相当にびっくりさせられた。昭和の初め、山村聰の作曲家が轟夕起子と結婚してものすごくモダンなホテルで新婚生活を始めたと思ったらすぐ他に女がいることがわかるのだが、女の姿は見せず山村と足先だけの芝居で見せた後、気づいた轟になじられると山村が開き直るというか居直るというか芸術家的なエゴイズムというか、それらを超越してあまりに堂々とした押し出しで押し切ってしまうのにびっくり。ホテルの朝食が「カリオストロの城」ばりに卵立てにおそらく半熟の卵を立てていたり、公園の建物がすごくモダンだったりする。コンサートの客席が奥まで全部埋まってたり、繰り返すけれどこれ昭和26年の作ですよ。昭和初期の芸術家のあり方ってこういうものだったのかとあまり時間が経っていなかった分、ありえたともとちょっと思う。轟が山村と別れた後、有馬稲子を産...「せきれいの曲」