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2023/07/27

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  • 枡野俊明『片づける禅の作法』より

    こんばんは。休憩している間に、枡野俊明さんの本にて優しいお言葉に出会いました。もしかしますと、重複しているやもしれません。とりあえず、以下にご紹介致します。『真の豊かさとは、何でしょう。私は、本当に必要な物だけ、気に入っている物だけに囲まれて、日々心地よく暮らしていくことだと思います。そのためには、不要なものを手放し、身のまわりをシンプルにすることです。ただし、「片づけなければ」「掃除しなければ」と、無理に自分を急き立てる必要はありません。片づけられない自分を責める必要もありません。目の前にゴミがあったら、まず腰をかがめる。そして、そのゴミを拾う。そこからでいいのです。自分の前にあるテーブルを、手の届く範囲で拭いてみる。それだけでいいのです。たった一歩を踏み出せば、その一歩が次の一歩へとつながります。それ...枡野俊明『片づける禅の作法』より

  • ~やっぱりなんちゃってなキッチンシンク片づけましたよ(大晦日バージョン)

    片づけるならやっぱりシンクでしょ、ということでキッチンシンクのゴミ処理・洗い物・排水管掃除をしましたよ。たったこれだけで疲れ果て、夕食後のお薬を慌てて飲みましたが。前回と違うのは、ちゃんと排水管の掃除もしたことです。たったこれだけのことができただけで、生きている実感みたいなものが得られました。(大袈裟)お掃除がまだの方は、簡単なことから始めることをお勧め致します。(お前が言うか的な。私ときたら、やっぱりコンロにまで手が出なかったし、まだお風呂に入ってないし、洗濯してないし、デスクの上はまたまたごみが積もっているし…etc.)くじけずに、ゆっくりとできることをできる範囲内でやっていきますよ(._.)~やっぱりなんちゃってなキッチンシンク片づけましたよ(大晦日バージョン)

  • 温泉寺住職 瀧 玄浩 「喝」より

    こんにちは。大晦日だというのに、体調は相変わらずあまり思わしくなく家にてゆっくりしている私です。そんな自身があまりにも歯がゆく、「喝禅語」にて検索してみました。そこで出会ったのが以下の法話でございます。『「いま・ここ」を生きる私たちが大切にすべきことは「いま・ここ」とどのように向き合うのかということに尽きます。向き合い方に応じて過去の出来事が覆ったり未来を制御できたりするわけではありませんが、過去未来に対する見方が変わることは間々あります。言い換えれば、「いま・ここ」と向き合う自己を観るという奧深さがあるのです。上手くいけば、善(良・好)き1年は適わずとも佳き(調った)1年にすることは可能かもしれません。禅の世界では己事究明(こじきゅうめい)がこれに当てはまります。祖師方は、己事究明を通じて「いま・ここ」...温泉寺住職瀧玄浩「喝」より

  • 【生死事大 無常迅速】(しょうじじだい むじょうじんそく)

    こんばんは。執念をもって「諸行無常禅語」にて検索してみました。そこで出会ったのが、上記の【生死事大無常迅速】(しょうじじだいむじょうじんそく)という禅語でございます。意味としては以下の通りのようです。『最初の『生死事大』ですが、生きる・死ぬは一大事であるということです。生とは何か、死とは何か。いかに生き、いかに死を迎えるかという仏教徒にとっての根源的な命題です。『無常迅速』は、この世の物事に常(つね)というものは無く、時は直ぐに過ぎ去ってしまうということです。仏陀(ぶっだ:お釈迦様の名前)が説かれた『諸行無常(しょぎょうむじょう)』でも全ての物事は流転し変化し消滅が絶えないことを示されています。総じて、一度しかない生まれて死ぬこの人生をどのように生き・どのように死を迎えるかが、仏法の根源的な命題です。また...【生死事大無常迅速】(しょうじじだいむじょうじんそく)

  • 【諸行無常】(しょぎょうむじょう)

    こんにちは。どうにも気力がわかなくて、「気力禅語」にて検索してみました。そこで出会ったのが、【諸行無常】(しょぎょうむじょう)でございます。有名なお言葉のようですが、私自身は言葉は知っていても、意味までは何も知りませんでした。『今日と同じ明日は無く、昨日と同じ今日は無しを身に染みて感じる出来事がありました。しかしながら、その現実を受け入れる他はありません。仏教の大本、無常観。それを表現された諸行無常。あまりにも有名ですが、このわが身に感じることこそが大事かと存じます。(中略)現代では、無常観という言葉は、ともすれば後ろ向き、引きこもりを感じさせる言葉になっているかもしれません。でも、この無常観という言葉を個々の心に置き換えて無常感といたしますと、感情にもっと積極的な働きをもたらすのではないかと思います。少...【諸行無常】(しょぎょうむじょう)

