chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
ふうこ@養生ごはん日記 https://note.com/fuuco19/

コロナ後遺症になり、日々の食事が身体に与える影響を改めて考えています。一汁一菜を基本に、旬の食材や素材そのものの持つ力を身体に取り込んで、食事中心に養生していく記録です。ギターやピアノ弾き語りによる演奏リハビリも同時に記録しています。

ふうこ822
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2024/12/01

arrow_drop_down
  • コロナ罹患〜コロナ後遺症療養記(当時の覚え書き原文を元に)

    3年経った今、プライベートな覚え書きを、わざわざ公開しようと思った理由 コロナ後遺症を発症し、療養生活が始まってから3年が経過しました。 今回、個人的な記録を公開しようと思ったのは以下二つの理由からです。 ・コロナ後遺症患者の置かれた実際を(その一例を)少しでも知っていただき、理解につながればありがたい。 ・かなり症状が辛かった私も、ここまで回復してきたということを証明したい。 当初は、本当に戸惑いが大きく、受け入れることすらできませんでした。「なんで?まさか、そんな・・」という気持ちが大きく、”なんとかなるだろう” ”治るだろう” と思っていました。 この記録は、後遺

  • 新しい朝の空気を吸って、一歩一歩行こう(ヒノキのまな板で切るチンゲン菜の音に癒される)

    今朝は、ずっと「ラジオ体操の歌」が頭に響いていた。 当たり前のように、昔から何気なく知っていたけれど、改めて思い出してみると良い曲だ。「健やかな手足を」という歌詞だけ少しひっかかるけれど。 私の人生で絶対に欠かすことのできない大切な人「歌さん(全身性障がい者:脳性麻痺者)」は、手足が曲がっていた。身体も真っ直ぐに伸ばすことはできない。2番の歌詞にある、「健やかな手足 この広い土に伸ばせよ」は、歌さんが聞いたらきっと「曲がった手足でも良いじゃない」と言うと思う。歌さんは、「曲がった手足」から素晴らしい多くのものを生み出していたから、「健やかさ」とは、「伸びるかどうか」ではないよなぁ・・な

  • 2025年はゆっくり確実に幕を明けてゆく。(元旦に家族で頂き物の沖縄そばを食べた)

    お正月気分もどこかへ遠のいてゆき、日常が戻ってきつつあるここ数日。 "仕事始め" を無事に迎え、新年2日目の出勤をなんとか終えた深夜に思う。 今年のお正月は、とてもゆっくり過ぎて行った。大晦日から元旦にかけて流れる時間も、とてもゆっくりだった。一人静かに迎えたこのひと時は、見慣れた景色を眺めながらしみじみと歩く時間のようだった。去年と今年の間にかかった橋を渡って。 私は、2025年をどんな風に生きていきたいのか、ずっと考えていた。同じ時間をどんな人と歩きたいのか、誰と何を感じていたいのか。ぼんやり、時に積極的に自問自答。そして、答えは出た。 ”私は、私自身を大切に生きる一年にした

  • 一年はドミソミド。時間を忘れ過ごす大晦日(病み上がりに甘くてあったかい、お汁粉を)

    一昨日の夜、直前まで元気いっぱいだったミニ子が発熱した。この時期は、色々ある。毎年。でも少しづつ強くなっているのは感じる。実際、38度を超えていた体温は、一晩で37度まで下がった。ミニ子の体は、回復へのエネルギーを奪わないよう、ちゃんと食欲を落としていた。翌日の昼前、「フレンチトーストが食べたい」ふいに沸いた食欲。りんごくらいしか食べていなかった身体が、自然と求めたものを食べさせてあげたかった。しかし、我が家には「パン」がなかった。近くに住む家族が「なんでも言って」と連絡をくれたので甘えた。近くといってもアクセスは悪い。それでも、すぐに玄関先まで届けてくれた。熱のあるミニ子一人置いて出

  • 真っ青な空に富士山を見た。(大掃除をして心晴れやかに夕飯を作る。)

