可能性がかなり高...鎌倉殿の13人、頼朝の嫉妬!!
「敵討ちを装った謀反ではなく、謀反を装った敵討ちに御座います。」と呟く義時たまたま頼朝の替わりに寝所で寝ていた工藤祐経が殺されただけで、謀反ではないと言う事なのでしょうか曽我兄弟は頼朝の寝所に祐経が寝ているのを知っていた事になります。物も言いようですが、騒ぎを大きくしたくないと言う義時の思いも感じられますね流石は三谷脚本、普通のドラマとして曽我兄弟の仇討ちを描く筈がありません。まるで古畑任三郎のトリックを見ている感じがしたのは僕だけでしょうかねそれにしても…単なる敵討ちではなく、謀反の臭いがプンプンしますよね曽我兄弟だけでは頼朝の寝所迄は辿り着ける筈がありません。誰かの手助けが無ければ……「鎌倉殿は天に守られておられます。」と義時。「いつも天の導きを感じたが、昨日は何も聞こえなかった。」と頼朝何となく死期...鎌倉殿の13人、曽我の仇討ち、犯人は誰だ??
1192年(いいくにつくろう)頼朝は征夷大将軍に任じられましたね後白河法皇が崩御した後だったので、いろいろ憶測を呼んでいますが、頼朝自身も征夷大将軍を何が何でもと言う感じではなかった様ですね源氏で最初に征夷大将軍(征東大将軍かも?)に任じられたのが木曽義仲です頼朝は義仲の二番煎じと言う事ににります恫喝の様な形で大将軍に就任した義仲のですが、任じたのは後白河ですね後白河自身が2回も征夷大将軍を指名する訳にはいかなかったのではないのでしょうか?治天の君として前例を踏み外す事は出来ればしたくないと言う思いが有り、その辺りを後白河と頼朝も暗黙のうちの了解状態だったのだと個人的には思っています前九年・後三年の役で活躍した頼朝の御先祖様、源頼義・義家親子も鎮守府将軍と陸奥守でしたし藤原秀衡も…武士の棟梁として、権威の...鎌倉殿の13人、征夷代将軍は二番煎じ!!
義時には正室がいるので、これからの八重をどう描くのかと思っていたのですが、まさか千鶴丸と同じ様に川で亡くなるとは川で流されまいと必死に岩にしがみつく鶴丸をみて、亡くなった千鶴丸の姿が重なって見えたのでしょうか?思わず「千鶴」と口にした八重ですが、夢遊病者の様に鶴丸の許へ…仏に肉体を与えたと言われている仏師・運慶も登場しましたが、運慶の彫った仏像と川で亡くなった八重がだぶって見えたのは僕だけでしょうか?最後は仏様の様な顔をしていたに違いありませんところで…ドラマ後半の重要な役どころ北条時房が登場しましたね連署として義時、泰時を支えた傑物だと個人的には思っています頼朝が旗揚げした時には10歳位だった筈です。最初は時連と名乗っていた様ですが、烏帽子親の三浦義連から一字を貰ったのでしょうね比企一族が滅亡した後、二代将軍...鎌倉殿の13人、人材豊富な北条家!!
この色、艶今年初、全長32cm、知内産の真子鰈です知人のH氏から頂いた物ですが、この時期としてはかなりの上物こんな時はスプリングバレーですね粉山葵を少々。何故か?練り山葵好きなんですよね~初真子!!
人を信じ過ぎる弟と人を信じられない兄兄弟としての情は有っても共存は出来そうにありません首桶の前でも猜疑心を露わにして罵るのかとばかり思っていましたが、ドラマとは言え、首桶を抱え嗚咽しながら話しかける頼朝を見ていると何か切ないものを感じますよね何とか秀衡の許へ辿り着いた義経でしたが、安住の地とはなりませんでしたね八カ月後に秀衡が亡くなりますが、亡くなる間際、義経を担ぎ頼朝に対抗する様に遺言を残しますが…秀衡は遺言だけでは心許なかったのでしょうか?考えられない様な奇策を言い残したと言われています何と、自分の正室と長男・国衡を結婚させるのです。国衡と泰衡は父・秀衡の目から見てもかなり険悪だったのでしょうね曲がりなりにも、この結婚により国衡は泰衡の義父となる訳です。窮余の一策ですが、国衡と泰衡の相続争いは収まった感じが...鎌倉殿の13人、秀衡の奇策!!
