この世界はぜんぶ相対的にできている。 片方だけ知ることはできず両方を経験して初めてわかる世界。 おいしいりんごを知りたければおいしいりんご自体とまずいりんごを知ることが必要。 痛みを知りたければ痛み自体と痛みがない状態を知ることが必要。 歩
ただBGMを聴くためだけに訪れる場所がある。 店内の状況は日によって違うし求めてる曲が必ずしも流れるとは限らない。 だけど、どうしても聴きたいから毎週のように訪れている。 あの日は、婦人15名ほどの集団がお茶しながらザワザワしててBGMはか
崖っぷちとか屋上で落ちそうなひとを支えてるシーンがある。 崖や屋上が崩壊したら諸共…と思う。 ひとを助けたければ自分は安全な場所にいるのがいい。 だけど安全な場所にいると落ちそうな状態の危うさを忘れる。理解しているけど、体感がない状態。 テ
ある程度安全なところにいるとき たとえば定職があって味方がいて自分の時間があって 安全なところにいれば、何だってできる。 ひとにアドバイスをするのも人の幸せを祈るのも日常生活だって「ふつう」にできる。 だけどそれがないとき見えなくなるとき「
「すべては起こるべくして起こってる」という話を聞く。 すべては必然だ、と。 魂の成長とかそういうことを言う人もいるけど そしたら自ら命を絶つこともそれを目撃することも必然だったということか? ショッキングな場面に関わることや後処理をすること
世界はすべてつながっている。 たとえば今日、ひとりで歩いている道は誰が作ったものだろう。 そこに道が必要だと考えた人がいて道を作って舗装して。 舗装の材料はどこから来た?重機は誰が作った?どこから燃料持ってきた?作業員の食事は誰が提供した?
たぶん、平穏が幸せと限らなくて ほんの少しの希望を残しつつ着実に崩壊に向かう不穏の空気にかけがえのない幸せを見いだして 崩壊した日常で蓄えた幸せを思い出すとき 心揺れる中、いちばん強く幸せを感じるのかもしれない。
それは秘すべきものだ、と一度は顧みなくなった世界。 感情とは言えないような感情のような世界。 ひとつは、空気感ひとつは、限りある時間
これがいちばん大切だと思う。これを何とかしたい。ここだけでも解決すれば…こうしたらいいんじゃないかな? そういう思いに日々翻弄されながら でも まるで違うところに世界は流され本当の道はつながっている。抗う術もないままに。 思いは氷。 絶対宝
あの日、あの人は泣きながらだけど迷いなく剣を振り下ろし…何だろ何か、断ち切ったんだ。 すると、蝶は舞い飛んだ。蝶は、自由に羽ばたいていた。
この世界はぜんぶ相対的にできている。 そこにあるように見える風景 山、木、川、橋、花に集う虫たち街灯、建物、道路、公園ねこ、空き缶、パン屋さんの看板通り過ぎる車の風タイヤが砂利を噛む音遠くの駅の、電車の到着を知らせる光 そして 同じような場
放散痛はミスリーデング。 上奥歯の虫歯で下顎が、胆石発作で右肩が、腹痛のときは太ももが痛くなる。 体感したことないけど心筋梗塞では左腕や左顎が痛くなることもあるらしい。 原因は「痛い」場所じゃないってけっこうある。 そういうときって思考を一
怒ることはすごいインパクトあるけど、しばしば表面的だと思う。 たとえば、連絡もなく30分遅れて来た相手が謝りもせず平然としていると、「何分待ったと思ってるんだよ」と怒ることがある。 現象は怒っているけど、よく考えると待っている間、来るかどう
怒ることはすごいインパクトあるけど、しばしば表面的だと思う。 たとえば、連絡もなく30分遅れて来た相手が謝りもせず平然としていると、「何分待ったと思ってるんだよ」と怒ることがある。 現象は怒っているけど、よく考えると待っている間、来るかどう
愛とか神とか 「愛」とか「神」という言葉は現象に呼称を与えるための学びだと思う。 人にこれだ、と伝えるためのお役立ちツール。 一方で、たぶんみんな知ってる。 愛を語らないものに愛を感じ神を語らないものが、神ってる。 呼称を与えずただ大切に心
テスト テスト テスト テスト テスト
テスト テスト
同じだけど、ちがう木 先月「キンモクセイ」と紹介した木。 花は ぜんぶなくなってそれと言われなければパッと見はわからない。 ただ静かに立ってる木。虫たちも居ない。立ち止まって眺めてるのは 私だけ。 なんかね。 昨夜、汐留でイルミネーションを
この木は キンモクセイ。今 すごくいい香り。 咲いたら すぐに萎んでしまう。10月の この一瞬だけの花。 昨日今日の雨のあとまだ 残ってるかな。また 咲くのかな。 今を 精一杯感じていたい今日この頃。 **************** 翌日
マイナスをゼロにするところから放浪は始まった。 現状の惨状はどこまで続くかわからないような豪雨の道路。 窓から見える道路は現状ワイパーは意識。 ワイパーが走ったら水が切れて車線のみえない道路が現れる。そして、すぐまた雨粒のモザイクがかかる。
いつも 限界までまだ動けるから大丈夫大丈夫って それが当然の毎日。 かけのぼってかけ降りてひとがいっぱいの電車に揺られて 自宅に帰るとこわれた ぜんまい式ロボットになる。ギシギシ ガクガク グラグラ ぼんやりしてるときあまりこれまで身体に
鳥取にいるとき「死ねばいい」と よく思っていた。 何があっても私と対象、どちらかが消えればすべては“いい思い出”になる。 ぜんぶ、ぜんぶ泡沫だ。 自分を苛むのも対象を蔑むのも意味がない。 「死ねばいい」は幸せに生きる術だった。 ということを
鳥取にいるとき「死ねばいい」と よく思っていた。 何があっても私と対象、どちらかが消えればすべては“いい思い出”になる。 ぜんぶ、ぜんぶ泡沫だ。 自分を苛むのも対象を蔑むのも意味がない。 「死ねばいい」は幸せに生きる術だった。 ということを
鳥取にいるとき「死ねばいい」と よく思っていた。 何があっても私と対象、どちらかが消えればすべては“いい思い出”になる。 ぜんぶ、ぜんぶ泡沫だ。 自分を苛むのも対象を蔑むのも意味がない。 「死ねばいい」は幸せに生きる術だった。 ということを
ホイッスルを習いに行った。 能について学んだ。日本の伝統芸能の「能」。 あの、ホイッスルって外国の笛でしょ? …いやいや。人前で演じるという意味では非常に通じるものがある、ということらしい。 **************** 能では同じ動き
コンビニのバイトをやめた。二ヶ月前に はじめたばかりだったけど。 その、もとバイト先で気になってたプリン買ってきた。 「また買いに来ますよ」笑顔で店をあとにした。 そして、ちょっとだけ振り返る。 今は、また買いに来る気でもやがて終わりにする
自転車で農道を走った。風はない。雲は少ない。遠くの山がくっきり見える。 静かだった。 自転車のタイヤが地面を噛む音がただジリジリと聞こえる。 余計な刺激がない最高な時間。 やがて 川の流れ、鳥の声そして通りの車の慌ただしい音が次々重なってい
夜道を歩いている間頭の中でずっと William Byrdの『イン・ノミネ』が流れていた。 今夜は風が強い。 虫の声は遠くにあるけどすぐそばにある、風の共鳴に阻まれている。 半月がある。近くにひとつ星がある。 光が強く、鋭く、刃物のように切
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