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2024/08/31

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  • 「豊田~みよし~日進史跡巡り⑧」みよし市立歴史民俗資料館

    日進市から一気に南へ下って、再びみよし市へ入りました。みよし市三好町陣取山にあるみよし市歴史民俗資料館に、福谷城の御城印があるかもしれないとやって来ました。みよし市歴史民俗資料館へ行きましたが、以前のイベント時に配ったもので、今はないとのこと。・・・残念。なので周辺を散策して車へ戻ることにしました。ところで陣取山の名前の由来が何だったのか?聞いて来ればよかったのに、後で調べても分かりませんでした。この当時、ネットのどこかに由来が書いてあったような気がしたんだけど。満福寺と三好稲荷がありました。陣取山って・・・?気を取り直して、今度は近くの城跡へ行きます。「豊田~みよし~日進史跡巡り⑧」みよし市立歴史民俗資料館

  • 「豊田~みよし~日進史跡巡り⑦」岩崎城と御城印

    福谷城からナビを頼りに日進市を目指していると、愛知池と愛知牧場の看板を見ました。こんな所にあるのかあ?愛知県民ならテレビを見ていると時々名前を聞く場所です。たぶん愛知県民なら・・・?その愛知牧場はすでに日進市、さらに西へ進んで行って、県道57号へ出て北上。ここからは一度走った道、ナビを見て一安心。そのまま北上して行くと右手にお城が見えて来ました。右折してお城の駐車場へ入りました。記憶にある姿です。岩崎城。丹羽氏の築城。小牧・長久手の戦いにも関わったお城です。書いてありますよ、小牧・長久手の戦いゆかりの地。岩崎城歴史記念館。二回目の訪問で、前回は2007年11月奥方様も来ました。その頃はまだ天守や櫓のある城跡ばかり目指していました。だから記念館と天守を見るだけで満足していたので、今回は城跡をもう少し見て回ろ...「豊田~みよし~日進史跡巡り⑦」岩崎城と御城印

  • 「豊田~みよし~日進史跡巡り⑥」城№504・・・福谷城

    道一本間違えると結構苦労します。伊保西古城から南西へ下って行きました。もうナビで行かないと分からない道ばかりです。ちょっとした小山がある所へ辿り着きました。東名三好ICが目の前です。そして城山と名の付く保育園の看板がある登り口を見つけました。そのまま上がって行けば難なく着くでしょう。城山保育園がありました・・・。・・・城跡は?あっち?こっち?意味不明?ここでいいはずなのに保育園もあるし、なのに城跡は?そのまま進んで行っても山を下るだけ、途中で向きを変え戻りました。保育園を過ぎてまた下り坂、あれ?通って来た道の保育園へ行く手前に分かれ道がありました。え、こっち?曲がれ切れずに少し下った所でUターンし、分かれ道に来ました。この矢印を直進だと思ったんだ。分かれ道を右に進んで行ったら簡単に見つけられました。どんな...「豊田~みよし~日進史跡巡り⑥」城№504・・・福谷城

  • 「豊田~みよし~日進史跡巡り⑤」城№503・・・伊保西古城

    山城を探す時、住所指定で現地へ行っても、意外と分かりづらい。小牧山城のように町中にポコンと山があればすぐわかりますが、デコボコした山だったり、峰の中の一つだったりすると、どれがそうなのか、何処から攻めればいいのかが分からない。しっかり調べたつもりだったのに・・・。・・・とそんなことが時々あります。伊保東古城の城址碑がある中学校のグランド横から下ってすぐの分かれ道に、次の目標としていた会館を示す看板があり、そちらへ(西へ)進んで行きました。山裾でも少し高台の場所を通ってまた下り、突き当りを左折しましたが、その突き当りから会館の建物、敷地があり、その南西側の山が城跡でした。しかしその山裾の道を進んでも、その裾側にも住宅があり登り口があるのかどうかも分からない。そのまま進んだら国道へ出てしまい、山の周りを移動し...「豊田~みよし~日進史跡巡り⑤」城№503・・・伊保西古城

