No.12の記事で紹介したように昭和45年(1970年)1月に関西本線・奈良線・片町線が乗り入れる木津駅を訪れていましたが、昭和46年3月にも木津駅を訪れていました。前回は奈良機関区を訪れた帰路に立ち寄ったため、貨物ヤードの入れ替え仕業が終
前回に続き、昭和46年(1971年)1月に西舞鶴を訪れた時の駅と貨物ヤードの様子を紹介します。 69653の発車シーン Scanner Scanner Scanner D51 254の発車シーン Scanner Scanner 29680の
昭和45年3月に西舞鶴を訪れはじめて「キューロク」に合うことができましたが、残念ながら迫力のある姿を撮影することができず、再度昭和46年(1971年)1月に西舞鶴を訪れました。今回はその時の機関区の様子を紹介します。次回には駅と貨物ヤードの
No.21にて昭和45年3月に舞鶴線の西舞鶴を訪れた記録を投稿しましたが、昭和46年(1971年)1月にも西舞鶴を訪れています。その途中に山陰本線と舞鶴線が乗り入れる綾部駅にて冬の光景を撮影していました。当時の綾部駅には貨物ヤードと給炭・給
山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)の二条駅近辺にもよく訪れていました、駅の北方のカーブあたりに陸橋があり、撮影スポットの1つになっていました。最初の写真は昭和46年1月に雪が降った日の園部行のC57です。 Scanner 別の日に撮ったD51
C57の旅客列車やD51の貨物列車が活躍していた山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)の花園駅には何度も訪れていました。昭和46年の1月のある日(たぶん日曜日)の朝、京都市内では珍しく雪が降っていました。その光景を見て急いで花園駅まで自転車で花園
昭和45年11月に片町線(現在の学研都市線)と城東貨物線(現在のおおさか東線)が合流する放出(はなてん)駅を訪れています。現在の放出駅の南には立派なタワーマンションが建てられ近代的な駅前となっていますが、当時は貨物操車場があり城東貨物線のD
前回の呉線広駅での撮影後、糸崎に向かいました。お目当ては東京発(呉線経由)広島行の急行「安芸」の牽引機がヘッドマークを付けている勇姿でした。期待していたのはC62でしたが、あいにく当日はC59で少々がっかりした記憶があります。しかしヘッドマ
東海道本線や山陽本線で活躍したC62やC59の大型蒸気が第一線から退き、その当時も活躍していた呉線には一度は訪問したいと思っていましたが、昭和45年9月30日をもって呉線の蒸気機関車が引退するとの情報得て、急遽その年の8月に呉線への訪問を決
昭和45年~46年にかけ、山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)で活躍するC57の旅客列車やD51の貨物列車を追っかけ、ここ嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)にも度々訪れました。現在は嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵯峨駅も併設され多くの観光客が押し寄せています
昭和45年(1970年)7月に家族旅行で東北へ行きました。当時はまだ中学生でしたので1人で東北まで遠征などできず、観光がメインの家族旅行の合間に撮った写真が何枚か残っている程度です。 先ずはトップ画面ですが、京都から特急日本海で酒田駅に到着
昔の鉄道写真が続きましたので、ちょっと息抜きでNゲージネタをアップします。 私のNゲージの第一のコンセプトはやはり「少年時代に恋した蒸気機関車たちを手元に置いて楽しみたい」ということであり、扇形機関庫のある機関区は必須アイテムでした。ター
前回の亀山機関区を訪れ、京都への帰路に加太駅で途中下車しました。当時の関西本線には多くの貨物列車が走っていて「加太越え」としてD51が後補機を付けて活躍しており、この加太駅はマニアの聖地となっていました。「加太越え」の写真は後日撮影していま
鉄道雑誌で関西本線亀山にC50がいるとの情報を得て、昭和45年(1970年)5月に亀山機関区を訪れました。よくみると8620に似た機関車でしたが、初めて見る新形式でしたので少々興奮した記憶があります。主に操車場での入れ替えに使用されていまし
前回の福知山機関区を訪れた日(昭和45年3月)には西舞鶴にも立ち寄りキューロク(9600形)を初めて撮影しました。機関区を訪れましたが、キューロクの姿はなく、まずはC12やC58を撮影しています。 Scanner Scanner その後、庫
「ブログリーダー」を活用して、D51 1018さんをフォローしませんか?