当ブログの前身「旧「猫の事務所」調査書(以下「gooブログ版」)」で利用しているgooブログが2025年11月18日をもってサービス終了との発表がありました。拙い記述であるとはいえgooブログ版は大切な活動の足跡であるため、サービス終了とと...
当ブログの前身「旧「猫の事務所」調査書(以下「gooブログ版」)」で利用しているgooブログが2025年11月18日をもってサービス終了との発表がありました。拙い記述であるとはいえgooブログ版は大切な活動の足跡であるため、サービス終了とと...
「校本宮澤賢治全集」と「【新】校本宮澤賢治全集」、「賢治をめぐる女性たち——高瀬露を中心に」からそれぞれ、高瀬露さんのプロフィールを引用しましたが、それらを見て気になる点が2つ出てきました。当記事ではそれらを上げていきたいと思います。気にな...
知りたい人高瀬露さんという女性がどういう人なのかは手持ちの資料である程度知っています。更に管理人から借りた書籍「図説 宮沢賢治」(河出書房新社)に掲載されている上田哲さんのコラムでほんの少しだけ知ることができました。各資料のプロフィールを引...
知りたい人gooブログ版は2008年11月で更新終了としているね。運営期間は約3年半(でもその割に記事は多くないな)。その後はどうしてたの?gooブログ版の更新を終了した後は、管理自体は続けていても新規記事投稿はしないという半放置の状態でし...
高瀬露という女性が問題ある人物であると信じつつも心の片隅で違和感を抱いていた2003(平成15)年のある日、書店で何気なく手に取り購入した「図説 宮沢賢治」(河出書房新社)。この本の92ページから94ページに掲載されている上田哲(うえだあき...
ひょんなことで宮沢賢治の童話や詩、そして賢治という人物に興味を抱くようになり、賢治の名が付く書籍の数々を読み漁っていた時、小学生時代に見た「賢治の追っかけのようなことをしていたお騒がせ女性教師」の話に再会し、彼女のこと・彼女が「賢治に対して...
知りたい人「宮沢賢治に追っかけがいた」みたいな話はよく聞く。どうもそれはガセネタに近いものという話も時々聞く。どっちが本当なのかはひとまず置いとくとして…。管理人がこの話を知ったきっかけは何だったの?私がこの話を知ったのは小学六年生の時でし...
当記事では、「まるで「猫の事務所」」で少しお話しした「高瀬露さんに着せられた濡れ衣を綿密に調査・研究されているブログ」に関して綴っていきたいと思います。腹立たしいページを介しての「嬉しい出会い」2018年のある日、Wikipediaに「高瀬...
当記事のキーワードは「猫の事務所」。「猫の事務所」は宮沢賢治が著した話のひとつです。なぜこの言葉をサイト名に入れたのか、この言葉と高瀬露さんがどう関係あるのかなどを綴っていきたいと思います。「猫の事務所」のネタバレがありますので、当作の内容...
(当ページは2023年12月29日から2025年1月7日までのつぶやき・お知らせ・ご挨拶をまとめております)管理人の気ままなつぶやき(当サイトメインテーマ関連)・お知らせやご挨拶などを記していくカテゴリーです。当カテゴリーについての詳細はこ...
高瀬改め小笠原露さんは1939(昭和14)年12月と1940(昭和15)年9月、賢治を偲ぶ短歌を数首詠んでいます。露さんの短歌を初めて目にしたのは2003(平成15)年頃のことで、短歌のセンスなど全く持っておらず「詠めるだけでもすごい」と思...
本記事で取り上げるのは「宮沢賢治に関わったもうひとりの女性」です。この女性は儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」>172ページ「火の島の組詩」においてCと表された人です。彼女は賢治研究において「賢治晩年期のヒロイン」のように扱われています。で...
この記事では、関徳弥の「昭和5年10月4日・6日付日記」の内容に関して思うことを述べていきたいと思います。2003年夏に見つかった日記関徳弥の昭和5年の日記というのは、2003(平成15)年7月28日に北上市の古書店で発見された冊子です。そ...
