金地金や米価の高騰の陰に隠れていますが、銀地金も高騰していますね。今年に入ってから田中貴金属工業さんの銀の店頭買取価格が瞬間的に173.61円を超えることがちらほらと…。そして6月10日発表の店頭買取価格はなんと184.80円(税込み)でした。 上の写真は、主に私が小学生の頃に、小売業を営んでいた実家のレジからピックアップして、お年玉と交換しながら集めていた100円銀貨です。昭和50年代でも100円銀貨を使う人がいたん...
金地金や米価の高騰の陰に隠れていますが、銀地金も高騰していますね。今年に入ってから田中貴金属工業さんの銀の店頭買取価格が瞬間的に173.61円を超えることがちらほらと…。そして6月10日発表の店頭買取価格はなんと184.80円(税込み)でした。 上の写真は、主に私が小学生の頃に、小売業を営んでいた実家のレジからピックアップして、お年玉と交換しながら集めていた100円銀貨です。昭和50年代でも100円銀貨を使う人がいたん...
日本赤十字社創立二十五年紀祝典記念章SilverObv. 小松宮彰仁親王左向き肖像 総裁彰仁親王Rev. 日本赤十字社創立二十五年紀祝典記念 明治三十五年五月一日 日本赤十字社の創立25年祝典記念章です。日本赤十字社の前身である博愛社の創立は明治10年5月1日、明治19年に日本がジュネーヴ条約(赤十字条約)に調印したことで、翌明治20年に日本赤十字社と改称されました。表面肖像は日本赤十字社初代総裁の小松宮彰仁親王の左向き肖...
淀川明治大洪水 明治18年6月上旬から続いた雨によって、6月17日と7月2日の二度に亘り堤防が決壊して、北・中河内から大阪市内に及ぶ広範囲が洪水による被害を受けました。当然、造幣局も大きな被害を受け、7月2日から7月12日まで操業停止となりました。この洪水で、八百八橋とうたわれた大阪の橋は、30余りが流失してしまうのですが、この中には当時木造だった天神橋や天満橋も含まれていました。そして、流失から3年後の明治21年...
有孔十銭ニッケル貨幣(10銭ニッケル貨)ニッケル1.000(公差10/1000) 4.00g 22.00㎜(孔径6.0㎜)根拠法令 昭和8年法58勅232製造期間 昭和8年9月 - 昭和13年1月製造枚数 205,010,074枚発行枚数 205,000,000枚 補助貨幣の素材としてニッケルを利用することは明治33年(1900年)度に検討されており、造幣局では純ニッケル貨幣試作実験を行っています。その後、大正11年(1922年)度と昭和3年(1928年)度にもニ...
コンゴ(旧ザイール)のルバ族が使用した銅製インゴットです。形状はカタンガ・クロスに似ていますが、大きさと量目は左から約95㎜・72g、96㎜・77g、26㎜・10g、25㎜・10g、41㎜・18gです。今回の入手品は大型の2個と小型の2個の計4個。いずれも自然な青緑のパティが美しかったので大人買いしました。ルバのインゴットとしては大中小、一通りのサイズが揃ったと認識しているのですが、どうでしょうか?もっと大きいものや形の違...
これまで、戦後被占領下の接収施設等を「P.X.トークンが通用した可能性」という視点でご紹介してきました。しかし、これだとテーマとしての輪郭がぼやけるので、思い切って角度を変えることにしました。今後は「日本の通貨が排除された国内施設」として、引き続き、写真や資料を収集紹介します。新規の収穫があった際は、随時このページも更新していく予定です。日本の通貨が排除された国内施設1945-1958 戦後の被占領期に日本...
久しぶりにアメリカ陸軍第八軍のP.X.トークンの利用状況を知るためのヒント探しです。今回は、P.X.の横浜メインストアとして接収された松屋伊勢佐木町店です。松屋伊勢佐木町店接収期間 1945年9月3日~1953年8月14日接収目的 P.X.の横浜メインストア 横浜の伊勢佐木町通りにあった松屋伊勢佐木町店の接収時代の写真です。「横浜松屋」の看板横に第八軍のインシグニアとYOKOHAMA P.X.の看板が設置されています。1945年9月3日に...
南方占領地スマトラ パダン ― 昭南(19.8.28) 書状(島外(日本・南方占領地)宛20g超50g迄)20c 書留20c収集雑感 占領前のパクボー便を除けば、南方占領地の初収穫品です。重量便で書留で、検閲印と検閲テープありの商用便・・・色味は地味ですが情報量が多いので気に入っています。サイズが大きい(A4用紙に横向きに置くとはみ出す)ので不人気かと思いきや、結構な出費を余儀なくされました。これが現地の正刷切手で...
南洋群島相互間昭和17年4月1日-昭和19年3月31日 パラオ ― テニアン サイパン ― テニアン(16.9.14) (17.10.24) 第一種書状 4銭 第二種私製葉書 2銭更新案内 過去の収穫品から南洋群島相互間の郵便物をまとめました。今回の新規入手品はパラオ発テニアン宛の第一種書状です。テニア...
内地 ◀▶ 南洋群島昭和12年4月1日-昭和17年3月31日サイパン 麹町 ― サイパン サイパン(八雲三分隊) ― 宮城県(13.9.13) (13.6.21) 第一種有封書状 4銭 第二種私製葉書 2銭パラオ パラオ ― 京都 パラオ(八雲) ― 横浜(16...
方孔音痴を自認して久しいですが、最近穴銭を大量に入手しました。と言っても、現物ではなく拓本(生拓)です。 題は『蔵泉帖』とあり、日本泉之部、島泉、古文泉と書かれています。『一』から『五』まで全部で5冊。全て生拓です。装丁は所謂共紙表紙を使った簡易なもので、古銭家のプライベートな蔵泉帖であることは明らかです。しかし、残念ながら、名前も年も記載がないので、誰の蔵泉帖なのかは不明です。手掛かりとして、...
French Yokohama Post Office 1873
From Yokohama to FranceBy British packet boat via BrindisiRoute: TOKYO ― YOKOHAMA YOKOHAMA ― BRINDISI ― MODANE ― PARIS (1873.6.10) 〈Avoca(6.11)〉 (1873.8.2) (1873.8.2)Rate: Mixed franking letter: 2sen per 2momme(=7.5grammes) (1873.04.01-1882.12.31) prepaid letter: 1fr. 30cmes. per 10grammes (1871.08.01-1875.12.31) Degron-kun Type...
内地 ◀▶ 中華民国昭和12年4月1日-昭和17年3月31日岐阜 ▶ 北京 ↪ 長崎 第二種官製葉書 2銭(1937.11.29) ㋪ 岐阜 12.11.29 后0-4 共に一枚銃後の国債(1938. --.20) 〇 北京 廿七年 月廿日 PEIPING ☑(二)遷移新址不明(1938.04.10) ◍ NAGASAKI 10.4.38 NIPPON ▯表面記載ノ差出人戻シ収集雑感 先日のJSAの落札品2点目です。狙った訳ではありませんが、今回は返送便に縁が...
日本の航空路による航空郵便日本 - 中華民国間昭和13年10月11日-昭和17年3月31日東京 ▶ 上海経 路: 東京(1940.12.31) ― 上海(1941.1.2)料 金: 書状4銭 + 航空料金35銭 = 合計39銭抹消印: ◍ TOKYO31.12.40 NIPPON到着印: 〇 上海 癸二 三十年一月二日/十五 SHANGHAI神戸 ▶ 上海 ↪ 在神戸スイス名誉領事館経 路: 神戸中山手(1941.5.29) ― 上海(1941.5.30)料 金: 書状4銭 + 航空料金35銭 = 合計3...
造幣局建物群の年代推定には、建物自体の変化だけでなく、周辺環境の変化もヒントになります。その代表例が“橋”です。敷地内にあっためがね橋やみゆき橋だけでなく、造幣局前を流れる大川(旧淀川)には、天神橋、天満橋、澱川橋、桜宮橋(銀橋)など多くの橋が架けられました。特に明治18年7月の淀川大洪水による消失や架橋、明治35年10月の澱川橋架橋、昭和5年9月の銀橋架橋、その後の澱川橋の解体などは重要なヒントになりま...
接収中の1948年から1950年にかけて、造幣局で製造した米陸軍第八軍用の代用貨幣には第八軍の徽章がデザインされました。この代用貨幣の使用状況は残念ながら良く分かっていません。そこで、何かの参考やヒントにはなるかと思い、この代用貨幣が利用された可能性がありそうな施設等の写真や資料を収集しています。今回はその中から万平ホテルをご紹介します。“Mampei Memories” Souvenir booklet of the Mampei Hotel Karuizawa....
