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2024/08/31

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  • ええええって!感じです。

    gooブログがサービス終了だと・・・。これからどうしよう・・・?確か、2007年9月だったかな。パソコンを教えてもらいに行っていて、その中の練習でブログを始めることになって、お城巡りがスタートした感じだった。最初の頃は、まだフィルムカメラで撮ってたんだよね。デジカメの併用だったかな。どうしようかなあああ・・・。ええええって!感じです。

  • 「目指せ足助七城!・・・その11」城№530・・・黍生城と御城印

    巴川沿いの国道153号を西へ走り、少し先の追分の交差点を右折し、左にカーブしていく道の手前で、右へ入って行く坂道を見ました。何かが書いてあったと思うんですけど・・・。城跡とは関係ないかな。とりあえず行ってみました。近過ぎて遠望の様子が分かりません。とりあえず、この辺りの場所から北側が山城です。黍生城。足助重長の築城。ちなみに私が読めなかったので書いておきます。「きびゅうじょう」です。黍生城御城印。収集第百五号の御城印です。これで、足助城(真弓山城)、飯盛山城、臼木ヶ峰城、大観音城、足助城山城、成瀬城、黍生城の足助七城訪問終了です。おまけもありましたが、日帰りにしては長いドライブでした。・・・と言いたいところですが、今いる位置からすぐ西側に城跡があるので、遠望だけでも撮って行きます・・・。「目指せ足助七城!・・・その11」城№530・・・黍生城と御城印

  • 「目指せ足助七城!・・・その10」城№529・・・成瀬城と御城印

    足助八幡宮の前を通り過ぎて、そのままその先の橋を渡り、巴川の北側へ出て、突き当りの足助大橋西の交差点を左折して西へ向けて走りました。次の交差点を過ぎた所の右手の山側が、事前調査では城跡と思われます。次の足助新橋北の交差点を右折してカーブする坂道を上がって行くと今度は右手側が城跡となりました。少し散策しました。地面を写してる?もう少し撮っていたんですが、みんなボケてしまっていて削除しました。撮影が下手ですね。少しは城跡感がありました。成瀬城。鈴木氏のお城です。坂を下りて交差点の手前左手は神明社です。その交差点です。ここを右折して向かうのが、足助七城の最後の城跡です。成瀬城御城印。収集第百四号の御城印です。さあ、もう少しだ・・・。「目指せ足助七城!・・・その10」城№529・・・成瀬城と御城印

  • 「目指せ足助七城!・・・その9」城№528・・・足助城山城と御城印

    足助の町並みを歩きました。途中の細い路地を山側へ入って行くとこんな様子でした。なぜ傾いた写真を撮ったのか?記憶にありません。右下が細い路地だったかな。気を取り直して前方を見ると、教会があります。この裏山が城跡だということですが、今は国道153号バイパスが走っていますので、そのまた背後の山だと思います。足助城山城。詳細不明です。大観音城の西側になります。足助七城(足助七屋敷)の一つです。戻ります。マンホールの蓋のマニアではありませんが、目についたので撮りました。ボケましたが、入って来た細い路地です。奥の奥の山が城山城です。・・・だと思います。城山城御城印。収集第百三号の御城印です。ここから足助八幡宮の方へ戻って、巴川沿いに西へ向かいます・・・。「目指せ足助七城!・・・その9」城№528・・・足助城山城と御城印

  • 「目指せ足助七城!・・・その8」城№527・・・大観音城と御城印

    今度は、足助八幡宮の交差点を右折して巴橋を渡って直進し、そのまま国道420号へ行かずに町並みの方へ道なりに進んで行きました。今岡の交差点で左折し、巴川の支流の足助川を渡り、突き当りの赤鳥居を右折しました。そのまま進んで左側の家並みが切れた所がこの場所です。階段の上の山が城跡です。約七分で大観音城と言うことです。ここか・・・。七分か・・・。大観音城。足助一族の居城ではないか。少しだけ上がってみるかな。あっさり戻って来ました。町並みの方向です。(西を向いています)大観音城でした。大観音城御城印。収集第百二号の御城印です。ここから町並みの方へ歩いて移動しました・・・。「目指せ足助七城!・・・その8」城№527・・・大観音城と御城印

  • 「目指せ足助七城!・・・その7」城№526・・・臼木ヶ峰城

    途中でUターンして観光協会方面へ戻ります。そうすると・・・。今度は右手(東側)が飯盛山城になります。左手側が目指す城跡ですが、近過ぎてただの壁です。実際は、国道まで戻って西へ進み、山の向こう側から城跡に向かうんじゃないかと思います。右手は香嵐渓で、巴川で、飯盛山城です。そしてこちら側が次の城跡です。そう思いながら少し先まで進みました。観光協会が近くなりました。この左手壁の向こうが城跡です。臼木ヶ峰城。中條氏が城主。遠望での全体像も分かりませんが、左の壁の向こうです。臼木ヶ峰城は、左手の壁の向こうです。臼木ヶ峰城御城印。収集第百一号の御城印です。またしても城跡らしい画像を撮れませんでしたが、壁の向こう側が臼木ヶ峰城でした。ここから足助町の町並みの方へ向かいます。足助八幡宮まで出て、東へ移動です・・・。「目指せ足助七城!・・・その7」城№526・・・臼木ヶ峰城

  • 「目指せ足助七城!・・・その6」城№525・・・飯盛山城と足助観光協会と御城印

    足助城(真弓山城)から山を下って国道420号へ出る前の坂道でした。西隣の飯盛山です。次に向かう足助七城の訪問2番目に予定している山城です。飯盛山城。足助氏の築城です。飯盛山、香嵐渓の方へ向かいますが、その前に足助観光協会へ寄って、お目当ての御城印を購入します。坂を下って国道420号で足助町内へ進み、香嵐渓の交差点を直進して巴橋を渡りましたが、目的にしていた飯盛山へ車では行けない状態でした。香嵐渓と言えば、紅葉で有名な所で、混むのはその時期だけかと思いましたが、避暑地でもあったんだ。・・・夏休みも始まっていたし・・・。とにかく周辺は、川遊びの人、観光などで歩く人たちでも賑やかでした。足助八幡宮の前で左折して100m位で目的地ですが、右側にある駐車場は有料で、歩いて行くならそこへ停めるしかないんだな。却下。観...「目指せ足助七城!・・・その6」城№525・・・飯盛山城と足助観光協会と御城印

  • 「目指せ足助七城!・・・その5」足助城(真弓山城)と御城印・・・後編

    いよいよ足助城の本丸へ。その前に南物見台があります。下の厨の屋根が見えます。橋を渡って本丸へ向かいます。振り返ると南物見台の姿が分かります。さあ、本丸へ。懐かしいなあ・・・って感じです。本丸です。細長い本丸の南端から見た南物見台です。山の上だと実感する景色です。櫓と長屋へ向かいます。櫓へ。西物見台の屋根が見えます。足助の町並みが見えます。櫓の外へ出ました。順路通りに進みます。足助城は整備されていて、見やすい城跡になっています。入り口まで戻って来ました。足助城御城印。収集第九十八号の御城印です。足助七城のスタートとなった足助城(真弓山城)。再訪ではありますが、見て回る城跡としては、ここがメインだったかと思います。さあ、山を下りて行きます・・・。「目指せ足助七城!・・・その5」足助城(真弓山城)と御城印・・・後編

  • 「目指せ足助七城!・・・その4」足助城(真弓山城)と御城印・・・前編

    国道473号を北東へ回りながら北上し、突き当たった所は豊田市阿蔵町。ここを左折して国道420号を北西へ走って行けば、やっとのこと足助町です。香嵐渓が近くなってくると、右手の高台に学校が見えます。その手前に案内板があり、坂道を上がって行くと城跡です。駐車場から受付へ。2008年11月以来の訪問ですが、記憶にある景色です。入場券と御城印を購入。一人城跡を散策します。足助城。城主は鈴木氏です。この景色、記憶にあります。山城でも、こうした建造物があると、気持ちが昂ります。順路通りに進みます。井戸です。西物見台。厨を覗きました。さあこの上、本丸を目指します。前編終了です・・・。「目指せ足助七城!・・・その4」足助城(真弓山城)と御城印・・・前編

  • 「目指せ足助七城!・・・その3」城№524・・・羽布城

    ナビ通りに走っているので、大スギを見た後、少し先へ行って北上、県道473号を走ていましたが、すでに豊田市に入っています。途中でまた東へ走って行き、北上し始めると、目に留まる説明版が立っていました。城跡?予定はしてなかったので、どうしようかと思いましたが、とりあえず説明版を見ました。羽布城か・・・。山城だろうから行けないだろうなあ・・・。610m。とりあえず行ってみようか・・・。と言うことで、くねくねと坂道を上がって行きました。少し上がると、まあまあ広い道路だったので進んで行くと、道路脇に説明版と案内板がありました。時間の都合でここまでだな、とすんなり断念しました。羽布城。川合氏の築城、詳細は不明です。少し移動するとまた説明版が見えました。切り通しと観音様でした。戻りながら説明版を眺め、また県道へ戻り、再び...「目指せ足助七城!・・・その3」城№524・・・羽布城

  • 「目指せ足助七城!・・・その2」切山の大スギ

    県道333号を東へ大回りしながら北上、国道301号に突き当たって左折し、今度は北西へ向かいました。切山町に入って西向きに進んでいると、ナビに大スギの表示があり、通り過ぎてから車を停めました。どれかなあ・・・?位置的には奥の林の所なんだけど・・・。回って行けば行けそうなんだけど、時間の都合でそれは断念。大きさで言えば、あれかな?画像奥の高い木二本の右側。左側はクリスマスツリーのようです。高くて飾れないか。調べたらやっぱり真ん中の二本の木の右側でした。切山の大スギ。樹齢は千年を超えるそうです。ここはまだ岡崎市。先を急がねば・・・。「目指せ足助七城!・・・その2」切山の大スギ

  • 「目指せ足助七城!・・・その1」岡崎市千万町の風景・・・丸形ポスト

    昨年7月、香嵐渓のある豊田市足助町を目指して車を走らせました。豊橋市の国道23号バイパスから、豊川市に入って国道1号線へ出て岡崎方面を目指しました。今回はそのまま国道1号線を走り、岡崎市街方面から豊田市へ入る道のりを選ばず、豊川市の赤坂町で右折し、名電赤坂駅の脇を走る県道332号を利用する山あいの道を走るコースで向かいました。岡崎市に入って県道332号から334号へ移り北上。途中岡崎市宮崎町を経由してさらに北上。実際遠回りでしょうが、交通量が少ないので楽に走れます。岡崎市千万町に入り県道333号を北東へ向かう途中、雰囲気が良い場所があったので、休憩がてら景色を眺めました。石垣があるとすぐに目が行ってしまいます。その先に懐かしいものが見えました。丸形ポストと茅葺き屋根の家。町中では今は見ない景色です。長閑な...「目指せ足助七城!・・・その1」岡崎市千万町の風景・・・丸形ポスト