宮沢賢治と高瀬露さん関連の資料で度々目にするのは、「1927(昭和2)年6月9日に露さんが高橋慶吾に宛てて送ったとされるハガキ」です。 当記事ではこのハガキの内容について色々考えてみたいと思います。 内容に対して抱いた感想 まずはハガキの内
この「謎の『文書』」カテゴリでは宮沢賢治と高瀬露さんに関わるとされるものの「色々とはっきりしない部分がある」手紙やハガキなどを取り扱ってまいります。 「謎の『文書』」カテゴリ第1回目は賢治が遺した手紙の下書き・下書き断片について思うことなど
前記事では「悪評」の原因などを高瀬露さん・高橋慶吾の人物像から想像してみました。 陰口という形になってはいますが、高橋はあくまで「内輪話」として協会員仲間に「露さんの愚行」を話したに過ぎません。仲間があまりその話題に乗ってこなかったことから
当記事では「悪評」の元ネタとなった高橋慶吾の談話・および高瀬露さんの人物像をもう一度引用し「悪評が流されることになった原因」を考えていきたいと思います。 元ネタ「座談会「先生を語る」」 露さんの悪評の「元ネタ」となるのは、高橋と賢治の教え子
上田哲さんの論文「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」はライスカレー事件に言及し始めたあたりで「未完」という形で終わってしまい、残念ながらライスカレー事件及び「悪評」の検証や考察はなされないまま、上田さんは他界されてしま
「中傷行為」伝説のまとめとなります。 当記事では「中傷行為」伝説や高瀬露さんの「対応」に対しての個人的意見を述べていきたいと思います。 個人的意見「中傷行為の有無」 「露さんが宮沢賢治の中傷をして歩いた」という行為が有ったのか無かったのか。
「中傷行為」伝説に対して起こる疑問について引き続き考えていきたいと思います。当記事で考える疑問は以下の2点です。「中傷」の内容は具体的に何だったのか「高瀬露さんが宮沢賢治を中傷している」のを見た人は他にいるのか最後に「真実はこうだったのでは...
当記事では「中傷行為」伝説に関する文献を読んでいて起こる疑問の1つ目「それはいつ起こったことなのか」について、そしてそれを考えているうちに新たに起こった疑問について考えていきたいと思います。具体的な時期はいつなのだろう上田哲さんは前記事にて...
宮沢賢治と高瀬露さんのエピソードのひとつ「思いが叶わなかったことを恨みに思った露さんは後年賢治を中傷して歩き回った」というもの。本記事よりその「通説」について意見・感想を述べていきたいと思います。悪評系が伝える「その行為」まずは当通説に関す...
次に上田哲さんが挙げた「ライスカレー事件」に対する疑問、ライスカレー事件はいつの出来事か現場に居合わせていたのは誰なのか客観的に現場を見ていた人物は誰なのかについて、同席者・目撃者→日時の順で書き、最後に以下の疑問に対する個人的見解を述べた...
当記事より「ライスカレー事件」を伝える文献に対して浮かんできた数点の疑問について述べたいと思います。旧ブログでのライスカレー事件関連記事では「この出来事はいつ起こったのか」という疑問から考えていましたが、当ブログではそれは後回しとし、先に以...
当記事より宮沢賢治と高瀬露さんの間に起こった出来事のうち、主に悪評系文献によって「一大事件」のように描かれている「ライスカレー事件」に関して意見や感想を述べていきたいと思います。「ライスカレー事件」とはどんな出来事か「ライスカレー事件」とい...
「頻繁に訪問してくる高瀬露さんに困惑した宮沢賢治が彼女を遠ざけるために取った対応」、実はどれも、次に取り上げる「ライスカレー事件」と共に「元ネタ」があるのですが、それは「悪評の原因」としてまた後日述べていきたいと思います。当記事では一連の賢...
羅須地人協会活動期間中の高瀬露さんの勤務校は、下根子桜の宮沢賢治の住まいから約7〜8キロの距離があることが分かりました。そんな距離から、しかもお勤めを持つ身で「賢治が辟易するほどの頻繁な訪問」が出来るのかを当記事で考えていきたいと思います。...
当記事より「高瀬露さんが宮沢賢治のもとを頻繁に訪れるようになった、それに対して賢治がどういう行動を取ったか」という「逸話」について感想や意見を述べていきたいと思います。話の内容を整理します露さんが賢治と知り合う・羅須地人協会の活動に関わるこ...
「悪評系2大文献」に対する意見と感想は当記事でひとまず締めとし、次記事からは「宮沢賢治と高瀬露さんに関する様々な話」への意見と感想を述べていきます。当記事では「両文献の良い点と問題点」「文献の内容以外に気になったこと」を記していきたいと思い...
