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車中泊の歩き旅 https://mshuji.hatenablog.com/

60代の爺が車中泊をしながら、四国遍路や沖縄本島一周などの歩き旅をします。

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2024/06/08

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  • 19日目:知清公園~卯之町駅

    朝7時20分頃、内子町の知清公園を出発。 川原にはキャンピングカーに加え、祭りの準備のため地元の方々が集まっている。 左へんろ???菅生山道九里と思われる、五十崎付近の石。 北山駅手前で歩き遍路道に入ると、 神南堂の休憩所がある。 前回も寄るつもりだったが、見逃してしまったのだ。 シズカ様が作られたフクロウやサルがお接待として置いてあり、 これを頂戴して家のカギに付けて利用している。 現在はフクロウやサルではないようだ。 ありがとうございました。 これより菅生山へ十り。 菅生山は大寶寺の山号で、ここから約40kmだ。 新谷地区の街中を歩く。 ここは新谷藩一万石の陣屋町で、戦時中には松本零士氏が…

  • 18日目:久万公園~知清公園

    次の明石寺までの札間距離は約70kmで、歩くだけの日が2日続く。 内子から電車で松山までは列車で、 さらにJRバスで久万高原へ移動した。 10時前に久万中学校前の停留所から歩き出す。 細かすぎる方は、久万公園~久万中学校前を歩いていないと思われるかもしれない。 しかし、16日目にここから松山行のバスに乗る前に歩いているのだ。 久万高原町の街中を歩き、鴇田(ひわだ)峠を目指す。 最初は緩やかな登り坂だったが、この程度の傾斜で300mの高低差を稼ぐことはできない。 案の定、山に近づくにつれて急峻な坂になる。 それなりに苦しいのだが、 このような雰囲気のいい山道は、歩き遍路でしか味わうことはできない…

  • 17日目後遍:岩屋寺~久万公園

    岩屋寺の山門を出て、裏山を登る。 寺の上にも境内と同じような岩壁があり、見事な杉の木もある。 登り坂には、ご本尊の不動明王に仕える三十六童子のお地蔵様がある。 それぞれが不動明王の手助けとして、また、不動明王に代わって私たちを救済する存在として信仰されているとのことだ。 その上には逼割(せりわり)行場があり、 頂上からは石鎚山を望むことができるそうだ。 岩屋寺のご本尊は秘仏だが、このお堂の中は別の不動明王と思われる。 これは六丁または八丁の丁石と思われ、 こちらは岩屋までしか読めない。 頂上付近にある八丁坂の茶店跡。 延享5年(西暦1748年)に建てた「遍照金剛」と彫った大石碑とは、 左側の大…

  • 17日目前遍:久万公園~岩屋寺

    午前7時前に久万公園を出発。 右の遍路道に入り、左の県道12号のカーブをショートカットする。 再び県道と合流し、峠御堂トンネルを抜ける。 トンネルを出たら県道から外れ、河合集落まで下りる。 中央の大きな石は👈も👉も遍んろ道と思われるが、細かい字は彫が浅く読めない。 左の赤い矢印の通り、左は千本峠経由で浄瑠璃寺、右は岩屋寺である。 左の小さい石は👉岩屋の下は地面に埋もれており、右は岩屋寺六十六丁までは読める。 明治時代の終わりごろ、この辺りには15軒のへんろ宿が建ち並び、春の彼岸ごろには300人もの泊り客があったと書かれている。 営業している様子はうかがえないが、こちらもそのうちの一軒だと思われ…

  • 16日目後遍:八坂寺~久万公園

    八坂寺と浄瑠璃寺の間に 四国のみちの案内板があった。 これからこの赤い線の道を歩き、標高710mの三坂峠を越えるのだ。 長時間考えたが、読めそうで読めない。 👈※※へん路道? 第46番、浄瑠璃寺に着いた。 本堂。 大師堂。 説法石。 お釈迦様が説法され、修行されたインドの霊鷲山の石が埋め込んであるとのことだ。 樹齢千年を越え大師お加持の霊木。 逆から歩いて来たので、この石段を下りて寺を後にする。 ここから三坂峠まで、8.2kmの登りが始まる。 雲に覆われた山に向かって進む。 浄瑠璃寺から4km地点。 まだ舗装路だが、徐々に登りがきつくなる。 坂本集落で、車に乗った住民の方が「ここから久万高原に…