  • 今日の桜と城・・・田原城

    今日は桜を見に出かけました。風が強くて少し寒かったですね。訪れたのは、田原城です。まずは崋山神社の駐車場から撮影しました。駐車場から。桜の向こうは崋山会館です。崋山神社。田原市博物館側の駐車場へ移動しました。城跡へ。北側の巴江神社。ここが本丸跡です。石垣も撮ってみました。田原城と桜でした。来週もどこかで見られないかなあ・・・。今日の桜と城・・・田原城

  • 過去の今日この頃のお城と桜

    今日、仕事の用事で掛川へ行きました。通りすがりに桜が見れました。毎年、桜とお城のコラボで写真を撮ろうと思っていますが、出掛けられなかったり休みが合わないと、満開の桜とお城を撮るのは難しいですね。過去にもチャレンジしましたが、なかなか良い画像が残っていません。毎年、同じ日が満開でもないし、休みでもなかったりするしね。昨日今日の過去画を載せます。2009年3月28日岡崎公園。早かったのか?遅かったのか?桜祭りではありましたが、桜は満開じゃなかったかな。2015年3月29日の豊田市の桜城と桜。ボケてます。撮る人がボケていたのかな?同じく2015年3が29日の西尾城と桜。天気が悪かったかな?夕方だと思います。今日は掛川城付近で、桜とお城を撮りました。まだ整理していませんが、どんなふうに撮れているでしょうか・・・。...過去の今日この頃のお城と桜

  • 花の季節がやって来た。

    ソメイヨシノが開花したとか情報が聞こえてきますが、これからいろいろな花を見に行くことが多くなるのかな。ちょっと先の話ですが、6月になるとこんな花です。蓮の花。昨年6月末、安城市の本證寺へ行ったら開いていました。ここは歴史的にも好きお寺なので、近くを通ったら季節に関係なく寄ります。今度はいつ頃行けるかな・・・。花の季節がやって来た。

  • 国道1号線か⁉旧東海道か⁉御油方面

    豊川方面から岡崎方面へ行く時、または帰る時、国道1号線を走るか、旧東海道を走るか、交通量うんぬん関係なく、余裕があれば旧東海道を走ることがあります。宿場の紹介をしたこともありますが、ちょっとだけ町並みを見るだけだったり、史跡を見たりするだけで通り過ぎて行くのが好きです。御油の松並木を通るのもいいですね。国府方面側の入り口にあります。けっこう車とすれ違います。国府にある三河屋製菓さんです。前にも寄りました。和菓子もケーキもあります。この時はショコラボックスを買いました。豊橋方面へ・・・。ここが伊奈城址公園ではありません。目の前に新幹線の高架があり、その向こうです。ここは初めて来ました。花ヶ池公園。「葵の紋」発祥ゆかりの地と言うことです。新幹線を越えて行きます。伊奈城址公園です。23号バイパスを走っていても見...国道1号線か⁉旧東海道か⁉御油方面

  • 太平洋を見よう!!

    時々車を走らせて、海を見に行くことがあります。そのついでに何かあれば寄ってみます。ここで言う海は、太平洋です。掛川から伊良湖岬までが通常日帰りで寄れる範囲です。今回は、豊橋から田原へ走る国道42号の両市の境目付近を散策しました。伊古部海岸です。朝ドラ「エール」のロケ地で、記念に造られたのかな。絵になるじゃない。西へ移動。伊古部海岸から上がって、次の下り口付近にある、ささゆりの里の遊歩道です。ささゆりの時期ではありません。いつなのか?上から見た太平洋。さらに少し西へ行くと・・・。大塚遊園の廃墟です。こんな所があったなんて、まったく知りませんでした。夜は来れないです・・・。田原市との境目にある畔田城跡入口(正面)へやって来ました。二回目です。奥へ奥へと歩きます。畔田氏の畔田城です。空堀や土塁が分かりやすくてい...太平洋を見よう!!

  • 「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑧」富士浅間神社から大須とカフェ

    刀剣ワールドから南へ下って行くと大須です。仕事で事務用品を注文しているお店の大須店がありました。通りを一本中へ入ると、こんな所がありました。富士浅間神社。参拝すると富士山に参詣するのと同じ効果があるとされています。あちこちにりますよね。大須へやって来ました。仁王門通です。田舎者ですから、この人の多さは苦手です。大須観音の方へ退散します。ここも多いです。とにかく休憩したい。大須観音の南側の道で回れ右したら、表参道の角にカフェがあり入りました。大須観音が見えます。イルフィオレと言うカフェです。アイスコーヒーとシフォンケーキだったかな。ゆっくり休みました。地下鉄で名古屋駅へ行き、再び名鉄電車で帰りました。歩き疲れました。刀剣ワールド、また行ってみたいな。「名古屋地下鉄移動歴史歩き」終了です。ご訪問ありがとうござ...「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑧」富士浅間神社から大須とカフェ

  • 「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑦」名古屋刀剣ワールド

    若宮八幡社前から隣のビルへ向かいました。名古屋刀剣ワールドへやって来ました。このビルの本町通側へ回ってみると・・・。三英傑がいました。さっそく中へ入りました。2024年5月1日に開館したばかりです。刀剣とは?片側に刃が付いた片刃の刀と、左右両方に刃が付いた両刃の剣の総称です。知っていたような、知らなかったような・・・。再び三英傑。刀剣ワールドへ来たのに、刀剣を撮影出来ませんでした。およそ200振の刀剣があったというのに・・・。売店へも行きました。外へ出ました・・・。刀剣・・・東建?実際、刀剣もしっかり見ています。ただ、ここまで歩き続けてきたので、二人とも疲れています。どこかで休憩したい・・・。大須へ向かいました・・・。「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑦」名古屋刀剣ワールド

  • 「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑥」若宮八幡社

    第二の目的地を目指して歩いていたら、提灯や幟が並んだ場所の前を通りました。そのまま通り過ぎようと思いましたが、説明版があったので立ち止まりました。若宮八幡社なんだ・・・。この通りの名前もここからきているんだろうなあ・・・。若宮八幡社。名古屋総鎮守。主祭神は、仁徳天皇、応神天皇、武内宿禰命。ただ通り過ぎた若宮八幡社でした。奥方様に置いて行かれそうなので、早歩きしました。でも、もう目的地の隣まで来ています・・・。「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑥」若宮八幡社

  • 「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑤」昼食~三英傑からくり時計

    小林城の清浄寺を西側から出ると、大津通を挟んだ向こう側に名古屋ではお馴染みの店がありました。マクドナルドではなく、矢場とんです。そして昼食は・・・?矢場とんではなく、清浄寺の出口から2軒目のココイチにしました。どれにしようかな・・・?カレーライスが好きです。外食の場合はココイチが多いかな。昼食を済ませて北へ向かい、すぐの大津通と若宮大通りが交差する矢場町の交差点を渡って名古屋高速の下へ行きました。これは何か?三英傑からくり時計。どんなからくりか分かりませんが、とにかくからくり時計です。で、三英傑は、分かりますか?愛知県民ならあたりまえ?だと思いますが・・・。後にまた三英傑とは出会います。そこまでの道のり、ここから若宮大通りを北へ渡り切って、西へしばらく歩きが続きます。「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑤」昼食~三英傑からくり時計

  • 「名古屋地下鉄移動歴史歩き④」城№523・・・小林城

    覚王山から地下鉄に乗り、栄で乗り換えて矢場町で降りました。地下鉄矢場町駅から出て南へ歩き、久屋大通りと若宮大通りが交差する大きな交差点にやって来ました。ここをそのまま進んで行くと城跡です。四つ目のビルの隣にお寺があり、この辺り一帯が城跡だったようです。清浄寺の山門の横に城址碑がありました。小林城。牧氏の築城。牧長清は、織田信長の妹(おとく)を正室として迎えたそうです。徳川とも関係が?小林城が廃城後、跡地は尾張徳川家2代光友の時、剣術指南役となった柳生兵庫の屋敷となり、1701年清浄寺が建立されたそうです。細長い奥へと入って行きます。矢場地蔵堂。大津通側にも城址碑がありました。小林城(清浄寺)でした。お腹が空いたので、昼食にしましょうか・・・。「名古屋地下鉄移動歴史歩き④」城№523・・・小林城

  • 「名古屋地下鉄移動歴史歩き③」末森城と御城印&武将印・・・後編

    社務所で少し時間がかかりましたが、御城印と武将印を無事購入したので、再び奥方様と合流して散策です。奥方様は、本殿横にいました。恋占いはいいかな・・・。これは?家にもなんじゃもんじゃがありますが、まだ咲いたことがありません。遺構を見ながら東側から下りて行きました。ここが八幡宮の入り口でした。南側です。橋の下は堀跡のようです。城山八幡宮とお別れです。公園に戻って来ました。左側から上がって城山八幡宮へ行き、右側から帰って来た感じなので、半分以上は見てこれたかな。最後に城山公園の花を見て、末森城とはお別れ。ここから地下鉄の覚王山駅へ戻って、矢場町を目指します。末森城御城印。収集第九十七号の御城印です。織田信秀の武将印。信長の父です。織田信長の武将印。説明不要の武将ですね。織田信之の武将印。信秀の次男で信長の弟。信...「名古屋地下鉄移動歴史歩き③」末森城と御城印&武将印・・・後編

  • 「名古屋地下鉄移動歴史歩き②」城№522・・・末森城と御城印&武将印・・・前編

    名古屋駅から地下鉄東山線で移動。覚王山で降りて本山方面へ向かって歩きました。少し坂道を下る感じでした。都会ですね。ビルばかりです。信号交差点を二つ越えました。近づくと都会の中にある森が見えてきました。歩道のすぐ脇が公園になっています。城山公園。私にはとてもいい名前の公園です。さあ、城山へ行きましょう。西側から回って行きました。階段があったので上がってみました。戻って奥方様と合流しました。旧昭和塾堂。城山の途中にありました。お城の二の丸部分にあるようです。旧昭和塾堂の向かい側には道場があるみたいです。脇の道を上がって行きます。山の上は神社です。城山八幡宮です。ここが城跡であります。末森城。織田信秀の築城。織田家本城だそうです。城山八幡宮。社務所が目的地?です。ここで御城印と武将印を購入しました。他の方も買っ...「名古屋地下鉄移動歴史歩き②」城№522・・・末森城と御城印&武将印・・・前編