恥ずかしながら…久しぶりにカバー(実際は葉書ですが…)の新規収蔵品を採り上げます。第二種(官製はがき) 臨時郵便取締令違反下谷16.12.2 前8-12 ― 横浜市港北区日吉町 この時代の宛名書きには多く見られることですが、御覧の通り、宛名は鉛筆書きです。貧相の極と言っていいでしょう。しかし、この郵便物には臨時郵便取締令に違反している旨のスタンプが押印されています。宛名書きの貧相さのお陰で、スタンプの一言...
実は、今日は先日の某オークションで落札した葉書についてご紹介する予定だったのですが、急遽予定を変更してこの記事を書いています。冗長ですがお許しを。 以前にもご紹介した絵葉書について、個人的に疑問に思っていることを書き留めておきます。その道の方々が読めば滑稽極まる疑問かもしれませんが、まぁ周回遅れの初心者はこんなものと思ってください。大阪天満 39.1.1 前0-5 この絵葉書は、造幣局用度課長石田保誠氏...
先ずは、下の絵葉書をご覧ください。 造幣局建物群を写した絵葉書ですが…なんか変だと思いませんか。手前に写っている建物は泉布観です。と言うことは、その奥に並ぶ建物群は泉布観以北の分析所、硫酸室、下等洋人館などと言うことになりますが…。こんな建物の並びではない筈です。奥の建物をよく見ると表工場の建物にそっくりに見えます。そこで、まさかとは思ったのですが、写真を左右反転させてみました。 !!!ほら!これで...
使えなくなるまで貯め込むなよっ! いや預金封鎖じゃ仕方ないか?
近辺何かとバタついておりまして、年が明けても拙宅の整理をしている今日この頃。小汚い開かずの書類箱をこじ開けたところ、古い伝票類や通帳類と共に紙幣が出てきました。しかし、残念ながら使える紙幣は別のところから出てきた伊藤博文の千円札4枚のみ。残りは和気清麻呂十円札と菅原道真五円札ばかりが十数枚。しかも並品以下の雑札ばかり。やれやれ、片付けの手間賃にもなりません。 まぁ、それでも一応、カタログと睨めっ...
皆さん、あけましておめでとうございます。 昨年は辰年ということで竜図の一円銀貨を年頭に掲載しましたが、今年は巳年。蛇がデザインされた日本のコインなんてない・・・と思いきや、ありました! このコインの元々の発行国はメキシコですが、カウンタースタンプ・コインの場合は、刻印を打って流通させた国のコインと見なされるので、これも歴(れっき)とした日本のコインです。 ところで2025年も数々の記念切手が発行され...
今年もあと10日ほど、ということで、ここらで今年の収穫ベスト5を振り返ってみようと思います。第5位 ヤップ島貝貨 某入札誌での収穫。ヤップ島は日本の委任統治領(外地)だったこともあります。委任統治領時代も石貨や貝貨は利用されていましたから、日本統治時代の貨幣と言えるかも・・・。カテゴリも独立させました。第4位 造幣局関係者差立て葉書3通 ヤフオクや古書店などで見つけた幸運な収穫。立て続けに3通も手に入...
二朱銀六分五厘引ケ(銀.845 銅他.155) 三匁六分(13.65g)(実測)13.67g , 29.57㎜×17.79㎜ 開港場でのみ通用する対ドル引換用(貿易専用)の貨幣として、箱館、横浜、長崎の開港に先立つ安政6年6月1日(1859年6月30日)に発行されました。しかし、幕府がハリスやオールコックからの条約違反との猛抗議に屈したため、6月22日を以て通用停止となってしまった銀貨です。この辺りの詳しい経緯は専門書で確認してください。 大...
Shell Money,Yap IslandPinctada maxima ヤップ島のお金と言えば、石のお金を連想しますが、貝も財貨として利用されていました。主に利用されたのは白蝶貝で、黒蝶貝、蝦蛄貝、ウミギク貝も利用されました。形状も様々で、画像のものの他、白蝶貝などの一端に椰子縄で柄を付けたものやウミギク貝をネックレス状に束ねたものもあります。 石貨の場合は、大きさは価値に直結しておらず、価値の大小はその石を切り出して運搬する際...
造幣事業100年記念たばこ ポスター昭和46年(1971年)4月1日発売 日本専売公社 257㎜×182㎜ コイン収集とは直接関係ありませんが、こういうのにも手が出でしまいます。タバコのパッケージについての記事はこちら...
先ずは下の絵葉書をご覧ください。おかしなところがあります。どこでしょうか?正解は枠外の文字。1.右側 (所名阪大)とすべきところ、(名所阪大)となっています。2.中央 造幣局の「幣」が隠蔽の「蔽」になっています。3.左側 Osaka Meisho ・・・ ここは Osaka Mint か The Imperial Mint,Osaka のほうが良いのでは… 造幣局の絵葉書を集めるようになって結構な年月が経っていますが、こんないい加減な葉書は始めて...
貨幣取調書慶応四年閏四月 太政官 会計局貨幣調方 久世治作、村田理右衛門 御用御書物所 村上勘兵衛、井上治兵衛 既に一冊持っているうえにご覧の通り状態が良くありませんが、今回は元装で且つ大きさが241㎜×177㎜と既収のもの(228㎜×159㎜)より一回り大きく、同時代の例えば新貨条例と比較しても大判です。(と言うより、既収分が小さいと言うべきかもしれません。)しかも相場の1/2~1/3程度だったので重複承知で拾っ...
先ずは、下の1ドル紙幣をご覧ください。 通貨及び通貨性資産の確認に関する緊急臨時措置法に基づいて重複呈示防止印を押印された1ドル札・・・と思いきや、なんか変です。この1ドル札に押印されたスタンプは、本来は呈示票に押印されるべきものです。果たして、このスタンプが押印されたのはどのような経緯からでしょうか。 ボナンザ第9巻第10号には、同じスタンプと本来押印されるべき印の両方が押印された1ドル紙幣が紹介さ...
郵便切手貯金台紙朝鮮総督府逓信局発行 昭和4年10月大和納 朝鮮の台紙に新大正毛紙輪転版(3つ穴)1銭5厘が10枚ブロックでベッタリ!惜しむらくは、郵便局或いは管理所でピン止めした際の穴がコーナーの目打に掛かっていることと、消印が薄いことです。3つ穴であることは隣の列で確実に確認できるので良しとして、消印が薄いのは少々残念です。日付は最下段に押されたもので「6.11.24」とシッカリ確認できますし、三星であるこ...
造幣局絵葉書造幣局内泉友会発行 10枚セット 造幣局泉友会が発行した絵葉書セットの中から造幣局全景を写したものをご紹介します。造幣局泉友会は大正12年に造幣学術研究会が改称した組織です。従ってこの絵葉書セットは大正12年以降の発行と言うことになるのですが、被写体となった造幣局がいつ頃のものかイマイチ判然としません。写真右側の本局は拡張工事完了後に見えます。拡張工事は明治45年に完了しています。また左側の表...
BOLIVIA Colonial Cob Coinage Carlos II (1665-1700)8REALES 1682PVSilver.931 22.85g 35㎜ Circulation StrikesObv. Cross of Jerusalem,lions & castles in quarters. (CAROLUS·II·D·G·HISPANIAR) P V 82Rev. Piller of Hercules (POTOSI·ANO·1682·EL·PERV) P 8 V / PLV SVL TRA / V 82 PMint: Potosi PAssayers: Pedro De Villar V (1679-1684) 不格好この上ない銀貨ですが、バッカニア(buccanee...
絵葉書に見る造幣局は、造幣局を向かって左側から北向きに写したものが多く、上の写真のように向かってやや右側から写したものは比較的少ないです。僅かな角度の違いですが、建物の変遷を調べる上で、角度の違いによって見えなかった部分が見えるというのはワクワクします。この写真では右端に火の見櫓のようなものが確認できます。以前にも同じような角度から写した絵葉書を入手しましたが、かなり遠景だったので、ここまではっ...
፨富夲፨銅.900 アンチモン.050~.100 4.50g 24.5㎜ 狭大表 面 濶縁裏 面 広郭周 囲 平滑根拠法令 天武天皇12年4月15日詔(日本書紀)法定価値 銀銭(無文銀銭)と等価発行目的 藤原京造営に係る労賃支払用出土記録江戸期以前の伝世品・朽木昌綱 ― 大英博物館収蔵 狭大2枚、異書・細縁1枚・東京国立博物館収蔵 正字2枚、狭大3枚・民間伝世品 正字4枚、狭大5枚、異書・細縁1枚日 付 ...
旭日竜小型50銭銀貨幣銀.800 銅.200 13.4785g 30.909㎜ 表面意匠 竜図(阿竜)、年号、「大日本」、「五十銭」裏面意匠 菊花紋章、桐紋章、旭日、菊枝と桐枝周 囲 ギザ根拠法令 明治05年11月14日太政官布告第341号製造期間 明治05年製造枚数 2,649,621枚供試貨幣 1,312枚発行枚数 2,648,309枚通用停止 昭和28年12月31日小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律 明治4年銘の小竜タイ...