  • 「豊田~みよし~日進史跡巡り④」城№502・・・伊保東古城

    事前調査で出来る限り現場の姿をストリートビューで確認しているけれど、いざ現場に着くと山が思ったより大きくて分かりづらかったり、逆に近すぎて並んだ住宅などに隠れて見えないこともあり、現地で苦労することもしばしばあります。伊保古城のある貝津町から西隣の保見町へ移動。保見町東古城と言ういかにも城跡と言える住所でした。目標とする所が中学校のだったので、何となく到着出来ました。奥に学校らしき建物、手前に竹林、間違いないでしょう。グランド横に城址碑がありました。伊保東古城。こちらも三宅氏による築城のようです。時間の都合で、竹林の方へは行きませんでした。次を目指して車を走らせましたが、今度は迷いました・・・。「豊田~みよし~日進史跡巡り④」城№502・・・伊保東古城

  • 「豊田~みよし~日進史跡巡り③」城№501・・・伊保古城

    一度訪問すると、ほぼ次はナビなしでも行ける感じですが、目的地を設定してナビに逆らいながら走ったりしています。しかしどんなに事前調査し、ナビで目的地を設定して出掛けても、現地に行くと分かりづらい時もあり、今はスマホで再調査して現場を探します。今回の道のりは途中からほぼ初めての道、初めての町を目指していたため、ナビで多少の遠回りをしても指示通り走って行きました。藤五郎城から道なりに進むと、岡崎から豊田まで走っていた国道248号にまた出会いました。左折して北西へ進み、途中で右折してすぐに名鉄豊田線潜り、北上して今度は愛知環状鉄道を越え東へ走りました。豊田市貝津町後山、南側に見える愛知環状鉄道の貝津駅と保見駅の中間くらい内地へやって来ました。前方に見えるのが城跡らしい・・・。入り口があるか回って見ました。南側から...「豊田~みよし~日進史跡巡り③」城№501・・・伊保古城

  • 「豊田~みよし~日進史跡巡り②」城№500・・・藤五郎城

    基本ナビに頼って動いています。場所によってはナビを無視してこっちから行きたいと、ナビに新しい道のりを出させて走ったりもします。そんなに方向音痴ではないと思っているので、ナビが主要道路を中心に道のりを選んでいると、こっちの方が走りやすいでしょ、とコースを変えてしまいます。たまに行き止まりになったり、一方通行だったりして、言うことを聞かずにごめんなさいとナビに謝ったりもしますけどね。何処からか豊田東郷線の県道520号線で西へ進み、宮上町6丁目の信号交差点で右折しました。下調べしてあるのでこの先のコンビニの近くだと進んで行くと、そのコンビニが現れました。説明版がありました。通り過ぎて停車。しかし車を停める場所がない。戻って停車させられる場所へ行き、急いで撮影することにしました。藤五郎城。城主は篠田藤五郎。別名宮...「豊田~みよし~日進史跡巡り②」城№500・・・藤五郎城

  • 「豊田~みよし~日進史跡巡り①」通り過ぎる七洲城

    田原城へ行った次の日、今度は豊田へやって来ました。最初に以前行った御城印を売っていた所へ向かったのですが、残念ながらもう閉店していました。残り一枚買えなかった御城印は別のところで手に入れよう・・・。なので、最初は七洲城へ向かいました。再訪の再訪の・・・再訪の七洲城なので、遠望だけで通り過ぎました。次は、豊田市でもう一ヶ所寄る予定の所へ向かいました。北西方面、走ったことのないコースなので、ナビを頼りに向かいました。「豊田~みよし~日進史跡巡り①」通り過ぎる七洲城