    登ったばかりの太陽の光を浴びて目覚める朝。2022年の早春から秋にかけて、私は光過敏の症状が強く出ていたので、太陽に当たることができず部屋の中でもカーテンを引いて寝ていた。こんなにも温かい太陽の光に、また包まれることができるとは。「陽はまた昇る」という極限にシンプルなフレーズが、あの頃の思い出と共に胸に迫ってくる。良いことも、悪いことも、自分の想像を超えてくるのが人生だなぁ。な~んて思っていたら、朝の冷たい空気にぶるぶるして、一気に目が覚めた。 朝の太陽。 今朝は、予定を決めていた。昨日、母に届け忘れたポテトサラダを朝ごはんを食べたら届ける、と。ついでに、昨夜揚げたアジフライと茹でイン

  • 夕陽の温かな光に全身が包まれて、芯から温まる。(朝から母のために料理をする喜び)

    今年もあと3日。ここまで来ると、1日1日が愛おしい。 昨夜、「腰痛が悪化し動けなくなった」という母からの連絡を受けた。私がコロナ後遺症で寝たきりを過ごしていた時、誰よりも側でサポートし続けてくれたのは母だった。保育園の送迎など全くできず、1ヶ月以上、休ませるしかなかったあの頃。母は全てを投げ打って、私たちを支えてくれた。自分に対するヘルプはあまり積極的に求めない人。その人が腰痛で苦しんでいるかと思うと、すぐにでも駆けつけたい気持ちだった。翌朝(今朝のこと)早速、動けない母へ、少しでも何か差し入れよう、ということで、ほぼ午前中いっぱいを使って料理した。大したものは何もできないけれど。ご飯

  • 今年最後の音楽時間に、人生の贈り物を。(納豆ご飯を食べ、食後の八朔に親子で歓喜した日)

    年内最後の鍼治療を受けた今日。私には鍼治療あってこその回復であり、今なお支えられていることを身に沁みて実感している。師走の街を行き交う人々は、忙しそうな様子とは裏腹に、どこかホッとした顔をしているように見える。何はともあれ今年ももうすぐ幕を閉じる。誰にも平等に、新しい一年がまたやってくる。私は、幕開けを遠くに見据えながら、今できることをしようと決めた。 きっと今日は、今年最後の音楽時間を持てる日になりそうだった。そう思った時、どうしても歌いたい歌があった。昨夜からその歌が心に響いてきて、まるで自分に語りかけられているように、近くに感じた。時々、ふいに「自分と向き合う時間」が出現する。

  • ろうそくの灯りのもとで讃美歌を歌う。(帰宅してすぐにミートソースを作り、頂き物のケーキをデザートに)

    ついにこの日がやってきた。今日はクリスマス。そして、2024年の仕事納めの日。本当に、紆余曲折あった。泣いた日も、挫けた日も、絶望しそうでもがいた日もあった。同じだけ、笑わされて、励まされて、背中を支えられてもきた。 そんな今年は、去年より働けたという「実感」を持って締めくくることができた。今日の午後は、ほぼ立って仕事をした。難なく終わることができた。この後、数日後にやってくるかもしれないPEMが出るか出ないか、それが問題ではあるけれど、一旦喜びを持って今日を終わろうと思う。 職場の同僚や上司、関係者の方々にも本当に助けられてきた一年だった。来年こそもう少し働きたい・・という思いが沸々

  • 子どもたちの夢見る力によって、大人も魔法にかけられる夜。(昨日揚げたアジフライをリメイク丼に、そして私には三食丼を作る。)

    今年もこの日を迎えていることに、一人でしみじみとする夜。 昨日の夜、ミニ子は言った。「明日はサンタさんがくる日だね」 「でもね、ミニちゃん必要なものはぜんぶ持ってるから、何もいらないの。だから、世界中から戦争をなくしてほしいな。」 「でもきっと、サンタさんも普通の人間で、そんなお願いお手紙に書いたら困っちゃうかもしれないから、お手紙には書かないの。」 「心でずっと思っていて、それを他の人にも伝えてこうね」「そうすれば、同じ気持ちになってくれる人もいるかもしれないね」 今朝のnote記事より引用 昨日の夕ご飯時、こんなやり取りをしていた。今日の夕飯の時、ミニ子はまた言った。「あ〜ミ

