あけましておめでとうございます。さて、先の余節で、一月四日から新しいブログをと書きましたが、ついに用意が出来ませんでした。hh実は『蜻蛉日記』を準備しかけたのですが、ちょっと別の用事が出来て、途中断念、今年一年はそちらに集中することにします。折角覗いてい
ドミートリイは町の「さる極めて不愉快な場所」へ連行されることになりました。彼は最後に「部屋にいる全員に向かって、抑えきれぬ感情を込めて」語りました。 「やむをえません! 僕はこれまでの一生を通じて毎日、この胸を打って真人間になることを誓いながら、毎日
証人尋問になりました。そこでも三千ルーブルが問題にされますが、だれもが、その夜の散財が三千ルーブルだったと言います。トリフォンは特に強調して、「ここに六千ルーブル落としていくよと、あんなにはっきり叫んでいらしたし。前回の分と合わせてという意味ですよ」と
さて供述はいよいよ大詰め、彼の持っていた大金の出所について、ドミートリイが語ります。 実はカテリーナから姉のアガーフィアに送ってくれるように頼まれた三千ルーブル(第一部第三編5節)の一部だったようです。その金で彼はグルーシェニカとこのモークロエの町に
ドミートリイは身ぐるみ剥がされて取り調べを受けるという、これまでならあり得ない屈辱を受けて、「なんだか自分まで彼らに対して罪があるような気になって」くるほどでした。服は証拠として取り上げられ、カルガーノフがたまたまトランクに入れていた服を借りて着ること
ここでは、スメルジャコフとフョードルの間のグルーシェニカが来たときの合図をドミートリイが知っていたことがあきらかにされます。しかも彼は、「あいつ(スメルジャコフ)の仕業じゃありませんよ、みなさん!」と断言してしまいます。そんなことを言ったら、ますます自分
尋問が続きます。ドミートリイは「とにかく僕にだけ話をさせてくれませんか、瑣末なことで話の腰を折らないでください」と言って、サムソーノフのところへ金を借りに行った時のことから話し始めました。すると検事が、「なぜそんな急に入用になったんですか」と聞きます。
ドミートリイへの尋問が始まりました。嫌疑はやはりフョードルを殺したというものでした。そしてまず、グリゴーリイは死んではおらず、その彼が、フョードルを殺したのはドミートリイだと証言したようです。そう言えば、彼は、あの出来事が起こったとき、ドミートリイの
話の舞台はとつぜん「この郡の警察署長」の家になります。そこに検事補と郡会医、予審調査官の三人が来ていました。そこへペルホーチンが入った時には、そこにはすでにフョードルの殺人事件の一報が届いていました。フョードル家の隣の家のマリアがその知らせを持って、
さて、話は少し後返りして、ドミートリイが立ち去った後のペルホーチンの動きになります。彼はドミートリイの様子に不信を抱いて、まずフェーニャのところに事情を聞きに行き、そこであらましの話を聞くと、今度はホフラコワ夫人を訪ねました。夜の十一時で、ちょうどドミ
どんちゃん騒ぎが始まりました。ドミートリイがここに送りつけるために準備した食べ物や飲み物(5節)が馬車で届き、「何やら滅茶苦茶な、常軌を逸した騒ぎ」です。ジプシーでしょうか「バイオリンやツィターをかかえたユダヤ人たちもやってきたし」、…「もう眠っていた
部屋には、四十近い、肥った、鬘の男(これがグルーシェニカの「昔の将校」のようです)と、その「ボデイガード」らしい長身の男がいました。そして、カルガーノフとマクシーモフもいました。二人は二日前のゾシマとの会合の時にも、修道院にいましたが、今どうしてここに
さて、ドミートリイはモークロエへ馬車をとばします。 彼は今、グルーシェニカの相手の将校に対しては、嫉妬も、また憎しみや敵意も感じていなかった、と作者は言います。しかし彼は、「やはり心は乱れ、苦しいほど騒いで」いました。「心にわだかまって苦しめる過去の
グルーシェニカの家に来たドミートリイは、召使いのフェーニャを相手に、興奮から激怒へ、そしてグルーシェニカが「将校」の所へ行ったと聞いて、急に「物静かな子供さながら」となり、そして「不屈の決意」を見せて「考え深げな微笑」となって、グルーシェニカの家から、
「下人」と違ってドミートリイの行き先はすぐに知れました。「わかりきったこと」でフョードルのところです。彼はグルーシェニカが彼のところに行ったのだと思って、…しかしどうしようというのでしょうか。 彼は家に着くと裏手の石塀を乗り越えて庭に入り込み、母屋で