  • 16日目前遍:久米駅~八坂寺

    コインパーキングがないため、久万公園に車を置かせていただき、JRのバスで松山に向かう。 伊予鉄道の立花駅から、昨日のゴールである久米駅に移動して歩き始める。 この頃にカメラの設定を変更したと思われ、建物の写真が少しまともになった。 国道11号を横断して住宅地を歩き、 第48番、西林寺に着いた。 露出は適正に近づいても、金網にピントが合うのは変わらない。 本堂も 大師堂もやっと白っぽくなくなった。 水子地蔵尊。 「秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛」という正岡子規の句碑。 AIによれば、「ていれぎ」は愛媛県松山地方での方言で、和名では「オオバタネツケバナ」と呼ばれる植物とのこと。清流の水辺に生える…

  • 15日目後遍:太山寺~久米駅

    太山寺を出て、昨日ご紹介したヒデキゴルフガーデン横の遍路道ではなく、国道196号に向かって歩く。 道端にあった石には、何らかの文字が書かれているが読めない。 松山市内はどこに行っても祭りで、雨に濡れながら神輿を担ぐ姿が見られた。 この日は月曜日だったが子供も多く、学校は休みだったと思われる。 鴨川一丁目の交差点を通過する頃から、どんどん足が痛くなった。 「まいどおおきに食堂」で昼食を兼ねた休憩をしたが、それでも治らない。 近くのJAにベンチがあったので、さらに休ませていただいたら少し楽になった。 御幸町で歩き遍路道に入り、小川沿いの細い道を歩くと 弘法大師御自作、👈やくよけ延命地蔵の石。 こち…

  • 15日目前遍:伊予北条駅~太山寺

    草木も眠る丑三つ時、今治駅から松山市内の駐車場に移動した。 ナビが案内する通り国道317号を走ると、最短距離だがとんでもない山道だった。 駐車場から松山駅までは徒歩で移動し、4時頃まで駅前のベンチで時間をつぶした。 松山駅付近の線路は高架になり、9日前に新たな駅がオープンしたばかりで、旧駅舎もまだ解体されていなかった。 ピカピカの構内には、 まだ早すぎてほとんど人がいない。 反対方向の宇和島に行く始発列車は撮影しただけで、 前日のゴールである伊予北条駅まで移動した。 この日は雨が降り続き、イナレムのレインウェアの上下に加え、傘をさして歩く。 すでにお参りした延命寺まで七里の石。 県道179号を…

  • 14日目後遍:延命寺~伊予北条駅

    延命寺を後にして、 国道196号を松山方面に歩く。 この時点で9時前であり、夕方まで歩けば松山へ行くのも決して不可能ではない。 左側は四国のみちの新しい石で、👈五十三番円明寺三十二・八km。 右側は👉右へんろ道と思われるが、下部はアスファルトに埋もれている。 「新来島どっく」に近づくと、県道15号が遍路道になっている。 妙齢のご婦人5名で構成された、逆打ちのお遍路さんグループが大西駅から出て来た。 挨拶をして、追い抜かせていただいた。 民家の向こう側には、ドックのクレーンがたくさん見える。 👉や大阪、明治などの字が部分的に読める。 「新来島どっく」に係留されている“MOL”を調べたところ、商船…

  • 14日目前遍:今治市内コインパーキング~延命寺

    今治駅を7時前に出発した。 駅の近くには、船舶用の巨大なスクリューのオブジェがあった。 今治だけではなく、対岸も含めた瀬戸内海沿いには多くの造船所がある。 ほどなく第55番、南光坊に着いた。 仁王様ではなく多聞天(たもんてん)で、AIによれば仏教の四天王の一人で、北方を守護する神様とのことだ。 坊という名前の札所はこちらだけである。 本殿。 大師堂。 薬師堂。 金毘羅堂。 大師像。 今治市戦災の碑。 市内を南西方向に進み、予讃線を過ぎると 👉遍ん路道、延命寺江二十八丁の石があった。 大谷墓園の中を歩き、舗装路を横断する前に 今まで見たことのないタイプの新しい石があった。 👈へん路道の石とお地蔵…