  • 熱い想いで日々は続いてゆく(特別な土地で作られた新米を、かみしめていただく)

    年末も押し迫り、通勤ラッシュは嘘のように消えた。空いている座席も増えて、朝の時間がどこかのんびりしてくるこの季節。2022年が明けて程なくした頃、コロナウィルス感染症に罹患し、後遺症を発症した私は、約1年間は電車になど乗れなかった。それが今、人々が年末のお休みに入る頃に、こうして電車に揺られ出勤できている。自然と涙が出そうになる。 昨夜は、14日ぶりにnoteを書かずに寝た。 明日が2024年の仕事納めになるため、最後まで何事もなくこなせるよう、早めに床についた。 睡眠を抜きにして回復を語ることはできない、と思うぐらい、『良い眠り』は、身体本来の持つ回復へのプロセスを、驚くほどの推進

  • 夜明けの月と、真昼の太陽。どちらもたっぷりの恵みを与えてくれる。(イベントで朝から外出した日は、納豆ご飯がバッチリ合う。)

    何ヶ月も前から、待ちに待った今日。娘にとって大切な日。朝からそのために支度して出かけた。数ヶ月前から始めた、とあるスポーツの大会。 会場までは、一緒に出場する友人ファミリーが車に乗せてくれた。ありがたい。 子どもたちのワクワク、ドキドキした気持ちが伝わってくる。観戦するだけの私たち大人も、手に取るように伝わるその気持ちや想い(これまでずっと練習を重ねてきて感じるもの)に溌剌とした緊張感を覚えていた。 今日の空は、その気持ちにぴったり。気持ちが映し出されたような、真っ青な快晴だった。 朝の9時頃の空。朝、6時半頃の空。夜明けの月が白く映って美しかった。地球が映し出す光景には、感動

  • 冬至の太陽の柔らかい光を浴びて。(塩蒸しカボチャを作って、柚子湯に入る)

    どれほど身体が休息を求めていたのだろうか。今朝は普段より2時間遅く目覚めた。「休みの日だし、朝の富士山を見に行きたいな〜」なんて眠る前は少し思ってみたりしたけれど、起きてみれば8:00!!!びっくりの大寝坊だ。 飛び起きた私の隣には、先に起きていた娘が最近大ハマり中のブラックジャックを片手に「おはよう〜おやすみの日だからゆっくり眠れてよかったね〜」とニコニコしてた。でも続いて出た言葉は「お腹すいた〜〜〜」 さっ、一気にスイッチが入って朝ごはんの支度。大急ぎだったから目玉焼き丼にした。食べた娘は「今までの朝ごはんの中で一番おいし〜〜〜」と喜んでいた。 黒米入りご飯にサニーレタスを広げて、

  • 週末を迎える今日、安堵を持って過ぎてゆく(野菜たっぷり鶏団子鍋で身も心もぽかぽかになる)

    今朝は、身体がクタクタだった。目が覚めてもしばらく布団から出る気力がなく、タイムリミットが迫る中、「あぁ、寝ていたい・・(休みたい・・)」と思いながら起き抜けの時間が過ぎていった。でも、寝たままでは身体の調子も分からない。本当に体調が悪ければ休めばいい。そう思って、起き上がった。 朝の散歩は、ここ数日行けていない。ベランダに出て野菜たちに挨拶することも、2日連続できてない。 朝の支度は早かった。いつもより、時間が少し余ったくらいだった。 自宅を8:20分前には出発して、最寄り駅までいくつもある信号は全て「青」。 正直、信号で止まって休みたかった気持ちが強く「あぁ〜またgoサインが出た

