パソコンがウイルスに侵入された形跡があり、しばらく休止して様子を見ていましたが、どうやら平常に戻っているようなので記事を書いてみます。 私は91歳になり、あまり活発ではなくなっていますが、幼時から始まって長く続いている日記を書く習慣は、ブログという形で、
多世代交流のブログ広場
時事評論、随想日記を綴るとともに、創作を連載の形で発表する場としても利用しています。過去作の詩集「愛それによって」単行本「おじいちゃんの書き置き」「あなたの孫が幸せであるために」も、全文を掲載しています。現在連載中の著書は「少年期の戦中と戦後」です。 「ブログ連歌」は07年10月から始めています。誰でも自由に投句してください。エンドレスに続けてギネスに挑戦です。
91歳の夏の終りが、ようやく見えてきた。昼の暑さは相変わらずだが、午後になって、かすかに弱まった日差しが、ちぎれ雲から見え隠れするようになった。 私は基本的に夏が好きだから、暑さそのものは、あまり苦にしない。秋になって、夏の日焼けの残る腕の表と裏を見比べ
一昨日のことになるが、横須賀基地見学のツアーに行ってきた。ここには日本海海戦で活躍した軍艦「三笠」が、岸壁に固定した状態で保存されている。日露戦争の「日本海海戦」で、ヨーロッパから回航されてきた「バルチック艦隊」に壊滅的な打撃を与え、日本の勝利を確実に
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パソコンがウイルスに侵入された形跡があり、しばらく休止して様子を見ていましたが、どうやら平常に戻っているようなので記事を書いてみます。 私は91歳になり、あまり活発ではなくなっていますが、幼時から始まって長く続いている日記を書く習慣は、ブログという形で、
久しぶりですが91歳なりに、かなり元気に暮らしています。身の回りでは、時たま来訪する孫娘の長男つまり曾孫(ひまご)とも、会話らしいものを交わしながら遊べるようになりました。子供が娘二人で終ったので志村の姓は伝わりませんが、そのことにあまり拘わる気持ちもあり
91歳の夏の終りが、ようやく見えてきた。昼の暑さは相変わらずだが、午後になって、かすかに弱まった日差しが、ちぎれ雲から見え隠れするようになった。 私は基本的に夏が好きだから、暑さそのものは、あまり苦にしない。秋になって、夏の日焼けの残る腕の表と裏を見比べ
一昨日のことになるが、横須賀基地見学のツアーに行ってきた。ここには日本海海戦で活躍した軍艦「三笠」が、岸壁に固定した状態で保存されている。日露戦争の「日本海海戦」で、ヨーロッパから回航されてきた「バルチック艦隊」に壊滅的な打撃を与え、日本の勝利を確実に
しばらくお休みしましたが、ブログ再開の手配をして貰えたので、久しぶりに書いてみます。とは言うものの、気づいてみれば自分の年齢はすでに91歳、1933年生まれですから、かなり高齢になっていることは事実です。ただし自覚している持病もなく、毎日を楽に過ごさせて貰っ
夏本番の季節になった。本来、私は夏が嫌いではない。とは言っても、汗をダラダラ流すような暑さは苦手で、肌がしっとりと潤うような程度の暑さが気に入っている。何かの解説で、ダラダラ流れるような汗を布で拭き取ってしまうと、1cc当たり何カロリーだかの冷房効果を、
「再開します」を宣言しておいて、不実行になっていました。我ながら情けない次第です。体調その他、生活環境はまずまずで、それぞれに独立して暮らしている長女と次女が連携をして、単身になっている私の日常を支えてくれています。生前の妻が「この家があれば、あの子たち
パソコンの交換で、新しい機器に慣れる必要などがあり、しばらくブログ更新を停止していましたが、本日から再開してみます。休止していた間に、家庭内にもいろいろなことがありました。 まず、今月21日に、姉が死去しました。享年95歳でした。男、男、女、女、そして私が