「まるで平家を滅ぼすためだけに産まれて来られたお方じゃな!!」北条時政が呟いた言葉が、義経の全てを言い表している見たいですね破竹の勢いで平家を追い詰めてゆく義経ですが、果たして頼朝はそれを望んでいたのでしょうか?頼朝は長期戦を考えていた節があります。安徳天皇と三種の神器を何としてでも取り戻さなければいけなかったのです勝ち負けだけではなく、勝ち方が問題だった気がしてなりません。平家を追い詰め、降伏の機会を与え、天皇と神器を無事に取り戻さなければ負けなのです頼朝と義経の対立はその事が原因だったのではないのでしょうか?平家を滅ぼし、意気揚々と凱旋した義経にすれば、何で頼朝に怒られているのか理解出来なかったのかも知れませんねそこを突いたのが、老獪な妖怪・後白河乳人の信西にさえ「天下一のバカ殿様。」と言わしめた後白河兄・...鎌倉殿の13人、天下一のバカ殿様・後白河!!
一の谷の戦いから屋島の戦いをスルーして一気に壇ノ浦の戦いに突入ですね屋島での那須与一が扇の的を射た話も当然スルー。壇ノ浦の戦いでの平家の勇将・知盛の奮戦ぶりなども見たかった気がしますし、二位の尼が安徳帝に言ったとされる「波の下にも都が御座います。」も聞けませんでしたね展開が早過ぎて少し戸惑いを覚えますが、主人公が北条義時で、これからがドラマの佳境に入るのですから仕方ありませんよね鵯越も捏造だったので壇ノ浦での八艘跳びも捏造するのかと思っていましたが、そこだけはかろうじて八艘飛びもどきを見れたので…主力部隊を率いていた範頼ですが…平家との戦いでは義経の陰に隠れた感がありますよね歴史的には全くと言ってよいほど目立たない人物ですしかし、頼朝の代理として総大将を任せられたのは範頼です義経はあくまでもサブの搦手軍を任され...鎌倉殿の13人、総大将・範頼!!
源氏の棟梁としての立場を確立するためには手段を選ばない頼朝義仲を殺し次は甲斐源氏の一条忠頼目的を達成する為にはなりふり構わない冷徹な頼朝です実の弟達も例外ではありません義経も活躍すればするほど粛清される側になるのです。御家人達は、いつ自分が粛正されるか分からない緊張感の中で生きているのですそういう状態が長く続く筈がありませんよね。頼朝は落馬した怪我がもとで亡くなったと言われていますが、おそらく暗殺だったと個人的には思っています鎌倉殿を挿げ替えれば、そんな世の中を変える事が出来ると思った人物がいても不思議有りません人物達かも知れませんが…遂に頼朝は義高の処断を義時に命じましたね許婚とは形だけのものとはいえ、11歳の若者の首を刎ねなければいけないのですから過酷な命令です義時が変わったとすれば、おそらく、この事件が分...鎌倉殿の13人、粛正の始まり!!
いよいよ義経の快進撃が始まりましたね義仲討伐に続いて平家との一の谷の戦いも鮮やか過ぎます「何故?あの男にだけ思いつくのか?」と囁いた梶原景時の言葉にも頷けます参戦していた名立たる武将の全てがそう思ったでしょうね。感嘆を通り越して驚嘆していた景時の言葉「八幡大菩薩の化身だ!!」が全てを物語っています神の領域に達していた卓越した能力が、その後の不幸に繋がるのですから分から人生とは分からないものですところで義仲は以仁王の王子・北陸宮を擁して京へと進軍しています連戦連勝の勢いのまま京へと侵入、平家を追い落としますが義仲の運もここまで。坂を転げ落ちるような人生となります建前上は北陸宮を担いでいるので、その一番の家臣・木曽義仲が事実的な最高権力者となる訳です義仲としては当然の如く最高権力者たる自分が担いでいる北陸宮を次期天...鎌倉殿の13人、義仲の三人の愛妾!!
都にばかり目を向ける頼朝に対して、遂に御家人達の反乱が始まろうとしています御家人達にとっては源氏の身内争いとしかうつらなかったようですね頼朝への不信が頂点に達し、後の頼家や義仲の息子・義高を旗頭にして頼朝失脚を画策御家人達にとって源氏の血をひいていれば鎌倉殿は誰でも良かったのでしょうか?関東の事は関東の者でと言う独立心が強い土地柄なのかも知れませんねその昔、平将門が新皇と称し関東を席巻したのも頷けます。いよいよ、粛正の始まりです「最も頼りになる者は最も恐ろしい。」大江広元が吐いた言葉ですが、何とも陰湿な言葉ですね御家人たちによる反乱を何とか鎮める事が出来したが、何もなかった事には流石に出来ません血祭りとして犠牲になるのが、上総広常。一番の兵力を持っている広常を誅殺する事で求心力を高めようとの魂胆の様ですね裏でシ...鎌倉殿の13人、一度も泣いた事のない男!!
