認知症による不安や苛立ち、自分では制御できない衝動などを薬で抑える。 『本人も辛いのだから、薬で抑えてあげることは、本人のためにもなる』 本人の同意なく、もしくは、本人の意思がわからないまま、向精神薬などを飲ませることに対して、このような考
私が認知症の夫との暮らしの中で、見て感じて考えたことを綴り、私の言葉が誰かの助けになるかもしれない、そんな思いで発信しています。
このブログに書いていること。 夫との暮らしで追い詰められいく私の心境と、私の心がどん底だったとき、誰かにかけてほしかった言葉【守る支える】 認知症の夫と歩んできて、私が成長したこと、夫が見せてくれた認知症という病、夫の尊厳を預かった私が夫にどう生きてほしいと願っているか【夫と私の話】 過去の自分が知りたかった知識や経験談。介護に関わる人たちのこと【認知症介護】
認知症による不安や苛立ち、自分では制御できない衝動などを薬で抑える。 『本人も辛いのだから、薬で抑えてあげることは、本人のためにもなる』 本人の同意なく、もしくは、本人の意思がわからないまま、向精神薬などを飲ませることに対して、このような考
夫は、自分の場所に帰りたがった ありったけのエネルギーを燃やして 自分の居場所を探し求めた 夫から執着心が放たれることは もう、きっと、ない 落ち着いたと言えば聞こえはいいが なにかに執着するためのエネルギーが 散ってしまった
本屋さんをぶらぶらして 気になった本をぱらぱらめくる 100円ショップをぶらぶらして いるようないらない物を見てまわる テレビをつけてスマホをいじり昼寝する 一見、無駄に思える時間 その無駄が、私には必要で 自分のための無駄な
「ぼく きらわれたんだ」 目を伏せ、うなだれる夫 タブレットをいじりながら 自分の相手をする妻へ 渾身のしょんぼり この詩は、もともと、もう少し長かったのですが、『これでヨシ』と思った後に、思い直し、その後、何度も書き直しました。 それは、
『わが家のある程度の環境』第一弾は、自宅で介護をする家族のマンパワーとお金について書きましたが、今回は、私のパワーとその使い道についてです。 私は1982年生まれで、2023年現在41歳です。 夫と結婚したのは、私が35歳のとき。 当時、7
ひとりで暮らすことが難しい人を、自宅で暮らせるようにする。 『在宅介護』を成り立たせるためには、ある程度の環境を整える必要があります。 そして、必要な環境は、家庭の状況によって違います。 たとえば、介護に協力的な家族が複数いれば頼もしいです
人間らしく生きようとすれば 傷つかない生き方はできない 尊厳を傷つけられる場面 人として生きていれば それは、あってあたりまえ 私は 夫に 最後の瞬間まで 人として生きていてほしい 私は 夫が傷つくことを 過度に恐れな
ごはんを食べさせていたら 「言っただろ」と、なぜか語気強めの夫 私にはなにも聞こえていなかったので 「なに言った」のと、聞き返したら 力強く大きな口を開け返された (あーん) (笑) 「それは言ったことにならん」 このやり取
道 つれていって あの 場所に ぼくの あの 場所に あの いろ あの におい あの おと あの くうき つれていって あの ぼくのところに 夫の認知症の症状の中で、夫と私、ふたりを一番いたぶったのが、『帰宅願望』だった。 ある日、今、自分
力で負けても 知能で勝てる 頭を使えば互角に戦える そう思っていた でも本当は違う 夫のリミッターが外れれば 夫のパワーに 私が太刀打ちできるはずがない でも夫はリミッターを外さなかった いつも夫が先にあやまり 私にゆる
私はただその瞬間 そこにじっとしていてほしくて 起き上がろうとする夫を幾度も 地面に叩きつけ抑えつけた 車が行き交う道路を歩かせる 危険から夫を守る そのことに疲れた私は 公園の芝生の上に夫を引きずり込んだ そして そのと
私は我を忘れたことがない 夫を殴っているときも 通報されたら逮捕されるだろうと 考えながら殴っていた 夫を蹴っているときも 行き過ぎているとわかっていた 夫と引き離されるかもしれない そんな私が避けたい未来も思い描いた それ
夫がいかに理不尽なことを 私に強いているのか その怒りを夫にぶつけていたら 私の話を聞いて この家に ひどいオヤジがいて そのオヤジが 私をいじめていると 思い込んだ夫 「うちにおいで 一緒に行こう」 「出て行ける? 大
