認知症による不安や苛立ち、自分では制御できない衝動などを薬で抑える。 『本人も辛いのだから、薬で抑えてあげることは、本人のためにもなる』 本人の同意なく、もしくは、本人の意思がわからないまま、向精神薬などを飲ませることに対して、このような考
私が認知症の夫との暮らしの中で、見て感じて考えたことを綴り、私の言葉が誰かの助けになるかもしれない、そんな思いで発信しています。
このブログに書いていること。 夫との暮らしで追い詰められいく私の心境と、私の心がどん底だったとき、誰かにかけてほしかった言葉【守る支える】 認知症の夫と歩んできて、私が成長したこと、夫が見せてくれた認知症という病、夫の尊厳を預かった私が夫にどう生きてほしいと願っているか【夫と私の話】 過去の自分が知りたかった知識や経験談。介護に関わる人たちのこと【認知症介護】
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認知症による不安や苛立ち、自分では制御できない衝動などを薬で抑える。 『本人も辛いのだから、薬で抑えてあげることは、本人のためにもなる』 本人の同意なく、もしくは、本人の意思がわからないまま、向精神薬などを飲ませることに対して、このような考
夫は、自分の場所に帰りたがった ありったけのエネルギーを燃やして 自分の居場所を探し求めた 夫から執着心が放たれることは もう、きっと、ない 落ち着いたと言えば聞こえはいいが なにかに執着するためのエネルギーが 散ってしまった
本屋さんをぶらぶらして 気になった本をぱらぱらめくる 100円ショップをぶらぶらして いるようないらない物を見てまわる テレビをつけてスマホをいじり昼寝する 一見、無駄に思える時間 その無駄が、私には必要で 自分のための無駄な
「ぼく きらわれたんだ」 目を伏せ、うなだれる夫 タブレットをいじりながら 自分の相手をする妻へ 渾身のしょんぼり この詩は、もともと、もう少し長かったのですが、『これでヨシ』と思った後に、思い直し、その後、何度も書き直しました。 それは、
『わが家のある程度の環境』第一弾は、自宅で介護をする家族のマンパワーとお金について書きましたが、今回は、私のパワーとその使い道についてです。 私は1982年生まれで、2023年現在41歳です。 夫と結婚したのは、私が35歳のとき。 当時、7
ひとりで暮らすことが難しい人を、自宅で暮らせるようにする。 『在宅介護』を成り立たせるためには、ある程度の環境を整える必要があります。 そして、必要な環境は、家庭の状況によって違います。 たとえば、介護に協力的な家族が複数いれば頼もしいです
人間らしく生きようとすれば 傷つかない生き方はできない 尊厳を傷つけられる場面 人として生きていれば それは、あってあたりまえ 私は 夫に 最後の瞬間まで 人として生きていてほしい 私は 夫が傷つくことを 過度に恐れな
ごはんを食べさせていたら 「言っただろ」と、なぜか語気強めの夫 私にはなにも聞こえていなかったので 「なに言った」のと、聞き返したら 力強く大きな口を開け返された (あーん) (笑) 「それは言ったことにならん」 このやり取
道 つれていって あの 場所に ぼくの あの 場所に あの いろ あの におい あの おと あの くうき つれていって あの ぼくのところに 夫の認知症の症状の中で、夫と私、ふたりを一番いたぶったのが、『帰宅願望』だった。 ある日、今、自分
力で負けても 知能で勝てる 頭を使えば互角に戦える そう思っていた でも本当は違う 夫のリミッターが外れれば 夫のパワーに 私が太刀打ちできるはずがない でも夫はリミッターを外さなかった いつも夫が先にあやまり 私にゆる
私はただその瞬間 そこにじっとしていてほしくて 起き上がろうとする夫を幾度も 地面に叩きつけ抑えつけた 車が行き交う道路を歩かせる 危険から夫を守る そのことに疲れた私は 公園の芝生の上に夫を引きずり込んだ そして そのと
