chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
prisoner
フォロー
住所
東京都
出身
東京都
ブログ村参加

2006/01/22

arrow_drop_down
  • 「ブルックリンでオペラを」

    色の浅黒いエヴァン・エリソンが白人のアン・ハサウェイとピーター・ディンクレイジの息子というのには?となった。エリソンとカップルになるハーロー・ジェーンはトーマス・ジェーンとパトリシア・アークウェットの娘。その他係累に多くの芸能人がいる。ハーロー・ジェーンの父親ブライアン・ダーシー・ジェームズがカウボーイ気取りのマッチョの毒親で、世界的にこの手の毒親は問題になっているみたい。-YouTube「ブルックリンでオペラを」-公式サイト「ブルックリンでオペラを」-映画.comSheCametoMe-IMDb「ブルックリンでオペラを」

  • 「山河あり」

    1962年、つまり60年以上前の製作。「地平線」「愛と哀しみの旅路」「波の盆」はおろか山崎豊子「二つの祖国」原作の大河ドラマ「山河燃ゆ」より前(日系人アメリカ市民同盟がNHK協議して改題したというが、この映画からつけたのではないか)戦前にハワイに移住した日系一世とその子供たちの二世がまだ現役の時代ということになるだろう。高峰秀子と田村高廣の息子がミッキー・カーチスだとはわからなかった。どうもバタ臭いマスクだと思ったら。アメリカ側の差別意識や排日運動について描き込まれていないのは日系人社会内部に限られた話だからとはいえ、不足感はある。高峰秀子とミッキー・カーチスが日本の田舎に帰郷したら日米が開戦して帰れなくなり、二世のカーチスが「アメリカ人」だと逮捕され収容所に入れられるという角度から日系人を扱ったのは珍し...「山河あり」

  • 「毒娘」

    毒親を逆さにして毒娘という感じのタイトルだが、特に父親がひどい。再婚相手とはまだ子供がなく、チクチクと子供作りを要求してくるあたりも自分の連れ娘が可愛いからまた欲しいというわけでもなく妻に言うことを聞かせたいからなのが透けて見える。平然とDVをふるうかと思うところりと謝るあたりも、人間性にすでに問題があるのがうかがわれる。よくわからないのは出だしで空き家に入り込んだカップルが謎の若い女に襲われた後、場面が変わるとなんでもないように人が住んでいるものだから過去に戻ったのか時間の順序通りなのか、いずれにせよ変。若い女のキャラクターが二人出てきて、これが見た目がよく似ているのです。キャラクターデザインを「ミスミソウ」で内藤瑛亮監督と組んだマンガ家の押見修造がやっているのだが、似せるにしても違いをはっきり描いてか...「毒娘」

  • 「インフィニティ・プール」

    アレクサンダー・スカルスガルドとクレオパトラ・コールマンの夫婦がリゾート地の島にやってきてミア・ゴスとトーマス・クレッチマンの夫婦と知り合い、浮かれて禁止されている地域に遊び半分で出かけ、夜スカルスガルドが運転する車で人をはねてしまう。スカルスガルドは青くなるが、ゴスが「X」「パールPearl」のイメージそのままに構うことはないから逃げろというものだからそのままホテルに逃げ戻ったら果たせるかな警察が来て連行され裁判抜きで殺人罪で死刑を宣告される。この後が奇妙なのだが警察はスカルスガルドのクローンを作ってはねられた農夫の遺族(子供です)に復讐させると言い出して、実行する。クローンの製造費はスカルスガルド夫妻もち(妻の父親は財産家)。子供がスカルスガルドのボディにぶすぶすナイフを突き立てるあたり、まことにどぎ...「インフィニティ・プール」

  • 「リプリー」(Netflix版)

    白黒画面なのでリプリーシリーズでも「太陽がいっぱい」みたいに地中海とヨットを明るく燦々と輝く太陽のもとに描いているわけではない。代わりにたびたび画面を占めるのは立ちふさがるような階段の上下差や切り立った崖沿いの道路で、イタリアといえば美術だが、美術館の展示も視線を遮るものとして機能していると思しい。淀川長治が「太陽がいっぱい」について同性愛的モチーフがあることを公開当時すでに指摘していたが、ここでは金持ち青年が自分からぼくは同性愛ではないと(口では)否定する。しかし、リプリーの方ではそう告白されたとウソ?をつくし、リプリー役のアンドリュー・スコット自身は自分はゲイだと公言している。余談だが、公開間近のスコット主演作「異人たち」のスコットの役柄も監督も同性愛者。そこで原作を(やっと!)読んでみたらかなりはっ...「リプリー」(Netflix版)

  • 「銀座カンカン娘」

    なぜかメインタイトルもエンドタイトルも出なかったが、今回国立映画アーカイブで特集された高峰秀子のほか、灰田勝彦、古今亭志ん生、浦辺粂子、笠置シヅ子、岸井明といった豪華キャスト、監督は島耕二、脚本は山本嘉次郎と中田晴康、撮影は三村明。1949年8月16日、新東宝で封切り。それにしてもタイトルが出ないのでは、志ん生をもじって新笑にした意味がないではないか。ラスト暗くなった画に声だけ流れる。高峰秀子と灰田勝彦の共演は戦争をはさんで1940年の「秀子の応援団長」から。ロケのなんでもないようなカットがひろびろとしているところに時代が出ている。上映時間が69分と短いせいか割とミュージカル・ナンバーがはしょり気味。先日の朝ドラ「ブギウギ」で取り上げられたナンバーが生(というのもおかしいが)で見られるのが、生まれていない...「銀座カンカン娘」

  • 「セールス・ガールの考現学」

    モンゴル映画、といっても紙幣にチンギス・ハーンの肖像が入っているのと、使われている文字がロシア式アルファベット=キリル文字なのがそれらしいくらいで、女子大生の生活自体は怪しげなアダルトショップで働くなど十分日本でもありそうでそれほど意外性はないのに逆に驚く。ただアダルトショップで働くからといって自分の性を売りものにしているわけではなく本質的なところでちゃんと真摯に向き合っている。-YouTube「セールス・ガールの考現学」-公式サイト「セールス・ガールの考現学」-映画.comKhudaldagchohin-IMDb「セールス・ガールの考現学」

  • 「オーメン ザ・ファースト」

    今や常套となったダミアン誕生までのいきさつを綴るエピソード・0といった作り。666のしるしのある身体の場所に工夫がみられる。舞台はイタリアで画面自体の色彩が油絵風になっている。半ば事故のように半ば何者かの意思で人が次々と殺されるあたりはこれまでの見せ場を踏襲しているが過剰に残酷に走らないで見せる手順で効果をあげている。-YouTube「オーメンザ・ファースト」-公式サイト「オーメンザ・ファースト」-映画.comTheFirstOmen-IMDb「オーメンザ・ファースト」

  • 「アイアンクロー」

    父フリッツ・フォン・エリックがテキサス大学時代にクラリネットで奨学金を得ていたというのにびっくり。星一徹のアメリカ版みたいなキャラからはちょっと想像つかない。フリッツは息子たちに自分がとれなかったNWAチャンピオンの座につかせるのに執念を燃やしているわけだが、当時のNWA王者というのがハーリー・レイスとかリック・フレアーといったなんだか軽い(対戦した相手によるとそれなりの上手さはあるらしいが)相手なもので、なんだか今ひとつピンと来ない。ここでは出てこないがNWAの権威というのはおそらくルー・テーズの名前と936連勝記録と共にあったわけで、それに比べるとチャンピオンの座の重さがチャンプその人の重量感と逆転してしまっている。とはいえドラマの中心になるケビン・フォン・エリックは早く亡くなった長男のジャックJrを...「アイアンクロー」

  • 「マエストロ その音楽と愛と」

    オープニングの大移動撮影にかぶるのが映画「波止場」の映画音楽で、いかにもスリリング。レナード・バーンスタインは「ウェストサイド物語」ほか劇音楽でも有名だけれど、ブラッドリー・クーパーの役者としての見せ場としては指揮者に重きを置いている。妻役のキャリー・マリガンとのものすごい口論描写が目立つが、愛人との関係を隠そうとしもしないのを含めて硬軟とりまぜた競演は「ある結婚の風景」か「マリッジ・ストーリー」かといったところ。-YouTube「マエストロその音楽と愛と」-公式予告編「マエストロその音楽と愛と」-映画.comMaestro-IMDb「マエストロその音楽と愛と」

  • 「遺灰は語る」

    タヴィアーニ兄弟のうち弟のパオロの単独監督作。というか、兄のヴィットリオは2018年に亡くなっている。兄弟の監督作の「カオスシチリア物語」はルイジ・ピランデルロ原作だったが、これはムッソリーニが抱え込んでいたピランデルロの遺灰を運ぶ話。ほぼ白黒映像で通していてラストの「釘」というエピソードだけカラーになる。パオロの遺志を感じても考えすぎではないだろう。お話映画として、意外性と収まるとところに収まるのを両立させているのは「カオス」同様。-YouTube「遺灰は語る」-公式サイト「遺灰は語る」-映画.comLeonoraaddio-IMDb「遺灰は語る」

  • 「三体」

    原作読んでから相当経っているので、こんなだったかなと何度も思ったらけっこう変えているらしい。冒頭の文化大革命の描写は確かにこんなだったが。侵略者が到着するまで四百年かかるという考えてみると宇宙の巨大さからすると不思議はないのに改めて着目するのがなんとなくおかしい。ヘンリー八世とか中国の昔の暴君といったあたりの地球の歴史の取り込み方がもっともらしい。それにしても劉慈欣って中国の作家で文化大革命を堂々と描けてアメリカでも中国でも映像化されるというのは、どういう立ち位置なのだろう。-YouTube「三体」-公式予告編「三体」-映画.com3BodyProblem-IMDb「三体」

  • 「オッペンハイマー」

    世界は破壊された、というセリフが繰り返される。原爆の製造によって抑止力が生まれ平和が来るといった思惑とそれをあっさり裏切る断絶にも言えると思うし、それ以前に敵味方の区別を超え人類の文明、どころか地球上の生物の生存、この星の存在すら物理的に破壊しかねないと言っても大げさではない。それがあっさりスルーされて「今まで通り」の勝つか負けるかの発想で政治家に運営されるのがいかに奇異なものか。その一種絶対的な物理現象に片足を置き、もう片足を戦争と政治というぐちゃぐちゃした世界に置いたのがオッペンハイマーということになる。ハーバード大学でオッペンハイマーが初めから物理を学んだのではなくてホワイトヘッドに哲学を師事したりしている(ホワイトヘッド自身、数学から哲学に移ってきたのだが)。割と後まで何やるか決めてなかったらしい...「オッペンハイマー」

