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2023/07/27

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  • 近況など

    近況など

    こんにちは。ご無沙汰しております。最近は、日常生活に追われ読書もままならずにいます。そんな日々をブログに記載しております。よろしかったら、覗いてみてくださいませ(._.)ぴーの裏日記https://pi-ura.hatenablog.com/近況など

  • お知らせ

    お知らせ

    こんばんは。なかなか学習が進まないでいる私の現状であります。理由は一つ。これまでの私の学習スタイルは、ネットや書籍などで得た筆者が記した文章を引用して、その感想を記すというものでした。しかし、それは、筆者の著作権を侵害するものであるということに気づいたからです。それで、これまでの禅などに関する投稿は読書感想以外、下書きと致しました。私は、筆者の考えや思想を知りたかったのですが、それ以上に、筆者の考えや思想を尊重しなければということにやっと考え至ったのです。私は、前回の投稿にて、『仏の世界になりきってしまう。それが、「自分を仏の世界に投げ入れる」ということかと思いました。仏の世界に「なりきる(≒身心脱落する)」ということが大切なことのようです。』と述べました。私は、禅を学ぶ者として誠実でなければならないと思...お知らせ

  • 自分を仏の世界に投げ入れる——ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』

    自分を仏の世界に投げ入れる——ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』

    おはようございます。前回、私は『迷うときは、その迷いの中でありのままに真正面からしっかり迷う。決して、悟りたいとは思わない。自我意識を捨て、ありのままにじっくり迷うことによって、おのずと迷い(生死)の中に悟り(涅槃)があるということに気づく』ということかと述べました。本日は、昨日の続きをご紹介致します。『さて、冒頭の二つの言葉に戻れば、要するに、生死というものをあるがままに見ることができれば、生死そのものが消滅するということです。なぜなら、わたしたちが生きているあいだは死なないし、死んでしまえば生はないからです。道元が言うように、「生といふ(う)ときには、生よりほかにものなく、滅といふ(う)とき、滅のほかにものなし」なのです。逆に、生死の中にあって、それを超越しよう、克服しようなどと思わなければ、わたした...自分を仏の世界に投げ入れる——ひろさちやさんが読む、道元『正法眼蔵』

  • 迷いと悟りは一体である——ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』

    迷いと悟りは一体である——ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』

    おはようございます。再びの、『ひろさちやさんが読む、道元『正法眼蔵』』でございます。さて、私は前々回の投稿にて、『「あるがまま、そのまま」を生きる、ということが道元の仰る「自我意識」を捨てることであり、「身心脱落」することのよう』だと述べました。本日は、その続きである『生死』について、ご紹介したいと思います。『鎌倉時代に曹洞宗(そうとうしゅう)を開いた・道元が、悟りの後に著した大著『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』。江戸時代に永平寺の宝蔵から出てきた「生死(しょうじ)」の巻を、仏教思想家のひろさちやさんが読み解きます。***道元は、二つの引用でもってこの巻を書き始めます。生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし。又云いわく、生死の中に仏なければ生死にまどは(わ)ず。前者は宋時代の禅師・夾山(かっさん)、後者...迷いと悟りは一体である——ひろさちやさんが読む、道元『正法眼蔵』

  • 平常心是道(へいじょうしんぜどう)(著・川口高風)

    平常心是道(へいじょうしんぜどう)(著・川口高風)

    こんばんは。ちょっとしたことでスランプに陥っている私です。でもこうやってブログを記すことができまして、たいへん嬉しく楽しい気持ちでいます。しかし、どういった道程から、この『平常心是道』という禅語にたどり着けたのかさえ忘れてしまいました。でも、これからご紹介する文章を改めて読みまして、清々しい気持ちになれました。『「禅」という言葉はサンスクリット語のディヤーナの音訳に起源するもので、心を静めてよく考えるとか、心の定まったことを意味する。禅僧が坐禅修行に厳しい時をすごすのも、心の定まりが一層純粋であることを求めるのであって、特別なさとりの境地を求めるものではない。この心を定めるということも、心が一定の形をとってカチカチになることではない。生き生きとした自由な心で、平静な判断と実行ができることである。そこのとこ...平常心是道(へいじょうしんぜどう)(著・川口高風)

