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古代東海道更級日記の道 https://hen-un.hatenablog.com/

1020年菅原孝標女が上総(千葉県市原市)から京へ向かった旅をたどります。「点」ではなく全行程を「線」で進みたいと思います。しかし江戸時代の東海道と違いルートは不明で半ば考古学の範疇。参考となる古墳、遺跡等調査探求の旅となりつつあります。

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2023/01/24

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  • 二つの有銘鉄剣と二人の学者(その2)

    大塚初重(はつしげ)さんの「東国の古墳と大和政権」に移る。 2002年、山梨県で公職にあった時の発刊だ。1926年東京都生まれとある。当然載っていないが、今年2022年、お亡くなりになっている。 Ⅲ1「王賜」銘鉄剣と房総の古墳という段章で稲荷台1号墳の鉄剣についてかなり詳しく述べている。 ☆ まず、千葉県内の古墳の数が多いことを述べる。 付記で補正されている平成12年の数字では前方後円(方)墳 717基 円墳 6666基 方墳 1042基 円-方不明 504基 約9000基だ。ものすごい数!全国的にも言えることだけど(16万基とか)これじゃ発掘発見してもすぐには詳しい調査はできない。 9000…

  • 古道のルート探索と地域の古墳や豪族の視点

    江戸時代の旧東海道と異なり、古道のルート探索の裏付けとなる資料は極めて乏しく、すぐに呆然自失状態に陥ります。 そんな中ある程度合理的なものとして推測、依拠できそうなものが地形です。昔海(川)だった、大雨で出水しやすそう、がけ崩れが起きそう、歩くには急峻すぎる、高低差があって荷物を持っての進行には辛そう、目的地まで不要な遠回りとなる、飲み水の確保が難しいといったルートは誰でも避けるのではないでしょうか。 これに人間の歴史性を加味したものとして律令制以前の人々の営み、すなわち弥生末期から古墳時代の人々の生活歴が参考になるのではと考えるに至りました。最もわかりやすいのが古墳です。古墳時代とそのあとで…

  • 二つの有銘鉄剣と二人の学者 (その1)

    白石太一郎氏 千葉県の古墳についての白石氏の著述が散見されるので、千葉県の文化課、埋文など関係部署の公務員かなと思っていたら歴博の先生だった。 それはどうということはないのだけれど履歴を見ると関西の大学を出て畿内で研究をされていた方。どうして「あづま路の道の果てよりも、なお奥つ方」の地までやってきたのだろうかと?だった。 井上光貞氏の招聘があったようだ。井上氏は東大文学部教授定年退官の後歴博設立準備室長を経て1981年歴博初代館長に就任している。井上氏が見どころがあると思ったのであろう。 白石氏もかなり悩んだらしいが招へいに応じ、東国、畿内双方で優れた結果を出しているので本人にも東国の学会にも…

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