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人はなぜ戦争をするのか
これはフロイトがアインシュタインの質問に答えた書簡なんだけど、フロイトの人間観がよく分かる。 フロイトによると、人間の祖先は殺人者なんだな。それは色んな神話や聖典に共通して見られるらしい。例えばキリストが十字架で人類の原罪を贖ったとされるんだけど、死刑で贖う罪といえば殺...
2023/11/27 07:38
力とは何か?
物理学では力の本質を問わないことにしている。実際、力はMKS単位系で規定されているのだから、力の単位は空間・質量・時間による合成であって、力それ自体の単独の単位は存在しない。物理学による力の捉え方は驚くほど精確であって、爆発や衝突や破壊などは力そのものではなく、力の結果と...
2023/11/25 11:19
死をどう捉えるか(その2)
高齢になるといつ死ぬか分からないので、この際、死について考えてみたい。 死に対して恐怖や不安や悲しみを感じるのはなぜか? それは生に執着しているからだけど、生とは何かといえば、実在との関係なんだな。 人間が実在を手にしているか否かはさておき、実在と何らかの関係がある...
2023/11/23 11:19
原因について
原因を表象とするか非表象とするか、それが問題だ。 カントはヒュームを批判しているとはいえ、原因を表象とする点では共通している。周知のようにヒュームは事象Aと事象Bとの継起をもって因果関係としているが、その事象Aが表象としての原因である。カントもまた表象同士を結合する純粋...
2023/11/23 00:01
ドゥルーズの差異概念
差異というと普通は対象Aと対象B,C,D,...との違いのように捉えてしまうんだけど、それは表象同士の差異であってドゥルーズの言う「差異」ではない。 そうした表象的差異はヘーゲル的差異であって、必ず否定を伴う。Aの同一性はA以外のものとの差異によって捉えられるということ...
2023/11/22 15:41
マインドフルネスについて
マインドフルネスというのはサティの訳語ということだから、仏教に影響された考えなのであろう。この考えが現代人に分かり易いのは、意識中心の見方と対立せずに仏教の修行にも通じるからだと思われる。 欧米では瞑想がブームということで、企業経営者達は瞑想を取り入れているらしい。スト...
2023/11/17 09:40
私は非国民
政治家が「国民の皆様」とか「国民の生命を守る」などと言うたびに、いやそれ私じゃないし、と思ってしまう。もちろん私は税金を払い国家によって守られている。だから法律用語としての「国民」なら認める。だけど生きた人間として私のことを国民と呼ばないでくれ、気持ワルいって思うんだな。...
2023/11/16 08:02
LGBT法の欺瞞
LGBT法というのは、正式には「性的志向及びジェンダーアイデンティの多様性に関する国民の理解増進に関する法律」というのだそうだ。クソ長ったらしい名前の法律である。 いかにも上から目線でマイノリティを見ている名称だ。 これはマジョリティ(つまり国民)がマイノリティを理解...
2023/11/15 20:48
カントのカテゴリー
時間と空間が客観的な物自体ではなく、人間固有の感性形式に過ぎないと言われても、今一つ納得できない。どう見ても時間と空間は客観的だと思うかもしれない。 その客観性は、一個人ではなく人類全体に共通する感性形式だから客観的なのだとカントは主張するんだけど、それは主観が多数にな...
2023/11/13 09:08
死をどう捉えるか
死が人間固有のものであるなら、それは言語と何らかの関係を持つに違いない。 だから死は、身体の死と言語による死の二つに分かれる。身体の死は動物と同じであり、人間固有の死とは無関係だ。 人間固有の死は、言語を習得する時点で既に始まっている。つまり他人の発する言葉を意味ある...
2023/11/10 16:23
普遍論争
「馬性は馬性でしかない」というアヴィセンナの言葉は何のことか、前から気になっていたんだけど、山内志朗著「普遍論争」を読むとよく分かる。だけど、そこは奥が深いので、私の小さい頭で理解しえた範囲でパラフレーズしてみよう。 これは「馬性」という耳慣れない言葉に面食らうんだけど...
2023/11/10 08:16
カントの純粋概念
私はこれまでカントの言う「純粋」とは、対象物がないことであるとしてきたんだけど、感性論と知性論では「純粋」の意味が異なっている。 感性論における純粋直観とは時間・空間のことなんだけど、その場合の「純粋」とは対象物が何もないという意味なんだな。思考実験によってすべての対象...
2023/11/06 08:08
カントの無感情
これから知性論(悟性論)に入る前に、一つ仮説を立ててみたい。 カント哲学が異様な様相を示しているのは「実践理性批判」なんだけど、そこでは一切の感情を排した理性判断に基いた道徳哲学が展開されている。よく知られている例では、たとえ愛する者が不利になったとしても加害者に対して...
2023/11/05 09:34
カントの純粋直観
前回、感性と知性(悟性)との本質的違いは接触の有無だと述べたんだけど、対象との接触は強度が増すと苦痛をもたらす。視覚だけでなく聴覚もそうだ。私は高齢だからメタルのライブ終了後一時間程度は耳が痛くなる。さらに強度が大きくなれば、それは音楽などではなく拷問であり知性を喪失する...
2023/11/04 12:31
カントの感性論
カントの感性論を内容としてみる限り、それは空間・時間について論じたものであるように思われる。にしては短い。短すぎる。 実は論じていない。カントはあくまで「解明」erörterungと言っているに過ぎない。 これが知性論になると「演繹」deduktionとなる。カントは...
2023/11/03 08:20
カントの物自体
前々回指摘したようにカントにとって認識の最小単位は「判断」であって対象ではない。所与の対象はそれが感覚対象であろうと観念表象であろうと、認識ではないんだな。それらは悟性能力によって結合されて「判断」になったときのみ認識となる。 だからカントの物自体とは、悟性能力によって...
2023/11/02 06:34
カントの分析判断
カントの言い方で気になるのがやはり分析判断だ。主語に述語が含まれる、というのが分析判断で、それが命題論理でいう包含関係(述語に主語が含まれる)とは逆であること、つまり命題論理とは次元の違う話だということは前回指摘したとおりだけど、分析判断という言葉で具体的に何を言おうとし...
2023/11/01 07:32
2023年11月 (1件〜100件)
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