  • 「田原城周辺散策」の巻

    今年2月の初旬、仕事で田原市に出掛け、終了後に近くだった田原城周辺を散策しました。最初は田原城惣門跡に行きました。ここは一度来たことがありました。惣門跡周辺でした。小学校前を北東に進むと田原城です。その桜門前にやって来ました。左へ目をやると、崋山会館側です。桜が咲くころに来ると、桜門らしい姿になりますよ。桜門前から崋山会館の方へ進み、小学校と崋山会館の間を進むと崋山神社があります。崋山会館です。崋山神社の前から桜門を見ました。鳥居の前から駐車場側へ道路を移動しました。こんな塀は初めて見ました。ここから北側の中学校側へ行き、さらに西へ進むと、池ノ原公園があります。梅が咲いていました。渡辺崋山池ノ原幽居跡がありました。ついでに花も撮りました。椿かな。「田原城周辺散策」の巻、でした・・・。「田原城周辺散策」の巻

  • お城巡りの守備範囲?

    お城巡りを数多くしてきましたが、関東、東北、中国、四国、九州、沖縄などそうそう行くことが出来ない場所が多いのが現状です。そんな自分が城巡りをしていると言えるのは、その守備範囲が影響していると思います。自分が住んでいる愛知県をはじめ、東海地方は、城跡も有名な武将も知名度のある古戦場も多くあるからだと思います。一番多いのは、やはり愛知県だと思います。集計済みではないですが、けっこう隅から隅まで巡っています。名古屋城周辺以外は車で行っていますが、他はほぼ車です。次は静岡県でしょう。静岡市辺りまでは車で行っています。三度訪問した駿府城は一度電車でした。東の方はこれからですが、遠江はかなり訪問しています。岐阜県も頑張って車で行ってます。関ヶ原を含む西美濃、岐阜市を中心とした中美濃、そして東美濃を多く巡っています。高...お城巡りの守備範囲?

  • お城EXPO2024へ行って来たどおおおおお!!

    今日は、奥方様と出掛けました。新幹線に乗って・・・。横浜へ行き・・・。パシフィコ横浜ノース他で催された・・・。お城EXPO2024へ行って来ました。賑やかでした。出張EXPOより規模は大きかったなあ…。地元へ戻ると横浜って都会だなあ・・・って思いました。少しで早く出張報告出来るように、投稿頑張らなくっちゃ・・・。お城EXPO2024へ行って来たどおおおおお!!

  • 「岩津七城プラスα・・・その9」城№499・・・岩津妙心寺城

    岩津七城を巡って、もう一つプラスαがありました。岩津妙心寺城。松平信光の子親則の居城とされています。それがどこかと言うと、ネット地図上では円福寺にマークが付いておりました。円福寺の北だとか、左側が円福寺だとか言っていましたが、円福寺が岩津妙心寺城です。画像はすでに載せているので、すべてダブりです。親則の居城とありましたが、その親則は26歳の若さで亡くなっており、父の信光が菩提を弔うために、城跡に妙心寺を建立したそうです。最初から分かっていれば、円福寺をもっと見て回ったのにねえ・・・。円福寺が岩津妙心寺城でした・・・。これにて「岩津七城プラスα」終了です。ご訪問ありがとうございました・・・。「岩津七城プラスα・・・その9」城№499・・・岩津妙心寺城

  • 「岩津七城プラスα・・・その8」岩津城

    岩津七城訪問を終えました。そもそも岩津七城って?そうだ岩津城の守りを固めるために築いた砦だった。じゃあ岩津城に行かなきゃ・・・。・・・と言いつつ、すでに岩津城下の岩津天満宮の駐車場にいたんだった。そのまま高速道路の側道を進んで行き(坂道)、左が高速道路でその向こうに岩津天満宮。右に行くとすぐに岩津城の登城口があります。以前より小綺麗になってる?ここは二回目の訪問です。やっぱり小綺麗になってるような気がする。さっそく行ってみよう。小綺麗になってる。実は前回、この辺りで引き返していた。先の様子が分からないと断念する気満々の時期だったので・・・。しかし今回は、小綺麗になってる。ここまで小綺麗だった。小綺麗な看板。小綺麗な主郭か。岩津城。松平信光によって築かれたと言われている。城址碑にもお目にかかれた。パンフレッ...「岩津七城プラスα・・・その8」岩津城