儀府文献への意見・感想の続きです。「やさしい悪魔」に戻り(ページも270ページから252ページに戻ります)まとめ部分の気になる箇所、「火の島の組詩」の記述から儀府文献に思うところを述べていきたいと思います。空いた口が塞がらない儀府は「やさし...
さて、改めて儀府成一の文献「やさしい悪魔」「火の島の組詩」に対する意見・感想に入りたいと思いますが、儀府文献は前記事でも書いた通り「読み応えがあり過ぎる」内容、特に「やさしい悪魔」は森荘已池の文献を大きく膨らませて派手なデコレーションを施し...
次に儀府成一の文献を取り上げていこうと思います。取り上げる文献は以下の2点。1.やさしい悪魔2.火の島の組詩両者とも1972(昭和47)年・芸術生活社出版の「宮沢賢治 ●その愛と性」という書籍に収録されています。1は約43ページにわたって、...
1926(大正15)年秋〜1928(昭和3)年夏にかけての森荘已池の「動向」が判明しましたがひとまずそれは脇に置いて、引き続き森の文献「宮沢賢治と三人の女性」「高雅な和服姿の”愛人”」より気になるところを抜き出し、意見・感想を述べていきます...
まずは森荘已池の文献から取り上げていきます。当記事で取り上げる文献は以下の2点。1.宮沢賢治と三人の女性2.高雅な和服姿の”愛人”1は1974(昭和49)年・津軽書房出版の「宮沢賢治の肖像」に収録されており、初出は1949(昭和24)年です...
当記事から悪評系文献に対しての意見や感想を述べていきたいと思いますが、まず悪評系に分類している文献・人々と「悪評系文献」カテゴリーで取り扱う「2大文献」について説明いたします。「悪評系」に分類している人々当ブログで「悪評系」に分類している宮...
高瀬(小笠原)露さんと直に交流を持った人々の証言が手持ちの資料からは出揃いました。この記事では「これまで流布されている露さん像」も挙げ、それと「実際の姿」を比較していきたいと思います。流布されてきた姿●明るく率直●世話好きでしっかりしている...
引き続き上田哲さんの論文「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」より「日頃高瀬(小笠原)露さんと交流を持っていた(賢治との噂は知らない)人々」の声及び上田さんの露さんに対する印象を引用していきます。上田さんも露さんに会って...
こちらでは高瀬露さんの「実際の姿」を資料から引用し、感想・意見などを書いていきたいと思います。高瀬露さんの「悪評」をばら撒いているのはまず「宮沢賢治に近しい人物」、その次が「賢治に近しい人物に近しい人物」…と、露さんの関係者は全くいません。...
高瀬露さんの半生を、上田哲さんの論文「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」から引用しつつ思うことを述べていきたいと思います。嫁ぎ先は神職の家一九三二年<昭和七年>四月十一日、岩手県上閉伊郡遠野町(以下住所引用者により省略...
各資料に掲載されている高瀬露さんのプロフィールを引用し、感想・意見などを述べていきたいと思います。一部資料は筆者の手元にないため手持ちの資料からの孫引きになってしまうことをあらかじめお詫びいたします。「校本宮澤賢治全集」「【新】校本宮澤賢治...
「「悪評」との出会いから違和感を抱くまで」の続きです。何気なく手に取った一冊の書籍で実情を知ったあとのこと、そして現状に思うことを述べていきます。 私たちは一人の女性に残酷なことをしていた 高瀬露という女性が問題ある人物であると信じつつも心
当ブログのメインテーマは「宮沢賢治にほんの一時期関わった女性・高瀬露さんに着せられた濡れ衣」。私がそれを知ったきっかけと、露さんの悪評に対して違和感を抱くようになった経緯を述べていきたいと思います。 「宮沢賢治に追っかけがいた!?」 …とい
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当ブログの前身「旧「猫の事務所」調査書(以下「gooブログ版」)」で利用しているgooブログが2025年11月18日をもってサービス終了との発表がありました。拙い記述であるとはいえgooブログ版は大切な活動の足跡であるため、サービス終了とと...
「校本宮澤賢治全集」と「【新】校本宮澤賢治全集」、「賢治をめぐる女性たち——高瀬露を中心に」からそれぞれ、高瀬露さんのプロフィールを引用しましたが、それらを見て気になる点が2つ出てきました。当記事ではそれらを上げていきたいと思います。気にな...
知りたい人高瀬露さんという女性がどういう人なのかは手持ちの資料である程度知っています。更に管理人から借りた書籍「図説 宮沢賢治」(河出書房新社)に掲載されている上田哲さんのコラムでほんの少しだけ知ることができました。各資料のプロフィールを引...