ドミートリイがグルーシェニカの家に「おどりこんできた」のは、アリョーシャがラキーチンに誘われて彼女のところに来る少し前(第三部第七編3節)でした。 ドミートリイは、「お金の計算」のためにサムソーノフの家に行きたいという彼女の求め(彼女は昔の将校からの
ドミートリイは大喜びでセッターのところに向かいました。しかし、さまざまにトラブルがあって、すでに夜になってやっとセッターに会えた時には、イライラとともに、心身ともにヘトヘトになってしまっていました。しかも会えたセッターは泥酔して目も覚まさず、ついに彼はそ
物語は一日目の夕方、アリョーシャがカテリーナの家でカテリーナとグルーシェニカの対決を見ての帰り道(第一部第三編11節)からの続きです。あの時帰り道でアリョーシャはドミートリイに出会って、「自分の明日の計画」を、中身を知らないままに聞いたのでした。 さて
迫真の場面を過ぎて、アリョーシャは修道院に帰り、ゾシマの棺の前に跪き、相変わらず続いているパイーシイ神父の福音書の朗読を聞きながら、うとうとしてしまいました。夢うつつの中で、神父の朗読する「ガリラヤのカナ」の婚礼の場面を聞いています。その物語の中にゾシ
ラキーチンはアリョーシャを連れてグルーシェニカの家に行きました。 彼女は、明らかに誰か大事な客を待っているような身なりで、しかしソファに寝そべっていましたが、また何かに苛立っているよう(それはドミートリイが来るのを恐れていたのでした)でもありました。
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あけましておめでとうございます。さて、先の余節で、一月四日から新しいブログをと書きましたが、ついに用意が出来ませんでした。hh実は『蜻蛉日記』を準備しかけたのですが、ちょっと別の用事が出来て、途中断念、今年一年はそちらに集中することにします。折角覗いてい
作者は巻頭の「作者の言葉」で、この物語において「小説は二つある」として、これは「第一の小説」であって、「重要な小説は二番目の方」だと語っていました。それに対して、小林秀雄が「今日、僕等が讀む事が出來る『カラマアゾフの兄弟』が、凡そ續編といふ樣なものが全
以前読んだときは、話がこんがらがって、イリューシャたちの話が出て来たあたりから何を読んでいるのか分からなくなってしまったのでしたが、今回、こうして書きながら辿ってきて、やっと話の全貌が見えました。 フョードルは、フェチュコーウィチが「われわれの心に映
カテリーナを見送って、アリョーシャはイリューシャの家に行きました。彼は亡くなって、今日はその葬儀の日なのです。出迎えたのはコーリャでした。アリョーシャの前では背伸びしたい彼は、ドミートリイの話をします。彼は、ドミートリイが実は無実だと聞いて、「それ
アリョーシャがドミートリイの入っている病院に行き、カテリーナがきっと近いうちに来てくれると伝え、そして彼女が脱走の手助けをしてくれることを話しました。ドミートリイは、その話には乗らないで、流刑になった先での自分の振る舞いに自信が持てないと言い出しまし
カテリーナとアリョーシャが、ドミートリイを護送の途中で脱出させるというイワンが考えていた計画を話し合います。イワンは公判の後、そのままカテリーナのところで介護されています。 そのカテリーナが、法廷での自分の変心を説明しようとしています。 イワン
陪審員が判決を下しました。それは全面有罪の実刑判決でした。どうしてそういう結果になったのか、その説明はありません。ただ、傍聴人が帰り際に話していた「百姓たちが意地を張ったんだよ」という言葉あるだけです。長い長い検事の論告、そして同じく長い長い弁護人の
フェチュコーウィチは、ドミートリイが父親を殺さなかった可能性が十分にある(前節)ことに加えて、彼が犯人だとする意見の多くが、父親殺しであることを前提に誰かを処罰しなければならないとしていることを指摘して、実はフョードルがドミートリイに対して父親と呼べない
これも同じく、私たちの知っている物語です。 ドミートリイがあの晩窓から顔を出したフョードルを見て「個人的な嫌悪」がつのった後、長い「…」があった(第三部第八編4節)のでしたが、そのように、彼は父を殺さなかった可能性が十分にあることを、弁護人が巧みに解き明
彼は、三千ルーブルは実はなかったのかも知れないし、そうだとすれば当然盗みもなかったという点を強調しました。ちょっと気になるのは、彼が、イワンが証言の最後に出した三千ルーブル(5説)に触れていない点です。あの金は、あの後の彼自身の発作と、カテリーナの「手