義仲は平家軍を破り京へと入りますが、勢いだけで京に入った訳ではありません京に入る為には比叡山の協力を得なければならないのです。義仲の許には右筆・覚明がおりましたこの覚明の書状が功を成し比叡山は義仲につく事に元々、比叡山と平家は敵対していましたが、どこの馬の骨か分からない義仲に簡単に協力する訳にはいかなかったのです覚明のような人物が義仲軍にも多くいた筈です。義仲は一般的に言われているような田舎武士ではなかった様ですね急速に膨れ上がった寄せ集めの軍を束ねる難しさ。飢饉により兵糧の調達も難しく狼藉を働く武士達を止める術は義仲にはなかったのです頼朝のように体制造りに時間を掛ける事が出来たなら、簡単には滅亡する事はなかったのかも知れませんね。それもこれも武将としての義仲の持っていた運命としか言えません資質だけなら頼朝に比...鎌倉殿の13人、前門の虎後門の狼!!
颯爽と木曽義仲が登場しました戦には強いが粗暴なイメージが定着していますが、ドラマでの義仲はかなり違うみたいです礼節を重んじ芯が通った人物として描かれていましたね源氏同士での争いを避けるため、人質として嫡子・義高を差し出すとは…人質は叔父・行家で良いと言っているのにも関わらず、嫡子を鎌倉に差し出すのですから驚きです名目上は頼朝の娘・大姫との婚約ですが、人質であるのには変わりありません義仲は裏表のない真っ直ぐな性格だったのでしょうか?それに引き換え、政子の目を盗み亀や八重にちょっかいを掛け続ける頼朝を見ていると、どっちが源氏の棟梁として相応しいのかと思ってしまいます女に現を抜かし御家人達にまで火の粉を撒き散らす頼朝。英雄色を好むとも言えばそれまでですが…余談ですが…義仲の息子・義高の従者の中に真田幸村の先祖・海野幸...鎌倉殿の13人、義仲登場!!
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八雲町のお客様から頂いた噴火湾の真鰈10枚。大きいので40cm位ありそうです久し振りにmy包丁で捌きましたが、中々上手くいきません大き目の鰈二枚を刺身にしてみました。鮮度が抜群なので、心なしか身が光っている様にも感じますね刺身を作るのに30分も掛かってしまいましたが久し振りなので仕方ありませんよね次は煮付です。落し蓋替わりにアルミホイールを被せスイッチON。我ながら旨そうな仕上がりです。この時期の鰈はかなり肉厚ですね全部は食べ切れないので、残りは食べ易い大きさに切りジプロックに入れ冷凍庫へ唐揚げも良いかも知れませんが、揚げ物が苦手な僕にはハードルが高そうです八雲町のS様、有難う御座いましたところで…これ何だか分かりますか??実は、我が家の箸置きですネットで見たので早速作って見ましたシャンパンのコルクを二つ...噴火湾の真鰈!!
すっかり高級魚となってしまった烏賊友人のS君が持って来てくれました船で烏賊釣りに行っても全く釣れないとぼやいていたのですが…今日は大漁だった見たいですしかも、型も25cm~30cmの食べ頃サイズ。新鮮な烏賊の色は綺麗ですね。早速、刺身を作ったのですが、量が多いので食べきれません残りは…バター焼きにして見ました鮮度抜群なので肉厚でもプリプリ状態青唐も一緒に焼き醤油をひと回し。抜群の美味さですもしかすると、刺身より美味しいかも知れません久し振りの烏賊です!!
知人から頂いた鮫皮おろしです鮫皮だけあって、表面は鋭利な状態ではありません。お菓子の雷おこしみたいですね山葵を洗い、皮ごと円を描く様におろすと、香りと辛味が生まれるのだとか…早速、試してみたいのですが、スーパーには山葵が売っていませんでした近いうちに試してみたいものです柄の下には長次郎作と書いています。超特大サイズと言っていたので、お値段も結構するのかも知れませんね鮫皮おろし!!