私は我を忘れたことがない 夫を殴っているときも 通報されたら逮捕されるだろうと 考えながら殴っていた 夫を蹴っているときも 行き過ぎているとわかっていた 夫と引き離されるかもしれない そんな私が避けたい未来も思い描いた それ
夫がいかに理不尽なことを 私に強いているのか その怒りを夫にぶつけていたら 私の話を聞いて この家に ひどいオヤジがいて そのオヤジが 私をいじめていると 思い込んだ夫 「うちにおいで 一緒に行こう」 「出て行ける? 大
家族の認知症の症状とともに暮らす、暮らし その中で抱える『やり場のない気持ち』を吐き出しませんか 日ごろ、家族の認知症の症状と接しながら暮らしている人たちが集まり、たまったうっ憤を吐き出せる場所 それが『やり場のない気持ちを持ち寄れる場所』
夫の背中 けさ いつもより重い ごきげんななめの体を抱えて なんとかベッドのふちに座らせたら 体をうしろに倒してくる夫 このままだと 夫の頭がベッド柵にひっかかる なによりも もういちど起こすのが めんどくさい なん
夫の肩 「ぼく わからないんだ」 あさ 夫が つぶやいた 「なにが わからないの」 私が たずねる 「わからない」 ベッドのふちに 並んで 座った 夫は 肩を 落としているようだった こんなとき 私は 夫の肩を抱けてよかったと思う夫
「わたし あたまが ぱーだから」 夫が突然 そんなことを言った 私は 笑いながらも それ以上におどろいた 夫からそのようなセリフを 聞いたことがなかったし 夫が笑いをとりにいくときの スタイルでもない 夫が認知症対応型デイサービスに 行き
夫が私のことを忘れることがあった 知らない人を見る目で私を見 知らない人と話すように話し 私を知らないと言った そんなことがたまにあった そのことを人に話したら 「配偶者のことは 早い段階で忘れる人が多い」 と言われた それが本当なのか
今まで強がって生きてきた人間の 涙を見た 今まで守ってきたプライドが バキバキと折れていく 音を聞いた プライドを折ったのは 病であり 妻であり 自分自身 夫は自分で自分を傷つけ 自分のことをさげすんだいま、夫は、幸せかもしれない。そうだ
ケンカした 夫が私のもとから逃げていく 雨の中 傘もささず 行き先もわからず 私から逃げていく あせった足が濡れた坂で滑り 尻もちをついた 傘の下で 私はそれを見つめていた ひとりで立ち上がった夫が また歩きだす 助ける気に なれなか
この5月で、ヘルパーさんに夫の夕食を作ってもらうようになってから、1年4か月になります。そして、ここ3年ほど、私は、まともに料理をしていません。料理をしなくなったいきさつは、私が台所でご飯を作っていると、認知症の夫が居間から私のことを何度も
この5月で、ヘルパーさんに夫の夕食を作りに来てもらうようになってから、1年4か月になる。そして約3年、私は、まともに料理をしていない。私が料理をしなくなったいきさつは、私が台所でご飯を作っていると、認知症の夫が居間から私のことを度々呼んだり
私は、父や母を在宅で介護するつもりはない。母はパーキンソン病で、今は父と2人で暮らしている。でもいつか父の介助だけでは、母が自宅で暮らせなくなる日がくるだろう。そうなっても私は、実家に足しげく通って母の介護の手伝いをするつもりはない。「お母
私は、父や母を在宅で介護するつもりはない。母はパーキンソン病で、今は父と2人で暮らしている。でもいつか父の介助だけでは、母が自宅で暮らせなくなる日がくるだろう。そうなっても私は、実家に足しげく通って母の介護の手伝いをするつもりはない。「お母
また夫が、家にいるのに「帰る」と言いだした。私は大きくため息を吐く。これは自然に出たため息ではなく、わざと吐き出したため息だ。ため息で、私は、自分の機嫌の悪さを表に出している。夫へのあてつけではなく、自分で自分の気持ちをはっきり意識するため
また夫が、家にいるのに「帰る」と言いだした。私は大きくため息を吐く。これは自然に出たため息ではなく、わざと吐き出したため息だ。ため息で、私は、自分の機嫌の悪さを表に出している。夫へのあてつけではなく、自分で自分の気持ちをはっきり意識するため