  • 今日の私に必要なものは、これだ。(午後から、気を失いそうなほどの眠気に見舞われ、帰宅して黒米入り玄米甘酒を飲む)

    今週は、振替出勤を入れ込んだため、週4日出勤となっている。月・火・木・金。 明日は、今週ラストの勤務日。現場復帰ができていない私へ、なんとか事務仕事を繰り出してくれている職場には感謝しかない。新しい年を迎えるにあたり、そろそろ徐々に現場復帰をしていきたい、と希望を持ちつつ今日も「今できること」に集中した。 しかし、今日は午後から眠くて仕方がなかった。そんなに夜更かしもしていないし寝不足というほど寝てなくもない。この異様な眠気は「危険!」と知っているので、帰宅後は後に回せることは全て放棄して、子どもが帰宅するまでの15分間、目を瞑る事にした。と、その前に。甘酒を一杯。飲む点滴、体に沁み

  • 生きてると、ご褒美みたいな良い日って必ずやってくる。(電気圧力鍋で、おうちカレー)

    久しぶりの休みの日。今日は特別嬉しい日。ずっと会いたかった人に会える日。 機器さえあれば、オンラインでいつでも繋がることができる今の時代だけれど、直接会うって、別次元だ。会ったからこそ伝わってくるものが、感動的なほどある。 普段は電動自転車で走り抜ける坂道を、自転車を降りて歩いた。 美しい木々たちの世界を歩いて登った。 楽しい時間はあっという間というけれど、うっかり、帰る時間を忘れるほどだった。同じ苦しみや悲しみを知っている人たちからだけ感じる温度があって、何にも変えがたい。 人生で起こる様々な出来事の中で、「悲しみ」「苦しみ」「痛み」の経験。その出来事そのものを、手放しで「良い経

  • 好調続きの時ほど、浮かれず、慎重に、ゆったり構える(大好物のいりこの佃煮を食べる)

    なんでもない道を彩る紅葉は、命ある全ての者へ、地球からの贈り物だな。 今日も、無事に通勤し仕事をすることができた。 実際は光が当たって、もっともっと美しい。 今夜も、油をできるだけ減らした料理。キャベツと豚肉の蒸し煮にした。 味付けは、すりおろし生姜、醤油、みりん、酒、麺つゆ 今夜の副菜は、作り置きおかずの「こんにゃくの炒め煮」と最近ハマっているお弁当おかずの定番「竹輪の甘辛煮」そして、大好物「いりこの佃煮」をたっぷり乗っけて食べた。これ、親子で大好物! ヘルシーさ際立つ。これ、最高に美味!お弁当おかずが足りないときに、チャチャっと作れて夕飯の副菜にもなる、竹輪の甘辛煮。 そして

  • 月光に魅せられて(今夜のメインは秋刀魚)

    今朝は、布団の中で何回目覚まし時計を止めただろうか。気がつけば、時刻は6時半をまわっていた。 というわけで、朝の散歩はお預け。(出勤日につき)そんな日は、ベランダに出てカブたちに「おはよう」を言って、いつも散歩する方角の空を眺めて、朝の深呼吸。 気持ちが良かった。 スッキリとした空だった! 職場では好調そのもの。頭痛はあったけれど、ミントオイルをつけて簡単な指圧をしていたら、いつの間にか気にならなくなった。そういえば、この夏、毎日のように頭痛に悩まされていたとき、ホーリーバジルの生葉の香りで和らいだことが何度もあった。そのままお茶にして飲んだりもしたな。頭痛の日々は辛い思い出のはずなの

  • たくさんじゃなくていいから、”ほんの少しずつ” を、ずっと続けていきたい(アドベントを迎えて家族で食卓を囲む)

    クリスマスまで後10日という今日。家族で過ごすひととき。 一年の中で、この季節が一番好きです。これまでを振り返り、これからを思う。 0から再び始まるような、そんな心持ちになる。 毎年違うイラストが楽しい。 毎年、母から贈られる恒例のクリスマスヨックモック。これを見ると、いつも心が温かくなる。 昔、松代でのフィールドワークへ参加した。 キムの十字架。おばあちゃんから孫へのプレゼント。読書好きな子にとって、大切な一冊となりそう。 大事なこと、知らなければいけない史実、それを知ろうとする心。 見守られ、育まれ、ゆっくりと「自分」を形成していってほしい、そう願っている。 朝の光