家族の認知症の症状とともに暮らす、暮らし その中で抱える『やり場のない気持ち』を吐き出しませんか 日ごろ、家族の認知症の症状と接しながら暮らしている人たちが集まり、たまったうっ憤を吐き出せる場所 それが『やり場のない気持ちを持ち寄れる場所』
夫の背中 けさ いつもより重い ごきげんななめの体を抱えて なんとかベッドのふちに座らせたら 体をうしろに倒してくる夫 このままだと 夫の頭がベッド柵にひっかかる なによりも もういちど起こすのが めんどくさい なん
夫の肩 「ぼく わからないんだ」 あさ 夫が つぶやいた 「なにが わからないの」 私が たずねる 「わからない」 ベッドのふちに 並んで 座った 夫は 肩を 落としているようだった こんなとき 私は 夫の肩を抱けてよかったと思う夫
「わたし あたまが ぱーだから」 夫が突然 そんなことを言った 私は 笑いながらも それ以上におどろいた 夫からそのようなセリフを 聞いたことがなかったし 夫が笑いをとりにいくときの スタイルでもない 夫が認知症対応型デイサービスに 行き
夫が私のことを忘れることがあった 知らない人を見る目で私を見 知らない人と話すように話し 私を知らないと言った そんなことがたまにあった そのことを人に話したら 「配偶者のことは 早い段階で忘れる人が多い」 と言われた それが本当なのか
今まで強がって生きてきた人間の 涙を見た 今まで守ってきたプライドが バキバキと折れていく 音を聞いた プライドを折ったのは 病であり 妻であり 自分自身 夫は自分で自分を傷つけ 自分のことをさげすんだいま、夫は、幸せかもしれない。そうだ
ケンカした 夫が私のもとから逃げていく 雨の中 傘もささず 行き先もわからず 私から逃げていく あせった足が濡れた坂で滑り 尻もちをついた 傘の下で 私はそれを見つめていた ひとりで立ち上がった夫が また歩きだす 助ける気に なれなか
打ち上げ花火の音がする。 ベランダから空を眺めたけれど 花火は見えない。 「一緒に外に行って、探そうか」 夫が、そわそわする私に言った。 けれども私は、 行かなくて「いい」と返事した。 当時、私たちは、 エレベーターがないマンションの
『起きてこなければいいのに』 夫の寝顔を見ながら、そう思って泣いた ひとりで家を出て行こうとする夫に 『ひとりで生きていけないくせに ひとりで出て行って どうやって生きていくんだ もう追いかける気力もない 心配もしたくない
うちには、座敷わらしが居ます。 私には、見えませんが、 夫には、見えます。 うわさによると、 純粋で澄んだ心がないと、 座敷わらしには、会えないそうです。 おしゃべりしているときの 夫の口ぶりからさっするに、 うちの座敷わらしちゃんの見た
ふだん、あまり自己主張しない夫が ショッピングセンターの中にある サイゼリヤに行く途中 「あれ、食べる」と、声を弾ませた。 その視線の先には、夫が大好きな ビフカツやビフテキの写真。 夫がこんなにはっきりと 自分の望みを口にするのは、久し
さいごにひとりで買ったのは 「いつもの公園に行ってくる」と、夫がひとりで出かけようとしている。 私は、急ぎでやりたいことがあり、手を止めたくなかった。 毎日ふたりで行っている公園だし、わかりやすい道だし、夫も迷わないだろう。 ひとりで
もしあのとき私が握っていたのが傘じゃなかったら なにひとつ、思うようにならない。デイサービスに行った夫が、途中で帰ってくる。家事をしている最中に、夫が出て行く。ひと息ついた途端、夫が出て行く。 なにひとつ、思うようにならない。それでもがんば
ふたりで歩くとき いつも 夫が車道側にいてくれた 話に夢中になって いつのまにか 私が外側を歩いていたときは 「こっちだろ」と夫が 私を内側にひっぱった 夫が危険予知できなくなってからも ふたりの歩く位置は かわらなかった もし 私が危険
食卓テーブルの上に 私が脱ぎ散らかした靴下が2枚 伸ばして 揃え 二つに折られて 置かれている 私と夫しかいない わが家 こんな丁寧な仕事をするのは 夫しかいない このきちんと畳まれた靴下を見ていると なんだか きれいな靴下に、、、 いや
自分自身に寄り添えない状態の人が、他の人に寄り添うことはできません。そして、寄り添う対象が自分であっても他人であっても、人に寄り添うことは、心がけ次第でやすやすとできることでもありません。『認知症の人に寄り添う』それがどういうであるかは、人
