ウォーキング途中の道端に見たことがないような花が咲いていた。Googleレンズで検索してみるとキカラスウリ(黄烏瓜)の花のようである。鮮やかな朱色のカラスウリの実は見たことがあるがキカラスウリの実を見たことがないので注意してみよう。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-キカラスウリ
錦川清流線は岩徳線の川西駅から錦川沿いを走り錦町駅に至る鉄道路線であり、昭和62年(1987)に旧国鉄二次特定地方交通線の岩日線を第三セクター鉄道に転換された鉄道路線である。途中駅の河山駅はかつて河山鉱山の鉱石積み出し駅であり、廃線路脇には当時の名残りの手動転轍機がみられた。錦町街並みに大衆食堂岩日線と看板があり、古い時代の鉄路名が・・・錦川鉄道・錦川清流線
先日、赤字が続く「錦川清流線」について存続のあり方を検討する会議が開かれたと新聞報道されていた。錦町には何度も車で訪れているが鉄道には乗ったことがないので、西岩国駅から錦川清流線に乗って錦町広瀬地区をぶらりと散策してみた。西岩国駅舎は昭和4年(1929)に岩徳線部分開業時の終着岩国駅として設置されたようであり、登録有形文化財に指定されているようである。西岩国駅舎
一昨晩NHKラジオの深夜便で「昭和100年~大衆を魅了したSPレコードの世界」と題して蓄音機でのSPレコードの音源が流されていたが途中から寝てしまった。当方懐かしいSPレコードを数十枚所持しており、先人から保存するよう託された蓄音機があるので何時か聞いてみたいものである。SPレコードの世界
宮島サービスエリア東側の中ノ谷を流れる谷川にある滝を久しぶりに訪れたが、今時分水量が少ないので画像のような状態であった。(下画像は以前訪れた時の画像)仮称中ノ谷川は現在造成されている平良丘陵開発用地を流れる広池川の一支流であるが川名はない。中ノ谷滝
時折り紹介している平良丘陵開発の進捗状況で、宮島サービスエリアからの遠望で上画像は商業用地の西側部分であり現在水路が設けられているのであろうか。下画像で以前クレータのような穴があったが現在は逆四角睡のような穴がみられる。平良丘陵開発の今
昨日紹介した記念樹を探している途中で、プール脇に2本の石柱が置かれていた。この石柱は元平良体育館(旧平良小学校体育館)の脇に置かれていたが(下画像)、体育館が取り壊された時に移転されたようである。長い石柱に「大正十年一月吉日」と刻されていたのを確認できたが、重量物でありその他は確認できていない。元あった付近には旧平良小学校と旧平良村役場があった所であり、これらに関係する何らかの石柱だったものとみられるのである。平良小学校にある謎の石柱
一昨日、市議会議員選挙の投票場所である平良小を訪れて運動場脇の庭園に植樹されている記念樹を見に行った。創立150周年記念式典については以前に紹介したが少し遅れての2代目せんだんの記念樹が植樹された。当ブログ主が小学生の頃、元の小学校校庭に大きなせんだんの木があった。(平良小全景画像の赤丸ケ所)(せんだんの木画像-この我が平良小百二十九年より)この栴檀の木からPTA新聞名が「せんだん」と名付けられたのであるが知っている人は少ないであろう。平良小学校創立150周年記念樹-せんだん
時折り紹介している平良丘陵開発の進捗状況で、久しぶりに五庵山西麓方面からの遠望である。かつての山や谷、畑であった部分が広い平地とされつつあり、完了した部分の大きな法面がみられる。平良丘陵開発の今
時折り紹介している広島はつかいち大橋の架橋工事の進捗状況で、工期は来月14日までなので何の工事が行われているのか分からないが大詰めの工事がされているのであろう。開通までにはまだ何らかの工事が行われるのであろうか。広島はつかいち大橋架橋工事の今