  • 「ザ・キラー」

    殺し屋が「偶然に頼るな」とか孤独にクールに独白を繰り返しながら、意外と手違いを重ねるところがほとんどコメディかと思わせる。コトが大げさになりそうな大格闘を繰り広げたりして、いわゆる非情な殺し屋像と似て非なるもの。逃亡の途中でヘルメットを川に投げ込むところをわざわざその川に放り込まれたヘルメットを川の中のアングルから捉えたりするあたりオフビートな感じすらする。-YouTube「ザ・キラー」-公式予告編「ザ・キラー」-映画.comTheKiller-IMDb「ザ・キラー」

  • 「ゴーストバスターズ フローズン・サマー」

    今回は予告編で繰り返されたようにニューヨークの街が氷詰めになるというのが趣向なのだが、地面から上向きに鋭く尖った氷がにょきにょき突き出てきて人に刺さりそうになって、しかし刺さらないのは残酷描写を避けるためでもあるだろう。ゴーストを縛るのに使われるおなじみのビームが凍るというのは落語で声が凍るみたいなホラ話のタッチ。ナディーム役のクメイル・ナンジアニはパキスタンのムスリム家庭の出身。多様性に配慮している感じ。今回は前作の監督から製作総指揮にまわったジェイソン・ライトマンは初めのうち父親のアイヴァン(前作が遺作になったのでエンドタイトル前に献辞が出る)のレジェンドになったこのシリーズを避けるような社会派的作風だったが、収まるところに収まった。一番若いマッケナ・グレイスが「ゴーストバスターズ」の前作「アフターラ...「ゴーストバスターズフローズン・サマー」

  • 「ラブリセット 30日後、離婚します」

    夫婦が離婚を決めて冷却期間を置くことにしたところで二人とも交通事故にあって記憶喪失になってしまい、同時にカウントダウンが始まる。記憶喪失はもう韓国映画やドラマの定番中の定番だが、イヤな記憶はどこかに行ってしまい,基本いい記憶をこれから作っていくというかなり独特の前向きのドラマになった。夫婦の不和そのものの描写はフラッシュバックで短く処理しているのが上手。夫婦それぞれの友人たちが賑やかで可笑しくお節介。-YouTube「ラブリセット30日後、離婚します」-公式サイト「ラブリセット30日後、離婚します」-映画.comLoveReset-IMDb「ラブリセット30日後、離婚します」

  • 「恐怖の報酬」(2024)

    もともとちょっとの衝撃で爆発するニトログリセリンをトラックで運ぶという基本的設定自体、クルーゾー版の時代(1953)ならいざ知らず現代でやるのはムリがある。爆風で油田火災を消すのだったら比較的安全なダイナマイトを使うなり、実際にやっているように戦闘機用ジェットエンジンのジェット気流で消し止めるなりすればいいのにと思ってしまう。現代化に伴って太陽光発電なんてやっているのだから石油に頼りきってはいないわけで、どうにもムリがある。本当はダイナマイトが発明されたのは1866年なので、20世紀にはとっくに一応安全に扱えたわけで、フリードキンによるリメイクの一時間半版では保管してあったダイナマイトはゲリラに奪われてしまって残されたダイナマイトはニトロが珪藻土から分離していて危険な状態に逆戻りという設定でフォローしてい...「恐怖の報酬」(2024)

  • 2024年3月に読んだ本

    3月の読書メーター読んだ本の数:20読んだページ数:5638ナイス数:0新装版まんが道6読了日:03月07日著者:藤子不二雄A新装版まんが道7読了日:03月08日著者:藤子不二雄A新装版まんが道8読了日:03月09日著者:藤子不二雄A新装版まんが道9読了日:03月10日著者:藤子不二雄A新装版まんが道10読了日:03月11日著者:藤子不二雄AHOME-AMemoirofMyEarlyYears(日本語版)読了日:03月12日著者:ジュリー・アンドリュース特捜検察の正体(講談社現代新書)読了日:03月13日著者:弘中惇一郎再生角川ホラー文庫ベストセレクション読了日:03月13日著者:綾辻行人,鈴木光司,井上雅彦,福澤徹三,今邑彩,岩井志麻子,小池真理子,澤村伊智夜明けのすべて(文春文庫せ8-5)読了日:03...2024年3月に読んだ本

  • 「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」

    空中に巨大な宇宙船が停泊しているのだが「侵略者」がまるっきり「侵略」する気があるのかないのかわからずほとんど姿も見せないままでいるのに対して、日本人が勝手になんとなく空気に流されて重武装化しているというのはほとんど今の状況のメタファー。「侵略者」を射殺するのも、宇宙船を撃ち落とすのも手を下すのは人間の側なのだ。これからどう展開するかわからないが、原作を四巻まで読んだ分では基本的な構図に変わりはない。大半のシーンを占めるのは日常と非日常に片足づつかけた、半分まったりしとして半分不穏な空気感で、その中でいわば仲良しふたりが必死で「何事もない」ように過ごしている。画面の縦横比が回想シーンになると変わって横が短くなる。超能力を発揮するシーンで周囲のリアクションが故意に抑え気味になっている。母船が空に浮かんでいる図...「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション前章」

  • 「四月になれば彼女は」

    ずいぶんややこしい構成だなあと思った。冒頭、森七菜がボリビアのウユニ塩湖ほか海外に一人撮影旅行に行くところから始まり、佐藤健と同居していた長澤まさみが突然姿を消すという展開になる。そこから回想に入り、といっても、森の回想なのか佐藤のなのか長澤なのかごっちゃになっているものだからかなりスジを追いにくい。大学時代の佐藤が私服で、医者になってからは白衣といった具合に区別をつけるようにしてはいるのだが。行方不明になっていた長澤が突然帰ってきたのかと誤解するところがいくつかあった。佐藤と長澤が飽きたわけでもなさそうなのに同衾していない(だから行方不明になってもすぐは気づかない)というのもよくわからない。ドローンを使った撮影が駆使されているけれど、海岸を真上から静止して見下ろすというのはどう撮ったのだろう。ともさかり...「四月になれば彼女は」

  • 「コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話」

    この場合の「ジェーン」というのはジョン・ドゥに対する女性形のジェーン・ドゥ、「無名氏」と言った意味で、中絶が合法化されていない中で秘密裏に中絶する必要があった史実からとられたという。エリザベス・バンクスのヒロインが妊娠によって心臓に負担がかかるので中絶しなくてはならないことになり、迷っていると、そこに集まった理事の医師たちは全員中絶に反対する。人の命に関わることを医師とはいえ他人が決める、母体の命より中絶を禁じている無言の強制に従うのが優先しているのが手にとるようにわかる。理事たちは全員男なものでまるっきり他人事で、夫がまた頼りにならず所在なげでいる。そこからヒロインが住んでいる住宅地とはおよそ隔絶した場末でCALLJANEと書いてあるボロボロのポスターというかチラシを見かけ、電話する。電話したのはいいけ...「コール・ジェーン女性たちの秘密の電話」

  • 「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」

    若松孝二はじめ、井上淳一、木全純治と登場人物が全員実名(金本法子は在日の通名という別の事情はあるが)とは珍しいのだが、それだけ若松プロの身内で作られたということだろう。とにかく若松孝二のキャラクターとそれを演じた井浦新が魅力的。怒りと反抗を抱えた監督としての資質とプロデューサーとしてソロバンを弾ける実務能力と、局面によって違う面がくるりくるりとシームレスに変わる。スタッフたちの紙コップにも名前書かせたものだから「ケチ」と自分の紙コップに落書きされたというエピソードを思いだした。それで結果として新人監督を世に出すことになるのが可笑しい。ちょっとロジャー・コーマンを思わせる。新人をほったらかしにするのかと思うとでしゃばって自分が演出してしまったりと、撮影現場だけでなく若松プロとそれにまつわる人間関係全体を演出...「青春ジャック止められるか、俺たちを2」

  • 「流転の地球 太陽系脱出計画」

    地球に宇宙から危機が迫ってきたのなら地球の方を動かせばいいって、「妖星ゴラス」じゃないの。のみならず地球がそのまま軌道を外れて太陽から離れてあさっての方をさまようって、気候はどうなるのだろう。とにかく大風呂敷を広げるだけ広げている感じ。代わりにセットや大群衆、VFXなどは手をかけるだけかけている。この本筋に加えてアンディ・ラウの小さな娘が交通事故で生死の間をさまよい、いつの間にかモニターの中でしか存在しなくなる、生きているとも死んでいるともつかない状態になる。若い姿になったラウが娘と一緒にいる部屋は「2001年宇宙の旅」を思わせる。世界から集まってきた宇宙飛行士たちの50歳以上が志願して月に出撃していくあたりのヒロイズムは、こういうのは世界共通なのかなと思わせる。ちなみに日本人や東京はごく軽い扱い。「三体...「流転の地球太陽系脱出計画」

  • 「デューン 砂の惑星 PART2」

    砂の映像がフラットで荒漠としていて、しかしよく見るとマチエールが稠密だから巨大感が出ている。これは大画面でないとわからないと思う。押井守がPART1について「スター・ウォーズ」あたりでは宇宙船に細かい凸凹をつけて巨大感が出しているのに対して、のっぺりしたデザインながらデジタル処理でノイズをかぶせてそれに替えていると指摘しているのになるほどと思ったのだが、砂漠の映像もそれに類する処理をしているのではないか。サンドウォーム登場シーンは人間→巨大なウォーム→さらに巨大な砂の大地という三段構えの画作りをしている。ウォームに人間が取りついて手綱をとっている図はデヴィッド・リンチ版でもやや不自然に思えたが、ここでも完全には払拭できてはいない。ウォームが手綱をとりきれる大きさを超えている。リンチ版はムリに縮め過ぎていた...「デューン砂の惑星PART2」

  • 「FLY! フライ!」

    原題はMigration(移住)。渡り鳥の一家がそれまでの狭いが安定した生活を離れて冒険の旅に出る話だが、一家の中でも立場によってかなり態度が違い、妻子の方が積極的で夫はぐずぐずしていたりするのが逆みたい。空のロードムービーみたいなかなり緩い構成なのかと思っていると、途中から急激に緊迫するチェンジ・オブ・ペースが面白い。そのあたりに人工的な背景と道具立てを持ってきていて、自然の風に乗る(宮崎駿みたい)描写にはさまれている。-YouTube「FLY!フライ!」-公式サイト「FLY!フライ!」-映画.comMigration-IMDb「FLY!フライ!」