  • 自分たちで作る、手作りの時間。(栄養満点のスムージー)

    土曜日の朝。平日とは違って、ゆっくり過ごせる朝時間を満喫。 散歩へ行って、富士山を眺めて、ベランダ菜園でカブとニンジンの収穫をした。 純白の富士山は本当に美しい。 イチョウのじゅうたんの上は、歩くだけで楽しい。イチョウの中に楓がひとひら。生まれたての今日の太陽の光を浴びる。 カブの葉っぱ。美味しそう〜金町小カブとミ二人参を収穫。小さな種からぐんぐん育ってました。綺麗に洗って、並べると愛おしさ倍増。夕飯まで水に浸します。 毎日飲んでいるスムージを今朝も作った。 抗炎症作用のあるスピルリナと抗酸化作用や整腸作用のある米糠。この二つは欠

  • 鍼治療を受けた私が、リペアから帰ってきたギターで歌う。(今夜から煮物中心の食へ)

    3日連続出勤をなんとか乗り切り、今日は2週間ぶりの鍼治療へ。 「感染症によって炎症を起こし、焼け野原になった身体は、インフラがめちゃくちゃになったようなもの」と先生はよく話されている。そんな、身体に、鍼は本当によく効く。 私は、2022年の9月末から鍼治療を始めた。以来、毎週(もしくは隔週)通ってきた。 後遺症の治療を始めた当初は、良さそうなことをなんでも試した。サプリも然り、漢方も然り、様々な療法も然り。でも、1年間しかない休職期間満了で、やむ無く復職、となったタイミングで傷病手当金の支給終了。。(心の底から深いため息) そこから、「鍼治療一本で行こう」と決めた。そう思えたのも、私

  • 希望は灯し続けるもの。(連続出勤3日目の夜。)

    今朝は、6時起床でご飯を炊いた。お米は昨夜のうちに水に浸しておいたので、ザルからあげて、すぐ土鍋にうつし、3合のお水を入れ15分。ほっかほかのご飯が炊けた。 おこげ具合もちょうどよく。 ご飯を炊いた代わりに、今日は朝の散歩に出られなかった。 出勤日の朝は忙しい。洗濯機を回して、朝ごはんの支度をしてお弁当を作る。洗濯物は出勤時間までに干して、洗い物を済ませ朝ごはんを食べる。ゴミ出しや子どもの身支度のサポートその他、朝の時間はその日によるけど基本的に忙しい。 散歩に行くなら6時半までには帰宅してないと、8時15分の出勤時間までに全部はこなせない。 そういうわけで、今朝のお散歩は、お預

  • 良い時も悪い時も、連なるメロディのように響かせたい。(連チャン出勤2日目にして、『豚肉と白菜のとろみ生姜炒め』を作る)

    朝焼けを見ることができた今日。とても美しくて、一日の幸運を、朝の時間に全部もらった気がした。 連チャン出勤も二日目。無事にクリア! というより、軽々クリア。調子の良い日を更新中。 コロナ後遺症を抱えつつも、こうして調子の良い日を、嬉しく喜びを持って迎える。それこそ、もしかしたら、ものすごくかけがえのないことなのかもしれない。そう近頃は思い始めた。だって、調子の良い時がものすごく嬉しいから。 身体が思うように動くこと、脳の不快感がないこと、音や光が必要以上に気にならないこと、(だからこそ)人との会話が楽しめること。 そんなことで、有頂天になるくらい嬉しいなんて、健康な時にはなかったから。

  • 肩の荷を降ろし、あるがままに。(夕食に鶏胸肉の照り焼きを)