  • 13日目後遍:横峰寺山道~玉之江駅

    分岐点を過ぎても、 まだ登り坂が3.6kmも残っている。 👉小松町、👈横峯寺と思われる。 二十八丁(約3km)の石。 ごく一部だが、石畳のような道があった。 二十丁(約2.2km)の丁石を過ぎ、 横峰寺まで1.2km地点で、有料の林道と合流した。 普通車の料金は¥2,000-、バスに乗ったら¥1,800-らしい。 すれ違いが困難な細い道らしく、歩かなくても経済的に十分難所だ。 車道には、私も飼育しているオニヤンマ君の死骸が落ちていた。 Temuでは類似品が¥130-(送料無料)なので、原価は数十円かな? 第60番、横峰寺の星月堂(納骨堂)に着いた。 本堂。 大師堂。 ここのベンチで休憩中、ママ…

  • 13日目前遍:伊予小松駅~横峰寺山道

    荒天のため後回しにした、香園寺と横峰寺にお参りする。 今治駅からJRで伊予小松駅に移動した。 6時過ぎに、伊予小松駅から歩き出す。 歩道の真ん中に、👉四国六十二番宝寿寺の石がある。 國ではなく国という字なので、近代のものと思われる。 第61番、香園寺に着いた。 まだ7時前であり、納経所は開いていない。 大聖堂。 この大きな建物の中(2階)に、本堂と大師堂がある。 子安大師。 既にお参りされた方があり、火がついたろうそくがある。 百度石。 境内には大きな建物が建築中だった。 この建物の横の道を上がろうとしたが、ご近所の方が正しい道を教えてくださった。 ありがとうございました。 松山自動車道沿いに…

  • 12日目後遍:仙遊寺~今治市内コインパーキング

    第58番、仙遊寺山門に着いた。 右の石に書かれた山号は作禮山だが、なぜか山門の字は違う。 仁王様。 腹筋はシックスパックどころではなく、「中山きんに君」よりもムキムキだ。 更なる修行はいつものパターンだ。 坂の途中には御加持水があり、 お大師様にお迎えいただく。 本堂。 大師堂。 仏足跡。 お釈迦様の足は「ジャイアント馬場」より大きい。 仙遊寺は作礼山頂上よりやや下にあり、標高255mと小高い場所にある。 下山する途中には、瀬戸内海を望むことができた。 「お遍路の 心の旅の 憩い寺」 この石碑の遍という字をみて、今まで「遍(扁?)んろ(路)」と書いた部分は、扁ではなく遍であると確信した。 遍の…

  • 12日目前遍:玉之江駅~国分寺

    遍路はどの順番にお参りしても、どこかで区切って何年かけて回っても構わない。 この日は大雨の予報だったため、香園寺と危険な横峰寺を後回しにして、舗装路が大半である今治市内の札所を先に回る。 前日のゴールがスタート地点になる野宿では無理だが、車中泊なら柔軟に変更できるのだ。 今治駅を6時前に発車する電車で、玉之江駅まで移動した。 6時10分過ぎに、玉之江駅から歩き出す。 先日びしょ濡れになったポンチョはやめて、イナレムのレインウェアの上下に加えビニール傘までさした。 次の日に横峰寺から降りてくる予定の地点まで、中山川沿いを上流に向かって歩く。 県道147号との合流地点で今治方向に右折し、歩き遍路道…

  • 11日目後編:石鎚神社~吉祥寺~宝寿寺~伊予小松駅

    西条市の旧小松町付近には、3つの札所が密集している。 右遍(扁?)んろ道。 左西條道と思われる。 第63番、吉祥寺山門に着いた。 本堂。 大師堂。 左はお迎え大師、右はくぐり吉祥天女。 成就石。 百年近く前の石にしてはきれいだ。 👈一之宮七丁、👉吉祥寺一丁。 ほどなく第62番、宝寿寺に着いた。 先ほどの石に書かれていた一之宮とは、この寺のことだと編集中に気づいた。 境内にあった石。 同じ場所に4つも要らないうえ、内容にも矛盾がある。 付近にあったものを移設し、寄せ集めたと思われる。 本堂。 大師堂。 いずれもたいへんコンパクトだ。 願い事などを書いた風鈴が吊るされている。 観音菩薩石像。 ゴー…