  • 「こいつで、今夜もイート・イット アル・ヤンコビック物語」

    ダニエル-ラドクリフがアル-ヤンコヴィック役をやっていて両方とも知名度は高いにせよかなりあり方としては微妙なせいか日本では劇場未公開。かなりエピソードに虚構というかウソというかホラが混じっているのは替え歌というヤンコヴィックの持ち芸に対応したものと考えていいのだろう。この映画の脚本自体、ヤンコヴィックと監督のエリック・アペルとの共同。ハリー-ポッター以後のラドクリフがかなりキッチェな持ち味が輪をかけることになる。-YouTube「こいつで、今夜もイート・イットアル・ヤンコビック物語」-公式サイト「こいつで、今夜もイート・イットアル・ヤンコビック物語」-映画.comWeird:TheAlYankovicStory-IMDb「こいつで、今夜もイート・イットアル・ヤンコビック物語」

  • 「不思議の国の数学者」

    数学でリーマン予想を出すのは大風呂敷が過ぎはしませんか。何百年にひとつという超大物の証明問題ですよ。カメラワークがかなりフワフワ気味。黒板に書かれた数式越しに俳優を撮る(つまり数式がガラスのような透明な上に乗っている按配になる)あたりなど、数式を面白く見せようと腐心しているみたい。チェ・ミンシクが今回は警備員に身をやつした脱北者役で、北から南に渡る越北者というのもいるのを知る。最初の方で鶏が三度鳴いて云々というのはキリストが使徒に言うセリフで、今さらながら韓国がキリスト教国であるのがわかる。バッハを音楽の父と言い、ヘンデルを音楽の母というのは韓国でもそうなのかと思った。数学では(というより学問では)問いが正しく立てられているのが重要で、俗っぽい数学教師が出題者に媚びて正しく立てられていない問いでもとにかく...「不思議の国の数学者」

  • 「変な家」

    原作は読んでいない。ユーチューバー間宮祥太郎が家の見取り図を見て、なんでこんな隙間みたいなスペースが必要なのかと疑問に思うところから始まり、建築家?佐藤二郎がここは抜け道になっていてここは上げ蓋になっていて、全体としては人を殺すための家だと結論付ける。このあたり、飛躍が過ぎやしないかと思うが佐藤の柄で持たせてしまう。初め舞台が現代の一戸建てで、若夫婦が建てるにはいやに立派だと思っていたら時代がいつの間にか時代設定が遡っておどろおどろしい道具立ての田舎の家になる。田舎の方が広い間取りになるから都合がいいと判断したのか知らないが、これまた飛躍が過ぎる。クライマックスからラストにかけてバカ丁寧過ぎてなかなか終わらない。もうちょっとスパッと終わらないものかな。-YouTube「変な家」-公式サイト「変な家」-映画...「変な家」

  • 「DOGMAN ドッグマン」

    ベッソンらしいなと思うのと、むしろ良い意味でらしくないかなと思うのと両方だった。ギャング団との闘いで「ランボー」シリーズばりのゲリラ戦になるのは、らしいところ。主役のケイレブ・ランドリー・ジョーンズは初恋の相手が結婚していて(このがっかり感)あっさり女優を引退してしまうあたりから性的な興味がなくなったらしく、いわゆるドラッグクイーンなのだけけど、むしろアセクシャル(無性愛)に近い。人の代わりに犬が、それも大勢の犬が支えになる。ステージでエディット・ピアフを影歌で歌うところは歌の内容と演者の個性と車椅子からムリに立つ危なっかしさとが一体になってスリリング。-YouTube「DOGMANドッグマン」-公式サイト「DOGMANドッグマン」-映画.comDogman-IMDb「DOGMANドッグマン」

  • 「RED SHOES レッド・シューズ」

    「赤い靴」といったら真っ先に思い出すのは1948年製作のマイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー製作監督脚本のバレエ映画の大古典で色彩撮影のエポックメーキングなのだが、これはまあ関係ない。というか、今度検索してみてアンデルセンはともかく韓国ドラマに同題のがあるのを知った。これはオーストラリア製で主演のジュリエット・ドハーティは米国最大級のバレエコンクール、ユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)でゴールドメダルに輝き、他にも全米芸術文学協会(NSAL)、北京国際バレエコンクールでの受賞など輝かしい成績を収めているとのこと。出演者全員が当然ながら踊れる。というよりバレエの実力者をキャスティングしたわけで、オーストラリア映画のせいかどうかアメリカともヨーロッパともテイストが違う。ヒロインが憧れていた姉の...「REDSHOESレッド・シューズ」

  • 「マッチング」

    マッチングアプリから始まる話かと思ったら、そちらはあまり発展しないでおどろおどろしい因果話になってしまう。土屋太鳳扮する結婚式を取り仕切るマネージャーが自分はてんで婚活が実を結ばないものでマッチングアプリを使い始めるのだが、果たせるかなさっそくストーカーが釣れる。いくら同僚のおせっかいで半ば偶然で始めたにせよ、最低限メールくらいブロックしないのかなあと思ったのだが、この後細かくは言わないがますます不自然な展開になる。特殊清掃人という自殺や殺人などで出来た痕跡の後始末をする、それこそ特殊な仕事が出てくるのだが、扱いがどうも軽い。-YouTube「マッチング」-公式サイト「マッチング」-映画.com「マッチング」

  • 「コヴェナント 約束の救出」

    covenantというあまりなじみのない言葉を辞書でひいてみると、約束、盟約、合意、協定と同時に、聖書における神とイスラエル人との契約といった例が出てきて、この場合アメリカ兵とアフガニスタン人通訳との間のそれなのだから、どこかずれている。簡単にわかったような気になってはいけないのだろうが。アフガニスタンとカンボジアの違いこそあれ、アメリカから見た異文化と罪障意識という点で「キリングフィールド」とモチーフがかぶる。どこか「わかっていない」感じがするところもそう。-YouTube「コヴェナント約束の救出」-公式サイト「コヴェナント約束の救出」-映画.comGuyRitchie'stheCovenant-IMDb「コヴェナント約束の救出」

  • 「ARGYLLE アーガイル」

    シリーズものの小説を書いている小説家の描くキャラクターが画面として描かれて交錯する趣向というと「アンリエットの巴里祭」とそのリメークの「パリで一緒に」、それから「おかしなおかしな大冒険」などと古くから連綿として続いているわけだが、その手の込み方とくるりくるりと転換するシチュエーションの密度はまあ大変なもの。一体、どのように展開してどのように落ち着くのかさっぱり読めない。スローモーションを多用して華麗なバレエのように振り付けられたアクションが魅力。ヘンリー・「スーパーマン」・カヴィルの整いすぎた容姿が作り物っぽすぎて可笑しい。-YouTube「ARGYLLEアーガイル」-公式サイト「ARGYLLEアーガイル」-映画.comArgylle-IMDb「ARGYLLEアーガイル」

  • 「ゴールド・ボーイ」

    岡田将生が「ドライブ・マイ・カー」を再現するキレッキレぶり。あるいは「デスノート」のように、ひとりで悪役を背負わずに他のキャラが次第に嵌入してくるあたりのタッチ。考えてみると、沖縄独特のでかい墓がこれだけ生かされて描かれたことはなかったかも。マーラーのアダージョと共に死の匂いがする。キャラクターが進展するというより回想の中でひとひねり半して遡るような描き方が独特。金子修介監督は中国で撮った映画があったと思ったが、製作体制でそれとの関連どうなっているのだろう。ラスト近くシャッター街がちらっと写るのが「衰退している国」をさりげなく匂わせる。-YouTube「ゴールド・ボーイ」-公式サイト「ゴールド・ボーイ」-映画.comGoldBoy-IMDb「ゴールド・ボーイ」

  • 「52ヘルツのクジラたち」

    原作を先に読んでいたので、ストーリーの意外性はないのは当然として、ちょっとキャラクターが演じる役者と乖離している、という疑問はある。欲をいうなよという思えるのといやそこまでいかないと本当ではないのではないかというのと両方で、今後ますます問題になる気はする。タイトルの象徴的な意味あいというのが実際のクジラの映像でむしろ力強くなっている。-YouTube「52ヘルツのクジラたち」-公式サイト「52ヘルツのクジラたち」-映画.com「52ヘルツのクジラたち」-IMDb「52ヘルツのクジラたち」

  • 「ネクスト・ゴール・ウィンズ」

    公式戦でワンゴールを決めたら合格と、思い切りハードルを下げている。下げておいて多少上げたらお汁粉に少し塩を入れるみたいに甘さが強くなるかという作戦なのだろう。クライマックスをストレートに盛り上げないでフラッシュバックを重ねて焦らしながら描くのは良くも悪くも変化球。マイケル・ファスビンダーが金髪にしているのは実物に合わせたのがわかる。-YouTube「ネクスト・ゴール・ウィンズ」-公式サイト「ネクスト・ゴール・ウィンズ」-映画.comNextGoalWins-IMDb「ネクスト・ゴール・ウィンズ」

  • 「マダム・ウェブ」

    なんか最近のマーベルユニバースものって、予習復習が必要みたいで面倒。怒られるか知らないが、脇に出る3人娘が誰なのかわからなかった。他で出てるのだろうけれど。スパイダーマンそっくりのキャラクターがなんでそっくりなのかも良くわからないし。ユニバースものばっか見ているわけにはいかないのですよ。ヒロインがデジャヴ(既視感)に襲われ、それがすでに見たものではなく、これから見るものであることがわかってくる。ヒロインの名前がカサンドラというのはギリシャ悲劇のキャラクターからとったもので、予言能力を与えられると同時に誰もその予言を信じないので結局危機を避けられないというアイロニカルな悲劇的な存在なのだが、予知能力を与えられるのは一緒だが着地はかなり強引に楽天的。そうでないと次に続かない事情もあるにせよ。-YouTube「...「マダム・ウェブ」

  • 「落下の解剖学」

    あれ、これで終わり?というのが正直なところだった。何かもっとどんでん返しがあるのかと思ったのだが。見方間違えたか。突飛なことを言うけれど、「氷の微笑」みたい。女性作家の作品のネタが実際の殺人?に反映するところとか、セクシュアリティとか。あれもモヤモヤする映画だったけど。展開とすると掘り進んで真相に迫るというより岩盤に突き当たって止まってしまう感。-YouTube「落下の解剖学」-公式サイト「落下の解剖学」-映画.comAnatomied'unechute-IMDb「落下の解剖学」