  • 引用した記事をもっと丁寧に読み込み考察せねば

    タイトル名にある「引用した記事をもっと丁寧に読み込み考察せねば」という思いがいつもあります。読み込み方も、調べ方も、考察も全てが薄いのでした。私自身が一番わかっております。幾らでも広げて、あるいは突き詰めて、考えられる記事を台無しにしているようで、大変勿体ないのでした。引用ばかりが長くては意味がありません。お釈迦様しかり、道元しかり。このお二方だけでどれだけの書物がでていることでしょう。書物を読むことは確かに素晴らしいことです。しかし、そこに独自の考察がなければ、読んだという意味が半減してしまうように思うのでした。前述の投稿に出てきました、「自我意識」ひとつ調べてみましても、『自分であるという意識。他人や外界と区別した自己の存在の意識で、近代哲学の出発点にもなった。自意識。(コトバンクより引用)』といった...引用した記事をもっと丁寧に読み込み考察せねば

  • 人気ブログランキング 生涯学習 7位、にほんブログ村 生涯学習・教育 3位になりましたよ

    これも、ひとえにお釈迦様と道元と皆さま方々のお陰でしょうか。言葉では言い尽くせない程、たいへん嬉しいです。ありがとうございます。心から感謝申し上げます。しかし、私は、他の方々と競争しているつもりは全くございません。だからというわけでもないのですが、余裕がまったく無く、他の方のブログもアクションを頂いた方だけのみ読ませて頂いております。ただ私が気になっているのは、私が精神疾患を患っているのもあり、私の文章が皆さま方々に果たして通じているのだろうかという点なのでした。所謂、「言葉のサラダ」状態になっていないかと恐れているのでした。ずっとずっと以前は、おそらく今の10倍はおつむも回っており感想もどきも無限に書けておりましたように感じております。それなのに、今は引用ばかりのようで、いつイエロー・レッドカードが示さ...人気ブログランキング生涯学習7位、にほんブログ村生涯学習・教育3位になりましたよ

  • 【ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』】より

    おはようございます。昨夜は、早々に布団に入りました。熟睡できずにおりまして2度ほどトイレに起きましたが、本格的に目覚めたのは3時。思わずFirekindleを開きまして、道元が「身心脱落」という言葉によって悟りを得たことを読みました。そこで、そのことが詳しく知りたくて、のそのそと起きてきましてパソコンを開いているといった具合です。以下は、『ひろさちやさんが読む、道元『正法眼蔵』』よりの引用でございます。『仏だからこそ修行ができるともかく道元は、「身心脱落」という言葉によって悟りの境地に達しました。したがって、道元禅の本質は、この「身心脱落」にあります。これさえ理解できれば、道元の思想が理解できるといっても過言ではないでしょう。では、「身心脱落」とは、どういうことでしょうか。これは、文字どおりの意味でいえば...【ひろさちやさんが読む、道元『正法眼蔵』】より

  • お釈迦様(釈尊)の苦悩と出家

    本日も一日、病の症状に悩まされて何もできずにおりました。再び、「病苦禅語」にて検索してみました。出会ったのが、以下の法話です。『悟る以前の釈尊の苦悩は四苦八苦といわれる8つの苦しみをいかに克服するかということでした。四苦八苦とは生老病死の四苦に加え、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の8つの苦を意味します。生(生まれる苦しみ、生きてゆく苦しみ)老(老化する苦しみ、身体の衰えなど)病(病気になる苦しみ、身体の痛みなど)死(死をむかえる苦しみ、死の恐怖など)愛別離苦(愛する人といつかは別れなければならない苦しみ)怨憎会苦(嫌いな人、憎い人と関わりながら生きる苦しみ)求不得苦(望みがかなえられない苦しみ)五蘊盛苦(身体や心が思い通りにならない苦しみ)この中でも特に苦しいのは、重い病気になること、死への恐怖、...お釈迦様(釈尊)の苦悩と出家

  • 【喫茶喫飯】(きっさきっぱん)

