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志村建世のブログ http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/

多世代交流のブログ広場

時事評論、随想日記を綴るとともに、創作を連載の形で発表する場としても利用しています。過去作の詩集「愛それによって」単行本「おじいちゃんの書き置き」「あなたの孫が幸せであるために」も、全文を掲載しています。現在連載中の著書は「少年期の戦中と戦後」です。  「ブログ連歌」は07年10月から始めています。誰でも自由に投句してください。エンドレスに続けてギネスに挑戦です。

志村建世
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2006/07/30

1件〜100件

  • 私にとっての太平洋戦争

     私にとっての太平洋戦争は、国民学校(「小学校」の当時の呼び名)の2年生の12月に始まり、6年生の8月に終わっている。だから小学生時代は、ほぼ戦争とともにあったと言ってもよい。 開戦の日は、朝から家の中が妙に騒がしかったのを覚えている。上の兄が興奮した様子

  • 蒸し暑い日だ

     蒸し暑い日だった。エアコンを効かせた家の中にじっとしていて、一日が過ぎて行った。居間の机の上には、長女が買ってきたクイズ雑誌が開いてある。私も嫌いではないから、けっこう集中して正解を考えることもある。答えがわかれば、すぐに回答欄に記入しておく。 すぐ横

  • 夜の寝る前にブログを書こう

     夜の、寝る前の時間にブログを書こうと、今日から思いついて実行する。私は少年期から壮年期に至るまで、かなりマメに日記を書いていた。高校3年のときには、頭の中でトグロを巻いた循環論を、なんとか解きほぐしたいと思い込んで、一か月で日記帳一冊を使い切ってしまう

  • 「休ブ届け」も出さずに休み

     「休ブ届け」も出さずに休んで、ついに月末近くになってしまいました。別に体調が悪かったということもありません。ただし酷暑が続いているようで、さすがに夏が好きの私も、ろくに外出もせずに過ごしています。ただし週に一度、水曜日のブロードウェイ地下での「ボウリン

  • 安倍銃撃直後の選挙

     東京地方は、すばらしい夏晴れの投票日になった。参議院の半数を改選する定例の選挙だが、投票率は常時よりも高くなりそうな気がする。安倍前首相が、街頭で演説中に銃撃されて死去したというのは、衝撃的な事件だった。どんな理由があれ、演説中の政治家を暴力で殺してお

  • 野方警察署も七夕飾り

     ふと気がついたら、すぐ近くの野方警察署の正面入り口に、立派な七夕飾りが立ててあった。例年これほどのものが立っていたという記憶はないから、誰かの思いつきで今年は採用されたのだろう。2階の高さを優に超える立派な竹を使っている。警察署と言えば、ふだんは厳めし

  • 松戸市民劇団公演を松戸市民劇場で見た

     昨日の日曜日、久しぶりに松戸市民劇団の公演を、松戸市の松戸市民劇場で見て来ました。久しく八柱にある劇舎(しばいや)ビル4階の稽古場で見てきたので、カンの悪い私は、会場が変わっていることに気づかず、一度は八柱へ行って「空振り」をし、お世話役を務めて下さっ

  • 長雨もなしに「梅雨明け」が来た

     今年は梅雨らしい雨降りを、ほとんど経験しないうちに「東京・関東地方の梅雨明け」が発表されてしまった。30度超えの「真夏日」が、これから当たり前のように続きそうである。天候は、適度の晴天と、時折りの降雨があってこそ万物が育つのだろう。干ばつと日照不足とは、

  • 最後の薬たち

     いつも食卓の上に出ている、一週間分の「お薬ボックス」です。きょうは日曜日、朝のうちに一日分の薬は飲みました。そして月曜と火曜のところにだけ薬が入っていて、あとは何もありません。5年以上も続いていた服薬が終るのです。毎日3種類を2錠ずつ、何を飲んでいたの

  • 病院からの卒業

     ほぼ5年間、継続してお世話になっていた東京警察病院呼吸器科での治療が、ついに「完治」の判定で終了になりました。前回に予定されてはいたのですが、今回のレントゲン撮影も、前回、前々回のものと比較して全く変化がなく、「これならいいですね」の判定になりました。

  • きょうは日曜日

     きょうは日曜日だから会社も休日になっている。私はもう現役ではないから勤務に関係はないのだが、家の中に働いている人がいないというのは、気持ちの休まるものである。その前日の土曜日、きのうの夕方には、久しぶりに家族5人で郊外のファミレスへ食事に行ってきた。内