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森町のお客様から頂いた、手作りの一味です収穫してから四カ月乾燥させるそうです青唐を乾燥すると綺麗な朱色になるのですね。乾燥させた三種類の青唐をコーヒーミルで粉砕しブレントしたものがこれ。鮮やかな朱色ですね大根をおろし、いくらか水分を取り、特製一味と合わせるだけで極上の紅葉おろしが完成します。粒子が小さいので粒々感も全くありません香りと辛さも僕好みですが、辛いのが苦手な方には少し刺激が強過ぎるかも知りません自家製一味!!
今年も君子蘭が咲きそうです蕾がオレンジ色に色付いてきました。大分蕾が開き始めましたね二日後には満開に近いくらい咲いています。奥の蕾も花が開き、開花宣言です桜の開花宣言とほぼ同時くらいでしょうか僕は花の事は全く分かりませんが、君子蘭の色だけ見ていると南国の花の様な錯覚に陥ります君子蘭の子株を別の鉢に植え替えた物です。一年くらい経ちますがしっかりと根付いているみたいです数年後には花が咲くのかも知れません。楽しみです君子蘭、開花宣言!!
知人から頂いた銀杏草。耳海苔とか仏の耳とも言われている海藻ですそろそろ旬も終わりに近づいているので少し固くなっている様ですはしりだと柔らかいので、そのまま味噌汁などに入れ食べるのですが、今日は軽くボイルをしてみます昼食に出前をしたキツネ蕎麦にオンザ銀杏草磯の香とシャキシャキした食感がたまりません昼食のタヌキ蕎麦が一気に豪華になった気がします聞くところによると、昔は煮詰めて糊の代用品として使われていたとか??昔、聞いた事が有るのですが…夜にのんだ味噌汁の残りに、翌日新鮮な銀杏草を加えひと煮立ち。ご飯の上にかけると、シャキシャキ感とドロドロ感を楽しめ絶品だそうです僕は試したことはありませんが、一度お試しあれ銀杏草!!
知人のMさんから頂いた煮豆。一見、大豆かと思ったのですが、たまふくらと言う枝豆でした昆布出汁を利かせ薄口醤油で炊いたものでしょうか?何とも上品な味がしますたまふくらは、枝豆として食べた事は何度もありますが、それ以外では初めてです。豆を煮るのは難しいと聞いていますが、歯応えといい、見た目の艶といい、抜群の一品ですたまふくらでした!!
知人から頂いた牡蛎。知内産ですねざるに開け。片栗粉を振りかけます。軽くまぶします。水洗いをして片栗粉を落とすと完成今回は目ネギを乗せ、ポン酢をかけて見ました。剥き身で500グラムも有るの一人では食べきれません残りは、シャブシャブで食べて見ようと思っていまが…朝処理した牡蛎なので磯の香りが強く僕好み薬味として生姜や一味も合いそうですね知内の牡蛎!!
あけましておめでとうございますコロナに振り回された三年でしたが、少しずつ平穏な社会を取り戻しつつあるようですウクライナ侵攻やパレスチナとイスラエルの問題など、混沌とした世界情勢が続いていますが、人の命が軽くなった気がしてなりません争いは尽きないものなのでしょうか?もしかして人間は、平穏で穏やかな生活を求めていないのではとさえ思ってしまいます僅かな希望かも知れませんが、人間の英知で必ず乗り越えられると思わずにはいられません。そこにしか頼るものがないと思っている僕なのですどうか、平和な世界が訪れますよう又、皆様にとって、幸せな一年となりますよう心からお祈り申し上げますあけましておめでとうございます!!
どうする家康、遂に最終回ですね最終回の主役は家康ではなく茶々だった気もします「茶々は、ようやりました」との言葉を残し壮絶な最後を迎えます色んな茶々を見てきましたが、北川景子演じる茶々には美しさだけではなく、凛とした佇まい、強い意志や人に対する愛情や憧れなど、今までに感じた事のない茶々を見させて貰った気がしています「日ノ本か、つまらぬ国になるであろう」「おのれの夢と野心のためになりふりかまわず力のみを信じて戦い抜く、かつてこの国の荒れ野を駆け巡った者たちは、もう現れまい」茶々の言うつまらぬ国とは、家康の目指した太平の世の中の事なのでしょうか?乱世の亡霊とは茶々の事だったのかも知れませんね「正々堂々と戦うこともせず万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける」「やさしくて、卑屈な、かよわき...どうする家康、つまらぬ国!!