以前から平良地区内の高圧線鉄塔で工事が行われていることを紹介しているが、昨日ウオーキング途中宮島サービスエリア近くの高圧線鉄塔上で数人の方が作業をされており、なんと線の上で作業をされている人もみられた。この鉄塔より西側で宮園団地にある鉄塔間の張替え工事が行われているようである。高圧線鉄塔工事の今
出雲大社に参詣する八足門前の石段下に大きな円形の文様のような表示がされているが、参詣する人で気に留める人はほとんど見られない。この円形文様は平成12年(2000)に巨大神殿の柱束の遺構が出土した跡で、当時新聞のトップニュースとなっていた。当時何度か訪れたが画像が見当たらない。出雲路ぶらり―出雲大社巨大神殿柱跡
アナゴといえば瀬戸内と思っていたが・・・大田市でのアナゴの水揚げ量は全国有数の漁獲量のようで、商工会議所が中心となって「大田の大あなご」ブランド化推進しているようである。以前に何度か食したことを紹介したが、夕食をと思ったが観光地近くでなく大きな街でないのでどこも早く店仕舞いをされていた。大あなご料理店一覧の店で何とか穴子天ぷら丼を食することが出来た。出雲路ぶらり―大田の大アナゴ
日御碕灯台からの帰り道久しぶりに日御碕神社へ参詣した。楼門を入って正面に下の宮の日沉宮が祀られており、高台に上の宮の神の宮が祀られている。境内には数多くの摂社・末社が祀られており、こられ社殿の多くが国の重要文化財に指定されているようである。出雲路ぶらり―日御碕神社
大田市波根西の海岸にみられる化石になった樹木で、国の天然記念物に指定されている珪化木を見に行った。古い時代の火山噴火で埋没した樹木が化石化したものであり、周辺の地層の中には枝であったものとみられる細い炭化石もみられた。出雲路ぶらり―波根西の珪化木
日御碕灯台は明治36年(1903)3月15日に完成し、4月1日に点灯したようである。この灯台は石積み造りで内壁には煉瓦積みがされており、今では築造出来ないような高い組積造の灯台である。発光部を支えている鋼管が過去に門司港駅舎でみかけたような鋳造鋼管であり築造の時代を感じさせる。出雲路ぶらり―日御碕灯台
昨秋に切り置いていたドングリの木(クヌギ)に一昨日椎茸菌400個を植菌した。今まで栽培の流れで仮伏せを適当にしていたので一昨年植菌したほだ木から椎茸はほとんどできなかった。今回は栽培手引き通りに仮伏せをしたが・・・椎茸植菌
先日、ジャガイモの植付けをしたが当方は親がしていたようなやり方で上画像のような現状である。隣接して二人の方が畑づくりをされており、片方の方は中画像のように植付されて、もうひと方は下画像のように植付されていた。ジャガイモ植付け三者三様
出雲大社前駅ホーム内には日本最古級の電車デハニ50形・52号車と表示されている電車が展示公開されていた。デハニ50形は1928~1929年に製造され52号・53号の2両が現存しているようである。この電車は中井貴一主演の「RAILWAYS49歳で電車の運転士になった男の物語」の映画に登場した電車のようである。出雲路ぶらり―日本最古級の電車
一畑電車の出雲大社前駅ホームに出れるようになっており、ホームに出ると丁度電車が到着してきた。上屋の骨組みは古レールを加工したものであり木造トラスもみられ開設当初のもののようである。またホームに設置してあるベンチもレトロな木製のものであった。出雲路ぶらり―出雲大社前駅ホーム
神門通りにある一畑電車の出雲大社前駅の前を過去に何度も通っているが立ち寄ることはなかった。が今回孫達とは別行動で駅舎内を訪れてみた。この駅舎はRC造で昭和5年(1930年)に建てられたようで、半円型の屋根や室内にはステンドグラス風の窓が設けられており、半円型の切符売り場など洋風的な建築である。この建物は登録有形文化財として登録、近代化産業遺産に認定されているようである。出雲路ぶらり―出雲大社前駅