  • 「蘇峰さんの思い出」について

     オモテのブログ書きを休んでいた間に、「蘇峰さんの思い出」の原稿を、どうやら書き上げた。無事に採用になったら、このブログにも再掲できるかも知れない。 関東・東京地方は梅雨に入ったそうで、それらしい雨と曇天が続いている。そんな中では、外へ出歩く気にもならな

  • 夏至に近い夕日

     本日午後6時50分頃、秩父連山の右端に入って行く夕日である。梅雨入りしたとかで雨の続く近ごろだったが、きょうはよく晴れていた。自分の小さなカメラでも、こんな太陽が撮れた。それだけのことなのだが、なんか嬉しい。 西方の浄土に、妻が先に行って待っていてくれる

  • 徳富蘇峰さんのラヴレター(5)

     前回で完結のつもりだったが、いくつかの書き残しを、この際に書いて置きたくなった。前述の「婦人秘書」の「編者の言葉」の最後に、私の父・志村文蔵は次のように書いている。 「祈美子さんについて語るならば、思い出は尽きません。が、それはすべてやめましょう。何故

  • 徳富蘇峰さんのラヴレター(4)

     そしていよいよ、通信は最終の130通目、「さらば、君よ」に到達する。ただしこのタイトルは、父の志村文蔵がつけたものに違いない。内容は見ての通り、横組みの英文で、日本語は一字も書かれていない。なぜこんな形になったのかを、私は考える。 明治の男として、「親愛な

  • 徳富蘇峰さんのラヴレター(3)

     ここで前後の事情を少し整理してみると、徳富蘇峰夫人の静子さんは、かなり以前に亡くなられていたのだった。すでに秘書として蘇峰さんの信用を得ていた八重樫さんは、自然に蘇峰翁の身辺の事務にまで気配りをする立場になって行ったと思われる。しかし蘇峰さんは文久3年

  • 徳富蘇峰さんのラヴレター(2)

     上の写真は、私の父・志村文蔵が昭和24年(1949年)9月に野ばら社から発行した蘇峰さんの書簡集である。内容は、蘇峰氏が秘書の八重樫祈美子(本名は君子)さんに宛てて書いた130通の手紙から成っている。書かれた期間は、昭和18年(1943)7月6日から11月29日までの5か

  • 徳富蘇峰さんのラヴレター(1)

     このブログが縁になったようで、「蘇峰の会・熊本」から、会報への寄稿依頼を頂いた。三千字から四千五百字程度というから、半端な枚数ではない。この6月中にという話なので、やや緊張している。ちなみに蘇峰氏は熊本の出身だから、地元では今も「郷土の偉人」のお一人な

  • 日本が縮んで行く

     日本の出生率低下が止まらない。昨年の出生率は、1.30と新聞に出ている。これは2.0のときに増減なしになる指数だから、かなりの速度で少子化が進行することになる。 私の家系を日本の縮図と考えると、父母の夫婦は5人の子を育てた。それに加えて、幼時に死んでしまった

  • 晴のち雷鳴、のち強雨

     午後4時過ぎ、東京西部の空は、晴天に雷鳴が轟いたと思う間もなく、急速に黒雲が広がって強雨に見舞われました。ただし長続きはせず、間もなく雨は止みましたが一面の黒雲は残っています。 昔は「雷が鳴ると梅雨が明ける」と言われたものですが、最近の気象は、少々荒っ

  • 比奈子さんのお墓2022

     自分で決めたことだから、早稲田の宗参寺にある比奈子さんのお墓に行ってきた。本日は、自分が一人だけだったから、かえって現地で落ち着いて過ごすことができた。お寺の水を貰って念入りに墓石を清め、かなり長い間、故人と会話していた。ただし墓石は「田村家」の名であ

  • 「こら」またやる

     今朝の、長女との会話である。なぜか、彼女が幼児だったころのことを思い出していた。「こら、またやる」というの覚えてる?と聞いたら、「なに、それ」と言う。もちろんわかるわけはない、彼女が幼児だったころの話なのだ。 皿をひっくり返して中身をぶちまけるような、

  • 5月25日は「比奈子さんのお墓に行ってみる」日

     明後日の5月25日は、「比奈子さんのお墓に行ってみる」日です。去年、そのように決めてみました。地下鉄東西線「早稲田駅」の都心方向出口から、午前11時に出発し、近くにある「宗参寺」の墓苑にある「田村比奈子」さんのお墓を訪ねます。私はそこで、自分で書いた「般若

  • 箱根にいた朝の残響

     昨日の朝、私は箱根にいた。姉の家族と私の家族が合同して4人、申し分のない環境のホテルのベランダで、鶯の声のフルコーラスを聞いていた。「ホーホケキョ」というのがフルコーラスだとすると、ケキョケキョの部分だけを繰り返すのは「鶯の谷渡り」というのだと覚えてい