戦の度に死んでいった兵達の為なのか?南無阿弥陀仏と念仏を写経していた家康ですが、自分の寿命が尽きるのを悟った様に南無阿弥家康と書いていましたねこの戦が長い乱世の最後の戦いだと確信していたのでしようか?気弱で優柔不断でも人殺しを平気でおこなえるようになる魔界の世界、それも乱世なのでしょうかね?大阪の陣を最後の戦にするとの強い意志が南無阿弥家康の念仏に感じてしまいます「乱世を生きるは、我らの代で十分。子どもらにそれを受け継がせてはなりませぬ。私とあなたですべてを終わらせましょう」。「私の命はもう尽きます。乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて滅ぶ覚悟にございます」との家康からの手紙で家康の思いを理解したかに見えた淀殿ですが、淀殿自ら戦を中止にするとは言えませんでしたね決断を息子・秀頼に委ねますが、「余は戦場でこの...どうする家康、南無阿弥家康!!
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最近の説では、開戦前から和議を模索していたとも言われていますしかし、多数の浪人達を抱えた時点で闘いは避けられません殆どの浪人達にとって豊臣家より御家の再興が第一の目的。和議では再興が叶いませんそう考えると戦いを回避するのは難しそうですね豊臣軍は幾つかの砦を作っていましたが、木津川口の戦いなどでは豊臣軍は全敗籠城戦を選択した時点で兵糧の確保は必須でしたが、補給路も断たれ、豊臣恩顧の大名達からの援軍も期待できない状態では戦いを続ける事が出来ません福島正則や黒田長政は江戸留守居を命じられているので万事休す局地戦では真田信幸等が善戦していますが、大局には影響なさそうですよね。無謀な戦だったと言わざるを得ません「この戦は、徳川が汚名を着る戦となる。信長や秀吉と同じ地獄を背負い、あの世へ逝く。それが最後の役目じゃ」と...どうする家康、僧侶達の嫉妬??
自身の生き様に葛藤を覚える家康そこに登場したのが、旧主・今川氏真でしたね「見違えるほど成長した。立派になった」と家康を称える氏真ですが、「平気で人を殺せるようになっただけじゃ」と暗い表情の家康いつになく弱気な家康に対し、「家康よ、弟よ、弱音を吐きたいときはこの兄が引き受ける。そのために来た。おぬしに助けられた命もあることを忘れるな。本当のおぬしに戻れる日もきっとくる」と慰める氏真の前で涙を流す家康でしたね実像の家康は違っていたと思いますが、ドラマの中での悩み苦しむ姿こそ(どうする家康)で脚本家が描きたかった事だった気がしていますこれから大阪の陣が勃発しますが、家康は豊臣の滅亡を望んでいなかったと個人的には思っています。一大名として生きる道を閉ざしたのは豊臣の方なのでは…大阪城には莫大な金と多数の浪人達が溢...どうする家康、巨漢だった秀頼??
今週の主役は山田裕貴演じる本多忠勝ですね生涯かすり傷一つも負わなかったと言われている忠勝が、槍で指を切ってしまいます忠勝自身が老いを感じた瞬間でしたね「老いには抗えん。無念だが、我らはここまでのようじゃ。役目は終えたのだ」と言う康政を、「わしは認めん!!殿を守って死ぬのがわしの夢じゃ、老いなど認めん。」と意気込みを語る忠勝ですが、どうやら引き際が近ずいている見たいです晩年の忠勝は、目を患っていたと言われていますが、殆ど見えていない山田裕貴の演ずる忠勝の演技にも引き込まれるものがありました流石、役者ですね関ケ原の戦いも呆気なく終わってしまいましたが、家康に内応していた小早川秀秋が、大垣城主・伊藤盛正を松尾山から退かせ、松尾山を占拠してしまったのが戦いの始まりだったのかも知れません。最近の説では、秀秋は開戦と...どうする家康、軍事指揮権をもった家康!!
天下分け目の関ケ原VPで撮影された映像も迫力がありましたね戦いは井伊直政が口火を切ったと言われていますが…いつも先陣を切る本多忠勝は家康本陣の前に布陣しています福島・黒田・藤堂などの豊臣恩顧の武将の後ろです。万が一、それらの武将が裏切った場合の備えといったところでしょうか?ちょっとしたきっかけで裏切らないともいえませんものね捕らえられた三成と勝者となった家康の対面のシーンが、意味深でしたね「この悲惨な戦を引き起こしたのは、私であり、あなただ。」「戦乱を求むる者に戦なき世など成せぬ。まやかしの夢を語るな!」と言い放つ三成ですが、戦なき世を実現できるのであれば、豊臣でも徳川でもどちらでも良い筈家康が語った「それでも、わしはやらねばならぬ」の言葉に、天から与えられた使命感を感じるのは僕だけでしょうか?戦なき世を...どうする家康、決戦関が原!!