  • 「名古屋地下鉄移動歴史歩き①」名古屋へ

    昨年5月3日、名古屋へ行きました。目的の場所が二つあり、ついでに歴史散策する計画で、奥方様と出かけました。名古屋へは、JRか名鉄を利用しますが、最近は名鉄で出かけるようになり、この日も名鉄電車に乗り込みました。途中の景色を見ながら、目的地は名古屋です。子供のように窓側へ座って沿線の景色を見ます。名古屋中心部へは、車の利用はほとんどしなくなりました。駐車場がね・・・。近づいて来ました。名古屋駅からは地下鉄を利用して、目指す場所へ向かいます。「名古屋地下鉄移動歴史歩き①」名古屋へ

  • 「自然とゆる山歩き・・・その5」ボンとらや二川本店

    せっかく歩いたのに、元も子もない。そうだと思います。お腹は引っ込みません。でも好きなんです。浜名湖方面に出かけた帰りは、いくつかケーキ屋に寄りましたが、回数的に多いのはここですかね。そこそこ知られている、ボンとらやです。ピレーネは種類も増えたみたい。ゆる歩きではダメかな?また歩きます。「自然とゆる山歩き」でした。「自然とゆる山歩き・・・その5」ボンとらや二川本店

  • 「自然とゆる山歩き・・・その4」摩利支天(東雲寺)と神座古墳群と岩巣

    普門寺から隣の湖西市へ入り、県道334号線で山裾を回るように進んで行くと、下りになった途中の左手にお寺の入り口が見えます。何度もこの前の道路を走っていますが、ここへ寄るのは二度目です。家康さんの名前があります。東雲寺。摩利支天。この脇を通って山へ入ります。摩利支天(東雲寺)と神座古墳群と岩巣でした。息が切れずに歩ける範囲の山歩きなら、いい運動かなと思えます。山城もこの程度ばかりだったらいいのに・・・。「自然とゆる山歩き・・・その4」摩利支天(東雲寺)と神座古墳群と岩巣

  • 「自然とゆる山歩き・・・その3」普門寺と船形山城と御城印

    葦毛湿原から一山越えた東側に普門寺があります。普門寺は何度目かなあ?馴染みのお寺になっちゃったかな。また来ました。風車の飾り付けは初めてだな。今回普門寺にやって来たのは、ここで御城印が手に入ると分かったからです。さっそく購入して散策へ。本堂へ向かいました。頑張って山の上の城跡へ行きたかったのですが、自然歩道が廃止されて立入禁止になっていたので断念です。残念。紅葉もいいけど、新緑もいいなあ。仁王門に戻って来ました。いろいろ見れた普門寺でした。山頂の鉄塔辺りが城跡か?その城跡は、紹介したことのある船形山城です。船形山城御城印。収集第九十六号の御城印です。ここから少し静岡県湖西市側へ移動です。「自然とゆる山歩き・・・その3」普門寺と船形山城と御城印

  • 「自然とゆる山歩き・・・その2」葦毛湿原

    赤岩寺からほぼ南へ下って岩崎町の山の麓の方へ行くと湿原があります。もう一歩、足を延ばしてやって来たのは、葦毛湿原です。駐車場に車が多くありました。こういった所を見て回る人も多いんだね。駐車場から湿原に向かう途中にため池があります。親亀の背中に子亀を乗せて・・・。意外と湿原まで距離があります。でも山道でないだけ我々二人には負担が少ないです。もうすぐです。湿原入り口です。葦毛湿原。弓張山地に三方を囲まれた標高70m前後の緩やかな傾斜地に広がる国内最大級の湧水湿地と、ネットでの説明ありました。湿原へ。湿原の草花に詳しくないので、とりあえず写真だけは撮って行きます。小魚がいたかな?葦毛湿原でした。「自然とゆる山歩き・・・その2」葦毛湿原

  • 「自然とゆる山歩き・・・その1」赤岩寺

    時々は奥方様に出掛けさせるために、自分が行った所で見て歩けそうな場所を選びました。豊橋市多米町にある赤岩寺です。私は二度くらい来たお寺で、山の上の赤岩城跡が目当てで来ていました。私もじっくり見ていないので、二人で散策です。時々見ますが、手水舎の龍が格好よくて好きですね。伐採した木だと思います。何にするのかな?お寺の裏へ上がって行きます。ここにもありました。砂防ダムや赤岩城は急なので、こうした階段や山道を避けて、緩やかな道で、お寺の南西側にある展望台へ向かいました。左下の丸い所にある展望台です。←あっち・・・。撮影に夢中になっていると、奥方様に置いて行かれそうです。展望台です。展望台だから、もちろん上がって景色を見ます。豊橋市街地が見えます。景色を見たので戻ります。お寺が見えました。所々で花も見れました。仁...「自然とゆる山歩き・・・その1」赤岩寺

  • 「浜松市史跡だけ巡り・・・②」

    浜松市は広い。だからまだ行けていない所は多いはず。2024年4月下旬、出掛けたついでに少しだけ寄ってきました。浜松市中央区鹿谷町にある犀ヶ崖古戦場。何度か来ています。ただ史跡を見たくなったら、浜松城からも近いので、すぐに寄れます。三方ヶ原の戦いにおける犀ヶ崖の戦いのエピソードがどこまで事実なのか分かりませんが、今残っているこの崖の一部もけっこう深いです。一度下へ行ってみようかな。資料館です。こんなに新しくない時に入って説明を受けたことがあります。今回はスルー。本多肥後守忠真は、本多平八郎忠勝の叔父で、三方ケ原の戦いで討死した武将のひとりです。ここから次の目的地へ行く途中、浜松城ではないお城を見つけました。こじんまりとしたお城ですが・・・。堅牢な建物なので、そう簡単に落城しないと思います。浜松城公園前交番で...「浜松市史跡だけ巡り・・・②」

  • 桜の季節かな?

    河津桜は終わったみたいだけど、掛川へ行ったら桜らしき姿が見られました。先日の土曜日、仕事で行った掛川市で、ついでに掛川城下の史跡を回ろうと思い、掛川城へ行ったら、濃いピンクの桜らしき花が咲いておりました。種類は何だろうと思い、帰って調べたら、掛川桜らしいです。知らなかったなあ。ばらつきはあるものの、綺麗に咲いている木もあり、掛川城と一緒に撮ろうと思いましたが、上手く撮れませんでした。次はどこへ行ったら、桜とお城が撮れるかなあ・・・?桜の開花に合わせて行くのも難しい。ちょうど休みの日に当たればいいなあ・・・。調べてみよう。桜の季節かな?

  • 「浜松市史跡だけ巡り・・・①」

    浜松市は、仕事も含めてよく出掛ける自分にとって身近な街です。だから史跡、城跡巡りでもネットでいろいろ探して出掛けています。そんな中、2024年4月中旬に出掛けたのが、今回の「浜松市史跡だけ巡り」のその①です。浜松市中央区頭陀寺町の南北に走る中郡福塚線と、斜めに走る国道150号線が交差する頭陀寺町北交差点のすぐ東側を、南北に走っていた旧掛塚街道の名残りの道を入ると、右手奥に小さな神社があります。この画像の左下を見てください。豊臣秀吉鎌研池跡とあります。こんなところに?と思ってしまいました。豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と言った少年の頃、この地を訪れ頭陀寺城主の松下嘉兵衛之綱に身をよせて、天文22年3月(1533年)より永禄元年4月(1558年)の間、下僕として奉公していたそうです。藤吉郎が馬草を刈るのに、池のはた...「浜松市史跡だけ巡り・・・①」

  • 「桜と城2024&御城印・・・その10」上郷SA(帰り)

    黒田城から南へ下りながら国道22号へ移り道なりに南下。途中で高速の下道をさらに進むと一宮市から北名古屋市へ。そして車は北名古屋市から清須市へ入りました。そう目指していたのは清州城。御城印目当てで向かっていました。向かっていました・・・。ところが、ナビ通りに清州東ICの下で右折して、さらにその先で側道へ入りましたが、目の前には車の渋滞。ピタッと止まってしまいました。進むには進むけれど、国会の牛歩戦術のように、先の信号の左折を一台ずつくらいしか進めない状態。渋滞が進む先が左手の方の道路にあり、反対向きに進んで行くが、数メートルですぐ停車するありさま。このままでは夜になってしまう。多分清州城も桜祭りなんだろう。私たちは夜桜を見る余裕もないので、ここで渋滞から離脱、結局ICまで戻り、高速に乗りました。ああ、残念。...「桜と城2024&御城印・・・その10」上郷SA(帰り)

  • 「桜と城2024&御城印・・・その9」城№521・・・黒田城

    岐阜市の川手城から南へ一気に下り、笠松町を経由して木曽川橋を渡り、愛知県一宮市に入りました。市街地方面である南東へ下って行きながら途中で左折し、名鉄名古屋本線を越えるとJRとの間に小学校があり、城跡を調べた限りではここが城跡の住所でした。ナビが案内した小学校の位置が校舎の東側の名鉄寄りで、城跡らしき物が見えず、戻って東へ移動してやっと見つけました。山内氏の紋です。仕事で着物を扱っているので、紋には馴染みがあります。校舎、グランドの北側の水路(野府川)脇を進んで行くと、その先にJRの踏切があり、その手前の道を右折すると、グランドの北東角に城跡がありました。黒田城。天文年間に城代として居城した山内盛豊の二男が、関ヶ原の後土佐藩主となった山内一豊です。お子ちゃまの一豊です。桜がありました。一応「桜と城」かな?戻...「桜と城2024&御城印・・・その9」城№521・・・黒田城

  • 「桜と城2024&御城印・・・その8」城№520・・・川手城

    加納城から西へ進むとすぐに川があり、橋を渡って信号を右折して南へ、三本目の路地を左折すると高校があります。その高校の校舎とグランドの間(グランド側)に城跡がありました。川手城。革手城ともありました。土岐氏の築城。遺構はないので、画像もこれだけです。加納城からおよそ300mの所にある川手城でした。次は、愛知県に入ります。「桜と城2024&御城印・・・その8」城№520・・・川手城

  • 「桜と城2024&御城印・・・その7」加納城

    スシローから南へ進んで、高山本線と名鉄各務原線を越えてから右折して市街地方面へ戻り、加納公園の駐車場へ入りました。多少記憶にある景色です。城主がいるんだ。誰だろう?あの女の子か?公園(本丸跡)の中は、家族連れで賑わっていました。こちらは、城址見学です。石垣の上からの景色です。桜もあります。加納城。1445年に斎藤氏が築いたのが始まりのようですが、一時廃城となり、関ヶ原の戦いの後、家康が岐阜城の替わりの築かせ、奥平氏を城主にしたそうです。その後城主は、大久保氏、戸田氏、安藤氏、永井氏がなったようです。本丸を出て、外を見て回りました。外側からの方が、立派な石垣が見れるからです。城跡の東側には、テニスコートやグランドがありました。お城と桜がコラボした加納城でした。次は、初訪問の城跡へ向かいます。「桜と城2024&御城印・・・その7」加納城