補助貨引換に就て大政翼賛会・中央物資活用協会 以前にも大政翼賛会と物資活用協会の連名による同様のチラシをご紹介しましたが、今回も大政翼賛会と物資活用協会との連名です。但し、以前のは戦時物資活用協会だったのに対して、今回のは中央物資活用協会となっています。また、今回のチラシは各貨幣が写真で掲載されている点も以前のものとの相違点です。 昭和17年12月から始まったニッケル、銅、銀の各補助貨幣の引換ですが、...
造幣局改築記念絵葉書造幣局 昭和4年12月9日袋新築工場外観新築工場一階機械配置図 前回は新庁舎竣功記念の絵葉書セットでしたが、今回は庁舎竣功の10年前に改築が完了した工場の改築記念絵葉書セットです。記載されている日付(昭和4年12月9日)は絵葉書の発行日でしょうか。実際の新工場完成は昭和4年7月30日、清袚(きよはらい)式の挙行日は同年12月5日です。 セットと言っても今回入手したセットは、絵葉書が2枚しかない...
庁舎竣功記念昭和13年6月 造幣局 大阪・北濱 ジーチーサン商会謹製袋造幣局外観造幣局玄関広間造幣局貴賓室間違い探し ここで間違い探しです。下の2枚の写真の違いを見つけてください。この画像では分かり難いと思いますが、実物の比較で私は7箇所見つけました。答え難易度★・雲の形・橋の欄干の有無難易度★★・庁舎2階のブラウィンドの開閉・河岸の手すり(柵)の有無(または写真中央下の黒い塊の有無)難易度★★★・樹木の...
とうとうこの額面もこんなデザインになってしまった…。私にとっては改悪です。折角新紙幣が発行されたのに…。...
中等洋人館と泉布観 中等洋人館(左)と泉布観(右)を被写体に収めた鶏卵紙写真です。この写真だけでは撮影時期の特定は困難ですが、対岸(手前)に柵があることから、淀川洪水(明治18年6月~7月)以前の可能性が高いと思っています。 それにしても、よくぞこのアングルで撮影したものだと思います。中等洋人館の左には地金局(造幣寮)、その隣には金銀貨鋳造場(表工場)があるのですから、普通ならもう少し左を写したくなる...
下の葉書を入手しました。これ、実逓されていないですよね?切手貼付欄に “Free airmail” と記載していますが、消印が押されていません。 なんて中途半端な! しかし、今回この葉書を入手した目的はそこではありません。TOKYO MAIN EXCHANGE Tokyo,Japan 115 接収されていたころの銀座松屋です。今回は中途半端な絵葉書なので安価に手に入りました。似たようなアングルの写真や絵葉書は過去にも入手していますが、星条旗が写...
今回は一点だけ欲しいなぁと思うコインが載っています。しかも外国コイン。昔、このシリーズを集めていたことがあったのですが、今見てもやっぱり惹かれます。ただ、当時と比較すると、最低値の段階で昔の価格の1.5倍になっている…。まぁ、円安だしね。高くはないのかも知れませんが、正直怯んでいます。どうしようかなぁ…。...
久しぶりに貨幣関係の記事が掲載された一般雑誌を見つけたのでご紹介します。写真週報 第18号昭和13年6月15日発行 内閣情報部 貯蓄報国号となっており、「貯蓄戦に参加せよ」、「貯蓄模範村を訪ふ」、「貯蓄戦の野戦本部」などの記事と共に、「金貨物語」と題して、造幣局で金貨ができるまでの主要な工程を写真で紹介しています。最後の写真は、包装をする女性職員が写っているのですが、二人とも素手。 コンディションに...
服部時計店(和光)(東京銀座)接収期間 1945年10月~1952年4月接収目的 P.X.(スナックバー) 接収されて間もない頃の服部時計店です。この写真では見にくいと思いますが、「服部時計店」と書かれた看板の下に「EIGHT ARMY TOKYO P.X.」と書かれた幕看板が設置されています。もう少し後になると「服部時計店」と書かれている看板は「TOKYO P.X.」に付け替えられます。また、左手前には、米兵向けと思われる仮設の道路標識が見...
小判の製造 江戸本町金座の文政金作り平成2年10月 造幣局泉友会 函や帙に若干痛みや焼けがありますが、中身は問題なし。15枚並べて掛け軸かミニ屏風に仕立てちゃおうかな。 一枚だけ特別にお見せしましょう。 職人が作業を終えて帰るところです。素っ裸にされて、髷の中までチェックされています。これだけ厳重なら小判や金塊を持ち出す不届き者はいなかったでしょう。今、こんな身体検査をしたら人権問題になってしまいま...
以前にもご紹介した造幣局の絵葉書ですが、あることに気づきました。下の①②の絵葉書を見比べてください。違いが分かりますか?①② ①の造幣局は金銀貨鋳造場の向かって左端の部分に足場のようなものが確認できます。今まで見過ごしていました。拡大してみました。 ①の拡大写真 ②の拡大写真 比較すると①の写真ではやはり何かの工事をしているように見えます。②の写真の上等洋人...
日本國造幣寮首長第一號年報書明治5年11月刊行 トーマス・ウヰルリヤム・キンドル著 島邨泰訳 当時の造幣寮首長トーマス・ウィリアム・キンダー(Thomas William Kinder)から大蔵大輔井上馨に宛てた造幣局長年報書の第一号です。当時は所謂留守政府時代であり、本書の宛名も「大蔵省長官井上大蔵大輔閣下」とハッキリ「長官」と書いています。内容は「地金請取ノ事」から始まり、「成貨ノ事」、「金貨ノ事」、「銀貨ノ事」...
今日の記事は素人の小ネタです。下の写真の「〇」や「→」を付けた部分をご覧ください。 左の抹消印の〇囲み部分をよく見ると上下同じ特徴「線のゆがみ」が確認できます。また、右の抹消印も↘を付けた部分を見ると上下同じ特徴が確認できます。(右は写真では分かり難いと思いますが、やはり線が歪んでいます。) しかも歪みがある部分は上下の間隔が左右で同じです。 といことは、これらの抹消印は青海波15個分(〒...
台湾における据置貯金郵便切手貯金台紙については、現時点で把握できている台紙4種と抹消印4種が揃いました。基礎コレクションが完成したので、暫定的にまとめておこうと思います。基本分類をまとめただけの私的な勉強ノートみたいなものですので、間違いがあればコメント欄でご指摘ください。よろしくお願いいたします。 なお、本記事はスマホでご覧になると画像の配置が崩れます。読者様の想像力で補完してください。据置貯金...
据置貯金郵便切手貯金台紙台湾総督府逓信局 大正12年1月江里口商会印刷 添付された切手は旧毛紙5銭10枚、10銭5枚の計1円分です。抹消印は唐草模様と〒マーク。実は、前々回のJSAにも同じ抹消印の台紙が登場していました。しかし、2枚とも切手貼付部のみ・・・と言うことで見送った経緯があります。記念切手と記念印もあったから欲しかったんですけどね。表紙と日付印 表紙中央にポトス(黄金葛)が描かれています。実はこの植...
据置貯金郵便切手貯金台紙台湾総督府逓信局 大正11年12月溝淵印行 添付された切手は旧毛紙の1銭6枚、2銭3枚、5銭1枚の計17銭分。抹消印は以前ご紹介したものと同じ青海波と〒の組み合わせですが、インクの色が違います。既収品は赤紫色の印でしたが、今回のは黒色です。台北局と基隆局という違いがあるので、郵便局による違いなのか、時期によるものか、或いはランダムなのか・・・引き続き調査するつもりですが、ご存じの方は...
文明移入に関する古書展覧会目録大正14年9月18日 想像通り、『西洋銭譜』(朽木昌綱)は載っていました。『中外貨幣度量衡』、『舊貨幣通貨比較表』も。ちなみに『泰西輿地図説』(朽木昌綱)も載っています。ただ、『和蘭貨幣考』(青木昆陽)は載ってなかった。稿本だからね。 ところで、日本で切手収集が始まったのはいつでしょうか。古銭収集は幕府が寛永通宝以外の銭貨の使用を禁止した寛文10年(1670年)頃から始まったと...
更新再開後、早くもネタ切れとなったので、簡単な記事でお茶を濁します。英国王立造幣局(The Royal Mint)1911年 (12枚セット) 1911年頃の英国王立造幣局を写した絵葉書です。大阪造幣局の平面図は旧香港造幣局をモデルにしたことが明らかになっていますが、外観のモデルが何だったかを明確に記した文献を思い浮かべることができません。しかし、写真を見る限りは(英国)王立造幣局をモデルにしたことは間違いないように思...