「徳川一の忠臣、この鳥居元忠が、お守りいたしまする。」その言葉通り伏見城を13日間も守り抜いた鳥居元忠壮絶な最期でしたね西軍四万を相手に僅か千八百の兵力で13日間も伏見に釘付けにしたのは流石です上田城に秀忠軍を釘付けにした真田昌幸にも匹敵する働きですね元忠は、家康が上杉征伐を止め西国に引き返す事が出来た最大の功労者と言っても良いのかも知れませんドラマでは…信玄の家臣だった馬場信春の娘を側室として娶っていますが、馬場信春の娘かどうかは定かではない様です武田家に縁のある女性だったのは間違いなさそうですが…何れにしても、家康との約束を立派に果たし、最愛の女性と最期を迎える事が出来た元忠には、悲壮感を感じなかったのは僕だけでしょうか?僕の目には、とても幸せそうな表情に写りましたが…ところで…おっとりとした跡取りだ...どうする家康、幸せそうな最期でしたね!!
佐和山に隠居した三成ですが、家康はこの機に乗じて伏見城から大阪城西の丸に移っていますドラマでは…上杉景勝の謀反の噂が広がると茶々が家康を焚きつけていましたね裏では三成には軍資金を与え、上杉討伐に向かった家康の隙を突き挙兵させ、そればかりか、家康に「三成が怖い。」と手紙まで送るとは稀代の悪女そのもの茶々ばかりではなく、上杉景勝も毛利輝元も家康を廃除して実権を握ろうとしていた節もあります家康が単に言い掛かりをつけ上杉討伐をした訳でもなさそうです。特に輝元は連絡を受けてから僅か二日で大阪に到着したと言われていますやる気満々ですよね秀吉ですら岡山から戻るのに十日も掛かっていますが、それより遠い広島からなので驚きの速さです勿論、陸路と海路からの違いがあるにせよ当時としては異常な速さです輝元の意気込みを感じますね武将...どうする家康、家康暗殺計画??
どうする家康、遂に最終回ですね最終回の主役は家康ではなく茶々だった気もします「茶々は、ようやりました」との言葉を残し壮絶な最後を迎えます色んな茶々を見てきましたが、北川景子演じる茶々には美しさだけではなく、凛とした佇まい、強い意志や人に対する愛情や憧れなど、今までに感じた事のない茶々を見させて貰った気がしています「日ノ本か、つまらぬ国になるであろう」「おのれの夢と野心のためになりふりかまわず力のみを信じて戦い抜く、かつてこの国の荒れ野を駆け巡った者たちは、もう現れまい」茶々の言うつまらぬ国とは、家康の目指した太平の世の中の事なのでしょうか?乱世の亡霊とは茶々の事だったのかも知れませんね「正々堂々と戦うこともせず万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける」「やさしくて、卑屈な、かよわき...どうする家康、つまらぬ国!!
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秀吉の遺言に従い五大老・五奉行による政治が始まりましたね殆どの大名が、幼い秀頼を担いだ政権運営が長くは続かないと思っていた筈です五大老の中でも、上杉景勝や毛利輝元などはさっさと自国に戻っていますよね次の戦に備えていたと見られても不思議ありません家康は跡取りの秀忠を江戸に戻し伏見城で政務をとっていた見たいです織田信長・信忠親子の二の前にならない様に、京都と江戸に分かれているところを見ると不穏な空気を感じていたのでしょうか?前田利家が生きている間はどうにか収まっていましたが、亡くなると歯止めが利かなくなります「皆、貴公が怖いのよ。貴公は腹を括るしかない。」と言った利家の言葉が全てを物語っている様な気がします利家も生きている間は秀吉の思いに沿う動きをするしかありませんが、亡くなった後は家康が天かを治めるしかない...どうする家康、因果応報!!
秀吉が遂に最後の時を迎えます家康を呼び出し、「うまくやりなされや」と後を託した秀吉ですが、天下の事よりも秀頼の生末しか頭にない様でしたね稀代の英雄秀吉も老いには勝てない様です「秀頼は、あなたの子だとお思い?」と問いかける茶々。てっきり、実の父親を告白するのかと勘繰りましたが、「秀頼は私の子。天下は渡さぬ」と…「あとは私に任せよ、猿」と言い放つ様は、亡き母・お市を彷彿させます茶々の言葉を聞き何故か笑みを浮かべる秀吉ですが、もしかして、秀頼が自分の実子だと確信しての笑みなのかも知れません絶命した秀吉を抱きしめ泣き声を上げる茶々ですが、秀吉に対する愛情が無かった訳でもなさそうでしたね単に情だけなのかも知れまらせんが、心の奥底は凡人の僕には理解し難いものがありますところで…家康は朝鮮従軍から除外されていますよね。...どうする家康、豊臣政権のナンバー2!!
