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車中泊の歩き旅 https://mshuji.hatenablog.com/

60代の爺が車中泊をしながら、四国遍路や沖縄本島一周などの歩き旅をします。

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2024/06/08

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  • 42日目後遍:焼山寺~鴨島駅

    藤井寺に向かって焼山寺道を進むと、 四丁と舟形地蔵の石があった。 こちらは十丁と舟形地蔵の石。 「へんろころがし」6/6を下る。 前回、ここを登るのは大変で、「へんろころがし」の中でも最高難度だと感じた。 左右内集落を流れる左右内谷川も美しい。 ここは最も低い標高400m地点の橋。 時間があれば川原に下りて、ゆっくり休みたい。 左側の石は、是(ヨリ?)左 焼山寺二十丁。 中央の舟形地蔵さんの右は、👉へんろ以外に左という字もある。 右側の石は、←↓へんろ道である。 藤井寺 百二十二丁のお地蔵さんを過ぎて、 この日の最高地点である、標高745mの浄蓮庵(一本杉庵)に着いた。 順打ちのお遍路さんが一…

  • 42日目前遍:神山高校前バス停~焼山寺

    週間予報では翌日と翌々日に雨マークがあったため、先に難所の焼山寺を歩くことにした。 結果的に天気は崩れなかったが、土日は早朝のバスがないので適切な判断だったと思う。 佐古駅から徳島駅までJR、徳島駅前バスターミナルから神山高校前まではバスで移動した。 神山高校(徳島県立城西高等学校神山校)前を8時半に歩き出す。 国道438号を西に進むとすぐに右折し、 県道43号に入って鮎喰川を越える。 車道のため緩やかな登り坂で、40分でおへんろ駅や宿がある鍋岩集落に着いた。 木の葉で一部の字しか読めない。 大阪の山ちゃんさんのブログによれば、右の二つが明治の石だ。 真ん中の石は、すぐ(ぐす)👉へんろみちで、…

  • 41日目後遍:田野町~蔵本駅

    道標に従って民家の間の路地を進むと、 👉へんろ道の石。 👈の下にお地蔵さんが彫ってあり、右面の文化七午天まではこの写真でも確認できる。 左から、つる巻坂 花折地蔵 古跡、大師像、不動尊。 最も石が丁石である。 これらの石は弦巻坂にあり、 案内板には「義経軍は釈迦庵から恩山寺への登る坂の向こうに敵兵がいないことを探知して弓の弦を巻かしたのでここを弦巻坂という」と書かれている。 源平合戦で屋島にいる平家を背後から襲うための進軍らしく、義経が弦を緩めるよう指示したという方が正しいような気がする。 その後、牛舎の横を通り大師銅像の前を過ぎると、 第18番、恩山寺に着いた。 本堂。 大師堂。 再び大師銅…

  • 41日目前遍:人形文化交流館前バス停~田野町

    阿南駅前から、同じく蔵本駅前のDパーキングに移動した。 蔵本駅前は駐車可能台数が少ないが、幸運にも1台分だけ空いていた。 蔵本駅から南小松島駅まではJRで移動した。 南小松島駅に外国人のお遍路さんがいたので、どこから来たのか尋ねたら今回2人目のイタリア人だった。 鶴林寺に行くというので、乗車するバスは同じだ。 紛らわしいバスが何度か停まった際に助言できたので、僅かでもお役に立てたのかな? イタリア人お遍路さんの目的地は、まだ先のようだ。 お先に前日のゴールである人形文化交流館前で下車し、8時半前にスタート。 逆光のため真っ黒で、さすがに読めない。 きちん宿お鶴の位置から、大阪のやまちゃんさんの…

  • 40日目後遍:水井橋~人形文化交流館前バス停

    那賀川沿いの遍路小屋に、お遍路さんが二人休憩していた。 会釈だけしてお先に遍路道に入ったが、トレッキングシューズの中に何かが入ったようで気になる。 十七丁の丁石とお地蔵さんの近くに座り、シューズを脱いで異物を取り出していた。 すると、先ほどまで休憩していたお遍路さんが追い越していった。 再び歩き出すと、またまた茂兵衛さんの石があった。 この道標は、唯一、自然石の表面に刻まれたものとのことだ。 88/279回目、明治19年に建立されたものである。 地図を見ても、ここからどちらに進めばいいのかわからず、しばらく迷った。 先ほどの2人に着いて行けばよかった。 舗装路を歩いていたら、タイミングよく順打…