  • 89歳になった日のボウリングスコア

     一昨日の5月18日、満89歳になった誕生日のボウリングスコアです。3ゲームやって、回ごとに点数が落ちているのは気に入りませんが、どうやら100点を切ることなく終了しました。私としては、「やや不調」レベルの成績だったと思います。球は、会場の備品の11ポンドを使って

  • 北欧2国のNATO入りを歓迎する

     スウェーデンとフィンランドの北欧2国が、NATO(北大西洋条約機構)に加盟の申請をすると伝えられている。いずれも北欧の有力な国で、平和国家のイメージがある。たまたま両国とも女性が首相を務めているというのも、私には好ましく思われる。フィンランドは長い国境線で

  • 雨傘の天気予報は「外れ」でした

     昨日の「雨傘の天気予報」は「外れ」でした。朝から暖かい日差しです。寒さが苦手の私は、夏らしい強い日光が感じられると、気分が上向きになります。 世界のどこかでは戦乱が続いていますが、少しでも早く平和が回復して欲しいと思います。  不戦を誓った日本国の憲法

  • お日さまが傘さした

     先刻、午後6時過ぎに、西の空に現れた「お日さまが傘さした」状況です。これが出ると、「翌日は雨」という、古くからの言い伝えがあります。科学的に説明してしまえば、「大気中に水蒸気が多い」ということなのですが、これを教えられたのは、いつのことだったでしょうか

  • とても大きい夕焼けだった

     きょうの夕焼けは、とても大きかった。地平線から天頂近くまでが夕焼雲になった。地平線が傾いているようにも見えるが、カメラは傾いていない。晴天ならば秩父連山が見える位置に、低い雲が右上がりの斜めに横たわっている。 きょうは いい日だったな と思う 

  • 青空に鯉のぼり

                           昨日のことだが、孫娘が子供を連れて遊びに来た。誕生日は私と2日違いの5月20日だったから、もうすぐ満1歳になる。つかまり立ちは、もうしっかり出来るようになっていた。天気も良かったから、屋上に鯉のぼりを上げてみた。

  • 軍艦島の思い出

     知床の海で沈んだ「カズワン」という船が話題になっているが、それに誘われて、長崎にある「軍艦島」のことを思い出している。私が訪ねたのは、連合の平和運動を取材していた時代のことになるが、今は世界遺産として登録されているこの島、正式には「端島」というのだが、

  • わが思い出のダットサン

     日産自動車から、ついに「ダットサン」の名が消えるという話が新聞に出ていた。ダットサンと言えば、私にとっては少年時代には小型国産車の代名詞だった。家業だった出版の「野ばら社」で、私は高校一年の16歳で自動車運転免許を取ったのだった。昭和24年(1949年)12月24

  • 沖縄が右側通行だったころ

     今朝のNHK朝ドラを見ていたら、沖縄のバスが、右側通行で右のドアから乗り降りしていた。とたんに、初めて沖縄へ行ったときのことを、ありありと思い出した。 あれは1975(昭和50)年、夏に沖縄で「海洋博覧会」があった年だった。長女が中学1年生で、私は42歳、NH

  • 沖縄が右側通行だった時代

     今朝のNHK朝ドラを見ていたら、沖縄のバスが、右側通行で右のドアから乗り降りしていた。とたんに、初めて沖縄へ行ったときのことを、ありありと思い出した。 あれは1975(昭和50)年、夏に沖縄で「海洋博覧会」があった年だった。長女が中学1年生で、私は42歳、NH

  • 「患者」でなくなる日が見えてきた

     定例になっている東京警察病院での定期観察に行ったら、思いがけない吉報を貰った。「経過がよいので、このまま落ち着けば完治ということで、次回(9週間後)で終りにしましょう」と言うのだ。いつから始まったか、もう忘れてしまうほど長く続いていた肺の患部が、ほとん

  • ロシア海軍の南と北、そして「海軍記念日」

     ロシア黒海艦隊の旗艦を務める巡洋艦が、ウクライナ軍のミサイル攻撃を受けて、火災を起こし沈没したというニュースが入ってきた。どういうことかと思って世界地図を出してみたら、改めていろいろなことがわかった。まず、ロシアとは基本的に内陸国だから、海とは中心から

  • 一日の終りには、ブログを書こう

     一日の終りにはブログを書こうと、なぜか今、思いついた。かつては一日の終りに日記を書く習慣を、成人になってからも、かなり長く続けていた。それは私の精神の支柱だったという感覚も残っている。いま88歳になっている私に残されている時間は、たぶんこの先は、あまり長

