篤胤による神通の説明(拝啓 平田篤胤先生20)
前回の記事は、「釈尊の神通について」と題して、江戸時代後期の国学者・平田篤胤(1776~1843)が釈尊の神通をどのように評していたかを見た。そこで、今回はその続きではあるのだが、「神通」を得た理由を開示していたので見ておきたい。さて釈迦が神通自在なることは、諸経に委く見へたる中に瑞応本起経といふにその状が言みじかにいひとつてありますが、それは、欲する所の意の如くにして、復た思いを用ひざるに、身能く飛行し、能く一身と分かち、百と作し千と作し、億万無数に至り、復た合して一と為る。能く徹して地に入り、石壁皆な過ぎ、一方より現じ、俯して没し仰いで出づ、譬えば水波の如し。水を履み虚に行き、身、陥墜せず、空中に坐臥するは、鳥の飛翔するが如し、立て能く天に及び、手に日月を捫し、身を涌して平立し、梵自在に至て、眼能く徹...篤胤による神通の説明(拝啓平田篤胤先生20)
2022/09/30 09:26