  • 「岩津七城プラスα・・・その7」城№498・・・岩津井ノ城

    岩津木平城辺りから東へ進み、岩津町内を南北に走る県道39号へ出て北上。岩津町交差点を過ぎるとその先に分かれ道があり、右へ進みました。その後左折して岩津新城へ行く信号のない交差点(岩津住宅4号棟手前)を右折して直進し、高速道路の手前で停まりました。高速道路手前右側の岡崎市北部地域福祉センター辺りが城跡のようです。少し高台ではあります。岩津井ノ城。これが福祉センターでその向こうに見えるのが岩津城跡です。少し戻って岩津城跡方面へ向かいました。下り坂です。岩津城の北裾にある岩津天満宮第3駐車場に入りました。竹林の向こうが福祉センターで、右側が東名高速道路です。高台にある福祉センター辺りが、岩津井ノ城です。以上で岩津七城訪問終了となります。次回は、プラスαです。ここから歩いて行きます・・・。「岩津七城プラスα・・・その7」城№498・・・岩津井ノ城

  • 「岩津七城プラスα・・・その6」城№497・・・岩津木平城

    城跡を調べていて、この辺りと言われるのは非常に困ります。以前も住宅地の中でこの家か?あの家か?でも屋敷跡だったとしても、今の住宅よりもっと広いはず。じゃあ、辺りでも仕方ないか。自分でその地域の歴史とか古地図とか調べなきゃいけないのかなあ・・・。そこまでのマニアでもない自分。ここです、と石碑を建ててほしい・・・。矢作川を渡る天神橋を東に向かって走り、国道248号の天神橋東の交差点を直進するとすぐに円福寺があり、その手前の岩津壇ノ上城跡の脇道を南へ下って来た道の出口と交わります。続きで言うと岩津壇ノ上城跡を横目で見て、先ほどの道に出くわしそのまま前方の斜めの道へ入って行きました。その斜めの道を進むと少し坂道で、突き当りを右に曲がり、正面が角になっているので左に曲がって車を停めました。今通って来た道がntp(名...「岩津七城プラスα・・・その6」城№497・・・岩津木平城

  • 「岩津七城プラスα・・・その5」城№496・・・岩津壇ノ上城

    ネットの地図上でマークがついている所を表示させると住所が出て来ますが、山城などは番地まで出なかったり、一番近くの施設や家などの住所が出たりしていることもあり、登城口が謎になってしまうこともあります。諸先輩のお城のブロガーさんの資料でも場所が分からないこともあり、資料の登城口の画像を参考にしたりして、ストリートビューで登城出来る所を探します。そして現地でも苦労します・・・。岩津大善城と岩津大善西城の間には路地が二本あります。間違えると住宅で行き止まりになってしまいます。見えているのは円福寺です。円福寺の北側が正面で、二本目の路地までやって来たので、右側へ行って南へ出ます。この道の左手側が円福寺。少し進んで右手側が城跡とされる地域(城跡のマークがある所)です岩津壇ノ上城。その途中見えているのは円福寺の墓地辺り...「岩津七城プラスα・・・その5」城№496・・・岩津壇ノ上城

  • 「岩津七城プラスα・・・その4」城№495・・・岩津大善西城

    ネットであちこち調べていると、以前あった城跡が消えていたり、前はなかった城跡が現れたり、この位置だったかなあ?と思ったりすることがあります。現地へ行ってみて城跡に見えたり見えなかったり、もっと城跡が何たるかを自分で調べ直すことが必要かも。テレビの歴史番組で専門の大学教授や有識者の意見が違ったりもしているので、自分なりの感じ方もいいんじゃないか、と思ったりもします。・・・山城を途中断念しがちな自分が言えることなのか・・・?岩津大善城が円福寺の側にあるというその場所から西へ徒歩1分。国道248号のすぐ脇に当たる場所。岩津町公民館。その隣の神社辺りが城跡と言うことです。岩津大善西城。左側奥に見えるのは、岩津市民センターかな?岩津成瀬城があった所。反対側を見ると、円福寺の北側の岩津大善城。ここは、岩津大善西城。お...「岩津七城プラスα・・・その4」城№495・・・岩津大善西城