  • 11日目前編:西条市内コインパーキング~石鎚神社

    朝7時半頃に西条市内の駐車場を出発し、南下して国道11号を目指す。 国道に突き当たり、西進する。 国道沿いにはポケットパークがあり、安知生(あんじゅう)の水という水飲み場があった。 国道を離れて湯之谷温泉の前を通り、休憩所を素通りして 第64番、前神寺に着いた。 山門。 敷地も広く立派なお寺だ。 本堂。 大師堂。 薬師堂。 上がらなかったが、階段の先には権現堂がある。 御滝不動尊。 水中の鉄分が酸化して?、像を浮き立たせている。 水子地蔵尊。 修行大師像。 このお寺の先代と思われる、二人の上人像があった。 お寺を出ると、すぐ近くに石鎚神社がある。 (本日の一言) JR四国管内には、駅の近くに安…

  • 10日目:伊予寒川駅~西条市内コインパーキング

    三角寺から次の前神寺までは札間距離が長く、この日は札所がなく歩くだけだ。 観音寺駅を午前3時頃に出発し、西条市内のコインパーキングに駐車。 伊予西条駅から伊予寒川駅までは電車で移動した。 朝6時過ぎに歩き始める。 前年は分かりやすい国道11号の歩道を歩いた。 今回は遍路石を見るのも目的の一つであり、旧道を歩く。 右 金刀比羅大門迠 十一里。 三角寺迠三里。 是ヨリ松山へ二十二里。 こちらは近代の四国のみちの道標。 高野山真言宗、弘照寺の前を通過。 左の石にはは従是東 A、右の石には従是西 Bと書いてある。 A、Bは土に埋まっており一部しか読めない。 従是はじゅうぜ・これよりと読み、これより東側…

  • 9日目後編:三角寺~伊予寒川駅

    この日から10月に入ったが、この期に及んで真夏日だった。 歩いては休み、また歩いては休みながら車道を登り、三角寺に着いた。 入口についてもなお、さらなる修行が待ち受けている。 息を切らしながら山門に着いた。 仁王様。 本堂。 大師堂。 延命地蔵尊。 三角の池。 この先、伊予三島駅方向に向かう山道を歩くつもりだった。 ところが入口を探して何度も行き来したが見つからず、やや遠回りして三島川之江IC付近に下りて来た。 民宿岡田のお接待で、昼食兼休憩。 この間は石が多かった。 この看板には、民宿岡田のご主人から伺った中務茂兵衛さんのことも書かれている。 👈遍(扁?)ん路道。 最下部の左右には、三角寺や…

  • 9日目前遍:民宿岡田~三角寺

    まだ薄暗い時間に民宿岡田を出発した。 昨日、香川県から徳島県に入ったが、僅か半日の滞在で愛媛県に移動する。 民宿前の道から、この谷を走る国道192号に入る。 すぐに国道からわき道の旧道に入る。 右下に見える国道を進めばトンネルがありらくちんだが、ここは敢えて旧遍路道に近い山越えを選ぶ。 Wikipediaによれば、「中津山(なかつさん)は、徳島県三好市に位置する祖谷山系に属する標高1,446.8mの山である」とのことだ。 県境を通過。 錆びた標識では川之江市だが、現在は四国中央市である。 境目トンネルができるまで、車はここを走っていた。 徳島県三好郡の石の右は、恐らく国道192号の標識だと思わ…

  • 8日目後遍:雲辺寺~民宿岡田

    民宿岡田までは約1時間ほどだが、まだ昼過ぎなので山頂まで登ることにした。 標高が高く、南側には青々とした四国山地が見える。 途中にあった「涅槃釈迦如来」。 「雲辺寺山頂公園」から見た、観音寺市方面。 間もなく雨が降ったので、運がよかった。 公園には「天空のブランコ」などの遊具がある。 山頂の広場は標高1,000mで、県境である。 かたや、徳島県三好市(旧三好郡)池田町。 こなた、香川県観音寺市(旧三豊郡)大野原町。 八十八段の記念碑。 六十六番目の雲辺寺だけ、赤い石になっている。 四国霊場で台湾の方々にたくさん会ったが、(憲法では認められていても事実上)信仰の自由がない大陸の方を見たことは無か…

