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ほぼ四半世紀前の、ヴァルデモサのショパンの部屋の写真を引っ張り出してみた。マヨルカ島のカルトゥーハ修道院。1838年12月15日から翌年2月11日まで、ほんの二ヶ月足らずの滞在だ。「雨だれ」のことはもう言うまい。ポロネーズ「軍隊」も。でもスケルツォ第三番、あの鬱屈した八つ当たりじみた冒頭から、浄福のアルペジオ、そしてアウステルリッツの三帝会戦の終盤のような怒涛のフィナーレ、これを喀血しながらショパンが作曲したのか、とほとんど呆れてしまう。なぜ古い写真を引っ張り出したかとい