    こんばんは。何気に常駐しておりますチャットにて『「掃除する詐欺」より「食べない詐欺」の方が…』と突っ込まれました私です。そうです。私はチャットにて、もう何も食べない等と言いつつ、コンビニへスイーツを買いに走ったりしておりました。日頃の言動からして、たいへん怪しい日常を送っています私です。とりあえず、禅では食事もたいへん大切にしているという程の知識は持っておりました。そこで、「食べる禅語」にて検索してみました。そこで出てきましたのが、【喫茶喫飯】(きっさきっぱん)でございます。『「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」とは「お茶を飲むときには、お茶を飲むことに集中する、ご飯を食べるときには、ご飯をたべることに集中する」という意味です。(中略)「喫茶喫飯」は曹洞宗の禅僧による言葉で、「只管打坐=ただひたすら(只管)座っ...【喫茶喫飯】(きっさきっぱん)

  • 【無心】(むしん)

    「無心」を連呼しつつも、その【無心】(むしん)について何もご説明していなかったことに気づいたおバカな私です。大変申し訳ございませんでした。「無心禅語」にて検索してみました所、以下の文章に出会いました。『岩波書店の『仏教辞典』にはかなり詳しく「無心」が説明されています。「無心」「<心>とは心の働きで、その働きがないことを<無心>という。仏教では、妄念を断滅した真心を指していう〔宗鏡録45、83、金剛経、伝心法要下〕。心は対象に具体的な相を認めて働き、その相にとらわれるが、そのようなとらわれ、迷いを脱した心の状態(無心)こそが真理(法)を観照できるとされる。禅宗では「無念を宗とす」〔頓悟要門など〕として、無念無想、つまり無心の状態を重んずる。」と説かれているのです。禅では雑念妄想を断って迷いを脱した心の状態を...【無心】(むしん)

  • 【放下著】(ほうげじゃく)

    こんにちは。今日もかなり遅めでしたけれど、目が覚めました。心から感謝しており有難いことだと思っています。それでも、病のせいなのか朝からの気分は最低で、お薬を飲みますと気分は上がってきたのではありますが、ちょっとしたことで心がざわつくどうしようもない私です。そういった心持ちをすべて手放したくて、「手放す禅語」にて検索してみました。本ブログでは、2回目の「放下著」(ほうげじゃく)でございます。『平田精耕老師は、『禅語事典』で、「「放下」とは手放す、投げ捨てるという意味で、「著」は命令の意味を表わす助辞です。つまり「投げ捨ててしまえ」ということです。」と解説されています。厳陽尊者は(中略)すでに何も持っていないので、捨て去れといわれても、捨てるものがないではないですかと反問しました。すると、趙州は、「それなら、...【放下著】(ほうげじゃく)

  • 無事にデスク上【だけ】無理くり片づけ拭きましたよ

    この時間になりハッとしまして、デスク上を最終片付けしコンビニお手拭きで拭きました。明日も、この要領で頑張れるといいなと思っています。写真が斜めっているのは、きっと根性が斜めっているからだと思われます。机の上一つ片づけただけなのに、大変お騒がせ致しました。申し訳ございません。おやすみなさいませ(._.)無事にデスク上【だけ】無理くり片づけ拭きましたよ

  • 知識に頼っているうちは悟れませんし自由にはなれない気が…

    タイトル名「知識に頼っているうちは悟れませんし自由にはなれない気が…」というのは、今の私の正直な感想です。もちろん、禅の悟りについてです。いつから私自身は禅の悟りについて語れるほど、偉くなったのでしょう。いえいえ、偉いどころか、できないことばかりでいます。それに関しましては凡人以下だと思っています。そもそも、凡人とかいった言い方も、差別用語なのかもしれませんし…。私たちは、皆さま方々同様等しく「仏性」という「仏の心」をもっているということを、ここまでで学びましたつもりの私です。今日、ほんの少しだけごみ処理をした位で偉そうなことは何も言えません。けれども、自身の中にあるという「仏の心」に出会い悟り、自由な心持ちになれるには、やはり、なによりも「自信」をつけるための「実践」が大切なのだということを知ったつもり...知識に頼っているうちは悟れませんし自由にはなれない気が…

  • ごみをまとめつつありますよ(^^)