  • 8日目中遍:雲辺寺入口~雲辺寺

    雲辺寺入口から山登りが始まる。 鰻渕(おうなぎさん)の伝説の看板があった。 木々に囲まれ景色はほとんど見えないが、所々に下界が見える場所がある。 「へんろみち」の看板があった。 ここでは丁石が、以下のように説明されている。 「みちばたに、大体等間隔で舟の形をしたお地蔵さんが立っていることに気がつきましたか。このお地蔵さんは丁石と呼ばれるもので、札所と札所の間に一丁(約百九メートル)ごとに立てられたものです。」 雲辺寺まで十一丁(約1,200m)の丁石。 その先の道標が、次の写真で1.7kmだ。 丁石の距離は、このように明らかに間違っていることも少なくない。 この日お世話になった「民宿岡田」のご…

  • 8日目前編:観音寺駅~雲辺寺入口

    この日は、民宿岡田にお世話になる。 車は引き続き観音寺駅の駐車場に置き、朝6時過ぎに歩き出す。 👉に加え、四国や大師など一部の文字しか読めない。 これは100年以上前の石だが、石は白っぽく文字は黒いのではっきり読める。 ちなみに小松尾寺とは、次の大興寺のことである。 7時半過ぎに大興寺に着いた。 納経は8時からだが、お参りだけならできる。 陽が当たっているところしだけ写っている仁王様。 県指定自然記念物小松尾寺のカヤ。 本堂。 大師堂。 天台大師堂。 地蔵菩薩。 次の雲辺寺に向かう。 ⇒???。 こちらの小屋でしばし休憩させていただく。 道端のお地蔵様。 文政四年、江戸時代の石だ。 調べると1…

  • 7日目後編:弥谷寺~観音寺駅

    弥谷寺を出て本山寺に向かう。 1kmほどで八丁目大師堂を通過する。 八丁目なので、正確には約880m地点だろう。 さらに先には四国第第七十一番弥谷寺の石柱。 向こう側から歩いて来て、振り返って撮影した。 お地蔵様の下の石には、右※んろみち、左いや谷三十九丁と書かれている。 ※は、辶のない扁の略字かな? 左の石には、👈いやたに※(寺の崩し字?)三十九丁や、屏風ヶ浦六十九丁、施主笠岡五ノ生男などの字が読める。 屏風ヶ浦を調べると、「屏風浦五岳山誕生院善通寺」という善通寺の正式名称らしい。 こちらは👈弥谷寺👉本山寺以外は読めない。 数百m先をアラフィフのお遍路さんが歩いているが、追いつけない。 14…

  • 7日目中編:曼荼羅寺~弥谷寺

    曼荼羅寺を出ると間もなく、国道11号に入る。 大池の畔には七佛寺があり、 石仏や歌碑がある。 国道の歩道にはガードレールが設置され、その支柱に赤い矢印が貼ってある。 矢印には「逆打ち」と書かれており、このようなケースは稀有だがありがたい。 ここを曲がり損ねると、前回のように国道・県道経由で大回りすることになるのだ。 二つある池の間を進む。 看板に書かれている「蛇岩」はこの場所ではなく、既に通り過ぎているので、順打ちのお遍路さんへ由来と場所を説明したものだ。 右の石は、👉と👈に加え奉納という字が読めるが、意味は分からない。 左の石には、左いやだに※と書かれている。 右の石は、👈釋尼※秀のようだ。…

  • 7日目前編:善通寺駅~曼荼羅寺

    早朝、琴平のコインパーキングから観音寺駅前の駐車場に移動した。 観音寺駅から善通寺駅までJRで移動し、7時半前に歩き出す。 30分あまり歩き、第74番、甲山寺に着いた。 本堂。 大師堂。 大師像。 毘沙門天尊。 甲山寺を出発し、農地の中にある道を歩くと 上下には、👉南、👈北。 真ん中には金毘羅道と書かれており、左(北)は善通寺だが、右(南)は苔が生えて読めない。 右は四国の道の石で新しく、👈七十三番出釈迦寺二.九KMと読める。 左は👈弥谷道、へん※(ろの崩し字?)※※と書かれている。 第73番、出釈迦寺に着いた。 山門。 本堂。 大師堂。 西行法師の歌碑。 求聞持(ぐもんじ)大師。 左の看板に…