  • 40日目中遍:いわや道~水井橋

    いわや道も終わりに近づき、 太龍寺ロープウェイの支柱が見えて来た。 二十丁の丁石。 左の案内板には、以下のように書いてある。 正面:左 ふだらく山(太龍寺山の古称)、右 ほんだうへすぐ道 右面:元文二丁巳三月吉日(一七三七年)、施主 和泉屋丈兵衛 遍路道のうちでこの形の道標は唯一のものです 👈へんろ道、左面は施主の情報が彫られている。 またまた茂兵衛さんの石だ。 内容はこの通りで、記念すべき100/279回目の石である。 大師御入山一千二百年を記念して造立された「求聞持法御修行大師像」。 前回は近くまで行ったので、今回はスルーした。 その案内板(石碑)はこの通り。 一丁の丁石の前を通過し、 第…

  • 40日目前遍:新野駅~いわや道

    阿南駅から新野駅までJRで移動し、7時前に歩き出す。 苔生しており👉しか読めない。 第22番、平等寺に着いた。 仁王様。 明治三十一年と思われる、中務茂兵衛さんの石だ。 160/279度目の石のようだ。 おむかえ大師石像。 弘法大師銅像。 本堂。 大師堂。 弘法の霊水。 不動堂。 寺を出て次の札所に向かう。 左の石は、二十二番平等寺と二十一番太龍寺の文字が見える。 右の石は、👈や天保二卯(1831年らしい)などの字が確認できる。 この石も古そうで、👉だけわかる。 右の石は、👈左 平等寺 十五丁のようだ。 超高層の遍路小屋の前を通り、大根(おおね)峠に向かう。 久しぶりに山道を歩く。 舗装路では…

  • 39日目:山河内駅~新野駅

    早朝、道の駅日和佐から阿南駅に移動し、駅の横にあるコインパーキングに駐車した。 阿南駅から山河内駅まではJRを利用し、 7時半過ぎに歩き出す。 これほど立派な石なのに、写真からは👉しかわからない。 道の駅日和佐の前を通り、 第二十三番、薬王寺に着いた。 仁王様。 本堂。 大師堂。 厄坂(左側にある石段)を登って、 瑜祇塔(ゆぎとう)に行ってみた。 四角い屋根に五柱の相輪、中央部は円筒形、最下部も方形で色使いも独特だ。 境内からは日和佐の街並みや、うみがめの産卵地である大浜海岸が見える。 寺を後にして、 日和佐の銀座通り?から振り返ると、瑜祇塔が見える。 前回は県道25号を歩いたが、今回は北河内…

  • 38日目:海の駅東洋町~山河内駅

    前日は11月2日(土)だったが、大雨のため歩くのをやめた。 次の拠点である日和佐まで移動し、薬王寺温泉に入浴後、コインランドリーで洗濯した。 この日の朝は山河内駅に車を置き、JRで阿波海南駅まで移動した。 阿波海南駅からは、DMVで海の駅東洋町まで移動した。 この写真ではタイヤで走っているが、 阿波海南駅から甲浦駅までは線路を走る。 DMVとはこの看板で分かるように、道路だけでなく線路も走ることができる乗物である。 甲浦駅に着いてからは再び道路を走り、 海の駅東洋町に着いて、8時半過ぎに歩き出す。 ほどなく徳島県境の水床トンネルを抜け、 海陽町(旧宍喰町)の国道55号沿いを進む。 宍喰を過ぎる…

  • 37日目:都呂バス停~海の駅東洋町

    海の駅東洋町からバスに乗り、昨日のゴールである都呂バス停に着いた。 8時過ぎに歩き出す。 台風の影響なのか風が強い。 傘を広げると雨がやみ、たたむと降るという繰り返しだ。 佐喜浜町の中心部を過ぎた所に、佐喜浜四国霊場八十八ヶ所があった。 付近の山中に88体の石仏が設置され、2時間のハイキングコースにもなっているそうだ。 その先で多くの荷物を手押し車に載せ、押して歩くご老人とすれ違い、挨拶を交わした。 私も前期高齢者だが、この方は80歳前後と思われる。 どのような生活をされているのか知る由もないが、どうぞご無事でと祈るしかなかった。 ライダーズパラダイスの前を通過。 カフェや宿泊施設もあり、文字…