  • 世界の孤児になるプーチンのロシア

     現下の世界情勢の中で、ロシアの孤立が際立っている。ウクライナへの侵攻は、どこから見ても同情をもって見られてはいない。通常はロシア寄りと見られているインドや中国さえも、賛同に至らない無反応を示しているだけである。逆にウクライナに対しては、人道支援ばかりで

  • NHK「小さな旅」と「アルプス一万尺」

     日曜日の朝、NHKの「小さな旅・選」で「上高地とアルプス」をやっていた。そこで思い出したのが「みんなのうた」の「アルプス一万尺」で、初めてアルプスに登ったことだった。ディレクターは先輩の後藤田氏と私の二人、カメラマンは、たしか小野さんという、山登りのス

  • プーチンのロシアと、どう向き合うか

     ウクライナ侵攻で四面楚歌となっているロシアのプーチンが、日本との戦後処理問題である平和条約交渉を、一方的に打ち切ると通告してきたとのことだ。北方領土については、私にも「ビザなし交流」の事業に参加して、国後島のロシア人家庭を訪問し、通訳つきながら会話した

  • ウクライナ問題で考えたこと

     いま話題になっているウクライナとはどんな国なのか、手近なネット検索の範囲で調べてみた。遠い旧石器時代から人が住んでいた豊穣の地であったらしい。ソ連が健在な時代には、ソビエト連邦を構成する有力な共和国の一つでもあった。ただし歴史的に、多民族が往来する交差

  • 曽孫(ひまご)を抱いていたひととき

     午前中に孫娘が、初めての子を抱いて遊びに来た。孫娘としたら実家に帰ってきたわけだし、たまには子供から手を放していられる時間も楽しいらしい。だからかなり長い時間、私が抱いてソファーで過ごしてみた。私の誕生日から2日遅れて、5月20日生まれだから、生後9か月

  • 東京下町大空襲の思い出

     今年も3月10日が近づいてきた。東京下町大空襲の日である。前日の9日の夜から始まった空襲は、日付の変わるころから本格化して、東京の江東地区は広大な「面」として焼き払われ、10万人を超す死者を出すという、原爆にも匹敵する惨害を残したのだった。当時、小学5年生

  • プーチンのロシアはどこへ行くつもりなのか

     プーチンのロシアが、ついに報道の統制を始めた。独裁権力を握った権力者が、つねに欲しがる甘美な環境の整備である。耳に痛い批判が聞こえなくなり、自分を讃える声と歌だけが周囲に満ちるようになったら、さぞかし気分がいいことだろう。世界中の独裁者たちが、そのよう

  • 今年も梅が咲いた

     今年も梅が咲いた。顔を寄せると、ほんのりと、それらしい香りも感じられる。この梅は、かなりの老木である。埼玉の草加から引っ越してきたときに、はじめて庭らしいものを作れる余裕ができ、埋め込み式の人造池の近くに植えたのだった。それは長女が中学2年生のときだか

  • ロシアのウクライナ侵攻

     ロシアはなぜウクライナに軍事侵攻をかけたのか、報道からだけでは、いまいち本当の理由がわからないのだが、ロシア側の過剰防衛意識が関係しているように思われる。要するに、かつて世界を二分していた「ソ連圏」の盟主であったロシアとしては、かつての勢力圏の一員だっ

  • 2.26事件の記憶

     きょうは、日本の政治史の上で独特の意味を持つ「2.26事件」の当日なのだが、今朝の新聞でもテレビでも、言及は全く見られなかった。 この事件は1936年(昭和11年)の2月26日に起きたもので、日本の政治史上空前の軍事クーデター計画に基づくものだった。皇道派と呼ばれた

  • 天皇誕生日で思い出したこと

     今日は休日なので何の日かと思ったら、カレンダーに天皇誕生日と書いてあった。新聞を見たら、62歳の誕生日を迎えたということだ。朝日新聞の記事には、皇居での記者会見として「……コロナ禍で困難な状況が続いているとして、『誰もがお互いを思いやりながら、痛みを分か

  • 昼下がりの居室で

     日本列島の日本海側は雪嵐のようだが、東京の今日は一日中晴れている。風は冷たいらしいが、居室は二重のガラス窓になっていて、昼はエアコンを切っても差支えないほどの温かさになる。10年ほど前から窓の内側に追加の敷居を入れ、透明ガラス戸と二重にしたのが効果をあげ

