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クニの部屋 −北武蔵の風土記− https://blog.goo.ne.jp/kuni-furutone118/

北武蔵を中心とした歴史を紹介。地方のあまり知られていない城や古墳などを発掘します。

高鳥邦仁
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埼玉県
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埼玉県
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2006/06/13

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  • TSUTAYA雀宮店、1997年1月にて。

    1997年1月の記憶を探し続けていた。文珠寺(埼玉県熊谷市)へ参詣した帰りに立ち寄った書店がどこだったのか、ずっとわからなかった。もう閉店しているかもしれず、店舗は跡形もない可能性が皆無ではなかった。当時一緒にいた両親と妹に訊いてみたが、書店へ行ったことすら記憶していなかった。旧道を使って文珠寺へ向かうルートに書店はあるのか、何度となく車を走らせたことがある。1軒だけあったものの、記憶と似ても似つかなかった。リニューアルオープンしたのかもしれない。そう言い聞かせて、喉につかえたまま取れない小骨のように、どこか違和感を覚えつつやり過ごした。ところが、2023年1月、常光院(同市)から埼玉県立熊谷図書館へ向かう途中のことだった。突如、左目の端で書店を捉えた。TSUTAYA雀宮店。想定した旧道の一本手前の道だっ...TSUTAYA雀宮店、1997年1月にて。

  • 深谷の“上杉憲盛”と羽生の“木戸忠朝”の駆け引き ―おうち戦国―

    『大日本史料第十編之三』にも収録されているのちの羽生城主木戸忠朝の仕事。それは、上杉謙信の命を受け、深谷城主上杉憲盛を謙信方に引き込むというものだった。武田信玄の駿河進攻により、武田・北条・今川の三氏間で結ばれていた三国同盟が決裂し、急遽北条と上杉の両氏が手を結ぶという転換期における仕事だったことになる。元々、憲盛は永禄三年には謙信に属し、翌年の小田原城攻めには参陣していた。しかし、北条勢が徐々に勢力を挽回していくと、憲盛は謙信から離反。一方、羽生城主広田直繁は一貫して上杉方の態度を保持しており、弟の忠朝もその身を皿尾城に置きながら兄と足並みをそろえていた。上杉憲盛の上杉方への従属は、謙信が羽生城に課した任務だった。謙信から広田直繁へ、その後忠朝に指示がいったのだろう。この任務に実質的に動いていたのは忠朝...深谷の“上杉憲盛”と羽生の“木戸忠朝”の駆け引き―おうち戦国―

  • 12月の羽生にて“レトロゲーム”で遊んだ日の話

    血筋なのか、8歳の息子は古いものが好きだ。「ゲーム」にしても、ゲームウォッチやファミコンが全盛期の時代に興味があるらしく、ユーチューブという今時の手段を使って、昔のゲーム動画を飽きずに見ている。そんな息子にとって、正鵠を射るようなイベントが羽生市で開催された。市内の「MDLibrary」を会場にして、レトロゲームを無料でできるというイベントだった。令和4年の12月10日、11日のことで、アーケードゲームやファミコン、ゲームボーイはもとより、ピンボールやメダルゲームも置かれていた。子どもより、大人の方が楽しんだかもしれない。「ストリートファイターⅡ」「テトリス」「メタルスラッグ2」「SDガンダムサイコサラマンダーの脅威」「ファンタジーゾーン」は、かつて羽生の町場にあった“ジャスコ”や“キンカ堂”のゲームコー...12月の羽生にて“レトロゲーム”で遊んだ日の話

  • 上杉謙信の震える手 ―おうち戦国―

    吹き荒れる寒風に身を震わせながら、これまでの人生で見舞われた寒波を数えたりした。ポータルサイトを開けば、列島を襲う寒波に関連したニュースが並ぶ。上杉謙信の本拠である越後国(現新潟県)は、豪雪地帯であることはよく知られている。関東管領職の役に就く謙信は、本来は関東出陣を見送るべき厳寒期に、やむを得ず越山を余儀なくされることがあった。仮に強かったとしても比較的寒さには強かったのかもしれない。しかし、さすがに限度があっただろう。次のような条書をしたためている(「北条文書」)。覚一信玄出張、因茲去廿日越山候処、無程敵退散、此上者、無二相越同陣、可及其擬事(中略)以上右、風雪之時分、越山路中風差出手振候間、印判ニ而申候、巳上十月廿四日(朱印)武神と謳われた謙信も、寒さは身に応えるものがあったらしい。手が震えるので実...上杉謙信の震える手―おうち戦国―

  • 在野の人

    冨田先生は在野の人だった。研究で生計を立てていたわけではなく、別に職業を持っていた。仕事が生業ではなく、その人にしかできないことを指すとすれば、羽生城研究は先生にとって間違いなく「仕事」だった。そんなところに惹かれたのかもしれない。義務や強制でもないのに、気付いたらそれをやっている。利のためではなく、純粋な好奇心でそれに携わっている。肩書とは無関係なところで積み重ね、歩いたところには確かな足跡が残っている。偽りや誤魔化しはなく、積み重ねた時間の分だけ醸成されている。追随を許さない。先生が研究に燃やした命は、いまなお燦然と輝いている。在野の人

  • 春と平家物語

    春に知り合ったその人は、『平家物語』が好きだと言った。何をしている人なのかわからず、国文学専攻というわけでもなさそうだった。おそらく純粋な好奇心だったのだろう。そのとき僕は24歳で、店じまいを目前に控えた大宮の古書店に並ぶ『平家物語』を見上げながら、その人のことを思った。数えるほどしか会ったことがなく、季節のほんの気まぐれで知り合った人だった。程なくして日常から消えることはわかりきっていた。だから、名前すら忘れてしまった。でも、春になると、時折その人の顔が思い浮かぶのは、通り過ぎて行った人たちの中で、面と向かって『平家物語』が好きだと言ったのが、ただの一人しかいなかったからなのかもしれない。不思議なインパクトで胸に残り、忘れかけた残り香のように、その人の顔が『平家物語』の背表紙とともに脳裏によぎる。いまど...春と平家物語

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