  • 36日目後遍:最御崎寺~都呂バス停

    第23番、最御崎寺に着いた。 仁王様は、ぎろっとした眼しか写っていなかった。 本堂。 大師堂。 多宝堂。 鐘楼堂。 大師石像。 鐘石。 叩くと金のような音を発し、冥土まで届くそうだ。 最御崎寺の案内板。 これで高知県の札所を巡り終え、残るは徳島県の23寺だ。 寺を後にして、国道に向かって下る。 順打ちの場合、標高165mまで短距離を直線的に登るため厳しい。 今回は下りなので、全く問題ない。 捻岩(ねじりいわ)。 弘法大師が念仏を唱えて祈念し、異変をおさめたと伝えられているとのことだ。 そんなことができるのであれば、現代に戻って来て戦争や異常気象を収めていただきたい。 国道に着くと室戸岬の案内板…

  • 36日目前遍:元橋バス停~最御崎寺

    前夜は道の駅キラメッセ室戸にお世話になり、早朝に室戸岬の駐車場に移動した。 室戸岬から元橋バス停までバスで移動し、 午前7時前に歩き出す。 国道55号を30分ほど歩き、 第25番、津照寺に着いた。 ここは海に近いため、今までに津波が到来しているはずだが、本堂は奥の石段の上で影響なさそうだ。 津照寺の縁起。 本堂。 台風対策のためか外壁はコンクリートで、出入口はアルミサッシだ。 石段の途中には、鐘楼や 箱(祠)入り仁王像、 写経大師尊像があった。 大師堂。 中央の階段の上に鐘楼があり、本堂はさらに上の狭い場所にある。 右の大師堂は下にあるため、南海トラフが動いたら浸水する可能性が高そうだ。 室津…

  • 35日目:唐浜駅~元橋バス停

    唐浜駅を6時半に出発。 唐浜駅のキャラクターは「とうのはま へんろ君©やなせたかし」だ。 風邪をひいているのか、鼻水を垂らしている。 国道55号沿いにあった新しい石で、説明不要だ。 ゴールは金剛頂寺の先のバス停なので、この日のルートは30km弱だ。 安田町の中心部に近い「輝るぽーと安田」は、道の駅ではないが 3kmほど先には、道の駅田野駅屋がある。 田野駅と国道の間の便利な場所にあり、駐車場が狭く車中泊は不可能ではないが不向きだ。 歩いて来た方向を振り返ると、高知市ははるか彼方になり 写真では分かりにくいが、水平線上には足摺岬方面が見える。 加領郷の大師堂前にある、弘法大師霊跡碑の前を通過する…

  • 34日目:和食駅~唐浜駅

    唐浜駅から和食駅まで、土佐くろしお鉄道で移動した。 6時半頃から歩き出すと、間もなく安芸市に入る。 引き続きサイクリングロードが遍路道であり、赤野自転車道休憩所から琴ヶ浜を振り返る。 安芸しらす食堂。 前回はここでお昼ごはんをいただいた。 安芸市は、阪神タイガースのファームキャンプ地として知られている。 写真右側は球場前駅で、歓迎阪神タイガースの垂れ幕がかかっている。 地図通り歩いても遍路石はないので、国道沿いの歩道を歩く。 高知県内のスタンドはほとんど¥182-/Lであり、予め愛媛県で給油してきた。 市内を過ぎた伊尾木駅付近から、防波堤の歩道が現在の遍路道になっている。 長きにわたり改装中だ…

  • 33日目:後免駅~和食駅

    前日は道の駅やすにお世話になり、早朝に和食駅に移動した。 土佐くろしお鉄道で後免駅まで引き返し、 朝7時前には歩き出す。 松本大師堂に寄るつもりだったが、またまた道を間違えてしまった。 松本大師堂と大日寺の間に、 👈大日寺、へんろ道、👉国分寺の石があった。 字体や風化の度合いから、かなり新しいと思われる。 一方、こちらはかなり古そうだ。 👉國分寺 二十九番と読める。 物部川を渡ってからも道を間違え、約8kmの道を2時間以上もかかって歩き 第28番、大日寺に着いた。 本堂。 大師堂。 地蔵菩薩堂。 近くにある奥之院にも行ってみた。 こちらの薬師如来も、首から上の病気にご利益があるそうだ。 信じれ…

