金地金や米価の高騰の陰に隠れていますが、銀地金も高騰していますね。今年に入ってから田中貴金属工業さんの銀の店頭買取価格が瞬間的に173.61円を超えることがちらほらと…。そして6月10日発表の店頭買取価格はなんと184.80円(税込み)でした。 上の写真は、主に私が小学生の頃に、小売業を営んでいた実家のレジからピックアップして、お年玉と交換しながら集めていた100円銀貨です。昭和50年代でも100円銀貨を使う人がいたん...
接収中の1948年から1950年にかけて、造幣局で製造した米陸軍第八軍用の代用貨幣には第八軍の徽章がデザインされました。この代用貨幣の使用状況は残念ながら良く分かっていません。そこで、何かの参考やヒントにはなるかと思い、この代用貨幣が利用された可能性がありそうな施設等の写真や資料を収集しています。今回はその中から万平ホテルをご紹介します。“Mampei Memories” Souvenir booklet of the Mampei Hotel Karuizawa....
恥ずかしながら…久しぶりにカバー(実際は葉書ですが…)の新規収蔵品を採り上げます。第二種(官製はがき) 臨時郵便取締令違反下谷16.12.2 前8-12 ― 横浜市港北区日吉町 この時代の宛名書きには多く見られることですが、御覧の通り、宛名は鉛筆書きです。貧相の極と言っていいでしょう。しかし、この郵便物には臨時郵便取締令に違反している旨のスタンプが押印されています。宛名書きの貧相さのお陰で、スタンプの一言...
実は、今日は先日の某オークションで落札した葉書についてご紹介する予定だったのですが、急遽予定を変更してこの記事を書いています。冗長ですがお許しを。 以前にもご紹介した絵葉書について、個人的に疑問に思っていることを書き留めておきます。その道の方々が読めば滑稽極まる疑問かもしれませんが、まぁ周回遅れの初心者はこんなものと思ってください。大阪天満 39.1.1 前0-5 この絵葉書は、造幣局用度課長石田保誠氏...
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金地金や米価の高騰の陰に隠れていますが、銀地金も高騰していますね。今年に入ってから田中貴金属工業さんの銀の店頭買取価格が瞬間的に173.61円を超えることがちらほらと…。そして6月10日発表の店頭買取価格はなんと184.80円(税込み)でした。 上の写真は、主に私が小学生の頃に、小売業を営んでいた実家のレジからピックアップして、お年玉と交換しながら集めていた100円銀貨です。昭和50年代でも100円銀貨を使う人がいたん...
日本赤十字社創立二十五年紀祝典記念章SilverObv. 小松宮彰仁親王左向き肖像 総裁彰仁親王Rev. 日本赤十字社創立二十五年紀祝典記念 明治三十五年五月一日 日本赤十字社の創立25年祝典記念章です。日本赤十字社の前身である博愛社の創立は明治10年5月1日、明治19年に日本がジュネーヴ条約(赤十字条約)に調印したことで、翌明治20年に日本赤十字社と改称されました。表面肖像は日本赤十字社初代総裁の小松宮彰仁親王の左向き肖...
淀川明治大洪水 明治18年6月上旬から続いた雨によって、6月17日と7月2日の二度に亘り堤防が決壊して、北・中河内から大阪市内に及ぶ広範囲が洪水による被害を受けました。当然、造幣局も大きな被害を受け、7月2日から7月12日まで操業停止となりました。この洪水で、八百八橋とうたわれた大阪の橋は、30余りが流失してしまうのですが、この中には当時木造だった天神橋や天満橋も含まれていました。そして、流失から3年後の明治21年...
有孔十銭ニッケル貨幣(10銭ニッケル貨)ニッケル1.000(公差10/1000) 4.00g 22.00㎜(孔径6.0㎜)根拠法令 昭和8年法58勅232製造期間 昭和8年9月 - 昭和13年1月製造枚数 205,010,074枚発行枚数 205,000,000枚 補助貨幣の素材としてニッケルを利用することは明治33年(1900年)度に検討されており、造幣局では純ニッケル貨幣試作実験を行っています。その後、大正11年(1922年)度と昭和3年(1928年)度にもニ...
コンゴ(旧ザイール)のルバ族が使用した銅製インゴットです。形状はカタンガ・クロスに似ていますが、大きさと量目は左から約95㎜・72g、96㎜・77g、26㎜・10g、25㎜・10g、41㎜・18gです。今回の入手品は大型の2個と小型の2個の計4個。いずれも自然な青緑のパティが美しかったので大人買いしました。ルバのインゴットとしては大中小、一通りのサイズが揃ったと認識しているのですが、どうでしょうか?もっと大きいものや形の違...