    今週は、三連勤にチャレンジ。今日はその初日。明日明後日も乗り切りたい。 健康だったころには当たり前のことが、今ではとても大きな挑戦。一歩一歩を慎重に踏み出している。そうやって成功体験を積み重ねていっても、突然のように足をすくわれる。振り出しに戻されたりする。 だから何度もスタートを切る。 そこが罹患前と大きく違うところ。調子よく走り始めても、一定速度で継続しない。安定した回復はしない。 落とされたり上げられたり。 一直線ではなく、文字通り紆余曲折。 それを認めて、受け入れることが、今ようやくできてきた。 そんな毎日では、調子が良い日が飛び抜けて光って感じられる。 今日がそんな日だった

  • 種蒔き(スナックエンドウの種を蒔いて、有機ネギの苗を植えました。)

    スナックエンドウの種を蒔きました。スナック753という品種で寒さに強いという。発芽の目安は、10日〜半月。ベランダに出る楽しみが増えるってもんです。 青い着色の種にはじめは驚きました。 有機ネギの苗も植えました。 パルシステムで注文した有機ネギの根っこを4センチくらい残して切ったものです。プラ板に書いた名札 金町小カブも元気 種を蒔く人がいるから、私は食べることができるし分かち合うことができている。我が家の小さなベランダ菜園だけでも、豊かな収穫があるのだから、日本の食卓を支えている農家の方々には頭が下がる思いがしてきます。種を蒔く人を大切にする国であってほしい、と心底思う。

  • 返事は来なくたっていい。声をかけることの喜びを感じて生きる。

    美しい季節 遠くの名所まで行かなくても、すぐそばにある彩とりどりに魅せられる。 早朝の散歩で、道ゆく人へ思いきって挨拶してみた。 一本の道をすれ違う時、「こんにちは」なら言えるのに、なぜかまだ周りがシーンと静まり返った早い時間の「おはようございます」は、なかなか声が出ない。だから、思いきって「おはようございます」を言ってみた。 犬を連れた年配の女性は、少しこちらを見て軽く会釈された。「おはようございます」の交わし合いはなかった。それでも、早朝、同じ時間に道ゆく人へ挨拶ができた。それだけで、その日の始まりに、私は十分な喜びを感じた。 返事は来なくたっていい。 こんな朝早くに、同じ道を

  • 夕暮れを待って、星を眺めよう(時にはパスタの夕飯を)

    出勤再開して2日目の今日。 職場では、日々様々な“予想外” がある。仕事をする、というのはそういう事だ。 “想定していた範囲を超えた負荷”を避けられない日もある。 健康なら耐えうるものも、コロナ後遺症の自分には相当のダメージとなる場合が多い。 現に今日、帰路につき最寄駅に辿り着いた頃には、疲労感と眠気で歩くのもやっとだった。 朝から、夕暮れを待つ思いで仕事していたので、今日の夕焼けは、特別心に沁み入った。 (「よくやった、自分」)と、心の中で思いながら、しばし見上げた空。 つるべ落としの秋の夕暮れは、瞬く間に消えてゆき、空にはお月さまが登ってた。 月と金星のこの位置関係が好き。新月

  • 助けは意外とそばにあるもの(出勤日の救世主 『牛丼の具』)

    風邪と中耳炎でコロナ後遺症そのものの症状も増悪してから約2週間 ようやく出勤に漕ぎ着けた朝 出勤できたのは良しとしよう。だがしかし、復帰直後の体力と同程度まで後退し、職場にたどり着くだけでへとへと。通勤もすごく時間がかかった(早く歩けない)業務速度も相当落ちてた。 当然、帰宅後の夕食作りは無理かと思われた今日の救世主は・・ これ! 『なか卯の牛丼』 パルシステム購入品! 帰宅後、まずはご飯を炊く。 そして、野菜たちを切る。 すぐ炊ける喜び。朝の私よ、研いでおいてくれてありがとよ〜 野菜が美味しい季節。有機栽培のネギは、根っこを残して切りベランダ菜園へ植えます チンゲン

  • 急性中耳炎になったからこそ、できた時間(ごま塩作り)