秀吉の心に入り込んでいる茶々ですが、今度は家康の心にも入り込もうとしていましたねそこに登場したのが家康の側室阿茶局。茶々VS阿茶の戦いの始まりです唐入りを何とか止めようとする家康ですが、「図に乗るなよ。わしは太閤じゃ。その気になれば、徳川くらい潰せるぞ。」と逆に脅しをかけられますそんな秀吉に怯む事無く「かつての底しれぬ強さがあった秀吉ならばそんなことは口にすまい。」「目を覚ませ、惨めぞ、猿。」と…そんな一触即発状態で登場したのが、すっかり忘れ去られていた足利義昭義昭の何とも言えないキャラクターのお陰で二人の言い争いも中断となってしまいます二人の争いを知ってか知らずか、義昭の語った「てっぺんは独りぼっちじゃ。」「信用する者を間違えてはならんのう。」の言葉に秀吉も我に返った様でしたね家康に対し、「わしを見捨て...どうする家康、秀吉の子供??
北条家を潰し、遂に天下人となった秀吉の暴走が止まりそうにありませんね息子・鶴松が病死してしまいますが、その悲しみを糧にするかの様に高笑いを始め、「次は何を手に入れようかの。」と囁く下り…精神的に壊れていく人間の愚かさを感じてしまいます欲望でしか悲しみを補う事が出来ないものなのでしょうか?死ぬまで秀吉の暴走は止まりそうにありませんね戦が無くなった後の平穏な世の中を維持する術が秀吉には無かったのかも知れません。ところで…小田原北条氏の初代は早雲ですが、早雲は伊勢宗瑞と名乗っています姓を北条と称したのは、傑物と言われた二代・氏綱からですね氏綱は54歳で亡くなりますが、26歳と若い跡取り・氏康に遺訓を残していますその中に、「義を守りての滅亡と、義を捨てての栄華とは天地格別である」とありますお家大事の戦国の世にあっ...どうする家康、氏綱の遺言!!
於愛の生い立ちに始まり、武田の間者だった千代の消息、最後は茶々の登場と今週は女性メインのドラマでしたね於愛は二代将軍・秀忠の生母です。ドラマても目の不自由な人々に施しを与える様が描かれていましたが、当の於愛もかなりの強度近視だったと言われています現代ならメガネやコンタクトで矯正出来ますが、当時ではそうもいきませんかなりのハンデを背負って生きなければなりません精神的にもかなり強い女性だったのでしょうね。於愛は家康の側室になる前は西郷某の妻でした。一男一女の子供がいたと言われています。秀忠からすれば兄妹と言う事になりますね秀忠は兄・姉にあたる兄妹二人を母・於愛に対する愛情の裏返しからか?とても大事にしていたと言われていますそんな於愛の死がナレーションだけなのには少し残念な気がしています武田の間者だった千代は創...どうする家康、静かな戦いの始まり!!
ようやく重い腰を上げ上洛した家康時が経てば経つほど徳川に不利な状況になる事は家康も分かっていた筈です。自分を高く売りつける為ギリギリまで待って決断した家康は流石ですが、徳川を潰したいと秀吉が考えていたのも事実でしょうね英雄同士の駆け引きはと決断は凡人には理解し難いものがありますねそれにしても…前回で裏切り者から一転、一番の忠義者へとして描かれていた数正の出奔こんな脚色だとは少し驚いてしまいました数正のスパイ説はあり得ないと思っていましたが、このシナリオならもしかして…と思わせてくれます歴史は結果ありきですが、プロセスを想像する楽しさがありますよねおそらく…数正は家康の将来性を高く評価していた筈ですし、家康からの信頼も得ていた筈です徳川家の外務大臣として難しい交渉事は全て数正が仕切っていましたが、反面家臣達...どうする家康、徳川征伐!!