天保通寳銭分類譜瓜生有伸編 天保堂刊 平成4年4月10日~平成7年10月25日(配本全9回) 某古書店で良い本を見つけました。既収の『天保通寳銭の研究』(刊本)の姉妹書的存在ですが、『研究』が製本刊行されたのに対し、この『分類譜』は未刊行に終わったようです。他の穴銭関係書籍と同じく宝の持ち腐れになると思いますし、決して安くはありませんでしたが、それでも入手したくなる文献です。『研究』と『分類譜』が揃った...
5月になって、各方面から同じようなものを立て続けに頂いています。一体何が・・・。 確かに以前、「2400円札?」みたいな記事を書きましたけど・・・。こんなに多くの額面が発行されていたとは!お札風デザインの金券、商品券、クーポン、割引券、回数券などなど・・・ハイもちろん収集対象にしています。コイン風デザインの厭勝銭、トークンもね。ただ・・・ これはダメ!せっかくお札風のクーポンを作ったんだから、1000円...
造幣局絵葉書 手彩色写真による造幣局絵葉書です。明治時代らしい雰囲気があって、手彩色の造幣局絵葉書は大好きなので思わず手を伸ばしたのですが・・・ 商品説明に「完全剥離」と書かれていました。御覧の通り、奇麗に剥がれてしまっています。普通ならこの時点で伸ばした手は引込めていたでしょう。またの機会に期待して資金は温存したはずです。 しか~し!大阪造幣局用度課長 石田保誠 → 湯浅九右衛門・竹次郎年賀状 明治...
造幣局創立五十年記念絵葉書造幣学術研究会発行 印刷局内朝陽会製造 大正10年4月4日 よく見かける絵葉書ですし、状態も良くありませんでしたから、この面だけなら買わなかったでしょう。 しか~し!大阪造幣局 多胡啓三郎 → 上山英三(大正10年)7月2日差立て またまた発見しましたよ、造幣局関係者差立ての葉書を。今回は大正9年9月16日から大正12年3月31日まで造幣局長を務めた多胡啓三郎差立ての葉書です。今回も残念な...
入札誌銀座が届きました。銘柄的に欲しいものがありますが、コンディション的に悩んでいます。昔からの格言で「価格で迷ったら買え!状態で迷ったら買うな!」と言うものがあります。従おうかな・・・。 さて、特に書く事も無いので・・・ 最近、食事と運動に気を付けていることは以前書きましたが、その後も体重の減少が止まりません。とうとう60kgを切ってしまいました。高校生の時より3kgも少ない…。ウエストも高校生の時と...
コインカレンダー (メイフラワー号)江崎グリコ 「コインで学ぼう世界の歴史」のおまけ 表面にメイフラワー号、裏面にカレンダーがデザインされています。しかし、袋を確認すると、「このコインカレンダーはイギリスのビクトリア女王をえがいたものです。」と書かれています。確かにヴィクトリア女王を描いたコインカレンダーも存在しますので、今回入手したコインカレンダーと袋は何かの理由で入れ替わってしまった可能性が高...
特別展「造幣局所蔵 欧米メダル展」造幣博物館 平成12年3月6日 造幣局関連資料と言うことで入手した一冊。個人的にメダルを主要な収集対象にする予定はないのですが、しかし、そんな予定が打ち砕かされそうになったメダルを何点かご紹介します。マリア・テレジア肖像牌 裏面錫・鉛 61㎜ 71.1g 1762年 ウィーン造幣局製ノヴァラ戦捷記念牌 裏面錫・鉛 64.6㎜ 70.9g 1849年 ウィーン造幣局製ルイ十四...
金銭計数結束器 ドルセーリ パンフレット株式会社内田洋行 U.C.D.Co,LTD. 昭和7年(1932年) 貨幣の周辺資料として入手してみました。コインを50枚ずつ束ねるアレのパンフレットです。1銭、5銭、10銭、50銭を結束できる鋳鋼製の型とドルバンドと称する結束用のバンド100個、更にコインを整える押具が付属しているようです。一種類一万本以上注文のドルバンドには名前入れのサービスも!定価3円。果たしてどの程度普及したの...
造幣局の姿と言っても、現実的にはその多くは記念絵葉書に頼るところが大きいです。生の写真が手に入ることは滅多にありません。そうなると、通常は建物完成後の写真が多くを占め、建設中や解体中の建物が被写体に選ばれることは稀です。しかし、皆無と言う訳でもないから探索に油断は禁物です。今回ご紹介する絵葉書も建設中の建物が被写体に選ばれた一枚です。発電所(現造幣博物館)建設中明治42年4月~明治44年4月 この絵葉...
実は、以前から造幣局の建物群の変遷に関する年表を作成しています。要所要所に写真を添えているのですが、どうしても外すことの出来ない、ポイントとなる姿と言うものがあります。そんなポイントとなる姿を含む絵葉書セットを漸く手に入れることが出来ました。造幣局創業六十年記念絵葉書袋と説明マンチニ作の造幣局遠景 これです!これが欲しかったんです。出版物等には造幣局の創業当時の姿として登場する絵なのですが、転載...
グリコの切手プレゼントキャンペーンに関して、その後いくつか収穫があったのでご紹介します。メインの記事も更新しましたのでご笑覧ください。「世界の切手をあつめよう とっかえよう」の小袋です。青色の赤外線消毒ずみバージョンと赤色社名入りバージョンが手に入りました。同じく「世界の切手をあつめよう とっかえよう」の風景切手10枚セット用のケーズも入手できました。このようなケースは初めて見ました。「グリコで世...
金性証明極印制度造幣局 今回は所謂ホールマークについての造幣局のチラシです。ホールマークとは貴金属製品の品位を証明する刻印のことです。古くは4世紀の東ローマ帝国にまで遡る制度ですが、一般的には1327年に始まるイングランドのゴールドスミス・ホールにおけるホールマーク制度が有名です。 第一次世界大戦終結以降の不況に関東大震災が追い打ちをかけた結果、大正12年秋以降の不景気は深刻化していました。大正13年には2...
日本の造幣局が製造したアメリカ第八軍用トークンがどこでどのように利用されたかが気になっているのですが、なかなか解明できずにいます。そんな中、せめて何かのヒントになればという思いで、接収中の各施設の写真や資料も収集しています。今回はそんな接収中の施設から2枚の写真をご紹介します。琵琶湖ホテル(滋賀県大津市) 1947年8月29日撮影接収期間 1945年9月30日~1952年6月30日(1954年6月30日契約解除)接収目的 ...
前回の葉書の消印は不鮮明で郵便局名が正確に判読できません。「大阪天満」と読めるような気もしますが、そんな名前の郵便局って大正15年当時存在していたでしょうか? さて、今回は造幣局中興の祖と言われる永井繁の年表を自分用のメモとして残しておきます。遠藤謹助の年表同様、この年表も随時更新する予定です。ジックリ官報に当たればもう少し詳細な年表になるはずです。永井繁関係年表明治16年06月25日 永井岩之丞の四男...
造幣局官舎 永井繁 大正15年7月10日差立て 以前、造幣局長遠藤謹助の書状をご紹介したことがありましたが、今回は第16代造幣局長永井繁差立ての葉書です。永井繁は大正13年8月13日に門司税関長から造幣局長に就任しました。当時の大阪は「煙の都」と言われるほど工業化が進む一方で、公害も問題化していました。桜は空気汚染に弱い植物の為、造幣局の桜も衰退の一途でした。これを危惧した永井は、桜の復活に尽力します。各地...
久しぶりに貨幣関連です。とは言っても貯金台紙ですが・・・。 通常、切手の抹消は抹消印が使われると思いますが、この台紙は「穿孔」によって抹消されています。下に掲載したように裏側までシッカリ孔が空いています。受入日付印は台南12.1.23台ろ(台南郵便局)です。貼付された切手は、旧毛紙の5円1枚と1円9枚で計14円分が貼られています。普通の貯金台紙は1円が上限ですが、据置貯金に関しては上限は特に定められていなかっ...
2400円分クーポン券menu株式会社 こんなの貰いました。初回限定のクーポン券だそうです。既に期限は過ぎていますが、面白いので保管することにしました。クーポン券は収集対象外ですが、デザインがお札風なところが気に入りました。...
造幣局入口の桜 初めて見たアングルです。被写体解説には「(大阪名所)造幣局入口之櫻」と書かれていますが、どこの入り口でしょうか。普通に考えれば表門(南門)付近で、建物は官舎(南職人長屋)だと思うのですが、あまり自信がありません。 通信面は「きかは便郵」で通信欄1/2となっています。従って、この絵葉書は大正7年(1908年)3月1日から昭和8年(1933年)2月14日までのものと言うことになります。実際には新工場建設...