  • 「岩津七城プラスα・・・その3」城№494・・・岩津大善城

    遺構が残っていなくて、なおかつ住宅地になっている所の城跡を探すのは苦労する。ここ普通の家じゃん!隣も普通の言えじゃん!こっち?あっち?・・・ネットで調べた情報と同じような場所を撮影する。たぶんここだったのでしょう・・・。淋しい城跡訪問となってしまいます。岩津市民センター前の交差点から南へ数十メートル走って左折、住宅地へ入りました。円福寺と言うお寺の北側だと言うことでやって来たけれど、お寺は住宅に囲まれていて車を止める場所もない。この前方が円福寺の北側。右が円福寺、左が城跡?岩津大善城。ここを城跡とするのか・・・。円福寺へやって来ました。このお寺の向こうが北側。当然見えませんが、このお寺の北側です。円福寺、いえ、円福寺の北側が岩津大善城でした・・・。「岩津七城プラスα・・・その3」城№494・・・岩津大善城

  • 「岩津七城プラスα・・・その2」城№493・・・岩津成瀬城

    岩津町を走る国道248号は、豊田市街方面へ行く時(以前仕事でも行っていた)、奥殿陣屋や松平城などの山側の史跡などへ向かう時に何度も通っている道です。岩津天満宮や岩津城、岩津新城などは、だいぶ前にネットで調べて訪問しましたが、岩津七城は、最近(1年以上前ですが)ネットで見つけた城跡です。いろいろな地域の城巡りを計画していましたが、その中から比較的分かりやすい地域だったので、すぐにでも行けましたが、優先順位の中、今回行って来ました。岩津新城から国道248号へ出て南下、岩津市民センター前の交差点を右折すると、目の前が岩津市民センターです。どう整備されるのかは知りませんが、周辺は整備中でした。岩津成瀬城。市民センター辺りが城跡のようです。さっそく周辺を散策。西側はすぐに矢作川です。前側にも川があるので、砦や城には...「岩津七城プラスα・・・その2」城№493・・・岩津成瀬城

  • 「岩津七城プラスα・・・その1」岩津新城

    岡崎市岩津町。岩津町東山にある岩津天満宮は、大きな看板もある有名な場所です。この西側に東名高速が南北に走り、そのまた西側に以前訪問した岩津城があります。そしてこのまた西側が今の(昔を知らないけれど)岩津町の町並みとなり、そのまた西側に国道258号があります。そしてさらに西側に矢作川が流れております。そんな地域です。岩津七城。応永28年(1421年)松平信光が岩津の中根大膳父子を滅ぼし、岩津城を築いたそうです。そして麓付近に7つの砦を築き、「岩津七城」と呼んで一族を配して守りを固めたそうです。調査したメモを持ち、岩津町へやって来ました。岩津町の北側にある大きな岩津住宅(4号棟まであるマンション?)の南側の道にやって来ました。この道路自体が岩津住宅より高い位置にあります。岩津新城。畑側から竹林を見て回りました...「岩津七城プラスα・・・その1」岩津新城

  • 紅葉と雪景色

    城跡巡りで暑くて汗をかいていたのがついこの間のようですが、二重三重に重ね着しないと寒くて仕事も出来ない気分の今日この頃。この前の日曜日に豊田市武節町まで車を走らせ、城跡へ行って来ました。住んでる地域では雲は多くても雨も降っていませんでしたが、新城の奥地へ行くにしたがって小雨が降って来て、さらに進むと小雪が降って来ました。さほどではないけれど、この冬最初の雪を見ました。城跡では紅葉が見れました。今年は紅葉の名所に行けなかったので、少しでも見られて良かったです。そして雪も・・・。遠望の山も城跡だと思われます。これからは岐阜の山城とか行けないだろうなあ。雪道は走れないから・・・。今回の訪問の様子はかなり先になりますが、整理して報告します。紅葉と雪景色