今週の主役は旭姫でしたね家康との政略結婚のため夫と無理やり別れさせられ、44歳で家康の正室として迎えられます勿論、形だけの結婚ですが、旭の心の中を慮ると戦国の女性の悲哀を感じます47歳で亡くなったと言われている旭姫ですが、晩年は病気がちだったとも言われていますよね。ドラマでは、明るく振る舞う旭姫のけなげな姿に感動すら覚えます。その明るい姿と裏腹に、無理やり別れさせられた夫は行方知れず一人でいる時に号泣する姿には掛ける言葉も見つかりません。旭姫の生涯は、自分の意志と関係なく、天下人となってしまった兄・秀吉に翻弄され続けた儚い生涯だった様ですところで秀吉が関白に就任しましたね秀吉の事ですから、裏で動いていた結果なのでしょうが、そもそも近衛家と二条家で関白の座を争っていた事が要因です近衛信輔と二条昭実は関白の座...どうする家康、関白就任!!
局地戦で大敗した秀吉軍ですが…ドラマでは、「信長様のせいだわ。徳川をさんざんこき使って、とんでもねえ軍勢を育ててまった。」と嘆いていた秀吉ですが、着々と秀吉包囲網を崩しにかかります総大将・織田信雄を丸め込み、和議を進める秀吉さらに朝廷も秀吉を関白に任命します徐々に外堀を埋められていく家康ですね戦いに負けて勝負に勝つとはこういうことなのでしょうか?今の徳川では到底敵いそうな相手ではなさそうですねほぼ、天下人となった秀吉を的確に観察していたのが石川数正だったのでしょうか?「あれは化け物じゃ。殿は化け物には敵いませぬ。」と家康に進言する数正ですが、家康に拒否されます数正の進言は的を得たものですが、岡崎城代の任も解かれ、家康にも家臣達にも数正の進言は通じなかった様です万事休す、感極まれり状態の数正ですが、「殿、決...どうする家康、通じなかった数正の進言!!
「家康の天下を取るは大阪(大阪の陣)にあらずして関ケ原、関ケ原にあにずして小牧にあり」と言われていますが、それほど小牧長久手の戦いは家康が天下人となるうえで重要な戦いだったともいえます信長が亡くなるまで織田・徳川の同盟は続いています事実上、織田の後継者と思われていた信雄を担いだ戦いなので、大義名分は家康にあります秀吉の力が大きくなっていたのは事実ですが、天下が収まった訳ではありません秀吉の勢いもいつまで続くか分からないのです。本能寺の変も然り、青天の霹靂の様な事が起きて不思議の無い時代。伊達・北条・毛利・長曾我部や息を吹き返した上杉など、虎視眈々と次を狙っている武将達も…兵数だけ見ると勝てそうな相手ではありませんが、秀吉政権が固まっていない今なら全く無謀な戦いとまでは言い切れません局地戦で勝利した徳川軍で...どうする家康、秀吉と昵懇の間柄だった恒興!!
形式上戦勝祝いとして石川数正を秀吉に派遣しましたね一国に値すると言われている天下の名品・初花肩衝を手土産に…家康が数正に秀吉の人物像を問いただすと、「何もかも芝居のようであり、何もかも心のままにも思える」との答えようは掴み処の無い人物だと言う事なのでしょうか?感情を押し殺した不気味さすら感じます家康も秀吉の人物像を解説していましたね。欲に果てがないことだ。何もかもを欲しがり、持てる力の全てを使って手に入れようとするそんな秀吉の次の獲物が石川数正なのでしょうか?いよいよ小牧長久手の戦いです後の小田原征伐と違い、この時点で秀吉に服従しない大名もいました長期戦ともなると士気も下がりますが、兵糧の心配も出てきますましてや野戦ともなれば家康に一日の長がありますよねそう考えると、兵数では劣っていても全く無謀な戦いとま...どうする家康、しぶとい信雄!!
清須会議→天正壬午の乱→賤ケ岳の戦いと駆け足で描かれていましたね秀吉と勝家に利用された信雄・信孝兄弟ですが、信長の息子と言うだけで国の頂点に立てるほど成熟した時代ではなかったのです勝家亡き後は、家康と秀吉が信雄を巻き込んで小牧長久手の戦いへと突き進みます新しい権力者が誕生するまで戦いは終わらない様ですね織田家にとっては返す返すも嫡男・信忠の死が悔やまれますね。信忠が生きていれば、清須会議も天正壬午の乱も賤ケ岳の戦いもなかった筈です。意外と、信忠を中心とした織田政権がその後も長く続いていた可能性が大きいと個人的には思っています信長の死は、家康にとっても領土拡大の絶好のチャンスとなりましたね甲斐信濃の広大な領地を得た家康は、着実に足場を固める事が出来たのです信長の死が無ければ、その後の家康は無かったのかも知れ...どうする家康、次は徳川だったかも知れませんね!!