    先月の下旬に、突然、眠れないほどの痛みが耳を襲い、翌朝、耳鼻科を受診すると、「急性中耳炎」ということでした。 熱も出るし、めまいはするし、コロナ後遺症の症状も増して欠勤続き。。 調子の良い日々を更新中だっただけに、「中耳炎?!(人生初だよ・・)」と落ち込み気味。揺り戻される後遺症の症状にはだいぶ慣らされてきていましたが、聴えにくさと痛みは、否応なしに気力を低下させました・・ そんな中、思い立って、ごま塩作りをしました! 玄米ご飯に必須のごま塩を切らしていたので、やっとやっと作れました。 最近は、ごま40gにお塩を10gで作っています。 まずは、お塩を炒って、水分が飛んでサラサラ

  • どんな「今日」も、二度とない時間の連続を生きてる(カブの収穫)

    10月に蒔いたカブの種。立派な葉っぱをたくさんつけてフサフサしていたので、間引きの意味もあって、少し収穫しました。 根っこが膨らんで可愛らしいカブが、ちゃんとできてました。 後ろのまん丸三つは、解凍中のピザ生地(今回の記事とは無関係ですw) 早速、夕飯のちらし寿司に塩揉みした葉っぱを投入 みずみずしく青々とした色合いを見てるだけで、食欲が湧いてきます。 水につけたらイキイキ復活。シャキ〜ンとなった。細かく刻んでカンホアの塩で揉んだカブの葉っぱこれだけで十分に美味しそう! ご飯は炊き立て土鍋ご飯。蓋を開ける瞬間が好きです。 お米が美味しいこと、それだけでとても幸せになれます。あ

  • 繋がり合う仲間として

    後遺症を経験している人達の多くが、人の辛さを我が身のように感じ、励ましを送り、回復の喜びや束の間の幸せがあれば、自分の事のように心よりの祝福を送り合う。 そんな様をTwitterで何度も目にしてきました。 これからの世界は、こんな豊かな心の有り様によって、少しずつ変わっていくのではないかと思えてくる。(2022年11月7日 Twitterへの投稿より) 2022年の2月にコロナ罹患し、その後すぐ後遺症になった私は、Twitter(現X)の中で様々な交流をし、情報をいただき、支え合う仲間の皆様に出会えた。 同じ病を持つ者同士、分かち合えるものがたくさんあった。それは、病の症状だけ

  • 誹謗中傷を受けて皆様へお伝えしたいこと

    この件に向き合うにあたり、共同代表を退いた経緯や会の運営に携わった当時のことを振り返って皆様にお伝えしたいことがいつくかあります。 はじめにこの文章を書こうと思った時は、誹謗中傷に対する「反論」いわば憤りの感情がほとんどを占めていました。ですが、こうやって振り返ってみたときに、今一番伝えたいことは、皆様へのお詫びです。 信頼しご寄付をしてくださった方、署名をしてくださった方に対して、私は退会を伝える投稿で一言も「お詫び」をしていませんでした。 その点も含めて、改めて、役割を全うできずまたその経緯をきちんとご報告できなかったことについてお詫びいたします。 私は、

  • 「全国コロナ後遺症患者と家族の会」の現代表による誹謗中傷に関する協議結果のご報告

    ◉まずはじめに 日頃よりXを通じて交流をさせていただき、本当にありがとうございます。 私は、この件について、6月7日に意見を投稿して以来、今日まで沈黙をつらぬいてきました。「全国コロナ後遺症患者と家族の会」(※以下、「患者会」とします) との協議が続けられていたため、お話しできる段階ではなく、何も申し上げる事が出来なかったからです。 そのような中、心あるお声がけをしてくださる方々に対して、何もお伝えできず心苦しく思いながらも、励まされていました。温かい言葉をかけてくださったこと、改めて、感謝申し上げます。 今やっと、「患者会」と話をした結果をご報告させていただくことができます