造幣局全景(新庁舎完成後)昭和13年(1938年)頃 新庁舎完成後の造幣局全景を写した絵葉書です。庁舎改築工事のすべてが完了したのは昭和13年(1938年)3月20日です。また、この絵葉書の通信面のタイトルが「きがは便郵」となっていることから、昭和21年(1946年)12月27日(日本国憲法公布紀念絵葉書の発行日がこの日なので、民間の絵葉書もこの頃に左書きになったと推定)より前のものであることは確実です。ただ、恐らくは新...
さて、どうしようか…。年初に掲げた目標の一つが出品されている。小傷は目立つもののグレードとしては申し分ない。ただ時期が悪い。NPCの直後だからなぁ~。NPCも漸く11点まで絞り込んで、そろそろメール入札しようかと思っていたのですが…。 まぁ、全部落とせたら予算オーバーなんて考えて、結局1枚も…と言うことになりかねないので、取り敢えずNPCは全力で行きます。...
今回は一点だけ冷やかし入札を考えています。それとは別に、#517に注目しています。クラウン金貨って何だろうと思ったら、クラウンの金打ちね。開始価格5,000,000円。どこまで伸びるのでしょうか??? また、ESC№ですが、未だに旧版のナンバーが使われているんですね。やっぱり旧版のほうが使い易いと言うことでしょうか。Bull版は普段使いには重たいしね。 もう一点気になったのは、#153。昭和50年なら開始価格は1/10だった...
辰年ということで、手元のコインから竜図の2枚を選びました。コイン関連のサイトやブログは竜図コインのオンパレードですね。金貨も並べられれば正月に相応しい彩となったはずですが、それは12年後に期待しましょう。 また、プロフィール欄の写真も変更しました。当ブログの今年の顔は特別郵便切手台紙です。一見、切手に見えますが、これも貨幣の一種です。今年もコイン収集は続けます。 今年は、メートル法実施100年(日本)...
慢性的な資金不足と近年のコイン高とが重なって、今年も多くの収穫を得ることはできませんでしたが、それでも自分なりのベスト3を選んでみました。(縮尺はバラバラです。)カタンガクロス 以前から所有していたものは少々小ぶりだったため、標準的な大きさのものを探していました。台座も合わせて注文したため少々出費が嵩みましたが、スラブ化の費用を考えれば妥当な出費と割り切っています。個人的には「飾れる貨幣」の代表...
オークションワールド社の2024年カレンダー 写真は同社カレンダーの1月を飾るイギリス5ポンド(Una & Lion)の銀打ち試作貨です。ダグラスモリス・コレクションの原品だそうですよ。凄いね! ところで、ダグラスモリス・コレクションのどれなんだろう?#233かな?だとしたらL&Sの20かな? 当時のAWオークションのWebカタログを見ましたが、来歴(Pedigree)の詳細が明示されていませんでした。日本のコインオークションって来歴...
偶にはこんな写真も・・・。少し大きめのクリスマス・ツリー。 寛永9年に建立された台徳院霊廟惣門(本殿はじめ多くは戦災で焼失)、昭和33年のイヴ・イヴに竣工した東京タワー、そして今年開業した麻布台ヒルズ。さらに未来から来たUFOも・・・。東京の箱庭的一枚。 東京スカイツリーが出来た今も、夜の東京タワーが一番だと思っています。...
銅貨・白銅貨・ニッケル貨の引換陸軍省・海軍省・大蔵省・内務省・大政翼賛会・戦時物資活用協会 久しぶりに補助貨幣引換の資料(ミニポスター)を入手できました。特に特定の県名は見当たらないので全国版なのだろうと思われます。このポスターからは12月からと言うだけで何年なのか判断できません。他の資料との比較から、恐らく昭和17年12月からの引換を呼び掛けるポスターだと思います。 全体に折り目が多く、下部に小さな切...
1.5-600×400 グリコがキャラメルやチョコレートのおまけに切手を利用したことを懐かしく思われる方も多いのではないでしょうか。同社はコインもおまけに利用したことがあるため、私はノベルティ利用されたコインも切手も集めています。グリコ簡易年表1949年12月 グリコ株式会社に商号変更1955年00月 アーモンドグリコ発売 10円・20円1957年春頃 関西地区限定で外国切手を入れたグリコとアーモンドグリコを発売1957年08...
久しぶりに、本当に久しぶりに金属製コインの収穫がありました。しかもオークションでの落札。 日本万国博覧会記念白銅貨幣 海外向補助貨幣セット(昭和46年度) 100YEN(EXPO'70) MINT BUREAU, JAPAN 内 容 日本万国博覧会記念貨幣1枚 包 装 プラスチック容器型 交付価格 90セント 販売数量 7,840セット(注文者23ヶ国1,869人)うち寄贈分628セット 海外向けの貨幣セットの販売は昭和44年...
このブログは、ブログ村においてコインや切手だけでなく日本史カテゴリにも登録しています。そのため、コインや切手に興味のない善良な日本史ファンさんが、私の仕掛けたトラップに引っ掛かって、不幸にもこのブログに迷い込むこともあるでしょう。そんな善良な日本史ファンさんのために、普段とは逆のアプローチで記事を書いてみました。日本史に詳しい方、間違いがあったら教えてください。(←それが目的かい!)京都ホテル 1...
造幣局建物群の変遷を写真(一部は版画や挿絵等)で追っていると、節目となる時期の写真がどうしても欲しくなります。時期を特定する意味でも各建物の竣工直後や取り壊し直後などは特に重要です。そんな中で、長らく探していた絵葉書を格安で手に入れることができたので記事にしました。旧庁舎取壊し後、新庁舎起工前昭和11年3月から5月頃(推定) 奥に見えるのが作業場発電所(現造幣博物館)、中央が昭和4年7月30日に竣工した...
大阪名所造幣局 アングルは平凡だし、撮影年代も有り触れたものと思われますが、今までで一番表工場が大きく写っている点に惹かれました。絵葉書の通信面は下1/3が通信文記載欄に充てられています。また、切手添付位置には「正」字と「大正式」と言う文字が書かれています。手前に写っている杭のようなものは何でしょうね。それと・・・左下に写っている白い岩の様なものですが、一番右側が人の横顔に見える・・・。怖っ!最後に...
全景(南方面) 右から地金局、金銀貨幣鋳造場、上等洋人館と並ぶ全景写真です。写真からは、金銀貨幣鋳造場の屋根が寄棟屋根になった(明治19年3月16日)後から上等洋人館解体(明治42年)前のある時期、と言うところまでしか特定できていません。ちなみに通信欄は1/3時代です。 撮影年代としてはよく見かける時期の造幣局ですが、手前の舟との対比が面白いと思って拾ってみました。写真下の被写体解説は「大阪造幣局 THE IMPE...
読み物として面白そうだと思って 『切手商売六十五年 西岡辰二の郵趣昭和史』 を古書店で買ってきました。切手の知識が無くても面白く読める本ですが、その中にコインに関する興味深い記述があったので、抜粋してご紹介します。― 引用始 ― 私は切手が専門で、コインにはあまりタッチしなかったんですが、明治三年(1870)に日本で試作された金貨のことが印象に残っています。これは造幣寮(現在の造幣局)が鋳造機を入れたさい...
№58 NIHON COIN AUCTION のカタログ届く
日本コインオークションのカタログが届きました。紙のカタログが届く前にネットで出品物の一覧をロット番号順に300ロットくらい見たときは、オイオイ大丈夫か?と心配になりましたが、紙のカタログを見て一安心。前半はeライブだったのね。今回の目玉は Ferdinand III の15ダカットですね。安いね~。スタート価格の20倍まで追っかけようかな・・・あっ!0を7個も見落としてた。...
銀座コイン・オリジナル卓上カレンダー2024 今年の参加賞を頂きました。あっ!いかん、惨敗の記憶が蘇ってきた・・・。欲しかったなぁ~、老後破綻覚悟で魂を売り飛ばしてでも最後まで追っかけるべきだったかなぁ~・・・。 次のオークションは12月9日~10日のNですね。あ!その前にJがある・・・、ああっ!その前にも別のNがある・・・・・・検討中です。...
世界大戦平和記念 一銭五厘台紙:逓信省令告示第867号 大正8年7月1日に世界大戦平和記念として、1銭5厘、3銭、4銭、10銭(それぞれ当時の内国葉書、内国書状、国際葉書、国際書状の基本料金対応)の4種が発行され、同時に記念の貯金台紙も発行されました。発行当日に記念切手をまとめて20枚添付した貯金台紙って、郵便切手貯金制度の趣旨からすると「どうなのかなぁ~」と思わなくもないですが、まぁ記念ですからね。C18vaの比率...