  • またも続けてしまった「無断連続休ブ」

     またも連続して十日以上の「無断休ブ」になってしまった。われながら情けないと思う。体調が万全でないことは確かだが、寝込んでいるわけではない。少し腰痛が出ているのは確かだが、さほど激しいものではなく、かえってサボり勝ちだった「腰痛体操」を、マジメにやる動機

  • なぜか今ごろ「山口判事餓死事件」を思う

     戦後の一時期に話題になった、若い裁判官、山口良忠氏の餓死事件のことを思い出している。食糧難の時代に、当時は取り締まりの対象だったヤミ米を摘発する立場となり、自分だけは絶対に配給以外の米を口にしないと家族に宣言し、それを律儀に守ったために、ついに餓死して

  • 冬至に近い日差し

     冬至から一日過ぎているし、東京の正確な南中時間でもないのだが、11時ごろの日差しであめる。太陽光線の仰角は、45度か、それよりも少し大きいように見える。2等辺三角形を想像すると、太陽光線の強さは、ルート2分の1つまり1.4142…分の1に薄められているのがわかる

  • 今にして思う「戦後の平和」

     平日の昼近く、家の中は静かで、日の光は温かい。もう暦の「大寒」は過ぎて、間もなく「立春」の日がやって来る。寒さが遠ざかってくれるのは、有り難いことである。 今ごろになって、なぜか戦争が終わった頃のことを思い出している。小学二年生のときに始まった米英との

  • 半藤一利の「レイテ沖海戦」を読んだ

     半藤一利の「レイテ沖海戦」(PHP研究所・1999年初版)を、図書館から借りて読んだ。日本海軍の戦記物の一つだが、もと軍国少年としては、こういう戦記ものは理屈ぬきに引き込まれて読んでしまう。まして著者は、私が「歴史探偵」として尊敬している半藤一利氏(姓は「はん

  • 一朝の雪景色

     東京は、雪景色の朝を迎えた。ただし朝から快晴になったから、たぶん消えるのも早いだろう。それでも、10センチにはなったというから、東京としては大雪の方になるようだ。 東京の雪は、私の子供時代の方が多かったと思う。毎年でもないが、一尺(30センチ)ぐらい積もる

  • 何事もなくて年が明け

     何事もなくて年が明けた。 戸籍の上では単身世帯になっている私の家だが、幸いなことに長女の世帯は上の3階に住み、次女もすぐ近くのマンションから、昼は私の家に通って来てくれる。正月の食材は、娘二人の連携で、充分以上に整っていた。初参りに行くこともなく、朝の

  • 今年最後の夕日が沈んだ

     今年最後の夕日が 先ほど沈んだ これで今年が終りになる ところが 一夜明けて来年になると 「来年になった」とは決して言わない 年賀状にだって 「今年もどうぞよろしく」と書く 来年という年を 私たちは実際に 生きることはできない 生きている間は いつでも

  • たった一度のクリスマスプレゼント

     クリスマスになると思い出すことがある。昭和33年(1958年)のことである。妻が静岡の家から出奔して、私と結婚した年のことである。住居は池袋の線路わきの四畳半アパートだった。その頃の銀座は、クリスマスの夜は何となしに集まってくる人波で混雑することで知られてい

  • やっかいな「個人テロ」の時代

     大阪で24人が殺された「クリニック襲撃事件」の詳細が、だんだんにわかってきた。襲われたのは心療内科の医院で、犯人はそこの患者だったという。心療内科は、たぶん昔は「精神科」と呼ばれていたと思う。私は縁があって、子供のころに母親に連れられて、精神科の病院(松

  • 秩父温泉に行ってきました

     1泊2日の週末小旅行から帰ってきました。行った先は、西武秩父の駅から近い「秩父温泉」の宿でした。久しぶりに「宿の窓から流れている川が見える」部屋に泊まりました。秩父に温泉があるとは知らなかったのですが、解説によると、「続日本紀」に、元明天皇の時代、慶雲5

  • 焼け跡の風景

     時代ものドラマなどの中で、戦時中の空襲の焼け跡の場面が出てくることがあるが、いつも「こんなのは嘘だ」と思いながら見ている。たいていは焼け焦げた柱が斜めに立っていたりするのだが、本当に何もなく平らになってしまうのが、住宅地の焼け跡の風景なのだ。昭和10年代

  • 日米開戦から80年

     これは私の80年前の日記である。国民学校(今の小学校)の2年生だった。原文は下手な字で旧仮名遣いだから読みにくいので書き直すと「学校で習字をしました。先生が今日、日本とアメリカとイギリスとの戦争が始まったと言いました。昨日買ってきた組み立てタンク(戦車の