その昔、夫は 「スイカのタネは、食べても大丈夫」 だと言って、タネごとスイカを食べていた たぶん、タネを出すのも、取るのも めんどくさかったのだろう なのに今、夫がスイカのタネを 「プッ」と吹き飛ばしている 固くておいしくないので タ
私は、家事の手を抜いても、お気に入りの物に囲まれた部屋で暮らすことに、体力と時間を注いでいます。なぜなら、介護中は、たいへんなことや困ったことが幾度となく起こり、気が滅入ることが多々あります。気が滅入っているときに、無機質な介護ベッドや
認知症カフェには、私の知る限り、2種類あります。1つ目が、認知症のある人がスタッフとして働くカフェ。2つ目が、認知症のある人や、認知症のある人のご家族や知り合い、地域の人、介護や医療、福祉関係で働く人たち、誰もが集えるカフェ。このページで取
世の中は、わからないことで溢れかえっています。そして、わからなくても生活するには支障がないことも山ほどあります。私たちは、わからないことを、「わからないといけないこと」「わかったほうがいいこと」「わからなくても自分は困らないこと」「どんなに
私と夫が出会ったとき、私は20代前半、夫は50代後半でした。私は、夫と出会って数日で、今が自分を変えるチャンスだと悟りました。今この人についていかなければ、私の人生は生きがいもなく、ただ過ぎていくだけだろう、と。私は中学1年生の2学期から不
お茶目さん左手は夫、右手は車イスをにぎりショッピングセンターを散歩中夫が「疲れた」とつぶやいたので車イスに座らせようとした矢先へたり込むように腰を屈めた夫「チョットマッテ」あわてる私おしりが地面に着くと持ち上げるのがやっかいなのだと、次の瞬
お茶目さん左手は夫、右手は車イスをにぎりショッピングセンターを散歩中夫が「疲れた」とつぶやいたので車イスに座らせようとした矢先へたり込むように腰を屈めた夫「チョットマッテ」あわてる私おしりが地面に着くと持ち上げるのがやっかいなのだと、次の瞬
手のかかる子ほど手をとり 向かい合わせで歩く夫と私今日は 夫の足どりがいいにやっと笑った夫が 掴んだ私の腕を強く揺さぶる「アッ」揺れた拍子に 二人の手が離れバランスを崩した夫の顔が 驚きにかわるとっさに夫を掴み 抱きとめる「もー ふざけてる
手のかかる子ほど手をとり 向かい合わせで歩く夫と私今日は 夫の足どりがいいにやっと笑った夫が 掴んだ私の腕を強く揺さぶる「アッ」揺れた拍子に 二人の手が離れバランスを崩した夫の顔が 驚きにかわるとっさに夫を掴み 抱きとめる「もー ふざけてる
開催日時2023年7月9日(日) 午後9時から11時zoom招待状トピック: グチのはけ口時間: 2023年7月9日 09:00 PM 大阪、札幌、東京Zoomミーティングに参加するミーティングID: 813 5013 5647パスコード:
認知症について『周辺』という言葉が使われるとき、それはたいてい『周辺症状』について語られる場面です。認知症の症状は、『中核症状』と『周辺症状』の大きく2つにわけられます。『中核症状』とは、ものが覚えられなくなる、火や刃物の危険性がわからなく
認知症について『周辺』という言葉が使われるとき、それはたいてい『周辺症状』について語られる場面です。認知症の症状は、『中核症状』と『周辺症状』の大きく2つにわけられます。『中核症状』とは、ものが覚えられなくなる、火や刃物の危険性がわからなく
対面で行われる日中の家族会や交流会だと、お仕事があったりして参加できない人たちが、認知症の家族のグチが吐き出せて、息抜きができる場所を提供したいと考えて、4月からグチのはけ口を始めました。ですが、オンラインだけでは、必要な人たちに、このよう
認知症の家族を介護している人たちに対して、言わないでほしいと思う言葉が、いくつかあります。そのうちのひとつが『認知症になった本人が1番辛い』本人が辛い。それは確かにそうです。今までできていたことができなくなっていき、自分の中から何かが失われ
認知症の家族を介護している人たちに対して、言わないでほしいと思う言葉が、いくつかあります。そのうちのひとつが『認知症になった本人が1番辛い』本人が辛い。それは確かにそうです。今までできていたことができなくなっていき、自分の中から何かが失われ
認知症の家族を介護している人たちに対して、言わないでほしいと思う言葉が、いくつかあります。そのうちのひとつが『認知症になった本人が1番辛い』本人が辛い。それは確かにそうです。今までできていたことができなくなっていき、自分の中から何かが失われ