  • 薪は薪、灰は灰——ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』

    薪は薪、灰は灰——ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』

    おはようございます。さて、前回の投稿にて、「身心脱落」について私なりに、『「身心脱落」とは、さまざまな迷いのある自己を捨て去って、「悟りの状態・境地」「悟りの世界」という中へ、身心ともに投じ「溶けこむ」ことによって、仏になりきることなのではないかということを学びました』と述べております。そして、私は、前々回の投稿の「迷いも悟りもない」とは?、の中で、『端的に言えば、「悟り」も「迷い」もないようです。そこにあるのは、あるがままの世界。自我をも捨てた私だと仰っておられるように思いました。それが、「身心脱落」だと仰っておられますようです。』と述べました。それらの続きについて学びたいと思います。そこで、以下の文章をご紹介したいと思います。『薪は薪、灰は灰道元は、悟りと迷いが別々の世界にあるのではない、いま目の前に...薪は薪、灰は灰——ひろさちやさんが読む、道元『正法眼蔵』

  • 道元禅の本質「身心脱落」——ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』

    道元禅の本質「身心脱落」——ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』

    こんばんは。どうにもこうにも、道元が行きついた「身心脱落」という言葉の意味がよくわからない私です。なので、道元禅の本質という「身心脱落」について、よくよく知りたいと思いました。どうやら道元の「身心脱落」とは、独自の言葉・考え方・悟りであるということだけは、なんとなくわかりました。以下に、その内容についてご紹介致します。『仏だからこそ修行ができるともかく道元は、「身心脱落」という言葉によって悟りの境地に達しました。(中略)これは、文字どおりの意味でいえば、身も心もすべて脱落させるということ。その意味するところは、「あらゆる自我意識を捨ててしまうこと」だと考えればよいでしょう。(中略)自分を悟りの世界に放り込み、そこに溶け込めばよい。そうすれば自我というものが脱落した状態になる。道元はそんなふうに気がついたの...道元禅の本質「身心脱落」——ひろさちやさんが読む、道元『正法眼蔵』

  • 「迷いも悟りもない」とは?——ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』

    「迷いも悟りもない」とは?——ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』

    おはようございます。再びの、道元『正法眼蔵』でございます。先日、以下のkindle本を購入し、一度は読んだ私です。しかし、それについて感想を述べるまでには至っておりません。一言でいえば、道元『正法眼蔵』は難しいというのが、私の今の所の感想であります。でも、何もわかってはいないものの、その魅力に取りついております。NHK「100分de名著」ブックス道元正法眼蔵わからないことがわかるということが悟りKindle版ひろさちや(著)~どうやら、この本は少しずつ読み解くのが一番のようです。ということで、以下に一部をご紹介致します。『迷いも悟りもないまずは、「現成公案」の冒頭部分を読んでみましょう。諸法の仏法なる時節、すなはわち迷悟あり、修行あり、生しようあり、死あり、諸仏あり、衆しゆ生じようあり。万まん法ぼうともに...「迷いも悟りもない」とは?——ひろさちやさんが読む、道元『正法眼蔵』

  • 【読了】山川宗玄『宗教のきほん 禅の知恵に学ぶ 』

    【読了】山川宗玄『宗教のきほん 禅の知恵に学ぶ 』

    こんばんは。本日二冊目の読了です。筆者は、禅宗の一つである臨済宗住職であります。禅宗(臨済宗)の修行僧がどのような修行を行なっているのか、どのような考えをもって修行しているのかが、出家から晩年までわかります。これまで、禅宗の中でも曹洞宗関連の本ばかり読んできましたが、今回は、修行僧の日常まで知ることができまして、読みごたえのある本だと思いました。禅宗において、これまで知らなかったことが、数多く紹介されています。新たな発見にワクワクしながら読み終えました私です。禅でいう所の、「行住坐臥」(「行」は歩くこと。「住」はとどまること。「坐」は座ること。「臥」は寝ること。三省堂新明解四字熟語辞典より引用)全てが修行であることは、これまでご紹介してきました曹洞宗の禅の在り様と変わりはないと思いました。一気に読んでも、...【読了】山川宗玄『宗教のきほん禅の知恵に学ぶ』

  • 【読了】枡野俊明『人生を好転させる掃除道』

    【読了】枡野俊明『人生を好転させる掃除道』

    おはようございます。今朝は早起きしましたので、読みたかった本を悩みつつも即買いしまして、3時間程で読了致しました。内容は、『一掃除二信心』という禅語があるように、とにかく掃除をしましょうという題名通りの内容です。内容は、決して難しいものではありません。しかし、掃除をするという、それだけのことがなかなかできない私です。読んだことで、掃除を毎日の習慣としてやろうという気持ちになれました。今の私にとって、座右の書となりました。掃除をすることで得られる、様々なメリットが書かれております。読んで損するようなことは無いと思います。日常的に掃除をしている方には、向いていないかもしれませんが、掃除をすることによって何かを得たいと思っている方には、お薦めの本であります(._.)人生を好転させる掃除道(三笠書房電子書籍)Ki...【読了】枡野俊明『人生を好転させる掃除道』