  • 32日目後編:竹林寺~後免駅

    五台山の牧野植物園から降りてくると、 「ここから先は植物園の園地となります。お遍路の方は通り抜けいただけますが植物園内を散策される場合は入園料が必要となりますので、正門、中門、南門の入園窓口にお回りください。」 と書かれた看板がある。 お遍路さんは、ありがたいことに入園料なしで歩くことを許されているのだ。 それをいいことにして、植物園をただで見学をするべきでないことは言うまでもない。 平地に近づくと、何らかの果物と思しきものが栽培されている畑の中を通る。 既に14時前になっており、 ここは土佐だが、讃岐うどんの「たも屋」に入った。 写真から、サイズ不明のかけうどんと、とり天をいただいたと思われ…

  • 32日目前編:三里文化会館前バス停~竹林寺

    三里文化会館前バス停を通るバスは、高知駅前バスターミナル始発ではなかった。 この日は土曜日だったため、はりまや橋バス停8:50発が最も早く、スタートが遅れてしまった。 バス停から歩き出した時には、既に9時10分を過ぎていた。 海岸沿いの県道14号から、やや陸側に入った遍路道を歩く。 1時間近く歩いて、 禅師峰寺の入口に着いた。 左側の車道ではなく、右側の歩き道を登ると 私の能力では判読できない、丁石と思われる石があった。 写真はぶれてしまったが、道がぬかるんでいる。 白くて丸い円は雨粒と思われ、 山門の写真にも写っている。 第32番、禅師峰寺に着いた。 境内からは土佐湾が見え、こちらは桂浜方向…

  • 31日目後編:仁淀川大橋~三里文化会館前バス停

    仁淀川大橋を渡り、少し先を右折すると 新川大師堂の手前に文政年代の石があった。 かろうじて年号だけ読めたが、その他の字は読めない。 新川大師堂は、逆光のため真っ黒になってしまった。 これは前年に撮影した写真だ。 👉👈従是一里※※、清瀧寺道と思われる。 左は施主武※※の下はアスファルトで覆われている。 撮影の仕方が悪く、何と書いてあるか全く読めない。 これは涼月橋の案内板で、 右側半分が、明治30年頃に造られたメガネ橋である。 この先の下流部には 新川のおとしがある。 仁淀川上流の材木や木炭などを高知城下に運び、逆に日用品や雑貨を奥地に運ぶ物流拠点として繁栄した旨が書かれている。 上部の👉清瀧寺…

  • 31日目前編:東芝バス停~仁淀川大橋

    高知駅前バスターミナルから、昨日のゴールである東芝バス停に移動した。 7時半頃から、土佐市高岡町内を北西方向に進む。 道端にあったお地蔵さん。 舟形の丁石かと思ったが、明治三十六年三月作とだけ書いてある。 最下部にも字のようなものが彫られており、ここに?丁と書いてあるかもしれない。 第35番、清瀧寺に着いた。 斜めの格子の間から撮影した仁王様。 仁王門には竜の天井画があり、 その説明はこちら。 本堂。 大師堂。 厄除け薬師如来立像、本堂、大師堂の3ショット。 この写真は、今回の旅の中でもお気に入りの一枚だ。 大師像と大師堂の2ショット。 参道から土佐市(高岡町)の町並みを望むことができる。 左…

  • 30日目:道の駅かわうその里すさき~東芝バス停

    前日は高知市内の快活CLUBでWeb会議を行い、休養日だった。 高知駅近くのコインパーキングに車を置き、土佐新荘駅まで列車で引き返して 7時半まえに道の駅かわうその里すさきを出発。 須崎市内を歩き、 県道23号を西に進む。 住友大阪セメントの巨大なプラントの前を通過して、 こちらの遍路小屋で一休み。 鳥坂トンネルを抜けると、緩やかな下り坂に変わる。 浦ノ内湾の手前にある、県道47号への分岐に 交通規制の看板があった。 計画では直進する予定だったが、最悪の場合50分も足止めされるため、右折して県道47号へ進んだ。 ところが記事を書いているたった今、21:00~5:00という時間帯に気づいた。 「…

  • 29日目:仁井田駅~道の駅かわうその里すさき

    この日も雨のため順延を考えたが、昼間はそれほど降らなかった。 前日と同じ列車で仁井田駅まで移動し、 8時前に歩き出す。 国道56号または国道沿いの遍路道を歩き、一駅先の影野を過ぎると お雪椿の案内板があった。 椿の木は、数年前に枯れてしまったようだ。 ご興味のある方は、以下のサイトで。 https://tosabushi.com/2022/03/14036/ となりには立派な休憩所もある。 前回はこちらでうどんをいただいたが、香川県とは異なりまだ9時半なので開店していない。 四万十町と中土佐町の境界線手前にあった石。 阿波、弘法大師、立江寺など、一部の字は読める。 七子峠を通る大坂遍路道は前に…