これまで、戦後被占領下の接収施設等を「P.X.トークンが通用した可能性」という視点でご紹介してきました。しかし、これだとテーマとしての輪郭がぼやけるので、思い切って角度を変えることにしました。今後は「日本の通貨が排除された国内施設」として、引き続き、写真や資料を収集紹介します。新規の収穫があった際は、随時このページも更新していく予定です。日本の通貨が排除された国内施設1945-1958 戦後の被占領期に日本...
久しぶりにアメリカ陸軍第八軍のP.X.トークンの利用状況を知るためのヒント探しです。今回は、P.X.の横浜メインストアとして接収された松屋伊勢佐木町店です。松屋伊勢佐木町店接収期間 1945年9月3日~1953年8月14日接収目的 P.X.の横浜メインストア 横浜の伊勢佐木町通りにあった松屋伊勢佐木町店の接収時代の写真です。「横浜松屋」の看板横に第八軍のインシグニアとYOKOHAMA P.X.の看板が設置されています。1945年9月3日に...
南方占領地スマトラ パダン ― 昭南(19.8.28) 書状(島外(日本・南方占領地)宛20g超50g迄)20c 書留20c収集雑感 占領前のパクボー便を除けば、南方占領地の初収穫品です。重量便で書留で、検閲印と検閲テープありの商用便・・・色味は地味ですが情報量が多いので気に入っています。サイズが大きい(A4用紙に横向きに置くとはみ出す)ので不人気かと思いきや、結構な出費を余儀なくされました。これが現地の正刷切手で...
南洋群島相互間昭和17年4月1日-昭和19年3月31日 パラオ ― テニアン サイパン ― テニアン(16.9.14) (17.10.24) 第一種書状 4銭 第二種私製葉書 2銭更新案内 過去の収穫品から南洋群島相互間の郵便物をまとめました。今回の新規入手品はパラオ発テニアン宛の第一種書状です。テニア...
内地 ◀▶ 南洋群島昭和12年4月1日-昭和17年3月31日サイパン 麹町 ― サイパン サイパン(八雲三分隊) ― 宮城県(13.9.13) (13.6.21) 第一種有封書状 4銭 第二種私製葉書 2銭パラオ パラオ ― 京都 パラオ(八雲) ― 横浜(16...
方孔音痴を自認して久しいですが、最近穴銭を大量に入手しました。と言っても、現物ではなく拓本(生拓)です。 題は『蔵泉帖』とあり、日本泉之部、島泉、古文泉と書かれています。『一』から『五』まで全部で5冊。全て生拓です。装丁は所謂共紙表紙を使った簡易なもので、古銭家のプライベートな蔵泉帖であることは明らかです。しかし、残念ながら、名前も年も記載がないので、誰の蔵泉帖なのかは不明です。手掛かりとして、...
From Yokohama to FranceBy British packet boat via BrindisiRoute: TOKYO ― YOKOHAMA YOKOHAMA ― BRINDISI ― MODANE ― PARIS (1873.6.10) 〈Avoca(6.11)〉 (1873.8.2) (1873.8.2)Rate: Mixed franking letter: 2sen per 2momme(=7.5grammes) (1873.04.01-1882.12.31) prepaid letter: 1fr. 30cmes. per 10grammes (1871.08.01-1875.12.31) Degron-kun Type...
内地 ◀▶ 中華民国昭和12年4月1日-昭和17年3月31日岐阜 ▶ 北京 ↪ 長崎 第二種官製葉書 2銭(1937.11.29) ㋪ 岐阜 12.11.29 后0-4 共に一枚銃後の国債(1938. --.20) 〇 北京 廿七年 月廿日 PEIPING ☑(二)遷移新址不明(1938.04.10) ◍ NAGASAKI 10.4.38 NIPPON ▯表面記載ノ差出人戻シ収集雑感 先日のJSAの落札品2点目です。狙った訳ではありませんが、今回は返送便に縁が...
日本の航空路による航空郵便日本 - 中華民国間昭和13年10月11日-昭和17年3月31日東京 ▶ 上海経 路: 東京(1940.12.31) ― 上海(1941.1.2)料 金: 書状4銭 + 航空料金35銭 = 合計39銭抹消印: ◍ TOKYO31.12.40 NIPPON到着印: 〇 上海 癸二 三十年一月二日/十五 SHANGHAI神戸 ▶ 上海 ↪ 在神戸スイス名誉領事館経 路: 神戸中山手(1941.5.29) ― 上海(1941.5.30)料 金: 書状4銭 + 航空料金35銭 = 合計3...