  • 「真珠湾攻撃総隊長の回想」を読む

     例によって、何がきっかけだったかは記憶にないのだが、書店へ行ってこの本を探して買ってきた。講談社の文庫本ではあるが、330頁もの大冊で、初版は2007年に単行本として発行されている。今年は太平洋戦争の勃発から80年目になる。いま88歳である私は、そのとき小学(当時

  • 今の私を作った「民社党洋上大学」の記憶

     一昨日の記事の続きで、私にとって重要だった「民社党洋上大学」の記録を、このブログ上に残していなかったのに気がついた。原本は民社党の中央機関誌「革新」の1974年(昭和49年)4月号である。やや長文になるが、編集部の前書きを含めて掲載しておく。この経験のおかげ

  • 立憲民主も世代交代か

     立憲民主党の枝野代表が辞任を表明し、その後任は党内の選挙で決まるようだが、その候補者が新聞で紹介されていた。少し前に、長妻昭は立候補しない意向という記事が出ていたので、残念な気がしていたのだが、新聞に出ていた4人の候補者の中に、私の知っている名前が一つ

  • 進学適性検査の思い出

     私が大学受験に取り組んでいた昭和27~28年(1952~53年)には、学力試験の前段階に「進学適性検査」というものが行われていた。私はこの試験で、自分でも驚くような高得点をあげたことがある。この制度は、戦後にアメリカから来た「教育使節団」の示唆を受けて「日本にお

  • 最後は昇天か、地下に帰るか

     申し分のない晴天で、日差しが一杯に窓を照らし、二重ガラス窓にしてある居間の中は、11月とは思えないような温かさである。私は基本的に夏好き人間だから、この居室はありがたい。 さっきからなぜか、自分の死に方のことを考えている。たぶんあと10年後ぐらいのことに

  • 暗い朝である・カムカム英語の記憶

     暗い朝である。よほど厚い雲が上空を閉ざしているらしい。雨は小降りだが、この勢いでは、雲はいつまでも雲のままで留まっていそうな気配である。季節は秋も終わりに近い。このまま冬になると言われても、文句を言えないような雰囲気である。 朝食、といっても牛乳1杯と

  • 保守の時代で未来はあるのか

     先の総選挙は、思いのほかの保守安泰で終了した。立憲民主党候補者の「惜敗率」高かったが、議席に反映しないのでは何の足しにもならない。この先も保守政権の安泰が続くことになる。コロナなど不安定要素の多い中で、国民は現状維持の「安全」を選んだのだろうか。 きょ

  • 立憲民主党は代表選へ

     きょうの新聞によると、立憲民主党の枝野代表は、総選挙での敗北の責任を取り、辞任する意向とのことだ。後任の代表に誰を選ぶかは、党内での選挙で決めることになる。新代表に誰を選ぶかで、この党の命運も決まるだろう。私は党にサポーター登録はしているが、この選挙で

  • 選挙結果に直面して

     選挙の結果が出た。自民の退潮は予想通りとしても、立憲民主も伸びずに100議席を割ってしまったのは意外だった。野党共闘の小選挙区では成果があったものの、比例区の減少が痛かったようだ。比例区の得票は、言わば政党の「基礎体力」に相当する。基礎体力が低下したのでは

  • 選挙に行ってきました

     きょうは衆議院議員選挙、いわゆる「総選挙」の投票日です。朝のうちに近くの投票場へ行き、ながつま昭・立憲民主党へのへの投票を済ませてきました。天気予報は、一日中曇りとのことです。あまり天気が良いと遊びに行ってしまう人が多いので、選挙には曇りが良いと聞いた

  • 「休ブ届け」は出さなかったけれど

     気がついたら、この15日以来、ブログの更新が止まっていました。何も変事があったわけでもなく、本人は、かなり元気に過ごしていました。むしろいろいろなことがあって、毎日が満足に終わっていたからかも知れません。しかし客観的にみたら、日記のように毎日を綴っていた

  • 国会の解散で「バンザイ」をするわけ

     どうでもいいことなのだが、衆議院が解散されると、議場内の全員が立ち上がって「バンザイ」を叫ぶ習慣がある。昨日のテレビニュースでも放送され、きょうの新聞にも出ていた。手近のネット検索をしてみたら、明治30年に「帝国議会」が解散になったとき、「議場内に拍手起

  • 総二階新幹線で新潟へ往復しました

     昨日、日曜日のことになりますが、鉄道マニアの孫息子を先達として、長女の親子三人に私が加わった4人で、総二階建て新幹線のラストランに乗り、新潟まで往復してきました。総二階建ての列車というのは世界的にも珍しいそうで、一編成の列車で座席の定員が1600名というの