開催日時2023年5月14日(日) 午後9時から11時zoom招待状トピック: グチのはけ口時間: 2023年5月14日 09:00 PM 大阪、札幌、東京Zoomミーティングに参加するミーティングID: 830 4055 2926パスコー
この5月で、ヘルパーさんに夫の夕食を作ってもらうようになってから、1年4か月になります。そして、ここ3年ほど、私は、まともに料理をしていません。料理をしなくなったいきさつは、私が台所でご飯を作っていると、認知症の夫が居間から私のことを何度も
この5月で、ヘルパーさんに夫の夕食を作りに来てもらうようになってから、1年4か月になる。そして約3年、私は、まともに料理をしていない。私が料理をしなくなったいきさつは、私が台所でご飯を作っていると、認知症の夫が居間から私のことを度々呼んだり
私は、父や母を在宅で介護するつもりはない。母はパーキンソン病で、今は父と2人で暮らしている。でもいつか父の介助だけでは、母が自宅で暮らせなくなる日がくるだろう。そうなっても私は、実家に足しげく通って母の介護の手伝いをするつもりはない。「お母
私は、父や母を在宅で介護するつもりはない。母はパーキンソン病で、今は父と2人で暮らしている。でもいつか父の介助だけでは、母が自宅で暮らせなくなる日がくるだろう。そうなっても私は、実家に足しげく通って母の介護の手伝いをするつもりはない。「お母
また夫が、家にいるのに「帰る」と言いだした。私は大きくため息を吐く。これは自然に出たため息ではなく、わざと吐き出したため息だ。ため息で、私は、自分の機嫌の悪さを表に出している。夫へのあてつけではなく、自分で自分の気持ちをはっきり意識するため
また夫が、家にいるのに「帰る」と言いだした。私は大きくため息を吐く。これは自然に出たため息ではなく、わざと吐き出したため息だ。ため息で、私は、自分の機嫌の悪さを表に出している。夫へのあてつけではなく、自分で自分の気持ちをはっきり意識するため
やり場のない気持ちを持ち寄れる場所開催日時 2023年4月9日 午後9時から11時事前申込制(詳細はこちら)連絡フォームよりお気軽にお問い合わせください。
朝、夫が「死にそうなんだから」と言って、着替えを拒んだ。死にそうだから着替える意味がないのか、死にそうだから着替えられないのか、死にそうだから着替えたくないのか、それは私にはわからない。死にそうだからなんなのか、夫自信も、よくわかっていない
朝「死にそうなんだから」と言って、夫が着替えることを拒んだ。死にそうだから着替える意味がないのか、死にそうだから着替えられないのか、死にそうだから着替えたくないのか、それは私にはわからない。死にそうだからなんなのか、夫自信も、よくわかってい
私たちは日々、わからないことに直面している。最近増えた、セルフレジ。あの精算機はお店によって、お金を入れる場所、お札を入れる方向、おつりやレシートが出る位置がバラバラだ。精算が終われば自動でレシートが出るものが大半だが、中にはレシートを出す
ショートステイのスタッフさんに聞いた、夫の話です。ショートステイ内で認知症のある人が、別の認知症のある人を注意したそうです。注意の内容は、なにかしようとしたけれどうまくできない別の認知症のある人を責めるようなことだったそうです。それを聞いた
夫の荷物を整理していたら、同じことが書かれたメモが何枚も出てきた。それは成田空港に行くための、バスと電車の時刻だった。夫が、私に会いに、成田から関西空港行きの飛行機に乗るために書いたものだ。夫がそのメモを書いたのは、夫が初めて認知症外来を受
「そこで、そうやって見ているだけなのか」家から出て行きたいのに、ひとりでは着替えられずに荒れる夫が、怒りながら着方がわからないシャツを床に叩きつけた。「そんな言い方で手伝ってくれる人なんていないよ」私は言い返す。これは、私と夫の真剣勝負だ。
夫はよく家に帰りたがる。それは、帰宅願望と呼ばれる認知症の症状のひとつだ。家にいるのに家に帰りたがる。夫が帰りたい家。それは今私と住んでいる家ではない。夫が帰りたい場所は、生まれ育ったふるさとの家、のようで、そこだけではない。ふるさとに帰っ
夫は認知症の症状でも、とくに帰宅願望が強かったです。夫が「帰る」と言うとき、そこには、私の負担になりたくない、という思いが込めれれていました。私たちは、夫が認知症になってから結婚しています。認知症になった人と結婚するという私の行為が、夫には