フェチュコーウィチは、イッポリート検事が絶叫して論告を終えたのに対して、「その声は美しく、声量も豊かで、感じがよく声そのものにさえ何か真剣な率直なものが響いている感じ」で、検事の心理分析を皮肉るところから始めました。「諸刃の刃」は、イッポリートが論じた
ここはモークロエでドミートリイが、グルーシェニカの昔の恋人と向きあうことになった時の分析です。彼の論告は、彼の作った物語であって、私たちがこの物語の語り手から聞いてきた話とは、起こっている出来事は同じでも、意味はまったく異なっています。先日テレビの「
イッポリートはスメルジャコフが犯人ではないという説を延々と語ります。私は少し退屈になって来ました。読者はすでにスメルジャコフの自白を知っています。ここの論告は、そのスメルジャコフが人々にこう思わせようと思い描いた筋書きどおりをなぞっています。イッポリ
ここの興味深い点は、フョードルがグルーシェニカを家に来させようと用意した三千ルーブルは、ドミートリイにしてみれば自分が母から相続すべき三千ルーブルだと考えられた、という論述です。なるほどそう考えると、その三千ルーブルはドミートリイからすれば最悪の使い方を
イッポリートの論告が4節にわたって続きます。それは「少なくとも、わが哀れなイッポリートが抱きうる限りにおいての、市民的感情も、《呪わしい》疑問も心の内に秘めていたことを」立証するものでした。この事件を時代の趨勢を示すものと捉えて、「小さな水滴に映る太
物語の最初に展開された「恥さらしな騒ぎ」と呼応するように、ここでも「大混乱」(もっともこうした「騒ぎ」はこの物語では枚挙に暇がありませんが)が演じられます。法廷に現れたイワンは「病的」な顔付きで、「土気色のその顔には、どこか死に瀕した人のようなもの」が
アリョーシャは、彼がカテリーナとグルーシェニカの対決を目の当たりにしたあと、修道院へ帰ろうとしてドミートリイに呼び止められたときのことを思い出しました(第一部第三編11節)。あの時、アリョーシャは、ドミートリイがカテリーナを五千ルーブル用立てるからと言
カテリーナがドミートリイの医学鑑定を希望して、三人の医師がそれに当たりました。モスクワから招かれた「有名な博士」とこの町の老医師ヘルツェンシトゥーベ博士、それと若い医師ワルヴィンスキーです。その鑑定はどうも頼りないものでした。この時代、医学は作家たちか
ドミートリイにとっての「危険な証人」や証拠品の多さによって、公判が始まる前から、ドミートリイの犯罪は間違いないものと、だれもが思うようになっていきました。 そのなかでフェチュコーウィチの皮肉な証人質問が展開されて、ドミートリイの有罪を訴えた証人たちは次
町中が全ロシア的関心に包まれて騒然とした中で、公判の日になりました。傍聴席は超満員、その中で婦人たちはドミートリイの無罪を支持し、その夫たちを初めとして男性群は彼に対して反感や敵意を持って集まっていたと言います。なるほど、ありそうな話です。弁護人は
「下人」と違ってドミートリイの行き先はすぐに知れました。「わかりきったこと」でフョードルのところです。彼はグルーシェニカが彼のところに行ったのだと思って、…しかしどうしようというのでしょうか。 彼は家に着くと裏手の石塀を乗り越えて庭に入り込み、母屋で
ドミートリイがグルーシェニカの家に「おどりこんできた」のは、アリョーシャがラキーチンに誘われて彼女のところに来る少し前(第三部第七編3節)でした。 ドミートリイは、「お金の計算」のためにサムソーノフの家に行きたいという彼女の求め(彼女は昔の将校からの
ドミートリイは大喜びでセッターのところに向かいました。しかし、さまざまにトラブルがあって、すでに夜になってやっとセッターに会えた時には、イライラとともに、心身ともにヘトヘトになってしまっていました。しかも会えたセッターは泥酔して目も覚まさず、ついに彼はそ
物語は一日目の夕方、アリョーシャがカテリーナの家でカテリーナとグルーシェニカの対決を見ての帰り道(第一部第三編11節)からの続きです。あの時帰り道でアリョーシャはドミートリイに出会って、「自分の明日の計画」を、中身を知らないままに聞いたのでした。 さて
迫真の場面を過ぎて、アリョーシャは修道院に帰り、ゾシマの棺の前に跪き、相変わらず続いているパイーシイ神父の福音書の朗読を聞きながら、うとうとしてしまいました。夢うつつの中で、神父の朗読する「ガリラヤのカナ」の婚礼の場面を聞いています。その物語の中にゾシ