  • 長谷場夏雄先生の「追悼の会」行ってきました

     昨日は、青少年福祉センターの創始者だった長谷場夏雄先生の追悼の会に行ってきました。ちょうど一年前のこの日、10月6日に亡くなられたのでした。昭和4年生まれで、私よりも4年年長に当たります。先生とのご縁は、どこから始まったのかと自分のブログ内でさぐってみたら、

  • 曽孫(ひまご)の手を握った

     昨日は、孫娘が、この5月20日に生まれた長男を連れて遊びに来た。誕生日はニアミスして、私の88歳の誕生日の2日後になった。まだ生後半年もしない赤ちゃんだから、親に抱かれているか、保育椅子に寝かしてある間に、手を握らせてもらうだけにした。小さい指が、ちゃん

  • 女性リーダーたちが流した涙

     きょうの朝日新聞朝刊の「日曜に想う」に、表題の見出しをつけた印象的な一文があった。論説委員の郷 冨佐子氏による、ドイツのアンゲラ・メルケル首相と、ニュージーランドのジャシンダ・アンダーン首相が見せた涙についての感想文である。 それによると、メルケル首相は

  • 前を向いたら今がいちばん若い

     朝のうちに二紙の新聞を読んでいたら、いつの間にか「前を向いたら今がいちばん若い」というフレーズが頭の中に残っていた。「後ろを向いたら今がいちばん年取ってる」というのと対(つい)になっている。そうなのだ、未来に向けてなら、私は常に「今がいちばん若い」のだ

  • 台風の季節か

     政界に一波乱があり、岸田新総裁の下で新政権の組閣が進んでいるらしい。ただしこの新政権は、この秋に予定されている解散・総選挙に向けた選挙管理内閣に近い性格のものになるだろう。自民党としたら、長期政権による停滞感を払拭して、清新な気分で選挙を戦える環境づく

  • 中秋の名月2021

     本日22時、中秋の名月が出ています。行儀よく並んだ薄いウロコ雲の向こうに鎮座していました。 いっしょに見る妻はいませんが、次女がカメラの画像を見てくれました。次女は星や月が好きで、カレンダーも、その系統のものを買ってくる年もあるのです。この写真のアングル

  • 投票権もないのだし……

     新聞社は、なぜこういうトップ記事を作るのだろう。自民党の次期総裁の選挙だから、やがてこの中から次の首相になる人が出てくる。これは国民的な関心事だと判断するのだろうか。それに違いはないのだが、所詮は自民党の内部の話ではないのか。もしかすると、自民党の内部

  • 「太平洋戦争への道・1931~1941」を読む

     新聞広告に気がついて買ってきた。NHK出版新書の新刊である。1931~1941という年号が目についた。私の生まれた年が1933年だから、そのころの日本のことがわかりそうな気がした。ちなみに、太平洋戦争は、1941年12月から1945年8月までの3年9か月にわたって戦われたのだ

  • 総2階建て新幹線のラストラン

     昨日は、孫息子の招待で、ラストランだという総2階建ての新幹線に乗り、越後湯沢まで一往復してきました。孫の鉄道好きは私よりも徹底していて、子供のころから本格的でした。また、それを可能にする家族からの経済面の理解も受けていました。今は社会人2年目となり、観

  • 「9.11同時多発テロ」から20年

     ニューヨークにあった貿易センタービルが、アルカイダによるハイジャック旅客機の突入によって崩壊してから、間もなく20年になるとのことだ。このとき私は、札幌で開かれていたゼンセン同盟定期大会の取材のために泊まっていたホテル自室のテレビで、最初の突入によるビル

  • 最年長記録なら、いくらでも更新できる

     昨夜(2021年9月3日)の朝日夕刊に、パラリンピック女子個人(自転車)ロードレースで優勝した杉浦佳子さんの紹介が出ていた。それによると、先に行われたタイムトライアルでも金メダルを取っており、50歳という日本最年長記録を「三日で更新しちゃいました」と笑ったと

  • 秋はストンとやってくる

     秋が「ストンとやってくる」というのは、誰かからの手紙に「ストンと秋になりました」と書いてあったのを読んだのが最初だと思うが、猛暑がウソのように感じられる秋冷の始まりを表現するのに、適切な言葉だと思った。私の場合は、そこに「夏が行ってしまう」という、惜別