夫の「帰る」という言葉に込められた思い。今までできたことができなくなり、なにを考えてもよくわからなくて、自分が壊れていくようで、不安、怖い、逃げたい、『安全で安心できるところに帰りたい』。体の具合が悪い夫が「帰る」と言う。その言葉には『自分
認知症の人がひとりで外出して道に迷ってしまうことなどに使わる「徘徊」という言葉を別の言葉に言い換える動きがあります。「徘徊」には、「あてもなく、うろうろ歩きまわること」という意味があり、「あてもなく、うろうろ」というところが、認知症の人の実
散歩が大好きな夫。毎日1万5千歩、多い日には2万歩以上、歩いている。まあその歩数すべてに私も同行しているわけだが。連日2万歩以上歩いても、私の足に異常はでないが、夫のヒザやふくらはぎは悲鳴をあげだす。夫自身は歩くのが好きだけれども、夫の体、
私は夫と駆け落ちをしたことがあります。それも結婚後に。私と夫は、夫が認知症であり、さらに歳の差が35ありましたが、私の身内、夫の身内、ともに誰にも反対されることなく結婚に至っています。ではなぜ結婚した夫婦が、駆け落ちをすることになったのか。
夫が、自分の認知症に対して発した言葉。「人間にたいして失礼だろう」夫にとっては深刻な問題なのだろうが、それを聞いた私は、夫の表現のすばらしさに衝撃を受けた。なんてわかりやすく素直で的確な表現だろう。加えて夫は「頭をボカンと殴ってやりたい」と
私にとって家庭内の殴り合いは、絶対にダメだと言い切れない行為です。私には子どもはいませんが、年頃の子どもが家で暴れて、親を殴りつけたなら、親としてその痛みを食らってやる。子どもの成長の痛みとして、親が殴られて受けてやる。そのような考えの家庭
私は、夫のケアマネージャーに、認知症の夫のことを弱者だといわれて、嫌な気持ちになったことがあります。社会的にみれば、認知症の人は弱者なのかもしれません。ですが私にとって夫は弱者ではありませし、認知症の人を弱者だと思ったこともありません。そも
引っ越しや大きな環境の変化は、誰にとっても少なからず影響を及ぼしますが、認知症の人は、特にその影響を受けやすいといわれています。ですが、認知症になってから1度も居住を移さずに人生を終える人は少ないです。介護してくれる家族と一緒に住むため、あ
認知症の人の引っ越しで、家族が心配することのひとつが、引っ越しによって認知症が一気に進むのではないかということです。夫は認知症になってから、3回引っ越しをしています。私も引っ越しのたびに、夫の認知症の進行具合に影響がないかは気になりましたが
私の夫は認知症であり、世間の物差しを借りて夫の認知症の程度をはかれば、重度かその一歩手前です。ですが夫は、たぶん幸せです。私は夫ではないので、たぶん、と前置きはしますが、ほぼ確信を持って、夫は日々の生活の中で幸せを感じている、と私は思ってい
認知症の家族に対して「死んでくれ」と思ったことはありませんか。私は、あります。ケンカの最中、夫に「死ね」「早く死んでしまえ」と言ったことも何度もあります。いっそ夫が死んでくれたら、自分は今の苦しみから解放されると思いました。一方で、それで本
『じょうぶな頭とかしこい体になるために』は、五味太郎さんが現代を生きる子どもたちに向けて書かれた本です。身近な大人に質問しても「なにをくだらないこと聞くんだ」と一蹴されてしまうようなことを、わらかないことは正直にわからないと言い、だけども自
介護殺人のニュースを耳にすると、身につまされて泣けてきます。私は夫を殺してはいませんが、それはたまたま偶然かもしれない。交通事故でも、なにかが一瞬違うだけで、大事故になることがあれば、危なかったで終わることもある。介護殺人もそれと同じで、殺
認知症の人が、鏡に映る自分の姿を自分だと認識せず、他人だと思って話しかけることを【鏡現象かがみげんしょう】と呼びます。これは夫が鏡に映る自分と話している動画です(2021年9月撮影)。この動画を公開した意味は、鏡現象の紹介という部分もありま
認知症の家族を介護した経験のある人の発言は、認知症介護の型にはまらない、という話です。夫がお世話になっているデイサービスのひとつは、代表者さんのお父さんが認知症になり、お父さんを在宅で介護した経験から、デイサービスを始められたそうです。ある