  • 「島田市~牧之原市~吉田町の城と御城印⑥」城№492・・・湯日城

    小山城から北へ走り、また島田市へ。帰りは国道1号線バイパスで帰るので、そちらにある城跡へ向かいました。東名高速を潜り山の方へ向かいました。この手前に養勝寺と言うお寺があり、その背後の山が城跡と言うことで、この辺りかと思われます。ふむふむ、城跡かもしれない。城跡であってほしい。城跡としよう。何かの記念碑です。何かです。g…マップのストリートビューにも写っていました。養勝寺側です。湯日城。勝間田氏の支城として築かれたらしい。ちなみにこの左手側は静岡空港(富士山静岡空港)です。こちら側から飛行機は見られませんでした。これにて「島田市~牧之原市~吉田町の城と御城印」終了となります。再訪のお城の御城印三枚と新規の訪問三城、充実した城巡りとなりました。・・・自分的には・・・。訪問ありがとうございました。「島田市~牧之原市~吉田町の城と御城印⑥」城№492・・・湯日城

  • 「島田市~牧之原市~吉田町の城と御城印⑤」小山城と御城印

    牧之原市の龍眼山城から吉田町にある小山城へ向かいました。国道150号へ出て北東へ移動し、途中で左折して島田市方面へ向かうと城跡に到着しました。駐車場へ入りました。隣のグランドでは子供たちがスポーツをしていて賑やかでした。私の方はお城目当てなので、小山城の遠望を撮り売店へ。御城印目当てでした。撮影は以上で、登城は時間の都合でキャンセル。遠望と御城印で終了です。・・・なので、2014年5月に訪問した時の画像を足します。小山城。今川氏の築いた砦から始まり、武田氏が改修、のちに徳川氏に占領され、勝頼が火をつけ廃城となりました。三回目の訪問でした。小山城御城印。収集第六十号の御城印です。早く移動しないと遅くなるので、すぐに出発しました・・・。急げや急げ・・・。「島田市~牧之原市~吉田町の城と御城印⑤」小山城と御城印

  • 「島田市~牧之原市~吉田町の城と御城印④」城№491・・・龍眼山城

    県道へ戻って再び太平洋方面へ向かい、左側に見えていた尾根の先端まで行き、交差点を左折してしばらく走ると、榛原公園の入り口があり、そこを左折して駐車場へ入りました。ここから頂上まで上がって行きます。登城スタート。この日二回目の山登りです。一先ず休憩。降りてくる人たちもいて、挫折しやすい自分も、負けられない気持ちが湧きます。城跡とあるので、頑張らなくっちゃ!もう少しかな?これくらい大したことはない。ついに展望台が見えた。展望台で一休み。太平洋だ。ここが主郭らしい。龍眼山城。他の方の資料では、山内道美の築城とか勝間田氏の属城とかありましたが、詳細不明のようです。とにかく疲れたので、また休憩してから下山です。奥の茶畑の方が二の曲輪だそうです。下山。植松庚申堂。駐車場に戻って次へ向かいます。帰りの時間が気になるので...「島田市~牧之原市~吉田町の城と御城印④」城№491・・・龍眼山城

  • 「島田市~牧之原市~吉田町の城と御城印③」城№490・・・穴ヶ谷城

    勝間田城の御城印を買った扇松堂さんから南東へ下って行くと東名高速を潜ります。そして左折して側道を上がって行くと右手が城跡です。穴ヶ谷城。勝間田氏の支城のようです。こちらからは入る所を見つけられなかったので、残念ながら遠望のみです。この反対側の麓辺りに小仁田薬師堂があり、そちらから登城出来るようです。機会があったら行ってみようか、止めようか?リベンジの対象にしようか、どうしようか?画像はこの2枚で終了。穴ヶ谷城終了で、次へ向かいました・・・。「島田市~牧之原市~吉田町の城と御城印③」城№490・・・穴ヶ谷城