    こんばんは。ほとんど執念で、燃えるごみ1袋とプラスチックごみ2袋をまとめましたよ。夕暮れ時になったからでしょうか。気分も上がり、それほどの労力はいりませんでした。一時にやり切ったのではなく、以前から少しずつためていたものですが…。明日が市内では、今年最後のごみ出し日のようです。今日のうちに出しておきたかったのですが、ごみ出ししながら泣きだしちゃいそうだったので、ご近所さんに会うのが恥ずかしくて慌ててお薬を飲んだところです。目の前のごみを拾うだけなのに、どれだけ難儀したことでしょう。そして、すべてとは言えずとも、出来たことの喜び。ところで、夕食がまだなのですが…。生きていくって難儀なことですね。一つひとつの事柄の大切さが身に染みております。引き続き、できることをやっていきたいと願っています(._.)ごみをまとめつつありますよ(^^)

  • 掃除する詐欺をまたやってしまいました…orz

    こんにちは。またまた「掃除するする詐欺」を働き、眠くてたまらずに寝ておりました。昨夜は、19時前から今朝の8時過ぎまで寝ていたというのに…。先程、起きましてもちっとも意欲が湧きません。どうやら、変更して頂いた抗うつ作用のあるお薬と減薬して頂いたにもかかわらず以前から飲んでいたお薬とが効き過ぎているようです。お昼のお薬を抜き、気合いを入れる為に「掃除禅語」にて、再び検索してみました。先日検索しヒットしました、「一掃除二信心」がやはり王道のようです。私は、平易な以下の文章を読んでみました。『仏道では、掃除は「心を磨く」修行とされています。一杯のお茶が心を落ち着かせ、気持ちを切り替えてくれる力があるように、ただ無心に掃除をする時間は心に溜まった埃や塵を払い、清めてくれるのだそう。誰のためでもなく、ただ無心に。穏...掃除する詐欺をまたやってしまいました…orz

  • 道元(どうげん)

    おはようございます。昨日、少しだけスマホにて道元の正法眼蔵に関するサンプル本を読みました。とりあえず今朝は、掃除に取り組みたいと思っています私です。キレイになったら、またお会いしましょう。以下に少しだけ、道元について引用させて頂きました。『「仏道をならふといふは自己をならふ也。自己をならふといふは自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは,万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは,自己の身心をよび他己の身心をして脱落せしむるなり」と語られている。道元においては,このように悟りと修行と済度(未だ悟らぬ人々を救うこと)がすべてひとつながりとなっている。また,その悟りは,各人の勝手な思い込みによるものではなくて,釈迦から代々の仏祖を通じて「正伝」してきたものとしてとらえられている。自らの教えを,ただ「仏道...道元(どうげん)

  • 枡野俊明『片づける禅の作法』より

    「掃除するする詐欺」している私です。16時にはおそらく今年最後だと思われるリハビリに行かなければならないので、シャワーを浴びてのんびりしております。何度も読んだ枡野俊明さんの『片づける禅の作法』を開いてみました。いよいよ大掃除を始める時節柄ですね。なんて、これまたのんびり言っている場合でもない汚部屋住人の私なのですが。枡野さんは以下のように仰っておられます。『禅には「本来の自己」という言葉があります。本来の自己とは、ひとかけらの曇りもない純粋無垢な自分自身のこと。私たちが生まれ持っている、仏様と同じ性質「仏性」のことです。そう、私たちは誰しも、自分の中に仏様のような美しい心を持っているのです。この仏性に気づくことを「悟り」と言います。』枡野俊明『片づける禅の作法』42-43頁より引用本来の自己≒仏性のよう...枡野俊明『片づける禅の作法』より

  • にほんブログ村の生涯学習・教育にて4位になりました!

    こんにちは。最近は、自身でバナーをポチるという姑息な手段に出ておりました。何がどうなっているのやら最初の設定を忘れてしまった為よくわかりませんが、にほんブログ村の生涯学習・教育のカテゴリーにて4位になっているのを確認致しましたよ。こどもがかけっこで一等賞(4位ですが…)を頂いたくらいには、大変嬉しく思っています。それで、何が言いたいかといいますと、宣伝でございます。前述しました、「仏道をならうというは、自己をならうなり。」を、ぜひ読んでみてください。私がではなく、引用文の筆者が大変素晴らしいことを述べておられます。超初心者、低レベルな私のおすすめでございますので、皆さま方々には物足りなく感じられるのかもしれません。おまけに長文です。それでも、キリスト教と対比しつつ、仏道の本質について非常に冷静に理路整然と...にほんブログ村の生涯学習・教育にて4位になりました!