  • 28日目:伊与喜駅~仁井田駅

    早朝、土佐西南大規模公園から須崎に移動した。 運転中は風雨が強く歩くのは止めようと思ったが、昼間はほとんど降らなかった。 須崎駅に有料駐車場があるようなので、道の駅から現地まで行ってみた。ところがコインパーキングではなく、駐車場所や料金の支払い方法が不明のため、あきらめて引き返した。道の駅の本体からは道路を隔てた、第2駐車場の奥の方に車を置かせていただき 土佐新荘駅に行った。 この日に乗った7時18分発に乗り遅れると、次は13時35分だ。 ここには停まらないが特急列車もあるので、一駅前の須崎に行けばもっと本数は多い。 窪川駅まではJR、その先は土佐くろしお鉄道で伊与喜駅に行き歩き始める。 遍路…

  • 27日目:道の駅ビオスおおがた~伊与喜駅

    前日のゴール地点は道の駅ビオスおおがたと書いてはいるが、正確には土佐西南大規模公園駐車場である。 土佐湾沿いに入野松原というビーチがあり、海水浴やキャンプ、サーフィンなどで賑わう。 その公園の駐車場がある国道沿いの一角に、道の駅があるというイメージだ。 その駐車場を6時半前に出発。 水平線の上からそそぐ朝日を浴びながら、東に向かって歩く。 振り返れば左側に足摺岬がかすんで見え、右側は入野松原付近である。 屋根の形がクジラをイメージさせる休憩所があったが、スタートしたばかりで素通り。 壁にはイラストもあり、ホエールウォッチングができるようだ。 海の王迎駅の看板前を通過。 面白い駅名だと思って撮影…

  • 26日目:民宿大岐の浜~道の駅ビオスおおがた

    6時半に朝食をいただき、7時過ぎに出発。 ご覧の通りの天気で、時々小雨が降ったが、雨具の出番はなかった。 前日は40km歩いたので、足が重くペースが上がらない。 下ノ加江の海岸から、向こうに見える岬の方向へ進む。 歩道に見える小さな赤いものは、カニである。 近づくと急ぎ足で逃げるのだが、このようなことは何度もあった。 橋の上から撮影した、下ノ加江川の河口付近。 渡り終えると左折し、国道321号を真念庵方向に向かって打ち戻る。 途中のバス停で休憩すると、お婆さんが声をかけて下さった。 詳細は(本日の一言)欄に書くが、昔この場所でSちゃんというお子さんが交通事故で亡くなったそうだ。 手を合わせてご…

  • 25日目:民宿大岐の浜 ⇔ 金剛福寺(打戻り)

    他の宿泊者は全て6:30朝食開始だったが、私だけ7:30だった。 前夜、できるだけ遅い時間を望まれていたのだ。 昨夜の夕食もそうだったが、すべての料理が美味しい。 食後のコーヒーの味も本物だった。 8時頃から歩き出す。 民宿から金剛福寺まで行って、打戻ると約40kmである。 平均時速5kmで歩いても8時間、休憩時間を合計1時間とすれば17時頃までかかるはずだ。 できるだけハイペースを維持しながら、以布利集落の遍路道を歩く。 この日に歩いた遍路道や県道27号は足摺岬の半島東岸に設けられ、土佐湾を望むことができる。 外観からは、利用できるのか不明な休憩所がある。 以布利分岐の停留所付近。 計画では…

  • 24日目:平田駅~民宿大岐の浜

    平田駅を6時頃に出発した。 県道21号を三原村に向かって歩く。 この分岐は県道のトンネルではなく、右の道に進む。 その理由はトイレだったが、先客がいたので我慢して先に進んだ。 中筋川ダムと、 ダム湖である蛍湖。 ダムの上流には「梅の木公園・三原いこいの森」がある。 県道の標高100m地点にある、三原村との境界。 我慢も限界に近づき、ルートを少し外れた場所にある公衆トイレを拝借した。 村内から宮ノ川トンネルを抜け、県道46号との交差点を左折する。 県道は平坦な舗装路で、歩きやすい。 上長谷集落には城跡があり、 地蔵峠を越える真念遍路道という延光寺に続く遍路道がある。 平田駅からここまで歩いた県道…