泣きながら、夫をデイサービスに連れて行った日のことです。今は、デイサービスの職員さんに、夫の送迎をお願いしていますが、以前は、私が夫を送っていました。朝、夫を起こし、身支度をさせて、ご飯を食べる。それをデイサービスの迎えの時間までに終わらせ
私は、かつて一度だけ、夫を認知症病棟に入院させようと、決断しかけたことがあります。夫がこけて、頭からアスファルトの地面に突っ込み、額を数針だったか十数針か縫うケガをしたときです。夫のかかりつけ医に、ケガしたときの状況を「鬼おろしのようになっ
わが家の在宅介護は、専門職の集まりによってなされており、私の役目は、各々の専門職に腕を振るってもらうことです。そのために忘れてはいけないのが、専門職へのリスペクトであり、リスペクトがあるから、より良い仕事をしてもらえるのです。ここでいう、
ケアマネージャーや医師、役所の人が、自分や自分の家族が使える福祉制度を教えてくれない、というボヤキをわりとよく聞きます。ボヤキたくなる気持ちもわかりますが、ケアマネージャーにしろ医師にしろ、福祉制度を紹介することは、専門職としての本分ではな
医療ソーシャルワーカー(MSW)の仕事内容は多岐にわたるので、ここでは省略しますが、医療係の福祉制度について詳しい専門職です。わが家では、このブログで紹介している8つの福祉制度の内、4つを医療ソーシャルワーカーさんに教えてもらいました。医療
よく聞く言葉「一番辛いのは、認知症になった本人」この言葉に「一番」という文言は必要なんでしょうか?「辛いのは、認知症になった本人と、その人を支える家族」で、いいじゃないですか。本人が一番辛いと思いやることで、介護する家族が、辛い介護生活を踏
認知症の人には、自分が認知症だという自覚はあるのでしょうか。これは、夫が認知症初期のころの話です。夫は、自分の頭の動きが鈍くなってきている自覚はありましたが、その原因が認知症であるということは知りませんでした。たとえば、私が夫に「ボケてるね
夫は、認知症の初期(2018年)に、当時住んでいた分譲マンションを売却しています。認知症が進むと、その人が行った法律行為は無効となり、契約が成立しなくなります。なので、認知症の人が住んでいた持ち家を、施設入所を機に売却しようとしたら、売買契
「ブログリーダー」を活用して、いっこさんをフォローしませんか?
認知症による不安や苛立ち、自分では制御できない衝動などを薬で抑える。 『本人も辛いのだから、薬で抑えてあげることは、本人のためにもなる』 本人の同意なく、もしくは、本人の意思がわからないまま、向精神薬などを飲ませることに対して、このような考
夫は、自分の場所に帰りたがった ありったけのエネルギーを燃やして 自分の居場所を探し求めた 夫から執着心が放たれることは もう、きっと、ない 落ち着いたと言えば聞こえはいいが なにかに執着するためのエネルギーが 散ってしまった
本屋さんをぶらぶらして 気になった本をぱらぱらめくる 100円ショップをぶらぶらして いるようないらない物を見てまわる テレビをつけてスマホをいじり昼寝する 一見、無駄に思える時間 その無駄が、私には必要で 自分のための無駄な
「ぼく きらわれたんだ」 目を伏せ、うなだれる夫 タブレットをいじりながら 自分の相手をする妻へ 渾身のしょんぼり この詩は、もともと、もう少し長かったのですが、『これでヨシ』と思った後に、思い直し、その後、何度も書き直しました。 それは、
『わが家のある程度の環境』第一弾は、自宅で介護をする家族のマンパワーとお金について書きましたが、今回は、私のパワーとその使い道についてです。 私は1982年生まれで、2023年現在41歳です。 夫と結婚したのは、私が35歳のとき。 当時、7
ひとりで暮らすことが難しい人を、自宅で暮らせるようにする。 『在宅介護』を成り立たせるためには、ある程度の環境を整える必要があります。 そして、必要な環境は、家庭の状況によって違います。 たとえば、介護に協力的な家族が複数いれば頼もしいです
人間らしく生きようとすれば 傷つかない生き方はできない 尊厳を傷つけられる場面 人として生きていれば それは、あってあたりまえ 私は 夫に 最後の瞬間まで 人として生きていてほしい 私は 夫が傷つくことを 過度に恐れな
ごはんを食べさせていたら 「言っただろ」と、なぜか語気強めの夫 私にはなにも聞こえていなかったので 「なに言った」のと、聞き返したら 力強く大きな口を開け返された (あーん) (笑) 「それは言ったことにならん」 このやり取