昭和12年逓信省令第118号壹銭白紙 凸版 22.5㎜×18.5㎜昭和12年(1937年)12月11日発行 内閣印刷局製造表面 意 匠 稲の刈入れ(食糧増産運動の宣伝) 刷 色 褐色 透 か し 昭和すかし 原図作者 木村勝・加曾利鼎造(合作) 原版彫刻 青木宮吉裏面 糊 無色透明糊代用通貨としての履歴 抹 消 印 櫛型(ゴム印) 光州錦町16.5.17★★★ (昭和16年5月17日) 関東大震災の影響で、...
一か月以上も貯金台紙を記事にしていますが、これってコインコレクターさんは興味ないだろうし、郵趣家さんにとっては分かり切った内容だろうし…誰のための記事だよって話ですが、私のためだよってことで、我慢してください。需要がないのは自覚していますが、紹介できるコインの収穫が全く無いので、どうしようもありません。はぁ~・・・。 貼付されている切手は旧大正毛紙五厘(1/2銭)なので有り触れた切手ですが、台紙が...
シートの余白に当たる部分を耳紙と呼ぶそうですが、郵趣家さんはこの部分を結構大切にしますよね。銘版、カラーマーク、とんぼ、版番号、枠線、題字などの直接印字された情報だけでなく、切手帳ペーンとの区別や目打の分類と保護にも役立つ・・・ですよね。切手の耳は口ほどにものを言うということでしょう。 しかし、そんな大切な耳紙ですが、単独での使用例を云々する郵趣家さんは皆無だと思います。そこで・・・下の写真をご...
前回に続き、台湾の据置貯金台紙です。 青海波と〒マークを組み合わせた赤紫色の抹消印で、全体を一度に抹消しています。貼付箇所が予め設定されている貯金台紙では、このような全体を一度に抹消できる合理的な抹消印がもっとあっても良さそうなものですが、本土でも郵便為替貯金管理所の「原簿登記済之證」印くらいしか思い浮かびません。何か理由があるのでしょうか。 台紙枚数が「2」で、預入金額が30を二重線で抹消して「6...
切手を代用通貨として集める “ひねくれ者” としては、同一種類の切手で埋め尽くされている台紙が好都合なのですが、モノによってはこちらの都合を押し付けてばかりもいられない…ということで、台湾総督府逓信局の据置貯金用の台紙は貼付切手不問で入手しました。 台湾では遅くとも明治38年6月には通常の郵便切手貯金制度が実施されていたと思われますが、それとは別に、大正11年12月から据置貯金郵便切手貯金という制度も実施さ...
旧大正毛紙1銭 (最初期毛紙・中子持罫・横抜櫛型・旧版平面版)明治44年4月1日逓信省令第6号逓信省発行大正2年2月 東京 坂根製櫛型 広島・戸手 5.7.28 くろよ (大正5年7月28日) 明治39年1月25日(逓信省告示第38号)以降、貯金台紙のサイズは半分になりました。当初は切手印面がプレプリントされていましたが、明治44年4月1日(逓信省令第6号)以降はプレプリントは廃止されました。今回の台紙は、その頃の台紙です。 ...
ド素人が凝りもせずに郵趣の真似事をしていますが、本人は至って真面目に楽しんでいますので大目に見てください。 今回は相模秦野局の郵便電信局時代の抹消印の変遷を貯金台紙で追ってみます。偶然にも概ね半年ごとに印影を確認できました。但し、スマホで撮影したので縮尺には誤差があります。(相模)秦野郵便局変遷明治07年07月00日 曽屋郵便取扱所として開局明治08年01月01日 五等郵便局明治08年00月00日 為替業務...
久しぶりに信金・信組の積立キャンペーン「世界のコイン」を入手しました。今までこのシリーズは信用金庫しか知りませんでしたが、やっぱりと言うか…信用組合も参加していました。岐阜商工信用組合 表紙を見ると「シリーズ1」~「シリーズ3」と書かれています。仮にシリーズ3までだったとすると全36回の積立だったことになります。このキャンペーンでハッキリと複数シリーズが確認できたのは、東京都商工信用金庫に続いて2例目...
出羽郵便局は、石見銀山の南方、島根県邑智郡(おおちぐん)邑南町(おおなんちょう)出羽(いづは)にあります。地元の方には大変失礼ですが、県名以外全く読めませんでした。でも、もう覚えましたので許してください。 さて、いよいよ郵便局や消印にスポットを当てるようになってはコインコレクターとしては焼きが回ったと言わざるを得ません。ただ、石見は世界レベルの銀山があった場所です。私の収蔵する慶長小玉銀だって石...
郵便切手貯金制度を理解しようと、あれこれ調べているのですが、そんな中、明治38年9月19日の官報に面白い記事が載っていました。一部抜粋して掲載します。(漢数字はアラビア数字に変換しています。また、漢字についても一部変更しました。)戦捷木等の状況 千葉県市原郡高瀧村に於ける戦捷木等の状況左の如し(内務省) 勤倹貯蓄 時局以来勤倹貯蓄組合なるものを設け 村民を奨励して郵便貯金を為さしめ 既に260余円を蓄...
郵便切手貯金制度が始まって最初に発行された記念切手が「東宮御婚儀3銭」でした。当初は貼付できる切手に特段の制限は無かったため、この切手が貼られた台紙も多く残っているようで、記念切手の中では貯金台紙上でよく見かける切手です。 この東宮ご婚儀の祝典記念切手を官報で確認すると、発行日は明治33年4月28日ですが、「本切手の使用は御結婚式の当日以降とす」との但し書きが書かれています。つまり発行はするけど使うの...
信濃上丸子郵便電信局の丸一型(縦書)印と並んで、郵便為替貯金管理所の消印が二つ押印されています。あまり見かけない(と言っても集め始めて日が浅いですが)消し方と消印です。思わず食指が動いてしまいました。 ところで、U小判5銭について「ん?」と思う発見がありました。これって何でしょうか?これって何?① 別の台紙で見つけたのですが、これって「ワッパ欠け」でしょうか。日専2009-10の写真のとは欠けている位置が...
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金地金や米価の高騰の陰に隠れていますが、銀地金も高騰していますね。今年に入ってから田中貴金属工業さんの銀の店頭買取価格が瞬間的に173.61円を超えることがちらほらと…。そして6月10日発表の店頭買取価格はなんと184.80円(税込み)でした。 上の写真は、主に私が小学生の頃に、小売業を営んでいた実家のレジからピックアップして、お年玉と交換しながら集めていた100円銀貨です。昭和50年代でも100円銀貨を使う人がいたん...
日本赤十字社創立二十五年紀祝典記念章SilverObv. 小松宮彰仁親王左向き肖像 総裁彰仁親王Rev. 日本赤十字社創立二十五年紀祝典記念 明治三十五年五月一日 日本赤十字社の創立25年祝典記念章です。日本赤十字社の前身である博愛社の創立は明治10年5月1日、明治19年に日本がジュネーヴ条約(赤十字条約)に調印したことで、翌明治20年に日本赤十字社と改称されました。表面肖像は日本赤十字社初代総裁の小松宮彰仁親王の左向き肖...
淀川明治大洪水 明治18年6月上旬から続いた雨によって、6月17日と7月2日の二度に亘り堤防が決壊して、北・中河内から大阪市内に及ぶ広範囲が洪水による被害を受けました。当然、造幣局も大きな被害を受け、7月2日から7月12日まで操業停止となりました。この洪水で、八百八橋とうたわれた大阪の橋は、30余りが流失してしまうのですが、この中には当時木造だった天神橋や天満橋も含まれていました。そして、流失から3年後の明治21年...
有孔十銭ニッケル貨幣(10銭ニッケル貨)ニッケル1.000(公差10/1000) 4.00g 22.00㎜(孔径6.0㎜)根拠法令 昭和8年法58勅232製造期間 昭和8年9月 - 昭和13年1月製造枚数 205,010,074枚発行枚数 205,000,000枚 補助貨幣の素材としてニッケルを利用することは明治33年(1900年)度に検討されており、造幣局では純ニッケル貨幣試作実験を行っています。その後、大正11年(1922年)度と昭和3年(1928年)度にもニ...
コンゴ(旧ザイール)のルバ族が使用した銅製インゴットです。形状はカタンガ・クロスに似ていますが、大きさと量目は左から約95㎜・72g、96㎜・77g、26㎜・10g、25㎜・10g、41㎜・18gです。今回の入手品は大型の2個と小型の2個の計4個。いずれも自然な青緑のパティが美しかったので大人買いしました。ルバのインゴットとしては大中小、一通りのサイズが揃ったと認識しているのですが、どうでしょうか?もっと大きいものや形の違...