  • 「桜と城2024&御城印・・・その6」昼食はスシロー

    岐阜公園からナビで選んだ昼食は・・・?スシロー岐阜石長店。次の目的地から遠くなかったのでここにしました。さほど待つことなく席につけました。回転ずしへ行っても、最近は10皿も食べられないんですよね。二人とも60代だからお寿司を食べられるだけで満足。好きなものを頼んで、最後はデザートを頼みます。それでも10皿には至りません。食事を済ませて駐車場へ。駐車場から見えるのは・・・?岐阜城が見えました。桜は見えないけれど、お城が見れたスシローでした。ええやん、スシロー。次は、加納城。ここも2007年11月訪問以来です。「桜と城2024&御城印・・・その6」昼食はスシロー

  • 「桜と城2024&御城印・・・その5」岐阜城と御城印・・・後編

    振り出しに戻るような感じで、岐阜公園の後編をお送りします。この辺りの歴史については、ほぼ知識がないです。名前は分かりますけどね。織田信長居館跡。信長のことだから、金華山の麓に立派な居館があったんだろうなあ・・・。発掘調査とか一緒にしてみたいなあ・・・。どこかであったら誘ってほしいです。本木君の斎藤道三、良かったよね。(個人の見解です)・・・いつの話ですか?けっこう広かったですね。段差もあるし、いい運動でした。今回は、見るだけのロープウェイでした。このエピソードは、功名が辻の時に知りました。・・・またまたいつの話じゃ。岐阜城と桜と居館跡とロープウェイが見れた岐阜公園でした。岐阜城御城印。収集第九十五号の御城印です。歴史博物館の前の噴水を挟んだ向かい側にある金華茶屋でお団子を買って食べましたが、それだけでは足...「桜と城2024&御城印・・・その5」岐阜城と御城印・・・後編

  • ちょっと情報を・・・。

    先週、本屋さんへ行ったら御城印が載ってる雑誌があったので買いました。そしたらカレンダーとオリジナル御城印が付録になっていました。ちょっと得した気分になりました。そして昨日(3月1日)、名古屋吹上で今年もにっぽん城まつりが開催されていたので行ってきました。御城印も購入して来ました。賑やかでしたが、何周もして展示やブースを見て回りました。次は、松江なんだけど、行けたらいいなあ・・・。無理かも・・・。ちょっと情報を・・・。

  • 「桜と城2024&御城印・・・その4」岐阜城と御城印・・・前編

    国道21号を走って岐阜市街地へ入り、途中で北上して金華山を目指しました。そのまま長良川の堤防沿いまで出て、北側から岐阜公園近くの駐車場を探しました。こちらも2007年11月以来の訪問となります。岐阜市歴史博物館の道路を挟んだ反対側(西側)の駐車場に入れたので、こちら側(南側)から岐阜公園へ入りました。岐阜城。二階堂氏の築城から始まり、斎藤氏、織田氏、池田氏など城主が変わっています。今は織田信長の時代の遺構が注目されているのかな。ロープウェイが見えました。前回乗りました。前回、こちらには来ていません。と言うより、発掘調査もまだだったような・・・。桜もありました。金華山ロープウェイの売店に行き、岐阜城の御城印を購入しました。ササッとはしょって来ましたので、前編はここで終了します。「桜と城2024&御城印・・・その4」岐阜城と御城印・・・前編

  • 「桜と城2024&御城印・・・そん3」墨俣一夜城と御城印

    大垣城の次に向かった墨俣城は、ほぼ東側の大垣市の端にあります。大垣城からやや南の県道を進み、揖斐川を越え、長良川の手前でやや北に移動、どう進めばいいのか分からなくなって大きなスーパーの駐車場へ入りました。調べなおして移動し始めたら、何だか渋滞している感じ。目的地は、長良川の支流である犀川の河川敷にある駐車場。しかしそこへ至る道は駐車場へ向かう車で渋滞中。桜祭りなので致し方ないが、このまま渋滞にハマっていると、後のスケジュールに支障が出る。ここでの桜と城見物を諦め、御城印だけでもなんとかならないかと、資料館側へ向かうため戻って犀川を越えました。堤防沿いに進んだ所で奥方様に車を預け、一人急いで模擬天守へ向かいました。賑わっている中を抜けて、桜祭りの係員さんに御城印を変える場所を聞き、少し並んで天守の受付へ行き...「桜と城2024&御城印・・・そん3」墨俣一夜城と御城印

  • 「桜と城2024&御城印・・・その2」大垣城と御城印

    豊田上郷SAから岐阜方面へ走り、名神の大垣ICで降りて北上、大垣市街へ向かいました。大垣城は二度来ていますが、最初は2007年11月で車で来ました。2度目の訪問は2015年9月東海道本線で来て、駅から街を歩きながらお城へ行きました。国道258号線で大垣市街地へ向かい、途中で左折して大垣駅へ向かう県道を進みました。大垣城を左手に見ながら通り過ぎ、回り込むように北側の駐車場へ入りました。駐車場からすぐにお城の西側の広場へ入りました。大垣城の写真を撮るなら西側からが良いと自分では思っています。そして今回は、桜と一緒にお城を撮ることが目的でもあります。戸田氏鉄像と撮るのもいいかな。桜を単独でもいいですね。青空だったらさらに良かったかな?目的がもう一つあるので、西門から天守へ向かいます。大垣城。竹腰氏(牛屋城)や宮...「桜と城2024&御城印・・・その2」大垣城と御城印

  • 「桜と城2024&御城印・・・その1」上郷SA(行き)

    河津桜の話題も出ている今日この頃、3月末になればソメイヨシノの花見も始まるのでは?昨年の話にはなりますが、2007年11月の城巡りとやや似たコースで、桜と城をテーマに奥方様と岐阜・愛知の城を巡って来ました。2024年4月6日岐阜県に向かって車を走らせました。いつものように音羽・蒲郡ICから東名高速に乗り、最初はどこで休憩しようかと相談しながら走りました。豊田上郷SAに寄りました。朝食になるものと飲み物を買って車へ。出口近くの方に桜の木があり、花が咲いていました。スタートから桜を見て、今日はどのくらい桜が見れるだろうか、楽しみになりました。休憩を済ませて、ここから一気に大垣市まで車を走らせます。「桜と城2024&御城印・・・その1」上郷SA(行き)

  • 「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」遠江・岡崎城

    馬伏塚城跡からまた郷土資料館方面へ向かい、県道41号で通り過ぎて行き掛川市との境近くまで進んで行きます。浅名地区を抜けると、田畑の先の左手に小山が見えてきます。再訪なので登城口も分かっています。少し上がった所に車を停め、近くの入り口はスルーして南側の神社入り口へ向かいました。遠江・岡崎城。四ノ宮氏の居城。神社の左手側は、それなりに城跡らしい遺構が目に入ります。水堀のようになっていますが、普段は空堀だと思います。ササッと見て今回の訪問は終了。「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」はこれにて終了。御城印は一か所(久野城)だけでしたが、人との関わりも含めて、郷土資料館などに寄ってみるのもいいんじゃないかと思いました。次からはそのような場所も含めて城巡りを考えるようにしたいと思います。ご訪問ありがとうございました。「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」遠江・岡崎城

  • 「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」馬伏塚城

    郷土資料館を出て北へ少し戻り、JAの所で右折して田んぼの間を進んで行くと、その先に集落と城跡が見えます。城跡を通り過ぎ、一度周辺を回ってみました。こんな遠望は、前回見ていないので城跡の雰囲気が少し分かりました。再び城跡入口へ向かいました。記憶にある景色を見ながら城跡散策です。城跡である神社へ入りました。多少土塁などが残っているんだろうか?馬伏塚城。小笠原氏などが城主でした。神社を出て周りを散策。前回より多く見て回ったような気もします。こうして再訪するのもいいのかな。小さな城跡でも見落とす所が多い気がするから・・・。御城印は久野城一か所でしたが、現地で説明を聞いて再訪のお城を見て回れたのは良かったですね。ああ、もう一か所寄って行きます。「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」馬伏塚城

  • 「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」袋井市郷土資料館

    久野城から東名高速や国道1号線バイパスを抜けて袋井市街を南下し、さらに市内を流れる原野谷川や東海道本線も越えました。そして東海道新幹線との間にある、袋井市南コミュニティーセンターへ寄りました。ここで袋井市のお城の御城印があるか聞いてみましたが、結局袋井市では久野城のみが御城印があるようでした。しかし職員さんが郷土資料館を進めてくれたので、行ってみることにしました。袋井市南コミュニティーセンターからさらに南下し、袋井市浅名にある袋井市郷土資料館にやって来ました。入ってすぐに左右に分かれた展示室があり、見学してみました。展示室1は、石器時代から古墳時代の展示でした。反対側へ。すでに訪問している城跡などの展示室でした。さらっと見た後、この入り口側の建物から中庭へ出て、奥にある建物の受付へ行って御城印について聞い...「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」袋井市郷土資料館

  • 「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」久野城と御城印

    袋井市北コミュニティーセンターから北東へ1kmくらい進むと、城跡が見えてきます。二度目の久野城です。久野城の駐車場へ行ったら、地元の人たちが何やらイベントをやっていたので、戻って西側の駐車スペースに車を停め、再び駐車場側へ行って、登城口から城跡へ入りました。イベントを横目に見ながら城跡へ入りました。城跡でのイベントなんて、羨ましい・・・。北の丸。少し懐かしい気分です。土塁。先へ進みます。地元の人かな?子供たちも城跡で遊んでいました。・・・羨ましい。本丸へ。井戸です。本丸へやって来ました。ここでも子供たちが遊んでいました。私は一人移動します。前回より多く回ってみました。高見。見晴らしのいい場所と言うことなのかな。時計回りに回って行きました。ここにも家康公の幟旗がありました。満開だったら綺麗だったろうに・・・...「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」久野城と御城印

  • 「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」袋井市北コミュニティーセンター

    静岡県の近場のお城を調べていて、御城印がありそうなの城跡はほんの少しになってきました。袋井市を調べてみたら、御城印がありそうな城跡が一か所あり、いつものように国道1号を走って、浜松市、磐田市、そして袋井市へと入りました。堀越ICで1号線バイパスを下り、側道をそのまま進行方向の東へと進み、中久能の交差点で左折、すぐの中久能北の交差点を今度は右折、100m弱走って左折すると目的地の駐車場でした。こんなところにあるんだろうか、御城印?行ってみよう。・・・御城印がありました。そういうことか・・・?そういうことか・・・?御城印を手に入れたので、さっそくそのお城へ行ってみよう。そのお城は、久野城。再訪です。「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」袋井市北コミュニティーセンター