道 つれていって あの 場所に ぼくの あの 場所に あの いろ あの におい あの おと あの くうき つれていって あの ぼくのところに 夫の認知症の症状の中で、夫と私、ふたりを一番いたぶったのが、『帰宅願望』だった。 ある日、今、自分
力で負けても 知能で勝てる 頭を使えば互角に戦える そう思っていた でも本当は違う 夫のリミッターが外れれば 夫のパワーに 私が太刀打ちできるはずがない でも夫はリミッターを外さなかった いつも夫が先にあやまり 私にゆる
私はただその瞬間 そこにじっとしていてほしくて 起き上がろうとする夫を幾度も 地面に叩きつけ抑えつけた 車が行き交う道路を歩かせる 危険から夫を守る そのことに疲れた私は 公園の芝生の上に夫を引きずり込んだ そして そのと
私は我を忘れたことがない 夫を殴っているときも 通報されたら逮捕されるだろうと 考えながら殴っていた 夫を蹴っているときも 行き過ぎているとわかっていた 夫と引き離されるかもしれない そんな私が避けたい未来も思い描いた それ
夫がいかに理不尽なことを 私に強いているのか その怒りを夫にぶつけていたら 私の話を聞いて この家に ひどいオヤジがいて そのオヤジが 私をいじめていると 思い込んだ夫 「うちにおいで 一緒に行こう」 「出て行ける? 大
家族の認知症の症状とともに暮らす、暮らし その中で抱える『やり場のない気持ち』を吐き出しませんか 日ごろ、家族の認知症の症状と接しながら暮らしている人たちが集まり、たまったうっ憤を吐き出せる場所 それが『やり場のない気持ちを持ち寄れる場所』
夫の背中 けさ いつもより重い ごきげんななめの体を抱えて なんとかベッドのふちに座らせたら 体をうしろに倒してくる夫 このままだと 夫の頭がベッド柵にひっかかる なによりも もういちど起こすのが めんどくさい なん
夫の肩 「ぼく わからないんだ」 あさ 夫が つぶやいた 「なにが わからないの」 私が たずねる 「わからない」 ベッドのふちに 並んで 座った 夫は 肩を 落としているようだった こんなとき 私は 夫の肩を抱けてよかったと思う夫
「わたし あたまが ぱーだから」 夫が突然 そんなことを言った 私は 笑いながらも それ以上におどろいた 夫からそのようなセリフを 聞いたことがなかったし 夫が笑いをとりにいくときの スタイルでもない 夫が認知症対応型デイサービスに 行き
夫が私のことを忘れることがあった 知らない人を見る目で私を見 知らない人と話すように話し 私を知らないと言った そんなことがたまにあった そのことを人に話したら 「配偶者のことは 早い段階で忘れる人が多い」 と言われた それが本当なのか
今まで強がって生きてきた人間の 涙を見た 今まで守ってきたプライドが バキバキと折れていく 音を聞いた プライドを折ったのは 病であり 妻であり 自分自身 夫は自分で自分を傷つけ 自分のことをさげすんだいま、夫は、幸せかもしれない。そうだ
ケンカした 夫が私のもとから逃げていく 雨の中 傘もささず 行き先もわからず 私から逃げていく あせった足が濡れた坂で滑り 尻もちをついた 傘の下で 私はそれを見つめていた ひとりで立ち上がった夫が また歩きだす 助ける気に なれなか
私は、父や母を在宅で介護するつもりはない。母はパーキンソン病で、今は父と2人で暮らしている。でもいつか父の介助だけでは、母が自宅で暮らせなくなる日がくるだろう。そうなっても私は、実家に足しげく通って母の介護の手伝いをするつもりはない。「お母
私は、父や母を在宅で介護するつもりはない。母はパーキンソン病で、今は父と2人で暮らしている。でもいつか父の介助だけでは、母が自宅で暮らせなくなる日がくるだろう。そうなっても私は、実家に足しげく通って母の介護の手伝いをするつもりはない。「お母
また夫が、家にいるのに「帰る」と言いだした。私は大きくため息を吐く。これは自然に出たため息ではなく、わざと吐き出したため息だ。ため息で、私は、自分の機嫌の悪さを表に出している。夫へのあてつけではなく、自分で自分の気持ちをはっきり意識するため
また夫が、家にいるのに「帰る」と言いだした。私は大きくため息を吐く。これは自然に出たため息ではなく、わざと吐き出したため息だ。ため息で、私は、自分の機嫌の悪さを表に出している。夫へのあてつけではなく、自分で自分の気持ちをはっきり意識するため
