映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観終わった時、私は泣いていた。悲しいからではなく、ラストのライブシーンを観て、気持ちが高揚して涙腺が崩壊したのだ。歳のせいで涙腺が弱っているにしても、ポロポロ止まらない。昭和オヤジの心を揺さぶった映画「ボヘミアン・ラプソディ」について少し雑感を述べたい。 在日コリアンにとって祖国とは微妙なものである。韓国では半分日本人のように見られ、差別的な扱いを受ける。というのは、よく聞かれる話だ。とどのつまり、日本人でもない、韓国人でもない、中途半端な存在なのだ。「ボヘミアン」という言葉には、ボヘミア地方(チェコの西部)の人いう意味もあるが、祖国の無い人、放浪する人、という意味があって、後者の意味で使われるのが大方である。行き場のない無国籍人。そういった意味では、在日コリアンとボヘミアンは符合する。 ロンドンの空港で荷物係として働くインド系移民の若者、それがフレディである。職場の人々はフレディを「パキ(移民への蔑称)」と呼ぶ。彼は音楽が好きで、夜な夜なライブハウスに出入りする。ボーカルが抜けたバンドに自分を売り込み、ステージに立つ。これが後の伝説のロックバンドQUEENとなる。フレディは、そのたぐい稀な歌唱力でどんどん人気者になって行く。純然たる階級社会の英国にあって、そこに生きる下層階級の若者フレディが、ロックスターとして成功していく様は痛快である。 映画の題名になっている「ボヘミアン・ラプソディ」を初めて聴いたのは、中学生の時だ。多分FMラジオだと思う。その後、同曲が収録されたアルバム「オペラ座の夜」も聴いた。当時はフレディの歌声も良かったが、曲の間奏でのブライアン・メイのギターがカッコ良くて好きだった。 QUEENは、70~80年代にかけて、最も成功したロックバンドの一つだ。映画は、QUEENの誕生とサクセスストリーを描いている。しかし、それは一部だ。この映画の主題はフレディ・マーキュリーその人である。レオタードを着た4オクターブの怪物。歌声、風貌、衣装、生き様、私からすれば、すべてが怪物である。
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