  • 「おかしな奴」

    歌笑という落語家は小林信彦の「日本の喜劇人」の渥美清の項で知った。小林は実在の歌笑を知っていて映画の渥美清と比較すると、かなりずれがあるらしい。たとえば歌笑がジープにはねられて死んだのは1950年で、バックで流れる「銀座カンカン娘」がヒットしたのは1949年といった具合だが、歌笑を知らない身には考証は難しい。YouTubeを検索してみても映像はなく音声しか残っていない。民衆が歌笑を英雄視していたような描き方は渥美自身「アラビアのローレンスママ」みたいな歌笑だったろ、と小林に言っていたらしいが、歌笑を持ち上げた民衆が同時に引き下ろしもしていた記憶のある人間には違和感があったということか。生前の歌笑のことは知らず妙な英雄視というのは今の寅さん=渥美清と一周まわって妙に重なっているみたい。なお1966年のテレビ...「おかしな奴」

  • 2024年2月に読んだ本

    2月の読書メーター読んだ本の数:19読んだページ数:5560ナイス数:2唐牛伝敗者の戦後漂流(小学館文庫さ19-2)読了日:02月01日著者:佐野眞一リナ(1)(コルク)読了日:02月02日著者:ちばてつやリナ(2)(コルク)読了日:02月04日著者:ちばてつやリナ(3)(コルク)読了日:02月06日著者:ちばてつや推し、燃ゆ(河出文庫)読了日:02月07日著者:宇佐見りん西部劇を極める事典読了日:02月07日著者:芦原伸同和のドン上田藤兵衞「人権」と「暴力」の戦後史読了日:02月09日著者:伊藤博敏諸星大二郎劇場第5集アリスとシェエラザード~仮面舞踏会~(ビッグコミックススペシャル)読了日:02月09日著者:諸星大二郎正欲(新潮文庫あ78-3)読了日:02月11日著者:朝井リョウ仁義なきヤクザ映画史読了...2024年2月に読んだ本

  • 「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

    ぬいぐるみサークル(略してぬいサーというのが今っぽい)の部室というのが狭くて薄暗くて、あまりぬいぐるみという可愛くてふわふわしたイメージとはそぐわない。実際内容もそうで自閉的で内向き、葛藤を避けると言うのは簡単だが、ぬいサーに紛れ込んだみたいな男子の反応見てると他のマチョであることを疑わない男子たちの中で居心地悪くしている。こういう人とこういう人の組み合わせなら恋人とか友だちとか仲間というレッテル貼りを外して人間関係を描いている。ただやや自分で少し後ろめたく感じすぎではないかとは思う。そんな必要あるかと開き直るのも必要ではないか。-YouTube「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」-公式サイト「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」-映画.com「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」-IMDb「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

  • 「夜明けまでバス停で」

    エンドタイトルで一瞬、国会議事堂が爆破されるイメージカットがはさまる。実際、今の政府与党の人を舐め切った態度を見ていると爆発しない方が不思議なのだが、そうならないくらい相互自粛が浸透している。「滑り台社会」という言葉が登場したのはいつ頃だったか調べてみたら、2008年にはもう「滑り台社会からの脱出」という湯浅誠の著書が出ている。著書より先に概念があっただろうから、もう20年近い。失われた30年を考えてみると不思議はない。滑り台を滑り落ちるように滑り止めになるセーフティーネットがない状態を形容した言葉だが、いっそう加速度がついた感がある。コロナが「終わった」今でも事態はいっこうに良くならない。藁をつかみたい気分だが、つかんだら本当に藁だった繰り返し。高橋伴明は以前連合赤軍を撮影中の映画としてカッコに入れた形...「夜明けまでバス停で」

  • 「ソウルメイト」

    中国映画の「ソウルメイト七月(チーユエ)と安生(アンシェン)」のリメイクだそうだが、そちらは未見。リメイクだということも知らなかった。初めのうちと自由人タイプのミソと堅実タイプのハウンの二人の仲良しの女の子がじっくり描かれる。じっくりしすぎてお話がなかなか動かずどう動かすつもりだろうと首を傾げかけたらかなり斜め上に動きだした。男がひとり登場して三角関係になるのかと予想したら、女二人の関係には影響しない、というか途中から性格付けがそっくり逆転してしまう。あくまで磁石がくっつきあうように引き合うソウルメイト=魂の友だちであって、想像しがちな同性愛への接近も避けている。突飛なようだが、ジェーン・フォンダとバネッサ・レッドグレーブ主演の「ジュリア」を思い出したくらい。女同士の友情を自然に描いていることばかりでなく...「ソウルメイト」

  • 「オルメイヤーの阿房宮」

    ジョセフ・コンラッド原作というだけあって、「闇の奥」(「地獄の黙示録」の原作)同様、川とジャングルに囲まれている。「地獄の黙示録」の「ワルキューレの騎行」の向こうを張ってか?ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」より「愛の死」が流れる。おしまい近くになると、わざとのようにというか、わざとに決まっているのだが、ワンカットの中の時間が果てしなく引き延ばされるようになる。スローテンポというのとまた違う時間感覚。ソクーロフに近いか。あるいはプルースト「逃げ去る女」。-YouTubeシャンタル・アケルマン映画祭「オルメイヤーの阿房宮」-映画.comLafolieAlmayer-IMDb「オルメイヤーの阿房宮」

  • 「ボーはおそれている」

    前半にボーは掌と脇腹に傷を負うのだが、キリストが掌に釘で打ちつけられたのと、脇腹を槍で刺されたのと、位置が一致している。母親のもとに帰ろう帰ろうとし続けて先に進みかけたと思うとリセットされたように振り出しに戻る感覚は悪夢そのもの。母親の存在が出ていない時でも絶大な割に父親はいるのかいないのかわからない。アリ・アスターはここでの主人公と母親との関係はユダヤ人的なものだとインタビューで言っていたが、もともとユダヤ教徒かどうか判断するのに母親がユダヤ教徒かどうかを基準にするとか、父親の存在が薄いのは殺されたりどこかに連れていかれるので基準にならないからだとか聞きかじったことはある。キリストに対する父ヨセフのようでもある。キリストはユダヤ人(にして元ユダヤ教徒)ですからね。なんでキリスト教徒がキリストはユダヤ人が...「ボーはおそれている」

  • 「ポワロと私 デビッド・スーシェ自伝」

    スーシェのポワロは初めからポワロものを全部コンプリートするつもりだったのかとなんとなく思っていたのだが、考えてみるとそんなわけはなく、一シーズンごとに人気を見て決めていたのがわかる。なんでそう思っていたかというと、本書のP232で書かれているようにポワロものは全作コンプリートするつもりだと2000年に初めてスーシェがはっきり発言したのが日本だったかららしい。先だって製作されたジェレミー・ブレットのホームズがコンプリートを目指して果たせなかったというのも頭にあったと思う。継続が決定するまで気をもみながら他の仕事を、時に経済的事情から時に役そのものに惹かれて引き受けるわけだが、映画はともかく舞台は見ることがかなわないのは仕方ないが残念。「アマデウス」のサリエリや「オレアナ」のジョンなど、見てみたかった。同じ英...「ポワロと私デビッド・スーシェ自伝」

  • 「一月の声に歓びを刻め」

    なんでしょうね、舞台もモチーフもバラバラの三話プラス最終話という構成で、オムニバスとしてもまとまりがなさ過ぎるし、短編集というには話が変わっても気分が変わらない。前田敦子が主演で哀川翔とカルーセル麻紀が助演なのかと思ってたら全員主演で、ただし全員共演するところがない。どうにも挨拶に困った。-YouTube「一月の声に歓びを刻め」-公式サイト「一月の声に歓びを刻め」-映画.com「一月の声に歓びを刻め」

  • 「カラーパープル」

    市長夫人(もちろん白人)が傲慢な態度をとるのに反発した黒人女ソフィアが怒りの言葉を投げつけると代わりにしゃしゃり出てきた(レディファーストのつもりか)市長に殴られたので殴り返す。その市長が殴られる瞬間をスピルバーグ監督版だと前をトラックが横切って瞬間自体は見せない。スピルバーグ版が公開された当時、「シネマレストラン」で荻昌弘は「このトラックはナカナカ南ア的に老獪であります。私はアメリカ映画の革命とは、白人を殴る黒人女が現れるより、こういったハリウッド類型トラックがなくなることを、呼びたい」と言っていたが、今度のミュージカル映画化は堂々とぶん殴られる瞬間を写している。なんでもないようだけれど、「黒人女」が「白人男」を殴るというのはタブーだったのがまがりなりにもそれが撤去されたのは「進歩」なのだろう。スピルバ...「カラーパープル」

  • 「風よ あらしよ 劇場版」

    伊藤野枝に大杉栄といった大正時代のアナキストについては、先日「福田村事件」で関東大震災のどさくさに紛れて自警団が朝鮮人を虐殺したのを描いていた(ただし福田村で殺されたのは日本人)が、こちらは憲兵の甘粕正彦が大杉と野枝を虐殺するのが山場になっている。甘粕正彦が野枝(吉高由里子)と大杉(永山瑛太)を連行する時に大杉の甥(橘宗一6歳)も連行するのだが、こちらがどうなったのか描き方が曖昧。子供を殺すところはテレビでは描けないということか?実際当時でもすでに子供を殺すなんてと非難轟々で、憲兵という地位にいた甘粕に対してもさすがに当局は逮捕して裁判にかけることになった(ただし7年あまりに減刑されてフランスに渡ったのち満州で満映理事長に就任したのは有名)。NHKのドラマ版は見てないのでどの程度異動があるのかはわからない...「風よあらしよ劇場版」

  • 「瞳をとじて」

    冒頭の室内シーンは製作途中で中断した映画のワンシーンのはずなのだが、冒頭に置かれているのでそれ自体映画中映画という文脈からは微妙に外れている。登場人物の年齢が上がったのはエリセ自身が歳をとったということだろう。探し求められる少女の若さ美しさがそれに対置されるわけだが、作り手のスタンスは「ミツバチのささやき」からは遠く離れているのがアナ・トレントの出演によってより明確になっている。ミゲルが持っている携帯がスマートフォンではなくガラケーなのがふさわしい。監督と主演男優の二人が元水兵で、おそらく若い時世界を共にまわってきたであろう時間が、二人が離れていた時間と重ねられる。映写技師が扱う手と映写機の間でフィルムのモノとしての存在感を改めて教える。「ミツバチのささやき」を品田雄吉は「これは詩的な映画なのでなく、純粋...「瞳をとじて」