  • 「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑩」半田市のお城と御城印

    とこなめ陶の森資料館から県道34号を走って半田市へ向かいました。目指したのは、半田観光協会のあるアイプラザ半田と言う所です。半田市街地に入り、名鉄河和線の半田駅やJR武豊線を越えて市役所方面へ。半田市役所の北側にありました。こちらで三城一緒に購入しました。最初は2023年2月撮影の亀崎城です。亀崎城。水野氏の築城。亀崎城御城印。収集第八十九号の御城印です。続いて同じく2023年2月撮影の飯森城です。有脇城。稲生氏の居城です。飯森城御城印。収集第九十号の御城印です。最後も2023年2月撮影の有脇城です。有脇城。水野信元によって市川與市郎を配したとされています。有脇城御城印。収集第九十一号の御城印です。今回の「知立・刈谷・知多半島御城印巡り」は、ここ半田市で終了。御城印をたくさん手に入れることが出来ました。次...「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑩」半田市のお城と御城印

  • 「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑨」常滑城と御城印

    名鉄常滑駅からすでに帰りながらの途中立ち寄り状態で、次の常滑城も城跡自体は寄りませんでした。やや近くまでは行ったものの御城印が手に入るか入らないかの目的地があったので、帰り道沿いのそちらを優先しました。ネットで御城印を調べていて、御城印が当たり前のように今も販売されている有名な城跡とは違い、4年くらい前の愛知県史跡整備市町村協議会30周年記念イベント「あいちの史跡をめぐって御城印・御史跡印を集めよう!」で配布されていた御城印は、現在はほとんど配布終了となっています。それでも希望をもって、「あったら儲けもの・・・」で配られていた所へ向かいました。以前行ったみよし市のお城の御城印は無かったんだよねえ・・・。希望をもって向かったのは、常滑駅からさほど遠くない場所にある「とこなめ陶の森資料館」でした。常滑市瀬木町...「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑨」常滑城と御城印

  • 「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑧」大野城と御城印

    国道155号線を走り、大草城を横目で見た後、前方の山を見るとお城が見えます。大野城もこの遠望で終了となりました。こちらも2022年5月撮影の画像を載せます。大野城。一色氏や佐治氏などが居城。佐治一成は、浅井長政の三女お江を娶りましたが、その後離縁、お江は後に徳川秀忠と再婚(再々婚です)しました。大野城のある山裾を通り過ぎ、名鉄常滑駅へ向かい、駅内の観光案内所で御城印を購入しました。大野城御城印。収集第八十七号の御城印です。次は、常滑城の御城印を目指して車を走らせました。「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑧」大野城と御城印

  • 「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑦」大草城と武将印

    坂部城から北西へ向かいました。初めての地なのでナビで行くしかありません。知多市へ入って目的地が近くなると「岡田の街並み」と言われる地域を走り、この辺りに観光協会があるようです。県道252号を走っていて右折すると駐車場へ入りました。建物は知多市おかだまちづくりセンターとあり、入り口横に知多市観光協会の表札がありました。ここで大草城の御城印(すでにお城EXPOで購入済)の代わりに武将印を購入しました。観光協会を出て西へ移動、国道155号に入り、知多半島を南下しました。途中知多市南粕谷近くへ来ると、右手に以前訪問した大草城址辺りを確認出来ました。今回は通過したので、2022年5月訪問時の画像を載せます。大草城。信長の弟である織田有楽斎長益が築城。岡田の観光協会では、その長益の武将印を購入しました。織田有楽斎長益...「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑦」大草城と武将印

  • 「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑥」城№519・・・坂部城

    東浦から南西へ下って阿久比町へ。ネット調べた御城印は、阿久比町役場では売っておらず、売っているお店の地図を頂いたので向かいました。役場から県道55号線を北へ少し進み、松月堂と言う和菓子屋さんで御城印を購入。そのまままた北へ向かい、数百メートル先で左折して、その先の分かれ道で町立図書館側へ左折、途中駐車場があり車を停めました。坂部城。久松定益が築城。1547年於大の方は、坂部城主の久松俊勝と再婚したそうです。先へ行ってみました。広い場所へ出ました。曲輪です。土塁でしょうか。横の図書館へ行ってみました。左手側が城山公園です。ここから道路へ出て坂道を下りました。坂部城御城印。収集第八十六号の御城印です。ここから北西へ上がって、知多市観光協会へ向かいました。「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑥」城№519・・・坂部城

  • 「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑤」城№518・・・村木砦

    観光協会で砦印も購入し、その場所を調べて向かいました。来た道を戻り、平行に走るJR武豊線の緒川駅の次の駅付近まで北上しました。森岡駅西の交差点を越えた先で右折すると砦跡がありました。砦跡は八剱神社の所で、すぐ脇に武豊線の線路がありました。村木砦。今川義元が築いて、松平義春に守らせたそうです。ここをめぐる戦いもあったんだなあ・・・。八剱神社。戦いから17年後に両軍の戦死者を弔うため八剱神社を建立したそうです。JR武豊線です。急きょ寄った村木砦でした。村木砦砦印。収集第八十五号の御城印(砦印)です。知多半島の御城印巡りは、まだまだ続きます。「知立・刈谷・知多半島御城印巡り⑤」城№518・・・村木砦

  • 「知立・刈谷・知多半島御城印巡り④」緒川城と御城印

    刈谷城から知多半島へ。堺川を越えると知多半島です。東浦町に入って向かったのは、東浦町観光協会でした。橋を渡ってJR武豊線を越え、緒川北の交差点を左折して南下しました。東浦役場東の交差点も通り過ぎ、川を渡って東浦交番南の交差点を右折してすぐにありました。観光協会がありました。入ります。竹千代は、家康公のことですね。於大の方とは、松島奈・・・いえ、家康公のママさんですね。こちらで御城印と砦印、そして御姫印が購入出来ました。2023年2月訪問時の緒川城の画像で済ませます。今回訪問はしませんでした。緒川城。水野氏が築城。於大の方出生地です。緒川城御城印。収集第八十四号の御城印です。於大の方御姫印です。御姫印て他の所でもあるのかなあ?調べてみようか・・・。観光協会で砦印も購入したので、急きょ場所を調べて向かうことに...「知立・刈谷・知多半島御城印巡り④」緒川城と御城印

  • 「知立・刈谷・知多半島御城印巡り③」刈谷城と御城印

    重原城から知立中央通線を西へ走って刈谷駅前で右へ、桜町の交差点を左折してさらに西へ進みました。刈谷警察署北の交差点で斜め右へ進み、体育館南の交差点で右折して、何やらイベントがあるようで、それを避けて刈谷市歴史博物館の駐車場へ入りました。新しい建物でした。オシャレすぎる建物でどこから入ればいいのか、よそ者には分かりにくかったです。中でもイベントがあり、武将たちがいました。刈谷城の武将隊?目的はここではなく、受付で御城印を購入しました。御城印を購入出来たのでサッサと博物館から退散しました。イベントは、桜まつりだったような気がします。雨模様で桜も目立たない状況でしたが、まず臨時の駐車場の交通整理で博物館に入りにくかったですが、博物館利用者のみ駐車OKだったので、すんなり入れて良かったです。体育館南の交差点を右折...「知立・刈谷・知多半島御城印巡り③」刈谷城と御城印

  • 「知立・刈谷・知多半島御城印巡り②」城№517・・・重原城

    知立市歴史民俗資料館の駐車場から少し戻って南へ進み、そこから北西へ向かって名鉄三河線を越え、その先で左折し知立中央線を走って刈谷方面へ向かいました。そして交差する国道23号バイパスと東海道新幹線を越え、すぐ先の上重原駅の交差点を左折して名鉄三河線の踏切を越えると、知立市上重原町の公民館があり、ここが城跡です。城址碑があるはずでしたが、見当たりません。・・・で周辺を探しました。あっちがメインかな?見るからに遺構(土塁や堀)の雰囲気がありました。さて、城址碑は?スマホで調べなおしました。公民館の裏手(北側)、水路側にありました。重原城。戦国時代に山岡氏が城主になっていたようですが、今川氏により落城したそうです。重原城でした。次は刈谷市へ入ります。「知立・刈谷・知多半島御城印巡り②」城№517・・・重原城

  • 「知立・刈谷・知多半島御城印巡り①」知立城と御城印

    すでに訪問しているお城も含めて、御城印が手に入るお城をネットで探していたら、知多半島方面にいくつかあったのでコースを決めて行ってきました。2024年3月24日、少し天気は悪かったけれど、御城印目当てに知立方面から知多へと向かいました。国道23号バイパスを走って刈谷市の野田ICで降りて左折、次の信号を右折して県道419号で知立方面へ向かいました。23号バイパスを潜って側道へ入り、今度は県道298号で北上、そして消防署北の交差点で左斜めへ進み、さらに長田三丁目で左折して最初の路地を右折して進むと、名鉄三河線に突き当たります。その手前の左手に駐車場があるので入りました。駐車場側からも行けますが、線路沿いに歩いて反対側へ行くと正面玄関がありした。知立市図書館・歴史民俗資料館です。ボケた画像ばかりですが見学して回り...「知立・刈谷・知多半島御城印巡り①」知立城と御城印

  • 「犬山城下町散歩・・・その9」名鉄犬山駅

    名古屋鉄道の本線は岐阜まで行きますが、犬山へ来る時は鵜沼行きに乗ってきます。時間によって名古屋で乗り換えるか、直通を選ぶかです。1時間に一本くらい犬山線(鵜沼~豊橋)がありますので、今回は行きも帰りも直通に乗り込みました。さあ、帰ります。「犬山城下町散歩」終了です。ご訪問ありがとうございました。「犬山城下町散歩・・・その9」名鉄犬山駅

  • 「犬山城下町散歩・・・その8」木ノ下城伝承館・堀部邸(午後の部)

    デザートを頂ける所を探しているうちに、朝寄った所へ辿り着きました。木ノ下城伝承館・堀部邸です。開いていました。カフェもあるのかな?とりあえず見て回ります。二階もありました。士族だから鎧兜もありますよね。別棟へ移動しました。結局見学しただけで出てきました。デザートは無しになりました。駅へ向かいます。「犬山城下町散歩・・・その8」木ノ下城伝承館・堀部邸(午後の部)

  • 「犬山城下町散歩・・・その7」城下町散歩(後編)&食べ歩き・・・座って食べました。

    本町通りへ戻って散策しながら歩きました。雨が降って来て、お腹も空いたので食べ物屋を探しました。本町通りを半分くらい戻って、店が集まる所があったので、雨宿りも兼ねて奥へ入ってみました。たこ焼きとフランクフルトも。雨が止んだので再び散策です。帰りの方がかなり賑やかでした。もう一度犬山城を見ておきます。今度はおやつが(デザート)が欲しくなりました。調べておいたお店を探しながら歩きます・・・。「犬山城下町散歩・・・その7」城下町散歩(後編)&食べ歩き・・・座って食べました。

  • 「犬山城下町散歩・・・その6」犬山城近辺(犬山城前観光案内所~犬山城と御城印)