やり場のない気持ちを持ち寄れる場所開催日時 2023年4月9日 午後9時から11時事前申込制(詳細はこちら)連絡フォームよりお気軽にお問い合わせください。
朝、夫が「死にそうなんだから」と言って、着替えを拒んだ。死にそうだから着替える意味がないのか、死にそうだから着替えられないのか、死にそうだから着替えたくないのか、それは私にはわからない。死にそうだからなんなのか、夫自信も、よくわかっていない
朝「死にそうなんだから」と言って、夫が着替えることを拒んだ。死にそうだから着替える意味がないのか、死にそうだから着替えられないのか、死にそうだから着替えたくないのか、それは私にはわからない。死にそうだからなんなのか、夫自信も、よくわかってい
私たちは日々、わからないことに直面している。最近増えた、セルフレジ。あの精算機はお店によって、お金を入れる場所、お札を入れる方向、おつりやレシートが出る位置がバラバラだ。精算が終われば自動でレシートが出るものが大半だが、中にはレシートを出す
ショートステイのスタッフさんに聞いた、夫の話です。ショートステイ内で認知症のある人が、別の認知症のある人を注意したそうです。注意の内容は、なにかしようとしたけれどうまくできない別の認知症のある人を責めるようなことだったそうです。それを聞いた
夫の荷物を整理していたら、同じことが書かれたメモが何枚も出てきた。それは成田空港に行くための、バスと電車の時刻だった。夫が、私に会いに、成田から関西空港行きの飛行機に乗るために書いたものだ。夫がそのメモを書いたのは、夫が初めて認知症外来を受
「そこで、そうやって見ているだけなのか」家から出て行きたいのに、ひとりでは着替えられずに荒れる夫が、怒りながら着方がわからないシャツを床に叩きつけた。「そんな言い方で手伝ってくれる人なんていないよ」私は言い返す。これは、私と夫の真剣勝負だ。
夫はよく家に帰りたがる。それは、帰宅願望と呼ばれる認知症の症状のひとつだ。家にいるのに家に帰りたがる。夫が帰りたい家。それは今私と住んでいる家ではない。夫が帰りたい場所は、生まれ育ったふるさとの家、のようで、そこだけではない。ふるさとに帰っ
夫は認知症の症状でも、とくに帰宅願望が強かったです。夫が「帰る」と言うとき、そこには、私の負担になりたくない、という思いが込めれれていました。私たちは、夫が認知症になってから結婚しています。認知症になった人と結婚するという私の行為が、夫には
夫の「帰る」という言葉に込められた思い。今までできたことができなくなり、なにを考えてもよくわからなくて、自分が壊れていくようで、不安、怖い、逃げたい、『安全で安心できるところに帰りたい』。体の具合が悪い夫が「帰る」と言う。その言葉には『自分
認知症の人がひとりで外出して道に迷ってしまうことなどに使わる「徘徊」という言葉を別の言葉に言い換える動きがあります。「徘徊」には、「あてもなく、うろうろ歩きまわること」という意味があり、「あてもなく、うろうろ」というところが、認知症の人の実
散歩が大好きな夫。毎日1万5千歩、多い日には2万歩以上、歩いている。まあその歩数すべてに私も同行しているわけだが。連日2万歩以上歩いても、私の足に異常はでないが、夫のヒザやふくらはぎは悲鳴をあげだす。夫自身は歩くのが好きだけれども、夫の体、
私は夫と駆け落ちをしたことがあります。それも結婚後に。私と夫は、夫が認知症であり、さらに歳の差が35ありましたが、私の身内、夫の身内、ともに誰にも反対されることなく結婚に至っています。ではなぜ結婚した夫婦が、駆け落ちをすることになったのか。
夫が、自分の認知症に対して発した言葉。「人間にたいして失礼だろう」夫にとっては深刻な問題なのだろうが、それを聞いた私は、夫の表現のすばらしさに衝撃を受けた。なんてわかりやすく素直で的確な表現だろう。加えて夫は「頭をボカンと殴ってやりたい」と
私にとって家庭内の殴り合いは、絶対にダメだと言い切れない行為です。私には子どもはいませんが、年頃の子どもが家で暴れて、親を殴りつけたなら、親としてその痛みを食らってやる。子どもの成長の痛みとして、親が殴られて受けてやる。そのような考えの家庭
私は、夫のケアマネージャーに、認知症の夫のことを弱者だといわれて、嫌な気持ちになったことがあります。社会的にみれば、認知症の人は弱者なのかもしれません。ですが私にとって夫は弱者ではありませし、認知症の人を弱者だと思ったこともありません。そも