これまで、戦後被占領下の接収施設等を「P.X.トークンが通用した可能性」という視点でご紹介してきました。しかし、これだとテーマとしての輪郭がぼやけるので、思い切って角度を変えることにしました。今後は「日本の通貨が排除された国内施設」として、引き続き、写真や資料を収集紹介します。新規の収穫があった際は、随時このページも更新していく予定です。日本の通貨が排除された国内施設1945-1958 戦後の被占領期に日本...
久しぶりにアメリカ陸軍第八軍のP.X.トークンの利用状況を知るためのヒント探しです。今回は、P.X.の横浜メインストアとして接収された松屋伊勢佐木町店です。松屋伊勢佐木町店接収期間 1945年9月3日~1953年8月14日接収目的 P.X.の横浜メインストア 横浜の伊勢佐木町通りにあった松屋伊勢佐木町店の接収時代の写真です。「横浜松屋」の看板横に第八軍のインシグニアとYOKOHAMA P.X.の看板が設置されています。1945年9月3日に...
南方占領地スマトラ パダン ― 昭南(19.8.28) 書状(島外(日本・南方占領地)宛20g超50g迄)20c 書留20c収集雑感 占領前のパクボー便を除けば、南方占領地の初収穫品です。重量便で書留で、検閲印と検閲テープありの商用便・・・色味は地味ですが情報量が多いので気に入っています。サイズが大きい(A4用紙に横向きに置くとはみ出す)ので不人気かと思いきや、結構な出費を余儀なくされました。これが現地の正刷切手で...
南洋群島相互間昭和17年4月1日-昭和19年3月31日 パラオ ― テニアン サイパン ― テニアン(16.9.14) (17.10.24) 第一種書状 4銭 第二種私製葉書 2銭更新案内 過去の収穫品から南洋群島相互間の郵便物をまとめました。今回の新規入手品はパラオ発テニアン宛の第一種書状です。テニア...
内地 ◀▶ 南洋群島昭和12年4月1日-昭和17年3月31日サイパン 麹町 ― サイパン サイパン(八雲三分隊) ― 宮城県(13.9.13) (13.6.21) 第一種有封書状 4銭 第二種私製葉書 2銭パラオ パラオ ― 京都 パラオ(八雲) ― 横浜(16...
方孔音痴を自認して久しいですが、最近穴銭を大量に入手しました。と言っても、現物ではなく拓本(生拓)です。 題は『蔵泉帖』とあり、日本泉之部、島泉、古文泉と書かれています。『一』から『五』まで全部で5冊。全て生拓です。装丁は所謂共紙表紙を使った簡易なもので、古銭家のプライベートな蔵泉帖であることは明らかです。しかし、残念ながら、名前も年も記載がないので、誰の蔵泉帖なのかは不明です。手掛かりとして、...
From Yokohama to FranceBy British packet boat via BrindisiRoute: TOKYO ― YOKOHAMA YOKOHAMA ― BRINDISI ― MODANE ― PARIS (1873.6.10) 〈Avoca(6.11)〉 (1873.8.2) (1873.8.2)Rate: Mixed franking letter: 2sen per 2momme(=7.5grammes) (1873.04.01-1882.12.31) prepaid letter: 1fr. 30cmes. per 10grammes (1871.08.01-1875.12.31) Degron-kun Type...
内地 ◀▶ 中華民国昭和12年4月1日-昭和17年3月31日岐阜 ▶ 北京 ↪ 長崎 第二種官製葉書 2銭(1937.11.29) ㋪ 岐阜 12.11.29 后0-4 共に一枚銃後の国債(1938. --.20) 〇 北京 廿七年 月廿日 PEIPING ☑(二)遷移新址不明(1938.04.10) ◍ NAGASAKI 10.4.38 NIPPON ▯表面記載ノ差出人戻シ収集雑感 先日のJSAの落札品2点目です。狙った訳ではありませんが、今回は返送便に縁が...
日本の航空路による航空郵便日本 - 中華民国間昭和13年10月11日-昭和17年3月31日東京 ▶ 上海経 路: 東京(1940.12.31) ― 上海(1941.1.2)料 金: 書状4銭 + 航空料金35銭 = 合計39銭抹消印: ◍ TOKYO31.12.40 NIPPON到着印: 〇 上海 癸二 三十年一月二日/十五 SHANGHAI神戸 ▶ 上海 ↪ 在神戸スイス名誉領事館経 路: 神戸中山手(1941.5.29) ― 上海(1941.5.30)料 金: 書状4銭 + 航空料金35銭 = 合計3...
造幣局建物群の年代推定には、建物自体の変化だけでなく、周辺環境の変化もヒントになります。その代表例が“橋”です。敷地内にあっためがね橋やみゆき橋だけでなく、造幣局前を流れる大川(旧淀川)には、天神橋、天満橋、澱川橋、桜宮橋(銀橋)など多くの橋が架けられました。特に明治18年7月の淀川大洪水による消失や架橋、明治35年10月の澱川橋架橋、昭和5年9月の銀橋架橋、その後の澱川橋の解体などは重要なヒントになりま...
接収中の1948年から1950年にかけて、造幣局で製造した米陸軍第八軍用の代用貨幣には第八軍の徽章がデザインされました。この代用貨幣の使用状況は残念ながら良く分かっていません。そこで、何かの参考やヒントにはなるかと思い、この代用貨幣が利用された可能性がありそうな施設等の写真や資料を収集しています。今回はその中から万平ホテルをご紹介します。“Mampei Memories” Souvenir booklet of the Mampei Hotel Karuizawa....
恥ずかしながら…久しぶりにカバー(実際は葉書ですが…)の新規収蔵品を採り上げます。第二種(官製はがき) 臨時郵便取締令違反下谷16.12.2 前8-12 ― 横浜市港北区日吉町 この時代の宛名書きには多く見られることですが、御覧の通り、宛名は鉛筆書きです。貧相の極と言っていいでしょう。しかし、この郵便物には臨時郵便取締令に違反している旨のスタンプが押印されています。宛名書きの貧相さのお陰で、スタンプの一言...
実は、今日は先日の某オークションで落札した葉書についてご紹介する予定だったのですが、急遽予定を変更してこの記事を書いています。冗長ですがお許しを。 以前にもご紹介した絵葉書について、個人的に疑問に思っていることを書き留めておきます。その道の方々が読めば滑稽極まる疑問かもしれませんが、まぁ周回遅れの初心者はこんなものと思ってください。大阪天満 39.1.1 前0-5 この絵葉書は、造幣局用度課長石田保誠氏...
先ずは、下の絵葉書をご覧ください。 造幣局建物群を写した絵葉書ですが…なんか変だと思いませんか。手前に写っている建物は泉布観です。と言うことは、その奥に並ぶ建物群は泉布観以北の分析所、硫酸室、下等洋人館などと言うことになりますが…。こんな建物の並びではない筈です。奥の建物をよく見ると表工場の建物にそっくりに見えます。そこで、まさかとは思ったのですが、写真を左右反転させてみました。 !!!ほら!これで...
近辺何かとバタついておりまして、年が明けても拙宅の整理をしている今日この頃。小汚い開かずの書類箱をこじ開けたところ、古い伝票類や通帳類と共に紙幣が出てきました。しかし、残念ながら使える紙幣は別のところから出てきた伊藤博文の千円札4枚のみ。残りは和気清麻呂十円札と菅原道真五円札ばかりが十数枚。しかも並品以下の雑札ばかり。やれやれ、片付けの手間賃にもなりません。 まぁ、それでも一応、カタログと睨めっ...
台湾における据置貯金郵便切手貯金台紙については、現時点で把握できている台紙4種と抹消印4種が揃いました。基礎コレクションが完成したので、暫定的にまとめておこうと思います。基本分類をまとめただけの私的な勉強ノートみたいなものですので、間違いがあればコメント欄でご指摘ください。よろしくお願いいたします。 なお、本記事はスマホでご覧になると画像の配置が崩れます。読者様の想像力で補完してください。据置貯金...
据置貯金郵便切手貯金台紙台湾総督府逓信局 大正12年1月江里口商会印刷 添付された切手は旧毛紙5銭10枚、10銭5枚の計1円分です。抹消印は唐草模様と〒マーク。実は、前々回のJSAにも同じ抹消印の台紙が登場していました。しかし、2枚とも切手貼付部のみ・・・と言うことで見送った経緯があります。記念切手と記念印もあったから欲しかったんですけどね。表紙と日付印 表紙中央にポトス(黄金葛)が描かれています。実はこの植...
据置貯金郵便切手貯金台紙台湾総督府逓信局 大正11年12月溝淵印行 添付された切手は旧毛紙の1銭6枚、2銭3枚、5銭1枚の計17銭分。抹消印は以前ご紹介したものと同じ青海波と〒の組み合わせですが、インクの色が違います。既収品は赤紫色の印でしたが、今回のは黒色です。台北局と基隆局という違いがあるので、郵便局による違いなのか、時期によるものか、或いはランダムなのか・・・引き続き調査するつもりですが、ご存じの方は...