    本町通りから犬山城へ行く前に、お土産屋さんの所で左へ行き、駐車場方面へ向かいました。駐車場に近くなると犬山城が見えました。そして駐車場の手前に犬山城前観光案内所があります。ここで犬山城の御城印を購入しました。そして道路を渡って犬山城へと向かいました。木曽川と以前通ったライン大橋が見えました。犬山城へやって来ました。本丸門までやって来ました。ここで入場券を買って中へ・・・とはならず、ここから先は以前奥方様とも訪問済みなので、今回のメインである城下町へ戻ることにしました。帰りはコースを変えてここを入って行きました。三光稲荷神社。周辺がいつの間にか賑やかになっていました。犬山城御城印。収集第八十号の御城印です。さあ、本町通りへ戻ります。「犬山城下町散歩・・・その6」犬山城近辺(犬山城前観光案内所~犬山城と御城印)

  • 「犬山城下町散歩・・・その5」旧磯部家住宅

    本町通りを歩いていて、途中見学出来る古い住宅がありました。・・・寄って行きました。「柏屋孫兵衛」の屋号で呉服商を営んでいた商家です。・・・取引してもらいたいなあ・・・。旧磯部邸、復元施設です。なまこ壁。むくり屋根。少し膨らみ(カーブ)があります。旧磯部邸、見学終了。そして犬山城へと向かったのです。「犬山城下町散歩・・・その5」旧磯部家住宅

  • 雪に注意しましょう。

    普段雪が降らない所で雪が降ると、慣れていないのでいろいろトラブルが起きます。雪が多い所はもっと大変でしょう。2022年1月、岡崎市の桑谷城。2022年1月、岡崎市山中城。家の中にいても、いつもより足元が冷えます。外はもっと寒いでしょう。雪に注意しましょう。次回は、「犬山城下町散歩」に戻ります。雪に注意しましょう。

  • 「犬山城下町散歩・・・その4」城下町散歩(前編)

    堀部邸から稲置街道に出て北へ進み、信号交差点を渡ると本町通りになります。とりあえず見て歩きましたので、まず犬山城手前までの本町通り散歩の画像を載せていきます。犬山おどき・・・?犬山城が見えます。交差点の向こうが本町通りです。朝早かったので、時間的に開いていない所もあります。雨でもあり、人通りも少ないですね。犬山城が近くなりました。犬山城の見える位置が変わりました。もうすぐですね。桜が少し開いていました。この木の方が多く咲いています。本町通りを抜けました。次回は、本町通り(前編)で一か所寄ってきましたので、そこを画像で紹介します。「犬山城下町散歩・・・その4」城下町散歩(前編)

  • 「犬山城下町散歩・・・その3」木ノ下城伝承館・堀部邸

    木ノ下城跡である愛宕神社入り口の前の道を西へ進み、突き当りを左折、そしてすぐに右へ進んで行くと、稲置街道に出る手前に、古い屋敷があります。事前に調べた情報では、木ノ下城伝承館・堀部邸とあったので寄ってみました。・・・が。休み?まだ開いてないだけ?旧堀部家住宅。犬山城主に代々仕えた士族、堀部家が建築したそうです。開いていないから仕方がない。城下町へ向かおう。稲置街道へ出て北へ進めば、犬山城が正面に見えるはずの本町通りです。行こ行こ・・・。しかし、ここは後編があるのでした・・・?「犬山城下町散歩・・・その3」木ノ下城伝承館・堀部邸

  • 「犬山城下町散歩・・・その2」城№516・・・木ノ下城

    駅前へ降り立ち、そのまま正面の道を進みました。最初の信号交差点でそのまま進めば城下町へ一気に行けますが、信号を渡ってから左へ進みました。城下町へ行くには反対側の南へ歩きましたが、次の信号交差点の犬山市役所前を通り越した先の路地を右に行くと神社がありました。愛宕神社。ここは?城跡でした。木ノ下城。織田氏の居城。奥方様と散策しました。遺構らしきものはないようですが、井戸は同時代に掘られたようです。城跡にも寄れたので、ここから城下町方面へ向かいます。「犬山城下町散歩・・・その2」城№516・・・木ノ下城

  • 「犬山城下町散歩・・・その1」犬山へ

    以前犬山方面へ行った時、犬山城近くへは行ったものの、人の多さで駐車場も探さず遠望だけでスルーしたので、城下町を歩こうと電車で行くことにしました。昨年3月20日、雨模様でしたが計画通り奥方様と出発しました。スタートは豊橋鉄道渥美線です。出発!豊橋駅で名鉄電車に乗りました。ちょっと贅沢に指定席券を購入です。犬山線だったのでそのまま犬山到着。ここから城下町へ歩きです。犬山城は何度か来ましたが、城下町を歩くのは初めてです。たくさん歩くんだろうなあ・・・。「犬山城下町散歩・・・その1」犬山へ

  • 掛川古城・・・龍華院

    再び掛川市に戻って、掛川城を目指して車を走らせました。県道415号(昔の国道1号)へ出て西へ移動、掛川城の近くまでやって来ました。左折する所を通り過ぎてしまい、結局北門の交差点を左折して、その先の駐車場の手前で再び左折して坂道を上がって行きました。報徳社の所を右折していけば掛川城へ行けますが、ここをそのまま直進して、民家が切れる手前の左の坂道を上がって行きました。駐車場に入りました。お寺っぽくないですが、龍華院と言うお寺です。さっそく散策です。以前ここへ来たのは、掛川古城のこの説明版(前回の説明版と違うかも)がある場所が目的だったので、周りはほとんど見ていませんでした。そのまま歩き続けました。土塁かな。高い所だと分かります。城跡らしい遺構があるみたいです。西郷の局。於愛の方は、広瀬アリスさんが演じたんだっ...掛川古城・・・龍華院

  • 掛川城移築城門・・・龍雲寺

    2024年3月、掛川市へやって来ました。信用金庫の所を右折して駅前方面へ向かました。そして掛川駅のすぐ北側を走る県道37号を新幹線や東海道本線と平行に東へ進んで行き、やがて市街地を抜け、新幹線と別れて東海道本線に沿って進んで行くと、菊川市西方に龍雲寺と言うお寺が左手に現れます。洞谷山龍雲寺。駐車場に入りました。室町中期の永正11年(1514年)曹洞宗開祖道元禅師より十三世の法孫にあたる法山宗益和尚が開創した禅寺です。そして龍雲寺裏門とされているのが、掛川城移築城門らしいです。ほぼ使われていない状態ですね。道の向こうが東海道本線です。菊川茶、掛川茶、静岡県はお茶屋さんが多いです。車に戻って出発。また掛川に戻ります。掛川城移築城門・・・龍雲寺

  • 「設楽10城への道(後編)」城№515・・・田口城

    国道257号をさらに南下し、設楽町の役場や警察署のある田口地区まで戻って来ました。せっかくだったので調べていた城跡に寄ってみました。大田口の交差点の次の交差点である役場北の交差点を左折し、役場の横を過ぎたら右折、すぐに左折して坂道を上がって行きました。高台になっている所を目指しました。上がり切ってその先の奥三河総合センターの駐車場に入りました。山の上の感じでした。奥三河総合センターの真ん中の通路を通って、この場所の入り口辺りまで戻ります。坂道を上がって来て、奥三河総合センターの反対側へ進むと別の建物があります。奥三河郷土館です。もう閉館したみたいです。この辺りが城跡だったようです。田口氏の居城。以前は電車があったみたいです。まだ距離がありますので帰ります。トイレ休憩で、道の駅したらに寄りました。何かな?ふ...「設楽10城への道(後編)」城№515・・・田口城

  • 「設楽10城への道(後編)」城№514・・・鍬塚城

    帰り道になって国道257号をさらに南下して行きました。そして「設楽10城」最後の城を確認するため左手の山を見ていましたが、遠望で確認出来る所を探しながら走りました。名倉地区より南側の設楽町川向タラノ木辺りを調べてあり、そこから左前方の山を写そうと思っていましたが、近くに林があって分かりませんでした。もっと奥の山です。この向こうの山のはずですが・・・。この向こうだと思います。だと思います。この向こうのはずなのに・・・。もう少し早く遠望を撮れば良かった・・・。戻ることも考えましたが、帰りの道のりも長いので、このまま通り過ぎて行きましたが、実は、津具から名倉へ向かって「ささぐれもみじ街道」を走っていた時に見つけた案内板があり、その写真を撮っていました。ちょうど鍬塚城の北側くらいにある進入口でした。鍬塚城。名倉奥...「設楽10城への道(後編)」城№514・・・鍬塚城

  • 「設楽10城への道(後編)」城№513・・・寺脇城

    再び道の駅アグリステーションなぐらの前を通り過ぎ、国道257号を南下していきました。名倉郵便局を過ぎて集落を抜けた先で左折して東進、名倉川も越えて田んぼの間を走りました。あれかな?とも思いましたが、調べた情報ではこの道沿いではなかったはず、そのまま通り過ぎました。あの辺りのはず、目的地が近くになりました。左折して北側を見ると城跡付近が正面になりました。やや左の方がそうかな?城跡である山の麓までやって来ました。城跡入口がありました。動物除けの柵がありました。背が高いので(胴が長い)柵の上からカメラを構えて撮りました。柵を開けにくかったので中へ入るのを断念しました。諦めが早い私です。寺脇城。詳細不明ですが、城主に後藤氏や名倉奥平氏の名前があるようです。ほぼ遠望での訪問となりましたが、9城目をクリアです。寺脇城...「設楽10城への道(後編)」城№513・・・寺脇城

  • 「設楽10城への道(後編)」城№512・・・清水城

    この日4か所目、通算8か所目の城跡目指して、道の駅アグリステーションなぐらを出ました。設楽10城も残り3か所です。5分もかからずやって来ました。今日一分かりやすい城跡か?城跡入口です。入城!いろいろ標柱が立っています。本曲輪は、もうすぐかな?来たぞ。清水城。南北朝時代に足助氏の代官、菜蔵左近蔵人が居城したようです。途中降りる場所を変えたら、こんな感じでした。画像がボケていて消したのも多かったけれど、ほぼほぼ城跡を満喫出来ました。今回一番北にある城跡を先に済ませ、この地区を戻りながら10城の内の残り2城を目指します。清水城御城印。収集第七十七号の御城印です。残り2城か・・・。「設楽10城への道(後編)」城№512・・・清水城

  • 「設楽10城への道(後編)」道の駅アグリステーションなぐら

    いつものようにひた走っていましたが、飲み物やおやつぐらいはどこかで買って休憩する時はあります。湯谷城から国道257号へ出てさらに北上し、この日の一番遠くにある城跡を目指していましたが、その手前に道の駅があるのは調査済みなので寄りました。駐車場に車を停めてトイレに行き、その後道の駅へ入りました。食堂があったり地物の野菜などを売っていましたが、用はなかったので、道の駅と駐車場との間に情報やパンフレット、チラシなどが置いてある情報・パンフレットBOXとある小屋があったので入って、その名の通りパンフレットやチラシをいただきました。どこかで同じような地図を見た気がする・・・。自販機で飲み物を買って車で休憩。すぐにこの近くにある城跡へ向かいました。「設楽10城への道(後編)」道の駅アグリステーションなぐら