出雲大社の宝物殿入り口脇に稜威砲・神風砲と称される二門の大砲が置かれている。説明表示によると天正8年(1580)に毛利輝元が寄進した銅鳥居を弘化2年(1845)に松江藩主の松平斉貴が大砲に鋳造したようである。大砲を鋳造した鋳物師は松江の村松幸左衛門忠清である。鳥居を鋳造した天正頃の安芸国の鋳物師は廿日市鋳物師しか鋳造活動が確認できないので銅鳥居は廿日市鋳物師が鋳造したのかもしれない。出雲路ぶらり-稜威砲・神風砲
昨日は孫の運転する車に便乗して出雲路を訪れた。出雲大社に参詣するのは2年ぶりであろうか。日曜日であり神社や門前町は大勢の参詣者・観光客がみられた。出雲路ぶらり-出雲大社
昨日紹介した芸藩通志の古器図にみられる鰐口釜の銘文に施主廿日市とあり、荒胡子神社の鰐口は廿日市の有力町人が寄進したものとみられ廿日市鋳物師が鋳造したのは間違いないであろう。江戸期、茶の湯の隆盛時代に芦屋釜などと同様に廿日市の鋳物師が鰐口釜を量産していたものとみられるのである。今のところ画像の4口の鰐口釜が確認できたのである。鰐口釜
昨日紹介した厳島神社の五重塔下に祀られている荒胡子神社に架けられていた鰐口を模して鰐口釜が鋳造されていた。江戸期の芸藩通志に「永正十二年に鋳たる鰐口、昔は社に懸けしや、今は本願金剛院にあり」とあり、これを模した鰐口釜の図が掲載されているが鰐口は残されていないのである。荒胡子神社関連の鰐口釜
荒胡子神社恵美須宮厳島神社の五重塔下に祀られている荒胡子神社で、この神社を中世初め頃に分祀して愛媛県内子町に祀られ、当地での御開帳日の廿日の市が地名として定着していったのである。内子町の恵美須宮について江戸期の『大洲旧記』に「治承養和の頃か、厳島を平家取立、夫を学て河野氏五十崎へ宮床を取立、厳島の荒えびすを勧請して廿日市へ鎮座す。厳島は開帳なし。廿日市は、毎月市日に一日宛開帳有。依遠方より参詣多し。弥以廿日市繁昌す」とある。荒胡子神社
先日、高圧線鉄塔の上で作業をされていたと紹介したが、鉄塔間に高圧線ではなさそうな細い線が多くか架け渡されて所々の垂直方向につなぎ材が設けられていた。巨大なあやとりのようだ!巨大あやとりが!
物置の片隅に今では見ることもないソノシートがあった。1964年10月10日に開催された第18回の東京オリンピック協賛のソノシートのようであるが、どのようにして手元にあるのか覚えていない。ソノシートが一般的な呼び名であろうが「コロムビアコロ・シート」と記されていた。ソノシートが!
ウォーキング途中にみられる林道玖島川末線開設工事で上側にみられる泉水峠側と下側にみられる川末側の工事ケ所の遠望画像である。現在どのような作業が行われているのかは定かでないが、下画像は2021年1月頃の泉水峠の工事ケ所画像である。林道玖島川末線開設工事遠望
上画像の右向こう側の鉄塔が以前紹介した建て替えられた吉野山の鉄塔で、一昨日中央の鉄塔上部(中画像)で4人が高圧線の張替えの準備作業をされていた。左手前側の鉄塔(下画像)は以前に岩木神社元宮を紹介した時には撤去されていたが、新しく高い鉄塔が建替えられており上部で作業をされていた。吉野山の高圧線鉄塔関連工事の今
久しぶりに原地区をウォーキングしているとなんと田んぼにハゼ架けが残っており、稲束が架けられたままになって周辺には藁束が散乱していた。稲束先の籾は無くなっており、脱穀後に架けられたものか雀などがたべたのであろうか。通常の状態ではないがどうされたのであろうか。ハゼ架けが!!