  • 23日目:一本松バス停~平田駅

    平田駅の駐車場に車を置き、宿毛駅までは土佐くろしお鉄道で移動した。 宿毛駅から一本松バス停までは、宇和島バスで移動した。 7時半頃にスタートし、バス停のある交差点を右折する。 右下の花はブラジル原産のランタナで、特に高知県では多くの場所で野生化していた。 可憐な花を咲かせるが、「世界の侵略的外来種ワースト100」に選ばれるほど繁殖力が強いそうだ。 間もなく松尾大師の前を通過。 こちらは移設後のもので、もとの建物はこれから行く松尾峠にある。 松尾峠はこの標識から3.8km先で、標高300mの地点にある。 前回は宿毛から登ったが、急傾斜で厳しかった。 途中には宇和島藩の小山番所跡があり、 現在は井…

  • 22日目:須ノ川キャンプ場~一本松バス停

    6時半前に須ノ川キャンプ場を出発した。 スタート直後の宇和海は穏やかだ。 国道56号の内海トンネルも、車道と歩道が別々で歩きやすい。 四国のみちの石は新しくて読みやすいが、 古い石は向こうに見える柏坂を越える山中にあり、国道沿いにはない。 今は同じ愛南町だが、旧内海村から旧御荘町に入った。 国道は小高い場所にあり、室手海岸を望むことができる。 四国のみちの石だが、やや年季が感じられる。 しかし、明らかにNCデータによる機械彫りのため、手掘りのような味は出ないだろう。 第40番、観自在寺に着いた。 私と同じくらい逆三角形のマッチョで腕も太く、筋骨隆々とした仁王様だ。 本堂。 大師堂。 心経宝塔。…

  • 21日目:宇和島駅~須ノ川キャンプ場

    須ノ川バス停から宇和島駅までは、宇和島バスで移動した。 8時前、宇和島駅から歩き始める。 宇和島市の中心商店街(だった?)と思われる、きさいやロードの前を通過する。 国道56号沿いに、市内を南西に向かって歩く。 宇和島南IC入口の交差点を左折して南下する。 歩道の標識に、はるか195km先とはいえ高知という文字が。 札所は残り40/88か所と半分以下になったが、距離は半分以上残っている。 これは四国のみちの石で、札所とは無関係な庭園の方向と距離を示している。 途中の「島原蒲鉾」で、晩酌の酒肴としてじゃこ天を買った。 松尾トンネルに入る。 この峠は僅か標高220mであり、トンネルではなく峠越えす…

  • 20日目後編:歯長峠~宇和島駅

    歯長峠から下ると、 一旦、県道31号に合流する。 すぐに県道を離れ、地図に「がけ崩れ注意」と書かれた道を歩く。 前年も既に崩れていた場所はそのままで、崩落個所の上の迂回路がデフォになっている。 平地まで下りてから、歯長峠を振り返る。 写真中央より右の、やや低い所が峠と思われる。 ほどなく第42番、仏木寺の山門に着いた。 カラフルな仁王様。 大谷翔平とは異なり、一般的な日本人に近い6頭身のお迎え大師石像。 本堂、 大師堂ともにやや小ぶりだ。 残木堂。 聖徳太子堂。 不動堂。 お寺を出て県道を南に進む。 👉へんろ道。 昭和十二年四月建と思われる。 左側は👉へんろ道、右側は👈へんろ道。 逆打ちの場合…

  • 20日目前編:卯之町駅~歯長峠

    早朝に知清公園を出発し、宇和島駅近くの駐車場に移動した。 宇和島から卯之町駅までは、JRで引き返した。 7時前に歩き始める。 宇和町内の昔ながらの通りを歩き、 お寺のある山を登る。 第43番、明石寺に着いた。 この由来を読んで、本来は「あげいしじ」であることを初めて知った。 この案内板には「辺路」という文字がある。 今までの石に書かれていたのは「遍」ではなく、「辺」の旧字体である「邊」の草書体の可能性もあると思った。 今までの石を再度見て、検証してみたい。 山門に着いた。 本堂。 屋根が白いのは露出の問題ではなく、霧が原因である。 大師堂。 夫婦杉。 苔生していて読みにくいが、👈明石寺と思われ…

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