  • 「梟 フクロウ」

    17世紀、中国が明から清に代わった頃、日本では徳川時代の初め頃の朝鮮半島の話。目が不自由で明るい場所ではモノが見えず、暗い、それも真っ暗な場所だと見えるという(だからフクロウになぞらえられる)鍼医が主人公。朝鮮王朝時代の記録物「仁祖実録」に記された“怪奇の死”にまつわる謎をモチーフにしているから実録ものにして伝奇ものといったところ。隣の大国の王朝が代わったあおりをもろに受けた激動の中、朝鮮宮廷ではあらゆる疑心暗鬼と陰謀が跋扈する。その中で「見て見ぬふり」をしないと生き延びられないという苦しい立場を維持し続けるというのは、一種象徴的な表現ということになる。画面はほぼ全編ロー・キーで通していて、暗いなりに鮮明に写っている。ロウソクの炎を吹き消して真っ暗になり、他の者が見えなくなると見えるようになるというのもア...「梟フクロウ」

  • 「ヴィーガンズ・ハム」

    肉屋が過激なヴィーガンに引きずられる格好でヴィーガンのふりをして肉屋を襲撃するところから始まり、ヴィーガンを殺して肉にしてしまうブラックな展開を見せる。相当にヴィーガンに対する悪意が丸出しで(原題はBarbaque)、逆に言うとそれだけ肉食が身近な文化圏の話で、そこまで日本ではなじみがないせいか見ていてブラックさにひきつるようなところがある。ちょっと捕鯨禁止になって失業した漁師が観光客を殺しまくる「レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカ―」みたい。生活がかかっているわけでもない人間が何だ偉そうに、という感情ね。-YouTube「ヴィーガンズ・ハム」-映画.comBarbaque-IMDb「ヴィーガンズ・ハム」

  • 「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」

    なんか思っていたのと違う。予告編だと大型のぬいぐるみみたいなのが「プーあくまのくまさん」みたいに襲ってくるルーティンなホラーな印象だったけれど、そちらはかなり脇に下がって、主人公のうだつが上がらない青年が年が離れた妹(娘かと思った)と一緒に住んでいるのだが、その誘拐されたまま行方不明の弟とその仲間みたいなのが幻想的に出没する。いやに芸術的な表現で、弟とその仲間がイメージシーンから抜け出てきて主人公に危害を加えたりする。弟の話の方は先延ばしにして続編がありそうな締めくくりになるのはなんだかまわりくどくてちぐはぐ。メアリー・スチュアート・マスターソン(「恋しくて」のショートカット姿には惚れましたね)が実年齢通りのおばさん役で出てくる。-YouTube「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」-公式サイト「ファ...「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」

  • 「Firebird ファイアバード」

    エストニアが舞台なのだがセリフは英語。エストニア・イギリス合作。実話に基づく。スタッフ・キャストの経歴を見ると監督ペーテル・レバネはエストニア出身で交換留学生としてイギリスのオックスフォード大学に留学し、それからアメリカのハーバード大学と南カリフォルニア大学で学んだとある。原作者でもある主人公セルゲイ・フェティソフを演じるはイギリスの王立演劇学校出身のトム・プライアー。脚本にも参加している。セルゲイは2017年というからかなり最近まで生きていたとエンドタイトルで知らされる。相手役のロマン役のオレグ・ザゴロドニーはウクライナ出身。三角関係(といっても男をはさんで男女が関係する)の一角をなすルイーザ役はロシア人のダイアナ・ポザルスカヤ。他エストニア他旧ソ連各国とイギリス俳優の混成ということになる。男同士で愛し...「Firebirdファイアバード」

  • 「夜明けのすべて」

    PMS(月経前症候群)とかパニック障害といったあまりなじみのない症状を一応モチーフにしているのだけれど、それらについて啓蒙しようとか理解を求めるといった作りにはあまりなっていない。上白石萌音がかなり大きな会社に勤めていたのがPMSが原因で辞めざるを得なくなり、いくつかの臨時雇いを転々としてからミニチュアのようなプラネタリウムを作っている会社に再就職し、そこでパニック障害を抱えた青年松村北斗と出会う。その出会うところからストーリーが動き出すわけではなく、青年が障害を抱えているのを観客に伏せて何だか態度の悪い男という具合に提示しておいて、男が服用している薬の種類をヒロインが見て心当たりがあったので困っている男に届けるというなんでもないような親切というより当然に思える反応から入っていく。そのなんでもないようなこ...「夜明けのすべて」

  • 「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」

    平民出身で王侯貴族の間に入ってフランス革命で軟禁されいったんは釈放されるが結局ギロチンにかけられるという波瀾万丈の人生のはずだが、見た感じあまり波瀾万丈な感じはしない。一応野心家なのだが出世が目的というより王との出会いが逆に動機になったみたいな描き方。ジョニー・デップがルイ15世という、太陽王ルイ14世とフランス革命の時のルイ16世の間にはさまっている王の役で、どこからこのキャスティングを考えたのだろう。柄からいって王様らしい感じはしないが、感じではないのが狙いだったのか。ヒロインをやっているのが監督本人だと見た後に知った。-YouTube「ジャンヌ・デュ・バリー国王最期の愛人」-公式サイト「ジャンヌ・デュ・バリー国王最期の愛人」-映画.comJeanneduBarry-IMDb「ジャンヌ・デュ・バリー国王最期の愛人」

  • 「家からの手紙」

    初めのうちは人すら写らず風景だけがえんえんと映され、それに監督シャンタル・アケルマンの母親の手紙の朗読がかぶる。「私、あなた、彼、彼女」が「私」から徐々に人間関係を広げていったのに対して、母親という「私」以前からある存在にまで遡っているというべきか。ニューヨークの街がすごく荒廃しているのでいつの風景かと思ったら、製作は1976年。「タクシードライバー」と同じ頃。-YouTube「家からの手紙」-映画.comNewsfromHome-IMDb「家からの手紙」

  • 「沖田総司」

    50年前の1974年の製作で草刈正雄がいかにも若いのだけれど、変な言い方になるが現在の年をくった面影がある。土方歳三の高橋幸治、近藤勇の米倉斉加年はともかく、永倉新八が西田敏行というのは本格的に人気が出たテレビの「三男三女婿一匹」が76年だからその前の出演ということになる。マンガチックに折れ曲がった刀を持ったアップなどなんとか目立とうとしているみたい。真野響子がきれいで、草刈と美男美女のカップル誕生かと思うとズタズタに切り刻まれてしまう。新選組を取り上げているのだから当然とはいえ、結構血なまぐさい。草刈がやると肺病病みの美男子の陰の部分があまり出ない。良くも悪くもと言いたいけれど、良い方の資質ではないか。天然理心流の遣い手としての腕を見せるところでチャンバラを見せるけれど、やや型通り。-YouTube「沖...「沖田総司」

  • 「ストップ・メイキング・センス」

    まずデヴィッド・バーンだけが登場して歌い出し、ティナ・ウェイマスが続き、黒衣のようなシンプルな黒スーツ姿のスタッフがドラムセットを乗せた台を運んできて、以下人数が増えていくが、きちんと順序立てられ整理されたミニマムな作り方。観客をほとんどお終いまで写さないところなどもそう。ミニマムというのは「アメリカン・ユートピア」もそうだったが、あそこでラストで舞台の外に広がっていくのは対照的。後半のスライドをマルチスクリーンに投影した背景は現代美術的なセンス。電気スタンド相手に歌いかけ踊るシーンは、ちょっとフレッドアステアの「恋愛準決勝戦」の帽子かけ相手のダンスみたい。ラスト近く、壁に映ったシルエットだけでデヴィッド・バーンだとわかるのが可笑しい。-YouTube「ストップ・メイキング・センス」-公式サイト「ストップ...「ストップ・メイキング・センス」

  • 「罪と悪」

    少年たちが体験したトラウマものの体験と、その22年後に犯罪が再現されるという設定は「ミスティック・リバー」ばり。少年のひとりが刑事(椎名桔平)になっているところもそう。犯罪絡みの内容にも関わらず福井県がかなり協力しているらしい、監督脚本の齋藤勇起が福井出身なのは大きいのではないか。登場人物の土地に対する愛憎こもごもの感情がかなり濃厚にこもっている。案外おどろおどろしい雰囲気は薄くてなんだか悲しい印象が強い。-YouTube「罪と悪」-公式サイト「罪と悪」-映画.com「罪と悪」

  • 「ダム・マネー ウォール街を狙え!」

    ここでもセリフでちらっと触れられるが、「ウォール街を占拠せよ」OccupyWallStreetと1%以下の金持ちがそれ以外の貧乏人(というより地盤沈下した中産階級)そっちのけに株価を操作し利益を貪っているマネーゲームに抗議する運動が起きて、いわばその抗議の実践版の映画化。1%以下の金持ちがボロ(と見なされた)株の空売りを仕掛けて、SNSでゆるくつながった貧乏人たちが対抗して買い進めるというのが全体の構図。売るものがないのに空売りするというのがすでに変なので、後で買い戻すといっても具体的なモノがあるわけではなく、数字だけが動く。金持ちにとってはただのバカでかい数字であっても、貧乏人にとっては食費であり教育費であり医療費でありガソリン代であり光熱費であり、つまりは具体的な生活の裏打ちがある。登場人物それぞれに...「ダム・マネーウォール街を狙え!」

  • 「私、あなた、彼、彼女」

    ヒロイン(監督のシャンタル・アケルマン自身)のストップモーションの連続から始まる。やがてベッド代わりのマットレスでごろごろ寝転がって、書いた手紙を床に並べ紙袋に入った砂糖をスプーンで掬って食べたりとえんえんととりとめなくだらしのない姿を見せる。上映時間で30分を過ぎたあたりから外に出る。トラック運転手の男と並んで黙って食事する間ずうっとテレビの音がオフで聞こえてくる。もう少しあとで男と相対して座る。背景に水槽が見える。明らかに運転したまま性器をしごかせているのだがヒロインの姿はオフになっている。このあと出てくる女とはあからさまな性交描写が出てくる。通して見ると、最初は一人きりだったのが次第に他者との関わっていく。通常だったらドラマが始まるところでぷつっと終わるという構造になっている。ひとりきりから始まり、...「私、あなた、彼、彼女」

  • 「ザ・ガーディアン 守護者」

    ヤクザが親分のために敵に殴り込みをかけて懲役に行き、その間に愛人が女の子を産んでというお話は日本のヤクザ映画にもありそうだけれど、全体にずいぶんスマートになって泥臭くない。留守にしている間にボスがずいぶん出世していて、誘いを断って足を洗うのはいいが、洗った後どうするのかよくわからない。下っ端の敵ばかり相手にしていて大物がすっぽ抜けているのはどうかと思う。ヤクザ映画だったらラスボスにこそ殴り込みをかけるところではないか。愛人(これまたスマート過ぎるが)が早く死に、残された幼い女の子を元ヤクザが守るというのが邦題の由来だろうけれど、この女の子に対する態度が自分の素性を明かすでもなく明かせないのを苦しむでもなくで、なんだか曖昧。ノリで犯罪を犯罪とも思わないで行うような軽薄なカップルが敵にまわるのだが、男の方はモ...「ザ・ガーディアン守護者」