知りたい人gooブログ版は2008年11月で更新終了としているね。運営期間は約3年半(でもその割に記事は多くないな)。その後はどうしてたの?gooブログ版の更新を終了した後は、管理自体は続けていても新規記事投稿はしないという半放置の状態でし...
高瀬露という女性が問題ある人物であると信じつつも心の片隅で違和感を抱いていた2003(平成15)年のある日、書店で何気なく手に取り購入した「図説 宮沢賢治」(河出書房新社)。この本の92ページから94ページに掲載されている上田哲(うえだあき...
ひょんなことで宮沢賢治の童話や詩、そして賢治という人物に興味を抱くようになり、賢治の名が付く書籍の数々を読み漁っていた時、小学生時代に見た「賢治の追っかけのようなことをしていたお騒がせ女性教師」の話に再会し、彼女のこと・彼女が「賢治に対して...
知りたい人「宮沢賢治に追っかけがいた」みたいな話はよく聞く。どうもそれはガセネタに近いものという話も時々聞く。どっちが本当なのかはひとまず置いとくとして…。管理人がこの話を知ったきっかけは何だったの?私がこの話を知ったのは小学六年生の時でし...
当記事では、「まるで「猫の事務所」」で少しお話しした「高瀬露さんに着せられた濡れ衣を綿密に調査・研究されているブログ」に関して綴っていきたいと思います。腹立たしいページを介しての「嬉しい出会い」2018年のある日、Wikipediaに「高瀬...
当記事のキーワードは「猫の事務所」。「猫の事務所」は宮沢賢治が著した話のひとつです。なぜこの言葉をサイト名に入れたのか、この言葉と高瀬露さんがどう関係あるのかなどを綴っていきたいと思います。「猫の事務所」のネタバレがありますので、当作の内容...
(当ページは2023年12月29日から2025年1月7日までのつぶやき・お知らせ・ご挨拶をまとめております)管理人の気ままなつぶやき(当サイトメインテーマ関連)・お知らせやご挨拶などを記していくカテゴリーです。当カテゴリーについての詳細はこ...
高瀬改め小笠原露さんは1939(昭和14)年12月と1940(昭和15)年9月、賢治を偲ぶ短歌を数首詠んでいます。露さんの短歌を初めて目にしたのは2003(平成15)年頃のことで、短歌のセンスなど全く持っておらず「詠めるだけでもすごい」と思...
本記事で取り上げるのは「宮沢賢治に関わったもうひとりの女性」です。この女性は儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」>172ページ「火の島の組詩」においてCと表された人です。彼女は賢治研究において「賢治晩年期のヒロイン」のように扱われています。で...
この記事では、関徳弥の「昭和5年10月4日・6日付日記」の内容に関して思うことを述べていきたいと思います。2003年夏に見つかった日記関徳弥の昭和5年の日記というのは、2003(平成15)年7月28日に北上市の古書店で発見された冊子です。そ...
宮沢賢治と高瀬露さん関連の資料で度々目にするのは、「1927(昭和2)年6月9日に露さんが高橋慶吾に宛てて送ったとされるハガキ」です。 当記事ではこのハガキの内容について色々考えてみたいと思います。 内容に対して抱いた感想 まずはハガキの内
この「謎の『文書』」カテゴリでは宮沢賢治と高瀬露さんに関わるとされるものの「色々とはっきりしない部分がある」手紙やハガキなどを取り扱ってまいります。 「謎の『文書』」カテゴリ第1回目は賢治が遺した手紙の下書き・下書き断片について思うことなど
前記事では「悪評」の原因などを高瀬露さん・高橋慶吾の人物像から想像してみました。 陰口という形になってはいますが、高橋はあくまで「内輪話」として協会員仲間に「露さんの愚行」を話したに過ぎません。仲間があまりその話題に乗ってこなかったことから
当記事では「悪評」の元ネタとなった高橋慶吾の談話・および高瀬露さんの人物像をもう一度引用し「悪評が流されることになった原因」を考えていきたいと思います。 元ネタ「座談会「先生を語る」」 露さんの悪評の「元ネタ」となるのは、高橋と賢治の教え子
上田哲さんの論文「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」はライスカレー事件に言及し始めたあたりで「未完」という形で終わってしまい、残念ながらライスカレー事件及び「悪評」の検証や考察はなされないまま、上田さんは他界されてしま
「中傷行為」伝説のまとめとなります。 当記事では「中傷行為」伝説や高瀬露さんの「対応」に対しての個人的意見を述べていきたいと思います。 個人的意見「中傷行為の有無」 「露さんが宮沢賢治の中傷をして歩いた」という行為が有ったのか無かったのか。
「中傷行為」伝説に対して起こる疑問について引き続き考えていきたいと思います。当記事で考える疑問は以下の2点です。「中傷」の内容は具体的に何だったのか「高瀬露さんが宮沢賢治を中傷している」のを見た人は他にいるのか最後に「真実はこうだったのでは...