文明移入に関する古書展覧会目録大正14年9月18日 想像通り、『西洋銭譜』(朽木昌綱)は載っていました。『中外貨幣度量衡』、『舊貨幣通貨比較表』も。ちなみに『泰西輿地図説』(朽木昌綱)も載っています。ただ、『和蘭貨幣考』(青木昆陽)は載ってなかった。稿本だからね。 ところで、日本で切手収集が始まったのはいつでしょうか。古銭収集は幕府が寛永通宝以外の銭貨の使用を禁止した寛文10年(1670年)頃から始まったと...
更新再開後、早くもネタ切れとなったので、簡単な記事でお茶を濁します。英国王立造幣局(The Royal Mint)1911年 (12枚セット) 1911年頃の英国王立造幣局を写した絵葉書です。大阪造幣局の平面図は旧香港造幣局をモデルにしたことが明らかになっていますが、外観のモデルが何だったかを明確に記した文献を思い浮かべることができません。しかし、写真を見る限りは(英国)王立造幣局をモデルにしたことは間違いないように思...
天保通寳銭分類譜瓜生有伸編 天保堂刊 平成4年4月10日~平成7年10月25日(配本全9回) 某古書店で良い本を見つけました。既収の『天保通寳銭の研究』(刊本)の姉妹書的存在ですが、『研究』が製本刊行されたのに対し、この『分類譜』は未刊行に終わったようです。他の穴銭関係書籍と同じく宝の持ち腐れになると思いますし、決して安くはありませんでしたが、それでも入手したくなる文献です。『研究』と『分類譜』が揃った...
5月になって、各方面から同じようなものを立て続けに頂いています。一体何が・・・。 確かに以前、「2400円札?」みたいな記事を書きましたけど・・・。こんなに多くの額面が発行されていたとは!お札風デザインの金券、商品券、クーポン、割引券、回数券などなど・・・ハイもちろん収集対象にしています。コイン風デザインの厭勝銭、トークンもね。ただ・・・ これはダメ!せっかくお札風のクーポンを作ったんだから、1000円...
造幣局絵葉書 手彩色写真による造幣局絵葉書です。明治時代らしい雰囲気があって、手彩色の造幣局絵葉書は大好きなので思わず手を伸ばしたのですが・・・ 商品説明に「完全剥離」と書かれていました。御覧の通り、奇麗に剥がれてしまっています。普通ならこの時点で伸ばした手は引込めていたでしょう。またの機会に期待して資金は温存したはずです。 しか~し!大阪造幣局用度課長 石田保誠 → 湯浅九右衛門・竹次郎年賀状 明治...
造幣局創立五十年記念絵葉書造幣学術研究会発行 印刷局内朝陽会製造 大正10年4月4日 よく見かける絵葉書ですし、状態も良くありませんでしたから、この面だけなら買わなかったでしょう。 しか~し!大阪造幣局 多胡啓三郎 → 上山英三(大正10年)7月2日差立て またまた発見しましたよ、造幣局関係者差立ての葉書を。今回は大正9年9月16日から大正12年3月31日まで造幣局長を務めた多胡啓三郎差立ての葉書です。今回も残念な...
入札誌銀座が届きました。銘柄的に欲しいものがありますが、コンディション的に悩んでいます。昔からの格言で「価格で迷ったら買え!状態で迷ったら買うな!」と言うものがあります。従おうかな・・・。 さて、特に書く事も無いので・・・ 最近、食事と運動に気を付けていることは以前書きましたが、その後も体重の減少が止まりません。とうとう60kgを切ってしまいました。高校生の時より3kgも少ない…。ウエストも高校生の時と...
コインカレンダー (メイフラワー号)江崎グリコ 「コインで学ぼう世界の歴史」のおまけ 表面にメイフラワー号、裏面にカレンダーがデザインされています。しかし、袋を確認すると、「このコインカレンダーはイギリスのビクトリア女王をえがいたものです。」と書かれています。確かにヴィクトリア女王を描いたコインカレンダーも存在しますので、今回入手したコインカレンダーと袋は何かの理由で入れ替わってしまった可能性が高...
特別展「造幣局所蔵 欧米メダル展」造幣博物館 平成12年3月6日 造幣局関連資料と言うことで入手した一冊。個人的にメダルを主要な収集対象にする予定はないのですが、しかし、そんな予定が打ち砕かされそうになったメダルを何点かご紹介します。マリア・テレジア肖像牌 裏面錫・鉛 61㎜ 71.1g 1762年 ウィーン造幣局製ノヴァラ戦捷記念牌 裏面錫・鉛 64.6㎜ 70.9g 1849年 ウィーン造幣局製ルイ十四...
金銭計数結束器 ドルセーリ パンフレット株式会社内田洋行 U.C.D.Co,LTD. 昭和7年(1932年) 貨幣の周辺資料として入手してみました。コインを50枚ずつ束ねるアレのパンフレットです。1銭、5銭、10銭、50銭を結束できる鋳鋼製の型とドルバンドと称する結束用のバンド100個、更にコインを整える押具が付属しているようです。一種類一万本以上注文のドルバンドには名前入れのサービスも!定価3円。果たしてどの程度普及したの...
造幣局の姿と言っても、現実的にはその多くは記念絵葉書に頼るところが大きいです。生の写真が手に入ることは滅多にありません。そうなると、通常は建物完成後の写真が多くを占め、建設中や解体中の建物が被写体に選ばれることは稀です。しかし、皆無と言う訳でもないから探索に油断は禁物です。今回ご紹介する絵葉書も建設中の建物が被写体に選ばれた一枚です。発電所(現造幣博物館)建設中明治42年4月~明治44年4月 この絵葉...
実は、以前から造幣局の建物群の変遷に関する年表を作成しています。要所要所に写真を添えているのですが、どうしても外すことの出来ない、ポイントとなる姿と言うものがあります。そんなポイントとなる姿を含む絵葉書セットを漸く手に入れることが出来ました。造幣局創業六十年記念絵葉書袋と説明マンチニ作の造幣局遠景 これです!これが欲しかったんです。出版物等には造幣局の創業当時の姿として登場する絵なのですが、転載...
グリコの切手プレゼントキャンペーンに関して、その後いくつか収穫があったのでご紹介します。メインの記事も更新しましたのでご笑覧ください。「世界の切手をあつめよう とっかえよう」の小袋です。青色の赤外線消毒ずみバージョンと赤色社名入りバージョンが手に入りました。同じく「世界の切手をあつめよう とっかえよう」の風景切手10枚セット用のケーズも入手できました。このようなケースは初めて見ました。「グリコで世...
金性証明極印制度造幣局 今回は所謂ホールマークについての造幣局のチラシです。ホールマークとは貴金属製品の品位を証明する刻印のことです。古くは4世紀の東ローマ帝国にまで遡る制度ですが、一般的には1327年に始まるイングランドのゴールドスミス・ホールにおけるホールマーク制度が有名です。 第一次世界大戦終結以降の不況に関東大震災が追い打ちをかけた結果、大正12年秋以降の不景気は深刻化していました。大正13年には2...
日本の造幣局が製造したアメリカ第八軍用トークンがどこでどのように利用されたかが気になっているのですが、なかなか解明できずにいます。そんな中、せめて何かのヒントになればという思いで、接収中の各施設の写真や資料も収集しています。今回はそんな接収中の施設から2枚の写真をご紹介します。琵琶湖ホテル(滋賀県大津市) 1947年8月29日撮影接収期間 1945年9月30日~1952年6月30日(1954年6月30日契約解除)接収目的 ...
前回の葉書の消印は不鮮明で郵便局名が正確に判読できません。「大阪天満」と読めるような気もしますが、そんな名前の郵便局って大正15年当時存在していたでしょうか? さて、今回は造幣局中興の祖と言われる永井繁の年表を自分用のメモとして残しておきます。遠藤謹助の年表同様、この年表も随時更新する予定です。ジックリ官報に当たればもう少し詳細な年表になるはずです。永井繁関係年表明治16年06月25日 永井岩之丞の四男...
造幣局官舎 永井繁 大正15年7月10日差立て 以前、造幣局長遠藤謹助の書状をご紹介したことがありましたが、今回は第16代造幣局長永井繁差立ての葉書です。永井繁は大正13年8月13日に門司税関長から造幣局長に就任しました。当時の大阪は「煙の都」と言われるほど工業化が進む一方で、公害も問題化していました。桜は空気汚染に弱い植物の為、造幣局の桜も衰退の一途でした。これを危惧した永井は、桜の復活に尽力します。各地...