造幣局建物群の年代推定には、建物自体の変化だけでなく、周辺環境の変化もヒントになります。その代表例が“橋”です。敷地内にあっためがね橋やみゆき橋だけでなく、造幣局前を流れる大川(旧淀川)には、天神橋、天満橋、澱川橋、桜宮橋(銀橋)など多くの橋が架けられました。特に明治18年7月の淀川大洪水による消失や架橋、明治35年10月の澱川橋架橋、昭和5年9月の銀橋架橋、その後の澱川橋の解体などは重要なヒントになりま...
接収中の1948年から1950年にかけて、造幣局で製造した米陸軍第八軍用の代用貨幣には第八軍の徽章がデザインされました。この代用貨幣の使用状況は残念ながら良く分かっていません。そこで、何かの参考やヒントにはなるかと思い、この代用貨幣が利用された可能性がありそうな施設等の写真や資料を収集しています。今回はその中から万平ホテルをご紹介します。“Mampei Memories” Souvenir booklet of the Mampei Hotel Karuizawa....
恥ずかしながら…久しぶりにカバー(実際は葉書ですが…)の新規収蔵品を採り上げます。第二種(官製はがき) 臨時郵便取締令違反下谷16.12.2 前8-12 ― 横浜市港北区日吉町 この時代の宛名書きには多く見られることですが、御覧の通り、宛名は鉛筆書きです。貧相の極と言っていいでしょう。しかし、この郵便物には臨時郵便取締令に違反している旨のスタンプが押印されています。宛名書きの貧相さのお陰で、スタンプの一言...
実は、今日は先日の某オークションで落札した葉書についてご紹介する予定だったのですが、急遽予定を変更してこの記事を書いています。冗長ですがお許しを。 以前にもご紹介した絵葉書について、個人的に疑問に思っていることを書き留めておきます。その道の方々が読めば滑稽極まる疑問かもしれませんが、まぁ周回遅れの初心者はこんなものと思ってください。大阪天満 39.1.1 前0-5 この絵葉書は、造幣局用度課長石田保誠氏...
先ずは、下の絵葉書をご覧ください。 造幣局建物群を写した絵葉書ですが…なんか変だと思いませんか。手前に写っている建物は泉布観です。と言うことは、その奥に並ぶ建物群は泉布観以北の分析所、硫酸室、下等洋人館などと言うことになりますが…。こんな建物の並びではない筈です。奥の建物をよく見ると表工場の建物にそっくりに見えます。そこで、まさかとは思ったのですが、写真を左右反転させてみました。 !!!ほら!これで...
近辺何かとバタついておりまして、年が明けても拙宅の整理をしている今日この頃。小汚い開かずの書類箱をこじ開けたところ、古い伝票類や通帳類と共に紙幣が出てきました。しかし、残念ながら使える紙幣は別のところから出てきた伊藤博文の千円札4枚のみ。残りは和気清麻呂十円札と菅原道真五円札ばかりが十数枚。しかも並品以下の雑札ばかり。やれやれ、片付けの手間賃にもなりません。 まぁ、それでも一応、カタログと睨めっ...
台湾における据置貯金郵便切手貯金台紙については、現時点で把握できている台紙4種と抹消印4種が揃いました。基礎コレクションが完成したので、暫定的にまとめておこうと思います。基本分類をまとめただけの私的な勉強ノートみたいなものですので、間違いがあればコメント欄でご指摘ください。よろしくお願いいたします。 なお、本記事はスマホでご覧になると画像の配置が崩れます。読者様の想像力で補完してください。据置貯金...
据置貯金郵便切手貯金台紙台湾総督府逓信局 大正12年1月江里口商会印刷 添付された切手は旧毛紙5銭10枚、10銭5枚の計1円分です。抹消印は唐草模様と〒マーク。実は、前々回のJSAにも同じ抹消印の台紙が登場していました。しかし、2枚とも切手貼付部のみ・・・と言うことで見送った経緯があります。記念切手と記念印もあったから欲しかったんですけどね。表紙と日付印 表紙中央にポトス(黄金葛)が描かれています。実はこの植...