  • 「仏道をならうというは、自己をならうなり。」

    基本的なことだと思われる「仏道」が全く理解できなかった私です。悔しいというよりも、心の中がもやもやしておりました。そこで、「仏道」にて検索してみた所、以下の文章に出会いました。(以前にも記したやもしれませんが)ここだけの話、2回聖書を捨てた不届き極まる私です。そんな私ですが、以下の文章には心から感銘を受け、私なりに理解することができました。引用が長いのは、私のくだらないともいえる感想よりも素晴らしい文章の数々の流れだと思ったからです。私の感想は置いておき、引用文を読んで頂きたかったのです。略する所がなかったとも言えるでしょう。『「仏道をならうというは、自己をならうなり。」道元『正法眼蔵(しょうぼうげんそう)』「現成公案(げんじょうこうあん)」『正法眼蔵1』(岩波文庫)54頁道元(1200-1253)の主著...「仏道をならうというは、自己をならうなり。」

  • 【やさしい禅語 『仏道(ぶつどう)とは?』 vol.7】より

    おはようございます。今日もまた目覚めることができました。その事実に心から感謝しております。早速、「目覚め禅語」にて検索してみましたら、「仏道(ぶつどう)とは?」という言葉に出会うことができました。『インドにはBodhiという言葉があります。意味は「目覚め」です。この言葉が中国語に訳された時には、「道(タオ)」という漢字が選ばれました。つまり、「仏道」とは仏の道でもあり、仏陀が目覚めた真実でもあります。(中略)「仏道」とは、ほかでもなくこの私自身に戻ること。まだ性別も国籍もなく、名前すらない、今ここにただ存在しているだけの私に。そのためには、今まで「私」だと思っていたゲームのコマをいったん忘れること。そうすれば、私の内側も外側もなくなり、見ること聞くことすべてが私の存在の鏡となる。どこまで行っても、私ではな...【やさしい禅語『仏道(ぶつどう)とは?』vol.7】より

  • 【求心歇む処即ち無事】(ぐしんやむところすなわちぶじ)

    寝る前のお薬を飲みつつ「生きる希望禅語」にて検索してみました。これはまた難解そうな法話に出会いました。【求心歇む処即ち無事】(ぐしんやむところすなわちぶじ)なのだそうです。意味はサッパリ分かりませんでしたけれども、読んでみました。『(前略)本来の自分とは一体なんであろうか突き詰めて考えるひとはあまりいないと思います。(中略)幸せは自分の中にあると感嘆することは容易いですが、自分とは一体なにかと言い表すことは容易ではありません。(中略)言葉では力量不足です。自分というものは、確かに我が身に宿る生命であると理解することはできますが、納得がいくひとは多くはいないと思います。やはり生命も、その核心を表すことが容易ではないからです。これが自分である、これが私に宿る生命であると体験をして身をもって知ることことが肝要で...【求心歇む処即ち無事】(ぐしんやむところすなわちぶじ)

  • 「この身即ち仏なり」:自分自身が仏であると信じること、これを悟りという

    【回向返照、回光返照】という禅語から、紹介されている様々な記事を読んでみました。そこで出会ったのが、上記の『「この身即ち仏なり」:自分自身が仏であると信じること、これを悟りという』です。『禅の最大テーマの1つが「自信」である(中略)この自信を持つためのヒントとなる言葉に、「この身即ち仏なり」があります。つまり、自分自身が仏であるという意味です。実際、仏教というのは、自分自身が仏であることを悟らせるための宗教で、禅は身体的で実践的にそれを行おうという宗派です。(中略)今、一つのことでいいので、実践してみてください。自分自身のなかにある仏を回復してください。慌てる必要はありません。しかし、この記事を読み流すだけではせっかくのご縁がもったいないと感じてしまいます。心落ち着けて「自分はやれる!」と自信を持って、「...「この身即ち仏なり」:自分自身が仏であると信じること、これを悟りという

  • 【回向返照・回向返照】(えこうへんしょう)

    こんばんは。交通事故の相談で弁護士さんの所へ伺い、帰って来てからうたた寝しており、失念しかけておりますが、おそらく「真実禅語」にて検索しました。出会ったのが上記の、【回向返照・回向返照】(えこうへんしょう)でございます。『回向返照・回向返照が「自分自身の力を信じる」という意味の言葉であることが分かってきました。(中略)これは臨済に限ったことではなく、禅宗や仏教全般の基本的な命題です。実際、お釈迦さまは生まれたときから死ぬときまで、言葉を変えてずっとこのことを言っています。』https://nichi-zen.site/eko/#より引用~【回向返照・回向返照】(えこうへんしょう)という難しい言葉は、思いもがけない意味があることを知りました。「自分自身の力を信じる」とは、とても謙虚な言葉だなというのが最初に...【回向返照・回向返照】(えこうへんしょう)

