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古代東海道更級日記の道 https://hen-un.hatenablog.com/

1020年菅原孝標女が上総(千葉県市原市)から京へ向かった旅をたどります。「点」ではなく全行程を「線」で進みたいと思います。しかし江戸時代の東海道と違いルートは不明で半ば考古学の範疇。参考となる古墳、遺跡等調査探求の旅となりつつあります。

さすらいの古墳人
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2023/01/24

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  • 古代東海道更級日記の道 武蔵国⑳ 桜田門、霞が関、虎ノ門、芝公園(芝丸山古墳)、赤羽橋、慶大前、三田3丁目へ

    3月28日月曜日。JR有楽町で地下鉄に乗り換え桜田門駅へ 駅がこんなに近いとは思わなかった。 どこか違う。 そうだ、地下鉄出入口に屋根がない。景観第一の特異地点だからだろう。 それより海抜6.8mの表示がうれしい。この高さは微高地というのだろうか。 これより南下したら1000年前は海になってしまう。 直ぐに西進するのも何なので前回通っているけどもう一度桜田門内へ行くことにした。 夕暮れより朝がいい。 と、門内に入った次の瞬間、感激することに。 こんなに見事な桜を見たことがない。 とくに幹がすばらしい。 行ってよかった寄り道だ。今日は東京の桜満開日だった。 ではいよいよ今日のスケジュールにのっと…

  • 古代東海道 武蔵国⑲ 順天堂大→明治大→駿河台下→一ツ橋二丁目(一橋大)→二重橋・桜田門

    首府の防御防備(ウクライナと江戸城) 本郷通りを本郷3丁目、壱岐坂上、その先の二股を右折して外堀通り(順天堂前)までやってきた。 芳賀氏は言っている。 江戸以前に現在の外堀はなく、本郷台地は神田山の山すそ(現在の神田小川町付近)まで一続きだった。その屋根筋の本郷通りをたどり、急斜面を一気に駆け下りれば往古の城下。江戸城を攻撃するには最もふさわしい経路となる。 ウクライナでロシアの侵攻を防ぐために橋を落としたなどのニュースを目にすると数百年前のこの城の防御策がリアルなものに感じられる。 堀がなかったら現在の三楽病院(東京都関連の病院)あたりに出ることになろう。 「神田山」とはわかりやすい。「駿河…

  • 古代東海道 武蔵国⓲ 本郷通りのゆくえと参考文献

    これでいいのかと、少々不安ながらの、お茶の水行きであったが、帰ってからとても良い本に巡り合った。 著者は元柏書房の社長さんで、地図学会の評議員や東京経済大の客員教授を務めている。書名からは元社長さんの趣味的なものに感じてしまうが、中身は専門的研究書と言えるしっかりしたものだ。 初版は2013年。それが2020年新版となったものだが「増補 坂の5種類と道について」その中でとくに「本郷通りのゆくえ」「本郷通りの謎」は古代道を考えるうえでも参考になること極めて大きい。 また、添付古地図などは他に例を見ない鮮明かつ必要サイズに拡大されたものであり読みやすい。この分野の基本書ともいえる貝塚爽平氏「東京の…

  • 古代東海道 武蔵国⓱ 向ヶ丘弥生町→東大本郷キャンパス→本郷3丁目→お茶の水橋

    さて、あまり寄り道ばかりをしていると時間が無くなる。浅野キャンパス(弥生2丁目) を出て本郷キャンパス(本郷7丁目)を横切り、正門から本郷通(国道17号)に出ることにする。 浅野キャンパスと本郷キャンパスに挟まれたところにひっそりと隠里っぽい格調高い町並みがある。ここもかって広島藩主浅野家の屋敷のあった所らしい。そのせいか、広島県人会の修道館があるようだ。 街路名は見当たらないがつけていないのだろうか。 進行右側に弥生美術館・竹久夢二美術館がある。ごちゃごちゃしてイマイチの感。 本郷キャンパスに弥生門から入る。 工芸品のような門だ。修学院各ブロックの門より手が込んでいる。 ここは南禅寺の疎水よ…

  • 古代東海道 武蔵国 ⓰ 漱石旧居跡→根津神社→根津小学校→東大浅野キャンパス・弥生二丁目遺跡

    漱石旧居跡前(千駄木1丁目)の道を南下すればすぐ日本医大前交差点。 少々くたびれた感じ。再開発されるのかな? ここで90度右に曲がれば本郷台地の尾根道である本郷通りにつながる455号にぶつかる。そのルートで道なりに進むのが手っ取り早いが、薮下通りなどせっかく一工夫で進んできたので根津神社を見、遺跡のある東大キャンパス内を通って行きたい。 東大キャンパスは弥生、浅野、本郷の3キャンパスに分かれる。遺跡(星印)があるのは弥生キャンパスではなく浅野キャンパスなのでここを目指す。 根津神社 交差点を左折して根津神社裏門へ進む下り坂だから「根津裏門坂」というがかなり高度は下がる。 高度を上げるため少し戻…

  • 古代東海道 武蔵国⑮ 3⃣日本医大→漱石旧居跡

    薮下通りに戻り、進む。 方角的にはどこかで右折することになるが、期待していた案内表示はない。 多分このあたりかと勘で入ったのが下図の解剖坂。 少しのぼりとなる。日本医大の建物が多い明るい高台。 突き当たって右側すぐにあった。 祝日のせいか散歩中の父と幼い息子がいて、父が「塀の上を見てごらん」と言っている。それを耳にして私も見た。 おや、面白い。ちょっと太りすぎの感じもするが。 このあたりで「吾輩は猫である」が書かれたかと思うと感慨深い。 車谷長吉さんは晩婚・初婚同士で結婚した高橋順子さん(詩人)から出身の東大近辺に住みたいとおねだりされて駒込千駄木町に家を求めたと書いている。 確かに千駄木は高…

  • 古代東海道・武蔵国⑭ 東日暮里から桜田門2⃣ 森鴎外住居跡→薮下通り→千駄木ふれあいの杜と太田道灌末裔

    昔はなかった不忍通りを越えて団子坂下に入る。 実際は写真より急 横から撮ると傾斜がわかる。舗装がない時代、雨の時は大変だっただろう。 団子坂上に到着して振り返った。距離は短い。 右折すると(写真では左)公的施設がある。 反対側を見ると変わった建物が。 森鴎外記念館だ。 文人たちのサロンであったとか。 敷地320坪、建物101坪であった。当時としても極めて広い。 鴎外は生前から文学者として認められ、世俗的地位も高く、国際恋愛もし、立派なお屋敷も建て、と、はたから見ると恵まれた人生。能力があるのだからねたんでもしようがないけど。 薮下通りに面するこちらが当時の玄関入り口だったようだ。 薮下通り側か…

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