  • 「グロリアス 世界を動かした女たち」

    アリシア・ヴィキャンデルとジュリアン・ムーアが同じフェミニストのグロリア・スタイネム役の青年期と壮年期を二人一役で演じるわけだけれど、顔の作りが似ているわりに1988年生と1960生の28歳差がさほど目立たず、「欲望のあいまいな対象」ばりにキャラクターの二面性を表現したのかと思うくらい。実際おそらくそういう意図はあったのではないかと思われ、つまりミスとミセスを未婚か既婚かで分けるのを否定し男のミスターに相当するミズを使うよう提案したのが実在のグロリアというわけ。ミズなんて称号?認められるかとニクソンが揶揄するところで時代がわかる。60年代から70年代にかけてで、そんなに前から言っていたのかと思う。なおグロリア・スタイネムは存命中(1934生)。時制がかなり複雑に交錯し、同じバスの中の別の席に二人の女優が座...「グロリアス世界を動かした女たち」

  • 「哀れなるものたち」

    室内シーンで広角レンズをはめこんだドアの覗き穴(和製英語だとドアスコープ、英語でpeephole)から見たみたいに撮られた丸く切り抜かれたショットがあちこちにはさまるのだが、実際にはドアも覗き穴もないのだし、どういう狙いだろうと首をひねった。後の方のパリのシーンではこの覗き的あるいは顕微鏡的アングルの頻度がかなり減る。ヒロインの一種の主観(ヒロインも写っているのだが)として視野狭窄になっている状態を表現しているのかいなと思ったりした。空の色を含めて明らかに作りものっぽい美術にヒロインが人造人間(それを作ったウィレム・デフォー自身がフランケンシュタインばりに顔中縫い目だらけなのだが)というのが徹底している。ヒロインが何の脳を移植されたのかかなり後まで伏せている。これもある意味それこそ白紙で見るためだろう。意...「哀れなるものたち」

  • 「ランジェ公爵夫人」

    今はなき岩波ホールでの公開だったのだね。ギョーム・ドパルデューの父親ゆずりの巨体が豪華な割にがらんとした室内で大きな足音をたてて歩き回る。びっこをひいているのだが、95年には実際にバイク事故で重傷を負い、手術の際の院内感染が原因で長年ひざの痛みと戦ったあげく、03年に右脚の切断を余儀なくされたからだという。この映画はその後の07年の製作(翌08年に37歳で急逝)。サイレント映画を思わせる字幕の簡素な潔癖さ。まず読む文字として現れる、バルザック文学に忠実な(というのか)表現。初めは気位高く構えていたランジェ公爵夫人が無骨な軍人モンリボー将軍と立場が逆転するすれ違いドラマなのだが、文字でつなぐことでいかにもなドラマチックなメリハリはあえてつけないでいる。マキノ光雄の言葉を借りると、ドラマがあってチックがない。...「ランジェ公爵夫人」

  • 「幻滅」

    貴族と平民の間に生まれた主人公がイノセントな純文学志向だったのがペンで人を持ち上げたと思うと引きずり下ろすのを生業とするようになり、気づくとあちこちのしがらみで借金で首がまわらなくなっている。華やかな生活にも全部カネがかかっているというわけ。19世紀のコスチューム・プレイの世界だから、今で言うメディアを牛耳っている連中のえげつなさがカリカチュアと見せてリアルに描けている。今だったらSNSの世界になるから画にするのが難しいだろう。いわゆる犯罪大通りで赤い靴下を履いて踊っていた出会った時まだ十代の歳の離れた妻が、借用書につぎつぎとサインする情景は「バリー・リンドン」を思わせる。美術が素晴らしく、ロウソクの照明のニュアンスが良く出た。小林信彦はバルザックについて、昭和初期のビルを歩いていたら最新のビルに紛れ込ん...「幻滅」

  • 「サイレントラブ」

    あららチャップリンの「街の灯」じゃない。浜辺美波は音楽大学在学中で交通事故で視力を失い耳が頼りだが、それに対して山田涼介は口がきけない。音大に通うくらいだから浜辺は裕福な生まれ育ちで、不良出身で掃除夫をしている山田とは、劇中のセリフにもあるが住む世界が違う。これにグレているけれどピアノの名手の野村周平が絡む。浜辺が目が見えないので野村を山田と誤解するところや、手を握ったり触ったりする動作の強調などアレンジしてはいるけど、ほぼそのまま。山田が無言というのがサイレント映画の「街の灯」を今に生かしたと思しく、浜辺と野村がピアノを連弾演奏する場面がまたトーキーの特性を今さらながら生かした。だいたいこの映画、台詞がかなり少なく緊張感を維持している。貧困のあり方というのがチャップリンとは違いすぎるが、格差という形でリ...「サイレントラブ」

  • 「ノスタルジア」4K

    4Kレストア版とあって画質に注目したが、それ以上に音それも小さな音に耳を傾けた。レストアに際しては撮影監督(ここではジュゼッペ・ランチ)の監修は受けるけれど、録音やミキシングの方はどうなのだろう。ホテルの廊下でピアノの音がごく小さく聞こえた時は、気のせいかと思うくらい。クライマックスの「第九」は対照的にかなりマチエールが荒く聞こえた。「ストーカー」でも列車の音でわざと聞こえにくくして「タンホイザー」や「第九」を使っていたが、こういう音の処理はあまり例がない。武満徹の、「近ごろ人間の音に対する感性は、鈍ってきていて、とくに映画の場合、音が大きくなってきたということもあるんですけど、無神経になってきている。かならずしもドルビー・システムが悪いわけじゃないけどね。その無神経さと、タルコフスキーの感性は、対極にあ...「ノスタルジア」4K

  • 2024年1月に読んだ本

    1月の読書メーター読んだ本の数:26読んだページ数:4607ナイス数:0窓ぎわのトットちゃん新組版(講談社文庫)読了日:01月04日著者:黒柳徹子1・2・3と4・5・ロク(1)(コルク)読了日:01月07日著者:ちばてつや1・2・3と4・5・ロク(2)(コルク)読了日:01月07日著者:ちばてつや1・2・3と4・5・ロク(3)(コルク)読了日:01月07日著者:ちばてつや歳月読了日:01月08日著者:鈴木敏夫詐欺の帝王(文春新書)読了日:01月08日著者:溝口敦あした天気になあれ(51)(コルク)読了日:01月08日著者:ちばてつやあした天気になあれ(52)(コルク)読了日:01月08日著者:ちばてつやあした天気になあれ(53)(コルク)読了日:01月08日著者:ちばてつやあした天気になあれ(54)(コル...2024年1月に読んだ本

  • 「アイヌモシㇼ」

    観光地化した十勝で英語が日本語と共にアナウンスされていてアイヌがアイヌ語を習っているという逆転が、言語の背景にある力関係を示している。テレビで「インディペンデンス・デイ」を見ているシーンがあるけれど、あれはドイツ人の監督がアメリカで思い切りアメリカ万歳やっている映画で、かなりアイロニカル。日本人韓国客が主人公のカント(哲学者のカントかと思ったら、アイヌ語で「天空」という意味)の母親に「日本語お上手ですね」と言うのは悪気がないだけに無神経が際立つ。アイヌの伝統が「守り」に入って、熊狩りが禁止されそうになっているのは現代の感覚に合わないからという理屈はつくだろうが、たとえばアイヌが川から鮭を採るのも禁止されていて、許可をとるのに身長を越すほどの書類を作る必要があった、他民族の「主食」を禁止した例はないとはアイ...「アイヌモシㇼ」

  • 「ゴールデンカムイ」

    プロジェクトとすると原作のどこまで映像化するのかと思う。原作が完結していることは知っているが、実は結末までは読んでいない。長編マンガの原作はどうしても人気のあるうち、つまり連載中に他のメディアに移されることが多く、「あしたのジョー」が連載途中でアニメに追いつかれてしまい、10年後に改めて「2」としてやり直せたのは例外で、それだけきちんと終わっていてラストまで見通せたからだろう。「進撃の巨人」「鬼滅の刃」といった人気連載が完結しても人気を保てるよう他のメディアに乗り換えながら飽きさせないのは進歩。キャラクターの再現度が高い割に役者の地もちゃんとわかる。アシリパの山田杏奈が大きくなったのは例外として変顔の再現度は高いのが可笑しい。童顔に対してきりっとした喋り方が良く、杉本がアシリパさんとさんづけで呼ぶのが不自...「ゴールデンカムイ」

  • 「VESPER ヴェスパー」

    主人公のヴェスパーって少年なのか少女なのかわかりにくいのだが、エンドタイトルでラフィエラ・チャップマンと出るので女とわかる。神話的な両性具有イメージを付与していると思しい。森からコケやキノコみたいなサンプルを集めているあたり、ちょっとナウシカを思わせる。それと共に連想させるのはタルコフスキーで、木の壁の家や森の中、川面などの質感は「アンドレイ・ルブリョフ」「ノスタルジア」、荒廃したSF世界という点では「ストーカー」ばり。種が現実にあるいわゆるF1種みたいに一回しか収穫できないという制限をかけられているという世界観は現実的すぎて意外性に欠ける。ドローンみたいに自在に空中を浮遊する顔の落書きがしてある物体が寝たきりの父親の声を代弁したり、中身がぐちゃぐちゃした内臓状になっているあたりの有機物と古びた金属の取り...「VESPERヴェスパー」

  • 「ベネシアフレニア」

    世界有数の観光都市であるベネチアにクルーズ船でやってきたグループが仮面で正体を隠した道化に一人また一人と惨殺されていく。よくあるホラーだったらキャンプとかホリデーとかに設定するのを外国まわりのクルーズにして非日常感を演出するという寸法。しかもクルーズ船に対して現地人がすごい反発していて一方で観光業がなければ食いっぱぐれているという葛藤が背景にある。日本はどうなのかなと思った。白昼堂々と大勢の観光客たちの前で惨殺してもツーリストたちはショーだと思ってスマホを向けるだけという趣向が面白い。-YouTube「ベネシアフレニア」-公式サイト「ベネシアフレニア」-映画.comVeneciafrenia-IMDb「ベネシアフレニア」