  • 「設楽10城への道(後編)」城№511・・・湯谷城

    名倉カントリークラブへの入り口へ戻り、国道257号を数百メートル北上して、ナビで調べた場所を目指して左折、古墳がある場所の脇を通って山側へ。そんな感じで進んで行きました。向こうに古墳があるらしい。あれか?古墳目当てではないので先へ進みます。橋はふさがっています。このあたりだったかなあ?調べた地図を思い出しながら、手前を歩いてみました。お墓があります。そんな情報もあったかも?どうなんだろう?城跡かなあ?川の向こう側だったりして・・・。遺構ではないような感じです。・・・橋へ戻りました。なんだ!橋を渡って行ったら、こんなものが・・・。最初からこっちへ来れば良かった。さっきには何だったのか?まあいいや、散策、散策。坂を上がって行きます。ここも雪が残っていました。まだかな?雪を見ると嬉しくなる。・・・戌年です。明る...「設楽10城への道(後編)」城№511・・・湯谷城

  • 「設楽10城への道(後編)」城№510・・・小鷹城と御城印

    津具地区内をしばらく北西へ走って、民家が少なった所でささぐれもみじ街道を西へ向かって走ります。この道はなだらかで走りやすかったです。前回の長江城へ行った時は、崖下を気にしながら走りましたから、この道の優しさには感謝です。数キロ走って行くと国道257号へ突き当たり、右折して北上しました。設楽町東納庫地区を走っていると、名倉カントリークラブと言うゴルフ場があります。ここでゴルフを楽しむ・・・ではなく、このゴルフ場の奥の山が城跡らしいです。遠望ですが、民家の奥の高い木々の後ろに見える白っぽい所がゴルフ場のコースで、その奥の山が城跡だと思われます。小鷹城。戸田氏が城主だったようです。近くだと分かりませんね。ゴルフ場の入り口の方へやって来ました。3月ですが雪が残っていました。ゴルフ場です。土塁ではありません。別の所...「設楽10城への道(後編)」城№510・・・小鷹城と御城印

  • 「設楽10城への道(後編)」城№509・・・津具城と御城印

    設楽10城の田峯城、田内城、岩古谷城、長江城を前回訪れましたが、この日は残りの小鷹城、湯谷城、清水城、寺脇城、鍬塚城、津具城を回ろうと、豊橋から前回と同じ道のりで新城まで進みました。残り6城の中で津具城だけが山々を挟んで東側にあったので、先に津具城へ向かいました。田峯、道の駅したら、田内城などの脇を走って前回も通った設楽町役場のある田口地区も通り過ぎ、その先の国道257号(左へ折れて橋を渡る)との分かれ道である設楽大橋東の信号交差点を、そのまま真っすぐ県道10号へ進み、設楽町津具地区へ向かいました。津具地区に到着し、先にトイレ休憩、設楽町津具総合支所の駐車場へ入りました。津具城の情報はないかな。でもネットで場所はしっかり調べてきたから大丈夫でしょう。津具城へGO!駐車場の道を挟んで向こう側は津具幼稚園、右...「設楽10城への道(後編)」城№509・・・津具城と御城印

  • 次回は・・・。

    ブラックサンダーを食べながらじゃないんだけど、続けて簡単な投稿をします。「設楽10城への道」は、愛知県設楽町にあるお城の10城の御城印が販売されていると言うことで、一人山城へ向けて車を走らせました。その最初は、道の駅したらにある設楽町観光協会で御城印を購入し、田峯城、田内城、岩古谷城、長江城と4城を訪問して来ました。10城の内4城とは、なんと少ない・・・、山道を走るのは疲れるんですよ。そんなことで6城も残してしまいましたが、二週間後、再度出かけて残りの6城を目指しました。前回よりも距離的に遠い所にある残り6城。すべて訪問出来たのか、どうか?山城だから登り切れなかった所ばかりじゃないか?でも、少しは頑張ったので、またご訪問願います・・・。次回は・・・。

  • ブラックサンダー・・・有楽製菓

    静岡県の浜名湖側に史跡・城巡りなどへ出かけると、帰りに寄りたくなるのは、ケーキ屋かコースを変えての途中にある有楽製菓です。またまた寄ってしまいました、有楽製菓豊橋夢工場の直営店。こんなものもありました。いくつか買って帰り、さっそく頂きました・・・。次回から「設楽10城への道(後編)」になります。ブラックサンダー・・・有楽製菓

  • 「にっぽん城まつり2024feat.出張!お城EXPOin愛知」名古屋城と御城印

    にっぽん城まつりの会場で名古屋城の御城印を手に入れられなかったので、地下鉄を途中乗り換えして名古屋城へ寄ってみました。そして御城印を購入出来る場所を探して歩きました。名城線の名古屋城駅で降りました。歩き疲れてはいましたが、気力を振り絞って前進です。金シャチ横丁東門エリアの宗春ゾーンです。ここもまた、人多いよね。美味しそうな店が並んでいます。お腹すいたなあ・・・。東門前にやって来ました。御城印は売っていなさそうだったので、ここはスルー。ドルフィンアリーナ(愛知県体育館)側へ向かいました。一応名古屋城へやって来たことにはなりますよね・・・!?Bリーグの試合をやっていたんだと思います。ちょっと名古屋城が見えました。時々、テレビで試合を見たりしています。名古屋城訪問も多い方ですが、ここを歩いたことはあまりなかった...「にっぽん城まつり2024feat.出張!お城EXPOin愛知」名古屋城と御城印

  • 「勇敢な市民」見てきました。

    五年振りくらいに映画館で映画を見て来ました。韓国映画の「勇敢な市民」です。仕事は和に関連した仕事で、日本のお城好きですが、韓国ドラマを見ることも多い私です。韓国ドラマは、ぺ・ヨンジュン、チェ・ジウの「冬のソナタ」くらいからが始まりかな。映画は、チョン・ジヒョンの「僕の彼女を紹介します」からです。そして最近、「哲仁王后(チョルインワンフ)~俺がクイーン⁉」のシン・ヘソンがお気に入りで、この1月17日封切りの「勇敢な市民」を昨年末から知って、見に行こうと思っていました。心配だったのは、トイレが近いので2時間も座っていられるだろうか?でしたが、無事にクリア出来ました。シニア料金でした。善悪がはっきりして、アクションものなので、ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画を見るのと同じような気分で見られました。興味が...「勇敢な市民」見てきました。

  • 「にっぽん城まつり2024feat.出張!お城EXPOin愛知」にっぽん城まつりで御城印

    会場の中のブースは、愛知県近隣のご当地のお城をPRする所が多く、最近投稿した設楽10城の設楽町のブースもありました。行った所もあちこちあり、その辺りを中心に訪問済のお城の御城印を購入しました。岩村城御城印。収集第六十六号の御城印です。2013年5月撮影の岩村城です。岡崎城御城印。収集第六十七号の御城印です。2022年10月撮影の岡崎城です。小牧山城御城印。収集第六十八号の御城印です。2023年3月撮影の小牧山城です。佐和山城御城印。収集第六十九号の御城印です。2016年1月撮影の彦根城から見た佐和山城遠望です。彦根城御城印(ひこにゃんバージョン)。収集第七十号の御城印です。2016年1月撮影の彦根城です。桑名城御城印。収集第七十一号の御城印です。2008年1月撮影の桑名城です。大草城御城印。収集第七十二号...「にっぽん城まつり2024feat.出張!お城EXPOin愛知」にっぽん城まつりで御城印

  • 「にっぽん城まつり2024feat.出張!お城EXPOin愛知」吹上ホールでお城EXPO

    テレビで存在を知った「にっぽん城まつり」を目指して名鉄電車に乗り込みました。目指す会場となる名古屋市の吹上ホールは、仕事関連で何度か行ったことがあるので調べる必要もなく、名古屋駅で地下鉄桜通線に乗り換え、7駅先の吹上で降り、歩いて吹上ホールを目指しました。地下鉄の駅を出た先は、見覚えのある景色なので向かう方向も分かります。同じ方向へ行く人もいるので、目的地は同じなのか?吹上ホールはもう目の前です。ここはその手前にある吹上公園です。人の流れからそれて、少し公園側を歩きました。仕事関連でないので、気楽に歩きました。そろそろ会場へ行こう。名古屋市中小企業振興会館吹上ホール、過去は手前の中小企業振興センターのビルの方へ来ていたので、ホールの方は初めてです。賑やかなのかな?想像より賑やかでした。今も城マニアは多いよ...「にっぽん城まつり2024feat.出張!お城EXPOin愛知」吹上ホールでお城EXPO

  • 「にっぽん城まつり2024feat.出張!お城EXPOin愛知」出発!

    2024年3月2日土曜日午前。テレビを見ていたら、ロンブーの淳くんがにっぽん城まつりを紹介していた。見終わった後、行ってみようかなあ、と思い、急きょ出発。名古屋へ向かいました。豊橋鉄道渥美線に乗って豊橋駅へ。今回は名鉄電車で向かうことにしました。飯田線。次の電車を待っている間に撮りました。JR東海道線。やって来ました。豊橋出発!途中、東岡崎駅。車窓。どこ?岡崎城。岡崎、通過・・・。「にっぽん城まつり2024feat.出張!お城EXPOin愛知」出発!