  • 【購入】頼住 光子 (著) 『正法眼蔵入門』 (角川ソフィア文庫) Kindle版

    【購入】頼住 光子 (著) 『正法眼蔵入門』 (角川ソフィア文庫) Kindle版

    おはようございます。昨日、買いましたNHK「100分de名著」ブックス道元正法眼蔵わからないことがわかるということが悟りKindle版ひろさちや(著)形式:Kindle版は読みましたが、感想を記すにはまだまだ再読が必要そうです。そして、先程、また下記のkindle本を購入致しまして、読んでいる最中でございます。634円でした。これまた、いつの日にか感想をアップしたいと思っています。入門というだけあって、昨日読んだ本よりも、読みやすいです。道元『正法眼蔵』にハマってしまっている私なのでした。本を連日買っておりますので、節約の為、食費を削っております。それも、また楽し(._.)正法眼蔵入門(角川ソフィア文庫)Kindle版頼住光子(著)【購入】頼住光子 (著) 『正法眼蔵入門』(角川ソフィア文庫)Kindle版

  • 【購入】道元 正法眼蔵 わからないことがわかるということが悟り

    【購入】道元 正法眼蔵 わからないことがわかるということが悟り

    こんばんは。以下の本のサンプルを読み、たいへん面白かったのでKindle版を購入致しました。600円でした。読み終えましたら、感想をアップしたいと思っています。よき週末の夜をお過ごしくださいませ(._.)NHK「100分de名著」ブックス道元正法眼蔵わからないことがわかるということが悟りKindle版ひろさちや(著)形式:Kindle版https://amzn.asia/d/1sg1cNO【購入】道元正法眼蔵わからないことがわかるということが悟り

  • 丁寧な所作を心掛けよう

    丁寧な所作を心掛けよう

    こんにちは。お昼になり、ご飯が炊けるのを待っている最中です。部屋の中を片づけつつ、『日常に禅の教えを取り入れる』という中の『丁寧な所作を心掛けよう』という文章を読みました。以下にご紹介致します。『禅の世界には「身心一如しんじんいちにょ」という言葉があります。私たちの身と心、つまり、肉体と精神は一つである、決して別のものではない、ということです。(中略)禅の修行道場ではこの考え方をとても大切にしています。禅の世界では、古くは中国の唐代から、「清規しんぎ」と呼ばれる生活の軌範が詳細に規定されて来ました。道元禅師は中国で修行に励まれた方ですが、若き道元禅師が中国での修行時代に心打たれたことの一つが「清規」の素晴らしさであったと言います。「清規」という中国禅が培って来た伝統は道元禅師の目に鮮烈に映ったのです。以来...丁寧な所作を心掛けよう

  • まずはいす坐禅の「準備」からはじめましょう!

    まずはいす坐禅の「準備」からはじめましょう!

    おはようございます。昨日から、いす坐禅をやってみようと思っている私です。しかし、その「準備」の時点でつまづいております。いす坐禅の準備は、以下の2点です。『まずはいす坐禅の「準備」からはじめましょう!a.いすの準備座面が少し固めで、床と腿ももが水平になるいすが理想的です。必要に応じて座布団やバスタオルを畳んだものを置いて調整します。背もたれの有無は問いません。b.五感の刺激を避けた、静かな環境づくりととのった静かな環境をつくることが大切です。いすを置く場所を決めたら、周りを見回し目につくものを片付けましょう。』https://www.sotozen-net.or.jp/isuzazenより引用~『ととのった静かな環境をつくることが大切』とのこと。しかし、我が家は狭いうえに整ったとはいえない環境であります。...まずはいす坐禅の「準備」からはじめましょう!

  • 禅とは

    禅とは

    こんばんは。「慈悲」について知りたい一心で、いろいろと調べてみました。結論としましては、未だ、よくはわかっておりません。しかし、調べる過程を通して、さまざまなことを知ることができましたようにも思ってはいます。後半部分は、燃え尽きてわけわかめ状態になっておりますが、今の私では知ることはできないと思い、思い切って投稿致します。読みづらいかもしれません。ご容赦くださいませ。ということで、「禅とは」についてご紹介致します。『禅とは心の別名です。ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼び、ほとけの心のことです。私たちの心は、もとより清浄な「ほとけ」であるにも関わらず、他の存在と自分とを違えて、対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我...禅とは