  • 「ある閉ざされた雪の山荘で」

    タイトルに偽りありで、山荘は実際には雪に閉ざされてはいない。そういう見立てあるいは「つもり」で演じなさいという指示があるだけ。この指示してくる劇作家兼演出家というのが終始姿を現さない処理が結構中途半端なのは気になった。山荘の2Fを真上から見取り図みたいな平面に開いて見せる「ドッグヴィル」みたいな趣向がちょっと面白い。階段を降りて1Fに向かうと姿が消える。こう言うとなんだが、集められた集団が歳がみんな20代後半で、役者らしくそれなりに美男美女となると顔が見分けにくい。アメリカ映画みたいに人種が違えばともかく。作中に出てくる「そして誰もいなくなった」みたいにフラットな人物配置で途中まで通して、そこから誰か特別な存在(たとえば探偵役)に移行する処理は難しく、この場合かなりムリしているように思える。劇中に出てくる...「ある閉ざされた雪の山荘で」

  • 「コンクリート・ユートピア」

    大災害に襲われたアパート群のうち一棟だけ倒壊を免れているという図がどうも納得できない。「パラサイト半地下の家族」を横にしてみましたといったところなのだろうけれど、阪神淡路大震災の時に明らかになったように、貧困層の住宅だけ壊れて富裕層の住宅は倒壊を免れたという具合に社会的な格差が自ずと出たというわけではないから。イ・ビョンホンの正体不明の男がヒロイックなのと暴力的なのを併せ持っていてすわ主役なのかと思うと割と中途半端。-YouTube「コンクリート・ユートピア」-公式サイト「コンクリート・ユートピア」-映画.comConcreteUtopia-IMDb「コンクリート・ユートピア」

  • 「サン・セバスチャンへ、ようこそ」

    アレンらしくウェルズ=「市民ケーン」ベルイマン=「野いちご」「第七の封印」「仮面ペルソナ」フェリーニ=「81/2」ブニュエル=「ブルジョアジーの秘かな愉しみ」「皆殺しの天使」ゴダール=「勝手にしやがれ」トリュフォー=「突然炎のごとく」ともうオマージュというか引用だらけなのだが、意外(というか)なのはクロード・ルルーシュ=「男と女」が音楽つきで再現されたこと。芸術というかゲイジュツ志向ではないのが混じった。「ペルソナ」のセリフはわざわざスウェーデン語にしているという凝りっぷり。演出はシンプルで、さらさらとひっかからないように撮っている。ヨーロッパのヌーヴェルヴァーグをはじめとする映画人はヒッチコックやハワード・ホークスなどハリウッドの監督でも自分のスタイルを持った人は称揚したのだけれど、アレンはあまりそうい...「サン・セバスチャンへ、ようこそ」

  • 「エクスペンダブルズ ニューブラッド」

    EXPENTABLESのうち中ほどのAの文字を4に変えてEXPENT4BLESにしてシリーズ4作目なのにひっかけている。かなり世代交代気味で、邦題に「ニューブラッド」=新しい血とわざわざ断っているが、スタローンが引っ込み気味で、新しく加入した女(ミーガン・フォックス、レビ・トラン)に東洋人二人(トニー・ジャー、イコ・ウワイス)はどちらもあまり生かされていない。核爆発に無神経なのには、またかよと思う。ラストシーン直前に回想入れるっていうのはねえ。実質ジェイソン・ステイサムとその他大勢。-YouTube「エクスペンダブルズニューブラッド」-公式サイト「エクスペンダブルズニューブラッド」-映画.comExpend4bles-IMDb「エクスペンダブルズニューブラッド」

  • 「猿女」

    ラストが三通りあって、イタリア公開版、ディレクターズカット版、フランス公開版と全然違う。イタリア公開版はベッドに横たわった猿女の遺体が黒味に囲まれてだんだん小さくなっていく、ディレクターズカット版は死後ウーゴ・トンニャッティ扮する猿女の夫が見世物小屋を開くところまで続く、フランス公開版は猿女が死なないのみならず顔中に生えていた毛が抜けてアニー・ジラルド(当然、美女)の素顔が現れるといった具合。正直、なんべんもラストを見せられるのは生理的にきつかった。もろに終わりそうで終わらないのだから。考証的、研究としての意義があるのはわかるけれど。多毛症の女を猿まがいの見世物にして金を稼ぐという最低な真似をしておいて途中で結婚するのにはあれと思ったし、妊娠する(その後の展開は前述の通り分かれるが)ということは性交したわ...「猿女」

  • 「時は止まりぬ」

    エルマンノ・オルミ監督第一作。舞台は雪に振り込められたダムに隣接された山小屋で登場人物は三人だけ、それも一人が下山してから交代で若いのが補給されるといった調子で、最初から最後まで出ているのは一人だけ。どんな設備があるのかいっぺんに見せないでダムの内部を順々に紹介したり、その内部に水がたまっているのを手でかい出したり、教会が近くにあるのを吹雪が強まったので避難先にしたりと、いちいち手の届く範囲で危機が起こっては去る。去ってしまえばさほどではないとはいえ、その時はかなり深刻。↑の写真にあるように雪に人型をつけたり、風邪をひいたらしい未成年にミルクに酒を混ぜて飲ませて、熱がひいたらアルコールくさいというあたりのユーモアがいい。-YouTubeIltemposièfermato-IMDb「時は止まりぬ」

  • 「せかいのおきく」

    白黒にしたのは糞尿を撮らなくてはいけないせいだろうけれど、そこにふっとカラー画面が混じってくる(糞尿ではない)。法則らしいものはなくて、ラストカットだけ広角ぎみのレンズを使っているのも、あまり理に落ち過ぎないようにするのが狙いではないか。おきくが喉を切られて口がきけなくなるのが芝居の見せ場になるかと思わせてそんなに表には出ない。無言の饒舌さといったところに抑えている。池松壮亮と寛一郎の二人の衣装のボロさ加減がすごくて逆に手がかかっている。おきくが半紙に筆で書く仮名文字が上手。-YouTube「せかいのおきく」-公式サイト「せかいのおきく」-映画.com「せかいのおきく」-IMDb「せかいのおきく」

  • 「NOCEBO ノセボ」

    舞台はアメリカかと思ったら、アイルランドのダブリンでした。監督はロルカン・フィネガンLorcanFinnegan。フィネガンというからアイルランド系かと思って検索してみたが、個々の映画の関係者とするとひっかかるのだが、どういうわけかWikiでは個人としては名が出ていない。個人のホームページは出る。謎のフィリピン人役のチャイ・フォナシエルは1986年9月27日生まれの37歳。小柄なもので、もっと若く見える。英語、セブアノ語、タガログ語、ヒリガイノン語を解するとのこと。フィリピン映画「リスペクト(2017)」に出ているらしく、2018年の第31回東京国際映画祭「CROSSCUTASIA#05ラララ東南アジア」で上映された記録がある。アイルランドというとITが普及してからは大いに経済発展したが、それまでは貧しい...「NOCEBOノセボ」

  • 「カラオケ行こ!」

    中学生役の齋藤潤は2007年6月11日生まれの出演当時16歳。メガネをかけているところは何だかハリーポッター第一作の頃のダニエル・ラドクリフとちょっと似ている。子役出身というわけではなくまだキャリアは浅いが、ヤクザ役の綾野剛が縦横無尽に投げ込んでくる球をキャッチするあたりの堅い表情が器用になりすぎなくていい。クライマックスのカラオケ絶唱で喉を押さえているのは変声期でムリに声を出しているということか。このあたりは原作の方がはっきり描いている。合唱部の部長という役のわりにあまりちゃんと歌っておらず発言は批評に徹している。ヤクザたちがよく怒らないものだが、いずれにせよリアルなヤクザではなく「セーラー服と機関銃」みたいなコメディ要員。「映画を見る会」がVHSテープで「白熱」「四十三丁目の奇蹟」「カサブランカ」「自...「カラオケ行こ!」

  • 「ゴジラ-1.0/C」(白黒版)

    カラーと白黒の両方の版があるのとしては比較的最近では「マッドマックス怒りのデスロード」があるが、技術の進歩のせいか初めから白黒用の照明で作ったのかと思うくらい微妙な画調が出ている。今では白黒映画は「せかいのおきく」「花腐し」などそんなに珍しくなく、フィルムだと最初から白黒用のを用意しないといけないわけだが、デジタルだともう少し手前が省けるのではないか。知らんけど。フィルム時代の「マスターズ・オブ・ライト」のデジタル版みたいな本が出ないものか。白黒だと第一作の、特に生中継しながらゴジラに襲われる場面のオマージュが生きる。焼け跡のセットの質感も白黒ならではの抽象化をいったんくぐり抜けたリアル感がある。余談だが、1954年のファースト「ゴジラ」の三年前の1951年、日本映画初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」で...「ゴジラ-1.0/C」(白黒版)

  • 「ミークス・カットオフ」

    西部開拓史を描いているには違いないが、虚像を剥いでリアルな実像をさらけ出すといったニューシネマ的な手つきではなく、男たちが世にもあやふやなまま道を決めて、それに女たちはついていくしかないという先の見えなさがそののまま「現代」の見通しになっている。「ファースト・カウ」もそうだったが、1:1.37のスタンダードサイズ。「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」もそうだったが、字幕で「先住民」ではなく「インディアン」と訳している。当時の言葉遣いを考えればそうなる。ビーバーが乱獲されてほとんど絶滅したことは「ファースト・カウ」にも言及されていた。幌馬車が崖から落ちて樽から水が漏れ、そのまま銃を向け合うクライマックスになだれ込むあたりは生死を賭けている割にどこかそれが特別なことではない感じが残る。-YouTube「ミー...「ミークス・カットオフ」

  • 「夢のチョコレート工場」

    ジョニー・デップ=ティム・バートンによるリメイクや先日公開された前日談映画と比べて人工的なルックではなく、かなりフィルムのざらっとした質感が出ている。ウンパルンパ(ウーパールーパーに似ているが、関係あるのか?)が大勢出てくるのだが、合成で増やしているのではない。というか、この時代は合成技術自体あまり発達しておらず、姿かたちが似た小さな人間を大勢出したらしい。脚本は原作者のロアルド・ダール自身だが、クレジットされていないデヴィッド・セルツァー(「オーメン」)の手がかなり加わっているとのこと。-YouTube「夢のチョコレート工場」-映画.comWillyWonka&theChocolateFactory-IMDb「夢のチョコレート工場」