本日は、91歳の誕生日でした。ただし家の中でも話題になることはなく、私が何も言わないので、たぶん娘たちも気づかずにいたのでしょう。伝統的に、家族の誕生日を祝うという習慣は、私の家にはありませんでした。 でも、90年を超えてここまで生きてきたのは、長かったな
昨日は、旅にくわしい孫の案内で「国営ひたち海浜公園」へ行ってきました。往復の列車からして、初めて経験する特別仕様車で、座席は進行の左側が2列、右側は一列のみという「ゆったり型」でした。こういう形の車両の存在自体を、私は今まで知らずにいました。勝田の駅か
珍しく昼のうちにブログを開けている。天気はおだやかな薄曇り、寒くも暑くもない、過ごしやすい季節である。明日は朝から「国立ひたちなか公園」へ行く予定がある。朝9時に出発で、乗る列車も予約で取ってあるとのことだ。 この公園には「日本で2番目に大きい」という
ちょっと油断すると、本当に無為のうちに一日が過ぎてしまう。体が健全体でなくなって、毎回の排尿を、カテーテルを通しての自家作業で処理しているのも影響していると思う。一日に数回、頃合いを見てすべて自分で出来るようになったのだが、それがかえって、一仕事してい
一転して、暗くて寒い一日になりました。強い雨ではありませんが、一日中、降ったり止んだりしながら、日暮れにさしかかっています。 テレビニュースによると、台湾ではマグニチュード7.7の地震があったとのことで、観光客も避難するなど、混乱に巻き込まれたとのことで
あたたかい春の日です。朝一番に、長女に付き添ってもらって、予約の決まっていた病院へ行ってきました。主治医からは、自分の身体の現状について、かなり明確な説明を聞くことができました。かかっているのは泌尿器科です。要するに私の膀胱が、経年で疲れ果てて、ダラン
新しい機器になって、まだ試運転中です。体調も、あまり良くはありません。地元の警察病院で、経過観察中です。明日は予定された通院日、現状に適応できる生活技術などを聞いてみようと思っています。きょうから四月、暖かくなる日を待ち望んています。
天気のよい土曜日の昼前だ、日当たりの良い居室は、暖房がなくても暖かい。一階と地下の会社には、きょうは休日だから誰もいないだろう。 身体はあまり健康体とは言えなくなったが、日常の暮らしが不快というほどではない、九十代になっているのだから、まあこんなものか
(熊)久しぶりですねご隠居、ずっとお呼びがないから、めでたく浄土行きしたかと思ってましたよ。(隠)失礼なこと言うな。五体満足で、ちゃんと生きてるよ。もっとも、その五体満足が、少々怪しくはなって来てるがな。でも現在90歳、この5月には91になるんだよ。(熊)そりゃ良か
3 月にしては底寒さを感じる、暗い日です。家に蟄居して、あまり興味もない高校野球のテレビ中継などを見ています。名義としては私が会社の代表者ですが、実務一切は、しっかり者の長女にすべて任せています。たぶん私よりも、経営者としての適性を備えているように思いま
とりあえず日記を書くように、日々を記録することから始めてみます。現在の私は、あまり健康体ではありません。ただし地元の警察病院で、主治医による定期観察を受けているので、深刻な心配はしていません。なにしろ90歳を過ぎているのですから、それなりの老体になってい
再開はしましたが、まだ本人はコロナだったらしい「病み上がり」状態で、おまけにパソコンも新品と交換になり、学び直しの手順にウロウロしています。1933年生まれで、間もなく91歳になる私としては、この先は「オマケ」の人生として、せめて悠々と暮らして行きたいもので
大木晴子さん主催のライブ&トーク「希望をつなぐために語り・歌おう」を聞きに、渋谷の「LOFT9」へ、阿部めぐみさんに教えていただいて行ってきました。出演者は音楽家の中川五郎さんと伊東正美さん、司会が大木晴子さんでした。題名の通りに、今だからこそ西口のような