やり場のない気持ちを持ち寄れる場所開催日時 2023年4月9日 午後9時から11時事前申込制(詳細はこちら)連絡フォームよりお気軽にお問い合わせください。
朝「死にそうなんだから」と言って、夫が着替えることを拒んだ。死にそうだから着替える意味がないのか、死にそうだから着替えられないのか、死にそうだから着替えたくないのか、それは私にはわからない。死にそうだからなんなのか、夫自信も、よくわかってい
朝、夫が「死にそうなんだから」と言って、着替えを拒んだ。死にそうだから着替える意味がないのか、死にそうだから着替えられないのか、死にそうだから着替えたくないのか、それは私にはわからない。死にそうだからなんなのか、夫自信も、よくわかっていない
私たちは日々、わからないことに直面している。最近増えた、セルフレジ。あの精算機はお店によって、お金を入れる場所、お札を入れる方向、おつりやレシートが出る位置がバラバラだ。精算が終われば自動でレシートが出るものが大半だが、中にはレシートを出す
ショートステイのスタッフさんに聞いた、夫の話です。ショートステイ内で認知症のある人が、別の認知症のある人を注意したそうです。注意の内容は、なにかしようとしたけれどうまくできない別の認知症のある人を責めるようなことだったそうです。それを聞いた
夫の荷物を整理していたら、同じことが書かれたメモが何枚も出てきた。それは成田空港に行くための、バスと電車の時刻だった。夫が、私に会いに、成田から関西空港行きの飛行機に乗るために書いたものだ。夫がそのメモを書いたのは、夫が初めて認知症外来を受
「そこで、そうやって見ているだけなのか」家から出て行きたいのに、ひとりでは着替えられずに荒れる夫が、怒りながら着方がわからないシャツを床に叩きつけた。「そんな言い方で手伝ってくれる人なんていないよ」私は言い返す。これは、私と夫の真剣勝負だ。
夫はよく家に帰りたがる。それは、帰宅願望と呼ばれる認知症の症状のひとつだ。家にいるのに家に帰りたがる。夫が帰りたい家。それは今私と住んでいる家ではない。夫が帰りたい場所は、生まれ育ったふるさとの家、のようで、そこだけではない。ふるさとに帰っ
夫は認知症の症状でも、とくに帰宅願望が強かったです。夫が「帰る」と言うとき、そこには、私の負担になりたくない、という思いが込めれれていました。私たちは、夫が認知症になってから結婚しています。認知症になった人と結婚するという私の行為が、夫には
夫の「帰る」という言葉に込められた思い。今までできたことができなくなり、なにを考えてもよくわからなくて、自分が壊れていくようで、不安、怖い、逃げたい、『安全で安心できるところに帰りたい』。体の具合が悪い夫が「帰る」と言う。その言葉には『自分
認知症の人がひとりで外出して道に迷ってしまうことなどに使わる「徘徊」という言葉を別の言葉に言い換える動きがあります。「徘徊」には、「あてもなく、うろうろ歩きまわること」という意味があり、「あてもなく、うろうろ」というところが、認知症の人の実
散歩が大好きな夫。毎日1万5千歩、多い日には2万歩以上、歩いている。まあその歩数すべてに私も同行しているわけだが。連日2万歩以上歩いても、私の足に異常はでないが、夫のヒザやふくらはぎは悲鳴をあげだす。夫自身は歩くのが好きだけれども、夫の体、
私は夫と駆け落ちをしたことがあります。それも結婚後に。私と夫は、夫が認知症であり、さらに歳の差が35ありましたが、私の身内、夫の身内、ともに誰にも反対されることなく結婚に至っています。ではなぜ結婚した夫婦が、駆け落ちをすることになったのか。
夫が、自分の認知症に対して発した言葉。「人間にたいして失礼だろう」夫にとっては深刻な問題なのだろうが、それを聞いた私は、夫の表現のすばらしさに衝撃を受けた。なんてわかりやすく素直で的確な表現だろう。加えて夫は「頭をボカンと殴ってやりたい」と