  • 6日目後半:郷照寺~善通寺駅

    郷照寺を出て県道33号を西進し、 県道33号を西進し、丸亀市に入る。 丸亀城と丸亀市役所の看板前を通過すると、 交差点の左(南)側には、両方の建物が見える。 第77番、道隆寺に着いた。 山門。 本堂。 大師堂。 多宝塔。 大師像と衛門三郎像。 仁王像。 この石の正面には、右に進むとこんぴら・こんさ(そ)うじ・ぜんつうじと書いてあるが、 右面には90度違う方向に札所と書いてある。 どこにあった石なのか覚えていないが、札所が金倉寺(こんそうじ)であれば論理的に矛盾がある。 グーグルマップの航空写真を見て考えてもわからなかったが、道隆寺付近なら矛盾はない。 この日も30℃を超える、暑い日だった。 次…

  • 6日目前半:国分駅から郷照寺へ

    早朝、車で国分駅から琴平のコインパーキングへ移動した。 JRで国分駅まで引き返し、7時頃から歩き出す。 国道11号沿いをひたすら西に進む。 7時45分、前年にも寄った「こだわり麺や」に着いた。 朝食は2日連続の讃岐うどん。 トッピングは野菜のかき揚げだ。 次の天皇寺は白峯(峰)宮と一体であり、この鳥居の先にある。 第79番、天皇寺に着いた。 本堂。 大師堂。 白峯宮。 明治時代の石。 施主や※※国※※郡※※村など、一部の文字は読み取れる。 寺の近くには「八十場(やそば)の水」が湧き、ところてんが名物だ。 左側の石の中央には遍ん※(路の崩し字?)道、右向きの人差し指の下に七十八番、左向きの人差し…

  • 5日目後半:根来寺から国分寺へ

    根来寺を出発し、坂出市との境界付近で車道から歩き遍路道に入る。 下半分が壊れた16丁の丁石と、 19丁の丁石。 白峯寺までは、同じような石が多数あった。 小児がんで亡くなった、景子ちゃんの接待所に着いた。 絵本「6さいのおよめさん」は、何回読んでも涙が出る。 ありがたくお茶とあめちゃんを頂戴し、白峯寺に向かう。 このように木漏れ日が差す、薄暗い雰囲気の遍路道が好きだ。 閼伽井(あかい)と丁石の説明が書かれた看板。 閼伽井(あかい)とは、神仏にささげる水のわく井戸のことで、これがその一部だと思われる。 左は下乗石(げじょういし)、右は摩尼輪塔(まにりんとう)。 下乗とは、ここからは聖地だからどん…

  • 5日目前半:一宮駅から根来寺へ

    早朝に栗林駅近くの駐車場から、国分駅に移動した。 高松駅まではJR、高松築港駅から一宮駅までは琴電に乗った。 前日のゴールである、一宮駅から歩き出す。 3kmほど歩くと香川高専のネットが見え、 バス停の前を通過する。 この先でも道を間違え遠回りしたが、 「こがね製麺所」の鬼無店で、かけうどん(冷・中)・とり天カレー味の朝食。 この店の麺は、同社の他店より太かった。 食後、このような舗装路を登る。 中央右側の高松西高校の先には、スタート地点の一宮寺方面の市街地が見える。 この付近は五色台と言われる地域だ。 車道はつづら折りだが、 歩き遍路道に入るとショートカットできる。 ショートカットしても、車…

  • 4日目後半:八栗寺から屋島寺、一宮寺へ

    八栗寺から平地まで下りて壇の浦沿いに北進すると、 わかりやすい道標がある。 その左には古い遍路石があったが、写真を拡大しても判読できない。 住宅地を過ぎて登り坂に入ると、いのしし進入防止柵がある。 急な上り坂が標高175m地点まで続き、 車道(屋島スカイウエイ)を横断して、再び山道に入る。 石ころだらけの道や、 石の階段を上ると、 ロープが必要なほどの急傾斜もある。 再び車道に合流すると、 壇の浦の向こうに、先ほど行った八栗寺がある五剣山や、 旧牟礼町の市街地が見える。 第84番、屋島寺に着いた。 東大門。 本堂。 大師堂。 千躰堂。 四天門の外側には、 山門(仁王門)があった。 仁王像も撮影…

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