時折り紹介している市道堂垣内広池山線の可愛川に架かる橋の橋脚工事の進捗状況で、現在橋台立ち上がりの工事と周辺の護岸の工事が行われているようである。可愛川の流域の地中にはなんと大小の岩がゴロゴロとしているものだ。市道堂垣内広池山線工事の今
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ウォーキング途中の道端に見たことがないような花が咲いていた。Googleレンズで検索してみるとキカラスウリ(黄烏瓜)の花のようである。鮮やかな朱色のカラスウリの実は見たことがあるがキカラスウリの実を見たことがないので注意してみよう。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-キカラスウリ
ウォーキング途中で見掛ける可愛川に架かる橋梁の進捗状況で、橋桁がすべて架けられていた。これから床版のコンクリート打ちが行われるのであろうか。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
原地区にあるかつての国立療養所原病院は現在社会福祉法人三篠会「ふれあいライフ原」の施設として使用されている。現在老朽化した建物が取り壊されており、何らかの施設建物が建築されるようである。(上画像-国立療養所原病院記念誌より)※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/国立療養所原病院今昔
梅雨の時期なので以前に訪れた岩国市六呂師大藤地区にある梅雨左衛門を紹介しよう。田んぼの脇に巨岩があり岩の隙間に蛇がいるというが、現在農地は荒れており近づくことは出来ない。江戸派の地誌に「田疇ニ大岩高サ四間程也、岩中ニ有一双小蛇、形鳥蛇ノ如ク、頭帯白色、毎年入梅ノ日ヨリ、彼蛇岩ノ穴ヨリ頭ヲ出シ不退、・・・」と記されている。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/梅雨左衛門
梅雨の合間に二重原地区石か小屋にある巨岩の割れ目に栖んでいるという梅雨太郎さんに会いに行ったが姿を見せてくれなかった。江戸期の地誌に「異石-・・・石罅に雙蛇を栖しむ、梅雨の後、去て見まず、此石犯すものは祟ありといふ」と記されている。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/梅雨太郎
廿日市20代目桜島大根(上画像)と廿日市10代目切葉松本地大根(下画像)の現状で、切葉松本地大根は苗の時に虫被害でもうこれまでかと思っていたが何とか育って種が取れそうである。これらから種を採って廿日市21代目桜島大根と廿日市11代目切葉松本地大根を育てるつもりである。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の今
峠地区の最禅寺境内に安置されている浅浮彫合掌仏立像(線刻仏像?)を久しぶりにお参りした。板状の石に浅浮彫りされたもので、衣文線が特徴的である。この合掌仏立像は以前不適切な状態であったものを当寺に移設し安置されたものであると教えてもらったことがある。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/浅浮彫合掌仏立像
玖島地区の大町と平谷集落の中ほどの県道沿いに大きな背石のある石仏が安置されており、刻銘に「安永九年(1780)子十月日」とある。現在は県道沿いであるがこの場所は旧石州往還道(廿日市~匹見・益田方面)があった所であり旅人の安穏を祈念して建立されたものであろう。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の石仏
玖島地区の大町集落のとある谷合(近所の人に聞いたが谷名不明)を登った所に小さな池(沼)がある。その周辺にある樹木の池上部分にモリアオガエルの卵塊がたくさん見られた。今年はまだ卵塊からオタマジャクシが垂れ落ちていなかった。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/モリアオガエルの卵塊
時折り紹介している可愛川に架かる橋梁の進捗状況で、前回紹介した時より橋桁が多く架けられていた。橋台部分を見るともう1本位橋桁が架けられるのであろうか。橋桁上の材料であろうかクレーンで運搬されていた。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
昨日紹介した自室前の田んぼに別のグループのコサギとアオサギかがやってきた。コサギは昨日のものより大きく成鳥のようであった。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/コサギ・アオサギが!
自室前の田んぼに兄弟であろうか2匹のシラサギがやってきて田んぼの中の小動物をたべていた。撮影した画像を見ると小型でありクチバシや足が黒色なのでコサギの幼鳥のようである。時間を空けてからアオサキがやってきた。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/コサギ・アオサギが!