  • 【常行一直心】 (つねにいちじきしんをぎょうず)

    こんばんは。メンタルクリニックから戻りまして、食事を済ませました。クリニックにて主治医に、「私に何かあったら娘のことをよろしくお願いします(同じ主治医です)」と思わず涙声で言ってしまいました。何も起こってはならないのです。十分に承知しています。抗うつ作用のあるお薬も追加して頂きました。それで、いたたまれずたまらない気持ちで「今を生きる禅語」にて検索してみました所、一昨日アップしたばかりの【常行一直心】(つねにいちじきしんをぎょうず)が再びヒットしました。以下は、枡野俊明さんのお言葉です。『(前略)「直心」とは読んで字のごとく、真っ直ぐな心のこと。どんなときも、どんなことがあっても、清らかな心で目の前の物事に一心不乱に打ち込む。そうすると、ものごとの本質が見えてきて、自分の生き方に揺るぎない自信が持てるよう...【常行一直心】(つねにいちじきしんをぎょうず)

  • 【随処に主と作る】(ずいしょにしゅとなる)

    こんにちは。どうやって今を生き抜くか、正念場だと思っている私です。「正念場禅語」にて検索してみました。そこで出会ったのが、上記の【随処に主と作る】(ずいしょにしゅとなる)という禅語です。『(前略)岩波文庫の『臨済録』にある、入矢義高先生の訳によれば、「その場その場で主人公となれば、おのれの在り場所はみな真実の場となる」ということであります。(中略)どんな境遇であろうと、そこで自分の生きがいのある事を見つけ、そのことに打ちこんで、ああ生きててよかったと思えるならば、それが真実なのであります。自分自身が心から楽しんで打ち込めることを見つけましょう。そうして、お互いに生きいてよかったと思える生き方をしたいものです。』https://www.engakuji.or.jp/blog/33969/より引用~生きていて...【随処に主と作る】(ずいしょにしゅとなる)

  • 「ありのままの命にカンパイ」

    年末なので4週間分頂いていたお薬を事情により5日分に減らされて、本日はメンタルクリニックの受診日なのですが、ここの所、シャワーを浴びる気力さえありません。もうダメだ。と思い、「命の叫び禅語」で検索してみました。そして以下の法話に出会うことができました。『「ありのままの命にカンパイ」これは、重度の身体障害者である遠藤滋さんの命の叫びです。(中略)道元禅師は、生かされている一瞬一瞬の私たちの命が実は仏の御いのちであると教えられました。だから生きることを嫌がっても、生きることを欲張っても、仏の御いのちを失うことになると教えられたのです。「人間は頂いたものが全部違う。顔も違えば、鼻も目も背丈もみんな違う。違うことが尊いのだ。違うとことが尊いのだ」と心の底から、からだの底から目覚めます。そして遠藤さんは「ありのまま...「ありのままの命にカンパイ」

  • 而今(にこん)

    おはようございます。今朝もありがたいことに目が覚めました。自身が、今、此処に生かされている事実を嬉しく思っております。早速、「朝禅語」で検索してみましたら、上記の、而今(にこん)という禅語に出会いました。『意味は、「このいま」です。而今には日付などありません。なぜなら、このいまは時間の中にあるのではなく、時間はこのいまのなかにあるからです。いつも而今なのです。しかし昨日と明日に挟まれた今日しか生きていない私たちは、このいまをいつも見落としてしまっています。而今に生きている人は、時間の中に生きているのではなく、その人の中に時間が生きているのです。』やさしい禅語vol.1『而今(にこん)とは?』より引~~いつも「このいま」なのだそうです。時間は、「このいま」という一瞬にあるそうです。「このいま」を生きているの...而今(にこん)

  • 【平常心是道】(へいじょうしんこれどう)

