chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
古代東海道更級日記の道 https://hen-un.hatenablog.com/

1020年菅原孝標女が上総(千葉県市原市)から京へ向かった旅をたどります。「点」ではなく全行程を「線」で進みたいと思います。しかし江戸時代の東海道と違いルートは不明で半ば考古学の範疇。参考となる古墳、遺跡等調査探求の旅となりつつあります。

さすらいの古墳人
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2023/01/24

arrow_drop_down
  • 樋口一葉と鏑木清方・朝倉摂

    4か月ちょっと前、台東区のところで竜泉にある樋口一葉記念館に寄り道した。 武蔵の国の項、最終としてそれに関連することを。 訪れたのは2021年12月19日であったが、樋口一葉の作品を舞台化した資料として舞台の模型が展示してあった。 そして、その舞台美術担当というのだろうかビッグな二人のお名前が記されていた。 鏑木清方 朝倉 摂 亡き一葉を偲ぶ演劇公演に参画したお二人であるが、月日がたち、今やこのお二人が優れた表現者として偲ばれることになっている。 鏑木清方は歿後50年として東京国立近代美術館で(5.8まで) 朝倉 摂は生誕100年として神奈川県立近代美術館葉山で(6.12まで) 葉山は遠いが東…

  • 田園調布 の街並み

    多摩川台公園を北に進み、宝來山古墳に近づくと公園の東脇を通る道越しに、ちらちら家々の屋根が見えだしてくる。 どこかで見たような風景 ドイツに防御のため街の外周を城壁で囲んだ古い都市がある。その城壁は人が通れるようになっていて町並みを見下ろしながら歩ける。それに似ている。 塀からしてお金をかけている。 駅に向かう途中でいったん谷となる。いや、台地のふもとというべきか。 途中で目にはいる街の風景を。 ベンツが2台並んでいるなど、目立つのはやめ、風景として溶け込んでいる落ち着きのある地味目のものにした。 下のお宅、四つ角で目立つせいかよく取り上げられている。 敷地は広く、桜もきれい。 だんだんと日没…

  • 古代東海道更級日記の道 武蔵国㉕ 大田区と田園調布

    大田区ってどうもつかみ難く一口で特性を言い難い。 下町工場街?高級住宅街? 東京湾対岸の市原市に似ている。 ベイエリアの重工業工場地域と沢蟹のいる山間部の養老渓谷、地磁気逆転スポット! 大田区は1947年,大森区と蒲田区を合わせる形で成立したが(大+田=大田区)、地域はこの2地域+糀谷・羽田地域+調布地域(北西部)の4域に区分けされている。23区最大面積だそうだ。羽田空港もあるしね。 田園調布のある北西部は武蔵野台地の東南端で高いところの海抜は42.5m、南東低地部の海抜は1~5mというから生業、住まいの様子も変わるはずだ。 さてさて、この多摩川左岸の武蔵野台地東部には遺跡・古墳がとても多い。…

  • 古代東海道更級日記の道 武蔵国㉔ 多摩川台公園の古墳(大田区田園調布1丁目)

    3か月くらい前に新聞で紹介されていた(読売 2021.12.13)。 丸子橋に近いし、そばにある遺跡として是非とも寄ってみたかった。 日没までまだ時間があるのは幸いだ。 手前に神社があるが、俗っぽいたたずまいに見えたし、一般に多摩川台公園内の古墳と共に紹介されることはないようでパスして後ろの多摩川台公園内に直行した。 不勉強・準備不足ゆえの機会喪失となってしまった。ご近所で何度も来られるのでない限りもったいない。 多摩川浅間神社は古墳を擁している。 脇の道を進み急階段を上って公園内に。 途中で目に入る多摩川の光景は国府台里見公園で目にする江戸川の風景にそっくり。 大田区立多摩川台公園古墳展示室…