据置貯金郵便切手貯金台紙台湾総督府逓信局 大正11年12月溝淵印行 添付された切手は旧毛紙の1銭6枚、2銭3枚、5銭1枚の計17銭分。抹消印は以前ご紹介したものと同じ青海波と〒の組み合わせですが、インクの色が違います。既収品は赤紫色の印でしたが、今回のは黒色です。台北局と基隆局という違いがあるので、郵便局による違いなのか、時期によるものか、或いはランダムなのか・・・引き続き調査するつもりですが、ご存じの方は...
文明移入に関する古書展覧会目録大正14年9月18日 想像通り、『西洋銭譜』(朽木昌綱)は載っていました。『中外貨幣度量衡』、『舊貨幣通貨比較表』も。ちなみに『泰西輿地図説』(朽木昌綱)も載っています。ただ、『和蘭貨幣考』(青木昆陽)は載ってなかった。稿本だからね。 ところで、日本で切手収集が始まったのはいつでしょうか。古銭収集は幕府が寛永通宝以外の銭貨の使用を禁止した寛文10年(1670年)頃から始まったと...
更新再開後、早くもネタ切れとなったので、簡単な記事でお茶を濁します。英国王立造幣局(The Royal Mint)1911年 (12枚セット) 1911年頃の英国王立造幣局を写した絵葉書です。大阪造幣局の平面図は旧香港造幣局をモデルにしたことが明らかになっていますが、外観のモデルが何だったかを明確に記した文献を思い浮かべることができません。しかし、写真を見る限りは(英国)王立造幣局をモデルにしたことは間違いないように思...
天保通寳銭分類譜瓜生有伸編 天保堂刊 平成4年4月10日~平成7年10月25日(配本全9回) 某古書店で良い本を見つけました。既収の『天保通寳銭の研究』(刊本)の姉妹書的存在ですが、『研究』が製本刊行されたのに対し、この『分類譜』は未刊行に終わったようです。他の穴銭関係書籍と同じく宝の持ち腐れになると思いますし、決して安くはありませんでしたが、それでも入手したくなる文献です。『研究』と『分類譜』が揃った...
5月になって、各方面から同じようなものを立て続けに頂いています。一体何が・・・。 確かに以前、「2400円札?」みたいな記事を書きましたけど・・・。こんなに多くの額面が発行されていたとは!お札風デザインの金券、商品券、クーポン、割引券、回数券などなど・・・ハイもちろん収集対象にしています。コイン風デザインの厭勝銭、トークンもね。ただ・・・ これはダメ!せっかくお札風のクーポンを作ったんだから、1000円...
造幣局絵葉書 手彩色写真による造幣局絵葉書です。明治時代らしい雰囲気があって、手彩色の造幣局絵葉書は大好きなので思わず手を伸ばしたのですが・・・ 商品説明に「完全剥離」と書かれていました。御覧の通り、奇麗に剥がれてしまっています。普通ならこの時点で伸ばした手は引込めていたでしょう。またの機会に期待して資金は温存したはずです。 しか~し!大阪造幣局用度課長 石田保誠 → 湯浅九右衛門・竹次郎年賀状 明治...
造幣局創立五十年記念絵葉書造幣学術研究会発行 印刷局内朝陽会製造 大正10年4月4日 よく見かける絵葉書ですし、状態も良くありませんでしたから、この面だけなら買わなかったでしょう。 しか~し!大阪造幣局 多胡啓三郎 → 上山英三(大正10年)7月2日差立て またまた発見しましたよ、造幣局関係者差立ての葉書を。今回は大正9年9月16日から大正12年3月31日まで造幣局長を務めた多胡啓三郎差立ての葉書です。今回も残念な...
入札誌銀座が届きました。銘柄的に欲しいものがありますが、コンディション的に悩んでいます。昔からの格言で「価格で迷ったら買え!状態で迷ったら買うな!」と言うものがあります。従おうかな・・・。 さて、特に書く事も無いので・・・ 最近、食事と運動に気を付けていることは以前書きましたが、その後も体重の減少が止まりません。とうとう60kgを切ってしまいました。高校生の時より3kgも少ない…。ウエストも高校生の時と...
コインカレンダー (メイフラワー号)江崎グリコ 「コインで学ぼう世界の歴史」のおまけ 表面にメイフラワー号、裏面にカレンダーがデザインされています。しかし、袋を確認すると、「このコインカレンダーはイギリスのビクトリア女王をえがいたものです。」と書かれています。確かにヴィクトリア女王を描いたコインカレンダーも存在しますので、今回入手したコインカレンダーと袋は何かの理由で入れ替わってしまった可能性が高...