ウォーキング途中にブラシノキの花が咲いていた。オーストラリア原産のようで、カリステモン、ハナマキ、キンポウジュ、ボトルブラッシュともいわれているようである。花はビン洗いのブラシによく似ており和名でブラシノキというようである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-ブラシノキ
広電宮島線沿いの廿日市駅東側にあったレンガ建築の廿日市変電所は平成21年(2009)3月に取り壊され変電所跡は駐車場になっており、変電所脇にあった踏切は廃止されていた。新しい変電所は廿日市駅の上り線ホーム脇に設けられている。(広電廿日市変電所)※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/広電廿日市変電所今昔
所用を兼てのウォーキング途中、壁面に本業敷瓦とみられるものが張ってある民家があったが近寄って見ることは出来なかった。本業敷瓦は日本のタイルの源流で、明治時代に焼き物の産地愛知県瀬戸で焼かれた陶製タイルである。参考画像は当ブログ主が所持しているもので、大きさは24cm×24cm厚さは1.8cmのものと15cm×15cm厚さ1.8cmのものである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/本業敷瓦(タイル)
昨日紹介した地御前漁港には築港時代の石積みの防波堤が残されている。大正5年(1916)頃に南北の新開が築調されそれぞれの地先に石積みの防波堤が築造された。防波堤の先端部は海側にL型に折れ曲がって築造されて堤頂部には繋船石柱が設けられている。(地御前漁港築港についてー広島県の近代化遺産参照)※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/地御前漁港の防波堤
上・中画像は平成8年(1996)頃の地御前漁港で、護岸には多くの雁木(石階段)がみられ漁船から漁獲物の荷揚げがされていたものであろう。現在、地御前漁港は艇置施設(プレジャ-ボート係留施設)となってプレジャ-ボートがびっしりと係留されている。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/地御前漁港今昔
所用をかねてのウォーキング途中、可愛川下流域でアオサギが水中の餌を食んでいた。当方の移動を察知して上流方面に飛んで行った。以前に田んぼの中で餌を食んでいたのを紹介したことがあった。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/アオサギが!
一昨日紹介した搬入されていた橋桁が、昨日の昼過ぎ通りがかりにみると可愛川に架けられていた。何本の橋桁が架けられているのか分からないが、画像をみると手前側にまだ数本の橋桁が架けられるのであろうか。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
以前にも紹介したが、佐伯区五日市港の広大な埋め立て地に「かっぱえびせん」のカルビー新広島工場が建築中で8割方工事が終わっているようにみえる。完成後には当市木材港にある広島工場や広島西工場も順次移転され稼働開始となるようである。「かっぱえびせん」のカルビー工場建築中
吉野山にある中電の高圧線鉄塔が場所を変えて建て替えられることを以前に紹介した。現在、藤戸の谷の作業用地から山上の鉄塔までの工事部分の山林が伐採されていた。また資材などを運搬する索道の準備作業が行われているようである。吉野山の高圧線鉄塔
以前紹介した吉野山に生息しているイノシシによって、山裾の畑で被害があったことを聞いていた。当ブログ主の田んぼの近くに以前から捕獲檻が設置されており、一昨日親子のイノシシが捕獲されていた。一昨年は田んぼをイノシシに荒らされたことがあったなぁ・・・ならず者御用だ!