  • ブレーメンの音楽隊

    コロナ後遺症の多岐に渡る症状の中でも、一定数の人が悩まされている「感覚過敏症状」 私は、香りや音、光に過敏性が発現しました。 今回は、その中でも「音過敏」について書いてみます。 コロナに罹患後、後遺症を発症し様々な症状が残り、辛いと思ったことは多々あった。 その中でも、ダメージが大きかったのは、好きな音楽が聴けなくなったことだった。聴けないのだから、楽器演奏や歌うことなんて、この先もうできないんだと思ってた。一年以上、その絶望感の中にいた。 後遺症の回復過程については、前回少し書きましたが、寝返りすら打てない程のひどい倦怠感が少しづつ軽減していっても、音を楽しむためになくてはなら

  • 自分が自分にしてあげられることを、今は精一杯やってみる。

    今の私は、思考がなかなかまとまらなかったり、物忘れも多いけれど、 ふっと突然、いいこと思いついたり、素敵な考えが浮かぶ事もある。 そんな時は「私の脳みそも、今すごくがんばってるんだなぁ」と思う。 コロナの影響をこんなにも長く受け続け、たった数日で生活が一変するとは、きっと誰もが想像していなかったはずで、 苦しい時期が長ければ長いほど、この先の事を考えることすら、しんどくなったり。 私も、この先どうなっていくのか先が見えず、手探りで過ごしてきました。 それでも、最近になってよく思う事があります。 この今が、この先の、未来のどこに繋がっているかまだ分からないってこと。 苦しんでる

  • あわてんぼうのサンタクロース

    よく晴れた日曜日の朝、ずっと行きたがっていた場所へ行ってくることができました。 思えば罹患から丸9ヶ月目。杖は使ったけれど、車椅子ではなく自分の足で6,642歩も歩くことができました。日頃の散歩でも試していたことが功を奏し、いくつか自分との約束事をしました。 ゆっくり歩く、立ち止まる回数を増やす、疲れたら座る(アウトドア用の椅子を持参)、もう少し大丈夫そうという手前で引き返す このことを全て守れば、必要以上のエネルギーを使うことなく、景色を楽しんだり自然の音に心地よさをもらったりしながら、むしろ五感的なエネルギーを補給しながら歩くことができました。 寝たきり期 2月〜4月まではほ

  • 勇んでnoteを始めたけれど、なぜ...

    勇んでnoteを始めたけれど、なぜかコメントだけができません… 自分のブログに頂いたコメントへ返信するコメントもできません… 運営側に問い合わせましたが該当する要件はなく解決しませんでした…分かる方いたら教えてください「コメントに失敗しました。再度やり直して下さい」のエラーです。 ふうこ822@養生ごはん日記

  • アメブロから引っ越してブログ再開

    久しぶりのブログ。 日々のこと、後遺症になって生活が一変しながらの暮らしや体調のこと、治療のこと、 書いてみたいと思いました。 これから、思いつくままに、できる日に少しずつ 記録していけたらいいな、と思ってます。 よろしくお願いします。

  • 呼吸リハ music therapy version(ギター&口笛)

    呼吸リハというものが、今、後遺症患者の間ではとても熱いです。 自分で自宅で取り組めて、すごく効果を実感できる素晴らしいリハビリです。 今や後遺症治療のパイオニア的存在、平畑クリニックの平畑光一医師と鍼灸師の野崎真治先生が考案されたもので、多岐にわたる症状に苦しんでいる、後遺症患者に寄り添った内容。 私も日々お世話になってます。 後遺症になってからというものの、すっかり音楽から遠のきっぱなしだったこの間。 罹患後、4ヶ月経ったある日、ふと思い立って口笛を吹いてみました。 苦しくて息が続かない、酸素飽和度測ると、92とかをたたき出す。 脈も鼓動が分かるほど上がり、120超え。 焦って

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ふうこ822さんをフォローしませんか?

ハンドル名
ふうこ822さん
ブログタイトル
ふうこ@養生ごはん日記
フォロー
ふうこ@養生ごはん日記

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用