ラキーチンはアリョーシャを連れてグルーシェニカの家に行きました。 彼女は、明らかに誰か大事な客を待っているような身なりで、しかしソファに寝そべっていましたが、また何かに苛立っているよう(それはドミートリイが来るのを恐れていたのでした)でもありました。
アリョーシャはゾシマが奇蹟を起こさなかったことを悲しんでいたのではなかった、と作者が語ります。彼は、ゾシマを非難する「不信心者」とは違って、ゾシマへの敬愛はまったく失ってはいませんでした。彼の悲しみは「至高の正義」が行われなかったことへの怒りだったのだ
前節の終わりにあった「だれにとっても思いがけぬ事態」というのは、私が予想していたこととは違っていました。 亡くなったゾシマは棺に納められ、早速多くの人々(一般人も神父たちも)が弔問にやって来たのですが、彼らには「何やら異常な、前代未聞の《不謹慎》とさ
地獄とは、地上で愛を抱かなかったために、「もはや愛することができないという苦しみ」を抱く場所である。地獄で愛に開眼する者もいるが、すでに愛を抱く機会を得られないことに苦しむだろう。しかしその苦しむことで「愛の面影」に触れることになり、その苦しみは軽減さ
ゾシマの「法話と説教」は続きます。 そういう民衆も今は堕落しており、その堕落は子供にまで及んでいる。しかしそこに必要なのは「ほんの一滴なりと注がれる愛情」である。そういう民衆も、自分の罪業を知っている。「それゆえ、わが国の民衆はまだ倦むことなく真理を
「人は誰の審判者にもなりえぬことを、心に留めておくがよい」。なぜなら、当の審判者自身が「正しかったのであれば、目の前に立っている罪人も存在せずにすんだかもしれないからだ」。 さきほどの「すべては大洋のようなもの」だという考えの延長です。ひとりの罪人が
「主よ、今日御前に召されたすべての人を憐れみたまへ」と祈るがよい。人は「悲しみと憂いのうちにひとり淋しくこの世に別れてゆく」のであり、そんな時「地球の反対の端からお前の祈りが、…その人の安らぎをねがって主の御許にのぼってゆくにちがいない。恐れおののきな
「神父諸師よ」とゾシマが呼びかけます。 「ロシアの大地の救い」は「静寂の中で修行を積んでいる」修道僧から生まれる。 現代の世界は、科学が支配し、人々は自由を求めており、人々に「君らはさまざまな欲求を持っているのだから、それを充たすがよい。なぜなら君
さてその老紳士は「みなに尊敬されている裕福な慈善家だったのですが、その人が突然、話が聞きたいと「若僧の」ゾシマの家を訪ねてきました。そして決闘の時の心境などを聞き、以後、「ほとんど毎晩のように」やって来るようになりました。彼は言います。 人生は楽園で
そういうゾシマでしたが、ペテルブルグの学校時代は、「仕えてくれる従卒のことを…全くの家畜同然と見なし」、「自分の財産ができたことで」(多分一家の財産を受け継いだからでしょう)、「あらゆる欲求もろとも、留まるところを知らず、享楽の生活にのめり込み、帆をいっ
兄の死後、ゾシマはペテルブルグの士官学校に出され、その在学中に母に死なれたのですが、彼が家庭で得たものは「尊い思い出」と『旧・新約聖書の百四の物語』という本(実在の本で、「ドストエフスキーはこの本で読み方を学んだ」のだそうです・『文庫』注)から得た「あ
ゾシマの八歳年上で、十七歳で亡くなった兄・マルケルの話です。 十七歳になった頃、彼は「町で孤独な生活を送っている、なんでも自由思想のためにモスクワからこの町に追放された政治犯とかいう、…大学でも有数の学者で、すぐれた哲学者」に眼をかけられて、一冬「毎晩
イワンがフョードルの家の前でスメルジャコフと腹立たしい対話をしている頃でしょうか、アリョーシャはゾシマの元に帰ってきていました。ゾシマはなんと十五分ほど前に起き上がって、椅子に座っており、「いちばん忠実な永年来の友人」四人が彼の周りに座っていました。
イワンは、広間で出会った父に「無礼な敵意」の籠もった挨拶をして二階の自分の部屋に入りましたが、夜中の二時になっても眠れませんでした。 彼は、スメルジャコフへの憤りやアリョーシャへや自分への「憎悪の塊」を抱きながら、「階下の部屋の様子や、フョードルが下
一方、イワンはその足でフョードルの家に帰り、入口でスメルジャコフを見ました。イワンがこの町に帰ってきてから、二人はさまざまに話をしていたようで、その中でスメルジャコフはイワンに「傷ついた自尊心」と「一種特別ないやらしい狎れなれしさ」を見せるようになり、