  • ネズミ捕りシートを踏んだが生還した

     台所の奥から隣室へ通じる引き戸をあけて、一歩踏み出したところで「ネズミ捕りシート」を踏んでしまった。左足の前半分にベタッとした感触があり、そういえばここ数日、ネズミが出てくるという話を娘たちがしていたと思い出したが、あとの祭りである。でもこちらは人間さ

  • 伝えておきたい空襲の怖さ

     8月になると、戦時の思い出が語られることが多い。私は1945年(昭和20年)に国民学校の5年生から6年生になった。そこで連日連夜の空襲を体験したのだが、200名近くいた筈の同窓生の中で、都内で空襲を実体験した者は、他に誰もいなかったと思う。みんな集団疎開(学

  • 自衛隊機の邦人救出

     自衛隊が、100人以上が乗れるという大型国産輸送機を、はるばるとアフガニスタンまで派遣して、日本人1名をカブール空港から救出したということだ。たった1名かという期待外れはあるが、そもそも脱出希望者が空港まで移動して来ることが難しい中では、止むをえない結果だ

  • アフガニスタンはどうなっているのだろう

     報道によると、アフガニスタンでは日本人を含む「外国人」の引き揚げが難航しているようだ。日本からも自衛隊の輸送機が行って待機しているが、爆弾テロなどがあって避難民がカブール空港まで到着できないのだという。タリバンが政権を掌握したにもかかわらず、敵対勢力の

  • 「花岡の心を受け継ぐ~大館市が中国人犠牲者を慰霊し続ける理由」を読む

     新宿西口のスタンディングのときに知己を得た石田寛さん(秋田県議会議員)から、表題の新著(かもがわ出版・単行本・1800円〈本体〉)の送呈を頂きました。私は不明にして今まで、秋田県大館市にあった花岡鉱山で戦時中末期の昭和20年(1945)6月末から7月にかけて起き

  • タリバン国家のテストケース

     アメリカ軍が撤退してからのアフガニスタン政権の崩壊は早かった。武装勢力のタリバンが、全土を制圧して勝負がついたようである。これから先は、タリバンが主導して、どんな政権を作るかが、国際社会の関心を集めそうである。 遠い異国のことは、限られた情報を継ぎ合わ

  • 「戦後」が77年目になることについて

     「戦後」というのは、私たち世代にとっては現代史の入り口だった。それ以前は「戦前」または「戦時中」であって、「今とは違う日本」の話になる。ずっとその感覚でいたのだが、考えてみたら戦争にかかわった最後の世代(終戦時に小学6年生)が、88歳になっているというこ

  • 8月15日に思い出したこと

     昨日は8月15日「終戦の日」だった。「あの日」から満56年が経過したわけだ。あの日のことをリアルに体験した者は、もう日本国民の中で少数派になっているのではなかろうか。私は国民学校(小学校)の6年生で、夏休みだから自宅にいた。 その前日つまり8月14日から、ア

  • 「聖なる一回性」について

     一昨日、2021年8月11日の日経新聞夕刊のコラム「あすへの話題」で読んだ精神科医(きたやま おさむ)氏の意見が心に残っている。もう手もとに現物はないし、全文を記憶してもいないのだが、「ありがたさ」が「ありきたり」になったという趣旨だった。 およそこの世に起

  • 高校野球で静岡を応援した

     甲子園では「夏の高校野球」が始まっている。新聞を見たら、昨日の第二試合に静岡高校が出ていた。静高は、かなりの進学校だと思う。戦後すぐの甲子園大会で、静高が活躍している実況ラジオを、熱海で聞いた記憶がある。人々が熱心に聞いているので、ああ熱海は静岡県なの

  • 無事に閉幕したオリンピック

     オリンピックの閉幕を待っていたように、東京は朝から雨になった。台風が来ているという情報もある。コロナ騒ぎの中でも、まずは大禍なく終了したと言っていいだろう。  私にとっては、1964年の東京オリンピックから57年目に見た2回目のオリンピックだった。前回のとき

  • 広島の平和式典で首相が「原稿二枚めくり」の珍事

     昨日の広島での平和式典で、菅首相が原稿を一枚読み飛ばす珍事があったと、きょうの新聞に詳報が出ていた。何かの具合で密着していた原稿二枚をそのままめくって、一枚を読まずに終わり、あとで陳謝したということだ。その事情がかなり面白いので、書いて置いてみる。 問

  • いま頃やっと「戸籍にふりがな」だって

     あまり話題にならないテーマだが、間もなく戸籍の登録に「名前の読み方」が追加されるらしい。これは今の制度の不備が、ようやく是正されるということのようだ。 身近な例として私の姓名だが、志村建世と書いて「しむらたけよ」と読む。しかし時には「しむらけんせい」さ

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