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古代東海道更級日記の道 https://hen-un.hatenablog.com/

1020年菅原孝標女が上総(千葉県市原市)から京へ向かった旅をたどります。「点」ではなく全行程を「線」で進みたいと思います。しかし江戸時代の東海道と違いルートは不明で半ば考古学の範疇。参考となる古墳、遺跡等調査探求の旅となりつつあります。

さすらいの古墳人
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2023/01/24

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  • 邪馬台国連合VS狗奴国(くぬこく、くなこく)連合

    白石太一郎氏の「東国の古墳と古代史」を手にした。 (初版 2007年 学生社) 読みやすく、率直な言い方をしてくれているいい本だと思う。参考になる箇所が多い。 1 先ずは、本文内容ではないが序文の箇所。 国立歴史民俗博物館の創設にあたっての井上光貞、岡田茂弘氏からお誘いを受けたときの心境吐露だ。 「古墳時代の政治・文化や古墳造営の中心地と目されている関西のフィールドを離れて、関東に研究拠点を移すことには大きなためらいがあったこともまた事実である。」 かっての、いや、今でも西日本研究者の根底的共通認識かもしれない。氏は東国に来て研究を続けそれを踏まえての優れた研究発表を行っているがそういうことも…

  • リアルな体験とネット・文献での知見の差異 ③ 五反田

    「世界は五反田から始まった」(ゲンロン)との地名入り題名が良かったのかずいぶん話題となった。 大佛次郎賞という朝日新聞系列の受賞だが先日12月29日の読売新聞で東大教授宇野重規氏との街歩き対談が記事となっている。 この写真、目黒川の橋で撮ったとある。 懐かしい。3月28日に桜田門から歩いてやってきたところだ。 どの橋なんだろう。後ろ中央の建物が目印となる。 五反田placeという建物。 ということは本村橋ということだ。 この橋は武蔵国 で上げている。 五反田という場所には全く土地勘がないので説明を聞くばかり。 そういえば昔、通信機を作っていた今でも現役の小さな会社があって一度来たことがある。 …

  • リアルの体験とネット・文献での知見との差異② 高輪,二本榎通り

    同じく3月28日の歩きについての想い。 菅原孝標一行が歩いたここら辺の古代東海道ルートは済海寺のいわれはあてにならないがほぼこの二本榎通りでいいと思う。 理由:尾根筋の安定した地形である。下の旧東海道はまだ不安定箇所。 遺跡も散見され、補強証拠足りえる。 中流貴族菅原孝標一行の上総から京への旅は1020年なのでほぼ1000年後のことになるがこの道沿いに当時の最高上司である天皇の末裔である上皇夫妻が仮仙洞御所として住んでいた(撮影時)というのは感慨深い。(武蔵野国㉒でアップ) 高輪中高と東海大付属高輪台中高が隣接して立地していてわかりにくいが、どちらかが吹奏楽でいい成績を得たとのニュースを見て、…

  • リアルに歩くこととネット・文献で得られることの差異(1)

    はやり病のこともあって、在宅勤務の度合いが多くなり、現地踏査ではなくネット・文献調査や問い合わせ調査が著しく増えている。 それは簡易・簡便で経済合理性に富む。しかし得られる効果は一面的で当初の目的・企画を超えることはほとんどない。 しかし実際に体を張っての行為だとその時は企図しなかったことでも後から、あれは そうだったのかと気付くことが出てくるから不思議だ。 昔々、FM放送の番組をカセットテープに録音し、後で聞くというのが流行ったけど、今や全放送局の全番組を自動的にデジタル録音しておいて後から探して聞くことができる。これに近いような。 いや、違う。 去年少々歩いてそう感じることがあった。 3月…

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