    こんばんは。夕食を済ませ、気分も落ち着いてきました。そこで、「気分スッキリ禅語」(夜になると何故か本当にスッキリとしてきたのです)にて検索したところ、上記の禅語【平常心是道】(へいじょうしんこれどう)に出会いました。『(前略)直接的な意味は「いつも通りの心で行う」ということになります。(中略)日常生活でも、何かをしようとする場合に、あれこれと阻害要因を考えて心が乱れることがありますが、そんなことは気にしないで「ありのままの心でなすべきことをなす、そのことだけに集中せよ」と言っているわけです。』禅語とは?座右の銘にしたい心に響く『禅語20選』とその解釈ありのままのあなたの心で生きる「平常心是道」より引用~今日一日は心乱れっぱなしの私でした。平常心でいることが大変難しい現状であります。とりあえずは、「気にしな...【平常心是道】(へいじょうしんこれどう)

  • 【知足】(ちそく)

    こんにちは。昨夜よく眠れなかったもので、朝食を済ませましてから昼過ぎまで寝ていました。それでもやはり、あまり調子が上がりません。そこで、「病禅語」で検索してみましたら、上記の「知足」に出会いました。この禅語も見慣れたものではあるのですが、意味までは忘れてしまっていました…orz。『生きているただそれだけで充分に足りているということを知りましょう(中略)「足るを知る」とは、病の床に伏しているときですら「足りていることを知る」ということです。病気をしたとき「あのころは足りていたんだ」ではなく、病気をした今も足りているんだという境涯までいくことが大事です。』http://おおみや-東光寺.com/index.html3つの禅語より引用今日も目が覚め、生きています。ただそれだけで足りていると仰っておられます。それ...【知足】(ちそく)

  • 【やさしい禅語 vol.42 『本物とは?』】より

    おはようございます。今朝は何故だか3時前に目が覚めました。明日は通院日なので、抗うつ剤の処方をお願いしたいと思っている私です。それで、「眠れぬ夜禅語」で検索してみましたら以下の文章に出会いました。『仏教の本当の教え、本物の仏法は我々から離れたところにあるのではありません。追い求めて手に入れるものではありません。「悟りたい、悟りたい」ともがいたあげくようやく手にいれた「悟り」ごときものは、偽物に決まっています。仏法というものは今の自分のありようにすで表れているのです。自分の今ここの他、仏性も悟りもないのです。』https://note.com/vedatokyo/n/n4fa851414f87?magazine_key=ma564145e1d81より引用~「本物の仏法」とは、私たちが感じている以上に身近にあ...【やさしい禅語vol.42『本物とは?』】より

  • 時時勤払拭(じじにつとめてふっしょくせよ)~なんちゃってなトイレ掃除をしましたよ~

    (うっかり換気扇をつけっぱなしでいて)身体が温まらずなかなか家事に取り組めずにいました。が、トイレ掃除をしようと思い立ちまして先程やりました。その前に、「トイレ掃除禅語」で検索しましたら、上記の【時時勤払拭】(じじにつとめてふっしょくせよ)に出会いました。『家の中のお掃除も毎日していないとおっくうにになり、直ぐに汚れてきます。そして、自分の心も磨くこと、自省することを怠けていると心も悩みや欲望でどんどん汚れていくのではないでしょうか。トイレ掃除に限らず、掃除をこまめに致す時に、心の掃除は大丈夫かと問いかけながら掃除を致したいものです。貯め込んでしまうと掃除は大変です。その時、その時、油断なく掃除を致したいものです。もちろん、心のお掃除もお忘れなく。』https://www.reigen-in.jp/new...時時勤払拭(じじにつとめてふっしょくせよ)~なんちゃってなトイレ掃除をしましたよ~

  • なんちゃってなキッチン片づけをしましたよ~

    こんにちは。キッチンに積もっていた、お惣菜類のパック等と食器を洗いました。当然のように食器は拭いておりませんorz。現在は、医者からうつ病だと認められていないようで抗うつ剤も飲んでおりませんが、毎日がうつっぽく何もやる気がおきませんし、何事も面倒に感じておりますorzorz。それでも、ブログを記すことで自身をその気にさせております。2日目ですが、効果ありです(笑)。でも、できるならば、もう少しシンクをキレイに洗いたかったです。(という風な希望や願望は幾らでもあるのです…)「無心」になって行動できればよいのですが、交通事故のことやら(加害者から私が車道を歩いていたと嘘をつかれたこと等)嫌なことをついつい考えてしまいます。まだまだ修行が足りませんね。で、なんちゃってな片づけなので、シンク内は洗っても、コンロ側...なんちゃってなキッチン片づけをしましたよ~

  • 【常行一直心】 (つねにいちじきしんをぎょうず)