  • 「サンクスギビング」

    サンクスギビング(感謝祭)といっても、クリスマスやハロウィンに比べると日本ではなじみがない。七面鳥を食べるといっても、大きすぎて持て余すだろう。クリスマスならサンタクロース、ハロウィンならブギーマンみたいな有名なキャラクターがいるが、感謝祭のジョン・カーヴァーとは清教徒を乗せたメイフラワー号の航海中の指導者で、プリマス植民地の初代総督でもあると言われてもピンと来ない。16世紀から17世紀にかけて実在した人物で、メイフラワー号というあまりにアメリカ的な史実であることが足をひっぱっている。とはいえ、ホラーとなるとすべては単なる残虐な見せ場のための口実になるのだが、犯人は誰かといったミステリ的な趣向も加えて飽きさせないのは定石。主演のネル・ヴェルラックという女優さん、ずいぶん背が高いなと思ったら1m82cm。母...「サンクスギビング」

  • 「PERFECT DAYS」

    朝早くに目を覚ました役所広司が古い木造家屋の二階の部屋から階段を降りてきて玄関から出ると、そのままドアに鍵をかけないで近くの自動車の鍵を開けて乗り込むのにあれ?と思った。玄関に鍵をかけなかったように見えたけれど見間違いかなと思っていたら、玄関のドアにはこの後も鍵がかけられることはない。仕事用の鍵がものすごく多いのが対照的。盗むようなものなどないこと、それ以前に所有欲がない、少なくともモノにたいする執着がないことを表わしているといっていいだろう。(と、思ったのだがプッシュしてから閉めると自動的に鍵がかかる仕掛けらしい。ホテルみたいで、見かけによらない)公衆のトイレを掃除する仕事、というのを聞いて、どうかすると実際にトイレを素手で地位のある人が掃除する、あるいは子供にさせて精神的な修行・鍛錬にするといったそう...「PERFECTDAYS」

  • 「土を喰らう十二ヵ月」

    都会から地方に移動するオープニングにかかるジャズが洒落ていて、出てくる食事が食材からして自分で採ってくるのが今になると凄い贅沢。贅沢すぎるくらい。室内シーンが思い切って画面を暗くして、それでいて鮮明に撮れている。沢田研二が老けてなお艶っぽい。エンドタイトルの歌がまた艶っぽい。水上勉の原作は「美味しんぼ」で名前を知ったのだけれど、雁屋哲の臭みはここではついていない。-YouTube「土を喰らう十二ヵ月」-映画.com「土を喰らう十二ヵ月」-IMDb「土を喰らう十二ヵ月」

  • 「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」

    シリーズもので時間的に遡った作りというのは今や珍しくないが、もともとシンボリックなキャラクターとして出てくるウォンカをはっきり主役に据えたのは思い切りがいい。ティム・バートン版のリメイクは今にして思うとかなりビサールなケレン味の強いアレンジだったけれど(ジーン・ワイルダー主演版はそうでもない)、今回はおとぎ話か童話っぽいテイストに寄せている。チョコレートを食べるとふわふわ宙に浮くなどファンタスティックな情景。主役のティモシー⋅シャラメは少女マンガから抜け出てきたみたいとかなり言われたものだけれど、人食い役の「ボーンズアンドオール」ですらロマンチックな持ち味を保っていたのを生かして、優男でも腐らずへこたれない。ヒュー・グラントがこれまでのウンパルンパ役とは違ってキャラクターを単一にして立てている。草刈正雄で...「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」

  • 「シャクラ」

    映画の途中から新しい登場人物が出てきたりするもので、これはシリーズものの再編集版か、それに類するものかと思ったら、果せるかなぴしっと終わらない。韓国映画の「TheWitch魔女」とかアメリカ映画の「テリファー」の劇場公開版がストーリーでいうと始まりではなくドラマ版の続きにあたるようなものだろう。これだけ登場人物や部族や国の名前で、ひどく難しいなじみのない漢字が頻出するのも珍しい。振り仮名ふってありますからね。基本アクション映画なのだからもうちょっとシンプルなのかと思った。中盤、ドニー・イェンが敵が集結している真っ只中に乗り込んでいって、敵対者たちと酒を酌み交わして縁を絶つという矛盾した儀式を行った後このまま命を落として終わるのかと半ば本気で思った。後で思うと、ここからペースが乱れる。いろいろ不満を述べてい...「シャクラ」

  • 「ダークグラス」

    盲人が盲導犬に引かれて殺人鬼に狙われる姿は「サスペリア」そのまんま。あれほどいい意味でのハッタリも効いていない。殺人鬼の姿を見せないでおくのかと思うと中途半端に顔を見せ、実は顔はもう見せていたのでしたとネタバレ?するあたりは「サスペリアPART2」なのかなあ。ダリオ・アルジェント10年ぶりの新作といってもかなり前に全盛期は過ぎている印象。-YouTube「ダークグラス」-公式サイト「ダークグラス」-映画.comOcchialineri-IMDb「ダークグラス」

  • 「アリスの恋」

    この映画の日本公開時のポスター↑では、監督マーチン・スコルセーゼと表記されていた。それが「タクシードライバー」の時はマーティン・スコシージになり、今のスコセッシ表記に落ち着いた。オープニングの人工的な大セットと赤い照明は「風と共に去りぬ」ばりで、スコセッシのシネフィルぶりを見せる。歌手として売り込もうとするアリスがものすごくダサいグリーンのワンピースといういでたちなのがかなり可笑しい。アリスがジャムがついたナイフを拭いた布でそのままテーブルを拭くのはずいぶんと無神経で、アメリカ人らしいというか。だいぶ前にテレビで見たときはクリス・クリストファーソンとの関係がハッピーエンドに見えたけれど、今見るとちょっと引っかかる。またアリスの連れ子に手を上げるのではないかと思ってしまう。ハーヴェイ・カイテルのウブな若者と...「アリスの恋」

  • 「ロアン・リンユィ 阮玲玉」

    実在のロアンが25歳という若さで亡くなっているので、それをだいぶ過ぎた主演のマギー・チャンが振り返る形で半ば自分を通したイメージで捉えている感じ。白黒サイレント映画の中の姿として交錯しながら現れるのが若くして亡くなった人の伝記映画というスタイル自体凝っている割に明快で、全体に良い意味で回顧的。-YouTube「ロアン・リンユィ阮玲玉」-映画.com阮玲玉-IMDb「ロアン・リンユィ阮玲玉」

  • 「劇場版 SPY×FAMILY CODE: White」

    今さらだけれど、時代設定が漠然と現代ではなく、おそらくスパイが跳梁していた冷戦期のイメージで、敵の母船がギガントみたい。こういうとダサいが、これも「血がつながっていない」家族の話なのね。アーニャが一応両親のことを「チチ」「ハハ」と呼ぶのが可笑しい。-YouTube「劇場版SPY×FAMILYCODE:White」-公式サイト「劇場版SPY×FAMILYCODE:White」-映画.com「劇場版SPY×FAMILYCODE:White」

  • 「TALK TO ME トーク・トゥ・ミー」

    幽霊が祟る時に相手に幻覚を見せて(東海道四谷怪談とか)その相手が殺してはいけない人を殺させるという手を使ったりするが、それに近いことを幽霊の存在を前提にしないで、使っている。イヤだなあ。-YouTube「TALKTOMEトーク・トゥ・ミー」-公式サイト「TALKTOMEトーク・トゥ・ミー」-映画.comTalktoMe-IMDb「TALKTOMEトーク・トゥ・ミー」

  • 2023年12月に読んだ本

    12月の読書メーター読んだ本の数:23読んだページ数:5291ナイス数:0エンニオ・モリコーネ映画音楽術マエストロ創作の秘密――ジュゼッペ・トルナトーレとの対話読了日:12月03日著者:エンニオ・モリコーネ,ジュゼッペ・トルナトーレ鬼の筆戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折読了日:12月04日著者:春日太一キミのお金はどこに消えるのか読了日:12月07日著者:井上純一がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか読了日:12月07日著者:井上純一安倍晋三の正体(祥伝社新書682)読了日:12月07日著者:適菜収僕らの蟹工船小林多喜二『蟹工船』より(ビームコミックス)読了日:12月08日著者:唐沢なをき黄金の服(小学館文庫)読了日:12月09日著者:佐藤泰志会社員でぶどり8読了日:12月10日著者:橋本ナオキ...2023年12月に読んだ本

  • 「ゲアトルーズ」

    ドライヤーとしては「奇跡」同様に舞台劇が原作なのだが、映画化にあたって強いては場面を散らさないでいわゆる三一致の法則(場の一致、人物の一致、筋の一致)を守り、それで映画としての簡素さ、端正さを通している。俳優はほぼ棒立ちで互いに顔を合わさずにセリフをやりとりし、カメラは簡素なパンと移動を含めた長回しで、一筆書きといった趣がある。-YouTubeカール・テオドア・ドライヤー2-公式サイト「ゲアトルーズ」-映画.comGertrud-IMDb「ゲアトルーズ」

  • 「ヒトラーのための虐殺会議」

    多くのユダヤ人の運命が、まったくの赤の他人により地理的にも意識の上でも遠いところで決められていくというコントラストが強烈。ナチスのユダヤ人「処理」案が合理的なようで歪んでいる。土台無法なことをしようとしているのだから当然。それにしてもイスラエルが現在パレスチナに対して行っている無法蛮行を思わずにいられず、後でどうするんだと思う。冒頭から気に入らない相手を下座に置くというセコい真似をしている。記録係?だけが唯一の女性で、それもひどく影が薄い。それをあえてかどうか強調しないのも「存在しない」存在の描き方としてはニュートラルなもの。-YouTube「ヒトラーのための虐殺会議」-公式サイト「ヒトラーのための虐殺会議」-映画.comDieWannseekonferenz-IMDb「ヒトラーのための虐殺会議」

  • 「ウェンディ&ルーシー」

    終始ミシェル・ウィリアムズが着たきり雀で、キュロットというより半ズボンみたいな服装で通している(意味は同じだけれど、キュロットというほど可愛くない)。ナマ脚に余裕のなさがむき出しに出ている。一見一応こざっぱりはしているのだが着替えはないと見える。日本でも今や外観だけ見ていると貧困に陥っているのかどうかわからないというが、それに近い。お話とすると、ボロのHONDA車に乗ってやってきたヒロインのウェンディがなつかれた犬のルーシーが目を離した隙に行方不明になって、見つけた時には壊れた車の修理に5000ドルとボラれるもので、一緒にはいられなくなるというシンプルなもの。アメリカでは車をなくしたら1930年代の大不況時代のホーボーみたいに貨車にタダ乗りして回らないといけないらしい。今どき公衆電話用のコインを警備員に借...「ウェンディ&ルーシー」

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、prisonerさんをフォローしませんか?

ハンドル名
prisonerさん
ブログタイトル
prisoner's BLOG
フォロー
prisoner's BLOG

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用