  • 「島田市~牧之原市~吉田町のお城と御城印②」勝間田城と御城印

    島田市にある諏訪原城から、牧之原市の勝間田城へ向かいました。勝間田城は二回目ですが、このコースは前回と同じ組み合わせです。途中坂を下って行くので諏訪原城が台地の上にあると言うのを感じられます。牧之原市勝田にある勝間田城の駐車場へやって来ました。登城道の脇にあるトイレの外壁に勝間田城の資料が貼ってあります。舗装されている登城道を上がって行きました。記憶に新しい登城道なので、迷う心配はありません。茶畑を過ぎると綺麗な舗装道路は終了です。県指定の城跡です。勝間田氏について記述されています。本曲輪の城址碑です。それなりに見どころの多い城跡です。この切り株は、椅子になってます。雲がなければ富士山が見えたかも。下って来ました。城跡を下る途中で振り返ると、なんだか名残り惜しいです。販売中とある勝間田城の御城印を売ってい...「島田市~牧之原市~吉田町のお城と御城印②」勝間田城と御城印

  • 「島田市~牧之原市~吉田町のお城と御城印①」諏訪原城と御城印

    今年の前半は、ガツガツと御城印を手に入れるために、あちこちへ走っていました。1月末、国道一号線バイパスで、浜松から磐田、袋井、掛川と走り、途中道の駅掛川で休憩した後島田市へと入りました。最初の訪問地は諏訪原城。3度目の訪問です。前回しっかり回ったので、今回はササっと見て回ります。諏訪原城の遺構はそれなりに有名で、堀や馬出などそっち方面のマニアには回り甲斐がある城跡です。さっと回って、入り口にあるビジターセンターへ入りました。城好きの春風亭翔太さん、テレビでここを推していました。ここで御城印を手に入れました。諏訪原城御城印。収集第五十八号の御城印です。購入の時、ガチャポンのようにカプセルを買って御城印と交換しました。そんなの初めてでした。さあ、次も再訪の勝間田城です・・・。「島田市~牧之原市~吉田町のお城と御城印①」諏訪原城と御城印

  • 「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑭」明石城

    姫路から明石へやって来ました。駅前城跡の明石城は、鉄道で寄るには最適のお城ですね。およそ半年ぶりの明石です。道路を挟んですぐ前に堀があります。時々ありますが、堀の脇を歩いていると寄って来るものがいます。鯉です。餌をあげられなくてごめんね。西に歩けばすぐに門へ辿り着けます。記憶に新しい明石城です。城内へ入ってすぐにサービスセンターへ行って、御城印を手に入れました。今回明石城へ寄ったのも、それが一つの目的でした。前回は7月で暑くてたまりませんでしたが、今回は過ごしやすかったです。しかし昨日からかなり歩いているので、それが少しこの日の城巡りに響いていました。前回と違うコースで歩いて見ました。前回櫓の方へ行ったので、今回は東側へ抜けて行くコースを選びました。外へ出ましたが、けっこう高い位置だったので、階段やエレベ...「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑭」明石城

  • 「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑬」姫路城・・・その4

    姫路城は、一回二回の訪問では制覇出来ません。どのお城でも何度も訪問したいと思いますが、それにしても姫路城は、ただただまた来たい。そう思うお城です。西の丸からの天守です。どこから見ても美しいです。快晴の時にまた撮りたいですね。技術はないけど、木々を写しこんでみたりして、少しでも違う姿を画像で残したいと思い、工夫をしているつもりです。この中へ入りました。入ってすぐに窓から堀の向こうを撮影。歴代城主の説明版がありました。窓から天守です。廊下が続きます。千姫とか、前回撮ったので、ササっと見ただけで早めに外へ出ました。そろそろ姫路城ともお別れです。とにかくいろいろな姿を撮りました。売店にも寄って、姫路城訪問終了となりました。また来たい。(消防訓練をしていたみたいです)姫路城、また来ます。また来ます。大手前通りから駅...「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑬」姫路城・・・その4

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