  • 城福 雅伸「怒らない心…それが慈しみの心、やさしさの心、慈悲の心」

    城福 雅伸「怒らない心…それが慈しみの心、やさしさの心、慈悲の心」

    こんにちは。今朝は大寝坊しました。昨日、「曹洞宗の坐禅」の中にあった「慈悲心」がよくわからなかったもので調べてみました。そこで出会ったのが、以下の文章です。『仏教がかかげる心のなかで、どのような心が最も尊い心、勧められているよい心かと言えば慈悲にきわまるでしょう。およそ仏教で慈悲を説かないものはありません。仏や菩薩が人々や生命あるものの苦しみや苦悩を除きそこから救い、楽、幸福を与える心が慈悲なのです。ですから慈悲をやさしく言いますと、親切な心、やさしい心、あたたかな心です。少し古い言い方ですと「なさけ」「なさけ深いこと」といえます。困ったり苦に陥っている生命あるもの、人々に手を差し伸べる心のことです。そのため美しい心といっていいでしょう。(中略)さてこのような慈悲は非常に尊い心で仏や菩薩の心といえますから...城福雅伸「怒らない心…それが慈しみの心、やさしさの心、慈悲の心」

  • 曹洞宗の坐禅 【只管打坐】(しかんたざ)

    曹洞宗の坐禅 【只管打坐】(しかんたざ)

    こんばんは。来るべき時が来たのでしょうか。いよいよ坐禅について学んでみました。今はまだ、骨折した足に装具をつけているために、本格的な坐禅をすることはできません。しかし、いす坐禅というのがあるようです。ちょっと覗いてみましたが、その所作にクラクラとめまいが致しました。できる自信は、まったくありません。さて、私はどうするのでしょうか。以下に、曹洞宗の坐禅についてご紹介致します。『曹洞宗の教えの根幹は坐禅にあります。それはお釈迦さまが坐禅の修行に精進され、悟りを開かれたことに由来するものです。禅とは物事の真実の姿、あり方を見極めて、これに正しく対応していく心のはたらきを調えることを指します。そして坐ることによって身体を安定させ、心を集中させることで身・息・心の調和をはかります。曹洞宗の坐禅は「只管打坐しかんたざ...曹洞宗の坐禅【只管打坐】(しかんたざ)

  • 現代の仏道修行|『道元の習慣術』

    現代の仏道修行|『道元の習慣術』

    今朝は3時前に起きましたので、二度目のおはようございます。安普請マンションなもので、早朝から音を立てられないのでした。なので、「無心」になってブログを更新しております。たいへん楽しいひと時です。ところで、坐禅を組まないくせに、道元追っかけの私です。ある意味、道元とイエスキリストには足を向けて眠れません位の不届き者だともいえるでしょう。(キリストについては、「仏道をならうというは、自己をならうなり」にて前述。)気を取り直して、再びの道元『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』でございます。いい加減、しつこいのかもしれません。本を買って読めば済むことなのかもしれません。それでも、道元について調べずにはおられないのでした。『日本曹洞宗の開祖・道元禅師――。ただひたすらなる坐禅「只管打坐(しかんたざ)」を仏法であるとし...現代の仏道修行|『道元の習慣術』

  • 禅の教えと歴史とは何ですか?

    禅の教えと歴史とは何ですか?

    おはようございます。今日は改めまして、「禅の教えと歴史」について学びたいと思っています。要約する能力がないため、いつも通りの長文を失礼致します。禅とは何ですか?『禅とは「Zenna」の略で、古代サンスクリット語の「dhyana」の音訳で、「心が乱れなくなった状態」を意味します。そのような心の状態を達成するための修行を禅瞑想、あるいは坐禅といいます。宗教としての禅仏教は、インドから中国へ旅行した僧侶達磨によって始まりました。仏教の開祖である釈迦の28番目の弟子です。伝説によると、達磨大師は中国の少林寺の壁の前で9年間瞑想した後、悟りを開きました。「不立文字」とは達磨の禅の教えを端的に表現した言葉です。これは、仏教における悟りは、経典や文字に頼らず、師の心から弟子の心に直接伝わることを意味します。達磨大師は坐...禅の教えと歴史とは何ですか?

  • 悟りの実際

    悟りの実際

    こんばんは。またまた基本的なことがわかりませんでした。そうです。「悟り」についてです。「悟り意味」にて検索してみましたところ、以下の説明に至りました。簡単にまとめ過ぎたのかもしれませんが、大乗仏教における「悟りの実際」についてご紹介致します。『(前略)大乗仏教の頃には、自分が悟りに至るためには、他人の悟りが必要だと考え、菩薩行を行うようになります。それまでの固定された悟りの考え方から離れて、衆生を救済することに、悟りを求めるようになりました。』https://en-park.net/words/7763より引用~これを読みまして、「菩薩行」の意味がわかりませんでしたもので、またまた検索しまして調べてみました。『そもそも菩薩とは、サンスクリットのbodhisattvaを音写した「菩提薩(ボダイサッタ)」を省...悟りの実際

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