可愛川の西側流域で広電廿日市市役所前駅のロータリと旧国道の間、住宅に囲まれた中にある田んぼが最下流の田んぼである。用水は薬師井手か新宮川から取水しているものとみられる。平良地区最下流域の田んぼ--2
可愛川の東側流域で平良保育所脇に見られる田んぼが最下流の田んぼである。用水は柳庵川から取水しているものとみられる。平良地区最下流域の田んぼ
ウオーキング途中に赤い実がびっしりと付いた植物があった。ヒペリカムと教えて頂き、挿し木するとつきやすいとのことで、枝を分けてもらった。挿し木した枝は大きく育ち、黄色の花が咲いて赤い実となりつつある。ヒペリカム
ウォーキング途中にカヤがあったので、久しぶりにバッタを作ってみた。当ブログの最初はウォーキング途中カヤでバッタを作っていたバッタおじさんから習ったバッタ画像であった。カヤのバッタ
水稲育苗箱で陸稲(左側)と黒米苗(右側)が育っている。陸稲は昨年秋に収穫した籾であり、黒米は昨年陸植した籾で陸植2代目となる予定の黒米苗である。陸植した赤米は育ちが悪く籾が採れなかったのである。遊びの菜園ー陸稲・黒米苗
宮園団地の高い法面下の擁壁から赤褐色の水「赤水」「かなけ水」などと呼ばれる水が湧出している。擁壁下にある田んぼはこの水が使用されており既に田植えがされていた。かなけ水を使用した田んぼと通常の川水を使用した田んぼの米の出来ぐわいが異なるのであろうか。かなけ水の田んぼ
玖島上大町地区のとある谷筋(谷名分からず)を入った所に小さな溜め池があり、その上に張り出した樹木の枝に「モリアオガエル」の産卵の泡である卵塊が数多くみられた。ここの場所では梅雨時期に近いこの頃になると毎年見ることができるのであるが、今年は卵塊の数が少ないようである。モリアオガエルの卵塊
「引き回転定木」引き回転定木は引っ張っていき円板で筋を付け十の字跡を付けていくものである。上画像と中画像は吉和地区でみたもので、下画像は佐伯歴史民俗資料館に展示されているものである。このような民具は吉和地区と佐伯地区で使用されていたようである。田植えに関する民具⑤
「六角枠」六角枠は前に転がして碁盤の目のような跡を付けていくもので、交点に前向きで植えて行くため効率的である。植え筋が縦列と横列が揃った植え方となるのである。田植えに関する民具④
「スジツケ」上画像は前に向かって植え筋を付けていくもので、下画像は引いて植え筋を付けていくものである。隠岐郷土館に展示してあるスジツケ(下画像)には「ババ」と表示してあり、出雲地方では筋を引くことをババヒキと言っているようである。筋の上に前に向かって植えて行くので効率的であるが植え手によって間隔はバラバラとなるのである。田植えに関する民具③
田んぼの水廻りを兼ねた早朝ウォーキングで速谷神社に参詣したら社殿前に茅で作った茅の輪が設置されていた。6月の晦日には酷暑の真夏をひかえ、人々の健康と厄除け無病息災を願う夏越の大祓神事が斎行される。速谷神社「茅の輪」
「三角枠」上画像は親の時代に使用していたもので、4~5人で印の付いた所に植えて手前に回していくものである。植え手のスピードや後すだりのため効率はあまりよくないものであった。下画像の「タウエワク」は廿日市町史通史編に掲載されていたものであるが、三角枠と同じように印の付いた所に植えて手前に回していたもののようである。田植えに関する民具②
当ブログ主の田植は何とか終わったので、過去にみかけた田植えに関する民具を紹介する。原地区で以前にみかけた「マグワ」2基であるが現在は無くなっている。マグワは馬や牛に曳かせて代掻きをする器具で「ホ・コ(爪の部分の呼称)」が木製のものと金属製のものがある。「エブリ」は当ブログ主が使用しているもので代掻きをして田んぼの不陸を均すものである。(中画像-日原民具志)田植えに関する民具①
昨日、田植えの二便が助っ人2(田植え2年生)により当ブログ主は田んぼに入ることなく終了した。四角な田んぼであるが植えた列は湾曲していたが片目をつぶってみておこう。田植え②
当ブログ主の畑に隣接して大きな桑の木がある。昔、養蚕の名残りの桑の木がそのまま大きく育ったものとみられ現在沢山の実を付けている。白い実から赤みが付いて赤黒くなって熟したものは美味しいものである。若い頃、中国トルファン(吐魯番)郊外のヤールフー千仏洞近くで見た桑の実は2cm位の大きな実で白いままで熟しており、美味しかったのを今でも覚えているのである。桑の実
昨日紹介した廿日市19代目桜島大根(上画像)と廿日市9代目切葉松本地大根(下画像)の種を昨日採取した。以前に近接して植えていたことがあったので切葉松本地大根は桜島大根と交配したものとみられ同じような形状の大根となっているのである。遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の今
時折り紹介している廿日市19代目桜島大根(上画像)と廿日市9代目切葉松本地大根(下画像)の実が実っておりもうすぐ種を採取しなければ・・・来シーズンには廿日市20代目桜島大根と廿日市10代目切葉松本地大根を栽培する予定である。遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の今