特別展「造幣局所蔵 欧米メダル展」造幣博物館 平成12年3月6日 造幣局関連資料と言うことで入手した一冊。個人的にメダルを主要な収集対象にする予定はないのですが、しかし、そんな予定が打ち砕かされそうになったメダルを何点かご紹介します。マリア・テレジア肖像牌 裏面錫・鉛 61㎜ 71.1g 1762年 ウィーン造幣局製ノヴァラ戦捷記念牌 裏面錫・鉛 64.6㎜ 70.9g 1849年 ウィーン造幣局製ルイ十四...
金銭計数結束器 ドルセーリ パンフレット株式会社内田洋行 U.C.D.Co,LTD. 昭和7年(1932年) 貨幣の周辺資料として入手してみました。コインを50枚ずつ束ねるアレのパンフレットです。1銭、5銭、10銭、50銭を結束できる鋳鋼製の型とドルバンドと称する結束用のバンド100個、更にコインを整える押具が付属しているようです。一種類一万本以上注文のドルバンドには名前入れのサービスも!定価3円。果たしてどの程度普及したの...
造幣局の姿と言っても、現実的にはその多くは記念絵葉書に頼るところが大きいです。生の写真が手に入ることは滅多にありません。そうなると、通常は建物完成後の写真が多くを占め、建設中や解体中の建物が被写体に選ばれることは稀です。しかし、皆無と言う訳でもないから探索に油断は禁物です。今回ご紹介する絵葉書も建設中の建物が被写体に選ばれた一枚です。発電所(現造幣博物館)建設中明治42年4月~明治44年4月 この絵葉...
実は、以前から造幣局の建物群の変遷に関する年表を作成しています。要所要所に写真を添えているのですが、どうしても外すことの出来ない、ポイントとなる姿と言うものがあります。そんなポイントとなる姿を含む絵葉書セットを漸く手に入れることが出来ました。造幣局創業六十年記念絵葉書袋と説明マンチニ作の造幣局遠景 これです!これが欲しかったんです。出版物等には造幣局の創業当時の姿として登場する絵なのですが、転載...
グリコの切手プレゼントキャンペーンに関して、その後いくつか収穫があったのでご紹介します。メインの記事も更新しましたのでご笑覧ください。「世界の切手をあつめよう とっかえよう」の小袋です。青色の赤外線消毒ずみバージョンと赤色社名入りバージョンが手に入りました。同じく「世界の切手をあつめよう とっかえよう」の風景切手10枚セット用のケーズも入手できました。このようなケースは初めて見ました。「グリコで世...
金性証明極印制度造幣局 今回は所謂ホールマークについての造幣局のチラシです。ホールマークとは貴金属製品の品位を証明する刻印のことです。古くは4世紀の東ローマ帝国にまで遡る制度ですが、一般的には1327年に始まるイングランドのゴールドスミス・ホールにおけるホールマーク制度が有名です。 第一次世界大戦終結以降の不況に関東大震災が追い打ちをかけた結果、大正12年秋以降の不景気は深刻化していました。大正13年には2...
日本の造幣局が製造したアメリカ第八軍用トークンがどこでどのように利用されたかが気になっているのですが、なかなか解明できずにいます。そんな中、せめて何かのヒントになればという思いで、接収中の各施設の写真や資料も収集しています。今回はそんな接収中の施設から2枚の写真をご紹介します。琵琶湖ホテル(滋賀県大津市) 1947年8月29日撮影接収期間 1945年9月30日~1952年6月30日(1954年6月30日契約解除)接収目的 ...
前回の葉書の消印は不鮮明で郵便局名が正確に判読できません。「大阪天満」と読めるような気もしますが、そんな名前の郵便局って大正15年当時存在していたでしょうか? さて、今回は造幣局中興の祖と言われる永井繁の年表を自分用のメモとして残しておきます。遠藤謹助の年表同様、この年表も随時更新する予定です。ジックリ官報に当たればもう少し詳細な年表になるはずです。永井繁関係年表明治16年06月25日 永井岩之丞の四男...
造幣局官舎 永井繁 大正15年7月10日差立て 以前、造幣局長遠藤謹助の書状をご紹介したことがありましたが、今回は第16代造幣局長永井繁差立ての葉書です。永井繁は大正13年8月13日に門司税関長から造幣局長に就任しました。当時の大阪は「煙の都」と言われるほど工業化が進む一方で、公害も問題化していました。桜は空気汚染に弱い植物の為、造幣局の桜も衰退の一途でした。これを危惧した永井は、桜の復活に尽力します。各地...