  • 古代東海道 更級日記の道 武蔵国㉓ 高輪台→五反田、荏原、中延、旗の台、洗足、雪谷→丸子橋へ

    1号線(桜田通)に出て高輪台駅先ですぐに港区から品川区に変わる。 さほど遠くない五反田駅にかけて驚くのが坂道の傾斜度。 こんなに高度差があるとは。 そして長い。 東京の坂道について書く人、書かれた本は多いが、坂道の大半は短めだ。 ここは長い。 これじゃ昔の人は人力の車で荷物を運ぶのに難儀しただろう。海沿いに東海道ができたあと、そちらを利用するはずだ。 進行左手(東南側)に「島津山」という名称が多く残存することに合点がいく。 駿河台の神田山と同じだろうと思う。 有名な新興宗教団体のビルがあり、 雉子神社というお宮があった。由緒ありそうな立派な門構えであるがお宮本体が見えない。変だなと思いながら通…

  • 港区 仮仙洞御所と幼稚園どんぐり採取

    武蔵の国㉒で古代東海道のルートと考える二本榎通りについて述べたばかりであるが、近世以降も色々歴史が濃いようだ。 この、お屋敷、もとは細川藩の屋敷であったようであるが2年間、上皇の住まいである仙洞御所(仮)であったとは知らなかった。二日前、葉山御用邸に移り、そのあとは新規の仙洞御所へ移るとのこと(ニュース)。 近所の幼稚園がドングリを拾わせてもらい、園児が見送りをする映像が映っていた。 また、前述の都営アパートが大石義男自刃の場所で記念碑が建っているとは知らなかった。 平安時代、中級貴族の菅原孝標一行が地方任官を終えて帰京する同じ道を当時のトップの末裔が今の時代に通ったと考えると感慨深い。 追記…

  • 江戸城至近の大名上屋敷とブラタモリ雑感

    一昨日土曜日のブラタモリ、ちょうど当ブログで最近扱った内容にダブるところがあるので興味深く拝見した。 番組で時間をかけ、特に強調していたのが井伊氏の優遇とその上屋敷位置の優越性だった。 上屋敷の場所は海抜の高い、桜田門を見渡せる絶好の位置。 現況はこうだ。 その場所の優越性から維新後も参謀本部の場所となったことに言及していた。 その当時と現況の比較はこうなる。 例によって登場する識者はこの桜田門から虎ノ門への道は古い東海道ですと説明。 タモリは思った以上に高度ある地形であること、ここはあまり人が来ないところだねと印象を語る。 確かにそのとおり。私も職場が目の前だったので昼休みに何度か来たがいつ…

  • 古代東海道/更級日記の道 武蔵国㉒ 高輪皇族邸、東海大、高野山東京別院、味の素前、高輪台交差点

    伊皿子交差点を過ぎ、すぐ100mくらいでこんもりした森。よく見ると門前に機動隊の車両1台と立っている警察官。 高輪皇族邸だ。立哨警備とは現に皇族が居住中? その50mくらい先に茶色系の外壁(冴えない)の高層マンションが建っているが、なんと都営アパートだそうだ。 こんな超一等地に都営アパートはないだろう。京都御所の隣に京都府営アパートをたてるようなもの。 会計検査院的発想で考えれば民間に高値で土地売却し、そのお金で湾岸埋め立て地にキャパ数倍の都営アパートを作るのが筋ではないか。 ここでも尾根道らしく、脇は下り坂で海へ連なる。 二本榎通り(海側)には高輪中・高校と東海大付属高輪台中・高校が並んでい…

  • 古代東海道・更級日記の道 武蔵国㉑ 三田3丁目交差点から聖坂、済海寺・亀塚へ v2

    通説?への疑問と中原街道ルートについて 「古代の道」(武部)は多摩川から桜田門までのコースを次のようにとらえている。 (同著78頁) これに(中原街道)にしたがってそのまま多摩川を渡り、 中原街道の中延付近で東に折れ JR京浜東北線大井町駅前が大井駅(品川区大井)比定地である。 前の小高駅から12.5キロである。 大井駅で90度左折し、直進する。 現在のJR品川駅付近からは近世東海道、現在の国道15号に沿って北上し、 JR田町駅付近からほぼ国道1号(桜田通り)の筋で皇居前を通り 名前が変わって本郷通りを直進し、直進路がなくなってもそのまま上野公園の西端を 通っていけば谷中霊園に達する。 上の一…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、さすらいの古墳人さんをフォローしませんか?

ハンドル名
さすらいの古墳人さん
ブログタイトル
古代東海道更級日記の道
フォロー
古代東海道更級日記の道

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用