  • 「設楽10城への道(前編)」城№508・・・長江城と御城印

    岩古谷城の遠望を見て戻りましたが、ナビは大田口の交差点まで戻らず、途中で右折して大きく回り、山の縁を走って行きました。そして蛇行する完全な山道。片方が法面や杉の木などの高い木ばかりで、もう片方が谷になっていて同じような木々が伸びているだけで、谷底が見えないような道を走るのは、正直不安になりますし、それが長く続くと戻りたくなります。しかし城跡が近づいているのに戻ってしまうのは、大きな損失のようにも思い、頑張って走りました。やっと城跡の案内標柱が現れました。・・・涙が出そうです。少し上がった所に駐車スペースがあり、道路を挟んで反対側には廃屋がありました。城跡の近くですが人もいなくなってしまった地域なのか?城址入り口を矢印で示しています。少し戻るのかな?石垣があるけど関係ないね。廃屋関連の石垣かな。入り口があっ...「設楽10城への道(前編)」城№508・・・長江城と御城印

  • 「設楽10城への道(前編)」城№507・・・岩古谷城と御城印

    田内城から再び国道257号へ出てさらに北上。もうここからはナビを頼りに行くだけです。山の間を走って行くと設楽町の警察署や役場がある中心の地区へ入りました。そして大田口の交差点で右折して東へ進みました。到着しましたが、上の道か?走ってきた道をそのままなのか?分からないまま上の道へ。とりあえず、情報を基に上の道へ進んでみました。山が近くなると、標柱がありました。もう少し進んでみます。この上の山が城跡みたいです。そのまま進んでいきました。トンネルがあり抜けて来ました。県道のトンネルより古いトンネルだと思います。この上に城跡があるんだと思います。こんなのが立っていました。・・・でも戻ります。堤石隧道でした。下の県道へ出ました。この先が新しい岩古谷トンネルです。岩古谷城。菅沼氏の築城と云われています。岩古谷トンネル...「設楽10城への道(前編)」城№507・・・岩古谷城と御城印

  • 「設楽10城への道(前編)」

    設楽10城の二番目の城へ向かいます。道の駅したらから国道257号を北東へ少し走り、最初の信号交差点を左折して橋を渡ります。渡り切ってすぐに右折して山道を上がって行きます。駐車スペースがあるので車を停めて、城跡の入り口へ行きました。この山です。田内城。二回目の訪問となります。菅沼氏の城です。・・・と言うことで、前回本曲輪まで行っていますので、ここは遠望までとし、次へ向かうことにしました。田内城御城印。収集第六十三号の御城印です。次からは初訪問の山城が続きます。どこまで行けるのか不安もありますが、何とか辿り着きたいと思います。「設楽10城への道(前編)」

  • 「設楽10城への道(前編)」田峯城と道の駅したら(設楽観光協会)と御城印

    一昨年からネットで御城印のあるお城をアチコチ探しています。すでに訪問した所も、まだ行っていない所も含めてスケジュール的に行きやすい所から御城印を目指して車を走らせています。その検索の最中に見つけたのが、設楽10城の御城印でした。設楽10城とは、愛知県北設楽郡設楽町にある山城のことです。長江城、清水城、小鷹城、湯谷城、田峯城、岩古谷城、田内城、寺脇城、鍬塚城、津具城の十城の御城印が一度に手に入るならと、昨年2月末に出かけました。実際の所自宅からは遠いので、この日は行ける所までにしようと言うことで出発しました。豊橋、豊川、新城へと車を走らせ、新城の途中から国道257号へ出て設楽に向かって北上しました。豊川沿いを北上していた途中の長楽のT字交差点で右折して、今度は海老川沿いに北上しました。そして右折すれば四谷の...「設楽10城への道(前編)」田峯城と道の駅したら(設楽観光協会)と御城印

  • 「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その6」城№506・・・武田勝頼観戦地(才ノ神本陣)

    以前訪れた設楽原歴史資料館へやって来ました。ここから同じこの高台にある住宅の中心を通る道まで出て北上して行くと、のぼり旗と案内板があります。武田勝頼本陣地跡。矢印が書いてるけど・・・。この説明でたどり着くのかな?すぐの脇道がそうでした。行きます。向こうにも旗があります。あっちですね。林の中へ入って行くんだ。分かれ道です。左を百メートルです。ここにも旗、向こうにも旗。親切な案内です。ここか・・・。武田勝頼観戦地。ここからあの馬防柵が見えたんだろうか?分かれ道まで戻ってきた。林から出てきました。武田勝頼観戦地の才ノ神陣地でした。車へ戻って来て、そのまま北側へ山を抜けて行くと、広い道へ出ました。そして坂を上がって行くと、史跡の説明版がありました。と言うことで・・・。上がってみます。このまま上がって行けば才ノ神陣...「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その6」城№506・・・武田勝頼観戦地(才ノ神本陣)

  • 「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その5」セット・サンク(SEPT CINQ)

    本長篠からちょっと遠征して鳳来寺山表参道まで行きました。目的は史跡でも城跡でもなく、ナビで出てきたケーキ屋さんです。駐車場に車を止めてお店を探しました。位置的にはこの奥のようだったんだけど・・・。少し歩いてみましたが、ケーキ屋らしいお店もなく、奥へ行く道もありませんでした。表参道の入り口方面へ戻って付近を調べると、舗装されていない駐車場から抜け道があり、そちらへ行ってみました。ここかな?あれかな?お客さんがいたのでここだと分かりました。SEPTCINQ・・・読めなかったのでネットで調べたら、セット・シンクとありました。一人で出かけると、どうしてもケーキを土産にしたくなります。土産と言っても自分が食べたいだけで、財布をチェックし、小遣いと相談して寄るか、寄らないか決めています。左は三人分。右は優先順位で決め...「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その5」セット・サンク(SEPTCINQ)

  • 「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その4」長篠・河津の桜並木

    飯田線の本長篠駅近くまでやってきました。駅前から見ると国道を横切って北へ走ります。数百メートル走ると左へカーブし始めるので、その手前の神社のところを右折して坂を上がって行くと、臨時の駐車場がありました。ここから道なりに歩いて南東へ向かって行きます。(画像では手前に向かう)そちらにはトンネルがあります。少し早かったですね。満開を見たかったなあ・・・。とりあえず初めての所なので、トンネルへ向かいます。内金トンネル。旧田口線の鉄道トンネルでした。実はここから満開の河津桜が見えるはずでした。職場の年間のカレンダーに三河の名所の写真があり、このトンネル越しに満開の河津桜が綺麗に写っていました。写真を撮る腕が悪いのではなく、満開時に来ることが出来なかったからだと、言い訳をしたい気持ちです。トンネルを抜けると、白い梅の...「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その4」長篠・河津の桜並木

  • 「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その3」中山砦

    豊川の東側をそのまま北上、こちらは交通量が少ないのが良い。桜淵公園を通り過ぎさらに進んで行くと、やがて新東名の高架が見えて来ます。「そうだ、あそこへ寄って行こう」そう思い高架を過ぎてすぐに右折し坂道を上がって行きました。2回目の訪問の中山砦跡。最初の時はこの階段を前に行くのをためらいましたが、今回は経験済みなのですぐに階段を上がって行きました。山城も初めての時は、あとどれくらいで着くのか分からず、体力と相談して断念することが多いですが、一度経験すると、ここからもう少し頑張れば行ける、と思えるので最後まで行けるようになります。でも体力や持久力が向上したわけではなく、気持ちの問題です。やっぱり疲れるし、息も上がります。着いた・・・。武田五砦として訪問した時が懐かしい。・・・そんなに前ではないけれど。整備される...「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その3」中山砦

  • 「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その2」宝昌院と菜の花畑

    望月家住宅からそのまま奥へ走り、やや東側に向かうとお寺がありました。訪問の予定はしていませんでしたが、何か歴史に関係ないか寄ってみました。由来を読んでみると徳川家康の名前が出てきました。所々の石垣が魅力的でした。昌林山宝昌院。臨済宗東福寺派のお寺。駐車場に戻って次の目的地へ向かいます。宝昌院から望月家住宅側ではなく時計回りに戻っていくと、途中に神社があり、その前に菜の花畑がありました。諏訪神社です。神社の方へも行ってみました。黒田地区の建物です。・・・戻ります。菜の花も鑑賞できたので、ここから鳳来方面へ向かいます・・・。「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その2」宝昌院と菜の花畑

  • 「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その1」郷道の滝~望月家住宅

    昨年2月中旬、豊橋の東側から新城方面へ向かい、豊川の東側から西側の鳳来方面へ走って史跡、名勝などを見てきました。最初は、豊橋市石巻西川町の郷道の滝公園へ行きました。こうした名勝?の中で滝などを時々探して寄ったりしていますが、近場が多いので有名な場所には行けてません。それでも滝は普段の生活とは違う場所へ来た感じが強く感じられて好きですね。奥の階段を下りて行きます。何度か来ていますが、前日の天気によって水量や水の落ちる姿は違います。滝行はしたことないですけど、落ちてくる水を浴びてみたいです。続いて郷道の滝から北東へ移動し、g…マップで見つけた古民家へ向かいました。望月家住宅。国の重要文化財(建造物)。18世紀中ごろに建てられた民家。釜屋建て(居室部と土間を別棟とする分棟型民家)で現存する同種の建物としては一番...「新城方面ミニ(見に)ドライブ・・・その1」郷道の滝~望月家住宅

  • 「豊田~みよし~日進史跡巡り⑩」石川家住宅

    予定していない場所に時々寄っていくことがあります。今回もある程度の予定は済ませていたので、そのまま帰ることはできたのですが、ナビで調べていると、史跡のマークが近くにあったので寄ってみました。三好城跡の中学校から西側のやや広い道路を北に走り、次の信号交差点の一つ前の路地を左折しました。門の前を通り過ぎると建物の西側に駐車場がありました。そこから入口のほうへ歩いていきました。石川家住宅ってどんな歴史があるんだろうか?事前調査もなかったので何も知りません。ここでガイドの方とお会いし、案内してくれることになり、説明を聞きながら見学しました。石川家住宅。明治43年に石川正雄が建設。正雄の父石川愛次郎は三好村村長などを務めた。正雄の長男石川恒夫は、中京テレビの社長、会長などを務めました。この石川家住宅は恒夫の死後、三...「豊田~みよし~日進史跡巡り⑩」石川家住宅

  • 「豊田~みよし~日進史跡巡り⑨」城№505・・・三好城

    三好市立歴史民俗資料館の駐車場から右に出て、すぐ左の路地を入って行くと、しばらくして左手に八幡社、右手に中学校があり、この辺りが城跡のようです。グランドの南側に駐車スペースがあったので、車を停めてちょっとだけ散策。今度は画像右手が八幡社、左手が中学校です。こちら側より少し高い位置になります。西側は少し雰囲気がいいですね。三好城。佐久間氏が居城していたようです。八幡社や学校が城跡だったりすることはよくあること。両方なら確実かな?八幡社と中学校でした・・・。いえ三好城でした。この近くでもう一ヶ所寄って帰ります・・・。「豊田~みよし~日進史跡巡り⑨」城№505・・・三好城

  • 2025年 明けましておめでとうございます。

    明けましておめでとうございます。今日はさすがにゆっくりしています。でも今までそうだったかと言うと・・・?ブログを始めた2007年からの正月三が日の城巡りを振り返ります。和歌山城。2008年1月2日、大阪の奥方様の親戚からの帰り道。・・・と言ってもここから一泊しています。大和郡山城。和歌山から奈良へやって来て、奈良公園近くのホテルで一泊しました。伊賀上野城。2008年1月3日、奈良から三重県の伊賀へやって来ました。亀山城。神戸城。桑名城。2008年正月の城巡りでした。伊賀上野城。2015年1月1日、再び大阪の親戚からの帰り道です。この前日大みそかは、岸和田城や法隆寺などを回って、奈良で一泊しています。近江八幡城。2016年1月1日、二年連続大阪からの帰り道で、今回は滋賀県経由です。安土城。登城は断念したので...2025年明けましておめでとうございます。

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