    おはようございます。今朝は8時過ぎに起きました。早速、「毎日生きる禅語」にて検索してみましたら、上記の常行一直心(つねにいちじきしんをぎょうず)という禅語に出会いました。意味としましては、『真っ直ぐな心、清らかな心で、目の前の物事に打ち込むということ。(中略)一心に自分のなすべきことをやる。そうすると、ゆるぎない自信が生まれ、物事に動じない自分が生まれる。』ということのようです。https://zenliving.fun/%E5%B8%B8%E8%A1%8C%E4%B8%80%E7%9B%B4%E5%BF%83-%E3%81%A4%E3%81%AD%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%98%E3%81%8D%E3%81%97%E3%82%93%E3%82%92%E3%81%8...【常行一直心】(つねにいちじきしんをぎょうず)

  • 【趙州洗鉢】(じょうしゅうせんばつ)

    あまりもの散らかり具合に、片づけせざるを得ない状況に自身を追い込んでいる私です。「片づけ禅語」にて検索してみました。(朝は「掃除禅語」での検索でした)すると、【趙州洗鉢】(じょうしゅうせんばつ)という新たな禅語に出会いました。『ある時、一人の僧が趙州に問うた。「私は僧堂に入ったばかりの新参者です。師よ、どうか指示をお与え下さい。」趙州は言った。「朝ご飯は食べたか。」「はい、食べました。」と僧は答えた。「それでは持鉢(じはつ)を洗っておきなさい。」と趙州は言った。僧は心眼を開いた。(中略)この僧は、「はっ」と、趙州和尚の真意を汲み取ります。その、あるがままの日常的動作の中に、即今の呼吸があるのだと知ったのです。“悟り”とは、特別な所にあるのではない、一切がそのまま、真実の結晶世界なのだということです。蛇足に...【趙州洗鉢】(じょうしゅうせんばつ)

  • なんちゃってな片づけをしましたよ~

    やっとテーブルの上を片づけました。TVを拭いた跡がおもいっきり残っているのは勘弁してくださいorz。TVに窓の辺のなにやらが写っていますね……心霊写真かもですねorzorz。おそらくデスクチェアが写り込んでいるのだと思われます。そして、なんちゃってな片づけなのでサイドテーブルは以下の散らかりようですorzorzorz。午後からはリハビリへ行って参ります。サイドテーブルがコレだから、他の場所の散らかり具合はご想像におまかせ致します。ええ、ご想像どおりでございます…orzリハビリから戻って来てからか、明日、明後日には何とかする予定でございます(._.)なんちゃってな片づけをしましたよ~

  • あらすじとイラストでわかる禅 (文庫ぎんが堂)

    あらすじとイラストでわかる禅(文庫ぎんが堂)という本をAmazonで見つけましてkindle本の無料サンプルをダウンロードしたところです。再々度、禅に目覚めつつある私です。が、なかなか本を読むことが困難な状況でもあります。(ならば、掃除せいっ!!)(お腹が空いて活動できず、スーパーの開店待ちをしています…orz)中村元『ブッダ伝生涯と思想』を読み、その難解さに圧倒され私などが語るべきこと等無いと思っていましたが、こうやって自分一人ででも学ぶことは楽しいことだと先程の投稿で感じました。禅というよりも仏教や禅宗自体について学ぶことが先決だとも思っています。なので欲しい本はたくさんありますが、懐具合と回らないおつむの状況(笑)を考えますと読める本も限られてくることでしょう。「無知禅語」で検索してみましたが、ピン...あらすじとイラストでわかる禅(文庫ぎんが堂)

  • 【一掃除、二信心】(いちそうじ、にしんじん)

    おはようございます。ご無沙汰しておりました。私は、交通事故の為入院しておりましたが11/29に退院致しまして、自宅に近い整形外科の方へリハビリに通っています。骨折した右足に装具をつけているので、日常生活が何かと不便です。だからというわけでもないのでしょうが、日頃の怠け癖全開でウチ中が汚部屋化しております。何とかしなければと「掃除禅語」にて検索してみましたら、上記の禅語に出会いました。日頃から掃除を怠っておりましたので、何度目かの出会いの禅語です。『信心とは、信仰して祈ることを指すから、この言葉をそのまま読むと、仏教よりも掃除を優先すべきだということになる。しかし、禅宗においては生活そのものが仏教の一部とされる。そのため、仏に祈ることと、身の回りを綺麗にしておくことは、同じくらい重要なことだという。』htt...【一掃除、二信心】(いちそうじ、にしんじん)

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