詩人サトウハチロー氏の妹(異母)に当る佐藤愛子の新著を読んでみた。百歳にして著書を出すということ自体が稀有のことと思われて、期待して買ってみた。が、読んでみての第一の印象は、やや外れというべきか、題名の通りの「屑籠」だなあ、ということだった。ちなみに検
昨日は長女の発案で、茨城県の「ひちたなか市」にある「国営ひたち海浜公園」へ行ってきました。常磐線の勝田駅から直通のシャトルバスが通っており、列車も東京(品川・上野)から「ときわ」という特急が、水戸まで無停車で行くので、天気も上々の快適な旅でした。 あと
一昨日は、間庭小枝さんの「椰子の実コンサート」を聞きに、所沢の「市民文化センター・ミューズ」のキューブホール(下車駅は「航空公園」)へ行ってきました。椰子の実コンサートは第24回ですが、過去記事を調べたら、ご縁が出来てから、私はもう10年近くも続けて通って
前後の脈絡は何もないのだが、「ニッポン号の世界一周飛行」を思い出した。昭和14年に、日本の飛行機が世界一周飛行を成功させて、かなり話題になったのだった。私が6歳のときのことだから、子供心にすごいなと思ったのと、そのときに流行した「ニッポン号の歌」のメロデ
昼のニュースを聞いていたら、吃音(どもり)の話が出て来たので、自分も過去に悩んだことがあるのを思い出した。たぶん中学か高校の頃だと思うが、吃音が出そうで、なめらかに会話ができない経験をした時期があったのだ。たとえば、よく使っていた駒込(こまごめ)の駅名
「続けて書こう」と宣言しておきながら、一向に実践しないで一週間を過ごしているのでは話にならない。心身に異常があったわけでもなく、身辺に一大事が発生したのでもない。要するに怠けていると言う他はない現状である。 日常の生活としては、91歳の単身世帯としては、長
「やはりブログは続けて書こう」と言いながら、実行しないでいるのは良くない。1933年生まれの自分は、2023年の5月に90歳を超えた。その後も時間は一日ごとに過ぎて行く。 老人は、古いことを知っている。私が生まれた年、昭和8年には、中国に「満州国」が誕生した。中
やはりブログは続けて書こうと思った。一日の終りに、きょう何があったかを書き留めておくのは大切なことだ。それは日記を書くのが習慣だった、私の成人期の経験につながっている。大学の受験もそっちのけにして、毎晩にように長文の日記を書いていた私は、たしかにあの時
中野サンプラザの閉館の時が、明日17日の月曜日に迫っている。館内の催し物は、すべて無料の出入り自由となっているので、午後の4時ごろに行ってみた。客席は、出入りや位置の選びに不自由しない6割程度の入りだったと思う。出し物は地元の学校関係、趣味の会、個別タレ
中野駅前にあるサンプラザが閉館した。ここの地下にあったボウリング場は、久しく私が毎週水曜日に通う場になっていたのだが、一足早く、この5月31日に行ったのが、私にとっての最終日になった。そして会館そのもが、昨日の7月2日の日曜日をもって閉館となったのだった
遊園地だった豊島園が、ハリーポッターのテーマパークとして新装開店したようだ。豊島園は私にとっても思い出すことが多い。豊島園の創業は、大正15年だそうだから、私の誕生より9年も早い。まだ学齢前の幼いときにも、家族とともに訪れた、かすかな記憶がある。私は5人
雨に籠った一日を、終日、家で過ごしている。その雨も、たいした雨ではない。無理をすれば、近所への出掛けは、傘がなくても用が足せそうな程度である。それでも、どこへ行くあてもない。 長くお世話になった、毎週水曜日の午後1時半、サンプラザ地下にあるボウリング場
中野サンプラザが、この7月2日をもって閉館することになった。この施設には、長らくお世話になった。当面のおつきあいとしては、毎週水曜日に通っていた「ボウリング教室」が、私の近年の生活の大事な部分となっていた。教室と言っても堅苦しいものではなく、要するに仲