儀府文献への意見・感想の続きです。「やさしい悪魔」に戻り(ページも270ページから252ページに戻ります)まとめ部分の気になる箇所、「火の島の組詩」の記述から儀府文献に思うところを述べていきたいと思います。空いた口が塞がらない儀府は「やさし...
さて、改めて儀府成一の文献「やさしい悪魔」「火の島の組詩」に対する意見・感想に入りたいと思いますが、儀府文献は前記事でも書いた通り「読み応えがあり過ぎる」内容、特に「やさしい悪魔」は森荘已池の文献を大きく膨らませて派手なデコレーションを施し...
次に儀府成一の文献を取り上げていこうと思います。取り上げる文献は以下の2点。1.やさしい悪魔2.火の島の組詩両者とも1972(昭和47)年・芸術生活社出版の「宮沢賢治 ●その愛と性」という書籍に収録されています。1は約43ページにわたって、...
1926(大正15)年秋〜1928(昭和3)年夏にかけての森荘已池の「動向」が判明しましたがひとまずそれは脇に置いて、引き続き森の文献「宮沢賢治と三人の女性」「高雅な和服姿の”愛人”」より気になるところを抜き出し、意見・感想を述べていきます...
まずは森荘已池の文献から取り上げていきます。当記事で取り上げる文献は以下の2点。1.宮沢賢治と三人の女性2.高雅な和服姿の”愛人”1は1974(昭和49)年・津軽書房出版の「宮沢賢治の肖像」に収録されており、初出は1949(昭和24)年です...
当記事から悪評系文献に対しての意見や感想を述べていきたいと思いますが、まず悪評系に分類している文献・人々と「悪評系文献」カテゴリーで取り扱う「2大文献」について説明いたします。「悪評系」に分類している人々当ブログで「悪評系」に分類している宮...
高瀬(小笠原)露さんと直に交流を持った人々の証言が手持ちの資料からは出揃いました。この記事では「これまで流布されている露さん像」も挙げ、それと「実際の姿」を比較していきたいと思います。流布されてきた姿●明るく率直●世話好きでしっかりしている...
引き続き上田哲さんの論文「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」より「日頃高瀬(小笠原)露さんと交流を持っていた(賢治との噂は知らない)人々」の声及び上田さんの露さんに対する印象を引用していきます。上田さんも露さんに会って...
こちらでは高瀬露さんの「実際の姿」を資料から引用し、感想・意見などを書いていきたいと思います。高瀬露さんの「悪評」をばら撒いているのはまず「宮沢賢治に近しい人物」、その次が「賢治に近しい人物に近しい人物」…と、露さんの関係者は全くいません。...
高瀬露さんの半生を、上田哲さんの論文「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」から引用しつつ思うことを述べていきたいと思います。嫁ぎ先は神職の家一九三二年<昭和七年>四月十一日、岩手県上閉伊郡遠野町(以下住所引用者により省略...
各資料に掲載されている高瀬露さんのプロフィールを引用し、感想・意見などを述べていきたいと思います。一部資料は筆者の手元にないため手持ちの資料からの孫引きになってしまうことをあらかじめお詫びいたします。「校本宮澤賢治全集」「【新】校本宮澤賢治...
「「悪評」との出会いから違和感を抱くまで」の続きです。何気なく手に取った一冊の書籍で実情を知ったあとのこと、そして現状に思うことを述べていきます。 私たちは一人の女性に残酷なことをしていた 高瀬露という女性が問題ある人物であると信じつつも心
当ブログのメインテーマは「宮沢賢治にほんの一時期関わった女性・高瀬露さんに着せられた濡れ衣」。私がそれを知ったきっかけと、露さんの悪評に対して違和感を抱くようになった経緯を述べていきたいと思います。 「宮沢賢治に追っかけがいた!?」 …とい